水上の番外編   作:しちご

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琥珀色の遺言

セリア地区とはつまり、シェルの町である。

 

ブルネイの産業の柱である石油に関する製造販売、その流通は

政府が50%の株式を保有しているブルネイシェル石油会社が受け持っており、

 

海岸沿いの油田と社屋、その従業員の多くはセリア地区に居を構えて居る。

 

密林に沿い走るテンガー通りには、ブルネイシェルのカナダ式ログハウスが軒を連ね

同社上級社員の居住する高級住宅地、英国軍基地とその住居、及び多国籍商店、

 

小規模ながらもチャイナタウンも備え、他の地区に比べれば高級住宅地でありながら

不思議と雑多な、様々な景観が見て取れる土地であった。

 

そのような、何にせよ企業にとっても国にとっても要所として扱われる土地であり、

それが第三鎮守府5番泊地が、セリアに設営された理由の一角である。

 

先日の深海勢力の南冥大侵攻に於いて、消滅するはずであったセリア地区を

泊地を吹き飛ばしてまで防衛した日本海軍の評価はそこそこに高く、

 

故に再建される5番泊地の土地は、前と変わらずセリア地区から提供された。

 

さて、その泊地に於ける提督執務室を抱える泊地本棟。

 

赤煉瓦、などと小洒落た代物ではないが、現地政府、企業からの様々な協力も在り

装飾を兼ねた木造建築の内側に、一応の鉄筋コンクリートなどが入っている。

 

さらに明石の浪漫と提督の趣味が3割ほど、これは言うまでも無い。

 

そして、提督執務室の窓は海を向いていた。

 

抜錨する艦隊を見送るため、帰投する艦隊をいち早く迎えるため、

外向けには、そのような様々な綺麗な理由を以って外聞が装飾されている。

 

しかしまあ、結局のところは実用上の理由が第一に来るわけで。

 

「うん、高級住宅地の皆さんには見せれん姿やわな、確かに」

「OK、身をもって理解したわ」

 

「これだからキャベツ空母(クラフト)は融通が利かないのデース」

 

本日に執務室の窓から吊るされている簀巻きは3隻。

 

龍驤、アイオワ、金剛であった。

 

 

 

『もしくは日常的な処刑風景』

 

 

 

窓の外へと伸ばされている3本の荒縄の根本、飾り気の無い秘書艦机にて、

カリカリと硬い音を立てながら珈琲豆を挽く音がする。

 

ミルを回しているのは自称龍驤型の白い空母、グラーフ・ツェッペリン。

 

「まあ結局の所、珈琲を嗜むと言う事はどこまで妥協をするかと言う事だ」

 

その言葉に、メモを取る夕立の横で提督が訝し気な様相を見せる。

 

「雨、日照、湿度、土壌、豆の育成のみを考えてもこれだけの条件が要る」

 

言葉と豆を挽く音だけが、静かに執務室の中に響いていた。

 

「次に重要なのは日中の寒暖差、それが硬い良い豆を作る」

 

寒暖の差が激しいほどに実が時間を掛けて熟すため、種子、

所謂豆の密度が上がり、独特の酸味、そして甘みを生み出す、と続く。

 

「だからまあ、高地栽培が適していると言われるわけだな」

 

つまり、熱帯の高地あたりが適しているのかと提督が頷けば、

間違いでは無いが、必ずしもそうではないかなと、挽きながらの応えが在る。

 

「例えばだ、コレはアイオワが先日貰ってきたコナを挽いている」

 

ハワイは平均気温が安定している土地と思われがちだが、西部コナ地区は

日中、没後と気温の変化、寒暖の差が激しい地域と成っている。

 

日中に熱せられ、キラウエア火山に押し上げられた空気が、

日没後に強烈な吹き降ろしの風と成ってコナ地区を通過するからだ。

 

「まあ例外も在ると言う話だ、基本は高地栽培を考えれば間違いは無い」

 

軽くミルの中を覗き、改めて挽き続けながら言葉が続いた。

 

「まずは豆を選ぶ所から妥協が要ると」

「いや、そこは拘りたいところだな、まあコナは難しいが」

 

何でまたと言う疑問に飄々と挽き手が答える。

 

「豆の等級の決まりなどは国や地域によって違っていてな、正直コナはかなり酷い」

 

他地域では1等級、2等級と各段階に分けて豆を選別しているのだが、コナにそれは無い。

値段である程度の出来は察する事が出来るが、ボッタクリもあるので完全とは言い難い。

 

良い豆も悪い豆も、等しくコナ・コーヒーを名乗って輸出されている。

 

飲んでみるまで分からない豆、それがコナ・コーヒーである。

 

「処理の手順も幾つか在るが、まあそれは地域でだいたい共通しているから」

「どうにもならんと、まずは妥協が入ると」

 

提督の合いの手に、よくわかっているなと苦笑が出る。

 

「そして、良い豆を得たら焙煎の前に豆の選別だ」

「カップに入るまでが遠そうだな」

 

実に遠いと悪びれ無く断言し、挽く前の豆を軽く見せる。

 

「これは既に焙煎前に取り除いているが」

 

中が空洞の豆、変形している豆、これらは焙煎斑を起こすために取り除く。

病変している豆、黴などで駄目に成っている豆、素直に味を落とすので取り除く。

 

「良い仕入れ先でも、1割は混ざって居る事を覚悟しないとならんな」

「随分とまた杜撰な品質管理だな」

 

その要求は酷過ぎると、笑みのままに窘める声。

 

「形や重さが似通っているから、取り除き様が無いのさ」

 

すぐにわかる様なのは既に取り除かれている、それでもチェックを掻い潜る代物が

全体の1割、杜撰な所なら4割、5割と言った混入として現れてしまう。

 

「残りは目視でひとつひとつ取り除く必要が在るが」

 

そこまでやるとコストが掛かり過ぎて超高級品に成ると、言葉が続いた。

 

「そして次に豆の大きさを揃える、火の通りが違って焙煎斑が出来るからな」

「まだ焙煎にすら辿り着かないのか」

 

少し呆れた声に、次が焙煎だと苦笑交じりの返答が在る。

 

「そして焙煎、焙煎済みの豆を買う場合はここまでの工程を妥協したと言う事だな」

「ちゃんとやっている所も在るんじゃないのか」

 

「それは在るさ、まあ自分で見つける必要が在るが」

 

コストや時間を考えれば、焙煎済みから病変した豆を取り除くのが無難な線かと

適当にグラーフが言えば、生豆から手を入れて何を言っていると提督の苦笑。

 

趣味だ、許せと軽く笑う声。

 

「でだ、焙煎直後の豆など飲めたものでは無いから数日放っておく」

 

「少し意外だ」

「新鮮さ、この場合はガスか、焙煎直後は新鮮過ぎてろくなもんじゃない」

 

だからガスを抜くために冷暗所、冷蔵庫などで数日放置する必要が在ると。

 

「どうしても早く飲みたい場合は、挽いてから一晩寝かせるとかか」

「挽いた後だからガスが良く抜けるわけか」

 

まあこれは普通に経過させたモノだがと、挽いた豆を摘まみ、頷きながら口を開く。

 

「そして好みにローストした後、好みに挽いて、好みに淹れる」

「いきなり大雑把に成ったな」

 

ざっくばらんな言葉にツッコミが入れば、後は好みを組み合わせる話だからなと

どうにも歯切れの悪い言葉が在り、標準的な仕様とかは無いのかと問いが重なる。

 

「シティロースト、中細挽き、紙フィルターあたりが無難かつ間違いが無いな」

 

無難かと問えば、無難だと答え。

 

「酸味や甘みを望むなら浅く炒り、苦みや深みが欲しければ深く炒る」

 

シティローストより軽く炒るハイローストが、日本では好まれているなと追加。

 

「水出しやエスプレッソは細かく挽き、布やサイフォンは粗く挽く」

 

エスプレッソは限界まで深く、イタリアンローストに炒ると補足が入る。

 

「布と紙で違うんだな」

 

きめ細かさが違い過ぎるからなと、端的な答え。

 

「ああ、念のため言っておくが布は面倒だぞ」

 

布フィルターは染み込んだ珈琲豆の油が乾燥する事に因り酸化し、

何と言えないエグイ臭いを放ち始めると言う問題を抱えている。

 

当然、そのようなフィルターで濾した珈琲はろくでもない代物に成る。

つまり、布は一度酸化させてしまえば最早取り返しがつかない。

 

そのため、布フィルターは決して乾燥させず、瓶などを使い水中などに沈め

冷暗所、昨今は冷蔵庫などで保管し、日常的に使い続ける必要が求められる。

 

「そして、そんな面倒な布フィルターに音を上げた進歩的夫人が居てな」

 

白い空母が、挽いた豆を茶漉しに通し、粉を落としながら会話を繋げた。

 

「粉を落とすのか」

「必要な行程さ、メリタ夫人も思い知った過抽出の元だ」

 

肩を竦めながらドリッパーに紙フィルターを入れる。

 

「20世紀初頭のドレスデンで、メリタ・ベンツ夫人は流行りの進歩的な方でな」

 

キュリー夫人などと同類項の生き物と思って貰えれば良いと、補足が入る。

 

「日々の科学的な実験の最中、珈琲を好んでいたメリタ夫人はふと思いついた」

 

漏斗の上に適当な紙を濾紙にして、挽いた豆を入れればフィルター要らないのではと。

 

「やった、これであのクソ面倒な布フィルターから解放されるってとこか」

「そんなノリだっただろうな、そして意気揚々と淹れたそれを口にして」

 

そしてフィルターに挽いた豆を入れながら顛末を語る。

 

「出来上がった泥水を噴き出した」

「おい」

 

ただの失敗談で在った。

 

「過抽出さ、濾紙のせいで入れた湯が一点からしか抜けなかったせいだ」

 

ケトルから細口のドリップポッドに湯を移しながら。

 

「以降、出来上がった悪魔的物質にブチ切れたメリタ夫人は、

 紙製の使い捨てフィルターの開発に血道を上げる」

 

そして出来上がった紙フィルターで特許取得、会社を設立し、

世界の珈琲業界にペーパードリップの嵐を巻き起こす事に成る。

 

その会社が、現在もドイツの珈琲機器メーカーとして有名なメリタである。

 

「要は、あまり小さい粉が在るとフィルターが目詰まりを起こすのさ」

 

そして話が戻る。

 

さらに言えば、湯に触れる全体の表面積が増え、そこでも過抽出が行われる。

 

苦みと言うよりは、雑味が増えると言う話である。

 

「メリタ夫人の泥水に近くなってしまうのか」

「挽いた豆だけで丁度良く抽出される様に調整されているからな」

 

言いながら、手元で回していたポッドから、ドリッパーへと細い湯を流し込んだ。

 

「薬缶でも気合を入れれば出来ない事も無いが、素直にポッドを使うべきだな」

 

メモを取り続けていた夕立が頷く。

 

「抽出温度は95度あたり、沸騰した湯を移し一息待つ程度か」

 

93から95度あたりが理想だと言われている。

 

「一点に注いで豆から過抽出しない様に、小さく円を描くように」

 

粉とフィルターの間に珈琲の層が出来る様に。

 

「粉をフィルターから浮かすように、2回にわけて2分ほどで淹れる」

 

適度な新鮮さを意味する炭酸ガスが粉の上に膨らみを作り、珈琲が抽出されていく。

 

「最後にフィルターに残った分、紅茶で言えばゴールデンドリップか」

 

4杯分が出来上がった頃、抽出の終わりに言葉が在った。

 

「過抽出の塊だから捨てる、珈琲と紅茶の違う所だな」

 

そのまま手際良く処理をして、カップを用意する。

 

「4杯在るし、とりあえず龍驤だけ引き上げるか」

 

そう言って手元の荒縄を一本だけ引いてみれば、米英2隻からの抗議の声が上がる。

 

「アメリカンでも良いじゃない、お湯で割って何が悪いのッ」

北部の戦艦(ヤンキー)に発言権は認めない」

 

「ホワイトで良いじゃないデスカー、時代はカジュアルデース」

ライム戦艦(ライミー)と話す舌は持たない」

 

表情一つ変えずに淡々とした言葉だけが在った。

 

そして引き上げた赤い水干の龍驤型一番艦の襟首を掴み、静かに問い掛ける。

 

「で、何で氷を入れたんだ、せっかくのブルマンNo1に」

「いやほら、暑い時は氷でキンキンに冷やしたいやん、南国やし」

 

そこには、笑顔が在った。

 

優し気な2隻の笑顔が、場の空気を美しいモノに変える。

 

さながら、剥製の様に。

 

黄色い白人(バナナ)は吊るされるのがお似合いだ」

 

何の躊躇いも無く手を離すグラーフの姿に、執務室の1隻と1名は冷や汗を流していた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

深夜の居酒屋鳳翔にて、余ったブルーマウンテンを淹れている龍驤が居る。

 

紙フィルターは濡らさないのとアイオワが問えば、それは古い時代の、

薬品で殺菌していた頃の手順やなと淹れながら店員が答えた。

 

アメリカなどではいまだフィルターを使用時に濡らす習慣が残っているが、

現在の殺菌過程では薬品を使用しないので、フィルターを濡らす意味は無い。

 

時代の流れに固まっているアメリ艦の横で、ドイツ製の妹がバツの悪い声色で言う。

 

「まあ何だ、せっかく淹れたのを無下にされたら私も怒る」

 

龍驤が淹れるならどう扱っても文句は無いさと、白い自称妹がカウンターで語った。

 

「お湯で割っても良いじゃない、ゴクゴク飲めるのがステイツの文化なのよー」

「せめて浅炒りで淹れてくれ」

 

熱射で干からびているアイオワの文句に、グラーフがすげなく答えれば

アメリカ北部の名を関する高速戦艦が指を振りながら否定した。

 

「アメリカンを減点制で考えてみなさい」

 

わざわざ薄く不味く淹れるよりは、美味しい珈琲を湯で割った方が味の劣化が少ない。

 

「だからお湯割りはジャスティスなのよ」

「そもそも味を劣化させるなと」

 

豊かな胸を張るアメリ艦に、呆れた様な白い空母の言葉が在る。

 

「つーか、気候の違いってのが在るやん」

「まあそれは確かにな」

 

カウンターの中で液体を操っていた店員が、流れで会話を引き受ける。

 

「熱気と湿気が在る土地では、冷たさと水分が優先されるっつう価値観があるやろ」

「言いたい事は何となくわかった」

 

会話の狭間、グラスに大量の氷を入れ、深く淹れた珈琲がそこに注ぎ込まれる。

 

「それならば、言ってくれれば水出しで作るのに」

 

少しばかり拗ねた様な声に、頷きながら龍驤が言葉を紡いだ。

 

「ぶっちゃけ、水出しは不味い」

 

身も蓋も無い発言に、静寂が生まれた。

 

「いやいやいや、暑い季節の水出しアイスコーヒーはジャスティスでしょ」

「砂糖やミルクをダバダバ入れる前提の国なら、そうなんやろけどなー」

 

苦笑交じりの受け答えに、眉間を揉みながらドイツ艦が溜息を吐いた。

 

「抽出温度が低い分、酸味、つまりは甘みも何も無い、要は苦い水だからな」

「抽出時間が長い分、油脂は溶けてしまうから脂っこい苦い水やな」

 

酷い表現をさらに酷く塗り重ねる。

 

脂は在るが味の深みは無く、苦みだけが抽出される。

 

つまりは、水出し珈琲はミルクや砂糖などを入れて調整する前提で飲む物であり、

珈琲の味を愉しむために飲む日本の嗜好には、微妙に合わないものが在る。

 

酸味が無く、飲み易さが在ると言えない事も無い。

 

ただ、珈琲を愛好すると言う視点からは対極に在る評価点である。

 

言葉を飾ればキレの良い飲み口とも言える、さらに珍しさ、目新しさは在る物の、

こんな美味い珈琲は飲んだことが無いなどと言う人間は、たぶん舌が腐っている。

 

「つーわけで氷で急冷(日本式)や、酸味がちょい強うなるがな」

 

「そして薄くなる」

「水分が染みるわー」

 

つまりは、水分補給を主に置いた飲み方の選択であった。

 

「ミルクとってクダサーイ」

「ライム戦艦は紅茶を飲んでろ」

 

アイスカフェオレを作ろうとした金剛に、すげないグラーフの言葉が在る。

 

「グラーフが、何か私にだけ辛辣なままなんデスガーッ」

 

金剛の嘆きが夜の鳳翔に木霊したと言う。

 

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