Pseudépigrapha D'Ange Vierge-Au Nouveau Monde-   作:黒井押切町

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戦いの狼煙⑤

 自動販売機でパンとおしるこの缶を二人で買って、ナツナと深雪は屋上に通じる扉の前まで来た。いざ開けようとナツナがそのドアノブに手をかけた時、微かにその外から淫靡な嬌声が聞こえた。これは訓練のおかげで常人離れした聴力を持つナツナだから聞こえたようで、深雪にはそのような声が聞こえている様子はない。

 

「お姉ちゃん、ちょっとここで待ってて」

 

 その嬌声に心当たりがあったナツナは、屋上への扉を開け、わざと勢いよくそれを閉じた。そうして、ペントハウスの裏側に回ってみると、予想通りの二人組がいた。そのうちの男――壮太郎は堂々と前に出て、レミエルは彼の後ろに隠れた。

 

「よう遠薙妹。奇遇だな」

 

「何をしゃあしゃあと。私は今からお姉ちゃんとここでご飯食べるつもりだったのに、何ここでセックスしてるの! それに」

 

 ナツナは怒りのあまりぐいと前に出ていたが、そのおかげで壮太郎の下半身の状態に気がついて、思わず仰け反った。それから後ずさりをして、ナツナは彼から目を逸らした。

 

「ん? どうした?」

 

「み、見えてるの。気がついてよ」

 

「見えてる? 何が?」

 

 壮太郎は左右に見回した。しかしその首はわざとかと思うくらい、下には向かない。しびれを切らしたナツナは、恥ずかしさから、声が裏返るくらい大きな声で怒鳴りつけた。

 

「チンコ! チャックから全部出てるから、早く隠して!」

 

「え? あ、悪りィ悪りィ」

 

 さしもの壮太郎もすぐ謝り、数十秒ほどレミエルの後ろに隠れた。寒空のもと、レミエルと見つめ合うその数十秒間は気恥ずかしかったが、彼がしっかりと陰部をしまって現れると、ナツナは思わずホッとしてしまった。

 

「いやァ、すまんすまん。制服着たまんまでヤってたからつい油断しちまった」

 

「その話はもうしないで。それより、レミエル先輩はどうするの? お姉ちゃんすぐそこにいるんだけど」

 

「あ」

 

 壮太郎は、困り顔でレミエルの方に向いた。彼女は暫し考え込んだのち、大きくため息をついた。

 

「まァ、いいですよ。一人に知られるのも、二人に知られるのも同じことです」

 

 初めて、ナツナはレミエルの嬌声ではない声を聞いた。うっとりするような綺麗な声だったが、その言葉の節々から、ナツナはえもいわれぬ淀みを感じた。その淀みは、右肩とは違って翼のない左肩からも感じた。その小さな肩に、これまで何を乗せてきたのか、ナツナには想像もつかなかった。

 すぐに深雪を呼んできて、ナツナら四人で円を作り、冷たいコンクリートの上に尻を付けて昼食を取り始めた。しかし、言葉は誰の口からも出なかった。理由はレミエルの存在だった。お喋りでデリカシーのない壮太郎でさえ、話題を出せていない。彼女が放つプレッシャーは強烈だった。

 

「あの、ナツナさん、でしたっけ」

 

 空気に耐えかねてか、レミエルが一番先に口を開いた。彼女が自分から話し始めたことに心底驚いたナツナは、思わずびくりと体を跳ねさせてしまった。その反応に、レミエルは不愉快そうに眉をひそめた。

 

「どうかしました?」

 

「あ、いや、ちょっと寒くて。それより、なんです?」

 

「えらく壮太郎さんと仲良いみたいですが、気に入ったんですか?」

 

「彼女のレミエル先輩の前で言うのもなんですが、別に仲良くないし、気に入ったわけじゃないです。変な縁といったところでしょうか」

 

 そのように答えてから、ナツナは壮太郎を一瞥した。彼はホッとしている様子だったが、その額には冷や汗が残っている。彼の普段のわがまま放題で無神経な素振りから考えると、異常とも言える光景だった。

 

「アンタどうしたの」

 

「レミエルが俺以外の青蘭学園の生徒と話すのは、俺が知る限り初めてなんだよ。だから、その、不安だったんだけど、普通に話せてて安心した」

 

 壮太郎の目に涙が溜まり始めた。彼は感極まると泣いてしまう人らしい。彼の新しい一面は、ナツナの心を冷たい秋の風に負けないくらい暖かくしてくれた。

 

「泣くような大げさなことじゃないですよ、壮太郎さん。ナツナさんだから私は話せるんです」

 

 その言葉に、表情を固まらせたのは深雪だった。彼女は何でもない風を装ってパンを食べているが、ナツナにはその動揺が分かった。それからもう一度レミエルの方を見てみると、彼女の瞳は壮太郎とナツナだけを映し、深雪の姿は入っていなかった。

 

「壮太郎さんがナツナさんのことをよく話してましたから。それに今見てみれば、ナツナさん、あなたの目は壮太郎さんに似ています。あなたの瞳の奥には、具体的で曲がることのない正義がある。そうでしょう?」

 

「まァ、ね。でもそういうことなら、統合軍のみんなは全員その目を持ってるよ」

 

「他の人のことは、よく知りませんから。とにかく、壮太郎さんやナツナさんみたいな人は信じるに値します」

 

 レミエルのような気難しい人に認められて嬉しくなった反面、ナツナは深雪を哀れに思った。彼女は内向的で一人で過ごす時間が好きだが、同じくらい友人と過ごす時間も好きだ。しかし、レミエルの眼中に彼女だけがいない今、少しでも動けばそれだけで空気が変わる。

 ふと、壮太郎の目が深雪に向いた。その直後、彼はスッと立ち上がって、踵を返した。

 

「戻るぞ、レミエル」

 

「え、ああ、はい」

 

 レミエルはナツナに一礼し、壮太郎に着いていく。その壮太郎は、ペントハウスの影に隠れて見えなくなるまで、ずっと背を向けたまま手を振っていた。

 

「壮太郎君、気を遣ってくれたのかな」

 

「アイツが気を遣えるとは思えないけどね」

 

 ナツナはカラカラと笑ったが、深雪の表情は暗くなった。彼女は何かを言いたげな様子ではあるが、ナツナはそれを問うことができなかった。黙ったまま、二人は膠着する。やがて一回風が唸ったのを合図に、深雪が口を開いた。

 

「朝の件で、みんな気が立ってる。ブルーフォールの直後と同じ、誰も彼もが緑の世界の子を敵視してる。だけど壮太郎君とレミエルさんは、夏菜を容疑者として見てなくて、夏菜も容疑をかけられてるような素振りはないよね」

 

「私とアイツとレミエル先輩が理解できない?」

 

 ナツナが尋ねると、深雪は硬い動きで頷いた。その仕草を見て、ナツナは少し落胆した。同じ軍人の娘であれば分かると思っていたが、それ以上に彼女がこの学園に空気に影響されてしまっている。見損なった、という感情よりは、哀れに思う感情の方がナツナの心に浮かんだ。

 

「レミエル先輩も言っていたけど、私の中には決して曲がることのない確たる信念がある。それがある限り、私は私の道を見失わない。だから、容疑をかけられてもこうして堂々としていられるの」

 

 ナツナは余裕綽々に語った。しかし、深雪の表情は晴れない。その顔を見ていると、ナツナは己の心が彼女から離れつつあるのを感じた。確かにナツナは深雪を愛している。これは変わりないが、彼女から学ぶことの有無は別だ。彼女は、ナツナにとっては一緒に居ることが嬉しい、というもの以上の存在たり得ない。

 

「夏菜は、すごいね。私よりよっぽど大人っぽいよ」

 

 寒さでか、身を震わせて深雪が呟いたこの言葉は、ナツナの彼女に対する見方を決定付けた。最早マスコットとさえ言える。マスコットを切り捨てることに、ナツナには何のためらいもない。

 昨夜のアゲハと、目の前の深雪。その二人が、ナツナの士気を最高潮に引き立てている。ナツナには、今の自分は無敵だとさえ思えた。

 

        ***

 

 昼休みの終わり頃にソフィーナが教室に戻ると、何やら大きな人だかりができていた。ワイワイガヤガヤと、朝の事件を忘れたかのような明るい声が耳に入る。何だ何だとその中心を見てみると、あまりに意外な人物がいたために、思わず腰を抜かした。

 

「ジュ、ジュリア!?」

 

「あ、ようやく戻ってきたのね。じゃあ私、ちょっとソフィーナと話してくるから、また今度ね」

 

 ジュリアは笑顔を振りまきつつ人だかりから抜け出して、ソフィーナの手を取り、ぐいと引っ張った。

 

「行くわよ、ソフィーナ」

 

「え、ちょっと、行くってどこに!?」

 

「教室の外」

 

 ジュリアに引っ張られるままにソフィーナは廊下に出ると、彼女の手を振り払った。すると、周りの空気の感じが変わったような気がした。それはジュリアが結界を張ったからだと、すぐにわかった。これで、二人の姿は外から見られず、声が聞こえることもない。

 

「ミルから様子を見るように言われてね。あなたが教室に居なかったから、あの子たちと喋ってたのよ」

 

 ジュリアは壁にもたれかかって腕を組んだ。ソフィーナは青蘭島に来てから彼女を見るのは初めてだったが、その余裕のある尊大な態度は、何一つ昔と変わっていない。

 

「それでわざわざ、宰相のあなたがここに来たの? ミルドレッドも案外心配性ね。私は見ての通り、何も問題無いわ」

 

「へェ、何も問題なし、ねェ」

 

 ジュリアは、明らかに何かを言いたげな様子で、ソフィーナの全身を舐め回すように見た。そして、彼女はひとつ息を吐いて、壁から背を離して姿勢を伸ばした。

 

「ミルがわざわざ私に頼んだということは、つまり今のあなたを試せということよ。ここに留学させたのは果たして正解だったか」

 

「なるほどね。でも、ここに来てから魔術の研鑽は欠かさず積んできたから、たとえあなたが相手でも、遅れは取らないわよ」

 

 ジュリアの言葉を遮るようにして言い、ソフィーナは胸を張った。しかし、ジュリアはきょとんとして、まるで信じられないものを見たかのように目を丸くしていた。

 

「魔術? 遅れは取らない? あァ、何てこと。ミルに大丈夫と報告したかったのに、こんな調子じゃ絶対無理だわ」

 

 大仰に額を手で覆って、ジュリアは嘆いた。わざとらしいその仕草にソフィーナはムッとなったが、直後に背筋が凍るような冷たい目で見られ、彼女は萎縮して後ずさりしてしまった。

 

「ソフィーナ。あなたは青蘭島評議会のD・E代表代行で、次期魔女王候補の一人でしょう。なのに、私の話を最後まで聞かず、戦闘力の試験だと決めつけてかかった。これだけでもう政治家(丶丶丶)として失格みたいなものね。政治屋(丶丶丶)としてはいいかもしれないけど」

 

 分かりやすくなじられ、ソフィーナは頭に血が上った。しかし、その怒りをたやすく上回る、ジュリアから感じる戦慄が、彼女の体を縛り付けていた。ジュリアのいつも浮かべる余裕の笑みの裏に、確かな怒気を感じる。ソフィーナは息を飲んだ。彼女が冷や汗まで垂らしたその時、ジュリアの奥から怒りが急に消えた。

 

「まァ、いいわ。政治屋としての素質も、祭り上げられる者には必要だものね。気を取り直して、私が、あなたに魔女王としての資質があるかどうか試すわよ」

 

 ジュリアは一転して陽気に言った。一体どのように試すのかとソフィーナが身構えていると、どこからともなく一体の西洋人形が、大きな赤いスイッチを持ってきた。

 

「なにこれ」

 

「私が問題を出すから、答えを出せたらそれを押しなさい」

 

「そんな、クイズ番組じゃあるまいし」

 

「つべこべ言わない。それじゃ第一問! そろそろG・Sが二回目のブルーフォールをここに仕掛けてくるのは明白だけど、私たちD・Eはその時どう動くでしょうか」

 

 ソフィーナはその問いに、すかさずスイッチを押した。ポーン、と間の抜けた音が響く。ジュリアは先程から表情を変えていない。

 

「当然、青蘭島を助け――」

 

 そこでソフィーナは言葉を止めた。ジュリアの目が急に冷ややかになったためだ。「助ける」というのは不正解なのであろうが、何故そのようになるのか、焦りを感じ始めたソフィーナの頭では考えられなかった。

 

「助けない、というのが正解だとは察したみたいだけど、どうしてかは分からないみたいね。ヒント、欲しい?」

 

 ジュリアの提案に、ソフィーナは無言で、硬い動きで頷いた。

 

「やれやれ、しょうがないわね。じゃあ、D・Eが現状取っている支配体制、郡国制についておさらいしましょうか?」

 

「待って。郡国制は助けない理由にならないわよ」

 

 頭が冷えたソフィーナは、即座に毅然とした態度に直って口を開いた。ジュリアはふうん、と相槌を打った。その余裕は、まるでソフィーナがかのように言うことを予期していたかのように、彼女には見える。

 

「なら、どうして助けない理由にならないかを答えてみなさい」

 

「D・Eは、黒柩城を中心にした魔女王直轄地と、十二杖が領主として収める十二の国に分かれている。そしてその配置は、クーデター後に従った十二杖が謀反を起こしても始末しやすいように、彼らは黒柩城の近くに置かれ、更に昔からの仲間の十二杖に牽制されるようになっている。だから、軍を動かせばそのパワーバランスが崩れるかもしれない。けど、ここを助けるために出せる兵力は、様々な条件を加味して、せいぜい一万が限度よ。そのくらいじゃ、バランスが崩れることは無いわ」

 

 ソフィーナが言い切ると、ジュリアはおもむろに拍手をした。しかし、馬鹿にされているように感じ、ソフィーナはいい気分がしなかった。

 

「流石に、これくらいで流されることはないのね。まァ何にせよ、私たちが二回目のブルーフォールが起こった時に助けないというのは本当だから、そこんとこよろしく」

 

「どうしてよ。青の世界水晶が奪われたら、地球が滅亡するのは知ってるでしょ?」

 

「それを知るのはもう少し後よ。私が今張っている結界を突破できる者がいる中で言える話じゃないわ」

 

 ジュリアはそれ以上何かを言おうとはしなかった。ソフィーナもその理由の見当がつかず、そのまま空気が膠着してしまった。

 

(何が理由なのかしら。もしかして、にほ――)

 

 よく知るはずの国の名を思い出そうとした時、ソフィーナはひどい頭痛を感じた。痛みにはそれなりに耐性があるつもりだったが、それでも立っていられなくなる程の痛みだった。ソフィーナは痛みに耐えながらジュリアの表情を伺うと、彼女は表情から余裕を消し、ソフィーナをじっと見つめていた。

 

「ソフィーナ。あなたの素質云々に関わらず、ここにあなたを寄越したのはマズかったかもしれないわ。その時になったら改めて言うけど、二度目のブルーフォールが確定した時点で、ここにいるD・Eの子たち全員に帰国命令を出すように命令しておくわ。じゃ、またね」

 

 珍しくかなり焦った様子で言い、ジュリアは結界を消した。そして、瞬間移動の魔法でも使ったらしく、彼女は姿を消した。しかし、その頃にはソフィーナの頭の中から、彼女の言ったことは頭痛のあまり完全に抜けてしまっていた。

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