窓からは朝焼けの紅が宵の藍に混ざり、視界を赤紫に染めている。
日々是平穏、とは言い難いものの好日ではあるなと、
航空母艦加賀は空母寮の廊下で益体も無く考えていた。
「今更ですが、朝焼けの色も本土とは違いますね」
土地柄の違いなのか、南国の朝夕は紅が強いと加賀は感じている。
記憶の奥底に在る日ノ本の灼けた空は、日と夜が個別に存在しており、
深い藍の宵を駆逐するが如くに陽光の紅が空を染めていた。
しかし南国では、それらは溶けあっている。
藍色に混ざり込む様に、広く、どこまでも広く紅が滲む。
空も海もその空気さえも、一切の例外無く悉くが赤紫に染まる。
しばし目を奪われた後、改めて廊下に視線を戻せば、
染まる世界の中に動く人影が廊下に在った。
保護色の様な、赤い水干。
進水年こそ違うものの、編成の都合なども在り同期と呼んでも
差支えが無いであろう、数奇な縁の在る小柄な航空母艦。
徹夜明けか、やさぐれた空気の滲む様が見て取れ苦笑が漏れた。
もったいないと、加賀は思う。
常日頃の言動から気付かれ難いが、彼女は意外と女らしい。
背丈や胸の話ではなく、肌や、外観の話だ。
龍驤は、純戦闘型とは言え鳳翔の直系にあたる航空母艦である。
例えば括っている髪を下ろし、櫛で丁寧に梳かせば
それだけで誰が見ても姉妹と思うほどに鳳翔によく似ている。
だがそれも、着た切り雀の赤い水干が覆い隠している。
敵味方の返り血で染めた水干などと巷で噂されている制服は、
意外と短いスカートと組み合わせて可愛らしさを醸し出してはいるが。
しかし着た切りであり、どうにも目新しさもへったくれも無い。
たまには別の衣服を着てみれば、周囲に彼女の魅力が伝わるのにと、
忸怩たる思いを込めて、視線を投げかけた。
そして「加賀やん、おやすみー」などと早朝からナチュラルに
業が深い発言をしている秘書艦に向かい、静かな声色で言葉を贈る。
「龍驤、女装しなさい」
真顔であった。
その朝、龍驤就寝前の最後の仕事は、加賀の簀巻きであったと言う。
『地獄のデスドーロ』
たとえ合鍵を没収されたとしても、市販の鍵などこの加賀にかかれば
鎧袖一触と言うものですよと、針金を回しながら頬を緩めました。
昔取った杵柄と言いますか、かつて艦だった頃の乗員の記憶にかかれば
酒保や厨房の鍵を破る事など造作も無く、
そして肩を叩かれて振り向けば、そこには笑顔の如月さんが ――
いえ、精神衛生のためにも、これ以上は思い出さない様にしましょう。
とにもかくにも、我が部屋が如く知ったる龍驤の部屋です。
殺風景と言えるほどに実用本位の家具と豊富な調理器具、付けっ放しの
エアコンと、駆逐艦型ダウナー系座敷童が居る無人の部屋……無人?
いやまあ、何か布団の中で枕を抱えてもふーとか鳴いている高露出兎は
放置しておきましょう、特に害は無いでしょうし。
けど何ですか、合鍵持っているんですか、龍驤は駆逐艦に甘すぎませんか。
航空母艦だと言うのに水雷魂が強すぎるせいですかね。
まあそんな事よりも、冷蔵庫です。
以前に置いてある日本米を消費した折は、セメントの入ったドラム缶に
頭から突っ込まれてしまいましたから、そこには手を付けません。
反省を生かす、大事な事ですね。
そんなわけで、本日の主食は持ち込みの大袋。
酒保でパン販売があったのですが、安かろう多かろうと探してみた所、
バーガーパンズと書かれた浪漫溢れる袋詰めが売っていたのですよ。
要するに、ハンバーガーとか言う万博で売っていた米帝料理に使うパンです。
そして中に挟むのはいざ冷蔵庫、何があるのでしょうかねと。
冷蔵庫を開けたとたんに英語とアラビア語と日本語と漢字とマレー語が
飛び込んできたせいで少し混乱しました、相変わらず無国籍な。
とりあえず無難にボンレスハムとチーズですか。
焼くのも面倒ですし、電子レンジで軽く温めてから挟んでみれば。
そうですね、もともと私は八八艦隊の流れで建造予定の
だったのですが、建造中止となり標的艦として処分される予定でした。
ただ、悪運が廻ったのか関東大震災が起こり、航空母艦に改装予定だった
巡洋戦艦天城の竜骨が折れ、急遽代艦として私が改装される事になりました。
天城は、赤城さんにとって妹の様な位置にあたる戦艦です。
巡り合わせと言えばそれまでなのですが、それでも誰かの不幸の上に
自らの生を掴み取った後味の悪さと言いますか、今も時折胸を苛む
そんなやるせなさを感じるほどに、不味い。
何ですか、貴重な艦生の中の一食だと言うのに私は何を口にしているのですか。
ちょっと瑞鶴が居たら窓から放り捨てているほどに不味いですよ、これ。
いえ、放り捨てるのは瑞鶴です、食べ物は投げませんよ、貴重ですから。
まあ諦めてもそもそと食みつつ、これはアレですね、パンが強すぎるのです。
考えてみれば肉と調味液をだばだばと叩き込む米帝料理のパンなのです、
しっかりと具を受け止めるパンと言う事は、具が弱いと酷い事に成ると言う。
とりあえず他に無いかと冷蔵庫を漁れば、見つかったのは冷凍ハムカツ。
レンジで温めつつ、挟んでいただきましょう。
思うに、薄いハムカツと厚いハムカツは完全に別の料理です。
肉を食っている、と言う感覚を強く感じる厚めのハムカツの方が好みですね。
しかしトンカツは薄い方が好き。
何かあっちは肉ではなく揚げ物と言う感覚なんですよ、個人的に。
まあそんな感じで意識が脇道にそれるほどに、安定の不味さ。
完全にパンが余分ですね、ハムカツをそのまま齧りたいところです。
と言いますか、パンの主張がまだ強い。
もそもそとしています。
ふむ、そういえば調味液ダバダバとさっき自分で言っていましたが。
そうですね、思い返せば市販のバーガーは容赦無く汁塗れです。
ケチャップとマスタード、これが勝利の鍵ですか。
そんなわけで、いざ実食です。
…………マシ、にはなりました。
ちょっと敵機直上から赤城さんを残して沈んだ記憶が思い浮かびましたが。
これはもうアレでは無いでしょうか、食事に集中しているからいけないのです。
何か適当に気を紛らわしながら消費したらイケるのではと。
ええ、大袋ですからね、嫌に成るほど在庫があるのです。
とりあえず窓から外に目を向ければ、不在の家主の姿が見えました。
相も変わらず乳難の相と言いますか、やたら乳に囲まれていますね。
もそもそと食べながら眺めてみます。
何であの娘は、やたらと海外艦に懐かれるんでしょうかねえ。
見れば今も新人の防空巡洋艦に抱えられていますし。
ヘッドロック的な、乳を横から押し付ける感じですね、これは新しい。
そんな肉の壁に、随伴艦志望の小娘が突撃しては跳ね返されています。
哀れと思いつつ、パンが進む。
ハムカツが徳用なのは良いですね、胡椒何かも振ってみましょう。
おっとスパイシーさを味わいつつ眉間に皴を作っていたら、
死角から滑り込んだ雲龍がインターセプト。
やりますね、流石は飛竜の直系なだけはあります。
追いすがる海外艦を後ろに、龍驤が綺麗に放り投げられ、
次から次へと日本艦の乳に減り込んでいきます、目が死んでいます。
これはパス&ラン、いえ、それよりも早いパスランと言うヤツですか。
最終走者がさりげなく秘書艦組で、そのまま執務室にタッチダウンと。
見ごたえのある展開でした。
結構パンも消費されましたね、やるせないほどに切ない味でしたが。
まあ、まだ余っていますが。
まだ余っていますが。
「あれ、加賀さん何をやっているんです」
ふとドアの開く音がして、声を掛けられて振り向けば赤城さん。
その手にはコッペパンの詰まった大袋が握られています。
「パンの消費です、赤城さんもどうですか」
「あ、なら私のコッペパンと交換ですね」
ふむ、良いですねコッペパン、ジャムなんかを挟みたいところです。
そして冷蔵庫にカヤジャムを見つけたので、パンに切れ目を入れて塗布。
良いですよねカヤジャム、餡子的な味わいで。
コッペパンに塗ると、餡パンと言うよりは古く学生たちが好んでいた
小倉トーストとか言うメニューに近い感じがします、食感的に。
はい、普通に美味しい。
そして私の目の前で赤城さんは、フライパンにバターを敷いて。
パンを乗せた。
……焼く……だと…………
私は一体いつから、パン自体を美味しくできないと錯覚していたのか。
そしてレタスを敷いてハムカツを挟み、見るからに美味しそうな代物が。
「たまには良いですね、こういうのを自分で作るのも」
ええ、何も言えませんでした。
これが調理技能の差かと、まざまざと見せつけられた昼時の事でした。
(TIPS)
会話の果て、加賀さん、もう少し言葉を尽くしましょうよと
どこか引きつった笑顔で赤城が言葉を贈って暫く。
「良いですか龍驤、私たちは同期の桜」
「まあそやな」
宵も更けた空母寮の龍驤の部屋で、膝を突き合わせる2隻。
「同期の縁と言えば血肉を分けた姉妹の如き関係」
無駄に真面目な顔と声色で加賀が言えば、龍驤が首を捻る。
「血肉分けたる仲ではないがとか、歌に無かったか」
「私が沈んだ後の流行り歌の事を言われましても」
同期の桜は、西條八十により謳われた昭和13年の「戦友の唄」にまで
その起源を遡ることが出来るが、流行歌として広まったのは後の時代。
昭和17年卒、海軍兵学校71期生に端を発し、
戦時下、大戦末期の日本に於いて流行した歌だ。
昭和17年、そう、つまりは加賀が沈んだ年である。
「ともあれ、龍驤の物は私の物で、私の物は龍驤の物なのです」
「何や突然に論が斜め上に飛ばんかったか、今」
知らぬ顔で言葉を続ける正規空母に、呆れ半分で言葉を返す軽空母。
「そう、例えば龍驤の冷蔵庫の中身が私の物である様に」
「ぬけしゃあとよくも言うた」
そして龍驤の笑顔に、怖い物が混ざる。
「私の肉体もそう、龍驤そのものと言っても過言では無い」
「聞いてウチの言葉」
そのような聞き手の反応を些末事と切り捨て、顔色一つ変えず、
語り手は堂々と連なる発言を締める最後の一言を口にした。
「つまりですね、龍驤は巨乳なのです」
よくはわからないが喧嘩を売られている事だけはよくわかったと、
加賀を簀巻きに吊るしながら龍驤が語ったと言う。