悍ましき声が響く。
―― 飛べナイノ、ネエ
漆黒の艤装に寝そべる白蝋の肌は、黒光りする繊維に覆われている。
白銀に輝く双角が在るのは、深海にあるまじき陽の属性を宿す黒の髪。
―― 飛べナイノヨ
その手には狂気染みた色合いの液体を湛えた硝子杯。
怒りよりも哀しみを、慚愧の念を滲ませたその声が、呪いの如くに世界を染め上げる。
青薔薇の飾りが胸元に揺れた。
「ワカル? フフフ……」
「ワカンネエヨ」
詰まる所はニューカレドニア海上、艤装に寝そべりメロンソーダを飲んでいた泊地水鬼が、
青筋を立てた戦艦レ級の必殺艤装ごと卓袱台返しで引っ繰り返された所。
のどかな海岸に景気の良い水音が響いた。
「ウォップ、沈ム、沈ム、ホラ私、私ッテ飛ベナイカラアァ」
「イヤモウアンタ、ブッチャケ飛ブ気ガ無エダロ」
何か海岸近くで溺れると言う深海にあるまじき醜態を晒している水鬼の、
頭を踏みつけて沈めながら、星一徹初段の戦艦が語り掛ける。
「ツーカ水鬼様、失礼、ポンコツ様ハ何ノ御用ナンデスカネエ」
「何デ言イ直シタノッ」
漸くに水に浮く術を思い出したのか、這い上がり海面をバシバシと叩く音。
「水鬼デイイジャナイ、イイジャナイノヨッ」
「ナンカ今ニモ斬魄刀トカ取リ出シソウナ、オサレファッション水鬼様?」
「形容詞ィッ」
嘆きの叫びが響くも、能面の如き表情は微塵も動かない。
貴重な電力を使い冷蔵庫で冷やしていたメロンソーダを、
目を離した隙に勝手に飲んでいた水鬼に、かける情けがレ級には無かった。
『戦時急造艦が完成したみたい、生贄かな』
木陰で涼む離島組が、麦茶を啜りながら話を聞いていた。
「ダカラネ、大西洋ノ方デ纏メ役ガ潰サレチャッテ」
何でも、纏め役をしていた欧州棲姫が、黒い制服の戦艦艦娘を見かけた瞬間に吶喊、
2コマ即堕ちとばかりに艦隊の集中砲火を受けて沈んだとか。
「復活待チノ隙ニ、太平洋側ニ異動シヨウカナー、ナンテ」
バチコーンと音が聞こえてきそうな笑顔で言葉を締めた泊地水鬼に対し、
眉一つ動かさない離島棲姫が、麦茶の氷をカラカラと鳴らしながら口を開く。
「艦戦積ミ忘レ水鬼様ノ、今後ノゴ活躍ヲオ祈リ申シ上ゲマスネ」
「待ッテ、祈ラナイデ、祈ラナイデオ願イッ」
即座、求職側がすげない言葉で追い返そうと試みる採用担当の足元にしがみ付いた。
「モウ青魚ヲ絞ッテ水分補給スル生活ハ嫌ナノヨオオオオォォ」
大西洋側の物資窮乏は、ボトムレスが極まっているらしい。
「ツーカ、北ノ方ガ受ケ入レシテルジャナイ、何デコッチナノヨ」
「イヤー、北ニ行クト欧州組カラ裏切リ扱イサレカネナイシ」
北方棲姫率いる北方組は、最穏健派で名が通っており他勢力の受けが悪い。
「ウチモ大差無イワヨ、スローライフガ目標ノヤル気無イ集団ダシ」
事情を聴いて、猶更わからないと首を捻る離島組家主。
そんな発言を、真顔で手を無い無いと振りながら移住希望者が否定する。
「イヤ、空ガ灰色ニ成ッタ時、欧州組全艦ドン引キシテタシ」
一同が水鬼から目を逸らした。
未だ暫くは、5番泊地は空母のプール泊地として活用される予定で在り、
制式16世代型建造艦娘の内、南洋神社系航空母艦が続々と送り付けられている。
一緒に送られてくる物資のコンテナを確認しながら、雲龍に抱えられた龍驤が
足をプラプラとさせながら書類に記入を続けていた。
持ち上げている正規空母が、軽く鼻歌などを諳んじていて上機嫌の様相が見える。
そこに、脚部艤装が舗装を削る足音が響く。
「雲龍姉さま、天城ですッ」
笑みに染まる、軽く垂れた眦に黒子が見えた。
やや淡い色合いの髪を後ろで括り、耳後ろを赤い髪飾りで纏めていて、
その身体に緑色の、植物を連想する色彩の振袖を纏っている。
雲龍型航空母艦2番艦、天城。
髪や言動に大きな違いが在る物の、どこか似通った雰囲気の在る2隻、
特にその甲乙つけ難い豊かな膨らみが、姉妹艦で在る事を雄弁に物語っている。
「天城、会いたかった」
一見して雲龍の表情にあまり変化は無いが、抱えられた秘書艦は、
力の入る腕、震える声色と僅かに見えた喜びの感情に気付く。
そのまま緑の正規空母2隻がしっかりと抱き合い、
当然の如く、雲龍型サンドの具に成った龍驤の目のハイライトが消えた。
コンテナの脇、死んだ魚の目で書類にチェックを付け続ける龍驤の上で
胸部装甲が極めて豊かな雲龍型姉妹の会話が続く。
「ところで姉さま、そちらの……駆逐艦? の方は一体」
会話の隙間に、朝潮型航空駆逐艦やでー、などと平たい合いの手が挟まる。
「師匠」
荷物の呟きを気にも留めずに返答した可動式乳置きの動力部分が、
返答が端的過ぎたかと少し考え、補足的な一言をさらに積んだ。
「すーぱーすごい艦」
言いながら脇の下で支えた手で、雲龍が龍驤を高く持ち上げる。
目の前に太腿を置かれた天城の顔に、困惑の色が広がる。
しばしの黙考の後、その表情に理解の色が見えた。
「ああ、お師匠なのですね」
子供のごっこ遊びを見守る大人の様な柔らかな視線で、元の高さに戻った
龍驤の頭を優しく撫でながら、でも、姉様は正規空母なのですからと続く。
「あまり、そういう遊びに付き合うのは外聞が悪いのでは無いでしょうか」
一言に、場の空気が凍った。
そして気が付けば、龍驤が2本の足で立っている。
「演習海域に行きましょうか、愚妹」
いつの間にか天城の後ろから、雲龍が天城の肩に手を置いていた。
「では師匠、少し妹を躾けてきます」
感情の見えない平坦な声、突然の行動に困惑を滲ませる次女と、
そのまま首根っこを引っ掴み、ずるずると引きずっていく長女の姿。
その様な有様を見送った龍驤が、軽く息を吐き視線を空に向けた。
―― 良い艦載機は、軽空母などよりも私に優先して配備されるべき
脳裏に思い浮かんだのは、かつての雲龍、建造初日の姿。
「姉妹やなあ」
少しばかり疲れの染み込んだ声が、空に溶けた。
天城が三つ指をつき、龍驤師匠には誠に御無礼をなどと言っていた後、
合流した春日丸と共に雲龍驤の3歩後ろを付いていく謎の隊列。
空母4隻編成が移動している先の埠頭には、幾隻かの艦の姿が見えた。
「えーと、あの緑色で平たいやつかな」
運ばれている龍驤が問い掛ければ、頭上の乳の上で頷く動きが在る。
「はい、妹の葛城です」
次いで、後ろから言葉として返答が在った。
見ればその姿は、長い緑の黒髪を一房だけ後ろに括る長髪。
肩口から脇腹までを切り抜いた露出の多い着物の上に、
緑色の、半袖のジャケットを羽織っている。
胸元の駆逐艦クラスな平坦の上に、艤装の平たい胸当てが在った。
そのままに近付いて行けば、何やら騒がしく言い合っている。
「瑞鶴センパイはね、一航戦なのよッ」
何やら瑞鶴に対する態度が無礼過ぎると、相手に対し怒り心頭の有様である。
劣勢に過ぎたかつての大戦にて、最後の一航戦として戦線を保ち続け
その最後の出撃までを、見送る事しか出来なかった葛城の心中は如何ばかりか。
その思い入れ、抱く敬意に関しては一欠けらの汚れも無い。
決して侮られては成らぬ、瑞鶴の名誉を我が事の如くに守る姿勢は感嘆に値する。
問題は、その指を突き付けられていたのが加賀であると言う点か。
後ろの瑞鶴の顔色は、青を通り越して黒くなっている。
「何、雲龍型って初日にやらかさな気が済まんの」
呆れの混ざる龍驤の言葉の上、固まった雲龍の頬に一筋の汗が垂れた。
突発的航空母艦バトルロワイアルの後、生き残った龍驤は書類を片付ける。
「修復材が70減っておるのじゃが」
「必要経費やな」
実務室にて、大関の如く座った目の利根が問い掛ければ、飄々とした返答。
その龍驤の視線は遥か遠くに窓の外、大空の果てに遊んで居る。
「んで、今回の受け入れ艦娘はこれで打ち止めなんかな」
「いや、空母は確かもう一隻居ったはずじゃぞ」
本気かいと嫌そうな表情の筆頭秘書艦に、これじゃと書類を渡す所。
突然に扉が開け放たれ、誰何の叫びが響き渡った。
「ビスマルクは此処かッ」
「タウイタウイや」
即答。
出鼻を挫かれたのか、返答を受け固まる姿が在った。
「これ?」
「それじゃな」
赤毛を肩口に切りそろえた白い空母を見ながら、龍驤が受け取った書類に目を通す。
アークロイヤル級航空母艦1番艦、アークロイヤル。
「え、いや、だがしかしこの泊地に所属していると聞いたのが」
再起動を果たし、困惑の様相で紡いだ言葉を受け、問われ手が質問で返した。
「誰にやねん」
「プリンツオイゲンだ」
―― 押し付けやがったなあのオデン
龍驤の背中が明確に語った言葉を、利根が瞠目する。
遠征か何かで不在なのかと問いを重ねる英国空母に、ビスマルクは
タウイタウイ泊地所属だから5番泊地には居ないと、静かに諭す姿。
「海外艦は、着任したもん勝ちやからなあ」
脳裏に浮かんだプリンツオイゲンのドヤ顔に、絶対にコイツを
タウイタウイ周回艦隊に捻じ込んだると、硬く誓う龍驤であった。
(TIPS)
欧州から帰投したアイオワが和食和食と五月蠅いので、適当に鴨付け蕎麦を出したら、
何か違うと言いながらも気に入った模様の深夜の鳳翔厨房、あと司令官も居るわ。
航空母艦バトルロワイアルのおかげで、いつに無く静かな夜や、泣ける。
「そういやさ、昔の方が美味かったって食材とか無いのかな」
天ざるを啜りながら、そんな事を言う。
何の事やねんと聞くと、何か艦娘に成って食い物が美味くなったと言う話ばかりで
昔の方が良かったって感じの話をまったく聞かないと疑問を持ったと。
「美味くなった言うか、結局は流通が発達した言う話やな」
確かに、経済、農業技術の発達、品種改良などでウチらの時代とは別次元に
成っとる食材は多いが、今も昔も変わっとらん物も結構に在る。
「例えば」
「海の魚なんか、今も昔もそう変わらんやろ」
まあ冷凍保存技術とかも随分と発達して、鰹や鮪あたりみたいに、
その扱いや価値も随分と変わった魚も結構な数が在るけど、
近海の魚の塩焼きなんかは塩振って焼いて、ほれ、どこをどう変化しろと言うのか。
「やからまあ、一部でしか食えんかったもんが広く食える様に成ったとか」
安く食える様に成ったとか、違いと言えばそう言う点が大きいわな。
「金持ちや生産者に限れば、今とそう変わらんもんを食っとった事もある」
「身も蓋も無いな」
まあ、土地や職業に限る事無く、数多の選択肢を手に入れたのが現代と。
「つーても、今でも限定されとるもんもあるわな、白魚とか」
「結構どこにでも売ってないか」
「流通しとんのはシロウオや、シラウオはガチで日持ちがせんねん」
やから未だに海沿いの土地でしか、シラウオの方の白魚は食う事が出来ん。
「そういう代用で広まっとる物と言えば、鱈子とかシシャモ、鮭あたりか」
「あー、何か聞いた事があるわ」
一般流通とは違う物と言う意味でなら、結構いろんな物が在るわな。
「ここらで身近なもん言えば、ドラゴンフルーツとかやな」
「ああ、凄え甘くて驚いたわ」
収穫すると熟さんなるし、完熟すると日持ちせん様に成るから
流通に乗るドラゴンフルーツは未成熟な甘くないもんばかりなんよな。
「鴨肉とかは昔と違うのかしら」
軟骨入りつくねを食べながら、アイオワが合いの手を入れる。
「んー、合鴨自体は平安時代ごろから在るし、養殖もされとったからなあ」
「まあ、ステイツのアヒルもこんな感じだったわねー」
つーても、狩って来た鴨肉が今より身近だったと言えない事も無いか。
「そんなに違うのか」
「脂が少なくて肉の歯応えが強く、ちょいクセが在るな」
やから臭み消しで葱が必須やねん。
「あとそう言えば、アップルが違うわね、違和感の塊」
言われたからってわけでも無いが、適当にウサ林檎に切ってカウンターに出す。
でもこれはこれでオイシーとか言っとる高速戦艦の横で、
どう違うのかと首を捻る司令官へと、アメリカ産のリンゴを渡す。
「ウチらの頃と言えば、こんな感じや」
「さくっと出てくるなって、おい」
何や、ピーナツバターをたっぷり塗っとるだけやんか。
「あー、これこれ、ステイツのアップル」
「まあ、これはこれで悪くは無い、のか」
新たな林檎を齧りながら、カウンターの客組が言葉を零した。
「クラッカーみたいに使ったり、焼き林檎にしてみたり、とかな」
そう言や現代の日本産林檎を齧って、サラが固まっとったな。
「違うつうか、品種が違うねん」
林檎自体が日本に伝来したんは平安時代、んでウチらの頃の林檎は西洋林檎。
明治時代の農作物の増産と品種改良の一環で、
アメリカから75品種の林檎を輸入して栽培をはじめた、その系統。
「似てるって言うか、そのまんまだったわけね」
林檎を齧りながらアイオワが所感を述べた。
「現在日本で主に流通しとんのは、えーと、60年代ごろか」
幾つか残ったウサ林檎の方を指し示しながら、言葉を続ける。
「東北7号、所謂ふじの林檎が日本の流通を席捲してな」
それまでの固く、酸味の強い品種から、甘く、蜜の多い品種へと
市場の需要と供給の主流が変わって行ったわけや。
「んなわけで、今の日本の林檎はやたらと甘く蜜が多い、やたらと」
「そんなにか」
「正直、ドン引きするレベルだわ」
切って蜜が垂れるって何よ、フェアリーテイルか何かなのとアイオワが呻く。
「まあ別物、好みによっては昔が良い人も居るんやないって話や」
などと言っている所に、スライスしたアメリカ産林檎を、
ピーナツバターを塗りながらアイオワが消費しとる。
「日本のアップルも美味しいけれど、ステイツの方はほっとするわね」
「結局は、食べ慣れた物が好みって事か」
「艦娘的には、アメリカ産の方が馴染みがあるわな」
まあ酒の肴にはコッチが良いやろと、グラスに可燃性の水を注ぎながら思った。