パイプをふかしてバルコニーの手すりに寄りかかる。
漆黒の長刀を腰から下げて、ゆるゆるとくつろいでいた。
裂け谷に逗留する流浪の旅人オーザン。
訳あってここに招かれた客分だ。
「ここに居たか」
美しい黒髪を靡かせるエルフの男が部屋を訪れた。
中つ国ではずいぶんと少なくなった上位のエルフ、裂け谷の長、エルロンド。
先達にして偉大なる癒し手に敬意をこめてエルロンド卿とオーザンは呼ぶ。
フロドの治療に専念していた彼がここにいるなら、看病も終わったようだ。
「到着早々に用事を頼んで済まなかった。快く引き受けられて助かった」
「お気にならさず。これもまた、宿命のうちでしょう」
エルロンドも中つ国では力あるエルフの一人だが、清廉さ故に邪悪な気配に力を蝕まれる。
迂闊に裂け谷の聖域を出てホビットらを助けに行くわけにはいかなかったのだ。
「剣を見せてもらってもよろしいかな?」
オーザンはホビット達の直前に裂け谷を訪れた新参者だ。
自己紹介ぐらいは出来ても深い身の上話をする時間は設けられなかった。
お互いに知らないことばかりだ。
中つ国屈指の智者であるエルロンドに鑑定してもらえば、この剣の由緒もわかるやもしれない。
ただ、軽率に抜けば魔力に敏感なエルフが倒れることもありえる。
「できれば人目につかない場所がよろしいかと」
コートの中に隠していた剣を少し見せる。
鞘から迸る飢えた波動にエルロンドは顔をしかめた。
「……そのようだ。こちらへ」
エルロンドに導かれるまま、回廊を歩き、裂け谷の景色を堪能して移動する。
「初めはそなたがどのような来歴を辿り今に至るのか分かりかねた。血筋の複雑さ故だ。混血に問題はないがな。私自身も半エルフだ」
エルロンドの深い知見をもってしても、オーザンの身の上を測るのは容易でなかった。
崇高なエルフのようで、人間味にありふれた逞しき男。
混血にしても風変わりな経緯をたどっている。
「ただの混ざり物ですよ。なんのことはない」
「いや、古のエルフの欠片が君に見える。とても古い、地上にあった頃のふたつの木の輝きだ。祖にいにしえのエルフがおられるようだな」
「……祖父でしょう」
確かに祖父は神々しいほどに光に満ちたエルフだった。
気が遠くなる悠久の時、神々が地上を歩いていた神話の時代から生きているとも言っていた。
エルフとはこういうものなのだろうと思ったまま、やがて東夷やオークとの戦乱で少ない親族は散り散りになってしまっていた。
裂け谷のエルフを見るとその多くの弱々しさに驚いたものだ。
「モルゴスとの怒りの戦いで行方知れずになっていったつわもの達の一人だろうな。直々に教えを受けたかね?」
射抜くような眼差しを横から向けられて答える。
「ある日祖父が行方を眩ますまでは」
「それらはそなたの中で息づいている。大切にしたまえ」
それからいくつかの回廊を過ぎて鍛冶場に通された。
「ここなら魔力が外に漏れ出る心配はない」
格納庫も兼ねているようだ。
黄金の王笏、大粒のダイヤモンドが填められた銀冠など、並々ならぬ歴史を感じさせる物品がいくつも鎮座していた。
中でも、折れた剣にオーザンは目を奪われた。
古いが鋭利な刃は朽ちることなく、その時の姿で安置されている。
「その剣はナルシル。かつてイシルドゥアが冥王サウロンの指を切り落とし、ダゴルドアの会戦に終止符を打った」
エルロンドはひとしきり説明すると中央の炉の前の覆いを取り去った。
そこには剣を鍛えるための金床があった。
「さあ剣をここに。裂け谷の中でも最も神秘が強いものだ。安心してほしい」
ベルトから剣を外し金床に寝かせる。
中つ国では珍しい、片側にのみ刃付けをした反りのある剣だ。
全体像をまじまじとみつめたエルロンドは唇を震わせて青ざめた。
「まさかっ、かの剣はトゥーリンと共に眠っていたはずだっ!」
オーザンは剣をゆっくりと抜き、鞘の隣に添える。
四季を通して穏やかな裂け谷にそぐわぬ熱風が吹き渡った。
そこに手をかざしたエルロンドの顔はますます険しくなった。
「間違えようもない。始祖竜グラウルングを仕留め血を啜った鋼だ。どこでこれを?」
聡明なエルフは柄に触れる事を躊躇った。
それを剣が望んでいないと心に響いたのだ。
「かいつまんで言えば、神託の雷鳴と共に天より授かったものです。西で出会うものたちとの旅路に役立てよ、ということでしょう……」
「なんということだ……これもヴァラールの導きか」
エルロンドは放心して黒き刃を見つめる。
「どういう剣なのか、教えていただけるか?」
担い手として短いながらも付き合った身には聞こえる。
この剣は更なる解放を求めている。
その名を呼べと。
「この剣の元になったものには幾つかの呼び名がある。アングラヘル、黒の剣、ブレシルの黒き棘、そしてグアサング。最初の使い手ベレグの命を奪い、やがて勇者トゥーリンの命脈をも断った呪いのつるぎだ」
黒の剣。
これほどぴったりくる形容は他にはない。
「よろしければ名付けていただきたい。形を変えてまでやって来た新たな友も古き名ばかりでは辟易するだろうから」
エルロンドは迷った。
名は体を表し力を与える。
エルロンドほどのエルフが本性を言い当てることで、その性質を強調してしまう可能性もある。
しかし最終的には、目の前の、若き力あるエルフの末裔を信じて委ねることにした。
「……セレグセリオン。シンダール語で鮮血の英雄という意味だ」
「感謝します、エルロンド卿」
名付けられた魔剣セレグセリオンを握る。
黒光りの刀身に自分を映して名を呼ぶ。
「目覚めよセレグセリオン。俺がお前に相応しき舞台を整えよう」
瞬間、何かがオーザンの腕を突き抜けた。
あまりの衝撃と激痛に危うく離しそうになったがなんとか踏みとどまった。
「オーザン!」
剣が振動している。
目覚めた鳥のように鳴いているのか。
「平気です。セレグセリオンからの挨拶でしょう」
両の手のひらからは血が滴り落ちたがオーザンは笑って許し、剣を鞘に納めた。
熱風はいつの間にか収まっていた。
「……分かっただろう。その剣は使い手をひどく選ぶ。ゆめ忘れるな。ひと度選ばれたとしても、見放されれば命はあるまいぞ」
あまたの英雄の悲劇を知るエルロンドの警告に頷きセレグセリオンをベルトにかける。
「ええ、心掛けましょう」
漏れる気配をコートの裾で隠した。
これから会う者たちにこの魔剣は瘴気が強すぎる。
「戻るとしよう。そろそろ彼が起きる頃合いだ」
旅の主役たるフロド・バギンス。
彼がナズグルの刃の呪いから立ち直ったなら、会議が始まる。
中つ国の命運をかけた会議だ。