Pseudépigrapha D'Ange Vierge-Au Nouveau Monde- 作:黒井押切町
命令を受けてから二日後の晴れた深夜、ナツナは自室で、闇夜に紛れられるような、艶のない真っ黒な全身タイツを着、上に黒いロングコートを羽織り、更に髪を纏めて黒い帽子を被った。そのようにしてから鋼鉄製の手甲を嵌め、足音が全くしない特殊な靴を履き、ロープを使って部屋の窓から外に降りた。ここまで、誰の視線も感じなかった。
(まずは上々。ここに来てから特務の訓練はしてなかったけど、体は全くなまってない)
ナツナは密かに安堵しつつ、学園へと向かう。今日はアゲハが深夜巡回の当番だ。他の者ならいざ知らず、仮にも軍人である彼女が、壮太郎の定めた時間を守らないとは思えなかった。それならば、予め彼女の通る道で待ち伏せた方が確実だ。他の風紀委員も居るが、彼女らが通る道は熟知している。しかも、深夜巡回は最後に集合せず、通信で報告を済ませてから各々が寮に戻ることになっている。つまり、アゲハを気付かれることなく半殺しにするのはさほど難しくない。
音を立てず、風紀委員の巡回経路の合間を縫って移動し、ナツナはアゲハの巡回経路に先回りして物陰に隠れる。そこで彼女は指弾用の礫をコートのポケットから取り出し、息を殺してアゲハを待つ。そして視界の中に彼女を捉え、指弾の射程距離に入った瞬間、ナツナは礫を弾いた。元々のナツナの指弾の腕に加え、魔術により威力が倍加したそれは、アゲハの額に直撃し、彼女を一撃で昏倒させた。ナツナは彼女に近づいて、本当に気絶したかを確かめたのち、右手にエンドブレイザーを召喚し、左手にコートに忍ばせておいたハンマーを持った。
「さァ、裏切りの報いを受けるのは今だよ」
ナツナの顔が嗜虐的な笑みに歪む。その直後から、血飛沫とともに、骨が砕け肉が飛び散る音が、乾いた夜空に残虐に響き渡った。
***
翌朝、ナツナがいつも通りの時間に起きて、眠気覚ましのカフェインの錠剤を飲んでから支度を始めると、風紀委員の腕章がけたたましく鳴った。何の要件で鳴っているかは考えるまでもなかった。
「全風紀委員に伝達。今すぐ風紀委員会教室に集合しやがれ」
いつになく真剣な壮太郎の声がそれから聞こえた。ナツナは、支度を終えた後、深刻な表情を顔に貼り付けて自宅を後にし、風紀委員会教室に向かう。その道中、ナツナはちょうど昨夜の現場の辺りを通りがかった。そこは柵で囲われて人が入れないようにはなっていたが、早朝にも関わらず、既に何人か野次馬が集まって騒いでいた。その光景を尻目に、ナツナは先を急いだ。
ナツナが風紀委員会教室に到着すると、中にいた誰もが彼女に注目した。一瞬、目撃されていたかと焦りを覚えたが、ナツナの次に入って来た者に彼らの注目が移ったため、ナツナは内心で安堵した。もちろん、これらの心の動きは一切顔に出していない。
数分で全員が揃い、それを確認した壮太郎が、教壇に上がってレジュメを片手に黒板に今彼らが把握しているらしい情報を記した。
「被害に遭ったのは知っての通りアゲハ・サナギだ。深夜巡回が終わった時間になっても戻ってこない彼女を心配した、同じ当番だった日向とユーフィリアが第一発見者だ。で、全身の打撲に加え、肋骨のいくつかと肩、膝の骨は粉砕、更に全身なます切りにされたっぽくて、現在は意識不明。医者に言わせりゃ生きてるのが奇跡だそうだ。目撃者は無し。襲撃された場所と発見した時刻を考えると、犯人が襲ってから離脱するまで、長くて5、6分くらいってところだな」
壮太郎は淡々と説明していく。他の風紀委員に動揺している者が多く居る中で、彼は顔色ひとつ変えていない。その精神的な強さに、ナツナは思わず感心していた。
「犯人はどう考えても統合軍関係の奴だろう。ガイシャに恨みがあるのはアイツらくらいだろうしな。だけど、人数は、はっきり言ってわからん。短時間でここまでやったんだから、複数と考えるのが自然だろうが、緑の世界の異能で召喚される武器に、一人でこういうことができるのがあるかもしれん。つーわけでだ」
壮太郎が、ナツナに目を向けた。更に、全員の注目もナツナに集まる。予想通りの展開に、彼女は大きくため息をついて、ゆっくりと立ち上がった。
「私があんたに武器を見せてないから、今この場で見せろってことでしょ」
「ああ。お前もサナギ
「しょうがないね。はい」
ナツナは、大人しくエンドブレイザーを召喚し、壮太郎に手渡した。一応、武器を偽って他の武器を魔法で召喚することも出来たが、同じ緑の世界出身のマユカや、優れた魔女であるソフィーナなどが同じ場にいるため、そのようにすれば、誤魔化したことが露見するかもしれなかった。エンドブレイザーはナツナが念じなければただの剣である。マユカはその特殊能力は知らないはずなので、隠さずにそれをそのまま見せた方が安全であるように、ナツナには思えた。
受け取った壮太郎は、初めはその刀身を眺め、それから振ってみたり自分の指の皮膚を少し切ったりしたりしていたが、やがて不満げな表情でナツナにそれを返した。
「ただの剣か。斬れ味は良さそうだが、あの短時間で全身なます切りしたように見せるには無理があるな。サナギ妹は、遠薙妹のこの剣について何か知らないか?」
「知らないです。そもそも、トオナギ少尉の武器を見たのは、今が初めてですし」
壮太郎の問い掛けに、マユカは申し訳なさそうに答えた。それを聞いて、ナツナは裏でホッと一息ついた。実は知っていた、などというオチがついては目も当てられなかった。これで疑いが晴れたとは思わないが、少なくともナツナが単独で行った、という嫌疑は殆ど晴れたに違いなかった。
「さて、こっから犯人探しだが、困ったことにいきなり八方塞がりだな。犯人の候補がマユカ以外の統合軍出身者全員だ。なんか知ってたとしても口を割るとは思えねェし。ダメ元で聞くけど、遠薙妹はなんか知ってるか?」
「さァ、知らないね。そん時は寝てたし、心当たりあるかって聞かれたら、それこそ全員じゃないのってなるし」
ナツナは、本当に分からない風を装った。これは上手く騙せたようで、壮太郎は今以上にナツナを追求することはなく、大きくため息をついて黒板消しを取った。
「そういうわけで、犯人探しはサナギ姉が意識を取り戻すまではやめだ。やるだけ無駄だろうしな。やることといえば、サナギ妹をどこに匿うかを決めるくらいか」
「私は、犯人探しに参加できないんですか」
マユカは、あからさまに肩を落としていた。ナツナは、彼女の姉の力になりたいという気持ちだけには共感できたが、それ以上に、裏切り者のくせに何を言うかと憤った。第一次ブルーフォール作戦の失敗の責任も取らずにのらりくらりと学園を闊歩するのみならず、身内のことに関しては責任を取らせようとする彼女の態度が、ナツナには許せなかった。しかし、人前で彼女に殺意を向けるわけにもいかず、ナツナはただ猫をかぶるしかなかった。
ナツナが葛藤する一方で、壮太郎がややうんざりした様子でマユカに対して言う。
「お前も襲われたいなら話は別だがな。悪いが、普通の風紀委員の業務もあるんでね。お前が歩き回ってる時の護衛なんか出せねェぞ」
その言葉で、マユカは黙ってしまった。マユカよりも強いアゲハを一方的に痛めつけた相手に、彼女一人ではどうしようもないと悟ったらしい。
重苦しい空気が漂う。その中で、数人の風紀委員はちらちらとナツナの方を伺っていた。単独犯という括りでは容疑が無くなったとはいえ、集団での犯行という線ではまだ犯人候補の一人だ。
「でも、匿うって言ったって誰がするのよ」
居た堪れなくなったか、ソフィーナが口を開いた。壮太郎はうーんと唸ってから、リーナの方を顎で指し示した。
「私ですか?」
「お前なら侵入者は容赦なくぶっ殺すくらいの気概はあるだろう。それに同じ軍人だし、向こうの考え方は読みやすいんじゃないか?」
「なるほど、そういうことですか。いいでしょう。マユカ先輩もいいですか?」
「え、ああ、はい。大丈夫、です」
暗い調子で、マユカは頷く。その様子を見兼ねたらしい美海が、ポンと彼女の肩に手を乗せて、明るく、しかし決意を秘めた瞳を以って笑いかけた。
「犯人は、私たちが絶対に見つけてみせるからね。それで話し合って、アゲハさんとマユカちゃんのこと、ちゃんと分かってもらう。そうすればきっと、もうこんなことはしないと思うから」
熱く語る美海を、ナツナは冷ややかな目で見ていた。その滑稽なほどに青い考えを、ナツナは心底軽蔑した。分かった分からないの話ではなく、例えどのような事情があったにせよ、ナツナはサナギ姉妹が裏切り、その結果G・Sが被った害に対して、何の責任も負う気が無いことが一番許せないのだ。
この場の多くは美海に同調している様子だったが、リーナと壮太郎はナツナと同じ目をしていた。しかしそれはナツナの予想通りだった。リーナは軍人で、壮太郎は軍人の息子だ。軍人ではない他の風紀委員よりは、二人の思考はナツナの方に近い。この感覚のズレは、ナツナにとって、そして統合軍にとって有利だ。考えが統一されていない集団というのは烏合の集になりやすい。いくら壮太郎とリーナが頑張ったところで、足並みが揃わないのを補うのは普通に考えれば不可能だ。
(やっぱり、勝利の女神は私たちに微笑むんだね)
朝の光は柔らかく、暖かい。それがまるで自分の考えを肯定しているかに思え、ナツナは密かにほくそ笑んだ。