一騎と三人はローハンを知悉した魔法使いの巧妙な指示で草原の富んだ起伏に隠れたまま先回りに成功した。
幸いにも、アイゼンガルドへの直線を描く経路中で雨上がりの足元の悪さを補い走れる地面はかなり絞られた。
襲撃の場に選んだ窪地は外縁にかけて盛り上がり、上から矢を射かけやすく待ち伏せるに適している。
年月を経て緩やかになった切り通しの岩の裏で飛蔭にマントを被せて隠蔽した。
夕時に奇襲を受ければどんな精鋭でも大なり小なりの混乱を引き起こす。
態勢を建て直される前に二人を奪還し、ガンダルフが飛蔭に乗せて一目散に東方へ離脱。
それが作戦の全貌。
奇襲が成功しても、彼我の人数差では生き延びる見込みはごく薄い。
残された三人は情報源にされないよう死にもの狂いで逃げるか命果てるまで戦わなければいけないおまけ付き。
粘っても時間が立つほど夜目が利くオークが有利になり、視界が狭まり疲弊する人間とドワーフは不利となる。
それに引っ張られてレゴラスまでも討ち取られかねない。
なんて杜撰で乱暴な計画だ。
作戦とはとても呼べない見立てを実行せざるをえない状況に腹が立つが、二人を見捨てられない以上はこの他に打つ手が無い。
次の機会が訪れる保証もどこにもない。
時間は最早敵となった。
やり直せない一発勝負だ。
速駆けの地鳴りが迫る中、剣を抜き放ち仲間たちに目を配った彼は尋ねる。
「皆、私に命を預けてくれるか?」
「今更だな。裂け谷で誓った言葉に二言は無いさ」
肩を叩きそれだけ言い残したレゴラスは矢を矢筒から抜いて岩の突起に身を寄せた。
「バルログよりはよほどましよ。力を合わせれば乗り切れる相手じゃろうて。このグラムドリングも疼いておるわい」
皺の深さに肝の座りようを刻んで朧な希望を口にしたガンダルフが象牙の鞘から抜いた愛剣
つらぬき丸と同じ起源を持ったこの剣もそれらを打った職人の遺志を抱き、人々の敵に反応しているのだ。
会敵は間もなく。
ガンダルフの読みは寸分の狂いもなかった。
「こんな草っぱらで死んだら誰も詩にはしてくれんだろうよ」
ギムリは一直線にこちらへ走る軍団を岩陰から確認した。
「おぬしと来たら、この期に及んでそんなへそ曲がりを……」
「だがまあ、なんだ。乗り掛かった舟だ、最後まで乗ってやらぁ」
しかし戦友が命を擲っているのに自分だけ臆病風を吹かせてはドワーフの名が廃る。
腹は括った。
腕を回して肩慣らしに斧を振る。
「全員良いか。オークを倒さずともいい。二人をここから運ぶことだけに集中するんだ」
一緒に死んでくれる友に二人も恵まれた。
その幸運がもう少しでも続いてほしい。
目測で百はいようかという集団にたった四人で仕掛ける緊張にアラゴルンは唇を固く結んだ。
狭い扇状に散開した仲間達は一心同体の心持ちで潜む。
鳴動と荒い息遣い。
ウルク=ハイの一団は窪地に入った。
今だ。
ここぞという時、アラゴルンは目で合図を送りレゴラスは深く引き絞った弦をいよいよ放した。
縦隊の先頭を走っていた二体のウルク=ハイのそれぞれ喉と眉間へ、一拍置いてその矢は到達する。
まずは先頭を潰す。
次いで最後尾。
最後尾を走る数体が襲撃を報せる怒号を聴いて前を見渡して、またもや風を裂いて夕暮れを飛翔するエルフの矢を受けて絶命した。
前後を抑えられたことで全体の脚が停まった。
「二人は後方寄りの中央にいるぞ!」
エルフの眼には二人が羽織る若草色のマントがよく見えた。
その叫びを聞いたアラゴルンはすぐさま吶喊の矛先を変える。
俊足で先頭集団からまだ状況が掴めていない中腹のウルク=ハイへ一直線。
「あいわかった!」
混乱は有り難いが中膨れした団子の隊形になられては突破に時間を取られる。
そうなる前に食い破る。
全力疾走で窪地を下り、雄叫びを上げた。
「うぉおおおおお!!」
暗色の服とエルフのマントの組み合わせは地形によく溶け込んで発見を遅らせる。
闘志漲る声は未知なる襲撃者の姿をオークの胸中に想起させた。
「何だ!?」
「馬鹿が、敵だ!」
浮足立つ者と警戒を強める者で半々。
落ち着きを取り戻した者をレゴラスが狙い撃つも限度がある。
前線を固められる直前にアラゴルンはそこを突破した。
「人間風情が!」
ウルク=ハイとて愚かではない。
オークより洗練された技能と高い知能を誇る戦争の申し子たちは、愚直に突出したアラゴルンが寡勢と見抜くや袋叩きにせんと左右から挟む動きを始める。
「させると思うたか」
灰色の魔法使いは老境の肉体に反して大股で駆け、グラムドリングで後背を狙う敵を裂く。
頭上から襲い来る白刃と強弓の猛威に気を取られた足元を斧が掬って転がす。
尋常な戦闘であればここでとどめを刺していたが、それもままならず通過する。
たかだか四人の襲撃で起こった混乱に端を発する束の間の混沌、その囲いが緩む戦場の揺らぎ。
草の上に置かれている二つ人影まで、偶然に視線が通った。
「そこか!」
大方、戦闘が生起したことで応戦しようと下ろしたのだろう。
偶然と幸運が重なり、拐われた二人への血路が突如として拓かれた。
彼らの練達の戦術眼は一瞬の勝機を決して見逃さない。
「どけぇえええええ!!」
血走る一喝を叫び、がむしゃらな力押しで突破を試みるアラゴルンの脇にギムリとレゴラスが張り付いて援護する。
三人は後先を顧みぬ怒涛の勢いで不揃いに停滞した集団を掻き分ける。
行く手を阻む腕の一、二本も斬り落とし、どうにか決死の突撃は実った。
「掴んだぞ!」
アラゴルンはもみくちゃになりながらも格闘を制して捕まえた小さい袖を引いて細い身を懐に抱え込む。
至近距離をギムリが間引き、レゴラスが弓で牽制して一時的な安全圏を作り上げた。
二人の人質を確保したのを見るやいなや、魔法使いはぴゅうと口笛を吹く。
「来たれ飛蔭!」
新雪のように美しい白の馬がオークを轢きつつ壮烈に駆け付けるとすかさずガンダルフはその背に飛び乗った。
「よし、受け取れ!」
気を失いぐったりしているままギムリの太い腕に投げ上げられたメリーとピピンを魔法の風で受け止める。
載せ方が多少手荒になったが時は一刻を争う。
悠長に抱えては命取りだ。
これだけなら天の目も見逃してくれるだろう。
馬上の人となったガンダルフを囲んで守っていたアラゴルンはこれきりとなるやも知れぬ別れを告げる
「二人を、皆を頼む……行け!!」
「すまぬ……!」
感謝すら伝えきれない短さで打ち切り、灰色の裾を翻すガンダルフは東へ急いだ。
「ホビットを逃がすな!」
去りゆく背中を追って駆け出す一隊があった。
誉れ高い飛蔭も三人を載せては思うように速度を出せない。
疲労も溜まる。
となれば執念深いウルク=ハイにいつか追いつかれるであろう。
飛蔭が倒れればいよいよおしまいだ。
「やらせるな!」
後ろを向けば弓で倒されると分かればガンダルフを追う必要があっても遮二無二暴れる三人を放置出来ず飛蔭から目を逸らすだろう。
オークの矢を拾っては使い回してまでとっておいた上等なエルフの矢が空を駆け、何匹ものウルク=ハイを精密に仕留めた。
しかしそこまでだ。
戦域を離脱してゆく追手の殲滅は叶わなかった。
アラゴルンは苦虫を噛み潰した顔をしてピピンの掌の温もりが残る指で柄を握りしめた。
「下がろう、ここは地形が悪い」
この窪地は攻めるに易いが守るには不向きだとレゴラスは諭した。
それもそうだ。
そう分かっていて襲撃地に選んだのだから。
「二人の救出は成った! ならば後は斬りまくるのみだ!」
勇ましい目標を打ち立てるも、集結したウルク=ハイに包まれ、やがて鎮座する大岩の前までじりじりと押し込まれてしまった。
背中以外の三方は敵。
肉弾戦に次ぐ肉弾戦。
突破しようにも突っ込んだ部分の隊列を厚くされて見事に対応され寡勢の弱みを嫌でも存分に堪能させられる。
「何匹いやがるんだこいつらは!!」
「突出するなギムリ、互いを守れ!」
「ウルク=ハイも無限ではない! 踏ん張るのだ!」
達人の三人をして一撃で押し切れないほど手練れの上に、悠長に打ち合っては横から後ろから鉈が降ってくる。
さらには半端な傷では死ぬこともない。
この手強い怪物をあと幾度と倒せば終わるのか。
五十か、百か。
湖畔やモリアでは木々や扉という防壁を活用していたから多勢に無勢でも戦えたのであり、開けている草原ではじっくりと擦り潰されるのが現実である。
じりじりと体力を削られて真綿で首を締めるように苦しくなっていくのが目に見える。
悪寒がして振り返ると、包囲網の奥に中腰で盾を構える隊伍が組まれていて、その更に奥には鉈も盾も持たない者共が居た。
アラゴルンはぞっとした。
暗くなり始めた視界ではそれらが何を携えているのか判然としなかった。
しかし軍団で歩兵の盾の後ろに控えるのは間合いが広い得物と相場が決まっている。
この間合いでは放たれた矢を剣で払う芸当は相当に難しい。
卓越した剣士のアラゴルンでも防げる矢は一つか二つが良いところだ。
「っ! 矢に気を付けろ!」
その発射と警告は同時。
レゴラスはその俊敏さで飛び退り、アラゴルンは剣の才で凌いで、ギムリには少しの幸運が味方した。
「あいたっ!」
彼が人間であったなら腹か胸だった場所、兜の鉄板を矢が掠めた。
猛毒の鏃が丸みに弾かれて装飾の表面を削るだけで命拾いをした反面、お気に入りの兜を傷つけられたことにギムリは悪態をつく。
「兜被ってて良かったぜこんちくしょう!!」
仕舞う手間も惜しんで双剣を宙に投げ上げ弓を構えたレゴラスが神速で、それも二本ずつ射る荒業で三連射し、眉間と喉に計六体を射殺した。
涼しい顔をしてまた剣を受け止めて斬り結ぶ。
第二の矢を止められたのは僥倖だが戦況は依然として厳しい。
体力が尽きた順に倒される末路を変えるには至らない。