Pseudépigrapha D'Ange Vierge-Au Nouveau Monde- 作:黒井押切町
八年ぶりの星①
ナツナはドアをノックして執務室に入り、中にいたスレイに敬礼をした。スレイも敬礼を返し、椅子に座りなおした。
「きたわね、ナツナ。あなたには3日後に青蘭島に行ってもらうわ。大まかな目的はふたつ。ひとつは他の子たちと同じく、第一次作戦で高まったあちらの警戒心を緩めさせること。もうひとつは、送り込んだ留学生の監視。で、これが青蘭学園生徒のリストよ」
スレイはナツナに、分厚い書類を手渡した。ナツナはそれをじっと見つめた。このような書類はいつものことで珍しくないが、どのようなわけか吸い込まれるような魅力があった。
「これ、今拝見してもよろしいでしょうか」
「構わないわ。でも二人きりなんだし、いつも通りの口調でいいわよ」
「勤務中ですから、そういうわけにもいきませんよ」
ナツナは苦笑するスレイに柔らかく返しつつ、書類をめくり始めた。G・Sの文字で綴られているはずだが、ナツナには地球の文字で書いてあるように見える。これは何年経っても変わらなかった。
(でも、漢字の名前を見るのは久しぶりだな)
青の世界出身の生徒の名前を見ていると、ナツナは懐かしい気分になった。この程度でG・S王家への忠誠心は揺らがないが、以前は二度と目にしないだろうと思っていたおかげで、目頭が熱くなる思いだった。
そうしながらあるページを目にした時、ナツナは愕然とした。名前の欄に「遠薙深雪」の四文字があり、顔写真は、成長しているものの、間違いなく姉、深雪のものだった。出生年も1980年でナツナの一年前で、出生地は日本国三重県一志郡美杉村奥津——最早、疑う余地はなかった。
「見つけたようね。懐かしい?」
「う、うん。そりゃ、当たり前だけど」
「言葉、いつものになってるわよ」
スレイがニヤニヤしながら指摘する。ナツナは動揺が表に出てしまったことを恥じると同時に、誤魔化しの笑いを浮かべた。そして口調を堅くするのを諦め、ティルダインの家で接する時と同じように話すことにした。
「まさか、お姉ちゃんがいるなんて思ってなかったよ」
「会ってもいいわよ?」
「えっ!? いいの!?」
ナツナは思わず声を裏返してしまった。出来ても遠くから眺めるくらいしか許されないと考えていたので、スレイの言葉はあまりに意外だった。
「そりゃ、偽名で送り込むわけでもないし、会いに行かない方が不自然よ。それに、あなたが姉と会っても王家への忠誠は失われないと上が判断してくれたから叶ったことよ。だから、むしろ会いに行きなさい。命令が無い限りは自由行動だから、何か命令が出ないうちにね」
「う、うん! そうする!」
ナツナの心は、既にここにあらずであった。二度と会うことは無いと信じ込んでいた姉に会えるのだから、その喜びは尋常でなかった。
「心配はしてないけど、あまり入れ込みすぎないようにね。あなたは友好のためじゃなく、敵対のためにあそこに行くのだから」
ナツナの浮かれようを心配してか、スレイが釘を刺す。しかし、その心配はもっともだったが、今のナツナにはいらぬお節介であった。
「大丈夫だよ。私の忠誠も、愛国心も変わりはしないから。それに、ゲオルグさんがいるこの国、この世界を、私は決して滅ぼさせやしないから」
「そうだったわね。そういえば、ゲオルグとは作戦が終わったら結婚するんだったわね。式の段取りとかは決まってるの?」
「それは、作戦後にしとこうかなって。今は作戦に集中したいし」
「そう。結婚、私も楽しみにしているわ。頑張ってね。向こうで恋人とか作るんじゃないわよ?」
「スレイさん、そりゃ冗談としてもキツイよ。では」
ナツナは苦笑しつつ敬礼して、執務室を後にした。それから帰路につくまで、ナツナは深雪の顔写真を眺めてはニヤニヤしていた。八年ぶりに、姉に会うことができる——写真からでも分かる、変わらぬ深雪の穏やかな雰囲気に、ナツナは興奮しながら早くも浸っていた。
***
出発前夜、ナツナはゲオルグと共に、生まれたままの姿でベッドに入っていた。しばらく会えなくなるから、ということで、これまでで一番激しかった情事を終えて二人ともぐったりとしていた。
「にしても、こんなことしちゃって本当に良かったの? 私はそんなに早く出る必要は無いからいいけどさ、ゲオルグさんは明日いつも通りの仕事でしょ?」
「そうだけど、ナツナと会えなくなるって思ってつい」
「そんな、今生の別れってわけでもないんだし、大袈裟だよ」
深刻な顔をしたゲオルグに、ナツナは笑って返した。しかし、なおも彼は表情を和らげず、眉間にしわを寄せたままナツナを見つめた。
「今回はいつもの任務とは違うじゃないか。ナツナの故郷なんだろ? 心配しないわけにはいかないよ」
ゲオルグは本当に心からナツナのことを心配して言ったのだろうが、ナツナにとってはその心配は禁句も同然だった。それでムッとなった彼女は、ゲオルグの頬を思い切りつねりあげた。
「いででで。ごめんマジでごめん」
「私のこと、心配してくれるのは嬉しいけど信じてよ。今の私の故郷はG・Sで、私の帰る場所はあなたの胸の中なんだから」
「その言葉を聞けば安心だよ。俺はお前を信じて帰りを待ってる。戦果、必ず上げてきてくれ」
「うん! 約束する!」
ナツナは弾ける笑顔で応え、ゲオルグと固く手の指を絡めあった。やがて二人が眠りに落ちても、その指は解けることなく、二人の絆を繋いでいた。
***
ナツナの出発当日の朝は、かつてゲオルグと共に試験の結果を見に行った日を彷彿とさせる快晴だった。世界接続後に、首都の郊外に作られた港から、シャトルで
「初めて会った時のことを思い出すよ。よくぞここまで立派になってくれたと、我が娘のように思う」
「大げさだよ。でも、ここまで世話してくれたこと、本当に感謝してる。乾坤一擲の大作戦、その成功に貢献することで、私を育ててくれたヨゼフさんたちと、この大地に報いてみせるから」
ナツナは微笑みをたたえて敬礼してみせた。すると、より一層ヨゼフの琴線に触れてしまったようで、とうとうほろりと涙を零してしまうところまで行ってしまった。
「いやァ、歳をとると涙もろくなっていかんな。ははは」
ヨゼフはわざとらしく笑った。ところが、すぐに一転してその笑顔はナツナを哀れむような顔に変わってしまった。ナツナは、それで彼が何を考えているのかを悟り、彼が何かを言う前に口を開いた。
「ヨゼフさん。もしかして、私が地球を攻めるってことで心配してたりする?」
「おや、分かってしまったか。顔に出ていたかな」
「うん。それに、ゲオルグさんも昨夜同じことを考えてて、その時のあの人の顔にそっくりだったよ。親子ですね。そういう心配を表に出さなかったのはスレイさんだけだよ」
ヨゼフは誤魔化すようにはにかんだ。一方のスレイは得意げに鼻を鳴らした。彼女はそれからヨゼフと入れ替わるように前に出て、ナツナの肩に手を置いた。
「上官としてじゃなくて、家族として言うわ。気負いすぎないようにね。不安になったら、いつでも連絡していいから」
「スレイさんも別の意味で心配性じゃん。大丈夫だよ。私はそんなヤワじゃないよ」
ナツナは呆れながらに返し、時計を確認した。もう今の場から離れてシャトルに向かわねばならない時間になっていた。時間が経つのが早いものだと感じつつ、ナツナは二人の方に向き直った。
「じゃあ、行ってくるね」
「気をつけてな」
「行ってらっしゃい」
ヨゼフとスレイは、ナツナがシャトルに入って互いに見えなくなるまで手を振り続けてくれた。二人がいかに自分を大切にしてくれているかがしみじみと感じられて、ナツナは胸に込み上げるものがあった。
「こんなにも大事にしてくれたんだ。恩返しのためにも、絶対成功させてみせる」
このようにナツナが決意を新たにしたところで、シャトルが離陸した。高度が上がり、緑の世界が一望できるところまでくると、周知のことではあったが、ナツナは胸が痛んだ。殆どの山は禿げ、森は枯れ、海と川は干上がって、奥津と同じくらいの自然が見られる場所はごく一部だ。これが、G・Sが地球を攻める理由だ。世界毎にひとつだけ存在する、世界の活力の源である世界水晶。その緑の世界のものの活力が、もうすぐ尽きようとしている。その代替として、青の世界のそれを奪おうというのが、ブルーフォール作戦だ。
緑の世界では、世界水晶のエネルギーを取り出して活用する技術が古くからあり、他の世界に比べてその消費量が大きかった。故に、あと一億年保つと計算されている他の世界水晶に比べて、緑の世界のものは、人間の生活を最低限維持するために使ってもあと十年しか保たない。ここ十年のうちに、取り出したエネルギーを循環させる技術も開発はされたものの、それも焼け石に水だ。世界水晶と波長の合う人間を吸収させるという手段もあるにはあるが、そのような人間は限られる上に、その点では最高に資質を持つマユカ・サナギでさえ、世界水晶の寿命を三ヶ月しか延ばせない。他の世界への移民も考えられたが、緑の世界の総人口は、戸籍のある者だけでも四十億人いる。四世界に分けても十億人ずつであり、それほどの人間がいきなり移住できる余裕は、どの世界にも無い。その他にも、緑の世界の全国家の頭脳が必死になって、生き残る方策を研究し尽くしたが、最も確実で安定すると結論が出されたのが、他の世界水晶を用いることだったのだ。
これだけの状況なのだから、裏切り者など出るはずもなく、もしあるとしても、その者は余程の狂人か愚か者で、そのような者が軍にいるわけがないと、ナツナを含め誰もが考えていた。だが、裏切り者は出た。その裏切り者——アゲハとマユカの姉妹は最初の一回で終わらせるはずだったブルーフォール作戦の二度目をやらせるに至らせた。しかも在ろう事か、のうのうと生きて未だ軍籍を置いている。普通なら召還して死刑にするところだが、他の青、赤、白の世界から匿われ、彼女らは実質的な亡命状態にあり、手を出せずにいる。
ナツナが聞くところによれば、現在青蘭学園に通っている緑の世界出身の者らの一番のストレッサーは、その姉妹だという。留学生の一人で、ナツナと特に仲の良いルルーナ・ゼンティアは「アイツらが統合軍の制服を着て、楽しそうに学園内を闊歩しているのを見ると、今すぐブチ殺したくなるくらい超ムカつく」と、メールでナツナに愚痴をこぼしたことがある。ナツナは、温厚な彼女が例の姉妹と同じ空間にいるだけで、ここまで激烈な憤懣をナツナに伝えるまでになったという事実が恐ろしかった。二人と一言も言葉を交わしたことがなく、軍の施設で数回すれ違ったことがあるというくらいしか接点の無いナツナでさえ、二人の名前を聞くだけで胸を掻き毟りたくなるくらいの衝動に駆られるのだ。しかも、ナツナはルルーナよりも気が短い自覚がある。もし青蘭学園で遭遇したら、彼女は自分で自分がどうなるのか、予測もつかなかった。