エルロンドに連れられ、オーザンは裂け谷を歩いた。
部屋から出たフロドが階段を下りていた。
「気分はいかがかな?」
「もう大丈夫です。ありがとうございました」
「それはよかった」
エルロンドは微笑み、神々しさにフロドははにかんだ。
「君がフロド・バギンスか。無事でなによりだ」
「あの、あなたは?」
戸惑うフロドの肩を抱いて前を向かせた。
「後で分かることだ。さあ、みんなが待ってる」
ホビットの小さな背丈は大きなオーザンの脇にすっぽりとはさまり、おぼつかない足元を支えた。
毒は抜けても体力が戻りきったとは言えない体を動かし、渓谷を望むテラスに歩いた。
柔らかな日が降り見通しがよく、すぐに彼の仲間たちが見えてきた。
「ガンダルフ!」
フロドがオーザンの手を離れて走り出す。
「おおフロド、無事じゃったか」
まず手前に魔法使い、灰色衣のガンダルフ。
好好爺然とした彼は背が高いのですぐにわかった。
「旦那様!」
「やった、フロドが起きた!」
「見りゃ分かるよピピン」
それから三人のホビット。
太りぎみな従者、庭師のサム。
パイプを咥え、気の抜けた顔でいたピピン。
神妙な顔をしているメリー。
親友たちはフロドの体にまとわりついて喜んだ。
「遅かったじゃないか、やっとお目覚めか」
偏屈そうなドワーフが言った。
樽のような体に斧を預けて座っている。
紅葉舞う奥のテラスに円座で据えた椅子には各種族の代表者がずらりと並ぶ。
人間、ドワーフ、エルフ。
その端にガンダルフと並んでフロドを座らせた。
その後ろでオーザンは手すりに寄りかかる。
空いていた穴にエルロンドが立つ。
「遠来の見知らぬ友、そして古き友よ。この度はよくぞ集まってくれた。ここに集いし全員にまずは感謝を述べたい」
深刻な面持ちに固唾を飲んで注目する。
「今日はモルドールの脅威の対策について話し合いたい。いま中つ国は破滅の淵に立ち、結束せねば奴らの力に屈し敗れる」
エルロンドは言葉を強め強調した。
「種族を問わず、同じ運命を辿る。フロド、指輪をここへ」
円の中央の石の台座を指し示した。
フロドは進み出て、ポケットから指輪を出してそこへ置いた。
一同の目の色が変わる。
「……本当だったか」
ゴンドールの大将、ボロミアが呟いたのをアラゴルンは見逃さなかった。
「力の指輪だと?」
集まった智者たちはそれが何であるか、おおまかに理解した。
強大な力を込められた魔法の指輪。
冥王サウロンが造りし驚異のパワーを秘めた道具だ。
「授かり物だ。モルドールに抗うために、ヴァラールが授けて下さったのだ」
ボロミアが立ち上がり身ぶりを交えて熱弁する。
「我が父デネソール執政の元、モルドールを退け諸君らの領地を守るためにゴンドールの民は血を流してきた。今度は敵の武器を利用してやるんだ!」
「指輪は従わん。サウロンを除いて、誰にも操れない」
力を欲するボロミアにアラゴルンは忠告した。
「
あらっぽくボロミアが言い捨てる。
「彼を侮辱するな。彼はアラゴルン二世、アラソルンの息子だぞ。君が本来忠誠を誓う相手だ」
闇の森のエルフ、レゴラスがこれに反論した。
侮るようだったボロミアの顔色がさっと変わる。
「アラゴルン? イシルドゥアの末裔か……」
「彼こそゴンドールの王位を継ぐものだ」
ゴンドールは過去に王が子を成す前に行方不明になって以来、長きにわたり執政が王を代行してきた。
アラゴルンはさすらい人に身をやつしているが、古きゴンドール王イシルドゥアの直系の子孫なのだ。
『座れレゴラス。その話は今はするな』
アラゴルンはエルフ語で止めた。
「ゴンドールには執政がいる。今さら王など必要ない」
苛立たしげなボロミアはアラゴルンを睨み付けてようやく座った。
アラゴルンとしても、この危機にその話題を持ち出すつもりはなかった。
「ともあれ、指輪は使えん。されど敵に渡せるはずもない」
止まってしまった会議の空気をガンダルフは仕切り直した。
「残る道はひとつ。葬るのだ」
エルロンドは宣言した。
「手間を省いてやろう」
せっかちなドワーフのギムリがさっと立ち上がり、帯びていた斧を振り上げる。
「無理だな」
オーザンは一応忠告したが聞く耳持たず、彼は斧を叩きつけた。
「ぐわああ!!」
ギムリが弾かれるように吹き飛んだ。
火花を出して斧は砕け散ったが、指輪は傷ひとつなくそこにあった。
転がるギムリを他のドワーフが起こしてやった。
「言わんこっちゃない」
「うるさい!」
目を回したギムリは憎まれ口を叩いて起き上がる。
ガンダルフはびくりとしたフロドに目をくれる。
「無駄だギムリ。我々の手には負えん代物だ。それを造った火山の火だけが破壊できる。つまりモルドールに潜入し、その炎の中へ指輪を投げ込まなければならないのだ」
自身もこれに類するサウロンの魔法の指輪を所持していた過去があるエルロンドは、知る限り唯一の破壊法を提示する。
「君たちの中の誰かがその使命を負う」
会議がざわつくいた。
「モルドールへ潜り込むだと? 入り口の黒門を守るのはオークだけじゃない。闇の力に満ち、息をするだけで胸を焼かれる毒の風と煙が立ち込める先にあるのは枯れ果てた不毛の大地だ。それに、あの眼が待ち受ける」
モルドールと幾度と抗争を繰り広げたゴンドールのボロミアは計画を否定した。
「一万の兵を送り込んでも太刀打ちできん。わざわざサウロンに指輪を届けてやるようなものだ」
首を振って断言する。
「エルロンド卿が言われたのだ。指輪を葬らねばならないと。それ以外に方法はない!」
レゴラスが立ち上がりボロミアの言葉を打ち消す。
「そこまで言うならお前は出来るのか!?」
エルフ嫌いのギムリが噛みついた。
「もししくじってサウロンに指輪が渡ったら我々は破滅する!」
「エルフに指輪を渡す位なら死んだほうがマシだ!」
ギムリが無関係なエルフに苛立ちをぶつけるとエルフの特使たちもそれを激しく非難する。
それを皮切りにそれぞれが主張を口々に言い出し、胸を付き合わせて怒鳴り合いが始まってしまった。
「やめよ! 今は言い争っている場合ではない!」
ガンダルフも止めに入るが会議はもう滅茶苦茶だ。
オーザンは途方に暮れているエルロンドから視線を移し、喧騒から外れたフロドを見ていた。
指輪を見て、ホビットはすっくと立ち上がる。
魔剣士は小さな背中に宿った大いなる決意を見届けようと思った。
「僕がやる」
聞こうとしない群衆をセレグセリオンを石柱にぶつけて魔力を響かせ黙らせる。
フロドに視線が集まる。
静かになった議場で勇敢なホビットは言う。
「僕が、やります。道は知らないけど」
誰よりか弱いホビットにこの決断をさせた議論者たちは押し黙った。
痛ましい決意を魔法使いは抱き止める。
「わしも重荷を分かち合おう。お前を見守っていく」
フロドの肩に手を置き、ガンダルフは告げた。
「私もゆこう。命を懸けて君を守る。剣に誓う」
アラゴルンは席を立ち膝をついてフロドに宣誓するとガンダルフに並ぶ。
「私も。弓で戦おう」
「俺は斧で」
レゴラスとギムリがそれにつづく。
含みのある視線のやり取りをするが、今は確執を忘れ仲間となった。
「これが会議の結論なら、ゴンドールは従う。フロドといったか。我々の運命は君の肩にかかったぞ」
かげりのある表情でボロミアも参加を表明した。
会議に落ち着きが戻ったところで、植え込みに向かってオーザンは呼び掛ける。
「そこの、太っちょのホビット。出てくるなら今だぞ」
会議を覗いていたサムが転がりこんだ。
朴訥としホビットに衆目が集める。
「おれも行きます」
ホビット庄から供をしてきた庭師はフロドの腕を掴む。
「そうだろうな。秘密会議にもくっついてきたのだから」
容易ならざる旅路とわかって供にならんとする、並々ならぬ忠誠心にエルロンドは感心して同行を認めた。
「待って! 僕らも一緒に行きたい!」
室内からホビットが飛びだした。
友人のピピンとメリーがフロドを囲む。
「賢いのがいなきゃ。だって、大切な旅なんでしょ?」
「賢いだって? それじゃお前は失格だぞ?」
「なんでさ!」
メリーが小突くとピピンが憤慨した。
「ここへ来るまでにもナズグルに追われてわかっておると思うが、危険で苦しい道になるのじゃぞ。着いてこれるか?」
厳しい眼差しでガンダルフは二人に釘を刺した。
「覚悟の上だよ。フロドをほっとけないだろ」
メリーは鼻息も荒く、強い決意で意志を示した。
「よかろう小さき友よ。いつか友情が役立つ日も来よう」
ホビットの絆の深さを知るガンダルフは朗らかに微笑んだ。
「俺で最後か」
成り行きを見守っていたオーザンが最後に名乗りを上げる。
「俺が混ざれば十人。サウロンと九人のナズグルとこれで釣り合いが取れる」
「ちょっと待て、お前は誰だ?」
会議に参加したもので唯一素性が知られてないオーザンにギムリが待ったをかける。
「俺はオーザン。神託に従い東の果てより流れ着いた」
「貴様、人間じゃないな?」
新参のオーザンを見定めるようにボロミアが目を光らせる。
「ふん、どこの馬の骨ともわからん奴を連れて行けるか。サウロンのスパイかも知れんぞ」
ギムリが鼻を鳴らして不信感を出す。
エルフの混血だとわかり嫌がったのだ。
「彼の身元は私が保証する。上古のエルフに劣らぬつわものだ」
エルロンドが取り持ったがレゴラスはまだ怪しんでいる。
ハーフのエルフはいなくもないが、オーザンのように何種もの混血は見たことがないのだ。
口にはせずとも警戒している仲間をアラゴルンが宥める。
「彼はフロドのためナズグル九人とたった一人で対峙した。すでに本心と実力は証明されている」
ホビットを除き全員が、ガンダルフまでも、絶句した。
指輪の魔力にとりつかれ、絶大な力を持って生きながら死んでいるサウロンの走狗。
生半可な剣では傷も負わせられず、強壮な戦士すらなすすべなく殺される恐怖の悪霊ども。
それがナズグルだ。
しかしオーザンの知ったことではない。
妨げるなら滅ぼすだけだ。
セレグセリオンの鞘を石畳に打ちつけた。
先ほどの不気味な熱風とはうってかわって清涼なつむじ風が吹き荒れる。
「信頼はこれから掴むさ。『微力ながら、道中の安全に力を尽くそう』」
エルフ語で嘘は言えない。
それを転用してオーザンは偽りなき誓いを立てた。
「それほどの戦士が仲間なら心強い」
レゴラスは破れぬ誓いで納得し、受け入れた。
仲間が集まりひとまず胸を撫で下ろしたエルロンドがガンダルフと目配せして朗らかにうなずく。
「よろしい。そなたらは指輪に結ばれし十人の仲間だ。さっそく旅の支度を始めよう」