水上の番外編   作:しちご

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居酒屋鳳翔夜話 ふたたび

 

陽光も翳り灰色の世界の中、広場に背を向け石畳の通りを行く。

やや癖のある焦げ茶色の短髪にカチューシャを乗せ、眼鏡を掛けている。

 

ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦四番艦、ローマ

 

そんなどことなく落ち着いた風情の戦艦が歩む場所が、フランスはパリ、

シャルル・ドゴール広場を抜けてシャンゼリゼ通りに入った所。

 

後背の、相も変わらずな渋滞広場には本日も交通車が敷き詰められ、

接触事故を起こしたドライバーの罵声が飛び交っている。

 

凱旋門を囲む様に広がるシャルル・ドゴール広場に信号などは無く、

所謂、ラウンドアバウト方式で複数の大通りに繋がっているのだが、

 

それだけに渋滞は日常であり、日に数件の接触事故が起こる鉄火場である。

 

近年、海域断絶後には不景気に伴い若干の緩和が見られていたが、

終戦を迎えた今現在では元の木阿弥と、そのような風情に成っていた。

 

そして買い出しの紙袋を抱え、罵声飛び交う凱旋門に背を向けて歩く艦娘。

 

仏西2国が面するビスケー湾奪還のためにイタリアより出向していた身の上だが、

 

戦力の不足は如何ともし難く、辛うじてドーバー海峡を確保できている現状に、

どうとも言えない不甲斐無さを感じながらも奮闘する中の、買い出しである。

 

戦火の収まるが早くと、市場に素早く並べられた中国産食材を買い込み、

トマトに関しては文句を言われるのだろうなと、同僚の姿を思い起こす。

 

通りを過ぎる風が、軽く振られた首を撫でた。

 

視界の中、並びの商店の壁やガラスに幾つかの爪痕を残しながらも、

先日まで通りを占拠していた難民などは綺麗に掃除されており、

 

久方ぶりの清涼な空気に少しばかりの気が紛れる。

 

そんな吹き抜ける一陣に、軽く爆ぜた様な音と香り。

通りの先の信号に、焼き栗の屋台が見て取れた。

 

「仕入れの華僑(シヌワ)に聞いたけど、もう保存食分まで輸出しているみたいだね」

 

焼き栗売りはそのような事を言いながら、支払い分の栗を新聞紙に放り込む。

終戦の果てに辿り着いた今は、穏やかな平和の中での速やかな復興とは行かず。

 

「餓死者よりも外貨を優先か」

 

苛烈ではあるが、長い目で見れば最も死者が少ない選択なのかもしれない。

 

1隻の戦艦は思う。

 

自分の様に他国へと出稼ぎに出ている同胞達の現状を。

 

近くに居るのならば良い、何か問題が有れば助け合う事も出来るだろう。

だが、遥か極東に向かったのはザラ級の重巡洋艦姉妹だったか。

 

「ポーラは東南アジアに行ったのだったか」

 

言葉も通じにくい遥かな地で、異国の軍に囲まれ孤軍奮闘をする。

どれほどの苦難が襲っているのだろうかと、憂う。

 

更紙の袋の中で、焼き栗の殻がカラリと鳴った。

 

 

 

『わーるどおぶこかこーら』

 

 

 

その夜、息抜きに提督が鳳翔へと訪れた折に目にしたものは、

幸せそうに酔い潰れているイタリア製重巡と島風であった。

 

脱ぎ散らかされた制服に近く、裸体隠しの筵の下で空き瓶を抱えながら

だらしない笑顔で眠りこけている何かアレなナマモノから目を逸らす。

 

「次は日本製でー」

「あいよー」

 

そんな有様を何処吹く風と、カウンターで注文を続ける露出高めの駆逐艦と、

空き瓶の連なるカウンター、その向こうには二つ括りの艦娘の姿。

 

しかし爆乳だ。

 

はすっぱな空気を醸しながら、アトランタがコーラの蓋を開けていた。

 

「何か豪勢だな」

「今日の私の注文はポーラさんの払いなのだ」

 

何故と聞くと並んでいる空き瓶を見せてくる。

 

【挿絵表示】

 

麦酒、軍隊用配給品復刻瓶。

海軍向けだけあってキリンである。

 

間宮券などの様に折に触れ配られる配給券が貯まっていたそうで、

引き渡す代わりに飲み代を持つ約束だと言う。

 

「はい、メイドインジャパン」

 

そしてコカコオラもう一杯などと言っていた島風の前に、そっとコップが置かれる。

 

「甘くないって言うか、炭酸が強いね日本のは」

 

瓶の余りに口を付けながら防空巡洋艦がそんな事を言った。

 

「海外のコーラは甘いと思ってたが、そこじゃないのか」

「実のとこ国によって水や比率は変わるけど、糖分にそこまでの差は無いんだ」

 

日本だと炭酸が強い分、甘さを感じにくいのだろうと答える。

 

「龍驤ちゃんが言ってたけど、日本は缶飲料黎明の国の一つだからだって」

 

液体を口にしながら、隣の席で島風が言葉を足した。

 

日本で缶飲料が開発されたのは昭和29年、明治製菓のオレンジジュースからに成る。

 

50年代に生まれたオープナー付きのそれは、手軽な開封を求めてジューストップ、

シップトップなどと開発が進められ、最終的にプルリングへと落ち着く。

 

「炭酸が強い理由が見えてこないな」

「もともとは直射日光を避けるための保存缶だったわけで」

 

直接飲む事は想定していなかったと。

 

「ファンタで350ml缶が発売された時の売り文句が象徴的だね」

 

―― たっぷりコップ2杯分

 

「ああ、コップに入れて飲むから炭酸強めに作ってたのか」

「そのまま日本の伝統と言うか、ロングセラー品は炭酸強いままなのが多いって」

 

出来上がった缶飲料が後から入ってきた国は、直飲みするから普通の炭酸量と。

 

「ファンタとかは調整されたけど、コーラや三ツ矢は強炭酸が売りのとこがあるとか」

 

言いながら空いたコップでお代わりを頼む島風、次はマレーシアと。

 

「普通に美味いね、メキシコに近い」

 

例によって余りを飲んだアトランタが言う。

 

「ステイツは70年代に異性化糖、要するに果糖ぶどう糖液糖にしたからさ」

 

そして提督の疑問顔を見て、軽く笑いながら言葉を足した。

 

異性化糖の特徴は、砂糖よりも強い甘みがありすぐに消える。

コストの問題も在るが、切れ味の良い甘さを好む層に訴えかける特徴がある。

 

「ここらとかメキシコとかは砂糖使ってんだ、赤道近くて安いからね」

 

そして、長く口の中に甘味の残る砂糖を好む人も多いと。

ちなみに日本のコーラは砂糖と異性化糖のブレンドである。

 

「何と言うか、やたら詳しいな」

「……まあ、コーラはアトランタ名物だし」

 

コカコーラ発祥の地であり、本社と博物館が置かれている土地でもある。

 

感心した言葉に頬を染め目を逸らす臨時店主に、我関せずとコップを空ける駆逐艦。

不気味な笑い声を寝言で漏らす酔っ払いと、微妙に混沌とした空気が醸し出されている。

 

とりあえず軽食と眠気が覚める物をと、ようやくに提督の注文が出た。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

その頃の提督執務室。

 

【挿絵表示】

 

 

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