ほぼ垂直の壁面を蹴って真下へ加速する。
赤々と燃えて目立つバルログへまっ逆さまに。
ほうほうの体で落下する巨体の背中はがら空きだ。
絶好の好機。
一際強く加速して空気の壁を破り片羽根に一撃を浴びせる。
なりふり構わずのひと振りは万全とはいかずとも黒翼の七割がたに切れ込みを入れた。
片方だけちぎれかけて平衡を失ったバルログは体勢を大きく乱して壁に激突する。
苦し紛れに鞭で捕まえようとするがもうその位置にオーザンはいない。
「いい加減に往生しろや!!」
闇雲に四肢をばたつかせるバルログの死角を飛び回り、胴と言わず手足と言わず傷つけセレグセリオンに血を啜らせる。
苦悶の嗚咽を漏らす喉をかき切る。
バルログの体にまとわりついた炎が映る壁が消えた。
大きな空間に出たようだ。
オーザンも気を回す余裕はない。
血みどろでもみ合うオーザンとバルログは引かれるがままに地底湖に落ちるのだった。
水柱を立てて水中没すると湖の冷たさとバルログの熱量がせめぎあい、じゅうじゅうと水を沸かす。
さしものバルログも天敵の水には敵わず火が消える。
生命の証である炎を奪われるのはバルログにとって痛手となった。
これはたまらんと翼を閉じて腕で水を掻き浅瀬へ泳いで逃げる。
熱湯になった水面から顔を出したオーザンも後を追う。
体が壊れたのかガンダルフの魔法が残っているのか、熱さは感じない。
先に足がついたバルログは走って大洞窟を逃亡した。
遅れて岸に着いたオーザンも逃げ去った方向へ追走する。
真っ暗闇もエルフの目には昼間も同然だ。
バルログからべたべたした体液が滴り尾を引いて格好の目印になっていた。
傷を癒す暇など与えてたまるか。
羽毛のようだった体が、濡れて肌に張り付いた服の重さを感じる。
常に斬り続けなくてはセレグセリオンの祝福はじきに途絶える。
効き目が切れるか、それとも体が完全に壊れるか。
どちらも差し迫っている。
これは時間との戦いでもある。
焦りを圧し殺して湖畔の横穴から別の洞窟に入った。
この先が騒がしい。
神経を集中して用心深く、しかし大胆に突入した。
バルログの吐息だけが唯一の光源の暗い世界は奇怪な生き物が跋扈していた。
「なんだありゃ?」
とんでもない奇妙な光景だ。
水気を含んでぬらぬらとした黒い体表に変化したバルログの足回りに、オークとも全く異なる生物がたかっていた。
オーザンより大きいものから、ホビット並みとまちまちで、まぶたのないぎょろりとした目玉が三つだったり紫色の肌をしている二足の異形だったり、姿かたちにまとまりはなく不気味なことだけが共通している。
ここはいやはての石の土台。
エルフより先にアルダにいたものたち、名前を持たぬ者たちの住まう場所。
物知りなエルフや地下で暮らすドワーフにもほとんど知られざる妖しき地の果て。
ヴァラールがこしらえたのではない者らが這いずりまわる、何もない底の底だ。
闇でも光でもなく、名前を持つ者たちとは何の関わりも持たず、価値観も共有せず、ただ単に存在するのみ。
侵入者を拒む彼らはバルログすらなにするものぞと襲いかかった。
強靭な殻に防御を任せて歯牙にもかけず折れた片翼をひきずり少してもオーザンから離れようとした。
屈辱だが自由を得るためには我欲を捨て置く。
何を代償にあの非常な力を得ているかはわからずとも、長くは持つまい。
また弱るまで逃げの一手をバルログは選んだ。
名前を持たぬ者たちの掘ったトンネルに体を窮屈そうに縮めてまでいくつも穴を通り抜けた。
原始的な石斧や鋭い爪牙で挑む異形を難なく轢き潰していくが逃げ足はやや鈍った。
名前を持たぬ者たちに手間取るバルログの背中をほどなくして捉えた。
魔神は逃げ惑い、はるか昔に崩落した岩石を体当たりで突き破った。
そこには新たな空間が待っていた。
鉄と黒曜石で出来た柱から足場が螺旋に連なる階段を灯籠で輝く水晶が輪郭を照らす。
オーザンが横に十人並んでも裕に登れる幅の巨大な螺旋階段が垂直にどこまでも伸びていた。
バルログはそれに駆けつけた。
これぞモリアに隠された無限階段。
上は霧降り山脈のケレブディルの山頂から下は地底までを貫く。
ドワーフの建築物とされるが、いつからあるのか誰が何の目的で設えたのかも言い伝えにはならず、第3紀には実在を疑問視されて全てが謎に包まれていた。
霧降り山脈の地下を余さず戦場にしたバルログが果ての果てにあった無限階段に最後に逃げ込んだのも偶然ではなく必然なのやもしれない。
必死に逃げるバルログをオーザンが追撃する。
爪とセレグセリオンが何百合と打ち合う。
狭い場所ならオーザンの独壇場だ。
螺旋階段が存在する縦穴の壁から天井まで足場に使い猛攻を仕掛ける。
炎を失ったバルログでは縦横無尽に飛び回るオーザンを捉えられず傷が溜まっていく。
それからもうどれだけ戦ったのだろうか。
上から太陽の光が届くまで登って登って登り続けた。
体が重い。
まだバルログを葬るには至っていない。
砂塵舞い上げて螺旋階段を登るオーザンを異変が襲う。
「……?」
息を吸うとむせかえり、喉に熱いものがこみ上げた。
歯を食い縛っても耐えきれず、血の塊を口から吹いた。
「がはっ……」
視界も赤く眼からも血が流れている。
体のあちこちが激痛を発し始めた。
「いよいよガタが来やがったな」
体を包む光は残っている。
蓄えた力はまだ枯渇していないが本来負っていた傷がセレグセリオンの能力の範囲をはみ出した。
悦楽を覆すほどの苦痛を受けているということだ。
セレグセリオンの祝福をもってしても、ついに誤魔化しが効かなくなった。
ここまでよく持ったほうだ。
光のエルフの直系であり鍛え上げたオーザンの桁違いの生命力でなければ地底湖に落ちる前に体が壊れて息絶えていただろう。
「なんのこれしき……」
震える手を精神統一で抑えて息を整える。
これ幸いとバルログは距離を稼ぐと、無限階段の頂上に蓋をする木組みの格子を殴り壊して白日の元に出て行った。
「まずいな……」
皮が破れ血塗られた手で柱に寄りかかり、階段を地道に昇る。
階段の果ては天然の岩石をくり貫いて建てた塔に繋がっていた。
補修もされず野ざらしで風化したそれをバルログは容易く打ち崩して晴天のケレブディルの頂点に躍り出た。
高台によじ登ると行く手を見極めようと真っ白な雲海を首を巡らしている。
翼は奪ったが山を下られるとどうしようもなくなる。
「逃げるな臆病者! かかってこい!!」
綻びる体に鞭うって走り挑発する。
嘘のように剣が重い。
体が言うことを聞かない。
木屑を押し退け魔剣を地面に擦り付けて耳障りに鳴らす。
「うおおおお!」
何も考えず染み付いた動作をなぞる。
飛び上がり、ほとんど無意識で剣を振り抜くが踏み込みも力の練りも足りない。
いかにセレグセリオンといえど精彩を欠いた技ではバルログの外皮を断ち切れず刃が表面を滑る。
防御の動作も重く、いいように殴られなぶられる。
「があっ!?」
思い切り腹を蹴飛ばされた。
ケレブディルの白雪に血を撒き散らしもんどりうって壁に激突した。
塔の内壁を突き破って崖っぷちに倒れ伏したオーザンは割れた煉瓦に埋もれ、くすんだ意識でまだ手立てを探した。
何千回斬っても死なないなんておかしいだろうが。
道理から外れた化け物め。
どうすればバルログを倒せるんだ。
折れた足で立てるか。
胸が潰れた。
息が出来ない。
身体中で痛まない所なんて無いぞ。
くそ、頭が働かない。
腕は付いているのか。
たぶんまだ剣を持っている。
まだ俺は生きている。
倒す。
必ず倒す。
目はそこそこ見える。
片方の耳だって聞こえる。
奴とて決して不死身じゃない。
もうひと押しだ。
立ち上がれ。
さあ立て。
「ぐ、が……」
赤く染まった煉瓦を押し退け立ち上がった。
魔剣の加護も失せ、死んでいないのが不思議なほどの半死半生の有り様だ。
左耳は大半が千切れた。
手の指は折れるか曲がっている。
脛から骨が飛び出している。
肩や胸の形がおかしい。
浅く息をするだけで鼻や口から血が迸る。
ここまで追い詰められたのは生涯でも経験がない。
だがまだ生きている。
諦めてはあの世で待つ家族に合わせる顔がない。
「……まだだ。俺はまだ生きている」
死の縁をさ迷いながらも睨みを利かせ、なおも剣を引きずって抗うオーザンの姿に、バルログは恐れを覚えた。
二の足を踏む。
絶対的な死を前になぜ立ち上がる。
なにがそうまで駆り立てる。
なぜ絶望しない。
奥の手も破られもはや死に瀕した体を突き動かすそれはなんだ。
未知の執念にバルログは誕生から幾星霜を経て初めて恐怖という感情が芽生えた。
新しき世代でありながら、爆発力は上のエルフでも上位に比肩するものであった。
明暗を分けたのはわずかな格の差だ。
放置して去れば勝手に死ぬ。
しかし万が一、己にここまでさせた半エルフが生き延び、何らかの方法で生命の格を上げた場合、さらに恐るべき難敵に成長して再度立ち塞がる。
未来を慮ればこそバルログは逃げるのをやめた。
今後の安息のために、このケレブディルの頂で確実に止めを刺しておかねばならない。
「そう来なくちゃな。今から大逆転してやるぜ」
良い手を思い付いた。
正真正銘、最後の悪あがきを見せてやる。
セレグセリオンは手の中で短く低く不機嫌に鳴いてそれを否定した。
「とぼけんな。出来るだろ」
貯めていた血とイスタリの膨大な生命力までも長い攻防で解き放ったが、まだひとつだけ残っている。
それはこの命そのものだ。
むき出しの胸を曲がった親指で小突く。
エルフに約束された無限の命は、肉体が傷ついた今もなお燦然とここにある。
そいつを吸いとり煮詰めて使えばまだやれる。
明日はいらない。
三千年も生きたなら十分だ。
家族を護るために若さを捧げ、二十年と生きられなかった子供たちを思えば長すぎる。
光のエルフの血筋はさぞかし上等な燃料になるだろう。
命を吸い、肉体へ還元する。
セレグセリオンの特性ならやってやれなくはない。
いちかばちかの賭けをセレグセリオンは強く拒否した。
ただでさえすり減ったそれを使いきれば、オーザンの絶命は確定する。
セレグセリオンとてバルログを倒したいのはやまやまだが次なる使い手を期待出来ないこんな所で朽ち果てたくはない。
「いいからやれ」
構わない。
有無などいわせるものか。
契約の決定権は俺にある。
「お前に全部くれてやる。俺の命を燃やせ」
魔力をふんだんに含んだ血に宿った強制力が不退転の決意に反応して契約は強引に履行される。
血が燃える。
無尽蔵に力が汲み上げられる。
逆流する命の膨大さに肉体が弾けそうだ。
肉を通さずして意思だけで体が操れる。
古代のエルフはこんな身体をしていたのだろうか。
これならやれる。
「今さら逃げるなんて言うなよ。死ぬまで踊ろうぜ」
冷たかった指先に力が宿り、意識は明瞭に透き通っていた。
体バキバキ、寿命ゴリゴリ。
魔剣「お兄さん許して!」
同時展開の
エログロ全開ハードコアチャンバラ破戒武侠伝
「剣戟魔界都市」もハイよろしくぅ!
https://syosetu.org/novel/303761