言葉に成らない。
「ムガー」
口に蜜柑を咥えているので言葉に成らない。
ただの事実として、蜜柑県では蜜柑が湧いてくる、たまに道にも落ちている。
誰も拾わないから落ちたままだ、既に家に蜜柑が腐るほど在るのだから仕方がない。
何かしら人に会う度に、蜜柑持って帰れやと押し付けられるのは日常で在り、
漁場の巡回などをしている身だと、海産物と蜜柑が凄い事に成るのは必然であった。
漁師が蜜柑を押し付けてくる、海で獲れるのか。
漁場と蜜柑畑が隣接しているからである。
食べきれないほどの蜜柑を得た者は、食べきれないほどに他人に押し付け続け、
結果として押し付け蜜柑の輪が、県内をぐるぐると回る永久機関を形成しはじめる。
仁義無き蜜柑の押し付け哀。
そんな現状に抗おうとしている駆逐艦が、一隻。
両手足は炬燵の中に入れられ、丸まった背中にはどてらが乗せられている。
黒い着物の駆逐艦は、まったりとした表情で天板に顎を乗せ、蜜柑を齧っていた。
皮を剥くために両手を出す気は、無い。
だって寒いから。
どうにか口だけで皮が剥けないものかと、人に見せられない有様な昼下がり。
脱力した顔の瞼は閉じられ、頭の後ろで黒いドリルがふるふると揺れた。
何が悲しくてこの寒い中に海の上を疾走せねばならんと、全身で物語っている。
対面で、今日の巡回の報告を書いていた提督も苦笑していた。
蜜柑県はどちらかと言えば日本国内で南側に位置する南国の北端であり、
雪が降るのは年に数度、積もるのは10年に一度、それも大抵は昼までに溶ける。
山の上にでも行かなければ雪に触れる事は無い。
そんな温暖な土地、ではある。
しかし当然ながら、東南アジアよりは寒い。
まるで駆逐古姫の様な生活をしていた事を伺わせる、黒神風であった。
『うぉるしんぐまちるだ #2』
少し時間を遡る。
「氷ガ……入ッテイナイ、ダト」
黒い着物の駆逐艦が、プレハブの中で箱を漁っていた。
備え付けの白く、四角い箱を調べては細々と驚愕の叫びを上げ続ける。
「冷蔵箱ジャナイノカ、マサカ ―― 電気冷蔵庫ッ」
そんな騒々しい有様の向こうでは、詰所提督が雑誌を持った若者と共に
呉鎮守府への新規艦着任報告を、ああでも無いこうでも無いと推敲している最中。
俄かに騒がしくなったプレハブの詰所に、暖房の音が響いた。
呉鎮守府旗下13番詰所、海岸線、JR予讃線の線路沿いに位置する
道路との隙間に造られた、2棟のプレハブ小屋から成る施設である。
片方が休憩施設を兼ねた資材置き場で、もう片方が住居を兼ねた詰所と成っている。
施設は鬱蒼とした緑に覆われた山肌に、沿う様に走る線路を後ろに構え、
並行する方向ならばぎりぎり大型車が入れるか、と言う程度の狭い土地。
その正面には二車線の道路を挟み、瀬戸内海が波の音を立てており、
手作り感溢れる艦娘上陸用の筏と桟橋が、波に揺られ上下していた。
「カスタード、カスタードナノカ ――」
そして冷蔵庫の中からプッチンする例のアレを見つけ出した推定神風が、
その内容物の黄色さから中身の予想を立て、眩暈を起こしている。
「ポッディング、ガ、市販サレテイル……ダト……」
聞きなれない単語に、ふと頭を上げた提督の疑問に、
艦娘目当てで付いてきた若者が落ち着いた声で応えた。
「ぽっでぃんぐ?」
「明治頃の外来語で、プリンの古い呼び方ですね」
腸詰などのプディングと言う詰め物料理が、大航海時代を経て英国で
船員用の卵液に食材屑を詰め込んで蒸しあげた卵料理と成り、それが
フランスにて洗練され、カスタードなどの菓子としてバリエーションを広げ、
そして明治時代に日本へ西洋料理として、つまりはフランスから伝来したのが、
今でいうプリンである。
「名前を知っているほどなのに、市販はされていなかったのか」
「企業の商品として市販される様に成ったのは、確か戦後です」
洋食のデザートとして提供されたそれが、やがて一般に普及し、
ご家庭でも作れる人気のお菓子として定着したのは戦前の話。
そして戦後、洋菓子店や台所でプリンが親しまれていた中、
家でも作れるのだから売れないだろうと思われていたプリンを
敢えて商品として売り出して、爆発的ヒットと共にロングセラー化。
全国の市販される食品にプリンと言う一項目を書き加えた伝説の商品が、
グリコ乳業株式会社の「プッチンプリン」である。
余談ではあるが、プッチンプリンはその製法上カスタードプティングではなく、
他の要素で液を固めるケミカルプリンに分類される食品と成る。
要するに、ゼリーだ。
「華族ノ血筋カ何カナノカ?」
「至って庶民だ」
勝手にプリンの蓋を開けながら、スプーンを探しがてら提督への問い掛け。
「……離島ガ言ッテイタ技術革新トハ、コウ言ウ事ダッタノカ」
スプーンを咥えしみじみと呟くその姿に、首を捻る聴衆2名が推測を重ねる。
「リト、誰かの名前か?」
「イタリアにリットリオヴェネットと言う戦艦があるそうです」
何故か小声で。
「イタリアかあ、昔習ったよ、三国同盟ってやつだな」
「神風型は歴史の在る駆逐艦ですからね、何か縁があったのかもしれません」
独白と会話、何と言葉が通じているのに何処か意思の通じない時間が過ぎた。
雑誌を持った若者がひとしきり巷の艦娘知識を語り尽くし、
満足した表情で詰所を後にした頃、ようやくに落ち着いて向き合うふたり。
「改めて自己紹介をしようか、日本国海軍所属、この詰所を任されている ――」
しかし魂の抜けた、魄のみの様な表情の神風は聞いているのかどうか。
力無い視線が室内を巡り、様々な設備を認識する。
その視界には、戦後の歴史を経た末の様々な代物が在った。
妙に平たいカラーテレビが、使い方のさっぱりわからない洗濯機が、
やたら丸っこい自家用車が、尖ってない自転車が、電気冷蔵庫が。
「えーとだな、神風?」
視線を彷徨わせる姿に、どうにも対応が難しいと言った風情の提督の言葉。
「温風ガ」
しばしの間の後、漆黒の駆逐艦から零れた言葉が在った。
「温風ガ、部屋ノ中ニ吹イテイル」
視線は止まっている、安普請の壁に取り付けられたエアコンに。
「えーと、夏には冷風が吹くんだぜ」
「ナン……ダト……」
冷暖房とは、遥か古代より人類が挑み続けた課題である。
夏に冷房、冬に暖房、古代より様々な手段を用いてそれを可能にしてきた歴史は、
およそ短く語る事は出来ないほどに膨大に、そして極めて多岐に渡る。
ただ、現代の空調の系譜で見てみるのならば、それは19世紀のアンモニアに因る
製氷からエアーコンディショニング、科学技術に因る空気調和と言う概念が生まれ、
後に1824年にフランスの物理学者ニコラ・レオナール・サディ・カルノーが、
ヒートポンプの、熱力学第二法則の原型、カルノー・サイクルの考案へと至る。
そして電気式エアコンが作成されたのが20世紀初頭である。
用途は主に工業、艦娘に縁の在る範囲ならば一部の艦艇などの装備であろうか。
例えば昭和10年以降の潜水艦には、フレオン式の冷房が完備されており、
他に大和型戦艦などにも、弾薬庫の冷却を主目的とした空調設備が整えられていた。
言うまでも無いが、とてもでは無いが個人で所有する様な代物ではない。
家庭用に製造、販売されたのは戦後の50年代、日本では60年代の話に成る。
こほんと、軽く咳をして場を改める気配が在った。
推定艦娘が提督へと真摯な姿勢で視線を合わせ、口を開く。
「駆逐艦神風ダ、コンゴトモヨロシク」
迷い無い瞳の断言であった。
何故か何処かで、掌が凄い勢いで回転する気配がした。
(TIPS)
幾許かの日常が過ぎ、詰所備え付けの自販機で買った、クーとか言う感じの
鳴き声の様な商品名の飲料を咥えて、詰所に入る神風ブラック。
そこには、真面目な顔で座り込む提督と、一冊の雑誌が在った。
開かれたページには、新規艦娘 ―― 神風型一番艦を激写。
紅の気の在る長髪はリボンで纏められ、緋色の振袖に桜の袴。
ブラック神風とはまったく別艦な容姿であった。
互い、無言の静寂が訪れる。
「―― 知ッタ、ノカア」
終わりの気配に、漆黒の神風が諦観の滲む声色の言葉を吐いた。
早くもバレてしまったのか、それとも意外に長く気付かれなかったのか。
「ああ、本当は、ずっとおかしいと思っていたんだ」
何か、自分は神風では無いと言いたそうな雰囲気を察してはいたと語る。
ただ、誰もが言う様に神風だと、せっかくにやって来てくれた艦娘だと、
名高き神風型のフラグシップだと思い込みたかったと心情を吐露する。
「思えば、随分と失礼な事をした」
「マッタクダネ」
頭を下げる姿を視界に入れ、古姫の心情によくわからない感情が生まれる。
とりあえずにわかる事は、ああ、珍しい休暇もこれで終わりかとの。
「それで、これからも残ってくれるだろうか」
諦観を打ち破る言葉に、眼が開いた。
「正気カ?」
「当然だ」
力強い言葉に、息を呑む音がする。
やがて、くつくつと笑う声に重ね、言葉が零れた。
「イイダロウ、イケル所マデ共ニ在ロウジャナイカア」
面白いと、そう思ってしまった。
遥か深き深海に、闇黒淵に、憎悪と妄執を目の前にしても猶、
その様な気狂い染みた言葉を吐ける目の前の提督を。
気が付けば、自然な形で差し出された手を、互いに握りしめる。
「では、改めて宜しくな、春風ッ」
「コノ駆逐古 ―― ハイ?」
天使が通り過ぎた様な静寂が訪れた。
「姉の名を名乗らせる様な真似をさせて、本当にすまなかった」
「エ、イヤ、チョット待ッテ、オイコラ待テ」
神風型駆逐艦3番艦、春風。
頭髪が見事なドリルを描き出している駆逐艦である。
観れば神風の写真の横にも、さりげなくドリルが写っていた。
「ヒトノ話ヲ聞ケエエェッ」
その日、13番詰所より、呉鎮守府への報告書。
1番艦神風は3番艦春風の誤認であったとの内容が提出されたと言う。