山頂で一服するのは諦めた。
額の生傷を拳でこすり気持ちを切り替える。
「……行かなきゃな」
パイプと草の革袋を丁重に懐へ入れ、セレグセリオンがしっかりベルトで留めてあるのを確かめると銀世界の急斜面に踏み出した。
焦げていた髪や服の端を風がさらっていく。
岩が迫る。
身投げ同然の崖もオーザンの人間離れした俊敏さを活用すれば走れなくはない。
落下の所々で速さに合わせて足をついて、水面を跳ねる飛び魚のように雪の上を自由落下に近い最大速度で走り、蹴られた雪がぱっと散る。
負傷しているが我慢すればいいだけの痛みより取り返しがつかない時間を優先して合流を急いだ。
道なき道の最短距離を東へ下りていく。
不意に膝から下の感覚が消失した。
「あらら?」
足がもつれ絡まり倒れる。
ついた勢いで頭から雪の中に突っ込み、小規模な雪崩を起こして流された。
上も下もなくもみくちゃになる。
突き出した岩場にあたって止まるまで斜面を転がり落ちた。
「ぶはっ」
雪を掻き分けてなんとか顔を出し、周りを掘って体を出そうとするが上手くいかない。
蛇のごとく腹這いでうねって雪溜まりの上に上がり、立とうとするが立てない。
足腰は鈍く痺れて言うことをまったく聞かなかった。
その痺れはじわじわと腰までのぼってくる。
感覚としては砂漠で流砂に吸い込まれていくようにも近いが、もっと重く抗えない。
息も苦しくなって突っ伏してしまう。
剣の修行が足りなかった若い頃には生死をさ迷う大怪我も何度かしてきたが、こんな感覚で苦しくなる経験はしたことがない。
一体体にどんな異変が起きたというのか。
「なんだよ……何が起きてやがる」
バルログに止めを刺す間際にセレグセリオンに一気に命を吸わせて放出したのが不味かったか。
それとも酷使に耐えかねた体のどこかが追加で壊れたのか。
心当たりが多過ぎて絞れない。
手の感覚も先の方から薄くなっていく。
倒れたまま目だけ動かして見たところ足も付いている。
そうこうしているうちに目も動かせなくなり意識が黒ずみ眠るように暗やみに落ちていく。
血が凍えるほど冷たい。
「こりゃやべえ……」
これが魔剣の代償か。
俺は死ぬのか。
死線は何度も超えた。
今さら死ぬのは怖くない。
しかし指輪の仲間たちだけが心残りだ。
指輪は奪われていないだろうか。
無事にロスローリエンへ着いただろうか。
オークは、サルマンは、サウロンは、フロドは。
そこでオーザンの意識は途絶えた。
木浴場に浴槽は置かれていなかったが最適な暖かさの透明な湯がこんこんと流れ落ちる樋があり、汗と埃を流して存分に肌を潤した。
体をしっかり温めるとフロドも心のくすみが洗われたように体調が改善されて足が軽くなった。
清潔な服を着て血をしっかりと巡らせ腹の虫もぐうと鳴いた。
「ふふっ」
空腹まで忘れていたのがおかしくてフロドは小さく笑った。
「お腹……空いたなぁ」
金色の木々が覆う天蓋をみているとメリーが抱きついてきた。
「やっと喋ったな。ずっと黙ってるから口が無くなったんだと思ってたぜ」
「もうすぐご飯だけど、それまでこの果物を食べてていいんじゃない? ほら、梨もあるよ」
すかさず銀の盆からピピンがいくつか果実を持ってきた。
「俺が剥きますよ」
サムが小刀を出してせっせと梨を剥いて切り分ける。
この四人だとホビット庄にいるような気がしてくる。
友達と一緒にいられるのが今はとても大きな幸せなのだとわかった。
「皆が居てよかった」
フロドは誰にも聞こえない小さな声でひとりごちた。
アラゴルンは小さき者の美しい友情に心奪われた。
「喜びも苦しみも分かち合える。心を許せる友はなんとも素晴らしいものだ」
重みに耐えてよくやっているフロドの隣に友がいるのは大きな支えだ。
心を通わせた幼なじみだから触れ合える痛みもあるだろう。
「メリーとピピンがついて来たのも間違いではなかったようじゃな」
ケレボルンと各地の様子を話し込んでいたガンダルフが戻ってきて微笑む。
果物を摘まんで紛れさせていたもののさして腹に溜まるものでなく、食事を今か今かと待っていた。
木の葉のせせらぎと共に、案内役が戻った。
「長らくお待たせしました。用意が整いましたのでご案内いたします。どうぞこちらへ」
待ちに待った食事だ。
突っ伏していた石の円卓からいの一番でピピンが飛び起きて駆け寄った。
「待ってました! もう僕、お腹と背中がくっつきそうだったよ!」
エルフには見られない活発な陽気さに案内役は目を細めて微笑んだ。
「ふふ、面白い表現ですね。ホビットの心の豊かさの表れでしょうか」
エルフはくすりと笑う。
呑気なピピンでもどきりとするほど無垢でいやみのない笑顔だった。
「さあこちらへ」
手振りを合わせて瀟洒な身のこなしで木々を繋ぐ足場へと誘った。
ホビットはすきっ腹をさすり、うきうきで案内についていく。
「どうにも嫌な予感がするぜ」
ギムリは半信半疑で椅子を立った。
裂け谷の時とは違い、やけに炊事の煙のにおいが少なかった。
宴会に付き物の酒と香辛料と油の香りもしないのが引っかかる。
それらはドワーフにとって穴堀りや加工品のこだわりと同じほど人生で重要なことだ。
「上のエルフの食べ物はドワーフの体には毒だと思うなら食べなくてもいいんじゃないか?」
「……食わんとは言っとらん!」
うそぶくレゴラスにからかわれたギムリはそっぽを向いて腹が鳴っているのを隠した。
「腹が減ってるんだ、形があれば何でも美味いさ。光のエルフとて霞を食べて生きているわけでもあるまい」
執政家に生まれても常に戦乱の厳しさに身を置いてきたボロミアとしては、美味いにこしたことはなくても腹に収まるならなんでもよかった。
わいわいと会食用に出された長机に座った。
「良いか悪いか分からぬが、知らせがある」
全員が着席して落ち着いたのを見届け、ケレボルンが切り出した。
「ケレブディルの頂での決戦が終わりました」
ガラドリエルは儚い口調で見たことを話した。
霧降り山脈の頂で巻き起こっていた炎と雷の嵐が収まり静んでいたと告げる。
ぴしりと緊張の糸が走り、空腹が飛んでいった。
「では、バルログとオーザンのどちらが勝ったのでしょうか?」
アラゴルンは訊きづらいことをあえて質問した。
「炎は絶えました。バルログは討たれ、滅されたようです」
仲間たちは色めき立つ。
上古の戦士も手を焼いたバルログを今世の半エルフが仕留めた。
詩人の饒舌な歌い口にも語り尽くせぬ栄誉だ。
「あいつめ、やったのか!」
思わず拳を握りしめたボロミアが感嘆する。
「しかしあれほど眩しかったオーザンの命の気配もまた、感じません」
続くガラドリエルの言葉に沸き上がる歓喜がさっと冷め、冷静さを取り戻した。
「相討ちであると?」
アラゴルンは笑顔を消して詳細を欲した。
「あるいは生きているのも感じられないほどに弱っています」
遠くの山と空を見つめたガラドリエルは命の兆しを見つけられなかった。
「なんということじゃ……」
なんとかオーザンが生きているとしても、その様子ではここまでやってこれるかは絶望的だ。
ガンダルフは額に手を当て俯いた。
「助けに行こう」
「駄目じゃ、西へは戻れぬ。オーザンがなぜ殿を務めたか思い出すのじゃ。我々はより安全に一刻も早く指輪を捨てねばならん」
フロドの提案を魔法使いははっきりと拒否した。
オーザンが生きていても、オークがひしめくモリアへ逆もどりするのは愚の骨頂。
飛び込むのはどんな道化も断るだろう。
「小さき者よ。そなたが信じた男はバルログに立ち向かい、見事討ち果たした。ならば今一度信じてもよかろう?」
ケレボルンもこれをたしなめた。
エレギオンがサウロンに攻撃されたとき、ケレボルンは軍勢を率いて抵抗し、その後エルロンドの軍勢と合流したが、サウロンの大兵力のためにエレギオンを救うことはできず失陥する辛酸を嘗めた。
苦楽を共にした友人を失いかける苦しみはいまだに記憶に新しい。
だが勝利を得るには大局を見失ってはならない。
「無事を祈ろうではないか。ガンダルフの言うとおり、指輪を捨てる事がなにより先決である」
そう締めくくると銀の蓋がされた皿が運ばれそれぞれの前に置かれる。
フロドは机を見つめて今すぐ探しに行きたい衝動に駆られる心をなんとか押し止め、オーザンになにもしてやれない無力を恨んだ。
隣のサムが肩を抱いて無言の中でフロドと共に悲しみと悔しさと戦った。
「耐え忍ぶこともまた戦いです」
ガラドリエルのとりなしで食卓の支度が再開し、整えられた。
「では、どうぞ御上がりなさい」
蓋を取り除かれた皿に並んでいたのは、平たいパンや小粒の木の実であったりと豪勢さの欠片も無い精進料理のようであった。
「ええ……」
期待していた炙り肉やスープのご馳走とは正反対の慎ましさにピピンは興ざめした声が出た。
ボロミアのような年かさのものはうまくその感想を腹の底に留めておけたが、油っ気を楽しみにしていたホビットやギムリは顔に出してしまった。
レゴラスやガンダルフ、それに裂け谷に関わりが深いアラゴルンはそれらが現代ではほとんど見ることが叶わないとても貴重なものであると知っており、別の意味で驚いていた。
「人間の食べ物と比べると、華やかさに欠けるやも知れぬな。落胆させてしまったか?」
ホビットとギムリのそれは王族を前にしてあまりに失礼な振る舞いだが、ケレボルンは気分を害さず鷹揚に苦笑して詫びた。
人間が普段食するものとの違いからこの反応も予想はしていた。
「食べごたえはないかも知れませんが、体にはよいものです。召し上がればおのずと分かりましょう」
ガラドリエルに勧められて、ピピンが平たいパンを頬張った。
粗びきの粉でできたパンは深い甘味でさくさくとしており、焼き菓子よりも香ばしくしっとりした味わいであった。
白い木の実は薄い塩味に整えられ、小粒だが濃厚な旨味で不思議と疲れがとれ気力が満ちる。
皆で夢中になって手と口を動かした。
「むむ……」
どれもこれも、油の滴るような肉以外は食べたくなかったギムリをしてけちのつけようがなく唸るばかりの逸品であった。
小さい体に流し込むように詰め込んで食べ終わってしまったピピンが気まずそうに訊く。
「あの、おかわりって……あります?」
味わったことのない美味には感激したが、食べ盛りの若者の腹を満たすには、量が足りなかったようだ。
「まあ。誰かがおかわりを欲しがるのを見るなんて何年ぶりでしょうか。構いませんよ。好きなだけお食べなさい」
長らく生きると食事への渇望が薄れ、ほどよく食べて終わりにしてしまう。
ぱくぱく食べる青い若さをガラドリエルは懐かしみ、微笑んで許可した。
「やった! じゃあ、はい! これとこれとこれ!」
満面の笑顔で給仕に空き皿を何枚も重ねて渡す。
許しがでると、仲間たちは我先に空になった皿を渡そうとした。
エルフは丁寧に受け取り、同じように盛られた皿をおごそかに持ってくると一人一人に手渡した。
否定的だったギムリまでこっそりおかわりしている。
「作り方を内緒で教えてくれないか?」
ボロミアなど調理法や材料を聞き出してちゃっかりゴンドールに持ち帰ろうとしていたがやんわりと断られていた。
みるみる元気になる仲間たちに、アラゴルンは目を見張る。
「これは……?」
ドゥーネダインの王家の伝承でこれに酷似した効果を持つ行軍用の兵糧があるが、ここまでてきめんなものではなかったはずだ。
うやうやしく運ばれてきたことといい、エルフにとっても重要なものではないだろうか。
「どれもこれも滅多に食べられない希少なものばかりじゃ。旅人に与えてよいのですかな?」
エルフの暮らしを知悉するガンダルフにはそれらが非常に貴重で門外不出の料理であると見抜いた。
パンの材料の穀物は、元々アルダからアマンへ渡る大いなる旅において長い旅路の助けとなるよう、ヴァラの一柱ヤヴァンナがアマンで育つ穀物の一種から作りだし、同じくヴァラのオロメを通じて与えられたものだった。
穀物は降り注ぐあらゆる光を栄養とするため、僅かな太陽の光のみで実を結ぶ。
また寒期を除けばどの季節に蒔いてもすぐに生育した。
ただし中つ国の植物の影の下では育たず、モルゴスが住む北方から来る風にも耐えられなかった。
そのためエルダールはこの穀物を守られた土地や、日の光が当たる空き地で育てた。
穀物にはアマンの強い生命力が含まれ、食す者にその力を与える。
今に受け継がれしエルフの至宝のひとつに数えてもよい大切なものだ。
「大いなる使命を託した客人にもてなしを惜しみなどすまいよ」
ケレボルンは銀の髪をさらさらと揺らして鷹揚に笑む。
ガラドリエルもケレボルンも食事はせず、葡萄酒の杯を置いてあるだけだった。
「しかし腹をいっぱいにしてしまってよいのかね。それは前菜だぞ?」
旧友や若き挑戦者の歓待に際し、エルフたちは人間の流儀に合わせて食事を用意していた。
つまりこの後に魚やスープというコースが続く。
「なんだって!?」
左手にパンを持ったまま右手で行儀悪く白い蜂蜜酒を飲んでいたメリーが、パンを皿に落とした。
「出来る限りのもてなしをしようとあらかじめ決めておった」
「見よう見まねですが、私たちに作れる精一杯の料理です」
上のエルフが再現するアマンの食事を味わえる。
全員で嬉しい衝撃を受けた。
用語解説・人種
エルフ編
アルダからアマンへ旅をしたのがエルダール
しなかったのがアヴァリ
エルダールの中で第一陣がヴァンヤール
第二陣がノルドール
第三陣がテレリ
無事にたどり着いたノルドールと少しのテレリがアマンヤール
諦めて引き返したり考え直して行かなかったものがウーマンヤール
神木のふたつの木が枯れる前にアマンに来たのでアマンヤールは光のエルフとも呼ばれる
ウーマンヤールはそれを見られなかったので暗闇のエルフとも言う
光のエルフはアマンでヴァラールから直接指導されたので技術レベルが頭おかしい
ふたつの木のウルトラパワーを浴びて暮らしたので体の強さもおかしい
英雄クラスは山並みのドラゴン仕留めたりした
ちなみにレゴラスはテレリの中の一派のシンダール族なので暗闇のエルフという分類
同時展開の
エログロ全開ハードコアチャンバラ破戒武侠伝
「剣戟魔界都市」もハイよろしくぅ!
https://syosetu.org/novel/303761