昼食を切り上げたレゴラスが見張りに戻ってきた。
「お前は行かなくていいのか?」
「ガンダルフはどうも信用してくれてないようだからな。俺みたいな怪しいのが一人でもいると気が休まらない」
疑り深いじい様だと、笑って煙を吐く。
「対話して信頼を勝ち得ようとはしてないようだが?」
「一人が永くてお喋りのしかたを忘れちまったんだ」
それらしくうそぶいてみたが涼しげな若いエルフは納得していないようだ。
「行動で語ればいい。いずれその機会が巡る」
パイプをふかして南の空を見る。
「なあ、誰か。あれが何だかわかるか?」
白い雲の合間に黒いものがあった。
パイプで指した方を全員が向く。
「雨雲だ。心配ない」
そこまで目が良くないギムリには雨雲にしか見えなかった。
「いや待て。ただの雲にしては速いぞ」
ボロミアは異変を察して荷物を拾った。
目を細めてレゴラスと彼方を見つめる。
先に形を見極めたのはオーザンだった。
「烏の群れ、だな」
「クレバインだ!」
その烏が任された役目をレゴラスは知っていた。
「なんだそれは」
中つ国に疎いオーザンは疑問に思ったが、それをレゴラスが教えるより先にガンダルフが叫んだ。
「サルマンの操る斥候じゃ! 隠れろ!!」
一同があわただしく動いた。
散らばっていた食器をサムが拾い、アラゴルンはガンダルフと馬を岩陰に誘導して伏せさせる。
荷物を抱えて植物や岩場の下に隠していった。
浮き足だって右往左往していたピピンにオーザンが指示を出す。
「ピピン、火を消せ!」
「わかったよ!」
水を貯めた革の袋の栓を抜いて焚き火に持っていく。
「水で消すと煙が目立つ、土をかけろ!」
ピピンは水袋を放り捨て、短剣で掘り返した土を火に被せる。
新鮮な空気が行かなくなった石組みのかまどから炎はすぐに消えた。
「もういい!」
ボロミアがピピンを抱えて草むらの中に飛び込む。
土を掘った短剣だけが残され、きらりと光る。
美しく細工された剣は土の上では間違いなく烏の目に止まるだろう。
迷っている暇はない。
「俺の宝物だ、無くすなよ!」
パイプをレゴラスに投げたオーザンは安全な隠れ場所から飛び出した。
「よせ! 時間がない!」
レゴラスの制止を振り切り、土煙を立てず飛ぶように走って落ちていた剣を掴んだ。
踏ん張って勢いを殺すと足元の土が舞う。
だから走り抜けて岩場の崖っぷちに飛びつく。
そしてそのまま痕跡を作らないように断崖から身を投げた。
この高さから転落したなら、空でも飛べない限りは助かるまい。
「なんてことだ……」
剣ひとつのために犠牲になることを迷わず決めたのだと理解してアラゴルンは呆然とした。
良き仲間になれると確信した矢先だ。
顔を手で覆い、冥福を祈る。
しかし一方のオーザンはちゃんと生きていた。
左手の握力にものを言わせ、絶壁からわずかに突き出た岩盤の突起に指を食い込ませている。
崖に生えた草に枯れ草色のコートを紛れさせる。
ゆっくり見上げ烏の群れに発見されていないと知った。
目下危ういのは腰のセレグセリオンだ。
このわがままな魔剣はオーザンがピピンの短剣を右手で持っていることに嫉妬して熱を帯び始めた。
こうなると、いつキイキイ鳴き始めるかわからない。
「いい子だから今はよせ」
短剣を足で挟み、拗ねる魔剣の柄を撫でて機嫌を直してもらう。
尖ってもいない柄がちくちくと指先を責めて血を啜っている。
触れさえすれば騒ぎ立てず、それだけで済むので好きなだけ吸わせる。
今はクレバインをやり過ごすのが先決だ。
上を伺いながら岩壁にぴったり張り付いて待つ。
やがて黒雲のように押し寄せた烏の群れは通りすぎていった。
迂闊に這い上がってうっかり見つかってはたまらないので、そのまましばらく様子見をしていると仲間たちがなにやら話し始める。
「まさか、こんなところで彼を失うとは……」
脱力した声はアラゴルンだ。
声の近さからして崖を覗いているようだが、オーザンが掴まっているのは抉れた内側なので死角になっている。
「僕のせいだ。僕が剣を落としたから!」
「自分を責めるな。あいつはそんなこと望まない」
めそめそしているピピンをボロミアが慰める。
「死なせるには惜しい奴だった」
湿っぽい声になっているのはギムリだ。
案外涙もろいのかも知れない。
「そんな、さっきまでそこにいたのに……」
「フロドよ、彼のためにも進まねばならぬ。立ち止まることは許されん」
死んだことにされて置いていかれそうなので、短剣をベルトに差してすいすいと崖をよじ登る。
地上に再び現れたオーザンに仲間たちは目を丸くした。
「勝手に俺を殺さんでくれ」
「オーザン! 無事だったか!!」
駆け寄ったアラゴルンは嬉しそうに肩を抱いた。
素直な男だ。
ボロミアはあっさりとしていたが、やはり嬉しそうであった。
「てっきり死んだと思ったぞ」
「あれぐらい地元じゃよくある」
仲間はオーザンの無事を喜んだが問題は他にある。
「それより、サルマンに位置を知られたか?」
「楽観はできん。急ぐのじゃ」
ガンダルフは冷ややかだった。
一人が早々に脱落しかけ、予定より厳しい旅路になる予感がしたのだろう。
地図を開いてぶつぶつ言いはじめる。
「ごめんなさいオーザン……」
おどおどしたピピンが縮こまりながら半べそで来た。
「男がめそめそ泣くな、涙が安っぽくなる。尻拭いならいくらでもしてやるよ」
それが仲間というものだ。
快活な笑顔で目を潤ませたピピンのもじゃもじゃ髪をかき混ぜ、剣を鞘に入れてやった。
「だが剣は大事なものだ、もうなくすな」
「うん。約束するよ」
「よし」
十人に戻った旅の仲間はカラズラスの峠を目指してまた歩き始める。
いくつもの峰を越えて、岩場の道は雪化粧に変わった。
膝まである雪に特に小柄なホビットは苦労して進む。
オーザンとレゴラスだけはその身軽さで雪の上を沈まずに歩いている。
「雪ってのは、冷たいんだな」
雪を掬ってみた。
あっという間に手のひらで溶けて水に変わる。
「見たことないのか?」
サムが意外そうに聞き返した。
「砂漠や枯れた土地ばかりうろついていたから、どんなものか忘れてた」
戦ってばかりで他のことを考えている余裕もなかった。
「何年生きている?」
ふとボロミアは気になって訊いてみた。
「正確には言えないが、生まれたのは恐らく二紀の終わり頃だから、三千と少しだな」
「私とそんなに変わらないんだな」
青々としたレゴラスは純血の、しかも王の息子だ。
神々の国へ移り住むことこそしなかった一族の末裔だが、古い血もかなり引いている。
今より老いることも病に冒されることもない。
「どっちにしろ気が遠くなるような時間だね。おれには想像もできねえや」
間のサムがぼんやりと感嘆する。
ホビットの寿命はおよそ百年。
対してエルフは心が錆び付くか、西方の神々の国へ旅立つまでほぼ永遠に生きる。
感覚が違う。
「見た目が違うがそれはなぜだ? しかもそんな髭が生えたエルフなぞ聞いたこともない」
神々に最初に創られた、人間とは根本からかけ離れた生き物と話すことをボロミアは面白がった。
「血の影響だろうな。
調べようにも知る手がかりが全員死んでしまったので答えは闇の中だ。
「家族を探すのはもうやめたのか?」
「諦めちゃいないが、希望は薄い。なにしろもう何十年も経った」
今は指輪を捨てる旅を優先する。
どこかで家族が生きていても、万全のサウロンが蘇ればご破算だ。
「いつか見つかるといいな」
「ああ」
ボロミアの言葉が慰めだとしても、オーザンは嬉しかった。
銀世界を背に男たちの友情は厚くなった。
切り立ったカラズラスの頂きが近くなるとさらさらの万年雪が深さを増し、ギムリやホビットはしきりに足をとられる。
踏んだ雪が崩れ、フロドがよろけた。
「わあっ!」
新雪の柔らかさに引かれて斜面を転がり落ちる。
全員が振り返った先で、二十歩ほど下ったところで止まった。
「フロド!」
アラゴルンが慌てて助けに戻る。
「大丈夫か?」
被さった雪をどけてやると体をまさぐって血相を変えた。
鎖を使って首にかけた指輪が転がった拍子にどこかへ飛んでいってしまった。
「指輪が……ない!」
「なに?」
転がった軌跡に視線をさ迷わせ、上のほうで見つける。
指輪は雪に混ざるように落ちていた。
近くにいたボロミアがそれを拾い上げる。
彼は魅入られたように指輪を凝視した。
指輪の魔力に誘惑されていた。
人の欲を増幅させて狂わせ、やがては冥王の魔力が精神を乗っ取るその手始めだ。
希代の英雄すら狂わせた誘いが、ゴンドールを守る力を常から求めるボロミアに牙を剥いた。
「渡すんだ」
万が一、ボロミアが乱心した場合に備えてアラゴルンは剣に手をかけて命じる。
アラゴルンと対峙したボロミアに反骨の意志があった。
まるで怨敵のように睨み付けたのだ。
それと知った仲間に緊張が走る。
「意地が悪いぞ、返してやれ」
後ろから伸びたオーザンの手が、さっと指輪を掠めとる。
握った指輪からなにやら声がする。
力が欲しければ応えよ、だったり、覇王にしてやる、といった大げさな内容だ。
しかし僻地で生きてきたオーザンはどれも興味をそそられず、下らないと一蹴した。
後ろでガンダルフが杖と剣を構えようとしている。
勘違いされる前にさっさとフロドに突き返した。
「それには中つ国の運命がかかってるんだ。気をつけてくれよ?」
「ああ、うん」
いそいそと首にかけ指輪を服の中に隠した。
「大したことじゃない。さあ歩いた歩いた!」
緊張の糸がほどけ、全員がまた歩きはじめる。
アラゴルンと最後尾で並んだ。
「指輪に触れてなんともないのか?」
「欲しいものが無いからだろうな。流石の指輪も死びとは誘惑しようがない」
喪失の悲しみに踏ん切りをつけ、強い欲もない。
オーク狩りの実力も間に合っている。
むしろ復讐に余計な手出しをされるのは気分が悪い。
「もしよければ、フロドが苦しそうなら代わってやれないか?」
「駄目だ。オークと出会えば怒りを思い出す。そういう時にサウロンに忍び寄られたら保証できない」
無理と即答する。
乗っ取られでもしたら、オークへの憎悪を反転され、人間を無差別に襲う怪物に変貌してしまうだろう。
最悪の可能性だ。
「フロドにしか出来ない」
心を保てるのは清廉な彼のみ。
清らかさだけが指輪への抵抗力になる。
オーザンには付け入る傷が多すぎた。
「……そうか。今のは忘れてくれ」
「はいよ」
もっとも、いたずらに指輪をはめようものならセレグセリオンが暴れて指を切り落としかねない。
他の意志が宿主の体にまとわりつくのを魔剣は極端に嫌うだろう。
「力があればとは思わんのか?」
ぼろぼろの灰色衣に剣を隠したガンダルフが待っていた。
「力があればどうなるっていうんだ? 今さら力を得ても遅すぎる。逆にむなしくなるばかりだ」
「その境地に至るか。悲しいのう」
ガンダルフは指輪の誘惑を跳ね返した孤独な男を憐れみ少しだけ信用した。
「考える時間ならたっぷりあったからな」
一人になってからの夜は長かった。
どうするか迷うたびに悩み抜いてここにいる。
「もし家族や友が生き返れるとしたら、どうする?」
ガンダルフは少し意地が悪い質問をした。
愛するものと指輪の旅を天秤にかけろというのだ。
「愚問だぞ灰色のガンダルフ。失ったものはもう戻らん。返ったとしてもそれは同じ形をした別の何かだ」
本性を暴く手口と承知の上で語気を強める。
それは思い出を穢すも同然だ。
大切なものだからこそ、安易に生き死にを入れ替えてもてあそぶのは許せない。
生と死の狭間で暮らしたオーザンは、生きていることと同じくらい死んだことを重んじる。
「それがサウロンのやり口じゃ。愛深きものはわかっていてもこれに弱い」
指輪の魔力により闇の勢力に堕したナズグルも、かつては人間の王として愛するものを守るために力を求めた。
しかし行き着いたのはサウロンに永遠に服従する終わりのない亡霊だ。
「そんなたわごとに貸す耳は無いから安心しろ」
「ならばよい」
ガンダルフは押し黙って足を速め前に行った。
峠は近い。
オーザンの集落は遠く毎日戦争していたようなものなので、最後の同盟も不参加です。
同時展開の
エログロ全開ハードコアチャンバラ破戒武侠伝
「剣戟魔界都市」もハイよろしくぅ!
https://syosetu.org/novel/303761