ナズグルの襲撃を退けると北側のオークは退いていき、表面上は穏やかな船旅に戻った。
かりそめの平穏だが旅は続く。
ピピンが手慰みに何匹もマスを釣り上げるとサムがそれで晩御飯に一品追加しようと言った。
船を岸に寄せ、夜営の支度だ。
日暮が近いと夜に備えて旅に慣れてきた仲間たちはそれぞれの役割を果たす。
全員で一晩凍えないですむ分の薪を拾い集め、辺りが安全かぐるりと歩いて確かめて夕食の支度だ。
今夜はベーコンとジャガイモとニンジンのポトフと焼き魚。
ロリエンで貰った岩塩を削ってすりこめばもう最高の旨さだ。
葡萄酒もついて川辺で食べられるともののなかでは最高級のごちそうになる。
朝と昼は川で不覚にも濡らしてしまった堅パンだけで過ごしているので皆よく味わって食べた。
ほどよい塩気が船旅の空き腹に染み渡る。
全員がちょうど腹一杯になる量を作れるサムの料理の腕があってこその喜びだ。
焼き魚の串と暖かいカップを持ったレゴラスは高い枝に腰掛けて寡黙に全周を警戒していた。
仕方がないが炊事の煙は目立つ。
これもオーザンがいれば半分ですんだ苦労なのだが。
これからの道行きは二つに一つ。
オークが跋扈し、旅人を惑わす死者の沼地を通る北へ行くか、アイゼンガルドの支配する南を通るか。
明日にはラクロスの滝に到達する。
それは小舟で乗り切れるような流れではなく、はるかミナス・ティリスからでさえ遠目に見えるような大瀑布なのだ。
どちらかの岸に降りねばならない。
近辺の地理に詳しいガンダルフやアラゴルン、ボロミアを交えて夕食がてらの会議となった。
「大所帯ではナズグルのあの獣に捕捉されるであろうな。北進は賢いとは言えぬ」
ガンダルフはパイプを吹かした。
「しかし南進してもローハンが約定を守り我らを助けるという保証はないぞ? アイゼンガルドに売られるやもしれん」
白パンをポトフに浸したボロミアは反論する。
ボロミアにとってアイゼンガルドをのさばらせているローハンはとくに信用に欠ける印象があった。
南へ進路を取れば次の補給地はきっとローハン王国になろう。
情報が流され待ち伏せを受けた暁には、アイゼンガルドの軍と僅かな仲間たちで正面からぶつかっては砕け散るのは明らかだ。
サルマンはあちらこちらに密偵を放ち、謀略は疫病のように蔓延している。
騎士の国と謳われたローハンでさえ闇の手管に操られていないとは限らない。
「そうは言っても北には行けん。ドル・グルドゥアが近すぎるぜ」
焼き魚をかじるギムリはオークとの鬼ごっこに戯れるのも飽き飽きだった。
川を渡りに来ないのはレゴラスの正確な弓を恐れてのことだろう。
「信じるしかあるまい。
五百年も前にゴンドールとローハンに結ばれた初代ローハン王、エオルの誓いが忘れられていなければ、確かな支援者となってくれることだろう。
アラゴルンはそれを信じたかった。
「しかしセオデン王はサルマンに操られておる。そう易々とはいかんじゃろうな」
ガンダルフは過去にローハンを都のエドラスで傀儡となったセオデンと対峙したが、力及ばず追放される憂き目にあっている。
味方になってくれるという希望も薄い。
「どのみち北に行ったらみんな死んじまうよ。迷うことなんてなにも無いじゃないか」
お鍋からおかわりをよそうメリーが言ったのが結論だ。
たかだか九人で世界の命運を決めようとするのが無茶な話で、もうなるようになれというのが彼の本心だ。
「賛成。今夜はお腹いっぱいになって眠れるってのが、たったひとつの確実なことさ」
ピピンはフロドには肉を多めに入れて渡してやった。
「明日のことは明日考えてもいいんじゃないかい」
フロドの容態を見守ったり料理をこなしたりで疲れぎみのサムは、やや投げやりに言って片付けを始める。
空になったお鍋を火から下ろして川で洗い、焚き火の火加減をみる。
そういった細々したことは進んでサムがやってくれていた。
彼にはフロドはもとより、旅の危うさなどよりロリエンで貰ったジャガイモや玉ねぎが傷まないかどうかの方が大事だ。
「とにもかくにも南へ行こう。オーザンが一人でやってこれたというのだから、ローハン谷はそこまで危うくはなかろう」
アラゴルンはあくまで同盟を重んじる。
それに、ナズグルがいるなら北部の地獄絵図ぶりは最前線にも劣らない。
彼とは強さで比較にはならないがローハンは彼一人で通り抜けられる土地ではあったという確証のみが目の前に残っている。
協力してセオデンにかけられたまじないを祓えれば大きな支援者となろう。
ならば行くしかなかった。
「決まりだな」
食べ終わったレゴラスが枝を揺らさず降りた。
辺りに動きはない。
獣も眠っているようだ。
丁寧に食器を洗い、サムに渡した。
「まさかとは思うが、ドワーフは少しばかりのオークに怖じ気づいたのかな?」
「ふはは、草っ原のオークなど斧の錆びにしてくれるわ」
いち早く食べ終え食後の一服をしながら丁寧に斧を研いでいたギムリは、レゴラスにからかわれても激することなく不敵に笑う。
ロリエンでの時間が二人を軽口を叩きあえるほど親密にしていた。
反目する種族の宿命を越えた友情を築きつつある。
ボロミアは腹ごなしにメリーに剣を教えてやった。
ピピンは一日中の釣りで疲れていたのでもう横になっており、メリーだけ教えるなら片手で足りる。
「そら、片手で相手をしてやろう」
「言ったな! 小馬鹿にしやがって!」
もう片手にはパイプを持って、余裕綽々でさばいている。
超人的なオーザンや英雄王の末裔であるアラゴルンの凄まじい技量に隠れてはいるが、彼もまた紛れもないひとかどの英雄なのだ。
ホビットが両手で力いっぱいにふる短剣を片手で受け止めたりいなしたりすることなど造作もない。
その気なら力任せに短剣を弾き飛ばしてしまうこともできるが、剣を操ることを体に教えさせるために疲れるまで相手をしてやった。
「もう疲れたか?」
「あんまりすると腹がへっちまうからな。今日はこれぐらいにしてやる!」
ホビットは手も足もでないでくたくたに疲れてしまったので、ロスローリエンから持ってきた梨を食べて負け惜しみを言った。
「はははは、その調子だ」
悪い旅では決してない。
ゴンドールに到着したなら旅から外れる予定でいたが仲間たちの居心地のよさにほだされて、最後まで一緒にいてもいいかもしれないと迷うくらいになった。
祖国を守れればこそだが。
サムは片付けをする一方で、岩の窪みに座ったまま食が進んでいないフロドに気をつかった。
「旦那様。ちゃんと食べないと持ちませんよ」
「ああ、食べるよ」
言われてから冷めた焼き魚を頬張ってポトフを飲んだ。
心ここにあらずといった様子がやや増えている。
食べきるまで隣ではべり、少しでも元気付けようとホビット庄の田園風景の話をした。
「うちに帰ったら庭で採れるベリーを食べましょう。甘くてきっと美味しい」
気の利いた台詞が言えないことを悔しく思うも、サムらしくて素朴な言葉だった。
「それから、ビルボ様やおらのとっつぁんも集まってパーティーを開くんです」
「うん……そうしよう……きっと」
下手な応援にフロドは苦笑すると夕食をかきこんだ。
サウロンとの綱引きは一人でしている。
しかし隣には親友が、回りには仲間がいる。
孤独だと思うのはもうよそう。
「明日も早いです。眠りましょう」
オークに追われ、ナズグルに襲われた仕上げに急流を下った。
蜂蜜より濃い一日で疲れたホビットたちは焚き火を囲んで目を閉じた。
四人の戦士と魔法使いは交代で寝ずの番をしながら、彼らの絆の深さを微笑ましく見守った。