ヨグ=ソトース=アバターとの決戦。その最終フェーズは、予想通り苛烈を極めるものであった。
悍ましい神が操る無数の触手が放つ熱線が前衛の盾を焼き、虹色に光る球体が妖しく揺れれば、見る者全てを冷たい石へと変える。
初めて最終フェーズに挑んでからというもの、襲い掛かる容赦のない範囲攻撃と状態異常の嵐の前に幾度となく全滅を味わいながらも、ボクたちは一歩一歩、確実に勝利へと向かって進み続けていた。
前方から薙ぎ払うように振るわれる巨大な触手を身を屈めてやり過ごし、伸びた触手の配置から安全地帯を見極めて網目状の光線攻撃を回避する。
勿論、逃げ回ってばかりではない。絶え間なく続く攻撃の合間、ほんの数秒の小さな隙に、詰め込めるだけの攻撃を詰め込んでいく。
とはいえ、詠唱時間などを考慮すれば高火力の術やスキルはそうそう狙えるものでもなく、この時ばかりは動きながら手数を稼げる近接職のプレイヤーが羨ましく感じてしまう。
まあ、彼らは常に敵の
「まだ終わらないのかよ。固すぎだろこいつ!」
「いやー、さすがはレイドボスだね」
ちらりと目を向ければ、浮遊するヨグ=ソトース=アバターのすぐ傍で拳を振るい続けていたコタロウが、頭上から雨あられと降り注ぐ光線を右へ左へと身を
そしてその隣で苦笑いを浮かべるハヤトの顔にも、薄っすらと疲労の色が浮かんでいる。
先程から正しくシューティングゲームやアクションゲーム染みた戦いを続けているのだから、集中力が切れるのも仕方のないことだと思う。
だがヨグ=ソトース=アバターの体力も残り三割を切り、過酷な戦闘もいよいよ終盤へと差し掛かっていた。あと少し、
ヨグ=ソトース=アバターの触手が蠢く。
泡立ち、発光する飴色の触手たちは中央の球体をすっぽりと覆い隠すと、何かを形作るようにその形を変異させていく。
――ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるふ るるいえ うがなぐる ふたぐん
それはタコにも似た触手だらけの頭部をもち、蝙蝠のような大きな羽を背から生やしていた。
緑色の鱗に覆われた巨体は見上げる程大きく、鉤爪のついた太い腕をだらりとさげて、一切の感情を感じさせない恐ろしい瞳でこちらをじっと見つめている。
これこそ、ヨグ=ソトース=アバターが操る最後の化身。最強の切り札。
――いあ! いあ! くとぅるふ ふたぐん!
触手が蠢く。狂信者の声が響く。
【微睡みにたゆたうクトゥルフ】
幾度となくボクたちを全滅にまで追い込んだ厄介極まりない相手が、今再びボクたちの前に立ち塞がった。
ちなみに仰々しい様子で登場したこのモンスターであるが、その攻略方法はいたって単純明快。それはずばり、敵からの攻撃をタンクがひたすら耐え続け、その間に体力を削りきって倒す、というもの。
基本中の基本ともいえる戦法であるが、問題なのはその異常なまでの攻撃力にあった。
通常攻撃ですら火力職の体力を根こそぎ消し飛ばす威力を持ち、溜めが発生する特殊攻撃に関してはバフを重ねがけした状態のタンク職でさえも八割以上が削られてしまうのだから、本当に厄介極まりない。無論、バフ無しの状態であればタンクであっても即死である。
タンクが落とされてから戦線が崩壊し、全滅してしまったことも一度だけではなく、この大舞台の終盤で一つのミスすら許されないタンク職のストレスたるや相当なものだろう。
だが、それは他職のプレイヤーも同じだ。むしろこの場において、ミスが許される役割など存在しない。
規模自体はかなり大きいが、これもまたパーティプレイの基本中の基本だ。
「モミジ、敵が次に力を溜める動作を見せたら、今のタンクとハヤトが
スキルを発動させた直後、次のスキルが使用できるようになるまでの時間を使ってモミジと合流する。彼女もこの長期戦で心身共に随分と消耗しているようで、息遣いは荒く、MPはすでに三割を下回っていた。
目まぐるしく変化する戦況に少しばかり混乱もしているのだろう。ボクはどこか力のない彼女の肩を叩き、いつもより少し弱々しいその瞳を覗き込んだ。
「大丈夫。勝っても負けても、時間的にこれが最後だ。気楽にやろう」
そう声をかけながら、ボスモンスターに向かって再び狐火を放つ。
隣から、くすりと笑う声が聞こえた。
「さすがだね、タマモは。私より年下なのにしっかりしてるというか、お姉ちゃんみたい」
「……場慣れしているだけだよ。今までも、
自分で言うのもあれだけれど、こちとら筋金入りの引きこもりなのだ。これまで遊んだネットゲームも多岐にわたり、こういった大規模レイドバトルを経験する機会も何度かあった。
その経験から言ってみれば、この程度の難易度ならまだまだ優しいぐらいである。
少なくとも、見えない即死攻撃が飛んできたりだとか、攻略に一時間以上かかるダンジョンの最下層で全滅したらまた入り口からだとか、そんな理不尽に近い要素が無いだけまだマシだと言えるだろう。
と、思考が随分とズレてしまった。今は目の前の戦闘に集中しよう。
敵の体力は残り一割と少し。対してタンクの体力やスキル回し、ヒーラーの残りMPには十分な余力があるように見える。このまま何事もなく進めば、安定してクリアできるはず。
だが、このレイドボスが――否、ここの運営がそう易々とレイドコンテンツをクリアさせるだろうか。初のイベントで巨大モンスターを送り込み、最初にぶつかるエリアボスに即死ギミックを仕込むような運営が。
その答えはすぐに出た。
【微睡みにたゆたうクトゥルフ】の体力が一割を切った直後。これまで一定の攻撃パターンを繰り返していたレイドボスが、急に対峙していたタンク職のプレイヤーを無視して周囲のプレイヤーたちを攻撃し始めたのだ。
その攻撃パターンも先程までとは違い、巨大な腕を振りまわして範囲内のプレイヤーを舞台端に弾き飛ばすという、凶悪極まりないものへと一変した。言うまでもなく、場外に落ちてしまえば即死である。しかも、今回に限っては場外に落ちたプレイヤーに蘇生魔法をかけても復活できないようになっているようだ。
戦場は瞬く間に混沌に包まれた。
響き渡る怒声や悲鳴。運営への恨み言を叫びながら一人、また一人と奈落の底へと落ちていく。
画面端に表示されたプレイヤーたちのHPバーが次々と黒一色に染まっていく中で、それでもこの場に集ったプレイヤーたちは勝利を諦めてはいなかった。こうなればもうやけくそ、開き直ったとも言う。
「押し込め押し込めー! 残り体力ミリだぞ!」
「ザッケンナコラー! シャッコラー!」
「めいっぱい
レイドボスに追いかけまわされ、ピンポン玉のように宙を舞いながらも、プレイヤーたちは少しずつ確実に敵の体力を削り取っていく。こちらが全滅するのが先か、敵が力尽きる方が先か。正しくここ一番の大勝負、意地と意地のぶつかり合いだ。
そしてとうとう、その圧倒的暴力はボクたちのパーティメンバーにまで襲い掛かる。
「いやー! 誰かタスケテー!」
「ちょ、おま、ふざけんなよマジで!」
不幸にも、初めに目をつけられたのは猫耳の踊り子、ムギであった。悍ましい呻き声を漏らしながら一歩一歩近付いてくるレイドボスにさしもの彼女も顔を青くして、縋りつくように偶然近くにいたコタロウの道着の裾をはっしと握りしめた。
絵面だけ見れば煽情的な恰好をした美少女に泣き付かれるというなんとも役得なものであるが、彼女の背後から当たれば即死な範囲攻撃を振りまわす蛸の化け物が追ってきているとなれば、まったく話は別である。
なんというか、彼には女難の相があるのではないだろうか。
ばちこーん、と見た目なわりにポップな効果音が響いたあと、ボクの頭上を犬と猫が仲良く飛び越えていく。二人脱落。
「こっ、来ないでくださいーッ!」
本気で泣きが入りながら逃げ回っているのは、人形使いのイナバさん。
長いうさ耳を揺らしながら、文字通り脱兎の如く悲鳴をあげて走り回る彼女の姿が気に入ったのか――これはもしかして中にプレイヤーでも入っているのではないだろうか、と不安になるが――レイドボスは他のプレイヤーよりも執拗に彼女を追い回した。
最終的にはパニックに陥ったイナバさんが自ら舞台端から飛び降りてリタイアしたのだが、あとでトラウマにならないか心配だ。
これでこちらのパーティで生き残っているのはボクとモミジ、そしてハヤトだけとなった。
敵が手当たり次第にプレイヤーを襲っているこの状況で、しかもその攻撃が全て即死のものだと考えると戦力的には火力が出せるボクが最後まで残ることが望ましい。
が、どうやら相手もそのことは重々承知しているようで、イナバさんを追っていたレイドボスは辺りを二、三度見回した後、ボクを見つめるようにしてぴたりとその動きを止めた。
「モミジ、ボクから離れて。外周を回って時間を稼ぐから、中央からできる限り敵の体力を削ってくれると助かる」
「う、うん。えと、そのっ、私、頑張るからっ!」
モミジが何やら決心がついたような神妙な表情をしているが、これはゲームである。戦闘不能になったとしても、戦闘が終われば勝敗に関係なく復活できる。
とはいえ、この手のフルダイブ型のゲームは没入感が凄まじいので、思わず手に汗握ってしまう気持ちもわからなくはないのだが。
さて、それでは巨大モンスターを引き連れてのマラソン開始である。
ずしんずしん、と地に響く足音を背後に感じながら、ボクは舞台の外縁をなぞる様に走り始めた。
ちなみにスキルを使うと多少なりとも詠唱時間が発生して足が止まってしまうので、基本的には呪符を用いた遠距離攻撃のみを行いながらの作業となる。いわゆる〝引き撃ち〟と呼ばれるものだ。
この方法で魔法職のボクが与えられるダメージなんて微々たるものだろうが、やらないよりはましだろう。
そして時間稼ぎにも、限界はある。
【微睡みにたゆたうクトゥルフ】の残り体力が残り数ドット。あと何度か攻撃が入れば倒れるといった場面で、それは訪れた。
「ああ、これはもう駄目かな」
ふわりと、身体が浮き上がる感覚。
気休め程度に【塗壁】で防壁を張ってみたが、敵の攻撃はそんなもの意にも介さず粉砕し、ボクの右横腹を正確に捉えていた。
眼下には底も見えない奈落の闇。どこか遠いところで、モミジが呼ぶ声が聞こえる。
ちらりと声のする方へ目をやれば、そこにはこちらに向かって駆けだすモミジと、その背後で身を捩り、光の柱に飲み込まれる邪神の姿があった。どうやら、無事にクリアできたようだ。
視界が暗転する。きっとモミジが蘇生魔法をかけてくれたのだろう。
勝利の瞬間に立ち会えなかったことは残念だが、クリアできたのならば、それでいい。復活した後、ゆっくりと勝利の余韻を味わうとしよう。
そうしてボクは、目を開ける。
そこに、笑顔を浮かべた彼女が立っていると信じて。
――ようやく、繋がった
だが、そこにあったのは温かい理想ではなく、冷たい現実であった。
「……どういうことだ」
ベランダに広がるネオンの光。飾りっけのないテーブルにソファ。一人分の食器が並べられたキッチン。見慣れたカーペット。
ぞっと、背筋に悪寒が走った。
「ようやく、会えましたね」
どこか、聞き覚えのある声が響く。
本来ここにいる筈のない、ボクがあの世界で初めて出会った人物の声が。
振り向いてはいけない。そう頭ではわかっていても、身体は反射的に声の主を確かめようと動き出す。
背後に立っていたのはまだ幼い、栗色の髪にくりくりとした可愛らしい瞳の少女が一人。
不気味なほどの、凍り付きそうなほどの優しい微笑みを浮かべながら、見慣れた光景の中に佇んでいた。
「どうして、どうして君がここにいるんだ……
くすくす、くすくす。
少女が笑う。
いつもと同じ風に、まるで無邪気な幼子のように。
――貴女を、助けにきました
この先、好き嫌いがかなり別れる展開が続くうえ、シリアス多めとなります。
申し訳ございませんが、あとしばらくお付き合い頂ければ幸いです。