あきつの性は見鬼にあれば。
その視界は常に常ならぬモノを常とすると言う。
気が付けば日も傾き、朱に染まる郊外の休耕田に影が伸びた。
ただ一隻歩いている揚陸艦は、誰そ彼に似合う黒を纏っている。
苔生した天目一箇を過ぎれば、其処は既に化外の地。
村内でも時折に見かけた黒い靄、もはやヒトの形を保てぬほどに劣化した
何某かの執念の成れ果てが夥しく土の上を蠢き埋めている。
咥えた煙草に火を灯せば、煙が散り。
須らく、あやかしはヤニを嫌いがちである。
しかるに、紫煙を避けるかのように不明瞭な様々が距離をとった。
「山林山川の怪、文字通りの魑魅魍魎でありますか」
徐に懐から取り出した大き目の符は、以前にブルネイに訪れた折に譲り受けた
製作精度だけは異様に高い暴虐軽空母謹製 ―― 崑崙霊符が一種、応門霊符。
面積のある符には複雑な文様、数多の通神の儀と、物語に良く出てくる様な
札の形をした符に書かれている文言が複数、所狭しと書き込まれている。
此は正門、内に神在りて兵集う、その様な意味合いの符である。
魑魅魍魎を退ける門の札、これを道祖神にぺたりと貼り付ける。
貼懸符法、貼り付けて功を得る用法。
「まあ元々、村内にまで被害は来ぬでありましょうが」
視界の魑魅魍魎の幾つかは、観る間もひたすらに天目一箇に怯え、
村へと続く路を辿る事が出来ていない様に見える。
深く肺に呑んだ煙に、諦観の色を乗せ吐き出した。
「煙草が消えても煙が残る、煙が消えても臭いが残る」
視界の先、蠢く魑魅魍魎の流れの果て、祀りの会場へと歩を進める。
「呪い呪われ、おろちは何を求めているのでありましょうな」
かたりと、佩いている軍刀が鳴った。
『あきつ異考録 おろち③』
細い樹の立ち並ぶ山道へと、傾いた日に伸ばされた影はふたつ。
軽い髪色の小柄な艦娘と、背広姿の禿頭の壮年。
樹木の隙間、休耕の末に荒れ果てた段々畑を抜けるのは電と教授であった。
「もとは溜池から水を引いていた様だな」
「池が割れたからか、水も枯れて久しい感じなのです」
朱に染まる山肌の中、会場にて夜間の祭礼のリハーサルを行うと聞き、
視察のために徒歩で向かい、偶然に行き会った互いである。
「おろちまつりと言われても、どれだけ信用できるのですかね」
拝金主義の胡散臭さに辟易とした駆逐艦の愚痴が漏れ、学者の苦笑を呼ぶ。
「ふむ、そもそもオロチとは何だと思うかね」
問い掛けに、日本神話のアレですかねと簡単に答える電。
素戔嗚尊が八岐大蛇の首を落とし、尾より草那藝之大刀を得て、櫛名田比売を娶る。
そんな返答に、まあ娶ったかどうか明言は無かったがと相槌。
「古事記と日本書紀に記されている内容は、大筋では同じだが細部では違いがある」
夕闇の中、歩を進める間を埋める様な会話が重なる。
「例えば出雲神話の有無だな、古事記では大きく扱うが日本書紀には記載が無い」
大和の在り様を示す、国外向けに編纂された史書としての日本書紀と、
国内各部族のため歴史書として編纂された古事記の違いだと語った。
故に古事記の方が細かく、と言うよりは後発の日本書紀の方に取捨選択が在り
同一の内容が在ってもその描写はシンプルに編纂されなおされていると。
「彼の目は赤加賀智の如くして、身一つに八頭八尾有り
亦其の身に蘿と檜・椙生ひ、其の長は谿八谷峡八尾に度りて、其の腹を見れば悉常に血爛れり」
―― その目は酸漿のように赤く、身体は一つで八つの頭と八つの尾があり
またその身には日影蔓と檜と椙が生え、其の長さは谿八つ、峡谷八つに渡り
その腹を見ると悉く常に血が爛れている
古事記に於ける記載を謳い、最後の一文は日本書紀では削除されているなと言葉を繋げる。
「即ち八俣遠呂智、そもそもオロチと言う名を見れば『ろ』は接尾語であり
その意味合いは『お』の『ち』と読む事が出来る」
お、とは大きなもの、神格としての山を意味する
ち、は霊、力在るモノを指し蛇などにその音をよく使う
「山の様に大きな蛇、と言った感じなのですか」
「山に在る霊力、とも読めるな」
そして語り手は、林の隙間に見える山肌を指しながら言葉を重ねた。
「山こそがオロチで在るとするならば、山中に爛れ流れる血とは赤い水」
即ち鉱脈 ―― 酸化した鉱物に因り赤く染まった水だと。
「八岐大蛇とはつまり、山々を渡る鉱脈の化身だったと」
「それだけならば、首も落とさず娶りもしないだろう」
素戔嗚尊に討伐され、その身より草那藝之大刀を得ている事実が在る。
「洋の東西、製鉄の起源を辿れば様々な地域に蛇の神話が残っている」
山肌を砕き鉄鉱、その多くは砂鉄として存在するそれを水に流し集めた者。
「水界は古来、蛇や龍の領分と信じられていた
砂鉄を集めていた人々がそれを集団のシンボルにしたとしても不思議は無い」
聞いた言葉を嚙み砕きながら、電が想到を口にした。
「つまり神話は、大和が製鉄技術を持った集団を制圧した話なのですか」
「出雲近郊の山間部では、野だたらの遺跡が数多く見つかっている
首は落とし、姫は娶り、討伐と同化で製鉄を手に入れたと言ったところか」
返った言葉に、気付いた事が在る。
「尾を裂けば十拳剣の刃が欠け、その身の内から草薙大剣を得た
つまり ―― より上位の製鉄手段を手に入れたと言う話に見えるのです」
突発的に生徒と成った駆逐艦の言葉に頷きながら、教師は講義を続けた。
「神武東征、熊襲討伐、蝦夷征討、古代の争いは常に同化政策と共に在った」
支配領域が増えると言う事は、住人も必要と言う意味でもあり、
他勢力の引き込みもそれに含まれる。
「製鉄の民、古代に於いて呪術と製鉄を受けていた一族は物部氏であり
饒速日命を祖とする、神武朝にて大和に帰順した一族だが」
―― 饒速日命は、神武天皇より先に大和に鎮座している事が明記されている
「そして彼らは、天照大神の血筋であるが故に神武朝に帰順する」
電は言葉に首を捻り、そんなに簡単な話で済むのかと問えば
因果関係を書き残しているだけで、簡単と言うわけでは無かっただろうなと相槌。
「勢力の大小は、要するに鉄の確保量と聞いた事はあるのですが」
「単純な話だ、八岐大蛇の頭は数多く在った」
そう都合良く何系統も列島に存在していたのかとの疑問に、
単純に、一つの系統の複数勢力が在ったと応える。
「つまり大和の地には出雲系の王権、もしくは類する何某かの勢力が在り、
物部氏と結びついていたのではないだろうか」
古代を解釈するひとつの想定を、纏めた内容を駆逐艦が言の葉に乗せる。
「鉱脈を求め各地に散っていたオロチの頭を、ひとつひとつ組み込んでいった」
「あるいは物部氏自体が八岐大蛇であったのかもしれんな」
少しばかり飛躍した冗句に互い表情を緩めれば、変わる空気に年代も切り替わった。
「後、大和王権の成立と仏教伝来で祭祀の主役が天皇や他の士族に移り
蘇我氏との対立、そしてついには物部守屋の滅亡によって衰退する」
頷く聞き手に、間を置いて終の言葉を置く。
「寄る辺を失い、各地に散った物部達は、たたら師や刀鍛冶として生き延びた」
「再びオロチの頭が飛び散ったのですね」
結論を端的な言葉に変え、それを受け教授は軽く手を山肌を示す様に振った。
「燃料の木炭を確保するために山奥に住み、農民とは隔絶した生活をしながら
夜の暗闇の中で山肌に火を灯し、水を汚し、そして鉄を作った」
枯れ果てた水路、荒れ果てた畑、夕闇に沈みはじめ朱から黒へと色を変ずる山林。
「物凄く嫌われそうな生態なのです」
「だが鉄は必要だ」
言いながら水路を指し示す。
「段々畑の水路跡に、中継地点として小さい溜池跡が幾つか在っただろう」
山中にも拘らず複数の、大掛かりな水路跡がそこに存在していた。
「
山肌を切り崩し、水路を整え畑を作る。
その様な大掛かりな工事を行ったのではなく、順番が違うと語った。
「山を削り鉄を採り、全てが終わった後に畑として再利用したのですか」
「実際、古代の製鉄跡地にはそのような利用をされている土地が多い」
互いの視線が休耕田から外れ、夜を纏い始めた山肌へと移れば、聞こえる。
「この地には確かに、オロチが居たのだろう」
宵闇の空に、低くオロチが鳴いていた。
(TIPS)
例え言葉を尽くしても、聞く気の無い者は何も覚えはしない。
後にその惨状の根本を辿った折、原因は単純にその様な表現で纏められた。
映像屋が集う一角から祭祀の舞台装置の向こう、改めて軽く整えられた土地に
乾ききった湖底の泥がこびりついた岩石、件の隕鉄が鎮座している。
湖底のゴミを取り除いた後は、見た目の年季を重ねた印象を優先し
隕鉄の周囲はほぼ手付かずのままに存在していた。
幾度かの学術調査を受け、その結論を何度も、飽きるほどに撮影班に
伝えていたのだが、その内容を真面目に受け取っている者は居なかった。
言われた事は、言葉にすれば単純な一言に帰結する。
―― 火気厳禁
隕鉄の周囲に共に埋伏されていた大量の木炭は、地面を全体的に黒く染め、
湖底が割れてからの年月、折からの気候を受けて散々に乾燥していた。
何度も、何度も飽きるほどに言われてはいたのだ。
だが、映像美のためにと気安くその戒めは破られ、
御神体、隕鉄周囲の黒ずんだ場所で無ければ大丈夫であろうと。
気を付けてさえいれば何の問題も起こらない
最悪でも多少の火事で済むものと、認識されていた。
かくて演台の周りに篝火が焚かれ。
楽曲が流れ、巫女は歌い踊り。
おろちが舞い踊る事になる。