昔昔、浦島は
助けた亀に連れられて
竜宮城に来て見れば
絵にもかけない美しさ
日本人ならば誰もが知る童謡、『浦島太郎』の一節だ。
いじめられた亀を助け、竜宮城へと招待された浦島が乙姫から玉手箱を受け取り、地上に帰って開けてみればあっという間にお爺さんになってしまった、というこの物語はあまりにも有名である。
「それで、その竜宮城が見つかったという噂が、港を中心に広がっていると」
「左様」
昼過ぎ、ぽかぽかと温かな日差しが差し込む縁側にて、ゆらゆらと揺蕩う葉桜を眺めながらセイメイが頷く。
珍しく小奇麗な白い狩衣に烏帽子までかぶっており、
「まったく、あの男にも困ったものだ。陰陽師が入用ならば、
一国の王を『あの男』呼ばわりとは、家臣の人が聞けば卒倒しそうなものだが、ボクはそう愚痴るセイメイを一瞥し、小さく息を吐いた。
「人を呼びだしておいてよく言うよ。どうせはじめから、こっちに丸投げするつもりだったくせに」
にやりと狐顔の陰陽師が口元を歪め、しかしすぐ素っ気ない顔をして。
「はて、なんのことやら。私はただ、偉大な九尾の御方に、頭痛の種を取り除いではくれまいかと思い、こうしてもてなしておるだけだが」
そうしてセイメイが、おい、と声をかけると、屋敷の奥から女性――彼の使役する式神であろう――が料理が盛り付けられた盆を手に現れた。ふわりと藤の花の香りを漂わせる女性は盆をボクの傍に置くと、静かに一礼して部屋の隅へと下がっていく。出された盆には鮎の塩焼きや山菜のてんぷらなど、色鮮やかな料理たちが所狭しと並んでいた。
「九尾に至った祝いも兼ねて、市場へ買いに行かせた。できれば酒も飲み交わしたいものだが、九尾殿は下戸であらせられるからなあ」
くつくつと喉を鳴らすセイメイを一度睨み付けるものの、いやこの男はこういう奴だったと思い直し箸をとる。鮎の身をほぐし、湯気をあげる白身を口へと運ぶと、ぱりっとした皮の香ばしさが鼻へと抜け、噛むほどに身の奥からにじみ出る脂の甘さと旨味が口の中いっぱいに広がった。うん、美味い。
「ボクがクズノハさんと同じ九尾になったからって、そんなにへそを曲げることでもないだろうに。面倒な人だな」
二口目を口に運ぶ前にぽつりと漏れたボクの呟きに、セイメイは珍しく渋い顔をして居心地が悪そうに視線を逸らした。
尊敬する母親が長い年月を経て辿り着いた妖狐族の極致に、ぽっと出の人間がさしたる苦労もなく到達してしまったのが気に食わないのだろうが、そう言われてもしようがない。
如何に精巧に作られているとはいえ、所詮はゲーム。プレイヤーが楽しむ為の、プレイヤー贔屓の世界だ。こうして向かい合っているセイメイも、先ほど口にした脂ののった鮎も、結局はデータとして用意されたものでしかない。
故に、こうしてクズノハさんのことで皮肉ってくるセイメイの思考も、そうあれかしと定められてプログラムに組み込まれたパターンの一つでしかないのだが――
そこで、ボクは思考を打ち切った。
止めよう、なんだか虚しくなってくる。
溜息。
「ごちそうさまでした。それで、噂の具体的な内容は?」
一通り料理を堪能し、部屋の隅に控えていた式神の女性が盆を下げるのを見送ってから、ボクは佇まいを直してセイメイにそう尋ねた。彼の眉間にはまだほんの少しばかり皺が寄っていたが、公私混同はしないタイプなのか、それともこれでおあいこだと割り切ったのか、盃に酒を注ぎながらぽつりぽつりと語り出した。
「港で漁をしておる者たちがな、沖で人魚を見たのだと」
「人魚?」
「そう、人魚だ。虹のような鱗がある、腰から下が魚のようになった美女だそうだ。そしてそれを見た者は海の底にある、それはそれは立派な宮殿に招かれるのだと。嘘か真か、手土産を持って帰ってきた者までいるらしい」
ちなみにその手土産がどういったものかは、これといって定まっていないらしい。人によっては定番の玉手箱、美しい珊瑚や真珠であったり、はたまた宝剣、宝玉の類だったりと、この辺りは噂が広まるにつれて引っ付いた背びれ尾びれの類である可能性が高い、とセイメイは語る。
「しかし、だ。その竜宮城とやらに連れて行かれた者の中で、どうやら帰らぬ者がいるらしいのだ。漁に出て波に呑まれたのではとも考えられるが、もし何者かが港の傍に居付き、民を攫っておるのだとすれば、
財宝、人を攫って悪さをする。
この部分だけを見れば、思い浮かぶのはあの鬼の盗賊。かつて山で博打勝負をした二人組、シュテンとイバラキであるが、今回は海での話であるし、噂が本当ならば攫った人間に財宝を持たせ、無事に帰しているでのその可能性は薄い。
だが、どうにも、浦島太郎の物語とは違い、複数人を攫っているのが引っかかる。別にその人たちがいじめられている亀を助けたわけでも、沖で何度も亀を釣り上げたわけでもないだろうに。
ここの運営、変なところで捻くれてるからなあ。予想の斜め上をいくことも多々あるし。
「噂の真偽を調べ、もしもその人魚というものが物の怪や妖の類、悪しきものならば退治てくれまいかと、まあ、そういうことだ」
そうしてセイメイが差し出した書簡を開いてみれば、そこには噂が流れ始めてから行方不明となった人物の名前、人魚が目撃された場所の地図などが記されており、そしてその中には個人的に無視しようがない情報も散見された。
「フシミの里の人達も行方不明になっているのか」
「左様。あの里も海に近く、そう多くはないが漁に出ている者もいるのでな。それもあって、既にカヨウ殿自ら動き始めているそうだ」
脳裏に巫女装束を着た、九尾の少女の姿が過ぎる。
そりゃあ、自身が治める里の人間が攫われたとあっては気が気ではないだろう。
しかし、今回のクエストにあの人が絡んでくるとなると都合が良い。拡張ディスクにて追加された新職業、巫女について詳しく話を聞くいい機会だ。
「それと、カグヤ姫からも別に文を預かっている。まったく、あの気難しい娘がああも懐くとは、お主もなかなかの人誑しだな」
「誑しとは人聞きの悪い。誰かさんと違って、真面目に仕事をしているだけだよ」
「はて、誰のことやら」
白々しく肩を竦めるセイメイに本日何度目かの溜息を吐きつつ、カグヤ姫からの手紙を開く。内容は案の定、見つけてきて欲しい品があるので城まで来るように、というものであった。
さてさて、今回はいったい何を頼まれる事やら。ともあれ、まずはその竜宮城の件を優先すべきであろう。なにせ彼女の父上、ヤマト王からの依頼なのだ。
「まあ、まずは港で話を聞いてみるといい。うまく事を収めた暁には、私から一つ術を授けてやろう」
いつ呼び出しのか、式神の美女二人を侍らせたセイメイの声に見送られ、ボクは屋敷をあとにする。彼の言葉に従うようで些か癪ではあるが、まずは港に向かい、漁師の人から詳しく話を聞くとしよう。
フレンド数人にメッセージを送りつつ、目指すは港、思い描くは鯛やひらめが舞い踊る竜宮城。
僅かに感じる不穏な雰囲気に一抹の不安を覚えつつ、ボクは都の道を行く。
風薫る、初夏の午後のことであった。