エルロンドは旅の仲間の親交を深める晩餐会をもうけた。
広間の長いテーブルいっぱいにエルフの料理と秘蔵の美酒を振る舞い荒野を渡る英気を養う。
滅多にありつけないご馳走の山にめいめいが騒がしく飛び付いた。
注がれた赤ワインにまず口をつけたオーザンはうなった。
「む、美味い」
鹿肉の香草焼きを大皿によそってもりもり食べる。
「悔しいがミナス・ティリスでもこれほどの名酒と出会うのは難しい」
貴族的なボロミアもワインの味については趣味が合うようだった。
「肉料理に合うな」
「ああ、このハムもたまらん」
ボロミアと二人で絶賛しながら、盛大に飲んで食べる。
「オーザンといったな。パイプも吸うし肉も酒も好きとはエルフらしくないな。弓を持たんようだし本当にエルフなのか?」
冗談めかしてボロミアが訊いた。
「さあな。別にはぐらかすわけじゃないが、分からんのさ。人間とエルフが集まった三十人くらいの村で狩りをして暮らしていたが、誰が父親かはさっぱりだ。長老の祖父だけは、はっきりとエルフだったがな」
つまり誰かとエルフの混血なのだとオーザンは言う。
「なぜ弓を捨てた?」
レゴラスはエルフらしく弓へのこだわりを見せた。
オーザンの帯びる武器は長刀のセレグセリオンと予備の短剣の二本だけ。
エルフは全員が達人と呼ぶにふさわしい名手だが、オーザンは持っていない。
「弓を使わんのは、矢を作るのが追い付かないほど全員が毎日毎晩オークと殺し合ってたからだ。今じゃあ剣の方が使いなれた」
オークははるかな古代に邪神モルゴス、またの名をメルコールがエルフを地下深くで歪め産み出した邪悪な生物だ。
略奪と殺しを好み、生きた人間を好んで食う。
そんな醜い化け物と、オーザンはずっと殺し合ってきた。
物心ついた頃には武器を持って祖父に訓練されていた。
矢が尽きれば弓で殴り、弓が折れれば剣で斬り、剣も駄目になったら、石で潰す。
最初に無くなる弓矢にこだわってはいられなかった。
「まるでモルドールにでも暮らしてたような口振りだな」
「もっと東で、もっとひどいところだ。どこから湧いてくるのか毎週オークを百は殺しても減らんのだ。最後は東夷とオークの連合軍がわんさかやってきて、火矢を掛けられるわワーグが突っ込んでくるわで、村はバラバラだ」
東夷とは中つ国の東の地方で乱世を繰り広げる血に飢えた蛮族の総称だ。
進歩のなさのわりに、まれにオークと手を組んで戦争を仕掛ける。
「冗談だろう?」
モルドールと接するゴンドールで兵を率い、国境で何度も戦うボロミアはオークの恐ろしさをいやというほどしっていた。
勇猛な武将で鳴らした彼も、たった三十の部下で毎日戦えと言われたらぞっとする。
それが東夷と手を組む悪夢など、正直信じたくない。
「さてな、好きに思ってくれ。ここに俺がいる。今はそれが事実だ。質問攻めが終わりならこいつを食べよう。ワーグの肉とは比べ物にならん美味さだ」
おどけて言った言葉にボロミアは吹き出した。
ワーグとは人間が馬に乗るようにオークが乗る事がある生き物だ。
荒れ地の国に生息する、狼を大きくして、オークにひけをとらない位に悪賢くしたようなけだものだ。
当然、食べるような相手ではない。
「おい嘘なんだろ?」
ボロミアが唖然として口をぬぐった。
「奴らときたら、臭いし筋が多くてな」
「頼むやめろ、聞きたくない」
オークと日常的に戦っていたと自称するオーザンが言うと本当に聞こえて食事の味が分からなくなってくる。
実際、本当なのだが。
「食わないのか。こんな上等なもも肉なんてもう二度とお目にかかれないぞ」
堪能する肉をレゴラスにも勧める。
「私は十分に楽しんでる」
エルフの食事は基本的に塩気が薄く、レゴラスはそちらを食べているが、今宵は客に合わせて濃い味付けを用意している。
せっかくそれが葡萄の濃厚な香りと調和しているのに食べないのは勿体ないくらいにだ。
しかし本人が望まないなら無理強いはしない。
「悪気は無いんだ。血なまぐさい所で育ったせいか、普通のエルフについては無知でな。この通りの名前も作法も中つ国のエルフと違う、はぐれもののたわごとだ。許せ」
エルフ特有の傲慢さの欠片もなくへりくだってレゴラスに詫びる。
エルロンドは流れ者のエルフが打ち解けつつあるのをじっと見ていた。
「みなの口に合ってなにより。それは2941年の五軍の戦いの年に取れた葡萄でな。仕込みも上手くいった自信作だ。ギムリ、その戦いにはそなたの父グローインも馳せ参じたぞ。飲んでみぬか?」
「おれに縁がある酒か。ワインはあまり好かんがそれならいただく」
エルフ嫌いなギムリもエルロンドに無礼を働くほど愚かではない。
それに父親ゆかりのものとあっては酒好きのドワーフは黙っていられない。
オーザンからグラスに注がれた赤ワインを見つめるとぐいっと煽った。
「エルフが嫌いだと飲む酒まで不味いか?」
「……こんなに美味いもんを不味いと言うほど腐っちゃいねえよ」
けなすように誉める難儀なドワーフにおかわりを注いでやる。
それも一口で飲んでしまったギムリに更に注いでやろうとして遮られた。
「ケチケチするな、瓶ごとよこせ」
オーザンの手からボトルをひったくるとらっぱ飲みでワインを減らしはじめる。
「ははは。そうも言われれば職人も喜ぼう。ワインはまだまだある」
おおらかなエルロンドは笑って追加のボトルを何本か従者に命じた。
エルロンドの娘アルウェンと語らうアラゴルンは談笑を終わらせガンダルフに尋ねる。
「人となりは分からないが彼には力を感じる。それに強い執念も。果たして信じてよいのだろうか」
「わしにも分からん。エルロンド卿の目を信じ進むしかあるまい」
はちみつ酒をチビチビ舐めていたガンダルフが答えに詰まって髭を撫でる。
責任感が強いアラゴルンはひとときを楽しみながら思案した。
「魔法で心を覗けないか?」
「もう何度もやったが弾かれた。並々ならぬ魔法への耐性があるようじゃ」
「もっと強いものはないのか?」
「あからさまに心を探るような強力な魔法は敵意と取られる。いたずらにかけてはいかん」
旅を預かる賢者と王の末裔は小声と視線を細かく交えて議論した。
実はエルフのオーザンには丸聞こえであったが、不穏なものでもなかったので放っておいた。
成し遂げねばならない難行で密偵を疑うのは悪いことではないのだ。
ホビットはそんなことなど露知らず、小さな体に酒が回って陽気になっていた。
だがうつむくフロドだけはこれからを思うと酒にも酔えずどこの会話にも入れなかった。
「怖いかフロド」
「ガンダルフは怖くない?」
「定めに挑むのはわしでも怖いとも。しかし未来を恐れて何もせんのはもっとも愚かじゃ。腹が減っているのに何も食べようとせんようなものじゃな」
新鮮なみずみずしいトマトを摘まんだ。
「僕はどうすればいいのかな」
ホビット庄を浮かべてはサウロンの目に塗りつぶされて、仲間たちと故郷の唄を歌えそうにはなかった。
「難しく考えるな。やると決めたなら今やれることをするのみ。まずはそのエールをぐいっと飲んでみよ。そしたら今夜はたっぷり眠るがよい」
「うん」
小振りなジョッキを傾け、冥王の恐怖を少しでも遠ざけた。
ジョッキ二杯飲んでも酒の味はわからなかったが、眠りに誘うには足りる量だった。
ホビットが酔いつぶれると夕食はお開きとなった。
各々があてがわれた部屋に戻り翌朝の出発に備えて荷物をまとめた。
何も無い土地での旅に慣れたオーザンは武器のほかには荷物と呼べるものは持っておらず、早々に支度を終えた。
まだ眠るには早い時刻だ。
部屋を抜け出て、月の光に浮かぶ美しい夜景を散歩する。
談話室に入ると暖炉で火を眺めるレゴラスがいた。
「もし飲み足りないなら、一杯付き合ってくれるか?」
厨房で仕込みをしていた料理人から分けてもらった酒の瓶を振ってみせる。
「もらおうか。仲間に誘われて断る理由はない」
さわやかなエルフは誘いを受けた。
「そう来なくちゃな。ギムリも入ってこいよ」
酒の匂いに釣られてこっそり後をつけていたドワーフを呼ぶ。
しこたま飲んだくれたはずのギムリが、開き直って柱の陰から体を出す。
気恥ずかしさをごまかすように憤って暖炉を囲む椅子に座った。
「まったく、妙に鋭いやつめ。いい酒を飲むなら俺も呼ばんか!」
ボロミアはギムリのすぐ後に談話室に来た。
散歩中に誘っておいたのだ。
「遅れてすまん、盾の手入れをしていた。俺で最後か?」
ボロミアはゴンドールのこととなると周りを見えなくなりがちだが、頭を下げることもいとわない実直な男なのだ。
「ストライダーは誘わなかったのか?」
彼はアラゴルンを気にした。
実権を握ってきた執政家のボロミアと真なる王族のアラゴルンとの確執は簡単には解決しそうにない。
「そいつは野暮な質問だぜ。恋人との別れを惜しんでるんだ。そっとしといてやろう」
オーザンは最後の椅子に腰をおろした。
借りてきた四つのグラスに酒を注ぐ。
透明な酒だがすさまじい酒精の強さで香りが一気に談話室に広がった。
極上のものだと誰もがわかった。
ギムリなどは早く口をつけたくてうずうずしている。
「早く飲もうや」
「そうだな」
吟味しながらグラスを掲げ乾杯と言おうとするオーザンに、ボロミアはまだ納得がいっていない疑問をぶつけた。
「待て。乾杯の前に聞いておく」
種も生まれも異なる起源のオーザンを探るのはもうやめた。
真っ向から挑む。
アラゴルンとの溝はあってもゴンドールを想う気持ちに嘘はない。
「お前は誰の味方だ。人間かエルフかサウロンか。はっきりと答えないなら、ゴンドールの大将としてこの酒を飲めん」
神託というあやふやな言葉でなく、オーザンの真意を知りたい。
レゴラスとギムリも同じ気持ちだった。
「俺は指輪を捨てる旅に出よとヴァラールに命じられただけだ。中つ国のどこかに肩入れする気はない」
ボロミアは明確にがっかりした。
オーザンはグラスを置いてセレグセリオンを握った。
「だがオークは殺す。皆殺しだ。例え何百年かけたとしても、必ず根絶やしにしてやる」
それはとてつもない怒りだった。
オーザンの怒りに共鳴したテーブルがきしみ、暖炉の薪が激しく燃え上がる。
ボロミアはたじろいだ。
オークは人間の敵だが、ただの憎悪にしてはオーザンのそれは並外れたものだった。
「戦って死ぬ仲間はよく見ただろうが、くつわを並べた無二の友が生きたままはらわたを食われるのを見たことは? まさかりで叩き殺される子供は? 村の仲間は何人も死んで入れ替わった。俺が生まれた時から生き残っているのは、長と俺だけだ。奴らには憎しみしか無い」
もちろん親兄弟も残らず殺された。
口調や表情こそ大人しいがあふれ出た感情は隠さない。
今すぐに誰かを斬り殺せと哭くセレグセリオンを撫でてなだめる。
「変な事を訊いて悪かった。俺はお前を仲間と認める。怒りを収めてくれ」
百戦錬磨の三人も冷や汗をかいた。
ボロミアは指揮官として、レゴラスとギムリは戦士として、多くの男と接してきた三人の背筋が震え上がるほど恐ろしい武者だ。
いっそオークが哀れに思える。
だからといって同情はしないが。
「ああ、私は信頼する」
「俺もだ」
エルフとドワーフもオークには何度も辛酸を舐めさせられた。
敵の敵は味方だ。
邪悪な生物を葬るのを生業とする手練れが仲間なら申し分ない。
「すまなかった」
「いいさ。俺がそんな些細なことを根に持つ小さい男に見えるか?」
セレグセリオンから手を放してグラスを持つ。
魔剣はキイとひと鳴きして、黙った。
「いや。新たな友に乾杯だ」
「乾杯」
ボロミアの音頭に合わせて四人でグラスを打ち鳴らした。