お稲荷様ののんびりVRMMO日和   作:野良野兎

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お稲荷様と鬼の酒

 

 八岐大蛇を親に持つが故か、酒呑童子は大の酒好きだと言われている。それは手下たちから酒呑(酒を呑む)、という名で呼ばれたことからも、相当なものであることがわかるだろう。

 ボク自身、坑道の奥から漂う酒の香りからある程度は覚悟していたのだが、目の前に広がる光景には絶句せざるを得なかった。

 樽、樽、酒樽の山である。どれもこれもボクの身の丈ほどはある大きな酒樽が、所狭しと(うずたか)く積まれている。他にも蓋が開けられた空の樽や、力士が使うような大関杯、徳利やお猪口まで、様々な酒器が床に転がっていた。

 ここは坑道の一番奥、鬼の美女に連れられて進んだ先には、畳が敷かれたお座敷のような大部屋が拵えてあった。どうやら、手下に命じて作らせたらしい。

 目を丸くするボクを尻目に、ここまで案内をしてくれたイバラキが部屋の中央でしゃがみ込み、何やら声をかけている。

 

「おーい、シュテン、シュテンやい、お前さんの言う通り連れてきたよ」

 

 げしげしと、しまいには足で何やら蹴り始めたかと思いきや、やがてイバラキの足元からのそりと何者かが起き上がった。

 黒髪を頭の上で乱暴にまとめた、虎柄の派手な着物姿の大男である。身の丈は二メートル程あるだろうか。額から天を突くように赤い一本角が伸び、着崩れた着物の隙間からは岩のような逞しい胸板が覗いている。

 呑気に欠伸なんかをしている大男に、イバラキは大きくため息を吐いた。

 

「おお、イバラキ、おはよう。とりあえず酒だ、酒を呑もう」

 

 第一声から、なんとも台無しな感じである。

 起きて早々これであれば、なるほど手下から酒呑(シュテン)と呼ばれるのも納得である。

 言葉だけ取れば完全にダメな人間か相当にヤバい人間なのだけれど、本当に彼が鬼の頭領なのだろうか。

 

「ほら、前に妾が話していた狐の君を連れて来たのだぞ、しゃんとしないか」

 

「おお、おお、そうか。ではきちんとしなければな」

 

 ぐっと伸びをし、男が朗らかに笑う。

 崩れに崩れていた着物の襟をしっかりと正すと、そこでようやく男の顔がこちらへと向けられた。

 面と向かってみれば、すっと鼻筋の通ったなかなかの美丈夫である。

 しかし――

 

「お酒臭い……」

 

 ボクが到着する直前まで飲んでいたのでは――否、まるで清酒の風呂にでも浸かっていたのかと疑ってしまうほどの酒気であった。

 袖で口元を隠し、吐き捨てるように言ったボクを見て、しかし男は一切気にしていない様子でまた笑う。 そうして手近にあった瓢箪を手に取り、栓を抜き、中身を呷る。

 まるで起き抜けの水のような手軽さで飲んではいるが、それが酒であることはもはや疑いようがなかった。 ぐいと口元を拭い、男が言う。

 

「名乗るのが遅れたな、俺はシュテン、ここらの鬼族の頭をやってる。まあ立ち話もなんだ、ちいと散らかっちゃあいるが、適当に座ってくれよ」

 

 どこから取り出したのか、ボクの背丈ほどはあろう大太刀をなんともぞんざいに扱いながら周囲の樽やら杯やらを押しのけると、男はまた瓢箪を呷る。 

 どうしたものかと悩んでいると、見かねたイバラキが奥から座布団を一枚持ってきて、シュテンの向かいに置いた。 どうやらここに座れという事らしい。蔑ろにするのも気が引けるので、ご厚意に甘えさせて頂くとしよう。

 

「すまないね、こいつはいつだってこんな感じなのさ」

 

「はあ、いや、別に構わないのだけど、少し意外だったのは事実だね」

 

 酒好きであるのは想定していたけれど、もう少しこう、鬼らしく厳めしい感じなのかと思っていた。

 ところかどうだ。 実際に会ってみれば、大男ではあるが厳つい感じはなく、むしろ人懐っこい印象さえ感じさせる好男子である。まあモチーフはあくまでモチーフ。当たり前ではあるが目の前の彼はあくまでシュテンであり、言い伝えられる酒呑童子そのものではない、という事なのだろう。

 

「イバラキから聞いているとは思うけど、ボクはタマモ。一応、君たちを懲らしめるように言われて来たのだけれど――」

 

「いやあ、イバラキが気に入ったという来訪者がどんな者なのか興味があったのだが、これはまた随分と賢しそうな女子を見つけてみたものだ」

 

 ぐいと身を乗り出し、シュテンがにっかりと笑う。 とりあえずボクの話を聞いてほしい。

 しかしその言葉に機嫌がよくなったのか、イバラキは右腕でボクの肩を抱き寄せると、その柔らかな頬を肩に置き熱っぽい視線をこちらに向けた。

 

「そうだろう、そうだろう。妖狐族にも、陰陽師にしておくにも勿体ない姫君なのだよ、この娘は。 どうだ、前回は袖にされてしまったが、今からでも妾のものにならぬか?」

 

 そのしなやかな指先でこちらの首筋を撫でるその仕草は実に蠱惑的で、同性であってもくらりとくるであろう色香を放っている。しかしボクは、その首筋を這うような右手の甲をぺしりと扇ではたき落とし、七本の尾でぐいと甘い香りを放つ彼女を引っぺがした。

 あん、とイバラキが声を漏らす。

 

「折角のお誘いだが、お断りするよ。今のところこの身にも、この職にも不満はないのでね」

 

 かかか、と今度はシュテンが笑う。

 

「いやはや、これはなかなか、身持ちが堅い姫君であるな。しかしイバラキよ、俺というものがありながら他の女子に手を付けるのか?」

 

「何を言っておる、お前さんとて都に何人も女を囲っておろうが」

 

 あ、やっぱりそうなのか。風体からして、遊んでいそうな男だからなあ。

 さらには身なりをきちんと整えれば、見てくれだけはかなりの色男である。街で女性に声を掛ければ、何も知らない者であればころっと騙されてしまうだろう。

 女の敵、なんてことを言うつもりはない。複数の女を囲うのも男の甲斐性であれば、他に女を囲われる女も女なのだ。それが嫌だというのなら、首に鈴でもつけていればいいのだ。

 尤もこの二人の場合、お互いがお互いにそれを了承し、好き勝手やりたいようにやっているようであるが。 

 

「はっはっは、それを言われると痛いなあ。まあ、とりあえずは飲んでくれ、どれもこれも銘酒ばかりだ、味は俺が保証するぞ」

 

 そう言って杯――これでも女子に対し何を思ったのか、大関杯である――に並々と酒を注ぐシュテンを、咄嗟に手で制した。

 ここがゲームの世界で、実際にアルコールが入っている訳ではないのだろうが酒は酒。 未だ学生のみであるボクが飲むのはいささか問題がある。

 自分が未成年であり、酒を飲む事が出来ないことを伝えると、彼は眉を寄せ、ここにきて初めてその表情を不機嫌そうに歪めた。

 

「なんだなんだ、固いことを言うな。こんなもの水のようなものだ、ささ、ぐいっといけぐいっと」

 

 まるで飲んだくれたおじさんのような科白であるがこの男、先程目を覚ましたばかりである。

 しかしその様子からして、少しでも口を付けなければ話が前に進みそうにない。 さてどうしたかと数秒思考した結果、イベントとしてこの席が設けられているのであれば、まあ問題ないだろうという結論に至った。

 なみなみと酒が注がれた大関杯を受け取ると、その澄んだ水面をじっと見つめ、意を決してその表面を舐めるように僅かに口に含んだ。そして、口内に広がるその味に首を傾げる。

 

 水のようなもの、とシュテンは言ったが、なるほどこれは水である。というより、少し果汁のようなものを含めた、ほのかに甘味がある水であった。アルコールが喉を焼く感覚も、くらりと頭にくる香りもない。

 恐らくではあるが、これは老若男女様々なプレイヤーが存在するこのゲームにおいて、未成年が口を付けても問題がないようにする為の処置なのだろう。データ上は酒類にカテゴライズされるが、その中身は全く別物。そんなアイテムなのだろう。

 しかしシュテンたちにはボクがぐいぐいと酒を呷っているように見えているようで、二口目には眉間のしわが解け、三口目にはもう口元に笑みが戻っていた。

 

「良い飲みっぷりだ、これはますます素晴らしいのう」

 

 こちらへしな垂れかかりながら、イバラキはますますご機嫌な様子である。シュテンにいたっては傍らに酒樽を置き、一合升で酒をすくいながら浴びるように飲んでいた。そのうち、酒樽を担いでそのまま飲みだしそうな勢いである。

 いや、いやいや待ってほしい。すっかり酒の席として場が出来上がっているが、ボクは陰陽師のクエストをクリアする為にここを訪れたのである。さすがにそろそろ本題に入ってほしい。

 

「なんだ、このままなあなあに済ませられるかと思っていたが、さすがにそうは問屋が卸さぬか。仕方がないなあ」

 

 がりがり頭を掻きながら、シュテンは酒樽の陰から何やら取り出してみせたそれは、サイコロが二つに、小さな壺ザルであった。この二つの道具を使った勝負事といえば、一つしかない。

 

「丁半博打、か」

 

「おお、知っておったか。まあ、流石に俺たち鬼と腕っぷしで勝負しろ、なんて無茶は言わんさ。であれば、残るは運否天賦、博打勝負しかあるまいよ」

 

 そう言ってシュテンはいたずらっぽく笑い、また酒を呷るのであった。


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