爆炎が目に見えるあらゆる場所を埋め尽くした。
石が燃える。
風が燃える。
それは熱という概念そのもののように一帯を灼熱の地獄に変え通路は火の海と化した。
目がくらむような炎の壁だ。
その中から太鼓の音色を轟かせて何かがやって来た。
それがなんであるかは見えないが、大きな影のようでその真ん中に黒い姿があった。
人間の形をしたもので、人間よりずっと大きい。
オーザンの何倍も大きく、倒してきたトロルが小さく見える。
石柱の上まで焦がすわけだ。
力と暴威がその者の中に存在し、またその者の露払いをしているように思われた。
その者は火の絶壁のきわまでやって来た。
火はまるで雲がかぶさってきたかのように、光がうすれる。
ついでその者は炎の壁を越えた。
焔は迎えるようにごうごうと燃え猛り、それにからみつく。
黒い煙が渦を巻いて立ち上がった。
たなびく鬣に火がついて、その者の背後に赤々と燃え上がり全ての方位を焼き焦がす。
その者の右手には切先鋭い火の舌のような刃が握られ、左手には生き物のように鳴動する鞭が握られていた。
ガンダルフの魔法に隔たれた顔や服にこびりついた血糊が瞬く間に乾いて黒い粉が体から散る。
魔法の防壁に守られているはずの体を内からじわじわと蝕む。
原初の炎は神代の力そのものだ。
肉体だけでなく魂を焦がしていく。
脆弱な魂魄はバルログの吐息だけでも消しとんでしまうだろう。
「獲物に不足は無いよな」
いつもより艶がいい愛剣は肯定するようにぶるりと震えた。
この剣に口があれば、快なりと言ったことだろうか。
押し寄せる熱に逆らい踏み出した。
埒外の化生のものに温存も出し惜しみもすまい。
斬り伏せるつもりで渾身の一刀のみ。
不遜な男にバルログは剣を向けた。
炎の剣を水平に払う。
巨体からは想像できない速さだ。
距離をとる隙がない。
両手で保持したセレグセリオンを全力でぶつける。
一瞬すらつばぜり合いを保てずオーザンは吹き飛ばされた。
通路の壁に背中から激突して息を絞り出された。
「ぐっ!」
一合で理解した。
力比べは負ける。
腐ってもマイアだ。
格が違う。
続いて燃え盛る鞭が息を整える暇もなく飛んだ。
びゅうとしなった鞭が空中で十六に枝分かれして逃げ場を奪う。
鞭が絡まったら最後、右手の剣で串刺しにされる。
三本を弾いてひねり出した隙間に体を置いて無理やりかわし後ずさる。
避けに徹すれば不可能ではない。
炎剣が壁をかすめて彫られた芸術的なレリーフがどろりと溶けた。
バルログの炎剣は壁や天井を溶かして振り回せ、間合いを自由に使える。
狭い場所では勝ち目はない。
これではいずれ押し込まれる。
前方宙返りで炎剣を飛び越しセレグセリオンの間合いに強引に持ち込む。
勢いづかせないように奇襲する。
「らぁっ!」
着地に合わせて振り下ろした魔剣が黒いもやに包まれたバルログの左肩に埋まる。
マイアを斬るのは初めてであるが、万物は斬れるように斬れば倒せる。
確かに硬いが魔剣士の技巧はそれをしのいだ。
人の世に忘れられた神代の技はバルログの外殻を割り、切っ先から半分の深さまで刃を通して反対の腹へ振り抜いた。
溶岩の体液が噴き出しても追いすがる炎剣は鈍らない。
これがトロルならば臓物が溢れて絶命するものだが、バルログに痛痒すらも感じさせるには至らなかった。
中つ国に降り立ったバルログは形をとっているためセレグセリオンなら斬ることができる。
しかしマイアの本質はひたすらに膨大な魔力が圧縮されたものであり、元の形など無いに等しい。
事実オーザンの瞳に映ったバルログの霊体の傷は嘘のように浅く、筋が入っているだけだった。
「参ったな」
傷を負わせたくば肉体だけでなく魂を斬らねばならない。
しかし硬く厚い化身の肉体を斬らねば魂は斬れない。
でたらめな存在をまがりなりにも斬れているのはひとえにセレグセリオンのべらぼうな切れ味とガンダルフの命を吸ったおかげだ。
セレグセリオンは十全な技であればわずかに魂を傷つけられる。
神話の戦争を生き抜いた己に生意気にも傷をつけたちっぽけな半エルフに、バルログは激昂した。
がむしゃらに炎剣を振り回して荒ぶる。
オーザンの神がかった剣術をもってしても全ては受け切れない。
ガンダルフの魔法の防壁は奴から漏れでた熱や火の粉は防げるが攻撃の意図を込められた剣や鞭は、食らえば破られる。
床を蹴飛ばして壁を走り死地を逃れる。
岩壁をこすって迫る鞭を壁から天井へ駆け昇って振り切る。
バルログは獰猛に吼えた。
追いかけて剣を突き上げる。
明確な意図が欠けたぬるい動作を見逃すオーザンではない。
成熟したエルフの戦士には壁や天井すら大地と等しく、技が曇ることはないのだ。
逆さまになっていてもしっかりした足元がある。
天井を蹴って飛び下りざまに剣を握った指を削いだ。
着地して離れた直後に燃える血が降り注ぐ。
行き掛けの駄賃に斬った首筋から流れた体液だ。
流し斬りで殻の隙間を狙った攻撃はそれなりに痛手を負わせたようだ。
バルログは首に手をやって撫でている。
「それで倒せるなら苦労はねえよな」
奴の血がもう止まっている。
されど血が出るならいつか殺せる。
怒りに任せた炎剣に合わせて魔剣を振る。
同時に炎のマントに一歩踏み入れる。
刃をぶつけ合うのではなく、それを掴む手首の一部に繊細な剣さばきで滑りこませバルログ自身の腕力を利用して自滅させてやった。
バルログがひるんでたたらを踏んだ。
右手首に半分ほど切れ目が入っている。
「こちとらか弱いエルフだ、せいぜいインチキさせてもらう」
軽率の代償を支払った炎の悪魔の魂が先程より傷ついている。
正面からこの重さに逆らうのは難しいが流すことなら出来なくはない。
指を落とせたなら、手足ももぎ取れる。
殺せないまでも動けなくしたらどこぞの谷底にでも突き落としてさようならだ。
勝利条件が緩くなって勝機が見えてきた。
このまま引き付ける。
「かかってこい!」
しかし予想外の負傷をしたバルログはかえって冷静になった。
挑発に乗らず落とした指を拾って溶岩を接着剤にしてくっつけると、体をむずむずと揺らした。
ばさりと漆黒の翼が広がる。
周囲の炎を吸い込んで上体はさらに厚く太くなる。
「おいおい、飛ぶのは聞いてねえぞ……」
黒い翼が羽ばたく。
一本道に逃げ場は無い。
通路いっぱいの燃える体当たりを全身に浴びた。
押し込まれる。
廊下を突き抜けて背中で広間の石柱や小部屋を貫いた。
どこかの広間の天井を砕いて上層階へ運ばれる。
バルログが羽ばたく度に何かにぶつかり、脱出できない。
「があああああっ!!」
胸は炎に焼かれ、背中は岩に叩かれて苛まれた。
何かに引っ掛かって落ちるまでモリアを何層も突き破った。
土と岩と鉄の暴風でそこらじゅうで崩落と倒壊が起きている。
体のあちこちが痛い。
もうろうとした頭を振って居場所を探る。
くすんだ鎧や斧が棚に並んでいる大部屋だ。
オークが盗んでいないならミスリルの武器庫か。
そこに突っ込んで木っ端微塵にして止まったらしい。
木片と武器の欠片が手足に食い込んでいるのが痛みの原因か。
服は燃えた上に破けてひどい身なりになったが剣を放さなかっただけで上出来だ。
「これじゃあ格好つかねえな」
埋もれた体を起こして腹をくくる。
機を見て逃げる選択肢は消えた。
どこぞの風穴を通って地上に出てしてしまえば怪物は指輪を追って仲間たちの背中に食らいつくだろう。
なおさらここで仕留めねばならなくなった。
バルログが崩落した壁を突き破って潰し損なった獲物を抹殺しに戻ってきた。
鞭が柱を砕いて横薙ぎに飛来する。
とっさに剣を逆手で肩にあて盾にするが脚に力が入らない。
「ウゥ!」
踏ん張りが利かず鞭に撥ね飛ばされ壁に叩きつけられた。
乱れ舞う火の鞭をほぼ無意識で防ぐも芯まで響く衝撃が脳天を痺れさせる。
反撃しようにも距離を開けて鞭のみに徹されると足を殺されたオーザンにはなすすべがない。
オーザンも桁外れの頑健さを誇るが、古き上位者との地力の差が如実に表れはじめた。
まずは息を整えて足を癒す。
それから反撃に移る。
奴は油断している。
極めて冷静に戦況をそう分析し、体力を回復させるべく必死に防御に努める。
無数に別れて惑わす鞭を見切り本命の炎剣をかろうじて受けた。
不完全な技では力を流せず毬のごとく打ち上げられて天井に衝突する。
砕けた彫刻と共に地に落ちた。
奴の怪物ぶりを改めて認識した。
これがマイアか。
力も速さもまるで敵わない。
第1紀の前から生きるバルログにとってこの時代のエルフや人間など虫けらと同じで、弱者でしかない。
傲って当然だ。
人を噛み殺せる蟻などいない。
逃げ回っても踏み潰してしまえばおわりだ。
それだけ存在の格が違う。
はらわたのどれかが傷ついたのか喉から血がせりあがる。
「ぐ、ふ」
形勢は大きくバルログに傾いた。
今やオーザンは身体中がバラバラになったような痛みに襲われていた。
勝利を確信して悠然と闊歩するバルログを彼方に世界がぼやける。
血が流れた過ぎたのか、ぼんやりとつかの間の夢を見た。
昔の暮らしの夢だ。
兄をオークに殺された少女が村にはいた。
血縁でいえば自分の親戚にあたる。
エルフの血が濃く、厳しい実戦を経験して力強く育った彼女は復讐に命を賭けた。
良い戦士へと育って思うまま復讐を果たし、最後の朝に彼女は討たれ骸を晒した。
その死に顔が晴れやかだったか絶望だったかは覚えていない。
そういうことを沢山見てきた。
終わらない悲劇に空を呪ったりもした。
どれだけ悪態を叫んでも応えなかったのだから、ヴァラールはほかのことに忙しいのだろう。
敗北を認めて自死を選ぶにしても、そんな相手に命を返上してやるのはまっぴら御免だ。
戦うことを選んだ。
重々しいバルログが歩くといちいち炎が広がる。
火は好きじゃない。
特に誰かを燃やす火は。
家族を火葬した夜を思い出すから。
「俺はなんて、弱いんだろうな」
もっと力があれば守れたのだろうか。
考えてもわからなかった。
だから考えるのをやめた。
オークを殺している時だけは悲しさが薄れるとわかったら、躍起になって殺した。
手のひら返しで神託を信じたのは救いを求めてだった。
殺しても殺しても空っぽの心を満たせる何かが欲しかった。
サルマンに同盟を持ちかけられたときは野望の空しさをあざ笑った。
賢者を名乗るものが、箱庭を欲しがることに夢中でそこに何を作るかを考えていなかった。
大きいオモチャを欲しがる子供と変わらない。
裂け谷で仲間を得て、大いなる使命を帯びた旅が始まった。
それぞれ背負うものがある九人の勇者。
始めこそ態度が固かったが打ち解けていくらかの身の上話が済むと、彼らを守りたくなった。
自分には無い、誇りを持つものや愛するものがいるものに、同じ思いはさせたくない。
もう一度何かを守れるなら、今度こそ守りきってみせる。
節々がほどけそうな体を奮いたたせ、剣を杖にして立ち上がる。
「ここが俺の旅の終わりでも、お前だけは倒す」
目は見えるし手足も付いている。
まだ戦える。
血を吐き捨てて息を吸う。
魔剣が急かしている。
真なる解放をせよ。
決意をもって我が名を呼べ。
いままでにない強い意思の発露に戸惑いも驚きもしない。
両手で魔剣を握り、ただ告げる。
「目覚めろセレグセリオン、たんまり吸った分を吐きやがれ!」
仕事忙しいすぎぃ!
残業百時間とか頭きますよ…(憤怒)
同時展開の
エログロ全開ハードコアチャンバラ破戒武侠伝
「剣戟魔界都市」もハイよろしくぅ!
https://syosetu.org/novel/303761