地形、植生、様々な要因から山肌を通る風の向きは混沌を常とする。
ただ俯瞰して全体を見てみれば、昼に暖められた空気が山頂へと昇り、
夜半に吹きおろしの風と化して山裾へと下るのが一般的である。
その様に移動する空気の流れが、割れた岩塊、あるいはオロチ穴と呼ばれる
いつ掘られたかも知れぬ横穴を通過して、低く響く鳴き声と化していた。
それがしばし、止まっている。
電と教授が坂を登りきり、沼地跡を一望する立ち位置の入り口に立った時。
低く、再びに鳴いた。
まずは教授が、煌々と照らされる演台に顔色を変え。
何かと行動する前に、全ての事態は終わってしまった。
篝火が焚かれ、演台周りの暖められた空気は山肌を登る。
日中に登った空気は気温の低下に伴い全体の空気を押し下げていた。
薄く、気圧の下がった湖底はオロチ穴を通して空気を吸い上げ、
降りていく空気に押され圧力を増していた穴の反対側は、空気を押し込み続ける。
電は後に語る。
まるで、蛇が獲物に食らいつくかのような火柱であったと。
風に乗り、オロチ穴より噴出した木炭混じりの粉塵は、
たやすく篝火に引火して、空中を八岐の如くと全ての穴に炎の道を作る。
火炎は閃光の如く。
光に視界が奪われ、音が消え、固まった身体が次に熱を感じ、轟音。
爆発的燃焼。
悲鳴すら零れる隙の無い焔獄、火柱が集まり高まった熱量が
湖底に敷き詰められた木炭へと着火し、燃焼はさらに加速して熱量を上げる。
圧に押される。
ようやくに悲鳴が聞こえた。
吹き飛ばされそうになる身体を支えながら、口を覆い薄目、煤に塗れ、
二人して沼縁の高台に倒れ込む様に熱を避け、聞こえる。
オロチが鳴いている。
熱量に暖められた空気は湖底の気圧を下げ続け、穴より火柱を呼び続ける。
「―― やはり、野だたらだったか」
狂ったように響く音の嵐の中、禿頭の偉丈夫の声が不思議とよく響いた。
「元々が沼ではなく、隕鉄を焼き銑鉄を得るための炉として作られていた」
噛み締めた歯から零れ落ちた様な言葉が、目の前の地獄を表していた。
その視線の先、重症、軽傷と、様々な有様の生存者が湖底から這い上がり、
燃え盛る炉の外壁を越え、火の点いたオロチダヨーが斜面を転がっていく。
樹木にぶつかり止まった頃には火も消えていて、そのまま立ち上がる様から
そっと視線を外した駆逐艦の視界に、あまり見たくない光景が映ってしまう。
「……教授、穴の反対側は大丈夫だと思いますか」
言葉を受け、同じ方向に視線を向けた偉丈夫が、疲れの見える声色で答えた。
「湖底は割れているし、全てが上手く空気を吸い上げるとはいかんだろうな」
遠い、山肌、幾つかの場所から夜空を染める朱が見えていた。
『あきつ異考録 おろち④』
朱の色が闇に沈む誰そ彼の中。
行けども行けども辿りつかぬ、何処までも続く郊外の道を揚陸艦が歩いていた。
周囲に広がる休耕田には何時の間にか水が張られ、黒の中に数多の冷たい光、
星一つ無い宵闇の空の下で、歪んだ鏡の如くに星空を映し出している。
いつしか視界から魑魅魍魎が消え、ただその気配のみが残っている。
観れば脇道も消え、音も無く、先に見える山裾までの一本道を、歩く。
どれほどに歩いても近くに成らぬ。
やがて田園は荒れ地と化し、斑に見える無数の土饅頭。
ただひたすらの足音が、突如に重なって響いた。
「安い演出でありますな」
近くを歩く何者かに声を掛けても、無言。
過ぎる内に土饅頭は土塊と化し、素焼きの壺棺が並ぶ道へと変化する。
―― あの沼は、吞み込んできた
あきつ丸は答えない。
―― 無念を、絶望を、逃げ場の無い囲いの中に
咥え煙草に火を充てて、紫煙を生む。
黒尽くめの艦娘と誰かは、静かに足音を立て続けている。
並ぶ壺棺はやがて道沿いに立ち並び、左右の視界を埋めた。
―― ようやくに、外に出れたのに
何故と連呼する声の中、聞こえぬ風情で煙を吐いた。
かた、かたりと佩刀が鳴る。
「そう言えば、大蛇の胎から生まれた太刀でありましたな」
おかげで同類認定されているのでありましょうかーと、平坦な声が零れ落ちる。
周囲に響く何者かの声は続き、続く、響き続ける、高く、低く、
様々な性別、様々な声色の断片的な言葉が飛び交い、雑音と化す。
埋められた苦しみを、焼かれた苦しみを、流された苦しみを。
様々な叫びが、やがて望む言葉へと変わり宵を染める。
―― 返せ、と
父を、母を、子を、友を、土地を、世界を。
「その世界とは、どれほどの大きさなのでありましょうな」
聞き流し続けた揚陸艦は、終に出てきた言葉に軽く疑問を挟んだ。
「出雲か、大和か、山ひとつ程度ではおさまりますまい」
我の在る処、我の望む場所、我の ――
言葉を受けたか、想念の集合が返答へと纏まりを見せる。
知覚する事象こそが、我こそが世界と言葉が連なる。
『夜の明ける光を何度呪っただろう』
あきつ丸の背後から、あきつ丸の声がする。
―― 望むがままに、望むがままの世界を
背後から迫る瘴気はいつしか漆黒の制服の揚陸艦の姿と成り、
『幾度思った事か、この世界を我が儘に扱えるならばと』
耳元に囁く様な、優しい色の声がする。
「よもやよもや、谿八つ、峡谷八つに渡るとでも」
会話の気も見せぬ独白を、もはや受ける事も無く手が伸びる。
黒く、悍ましい何かから触腕の如く、ずるりと伸びていく。
―― その一振りさえ、あれば
手を弾く。
紫煙が吐かれ、煙草の先に触れるのは一枚の符。
「その程度の呪いだから、余所者の欲に先を越される」
符が燃える。
同時、中空に弾かれた一枚から立ち昇る煙が暗黒淵を縛る。
「世界、世界でありますか」
出された言葉は口元に漂う煙に巻く。
「そうでありますな、貴様こそが世界だと称するのなら、まずは」
振り向き様、符に合わせ吐き捨てた紙巻が地に落ちるまでに、
歩をずらし、その身であやかしの征く道を塞ぎ、腰を落とした。
悍ましき何かに正対する、佩刀に手が向かう。
「焚香恭拝請 前傳口教祖本宗師本合念三郎 合念二十四郎 合普三郎 ――」
手早く呟かれた咒は闘法咒、闘法用符の焚焼に合わせ唱える咒。
符に記されている咒は単純にして明解、斬妖邪 ―― 呑百鬼。
意を感じ、怯えを含む妖物は足を止め。
下がり、だが、下がらない、下がれない。
路の果て、妖の背後に在る神宮こそは征討神社、鹿島神宮。
万鬼を見張り、悪鬼を駆逐する二神人を門番と為す鬼門封じの宮。
「くだらぬ世迷い言をほざく前に、同胞に地獄で詫びてこい」
そして、神刀の一閃が観える悉くを絶ち斬った。
(TIPS)
高く鐘が鳴り、山肌の焔が夜の闇を照らす中。
山裾に辿り着いたあきつ丸が紙巻を咥え、火を点けたあたりで
必死の形相で転げ落ちるように下ってきた一団が居る。
駆逐艦と禿頭を先頭に、幾人かの重症者を抱えた負傷者の群れ。
「ド畜生、ひとりだけ安全な所にいやがったのですッ」
「はっはっは、相変わらずの貧乏籤体質でありますな」
再会を果たした上司と部下が、親交を暖め合う微笑ましい会話を紡ぐ横で、
大勢は力尽き果てた様相で座り込み、重症者を横にする。
そして、怪しい動きのオロチダヨーの口からは負傷者の下半身が生えていた。
横目に得たインパクトのある光景に、中の人が負傷者を抱えているのでありますなと
一拍の後に理解を示した揚陸艦に、近づいた煤塗れのバイト巫女が真面目な顔で告げる。
「オロチダヨーに中の人なんか居ません」
「それを認めると、途端に問題の在る絵面に成る気がするのでありますが」
とりあえず二人がかりで、着ぐるみに捕食されている犠牲者を引きずり出す。
目を回している食用人類を横たえたあたり、電は離れ傷病者の元に歩み、
一息と入れた揚陸艦に禿頭の偉丈夫が近づいてくる。
「既に消防と、役場には連絡を入れているでありますよ」
遠く、しかし聞こえる程度の距離にサイレンが鳴っている。
「かがち抜け、この場所は安全だと思われますか」
「水が枯れている以上、裾から離れた場所にまで土砂は崩れんだろう」
安堵の色を見せた風情に、軽く地名を挙げて問うてみれば、
意を解した様相の返答が返ってきた。
しばしの無言、近づくサイレンの音だけが苦鳴に混ざり響く。
「やはり、野だたらであったよ」
「昨日も言っておりましたな」
火も猛り、燃え盛る山を何と無しに眺める二人の会話が在った。
「天狐が沈み、眞金を失い大蛇悔しや、か」
望みが果たされる前に水に沈んだのであろうと。
大蛇穴と呼ばれる通風の抗に水でも湧いたか、あるいはただの雨水か。
「神代からの悲願が、果たされたと言う所でありますか」
蛇の如く舞い踊る焔は宵闇に登り、山以外の闇を昏くする。
「永い誰そ彼も、もはや闇の中でありますな」
漆黒は通り過ぎた路に振り返り、そう呟いた。
その頃の離島ハウス(タヒチ)
【挿絵表示】
猫艦偵は、海面にひろがる巨大な影を見つけた。
と見るまにドドドドーッ!
海水が山のようにもりあがり、天をつくばかりにそそりたった巨大な物体!
「アアッ、半魚人ダ!」
半魚人のするどいつめが猫艦偵をつかまえようと空中におどりあがった。
「猫艦偵ガアブナイ!」
防空棲姫の速射砲が、ごうぜんと火をふいた。
だが半魚人は、さしてこたえたようすもない……。