喧騒に背を向けてトイレに駆け込んだ彼はそのまましばらく出てこなかった。
5分、10分……腕時計で時折確認しながらトイレの入り口が見える場所で相手が出てくるのを待ち続ける。
すると30分後に彼が現れた。しかしその姿は僕とこの空港へやってきた人物とはまったく別の人間となっている。
「やあ、工藤新一君。こんなところで会うとは奇遇だね」
自然なそぶりで立ち去ろうとする彼に近づき話しかければ、最近何度も見た苦笑いで彼が振り返る。
「さぁ、話してもらおうか。君が把握しているすべてをね」
一時間前に僕はコナン君と共に空港を訪れていた。そして工藤君の話はさらにそこからずっと何ヵ月も前へさかのぼる。
工藤新一君は警視庁も頼りにするほどの名探偵だ。
そんな彼がある時を境に姿を消す。しかし彼は黒の組織を恐れて逃げていたのではなく、最初から僕の目の前にいた。
江戸川コナンとして僕を助けてくれた彼は、今回は最初から赤井の挙動を疑っていたらしい。
きっかけはベルモットによる情報提供だった。
男性が階段から転落したというあの事件が発生する前から、赤井はあの家の少女が受けていた虐待を把握していた。
赤井は年の離れた妹がいるせいか、幼い少女を守ろうとする節がある。
その為、一時期は灰原哀という少女もあの腕に守られていた。
そしてベルモットもそれら赤井の特徴を把握した上で情報提供をしたのだ。あの家に何かが起きれば赤井は動くだろう。
もちろん記憶障害があれば話は変わる。
しかしあの場に赤井は現れた。
「そもそもどうして赤井は記憶障害のふりをしていたんだろうね。君をだます意味はないだろうし、僕が記憶障害なら見逃すとでも?」
「一緒に生きたいと思った相手のことを諦められるって、思ったんじゃないですかね」
工藤君は笑顔で底意地の悪いことを言い出す。僕はそんな子供じみた高校生探偵へ露骨なほどのため息を向けてやった。
「言っておくけど、僕はあいつのことを嫌ってるからね」
「今はそういうことにしておきます」
笑顔の工藤君を軽くにらんでやるが彼はきっと怯んだり意見を変えたりはしないだろう。
彼は何があっても自分の意思を曲げない。相手が僕だろうと何だろうと、諦めることなく目的を達成する子だ。
「君を相手に討論をしても無意味な気がするね」
僕は愛車の鍵を手にしながら歩きだす。すると工藤君が慣れた様子で隣についた。
「じゃあ結論が出たところで帰りは安全運転でお願いしますよ。俺、安室さんの車で安心できたことがないんで」
「アレに乗ると興奮が止まらないって? その気持ちはよくわかるよ」
自分も愛車のアイドリング音だけで興奮するからと笑う僕に工藤君は初めて緊張した顔を見せてきた。
「安全運転でお願いします」
「了解」
この国内で唯一恐れる相手からのリクエストに僕は笑顔で承諾した。