Pseudépigrapha D'Ange Vierge-Au Nouveau Monde-   作:黒井押切町

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プロローグ

 1981年、遠薙夏菜(とおなぎなつな)は三重県一志郡美杉村奥津(いちしぐんみすぎむらおきつ)に、遠薙家の次女として生まれた。その土地は1965年に起こった世界接続の影響で発生したと考えられている「異変」と呼ばれる自然災害群の影響があまり無く、また辺鄙さ故にそうした他の地域ほど人口の増加もない。かつての宿場町としての雰囲気を残した風光明媚な土地である。

 夏菜が物心ついた頃には母は既に他界し、父征四郎(せいしろう)は海軍の潜水艦乗りで家に殆ど帰れなかったため、近所の大人が夏菜とひとつ上の姉である深雪の世話をしていた。物静かで絵を描くことが好きだった姉に対して、夏菜は活発で外で体を動かすのが好きな少女だった。しかしタイプは正反対でも仲が悪かったということは決してなく、むしろ近所でも評判の仲良し姉妹だった。

 運命の分かれ道となったのは、夏菜が8歳の夏、夜の山に友達と肝試しに入った時のことだった。いくら夜の森とはいえ、数え切れないほど遊んだ山で迷うことは無いと夏菜は確信していた。だが、迷った。それほど奥には入ってはいないはずだったが、迷った。泣きながら森の中を歩き回ったが、夏菜は薄々、ここはあの土地ではないということを勘付いていた。季節は夏の盛りのはずなのに肌寒く、またあまりに枯れ木が多過ぎる。月だけは奥津で見てきたのと同じように見えたが、そのことがかえって夏菜を混乱させた。

 

「夢、だよね。お姉ちゃん、早く私を起こしてよ」

 

 夏菜は涙ながらに弱々しく呟いたが、風の音がするばかりで、期待したことは何も起こることはなかった。絶望した夏菜は、一際大きな泣き声をあげ、一心不乱に駆け出した。どのくらい走ったのか分からないが、いつの間にか森を抜けていた。しかし、それも見慣れた奥津の光景ではなく、石造りの建物が立ち並ぶ街だった。

 

「あは、あはは」

 

 夏菜は膝から崩れ落ち、乾いた笑い声を発した。幼いながらに、夏菜は己の死を予感した。見知らぬ土地で、幼子一人で生きていけるはずがない。絶望の沼の底に沈みゆく夏菜だったが、彼女の心に、たったひとつの蜘蛛の糸が垂らされた。

 

「死にたくないよ。生きたい。お姉ちゃんにもう二度と会えなくても、死ぬのだけは、嫌!」

 

 夏菜は力を振り絞って叫んだ。その瞬間、夏菜の目の前に光の塊が現れた。夏菜は取り憑かれたようにその光に手を伸ばし、掴んだ。その直後、光が弾け、深い青緑の剣が彼女の手の中にあった。しかし、それと同時に夏菜の精根は尽き果て、意識は途切れたのだった。

 

        ***

 

 夏菜が目覚めると、白い天井があった。自分が寝かせられているベッドは固く、夏菜は己が病院にいるらしいということは理解できた。あの山で気絶か何かしていて、昨日見たことは全て夢で、美杉の大きな病院に運ばれたに違いない——淡い希望を抱き、夏菜は体を起こして窓の外に目をやった。そして、そこから見えた石造りの街に、その微かな希望さえも砕かれた。

 

「目が覚めたようだね。気分はどう?」

 

 男の声が聞こえた。それも日本語だ。いくら8歳とはいえ、日本語以外の言語が存在することくらいは知っている。では、ここは日本だ。そのように思って、声がした方に夏菜は振り返った。そこには医者と思しき白衣を着た男性と、髭を生やした赤髪の男性がいた。後者の男が着ている服は、征四郎の軍服に似ていたが、日本軍のものではなかった。しかし、それだけでは夏菜はここが日本ではないということを否定するに至らなかった。

 

「ねえおじさん。ここは美杉じゃないよね。何県のどこなの? 教えてよ!」

 

 夏菜はベッドから出て、二人の男にすがりついた。だが、二人とも困ったような表情を浮かべていた。そしてそのうちの軍服の男が、夏菜に目線を合わせ、真っ直ぐな目で彼女を見つめて告げた。

 

「いいかい。今から言うことは、とても信じられることではないかもしれない。でも、本当のことなんだ。それは君にとってはとても辛いことだけど、私は話さなきゃならないんだ」

 

 男曰く、夏菜は元いた世界とは別の、この世界に転移してきたのだという。ここは日本ではなく、グリューネシルト王国という国であり、また男たちも日本語を話しているわけではない。世界水晶なる存在によって、男たちの話すG・S(グリューネシルト)の言語が夏菜の耳に日本語として入ってきているだけのことだった。

 

「あの、それで、元の世界に帰れたっていう人はいるの?」

 

 夏菜は最も気になっていたことを尋ねた。そのような人がいたということになれば、この先生きる希望も見える。だが残酷なことに、軍服の男は医者と顔を見合わせ、そして静かに首を横に振った。夏菜は再び絶望の底に突き落とされた。それを見かねたのか、軍服の男が、躊躇いがちに口を開いた。

 

「ひとつだけ、可能性が無いわけじゃない」

 

「本当!?」

 

 夏菜は目を輝かせ、軍服の男に食いついた。しかし、彼がずっと言いづらそうにしているのが気がかりになって、その輝きもくすんでいった。

 

「なんで黙ってるの?」

 

「その方法というのは、君がG・Sの軍人になることだ。私たちは今、他の世界とこの世界を自由に行き来できるようになる方法の研究をしてる。だけど、その場合君は元いた世界と戦争をする必要が出てくるかもしれない。君の手で、故郷をめちゃくちゃにするかもしれないんだ。だから、戻ることはできるかもしれない。もう一度、土を踏むことはできるかもしれない。でも、故郷で暮らすことは、多分無理だ」

 

「軍人さんにならなかったら、どうなるの?」

 

「G・Sの一市民として、ここで暮らす」

 

「それって、同じじゃないの? 私がやるかやらないかだけで」

 

 夏菜は、小さな声で返した。夏菜は早熟な子供だった。頭が落ち着いてきたことや、父が軍人であることもあいまって、彼女はそのように捉えられてしまった。よもやこのように返されるとは想定していなかったようで、二人の男は言葉を失っていた。そのうち、軍人の方が先に平静を取り戻したようで、一呼吸おいてから夏菜に語りかけた。

 

「あくまで、攻める可能性があるだけだよ。まだそうなると決まったわけじゃない」

 

「軍人さんがああやって言うってことは、ほとんど決まってるようなものだって、私何となくわかる。お父さんが軍人さんだから。どうせおんなじなら、私は軍人さんになる」

 

「いいのかい、それで」

 

 軍服の男の問いかけに、夏菜は頷いた。件の研究が頓挫すれば夏菜は奥津に帰ることはなく、成就すれば、奥津がどうなるかは分からないが、地球と戦争をするのは確かだ。勝つにせよ負けるにせよ、また夏菜がその時どのような身分であるにせよ、奥津の住民として帰られる保証はない。ならばいっそ、軍人になった方がいいと考えたのだった。

 彼は夏菜をずっと見つめ続けていたが、彼女の決意の固さを悟ってか、一度ため息をついて告げた。

 

「分かった。私の方で手続きをしておくよ。聞きそびれていたけど、名前は何と言うのかな。私はヨゼフ。ヨゼフ・ティルダインだ」

 

「えっと、下の名前、ファーストネームはどっち?」

 

「ヨゼフがそうだ。ティルダインは、家の名前」

 

「じゃあ、私はナツナ・トオナギ」

 

 陽光が差す中、ナツナはヨゼフと握手を交わした。これが、ティルダインとナツナの縁、そして、統合軍人、ナツナ・トオナギの始まりだった。

 

        ***

 

 まず、ナツナは退院後、ティルダイン家に引き取られた。ティルダイン家は軍人の名門とのことで、実際にヨゼフは少将で特務隊という特殊部隊を管轄する立場にある。長女のスレイは軍学校を首席で卒業したばかりでなく、初めて赴任した場所でもメキメキと頭角を現していて、大将クラスの高官も注目している期待のルーキーだ。長男のゲオルグは、ティルダイン家の中ではナツナと歳が比較的近い14歳で、彼だけは軍人ではなく、普通の大学に入って内務省の官僚を目指して勉強していた。

 ヨゼフの妻も軍人であるため、ティルダイン家には使用人の他にはゲオルグだけが、朝早く出て夜遅くに帰る、という生活を送らなかった。ナツナは幼年軍学校に通っていたが、初等部の段階では自宅通いができたので、家がそこに近かったこともあって、彼女はそのようにしていた。そのような状況で、ナツナとゲオルグがお互いにその寂しさを埋めあったため、すぐに男女として惹かれ合った。

 数年が経ち、ヨゼフが陸軍大臣として政界に入るのと入れ替わりにスレイが特務隊に転属したのがきっかけで、ナツナも特務隊を目指すことにした。ナツナが12歳に、ゲオルグが18歳になると、ナツナは特務隊候補生選抜試験の、ゲオルグは名門大学の合格を目指して勉強に本腰を入れるようになった。奇しくもその合格発表の日がどちらも同じで、またその場所もさほど離れていなかったため、一緒に見に行くことにした。

 

「何だか、ここまであっという間だった気がするな。ナツナはどう?」

 

「私も。もうここには慣れちゃったし、ここ一年は勉強ばかりだったから」

 

 快晴の空の下、首都の大通りを歩きながら、ナツナはゲオルグと腕を組み、何気ない会話を交わす。もし合格していたら、ナツナはゲオルグとはしばらく会えなくなる。そのことが心細く、この日の彼女はいつもよりも大胆になっていた。

 ナツナがG・Sに来てから四年が経ったが、その中でナツナの奥津への郷愁はほぼ完全に風化してしまっていた。この世界で出会った人たちは、ナツナに気を遣って元の世界の話題を振らなかったこともあって、姉と父以外の人の名前と顔は完全に忘れてしまっていた。その顔も非常にぼんやりとしたイメージしかできず、ナツナは自分がこの世界の住人と化したことを実感していた。特務隊に入りたがったのもそちらの方が故郷に帰りやすいからではなく、憧れのスレイが居て、あとはカッコよさそうくらいの気持ちでしかなかった。

 初めにゲオルグの合格発表の掲示板にやってきた。人だかりで見えづらかったので、あまり背の高くない彼は背伸びをして自分の番号を探していた。そうしている時間が長くなるにつれ、ナツナは段々と不安になってきた。もしかしたら、自分の受験番号が見つけられなかったのが信じられずに、何度も何度も見直しているのかもしれない。もしも彼が不合格だったら、ナツナは自分がどのような顔をし、彼にどのような慰みの言葉をかければいいか分からなかった。下手なことを言ってしまえば、傷心しているであろう彼をより傷付けてしまう。しかし、ここまで考えたところで、ゲオルグの顔が明るくなったことから、ナツナは自分の心配が杞憂に終わったことを察した。しかし、彼女は彼の口からその結果を聞きたくて、彼の腕をより強く抱いて尋ねる。

 

「ねェ、ゲオルグさん。どうだった、どうだった?」

 

「合格したよ」

 

 ゲオルグは屈託無く笑ってみせた。その笑顔を見た瞬間、ナツナは感極まってゲオルグに抱きついた。彼の頑張りを側で見てきたナツナにとって、それが報われたということは自分のこと以上に嬉しかった。

 

「良かった。良かったね、ゲオルグさん!」

 

「ありがとう。こんなに喜んでもらえるなんて思ってなかったよ。でも、ここじゃ少し恥ずかしいかな」

 

 ゲオルグが苦笑する。ナツナはハッとして辺りを見ると、周りの人々から冷やかしの目で見られていることに気がついた。急に恥ずかしさが増し、顔を真っ赤にしたナツナは咄嗟にゲオルグにくっつくのをやめ、代わりにその手を握った。

 

「は、早く私のとこ、行こ?」

 

「そ、そうだね」

 

 ナツナとゲオルグは、逃げるようにして掲示板から離れた。しばらく歩いて、彼らの目の届かぬところまで来られたかと思うと、ナツナの口から自然とため息が出た。ゲオルグも同時にため息をついて、互いに顔を見合わせ、互いに苦笑いした。

 

「ゲオルグさん。私が受かっても、抱きついたりしないでね」

 

「俺はそんなことしないよ」

 

「じゃあ、どうするつもりなの?」

 

「頭、撫でてあげるかな。こんな感じで」

 

 そう言ってゲオルグは繋いでいない方の手をナツナの頭に伸ばしてきたので、ナツナはそれをひょいと避けた。

 

「今やんないでよ。もったいないじゃん」

 

「ははは、ごめんごめん」

 

 口では謝るゲオルグだったが、性懲りも無くまた手を伸ばしてきた。ナツナはそれを避けてといった感じで遊びながら進んでいくと、あっという間に合格発表の場、統合軍首都駐屯地に着いた。特務隊候補生の試験は合格者20名という狭き門で、しかも合格者発表の張り紙には本名が成績が良かった順に掲示されるので、それを見れば受かったかどうかは一目瞭然だ。

 

「あ、受かってた」

 

 そのようなこともあって、ナツナはかなりあっさりと自分の名前を見つけられた。下から三番目、つまり17位であったので、喜びよりも、もっと上だと思っていたのになァというやや残念な気持ちが大きかった。

 とはいえ、合格は合格だ。ナツナがとりあえずゲオルグに改めて報告しようと振り向くと、すぐに頭の上に手が乗せられた。

 

「おめでとう、ナツナ。辛い訓練が待ってると思うけど、ナツナなら大丈夫だよ。だから頑張れ。俺は最後まで、ナツナを応援し続けるよ」

 

 彼の言葉を聞いて、ナツナは胸がときめいた。ありきたりな言葉だったが、だからこそ、飾らないゲオルグの優しさがありありと感じられた。その優しさには、ナツナが今作ることができる中で、最高の笑顔で返してみせた。その顔をナツナが見ることは当然出来なかった。しかし、ゲオルグが顔を赤らめたのを見てナツナは成功したのを確信し、心が満たされたのだった。

 ——それから更に時は流れ、ナツナが16歳になった秋のある日。彼女は、自分の直属の上司となったスレイの執務室の前にいた。この時期に呼び出されるということは、ついに自分にも出番が回ってきたのだと、ナツナの心は戦いに飢え始めていた。第二次ブルーフォール作戦。かつての故郷を滅ぼし、今の故郷を守る。その戦いが、今ナツナの中でも始まろうとしている。

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