魔法の光が灯り、採掘と整地を繰り返した坑道を照らし出す。
動くものは何もない。
あまたの鍾乳石から滴が垂れる合奏が響くのみ。
風に混ざった臭いはやや古い。
もしやと剣は抜いておいたがその必要はなさそうだ。
セレグセリオンを鞘に納め、コートで隠した。
「馬鹿に静かだな」
用心して盾を構えたボロミアがじりじりと進む。
「すぐにもてなし好きのドワーフが飛び出すじゃろう」
「怖がるこたあねえ、暖かい寝床と旨い食事が待ってる! 早くバーリンに会いたいぜ」
ギムリは大胆に魔法の光の中を奥へ伸びる階段に進む。
懐かしい建築様式と地下の空気で彼の胸は膨らんでいた。
その結果、不穏な兆候を見落とした。
「わっ」
恐る恐る歩いていたピピンの爪先が引っ掛かり、暗がりに転がり落ちた。
「大丈夫か?」
オーザンがそこまで降りて手を伸ばす。
「いてて……」
幸い怪我はしなかったが、もっとまずいものを見つけた。
「ん……うわぁあああっ!」
転んだピピンがぶつかったのは、眼窩に矢が突き立つ朽ちた死体だった。
躓いたのは白骨化した足だ。
「むぐ……」
すかさず口を押さえて黙らせた。
「静かに。死体に害はない」
無用に騒ぎ立てれば湖のように余計な災いを引き寄せかねない。
すぐにガンダルフが魔法の光を強めてより明るく照らすと、今まで影になっていた石柱や壁際にはおびただしい数の死体が倒れていた。
緊張の糸が張り詰めて自然にホビットを守る隊形に固まる。
ピピンも慌ててそこに潜り込んだ。
レゴラスがしゃがんで刺さった矢を抜いて調べる。
返しが片側一本の鏃、ボロボロの矢羽。
ある種族の使うものと酷似している。
「オークだ!」
レゴラスは合点がいった。
「知ってたなオーザン。だから私に注意しろと言ったのか!」
当の本人は囲みからひょいと道を外れ落ちている斧や死体の傷み具合を調べる。
双方入り交じる二十弱の死体の肉は骨から剥がれ、ドワーフの良質な鉄の装備がかなり腐食している。
少なく見積もっても年単位の風化のしかただ。
戦いで果てた勇敢な戦士の亡骸を奪還して弔う余裕もなかったことを意味するなら、モリアの状況はかなり悪い。
オークの死体はドワーフの死体より多いが、双方とも落ちている武器が不自然に少ない。
勝手に動いたのでなければ、程度が良かったものは生存者の戦利品になったと思われる。
「なぜ言わなかった」
予備の短剣でオークの死体をつつくオーザンにアラゴルンが詰め寄った。
「教えてたら入らなかっただろ? 手間を省いたんだよ。安心しろ、奴等が近くにいたら寝てても臭いで分かる」
「だとしても相談くらいしてくれ。仲間だろう」
「次からはそうする。それと、近くにはいないから武器を下ろしていい。緊張し過ぎると無駄に疲れる」
どのみち退路はない。
未だにギムリの親族が生きているか、かなり疑わしくなったとは言わないでおいた。
なにも暗くなる情報を言わなくてもいい。
生死はどうせ後で分かる。
「その言葉を信じるぞ」
拳を額に押し付けて感情を整理したアラゴルンが剣を鞘に戻す。
人一倍戦いに敏感なオーザンに従い、一行は武器を仕舞った。
「なんてこった……」
「まだ決まった訳じゃない」
斧を握ってうちひしがれるギムリに肩を寄せ、先を促した。
落ち着きを取り戻した仲間たちは階段を上って戦士の墓場を後にした。
煌々と輝く杖に導かれ霧降り山脈の地下深くを粛々と歩いた。
階段を上って降りて、均された道を下る。
「ずっと疑問だったんだが、元々強いサウロンがたかが指輪に拘る必要があるか?」
話には聞いていたが魔法らしい魔法を見たのは中つ国に来てからだ。
指輪の由来も秘められた力も知らない。
エルロンド卿にはサウロンが指輪を手にすれば甦り、中つ国が滅ぼされると教えられたが想像は漠然としている。
「魔法の指輪ってのは大した代物なんだな」
今恩恵に預かっている光の魔法も松明で代わりが利く。
サルマンが起こしたカラズラスの吹雪も元から自然の地形あってのものだ。
自分だけなら切り抜けられそうだったこともあり魔法に対する畏怖の感情がどうしても鈍い。
「一つの指輪には、サウロンの力の大半が詰まっておる。取り戻せば完全に復活するであろう。そしてサウロンが関与した力の指輪は全部で十九。それらはさしずめ、使用者の魂を奴に捧げる祭壇。魔力を蓄えた指輪のすべてが揃った暁には、その日が中つ国の最後になろう」
指輪について、ガンダルフはおさらいをすることにした。
サウロンの知識を共有すればボロミアとアラゴルンの仲間意識も強まると考えた。
「冥王サウロンも元はわしと同じくマイアであったが邪神メルコールの一番の部下になると、己のために力を使う邪悪な存在へと変わり果てた。メルコールが次元の彼方へ追放され闇の生き物は散り散りに逃げ、サウロンだけは野心を引き継いだ」
太古の時代、神々から教えを受けた偉大なるエルフの戦士すら次々と倒れるような神話の戦い、宝玉戦争のことだ。
ひときわ力があったメルコールという神はうぬぼれと欲望からアルダに大戦争を引き起こした。
モルゴスと蔑称をつけられた邪神はオークや邪悪な怪物を率いて中つ国の覇者となったが、激戦の末に異次元に放逐されて二度と戻れなくなった。
大地が波打ち、大陸が海に沈むような大混乱で力あるエルフの氏族もまたいくつも絶えた。
オーザンの祖もそのひとつと思われる。
「当時のエレギオンは高い技巧を誇り、魔法の品々を数多く産出した。持つ者の力を高め命を伸ばす指輪も作っておった。サウロンは彼らの技に目をつけ、正体を隠して接近した。邪法の知識を吹き込み、魔法の指輪をエルフに作らせたのじゃ。完成した強力な指輪はエルフに三つ、ドワーフに七つ、人間に九つ配られた。やがてサウロンはエルフから盗んだ技巧を用いてモルドールの滅びの山の火口ですべての指輪を支配する、一つの指輪を作った。しかし指輪の魔力を束ね無敵の覇者として君臨するはずが、いくらかの誤算が生じた」
当時の賢者は最善を尽くして痛ましい物語では終わらせなかった。
メルコールより遠回しでいやらしい手を好むサウロンのやり口に気がついたのだ。
「知っての通り、人間は欲に溺れて指輪の虜になったが、賢きエルフは意図を読んで指輪を隠した」
エルフの指輪を探して各地の集落をサウロンは攻撃した。
廃墟と化したエレギオンもそのひとつ。
サウロンは生き残りをとらえて拷問したが、彼らは誇り高く、指輪のありかを決して言わなかった。
彼らの気高い犠牲によって邪悪な計画は小さな綻びをみせた。
「頑強なドワーフはさらに例外でな、外からの影響をほとんど受けぬ性質をしておったので指輪の力を存分に使って莫大な富を築いた」
「たかが指輪にドワーフが負けてたまるか」
サウロンの誘惑にも打ち勝ったドワーフの矜持をギムリは口にした。
「その代わり果てしなき欲望に駆られ、骨肉合い食み自滅したのを忘れるでないぞ。掘りすぎて滅びたこのモリアがいい例じゃ」
頑固な悪い面をガンダルフは戒める。
「ともあれ、サウロンはドワーフから七つのうちの三つを取り返した。残りは竜の火で焼かれたか行方知れずになった」
「連合軍はなんとか奴を倒したが指輪は捨てられなんだ。当時のゴンドール上級王のイシルドゥアは指輪の誘惑に屈してしもうたのじゃな」
人間、エルフ、ドワーフなど、サウロンに反抗する者たちが種族の垣根をこえて同盟を組んで戦った。
いまでは反目しあう者が多々いることから、最後の同盟と呼ばれる一大決戦で勝利した。
しかし希代の英雄ですら指輪に囚われ、サウロンにとどめを刺し損ねてしまったのだ。
それから三千年が経った今では魔法の息吹は薄れ、当時の英雄に並ぶような傑物はいない。
「もうとっつぁんには会えねえだろうなぁ」
ホビット荘の父親を想い悲観的にサムが嘆いた。
うつむき気味の赤毛の頭をオーザンが大きい手のひらで撫で回す。
「なに暗くなってる」
「暗くもなるさ。おとぎ話の英雄や勇者が束になってやっと倒せたんだ。流石のあんたでも一人で敵う相手じゃない」
物語の勇ましい英雄と自身のぽっちゃりした腹を見下ろしたサムが愚痴っぽくなる。
「言っとくが旅を成功させりゃあ、後の世ではみんな英雄だ。お前も勇者扱いされるんだぜ? 剣の勇者サムワイズ」
申し訳程度にぶらさげた短剣を指して言う。
今のところ彼には重りにしか思ってなかろうが、使う心構えはしておいて損はない。
主人が弱りきった頃ならなおさら出番はある。
「からかうなよ」
「からかってねえよ。物事は良い方向に考えようや。もし復活しても使われてない指輪七つの分だけ弱いってことだろ? 完全復活よりましだ」
剣が使えるなら魔法全開で来られない限り、やりようはある。
苦境など見飽きた。
「絶望という文字はお前の頭には無さそうだ」
ボロミアが呆れ半分で歯を見せた。
「応、死んでもな。俺は勝てる戦いを諦めるのが嫌いだ。何回負けても勝つまでやめねえ」
皮肉には聞こえない。
故郷が滅びた最後の朝、オークと東夷の連合軍千人を迎え撃った戦士の数は、たったの五人だった。
それでも戦い抜いて生き延びた。
今もオークとあらば殺すし同胞も探している。
「左様、最後の一人まで諦めてはいかん」
ガンダルフは人の力を信じていた。
人は暗い時代を切り開き何度も危機を乗り越えてきた。
「失われた指輪の一つがあるという噂もあって、見つけたがっていたバーリンはモリアに来た。もしかするともう探しだしたかもな!」
「ドワーフのへこたれなさにも困ったものじゃ。その頑固さゆえ指輪を渡さず、冥王の力が削がれてなんとか倒せたのだから、一概には批判出来んがな」
楽観的過ぎるギムリに口をもごもごさせてガンダルフはため息をついた。
下に進路をとり深い中つ国の底、原始の闇の地へ一行は沈んでゆく。
「む……」
三つの通路に枝分かれする分岐点で行き詰まった。
「どれを行くんだ?」
アラゴルンが進路を仰ぐがガンダルフは自信なさげに眼を泳がせる。
「この場所は、記憶にない……」
彼はドゥリンの扉の時のように座り込んで考え始めてしまった。
鼻を使ってみると遠くから嫌な臭いがする。
オークの臭いだ。
風と臭いが流れていることにはガンダルフも気付いている。
深い知恵で考えを煮詰めている最中に余計な情報を与えて混乱させたくはない。
時間を使えるなら使っておく。
円座になって岩場に仲間と座る。
「やれやれ、次に穴を掘るときはもっと単純な造りにしといてくれ」
「鉱脈に沿って掘るのに計画なんて立てようがあるかい。簡単に言いおってまったく……」
「それよりお腹空かない? 僕もうペコペコさ」
ピピンはパイプで空腹を誤魔化していた。
裂け谷から持ち出した食料の大半を背負わせていた馬は崖から落ちて無くしてしまった。
サムの荷物に入れてあった堅いパンの欠片も湖のほとりで食べた。
「休めるときに休め。目を閉じているだけでも後々違ってくる」
オーザンは忠告しながら大胆に寝そべっていた。
硬い岩の上でもお構い無しに気持ち良さそうにしている。
「オークがどこにいるかも分からないのによく平気で横になれるな」
暗闇に隠れたオークに気をとられているボロミアは眼を閉じるのも恐ろしい。
「空腹はしかたない。代わりに座れる時は座り、寝れる時は寝ておくのは戦士の基本だ」
丸一日合戦していればどんな体力自慢だろうと疲れきる。
戦いの合間に休めない者から倒れていくのだ。
「あんたが生き残った理由がわかったよ」
心なしか細くなった腹を抱えたサムが言った。
そうは言いつつも皆に疲れがあって寝息を奏でる者がちらほら出始める。
各々で楽な場所に尻と背中を落ち着ける中、動く気配を感じて片目で見る。
オークではない。
フロドだ。
体を起こして静かにそばに行く。
「眠れないか」
フロドだけが離れた場所で眼を閉じては苦しそうに悶えて眼を開けていた。
サウロンとの狂気の綱引きで一番消耗しているはずだ。
「指輪か」
ふざけた野郎だ。
肩書きのわりにやることのみみっちい冥王に内心で悪態をついた。
「貸せ」
オーザンの唐突な申し出に、見守っていたアラゴルンは発狂したかとぎょっとした。
剣を抜くか迷った末、態度が落ち着いているので様子をみることにした。
「でも……」
彼なりの優しさだとしても、フロドは戸惑った。
内側が頑強で純朴なホビットだからフロドは苦しいだけで済んでいる。
屈強で欲の無いオーザンでも長時間指輪に曝されれば正気を失うかも知れない。
それはオーザンも承知している。
だから持たない。
「ただし持つのはこの剣だ。呪われた道具同士、よろしくやってくれるだろ」
セレグセリオンを腰から外し指輪の鎖を柄にかける。
魔剣は一度ぶるりと震え、もしや不味いかとオーザンは思ったが、サウロンの意識との戦いに力を割いたのか静まった。
大丈夫そうだ。
セレグセリオンの禍々しさとサウロンの邪悪な力が上手く相殺している。
移動しないならこれでいい。
フロドの隣に座り、間の岩を台座にして立て掛ける。
ここならフロドも安心するし、自分も見張っていられる。
「まだサウロンは見えるか?」
「見え……ない……」
恐る恐る眼を閉じたフロドが青い唇から言葉を紡ぐ。
「よし。そのまま何も考えないで寝ろ。ガンダルフが名案を思い付いたら俺が起こす」
小さな体で誰よりも強大な敵と戦っている。
彼には休息が要る。
疲れきっていたフロドは数秒で意識を途切れさせ、夢も見ない深い眠りに落ちた。
「あんたも休め」
「私はいい。お前こそ寝てくれ」
「皆が起きてる時は、大将には元気で居てもらわなきゃ困るんだよ。俺が見張りはしておくから。な?」
満点のウインクを送りつけてやるとアラゴルンも押し負けて眼を閉じた。
見回して全員眠っているのを確かめ、どうしたものかと一人ごちる。
先程から何がが近くに来ている。
オークとは違う臭いがする。
それ以外の敵対的な化け物にしては一定の距離から近寄ってこない。
だからといって何が潜んでいるかわかったものじゃないのが霧降り山脈の深い場所。
油断は禁物だ。
「……放っとくか」
狩り出しに離れても良くないので放置しておくことに決めた。
近寄ってきたら対処しよう。
ガンダルフはまだまだ頭を捻っている。
仲間が起きるような音を出さないように苦心してパイプに火を着け、ぷかぷか煙で遊んで時間を潰した。