「あれ……?」
気づくと立香は廊下に立っていた。ぼんやりと空を見つめたまま、口の中に広がる爽快なペパーミントの風味とその爽やかさに隠れ潜みながらも優しく広がる甘味を味わっていた。
このようなアイスは全く食べたことがない。カルデアの職員や料理の得意な良妻系(あるいはキュケオーン系)サーヴァントが作ってくれるデザートのどれよりも美味しい。冷たい食感と味わいが企てた素敵な侵略は見事なまでに成功していた。
ただ、大きな難点がある。自分が何処からこのアイスを手に入れたのか分からないことだ。
(――ま、いっか)
この心の奥の奥まで届いてくるような素晴らしく美味しいアイスを放っておくことなど出来ない。このアイスがもし危険な物だったとしても、マシュの御蔭で対毒体質である上に同じ体で同居しているブギーポップがいる。大事にはならないはずだ。
そして無心にアイスを頬張る立香の心から、現状に対する過大なストレスが溜まっていた疲労と共に抜けていった。まるで立香の口内で甘く溶けていくペパーミント味のアイスのように。
《…………》
その様子を、心象世界の中に潜んでいたブギーポップが複雑そうな表情で眺めていた。
~・~・~・~
ペパーミント味のアイスを食べて大満足した立香は、一度自分の部屋に帰って寝た。最近の立香は無理のし過ぎで睡眠時間を極限まで削っており、目の下には薄らと隈が出来ていた。
一度しっかりとした睡眠を取るべきであることは、ブギーポップも承知の上で何度か声を掛けていた。ブギーポップからしてもマスターたる立香が無理をするのは見過ごせなかった。
(しかし……まさかアイツも来るとは思わなかったな)
恐らく今頃は、カルデアの全員が出自も不明なアイスを食べているのだろう。今の彼――軌川十助は、既に世界のシステムにも近い存在となっている。人の痛みと同化することで誰にも自分が居たことに気付かせず、自らの作ったアイスで人の持つ痛みを消す能力。
その本質は、彼の類まれなる能力“人の痛みを知る”ところにある。故に彼の『気配遮断』にも近いスキルは精神的なもので、このカルデアの場合、精神攻撃に絶対的な耐性を持つブギーポップ以外は彼の能力を無抵抗に受け入れてしまう。
危害を加えてくる存在では無いものの、もし敵に見つかり利用されてしまえば大惨事は避けられない。それこそカルデアに所属するサーヴァントを霊基ごと溶かしてくるようなアイスを提供されれば、カルデアは全滅する。魔術王を待つまでもなく人類の滅亡確定である。シュメル熱よりタチが悪い。
そもそもあのアイスに毒が含まれていないので、マシュのお陰で高い対毒体質を誇るはマスターですら全く抵抗出来ないだろう。味を経由した催眠術……超能力……何れとも断定し難い、とてつもない力だ。
(……どうする)
ブギーポップでも彼を捕まえるのは至難の業であり、故に放置しておくというのも一つの選択肢だ。ブギーポップでも手出し出来ないという事は、敵もまた手出しは出来ない筈だから。
しかし味方という確証がないままで放置するのも如何なものか。ブギーポップですら藤丸立香の肉体に憑依しているので自由意志で行動できない。勝手に表出して追い詰めようとしても一人ではまず取り逃がすだろう。そういう手合いだ。
彼をこの『深陽学園』に連れ込めば一対一でもっと話せたに違いないのだが、残念ながら宝具を展開しようとした直後にアイスを押し付けて逃げられてしまった。恐らく軌川十助も、ブギーポップが藤丸立香に潜んでいたとは思わなかったのだろう。随分と慌てていた。
「あー、美味しかった。今まで食べた中で一番美味しいアイスだったよ……アレ?」
色々とブギーポップが考えている間に、ペパーミントアイスを食べ終わった立香が不思議そうな顔をした。
《どうした、マスター》
「これ、どうやら食べ終えてから初めて判るメッセージになってたみたいだけど……このアイスって本当に誰が作ったんだ?」
アイスのコーンには明るい緑色をメインとしたポップなデザインの包み紙が巻き付いていたのだが、表面からは見えなかった裏側にはこう書かれてあった。
カルデアのマスター殿
突然のアイスに驚かれているでしょうが、このアイスは最近疲れ気味のマスター殿への挨拶代わり兼、差し入れです。
僕は個人的に人間が好きな訳でも嫌いな訳でもありませんが、マスター殿の事は近くで見ていて気に入りました。
これからもアイスを陰ながら提供していきますので、よろしく。
ペパーミントの魔術師より
「……これ、ブギーポップは心当たりある?」
立香が文章をしばらく眺めてから聞くと、心做しか少々気の抜けたような調子でブギーポップは呟いた。
《まあ、誰だって構わないだろ。別に。味方ってことで良さそうだ》
~・~・~・~
その日のカルデア職員たちは、魔術王ソロモンとの決戦を前にして実に落ち着いた気分になっていた。全員が何者かに渡されたアイスを完食しており、あのダヴィンチすらその味に一種の天才性を認めていた。曰く、「ミケランジェロの彫刻みたいな味わいだった」らしい。
一方のDr.ロマンことロマニ・アーキマンも、何処か悲愴な決意を固めていた表情で様々な仕事に取り掛かっていた筈だったのだが、アイスを食べた後はどこか難しい顔で考え事をするようになった。その様子を見たカルデア職員曰く、手に嵌めた指輪を見つめながら物思いにふけっているらしい。
突然だが、仮にあなたがアイスを一口食べたとしよう。その一口に、人生を変える力はあっただろうか。当然のことながら、一般的なアイスにそのような効果は無い。口の中で淡く溶けて、それで終わりだ。
しかし、かの世界にはアイスで世界を変える力を持った男がいた。
彼を造り出した組織は、緑の肌と青色の血を見て“失敗作”と判断し、
彼を受け入れた老人は、自らの息子として受け入れて世間から匿い、
彼を引き入れた富豪は、その能力なら世界を支配できると断言した。
組織名、ノトーリアスI.C.E
戸籍名、軌川十助
通称、“ペパーミントの魔術師”
彼の力ははるか遠くの異なる世界においても、多くの人生に魔法を掛けようとしていた。
~・~・~・~
カルデアが徐々に接近していく中で、ただ一人カルデアを悠々と待つ存在が居た。
いや、コレを果たして一人と数えてもよい物だろうか。
七十二柱の魔神から成り、人類全てを焼却し時間遡航にて新たな世界の創造を図る獣。
その名を人類焼却式:ゲーティア。魔術王ソロモンの名を騙り、死後を辱めた者の名だ。
彼は自らの第二宝具たる大神殿の展開を終え、魔神柱の全てを監視塔などの役割を決めたうえで配備し、互いに引き合い近づいてくるカルデアを待っていた。
『――思えば、永き道のりだった』
王の姿を借りたまま玉座に腰かけた彼は微睡む。
王の下で多くの悲劇を、惨劇を、眺めて来た。
自分は人類を救済し、支えるために生み出された存在だった。
しかし愚かなる人間は、そして人間からかけ離れた立場に居た王は、どちらも己を顧みることなく存在し続けた。
どうあっても許せなかった。どうあっても変えられなかった。人類は歴史全てをたどっても悲劇を終わらせることは無く、人類を救済する力を持った王は、全てを知りながら何もしなかった。
だから私は、俺は、僕は、立ち上がったのだ。人類全てを焼却するために。
『――だというのに、無駄な足掻きをするものだ』
人類を滅ぼす際に、ほんの少しだけ手違いがあった。滅ぼした当時、人類の総数は約七十億。中には類まれなる能力を秘めた人材もおり、それらを含めた全てを丸ごと焼却した筈だった。
しかし、一つのミスが見苦しい悪あがきを許してしまった。たった一人のマスターによる特異点攻略。確かに七つある特異点の全てを修正すれば自らの膝元に辿り着くのは可能であり、現に彼らは途中で発生した微小な特異点も含めた全てを念入りに消去してきた。
その旅路を眺めるのは、実に滑稽だったと言わざるを得ない。勿論、不快感もあれば無駄な足掻きに呆れる気持ちもあったが、やはり結末が決まっている上で諦めない彼らの綱渡りは、悲劇的な喜劇だった。
『これにて我が偉業は達成される――』
カルデア以外に進めていた準備は整った。後は人類最後のマスターを始末すれば終わりだ。
“―――――――――。”
『……本当に、そうか?』
本当に、カルデア最後のマスターを始末すれば終わりか?
自分は何か、大きな見落としをしてはいないだろうか。
仮にも人類最後のマスターだぞ?あのティアマトを退けたマスターだぞ?
自分は少々……油断しすぎているのではなかろうか。
『……念には念を入れるべきか』
彼が万が一の場合に思い当たった瞬間、何者かの気配を感じた気がした。
『……誰だ』
振り向くも、そこには誰もいない。感じたと思った気配も霧散している。
仮にも彼は魔術のほぼ全てを支配下に置く魔術王だ。勘違いという可能性はそれこそあり得ないのだが。
“―――――――――。”
『――まあ、あの連中がここまで来るのだから、それ位の偶然もあり得るか』
簡単に奥の手を整え、再び彼は目を閉じた。
背後には、今にも足が地面についてしまいそうな少女が微笑んで――。
~・~・~・~
カルデアという組織は、正式名称を『人理継続保証機関 フィニス・カルデア』という。元々は100年後の未来を観測することによって、世界に向けて人類の未来を保証する為の機関だった。
しかし、魔術王及びその手先による人理焼却が発生。特異点の修正を行うことにより、人類の未来を取り戻すことが目的となった。
度重なる不運。
類まれなる幸運。
繰り返される惨劇。
立ち止まらない決意。
それらを経て藤丸立香は成長していき、気付けば数々の特異点を修正していた。傍らに立つのは始めこそマシュだけだったが、特異点を巡り縁を繋げることで数多くの英霊が立香を支えてくれるようになった。
その旅路も、これで終わり。
「どうせなら、この結末を笑って迎えよう」
そう言って顔を上げた立香とマシュの後ろに、カルデアに待機していたサーヴァントの全員が並んだ。全員が立香と共に数々の戦場を戦い抜き、絆を深めた者達だ。出し惜しみはしない。
『防衛の為に最低限の戦力は残してある――が、恐らく魔術王はカルデアに意識を割かないだろう。向こうの出方を確認したら、残りの戦力も出発する』
ダヴィンチの声が響く。これ程までに戦場が近いとなれば、全体に向けての連絡となれば通信よりも拡声器の方が効率が良いからだ。
『最終的な敵たる魔術王は心臓部に、そして心臓部を護る敵のルートが合計七本だ。その全てを全体的に潰し、玉座への道を拓く。じゃあ、みんな。頑張ろう!』
その合図と共に、カルデアの一団は一斉に足を踏み出す。最期の戦いへ向けて。
盾を構えたマシュは、ふと昨夜に見た夢を思い出した。魔術王ソロモンは短命でありながら閉鎖的な施設で一生を過ごす事となったマシュを、貴重な観察対象として捉えていた。
魔術王は“遍く人類が永遠の幸福を手に入れた世界”を提示した。
全ての人が争いを知らず、死ぬことに怯えず、誰もが隣人を愛している世界。笑顔がデフォルトとなり、悲しみや怒りの表情が消えた世界。
その世界に対して、マシュは一つの答えを出した。望むなら短命だった人生からこの“幸せな世界”に導いてあげよう。そう言う魔術王の誘いを真正面から跳ね除けてみせた。
曰く、「死は駆け抜けていくもの」だから。
マシュの決意に満ちた顔を見た魔術王は、ため息を吐いた後でふと無言で何かに聴き入っているような表情になった。
“―――――――――。”
『……短命なる者よ、もう一つの可能性を見せてやろう』
魔術王が次に見せた、第三の選択肢。
それは“幸福な世界”とはひと味違う、もしもの可能性。
“平凡な世界”だった。
今回の更新が遅れた理由は色々とありますが、その中でも最たるものはやはり第3章の攻略でしょうね。作者の鯖はとっても充実している訳ではなかったので、強引に行きました……結果として聖晶石が尊い犠牲となりました……。
段々増えていくお気に入り数や感想が嬉しくて堪らないです。拙い文章故にこれからも失敗することがあるかと思いますが、頑張っていきます。