結果から言うと、フランの暴走は止まり、命に別状もなし。フランが動かなくなってすぐにパチュリーが紅い霧の発生を止め、図書館の半分ほどの調度品や本が破壊され尽くしたことを除けば、紅魔館への被害はなかった。
フランの傷はもう塞がっているが、レヴァの攻撃によって、心臓と脳以外の内臓が穴だらけになっていた。驚異的な再生能力と生命力を誇る吸血鬼といえど、その強烈な一撃の前では痛みで気を失ってしまった。
「全く……わかってたけど、相変わらず無茶するのね」
フランを止める為に危険を冒したレヴァはと言うと、ブラッド・コネクトの使いすぎ、要するに血液の不足で倒れたのだった。
「男には、無茶するからこそ意味がある時がある」
「それで倒れられちゃ、意味がないわよ」
ベシ、とベッドで横になっているレヴァの額を叩く咲夜。ただ、その表情は朗らかなものだった。
「……フラン様を止めてくれて、ありがと」
「麗しき女性の頼みなんて、断れはしないさ」
「全く、誰に似たんだか」
「我らがプレイボーイ代表、オーデル・エバーニクスしかいないだろ?」
「それもそうね」
咲夜はベッドの横にある小さなテーブルに水を置くと、そのまま立ち去ろうとする。
「まさか、幻想郷で貴方に会うことになるなんてね」
そう言い残し、音も気配もなく咲夜が消えた。
レヴァは貧血で寝かされてはいるものの、症状もそこまで酷くはない。すぐにでも準備体操が出来るほどには体調も良くなっている。
ふと視線を横にやると、テーブルに置かれた水の横に、ブラッド・コネクトが無造作に置かれている。もう覚えていないが、いつからか銃身がほんのりと紅くなっていた。
「咲夜、か………行方不明になったと思ってたが………」
そんなことよりも、レヴァが気になっていたのは咲夜のことだった。
あの銀髪に整った顔立ち。淑女然としながらもレヴァにはフランクに接する。そのことから、自分の知っている十六夜咲夜だろうと確信していた。
十二の銃と十二の仲間。自分と相棒を残して全てを失ったと思っていたが、それ以外にも出会いはあった。
中でも咲夜は、ともに五年以上を過ごした仲である。かの有名な殺人鬼『ジャック・ザ・リッパー』だと疑われ、冤罪で指名手配されていた少女であると聞いた時の衝撃は忘れられない。
「畜生が……嬉しいじゃねぇかよ……」
自然と涙が出て来た。
自分以外が死んで、三年間は一人で生きていた。 一時期はバディを組んでいた咲夜も、仲間が死んだ三年前に行方不明になっていた。みんなの意思を継ごうと、一人でも十二人分の願いを果たそうとしていたが、限界だった。それ故に自ら命を絶つ選択をした。
それがどうだ。わけのわからないまま幻想郷に来て、他人の好意に甘えて惰性で暮らそうと思っていた自分がいることに気がつく。
志を諦めてしまったこと、自分だけが悠々と過ごしていること、もうあの仲間たちと出会えないと言う寂しさから、心のどこかで嫌気がさしていた。
声も出さずに涙を流していると、ノックの音が聞こえた。
「留守にしてまーす」
いち早く涙を止める為に、自分から茶化すような言葉を吐く。
すると、その言葉を完全に無視してドアが開かれた。
姿を現したのは、パチュリーだった。結界を維持し続けて魔力が尽きてしまったことが原因で顔色が悪いが、その目にはしっかりと意識が宿っている。
「居留守を使うなら、何も言わないで頂戴」
ゆったりとした動きとは対照的に、不機嫌そうな顔をしている。
「随分不機嫌そうだな。俺としては笑顔を見せてくれたら治りも早くなるんだが」
「プラシーボ効果を期待してるなら残念ね。初対面の相手に笑顔を振りまけるほど器用じゃないの」
「なら、仲良くなれば笑顔を見せてくれるのか?」
「それだけ軽口が叩けるなら、体調は良さそうね」
パチュリーはわざとらしいため息を吐き、ベッドに近づいて来た。
「それにしても、不思議な銃ね」
「俺の唯一無二の相棒だ」
レヴァの戦いを見てブラッド・コネクトに興味が湧いたパチュリーは、許可も取らずに手に取る。
「見た感じはただの銃ね。私が見たことあるものよりだいぶ小型化されてるけど」
「アンタが知ってるのは火縄銃とかマスケットあたりか?」
「そうね。マスケット銃なら、紅魔館にもあるわよ」
ブラッド・コネクトは、一般的なハンドガンの形状を取っている。それが何故古代遺跡から発掘されたのかは不明だが、そんなことは大した問題ではない。
「火薬の匂いがしないわね。空なの?」
「ああ。口径が合えば普通の弾も撃てるが、消耗品だから使い勝手が悪い。せっかく血を撃てるなら、それだけで十分だ」
「なるほどね」
そう言いつつ、パチュリーはブラッド・コネクトを弄くり回す。何度も確かめるように銃身を指でなぞり、銃口を覗き込んだりしている。危ないことこの上ないが、レヴァは特に何も言わなかった。
「中に魔術式が書かれてるのかしら………変な感じがするわね……」
「その銃に関しては、俺もほとんどわからない」
「何か結界が張られてるわね。これを……そうね、これなら………」
レヴァの声が聞こえていないのか、パチュリーは銃口の覗き込みながらブツブツ言っている。
「おい、何をする気だ?」
突然、パチュリーがレヴァに銃口を向ける。マガジンに弾丸は入っていないとはいえ、謎の多い銃である。適正がないと血を撃ち出すことは出来ないが、もしパチュリーに適正があれば、レヴァの命が危ない。
「………」
カチ、と乾いた金属音が部屋に響く。
「……おい、今のはマジでシャレにならねぇぞ」
「悪かったわ。でも、気になったことは調べないと気が済まないのよ」
一切悪びれた様子もなく、パチュリーはブラッド・コネクトをテーブルの上に戻した。
「一つ言っておくと、その銃には魔術が何重にもかけられてるわ。原理や術式は一切わからないけど、かなり危険なものであることは間違いないわ」
「……そりゃどーも」
淡々と事実報告をするような口調のパチュリーに、レヴァは若干の怒りと呆れを覚えていた。
「で? わざわざアンタが来たのは、相棒を触りたくるためか?」
「そんなわけないじゃない」
ブチッ、とレヴァのこめかみに青筋が浮かび上がる。
相棒を勝手にいじくり回され、銃口を向けられ、それがただの好奇心でしたなんて言われれば、大抵の人間は怒りを覚えて当然である。
「まぁ、レミィからあなたの様子を見るように言われただけよ」
「ならとっとと出て行ってくれ。テメェがいると治るものも治らねぇ」
「そう。なら失礼するわ」
「パチュリー様」
音もなく現れた咲夜が、パチュリーを睨んでいた。
「図書館の後始末をしているはずなのに、どうしてここにいるのですか?」
「この男の持ってる銃が気になったから、調べてただけよ」
「終わったのならすぐに戻ってください」
有無を言わせない口調で、パチュリーに詰め寄る咲夜。
紅魔館の従者として仕えている身であり、礼節を重んじる咲夜にあるまじき行動に、パチュリーは面食らっていた。
「らしくないわね」
抵抗する気がないのか、パチュリーはそう言い残して部屋を出て行った。
「全く……」
「もしかして、心配で来てくれたのか?」
「ええ、そうよ」
咲夜は臆面もなくそう言った。レヴァは特に驚くことはなく、されるがままに額に手を当てられた。
「パチュリー様は、自分の知的好奇心を満たすためならどんなことでもする。たとえそれが相手の命を奪うとわかっていてもね」
「とんでもねぇマッド野郎ってことか」
「否定はできないわ。最近では、全く別次元に存在する世界の地獄から、使い魔を召喚しようとしてるみたいよ」
「マッドどころじゃなかったか」
「幻想郷では、そんな奇想天外なことを可能にできるやつらが大量にいるからね」
そう言われて、元の世界で時たま見た漫画などを思い出す。その世界観では、それぞれが固有の能力を有しており、世界を簡単に壊せるというものだった。
もしかしたら今現在自分がいる幻想郷がそういう世界かもしれないと思うとため息しか出なかった。
「それで、嬢ちゃん……フランって言ったっけ? あの子の容体は?」
「問題ないわ。仕えてる身で言うのもアレだけど、よく生きてたわね。多分心臓と脳以外の中身をズタボロにしたわよ」
「………後で謝らねぇとな。なんなら土下寝でも焼き土下座でもするか」
「そこまでする必要はないわよ。レミリアお嬢様が言っていたわ。あの状態のフラン様を『殺さずに』止めてくれたことは、感謝してもしきれないって」
咲夜はエプロンのポケットから錠剤を取りだし、レヴァに押し付ける。
「気休め程度だけど、栄養剤を持って来たわ」
「悪いな」
栄養剤を受け取り、なんとなくそのケースを観察する。
一般的な白い錠剤が小包装されており、連結されている。解く問題ないように見えたが、裏に書かれている数字が目に入った。
「19980523………使用期限か………?」
レヴァがいたのは、少なくともそれから十年は先の世界。賞味期限やら消費期限はあくまで目安だが、安全という意味ではやばいかもしれない。
だが、せっかくの厚意ということで、意を決して錠剤を口に押し込んでぬるくなった水で胃に流し込む。
「そんなに経過しなくていいじゃない」
「十年前に消費期限が切れたものを飲み食いしたことがあるか?」
「五年前のなら、外の世界で食べたことあるわよ。もちろん大惨事になったけど」
クスクスと笑う咲夜は、懐かしむような優しい笑みを浮かべていた。つられてレヴァも笑った。
「にしても、誰もが恐れる暗殺者『サイレントキラー』様が、今では吸血鬼のメイドをやってるとは……ククッ」
「なんなら、貴方は執事にでもなる? ここではやることが多いけど、その分待遇もいいわよ」
本気とも冗談ともつかない雰囲気で、レヴァを引き込もうとしている。
「家事が壊滅的な俺を雇ったら、咲夜の仕事が増えるだけだぞ?」
「指導は美鈴に任せるわ。もし上達しないようなら、一つミスをする度に鉄拳が飛んでくるから注意しなさい」
スパルタ教育という言葉が頭に浮かぶが、美鈴の印象からしてそんなことをするとは思えなかった。
ただ、『女性ほど見かけによらないものはない』という師の言葉を思い出し、妙に納得してしまった。
「ともかく、しばらくはここで休んでなさい。それとお嬢様からもう一つ伝言。『行く宛てが無いなら、紅魔館に滞在してもらっても構わない』とのことよ」
「そいつはどうも。考えとく」
レミリアからすれば、妹のフランの暴走を止めてもらい、SOSのサインとして出していた霧を止めることができた。
そのような恩人に対してできる限りのもてなしをするのは当然のことである。
「まぁ早く体調を良くして頂戴。貴方の様子を見る仕事も追加されたし、タダ飯喰らいは嫌いよ」
「咲夜に嫌われたら、次の日には頭と胴体が泣き別れしそうだ」
「いい加減冗談言うのはやめなさい。収集がつかないわ」
「悪いな」
「そう思ってるなら、その癖を治しなさい」
古い友人に偶然会い、思わず長話をしてしまうような感覚。気がつけば二十分ほど経過していた。
「じゃあ私は行くから、何かあったらこの鈴を鳴らして頂戴。どこにいても聞こえるようになってるから」
咲夜から鈴を受け取ったレヴァは、大人しく寝ることにした。
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吸血鬼にとって、人間の血は嗜好品である。
あくまでも嗜好品であり、生命の維持に必要な訳ではない。事実、レミリアは約五百年の間、人間の血を飲んだことはない。
しかし、今になって『人間の血が飲みたい』という衝動に駆られている。
なんとか理性で抑えているものの、動物の血でごまかすのも限界が近い。近くに咲夜という人間がいる為、余計に衝動が強くなっている。
「フランを止めれたのはいいけど、吸血衝動はおそらくそのまま。最悪、人里から攫うこともかんがる必要があるわね………」
このままでは、レミリアの自我が崩壊してしまうかもしれない。そんな感覚に恐怖を覚える。
フランを殺さずに済んだのは、レミリアとしては最上だった。そればかりを考えていたせいで吸血衝動をどうすべきかを考えていなかったのは問題だ。
咲夜からは、迎え入れた時の契約から間接的にも血を貰うことはしない。
レヴァに関しては、血を銃で撃ち出す為、これ以上は戦闘以外で血を消費させるのは憚られる。そうでなくとも、吸血鬼に血を吸われた人間は、物言わぬ眷属になってしまう。
レヴァのこれからの運命を見たレミリアにとって、それは最悪の選択肢である。
「………」
そんなことを考えながら、動物の血を飲む。血への渇望は消えないが、これで少しはマシになる。しばらくして吐くのまでがセットだが、それは仕方のないこと。
妖怪の血も飲めないことはないが、如何せん味が悪いのと乾きが収まらない。それなら動物の血を飲む方がマシと思えるほどである。
「お嬢様」
「……どうだったかしら? 懐かしの再開は」
音もなくやって来た咲夜に、レミリアは一切驚くことなく質問を投げかける。
「思っていた通り、良いものでした」
感情の起伏が感じられない声で答える咲夜。それとは裏腹に、若干口角が釣井上がっている。
「そう。それは良かったわ。それで、咲夜はどう思う?」
「どう、とは?」
「レヴァ・ゼクトールを殺すか否か」
それを聞いた途端、咲夜の心臓が冷えた。
「……理由を伺ってもよろしいですか?」
「簡単なことよ。彼が、私たちと敵対する運命があるの」
「………」
咲夜はわからなかった。ここでレヴァを殺すと答えるのか、否と答えるのか。我が主の求める答えは、一体どっちなのか。
「……それがお嬢様の障害となるならば、わたくしが全力を持って排除します」
「それは、従者としての本心でしょう? 私は、十六夜咲夜としての本心が聞きたいのよ」
どこか試すような笑みで、咲夜を瞳を見つめるレミリア。昨夜はばつが悪そうな表情で、徐に口を開いた。
「彼には……彼とは、外の世界にいた頃同様に対等な関係でいたいです。バディとしての行動は不可能ですが、手助けくらい出来たらと」
「そう。正直な答えをありがとう」
主に敵になる可能性がある相手を生かしたいと思うのは、従者としては二流だろう。だが、レミリアは満足げに頷いた。
「彼は恩人でもあるから、彼が紅魔館に立ち寄った時は賓客として持て成しなさい」
「……ありがとうございます」
恭しく一礼をする咲夜だが、レミリアは嘘を吐いていた。
レミリアが見た運命には、レヴァが博麗神社で霊夢とお茶を飲んでいる所に、霊夢の育ての母である博麗 霊那(ハクレイ レイナ)がやってきて、二人を茶化している様子があった。
能力によって咲夜とレヴァの関係を知っていたレミリアは、二人の関係がどれほど深いものかを判断していた。
結果、大方レミリアの予想通り、恋仲や夫婦のように男女の関係とはまた違った強い絆で結ばれている。
「っ! ゴフッ!」
「お嬢様!」
これからの話をしようかと言うところで、レミリアが吐血を伴った咳をした。咲夜が側に駆け寄るが、それを突き飛ばした。
咲夜の体は軽々と宙を飛び、部屋の壁に叩きつけられた。
「だ、ダメよ………今は………」
いつになく弱々しい声音で、咲夜を拒絶するレミリア。それほどまでに吸血衝動が酷いのか、咲夜は背中の痛みに耐えながら気遣うように距離をとる。
「……もし限界がきてしまった時は、わたくしの血をお飲みください」
「………ありがとう」
礼を言いつつも、咲夜の血を飲む気はない。
もし飲むくらいなら、自ら太陽に焼かれて自害する。そう思うくらいに、レミリアは咲夜に人間でいて欲しかった。
それは同情でも憐憫でもなく、ただ一人の存在としてあるがままに生きて欲しかった。自分のように、身分や素性を偽りながら、人目を避けるような生き方をして欲しくない。そんな考えから、咲夜を咲夜たらしめる一端である『人間』と言う特徴を奪いたくはなかった。
「それでは、失礼いたします」
音もなく部屋を後にする咲夜の気配を感じながら、震える口に自身の手を突っ込む。反射的にその柔肌に牙を食い込ませ、溢れ出てくる血が口内に染み渡る。
鉄のような匂いと、嫌悪感を駆り立てる若干の粘性。それが嫌に口内の粘液と馴染む。
そう。血はこんなにも不味いのだ。同じような見た目をし、同じように生き、多少寿命や力が違うだけの人間の血を、どうしてこんなにも欲してしまうのか。
咲夜が側にいただけで腕が震えそうになる。絹のような肌を引き裂きたくなる。首筋に噛み付いて、心ゆくまで血を吸い尽くしたいと思ってしまう。
今はなんとか抑えているが、日に日に吸血衝動が強くなっていく。あと数日としないうちに、咲夜だけでなく他の者にまで被害が出るかもしれない。下手をすると妹のフランまで傷つけてしまうかもしれない。レミリアにとって、それが一番避けなくてはならないことであった。
「どうしようかしら………」
運命を操る程度の能力。それによって様々な人妖の経験するであろう運命を見ることができ、多少であればその運命を変えることができる。レミリア本人の介入が必要になってくるのが難点であるが。
しかし、問題として自分の運命を見ることができない。他人の運命が見えたとしても、断片的なもの。それに至る経緯なんてわからないし、見えた未来がひょんなことから変更されてしまう可能性がある。
曖昧で不確実で、不便な能力だと、自分で思う。
結局この能力では、自分が吸血衝動によってどうなってしまうのかがわからない。だからこそ、レヴァの存在に掛けている。
そのために咲夜に嘘をつき、より自然な流れでレヴァを賓客扱いするようにした。これによって、レヴァがフランの手によって殺害される運命が回避された。加えて博麗の巫女との繋がりが強くなることで、紅魔館にも良い影響がある。
会ったばかりの者によって、たった数時間のうちに運命が今までにないくらい大きく変わっていった。
レヴァが何かしら解決に導いてくれる。理論も運命もあったものではないが、直感でそう思ったのだ。
その一方で、自分が身内に被害を出してしまうとおもっていながら何も行動を起こせない自分に腹が立った。これが自分のことでなければ、それに対する解決策を見出した上で惜しみなく行動を起こすだろう。
だが、いざ自分のこととなるとどうしたら良いかわからない。知り合ったばかりにも関わらず危険を冒してくれた男に、全てを委ねようとしているのだ。
「天下の吸血鬼様が、無様よね………」
僅かに歯型が残った手を見ながら、レミリアは自重気味に笑った。
###########################################
紅い霧は完全に晴れ、今までのことが嘘であったかのように、雲ひとつない青空で太陽が燦々と輝いている。
そんな清々しい時分に、紅魔館では緊張が走っていた。
「フラン……貴女、自分が何をやったのかわかってるの?」
「お……お姉…様………」
紅魔館の主、レミリアが妹であるフランの首を片手で掴み、その体を持ち上げていた。
「私はどんなことでも許してきた。物を壊しても、誰かを傷つけてもね。でも、今回ばかりは許すことはできない」
いつものように落ち着いた表情と声で、諭すように言うレミリア。しかし、醸し出している雰囲気は、相手を押し潰しそうなほどに重かった。
「彼は、私たちの恩人よ。ちゃんと説明して、貴女も聞いていたはず………その恩を仇で返すとはね」
レミリアの視線が部屋の隅に行く。
そこには、首筋から血を流しているレヴァと、ガーゼでその傷口を押さえている咲夜がいた。
それ以上は何も言わず、フランは軽い動作でフランを壁に投げつけた。
「うぐっ!?」
壁にデカデカとヒビが入り、相当な威力であったことを物語る。苦しそうに呻いたフランには目もくれず、レミリアはレヴァに歩み寄る。
「咲夜。容体は?」
「傷に関しては、すぐにふさがると思います。眷属になってしまったかどうかまでは、意識が戻るまでわかりません」
「そう………」
悼むように目を瞑る。
吸血鬼に噛まれてしまった人間は、例外なく眷属になってしまう。だがその実態は、ゾンビのようなもの。
自我も感覚もなく、ただ自身の血を吸った吸血鬼の命令のままに動くだけである。
恩人に対してこのような仕打ちをしてしまった。謝って許されるようなことではないことはわかっている。
「彼の自我を確かめようにもね……」
稀に眷属になっても自我を持つ者もいるが、九分九厘物言わぬ肉塊と同じであることから、期待しないほうが吉である。
「とにかく、彼をベッドに寝かせることと、今回のことについて博麗ぼ巫女に話してきて頂戴」
「承知いたしました」
咲夜はレヴァの背中と膝下に手を入れて、いわゆるお姫様抱っこの状態で部屋まで運ぼうとする。
だが、レヴァの瞳が咲夜の姿を捉えたことによって、その行動を止めた。
「レヴァ?」
「んあ………咲夜か……」
気怠げな返事が返ってきたことに、レミリアは驚いた。
「って、何で俺がプリンセス扱いされてんだ?」
「し、仕方ないじゃない。フラン様に噛まれて気絶してたんだから」
「噛まれた程度で気絶か……毒を仕込んだわけでもないだろうが」
「それについては、私から説明するわね」
質問に答えようとする咲夜を遮って、レミリアが割り込んできた。
レヴァがレミリアに視線を向けると、その背後に倒れているフランが目に入った。
「聞きたいことがあるでしょうけど、まずはこちらの話を遮らずに聞いて頂戴」
「……了解だ」
余計なことは聞くな、とでも言いたげな視線に、レヴァは言われた通り黙ることにした。
「そういうことで、貴方には申し訳ないことをしたわ」
レミリアから事の顛末を聞き、レヴァはそれなりに事態を把握した。
「最終的には、眷属になっていないってことか?」
「そうね。眷属になったら、たとえ自我を持っていたとしても主の命令無しにはほとんど自由に動けないわ」
「そいつは何ともまぁ」
まだ体が怠いのか、テーブルに頬杖を着く。目の前には咲夜が入れた紅茶が用意されているが、全く飲む気になれない。
「フランにはよく言い聞かせておくわ。それと、紅魔館での無期限滞在を許可するわ」
「……そりゃ、随分と高待遇だな。衣食住には困らなさそうだ」
「当然よ。下手をすれば、貴方の命を奪っていたのだから」
それだけのことをしてしまったと、レミリアは本当に申し訳なく思っていた。そのために、紅魔館でいつまでも暮らして良いという慰謝料を払うと決めたのだ。
だが、レヴァは首を横に振り、自嘲気味に笑った。
「魅力的な提案だが、断らさせてもらう」
「理由を聞かせてもらっても良いかしら?」
「別に大したことじゃないが、俺はこの幻想郷をもっと知りたい。どんな奴らがいて、どんな世界なのかを、この身で感じたい」
図書館の魔女と一緒にいたくない、という一言は飲み込み、それっぽい理由を言って納得させようとする。
「そう……それなら、ここを拠点として使うのはどうかしら? 旅をするとしても、確実な拠点が一つはあったほうが良いでしょう?」
「そんなことで迷惑をかけるのは、俺のプライドが許さん。野宿やらその日暮らしには慣れてるしな」
パチュリーに顔を合わせたくない、という本音はあくまで隠す。
「図書館には、いろんな書物があるの。もしかしたら、そこに貴方が欲しているものがあるかもしれないのよ?」
「それはマジで勘弁してくれ」
思わず本音が出た。レミリアはそれを聞くなり、小さく笑った。
「その本音が聞きたかったのよ。大方、パチェが何か失礼なことをしたんでしょうけど」
まあいいわ、とレミリアは仕方なさそうな笑みを浮かべた。
「パチェは知的好奇心を満たすためなら、どんなことでもしかねないからね」
「さすがに、相棒を弄くり回されて銃口を向けられるとは思ってなかった」
バレてしまってはしょうがないということで、パチュリーへの嫌悪感を前面に出した。
「それで? 俺はあんな奴と顔を突き合わせながら滞在しなくちゃいけねぇのか?」
「ここにいれば、咲夜が色々とサービスしてくれるわよ」
「お嬢様。勝手なことを言わないでください」
「あら、冷たいことを言うのね。せっかく外の世界での貴女を知る異性がいるのに」
「彼とはそういった関係ではありませんので」
今度は当事者そっちのけで雑談に興じている。それはマナーとして一体どうなのだろうかと感じたが、いちいち指摘することを面倒に感じたレヴァは、そのまま席を立った。
「悪いが、何と言われようともここに留まる気は無い」
「そう。なら止めはしない」
「お嬢様」
レヴァが紅魔館から出て行く様を見ながら、咲夜は咎めるような視線でレミリアを見ていた。
「そんなに怖い目をしないで頂戴。こうでもしないと、貴女が引き留めてたでしょう?」
「………」
「大丈夫。彼はそう簡単に殺されるような人間じゃ無い。五年間も一緒にいた貴女が信用してあげなくちゃ、彼は誰を信じたらいいのかしら?」
咲夜は答えられなかった。
レミリアの言う通り、咲夜はレヴァを引き止める気でいた。正確には、紅魔館への滞在を選ぶと思っていた。
幻想郷では外の世界の常識が通用しないことが多い。いくらブラッド・コネクトという常軌を逸した銃を持っていても、無茶なことは無茶に変わりはない。
人間が住む人里を離れれば、いつどこで妖怪に襲われるかわからない。人間など、そこらへんの落ち葉のように簡単に潰されてしまう。
いくら数々の殺しを遂行してきたレヴァといえども、妖怪相手では不覚をとる可能性は高いだろうと、咲夜は考えていた。
「彼は……確かにレヴァは戦う術を持った人間です。ですが、私のように能力を持った人間ではありませんし、あの銃も、血を消費するために無制限に撃てるわけではありません」
「それでも、私よりも凶暴なフランを倒した。これは評価すべきことよ。少なくとも、そこら辺をうろついている木っ端妖怪に負けるわけがない」
「………それは、運命を見ているのですか?」
「どうかしら?」
悪戯っ子のような笑みを浮かべるレミリアに、少しだけ不信感を募らせつつも、レミリアに合わせて笑っていた。