何はともあれ洞窟は一夜の隠れ宿としては悪くなかった。
乾いた薪が積んであり、すぐに焚き火も作れそうだ。
「せっかく隠れながら火を起こせる場所をオークから分捕ったんだ。飯にしようや!」
くたくたに疲れ果てた声を挙げたギムリは腰を上げるのすら億劫で食事とその後の一服だけを楽しみにしていた。
「食料は全部置いてきちまったし水だって満足に無いんだが?」
「集めてくるさ。レゴラス、弓を貸してくれるか?」
持ち前の体力で足取りもまだまだ軽いオーザンがすぐさま名乗りを上げる。
圧倒的な蹂躙劇を広げたが実際に倒したウルク=ハイはたったの二十やそこらだったので体を動かし足りなかった。
「そうだな。貸してもいいが、それでは私も手持ち無沙汰だ。すぐに戻る。皆は休んでいてくれ」
「あれっぽっちのオークじゃ物足りないよな。それじゃあ、闇の森のお手並み拝見といこうかね」
「ふふ、がっかりされないように頑張るよ」
金髪と灰髪のエルフたちは肩を叩き合って闇に沈む草原へ朗らかに出かけた。
月の光を浴びる草原を高台から俯瞰するだけで、生き物の息吹がそこかしこに見えてくる。
何百歩か先に、兎の足跡を見つけた。
神々の寵愛を受けし種族の耳は色々な音を聴き取る。
小川のせせらぎや虫の羽音。
より集中していれば鼠の鼻息すら聞き漏らさない。
動物の僅かな営みの会話が夜風に混ざっていようが聞き分けられる。
草を踏み分ける音も消した二人は当たりを付けた野原で顔を合わせ、自然と分散した。
レゴラスは岩の上に飛び乗り、オーザンはそのまま地上で巣穴を発見した。
戦士階級にある男の平時の仕事は狩りだ。
手順は違えど臨機応変に動くのも慣れたもの。
オーザンが大胆に野うさぎの巣穴に手を突っ込んで脅かし他の抜け道から飛び出した所を射る。
狂気的な練度ありきの狩猟法を簡単そうにやっていく。
一羽捕らえるごとに追い立てる役と射る役を交代でやりながら談笑した。
「お見事」
「オーザンこそ。狙いを補助する魔法の刻印を使ってないだろう。実力だけでそんなに上手ければ普段も弓を使えばいいものを」
闇の森の一流細工師が弓に刻んだ魔法は増強と補助。
それらを使いこなせばレゴラスまでとは行かずともかなりの精度が出せる。
しかしオーザンは根本的に矢の飛び方が違う。
正確な連射はレゴラスに軍配が上がるが、目一杯に弓を引いたオーザンの射方で放たれた矢の威力はとんでもない。
眼で追えない速さで兎の首から上を木っ端微塵に消し飛ばしている。
オークやそれ以上の怪物も鎧ごと殺傷するだろう。
強敵ひしめく砂漠の狩人特有のものだろうかと、レゴラスは感心した。
「弓を一切使わなかった訳じゃない。使う端から折れる矢を揃えるのがどうにも億劫で家の飾りにしちまったよ」
「毎回矢が折れるとは、一体どんな強弓だったんだ?」
「しなやかな金属をドワーフが打って作ったとかなんとか、行商人は言ってたがね。滑車を使った工夫をしてあったがどうやっても重過ぎて誰にも引けやしないもんで捨て値同然で売ってくれたな」
「いつの話だ?」
「確か鉄の弩が出回る少し前だったから、その研究をしている一派の失敗作かなにかだったのかもな」
真っ暗な夜にどこから出てくるか分かりもしない小動物も、手練のエルフが二人がかりであれば狩るのはそんなに難しい事ではなく、程なくして四羽の野うさぎを持ち帰った。
小噺をしながら血抜きをした小川で水筒も一杯に満たしてある。
それで万事解決とはいかなかった。
並べた獲物を六人で囲んで、そして手が止まったのだ。
「これを……どうするんだ……?」
「せっかくなら美味く食べたいものだが」
高潔なアラゴルンとて空腹はいつまでも耐えられない。
しかし、無言で周りと顔を見合わせる。
今更になって誰も彼も男やもめで上等な料理は作れないという問題が浮上したのだ。
やんごとなき育ちのレゴラス、ボロミアは手料理など論外。
ギムリも鍛冶や錬鉄の他はかなりおざなりにしてきた。
一人暮らしが人生の大半を占めるオーザンは修羅の道にのめり込んで食事を楽しむ権利を永らく放棄していた。
道すがら殺した何かしらの肉を生のまま齧って栄養も水分も補給し、標的を殺し尽くすまで止まらない生活を朝な夕なと繰り返すのがここ何十年かの習慣となっている。
必然、料理の腕はそれはもう酷いものだった。
ということで揃いも揃って火加減も適当な丸焼き料理しか作れない。
最早空腹感は抑え難く、早く油の滴る兎肉にかぶりつきたい衝動はレンバスの薬効でも消せない域に達している。
必然的に長生きで教養人なガンダルフが主としてアラゴルンを補助に付けて調理を担当するのだった。
「まったく、最近の若い者はすぐ食べることを疎かにしよる。困ったもんじゃ……」
「まあそう言うな。それぞれ生まれも育ちも違うんだ。仕方ないさ」
「こんなことに魔法を使ってしもうて……」
ぼやくガンダルフは魔法で味付けをしつつ創造神に謝意を募らせた。
毛皮を剥いだりする下拵えは手伝えてもそれ以降役立たずな男衆は焚き火の前でぶつぶつ呟く二人から少し離れて集まる。
椅子代わりの岩に座って悪企みの顔でオーザンは三人を見渡した。
「とりあえず飯は用意出来る。次に男が欲しがるのは何だろうな?」
「そりゃあ……いやまさか」
「そのまさかなんだな、これが」
懐から透明な瓶を取り出して中心に置く。
高さも厚みも常識外れに大柄なオーザンの体と比べては小瓶に見えてしまうが、標準よりも大きな容器だ。
中身は透明。
「裂け谷の……!」
貴公子然とした立ち振る舞いに反してかなり酒が呑めるレゴラスも無言で目を見開いていた。
栓を抜いて瓶を振ると洞窟内にむわっと独特な酒精が拡散して仲間たちに降り注ぐ。
裂け谷で過ごす最後の晩に集ったボロミア、レゴラス、ギムリの三人はその香りに心当たりがあった。
とてつもなく強烈で大人でも一杯飲めば目が回り、下戸は嗅いだだけでも酔ってしまうだろうほど鼻を突く強烈さ。
それでいて芳醇で華やかさが駆け抜ける。
間違いない。
あの夜に飲んだ火酒だ。
なるほど、それならば一瓶でも全員が楽しめる酒盛りになろう。
「呆れたぞ。ゴンドール中を探しても上古のエルフから何かを失敬しようなんて大胆な盗人はいないだろうよ」
「そう小さなことを言いなさんな。あちらさんは大して気にしない。どうやらランプ油の代わりだかなんだかに使ってたらしい。エルロンド卿も勿体ない事をするもんだ」
エルフの眼は闇などものともしない。
風流な装飾としての使い道が関の山。
エルフ以外の客人の部屋で灯すのだろうが、そもそも人間やドワーフが裂け谷にどれだけ辿りつけるものやら。
蔵の大樽に山程溜め込まれていた中からほんの少し拝借してもばちは当たるまい。
どうせ末世まで寝かしてもあれを全部飲める奴なんて現れっこないのだ。
「美味いねぇ。命の味がすらぁ」
軽く一口煽ってギムリに瓶を渡す。
「くあっ!」
「俺にもくれ!」
漂う強い香りに記憶を呼び侵されたボロミアがせがむ。
「お前さん病み上がりだろう?」
「いいから寄越せ!」
ほんの半口舐めてその美味さと強烈さに顔を歪ませる。
例外的に酒豪のオーザン、ギムリ、レゴラスを除けばボロミアも大した酒飲みだ。
ましてや麦酒で十分に盛り上がる年若いホビットにはこの濃厚さは耐えられまい。
「何をしているかと思えば、抜け駆けで酒盛りとは良いご身分じゃの」
「あの死地の連続を全員が生き延びた。浮かれるのも無理はない」
ガンダルフはちくりとした年寄りらしい小言を言い、アラゴルンはそれを補う。
焼き上げた兎の丸焼きをそれぞれ丁寧に渡してやるのだから魔法使いとて本気ではない。
「マイアに飯炊きをやらせたって聞けば堅物の俺の爺さんも腹を抱えて笑うだろうよ」
「当たり前じゃ、罰当たりめ。しかしてわしらは祝うべきでもあろう。諸手を上げて喜ぶには些か早いが再会に乾杯じゃな」
食器類もエミン・ムイルの畔に放り出して来てしまったので各々は小刀で切り取るか手掴みで持って齧りつく。
魔法で味付けされたありがたい兎の丸焼きから大変に熱い脂が溢れ、口の中を満たす。
誰もが無口だが塩気もまた丁度よい。
オーザンは大口を開け、なんと特に頑丈な腿の骨ごと豪快に喰らっていく。
行儀と分別を残した者を除き、男達は思う存分がむしゃらに貪るのだった。