Pseudépigrapha D'Ange Vierge-Au Nouveau Monde- 作:黒井押切町
シルトが告げた事実は、その場の全員の唖然とさせるには十分すぎるものだった。あまりに突拍子の無い話だ。そして、現実味が全く無い。強いて言えば、三流オカルト雑誌の記事にありそうな話だと、美海は思った。他の殆どもそのように感じたようで、彼女らは冷めた目をしていた。ただ一人、美海たちの仲間のユーフィリアだけが真剣に受け止めているようだった。
全員が言葉に詰まる中、最初に口を開いたのはスレイであった。
「そんな与太話を信じろと?」
「期待していないよ。ただし」
シルトが指を鳴らすと、スレイを写したホログラムが消滅し、統合軍の者たちの手の武器が全て破壊された。流石のエリート揃いといえど、この事態には平静を保つことができなかった。慌てふためく彼女らを、シルトは無表情で見つめている。
「いくら力が衰えているとはいえ、このくらいはできる。こうなったからには、この部屋での戦闘は行えないはず。降伏し——」
「待ちなさい、シルト。助けてくれたことには感謝するけど、あくまで助っ人のあなたに、その先は言わせないわ」
アゲハの凛とした声が、シルトの言葉を遮った。そして、彼女は自分の召喚武器の二丁の軽機関銃、グリム・ベスティアを出し、無防備となった敵兵たちにその銃口を向けた。
「ただちに武装解除し、降伏しなさい。さもなくばここで射殺します」
その言葉が向けられていない美海でさえ、アゲハの声に背筋が凍る思いをした。直に向けられた敵兵たちは、一斉にナタクの方を見た。彼女が隊長か、などと些事に美海が気を向けていると、そのナタクが懐から拳銃を放り投げ、両手を挙げた。潔くはあったが、その顔には苦渋の色が張り付いていた。
結局、敵の全員がナタクの選択に追従し、武装を放棄して両手を挙げた。しかし、誰もが一様にナタクと同じ表情をしている。彼女らを見て、美海はここから説得しようとは考えなかった。何か言葉を掛ければ、何かしらがその逆鱗に触れてしまうことは、よく分かった。
全員があっさり降伏したことにも初めは驚いたものの、彼女らの浮かべる表情を見れば、美海にもその動機は察せる。生きて汚名を雪ぐことを選んだのだろう。
「とにかく、今のうちに拘束しましょう。それからは静かにここで待つことよ。そして、決して、上の階の敵味方双方に、ここであったことを知られてはならないわ」
「どうして? この部隊が本命みたいだったし、このことを知らせて降伏を促せば」
「本命だからこそ、よ。この別働隊が無力化されたと分かれば、上の敵は死に物狂いでここを目指すでしょう。そうなれば、双方に多大なる犠牲が出ることは必至だわ。だから、歯痒いだろうけど、戦況が落ち着くまで私たちはここで待機するわ」
美海の安直な疑問に、アゲハは丁寧に答えた。それを受けて、美海は「ああ」と相槌を打った。それからふと思い浮かべたのは、地上に行った壮太郎のことであった。ナタクらの突入で壮太郎の様子を確認できていなかったので、美海はモニターの方に寄って壮太郎の姿を探した。そこで見たのは、彼女を絶句させるのには十分すぎる光景だった。
「何、これ」
「美海、どうしたの——!?」
後からやってきたソフィーナも、同じように言葉を失った。ある区画から、普段よく磨かれたクリーム色の床が、赤黒いものが飛散している。その元を辿って見てみると、そこには黒い統合軍の制服を着た将校が倒れていた。その体には、大きな袈裟斬りの跡が刻まれている。
「壮太郎君が、やったんだよね」
小さな呟きが、美海の口から零れ落ちた。ソフィーナの反応は無い。そのまま、美海は捕縛されているナタクたちに目を向け、すぐにまた目を逸らした。シルトが来なかったら、あのまま戦闘になっていたらと、ただただゾッとするばかりだった。
(覚悟、できてたと思ってたんだけどな)
美海は天井を見上げた。高い高い天井は暗闇で塗り潰されていて、美海の目にはただの黒としか映らなかった。
***
今にもリーナに斬りかかろうとしていたナツナの目の前に迫るのは、日本刀の白刃の鎬だった。リーナの脳天を破るはずだった剣は、その鎬に高い音を立てて当たった。その反動を利用して、ナツナは後ろに跳んだ。そのようにしながら、彼女は状況を確認する。目の前には、最早見飽きた壮太郎の立ち姿があり、その後ろにリーナがいる。
「リナーシタ。お前は他の味方を助けに行ってやれ。こいつは俺がやる」
「了解しました。ご武運を」
リーナは、すぐに踵を返して走り去った。しかし、その無防備な背中に、ナツナは何も出来なかった。壮太郎の放つプレッシャーは、想像以上に強烈だった。やがてリーナの背中が見えなくなると、壮太郎は刀を鞘に納めた。その刀身には、歪みや傷はひとつもなかった。
彼は無言で、腰を落として右手を柄に寄せた。間違いなく、居合を仕掛けるつもりだとナツナは考えた。
(コイツの間合いの外から仕掛ける他に、勝機はない!)
ナツナはそのように考えた瞬間、ちょうど脇構えをとるように、自分の体で剣を隠した。そうしつつ、左手で拳銃を壮太郎を撃ってみるが、彼はその弾を全て紙一重でかわした。その動きのあまりの滑らかさに、ナツナは彼に銃が通じないことを悟った。それで、彼女は左手から拳銃を捨て、剣の柄尻をその手で握った。
ナツナは意を決すると、下から切り上げるように剣を振った。そして、その勢いが消えぬ間に、その刃を分割させ、伸長させ、壮太郎の眉間を目掛けて刃を突撃させた。流石の彼も一瞬目を見開いたが、即座に先ほどの銃弾の時と同じように、軽やかに紙一重でかわしてみせた。
(もらった!)
ナツナは心の中で勝利宣言をし、手首を返した。すると、壮太郎の脇を通り過ぎた刃は、ぐるりと半回転して、今度は壮太郎のうなじを狙った。これにはさしもの壮太郎も反応が遅れた。回避したものの、避けきれずに左の耳たぶに切れ込みを入れられる。ナツナはそこから更に手首を返し、刃を真下に向けた。それはすぐに彼の左の大腿部に突き刺さった。それを確認すると、ナツナは剣の刃を元に戻した。すると、一番先の刃が壮太郎の太腿の肉を抉り取って戻ってきた。
「なるほど、そんなカラクリが仕組んであったか」
壮太郎は、左の大腿部を押さえもせずに態勢を整え、今度は刀を抜き放ち、構えることなく右手で軽く持っていた。その顔には笑みが浮かんでいた。まるで遊ぶ童のように、楽しそうに眉をひそめた。そのような彼にナツナは何も遠慮することなく、今度は上段から振り下ろし、また分割、伸長させた。
瞬間、壮太郎は鞘をベルトから外した。何をするかと思いきや、また伸びてくる刃を紙一重でかわすと、凄まじい勢いで刀を納めた。しかし、ただ納めただけではなく、ナツナの剣の分割した刃を繋ぐワイヤーを、刀と鞘で挟んでのことだった。いくらワイヤーが丈夫でもこれには耐えられずに切れ、支えを失った剣の前の方が、重力に従って落ちてゆく。それと同時に、壮太郎が床を蹴って一気に距離を詰めてきた。ナツナは慌てて剣を戻す。破損していても、盾代わりにはなること、新しく剣を召喚し直す時間がないことを考えると、ナツナに取れる選択はこれだけだった。
ナツナが剣を戻したとほぼ同時に、輝く白刃が鞘から姿を見せた。それは、ナツナの想定を遥かに上回る速さと力で、斜め下から彼女を襲った。なんとか剣の鎬で防ぐが、ナツナは腕が痺れる思いがした。その間にも、壮太郎はあえて刀を滑らせて振り切ると、返す手でナツナの左の肩口を狙う。ナツナには剣を振り上げて盾にする余裕は無かった。それで、ナツナは左前腕で刀を受けることにした。そこには袖の下に鎧が仕込んである。骨は折れど、切り落とされはしないと判断してのことだった。やがてすぐに、刀が左前腕を打つ。鎧と鈍い音を響かせて、その下の腕に衝撃が及ぶ。骨が砕けるかと思うようなそれに、ナツナは思わず後ろに飛び退いた。しまったと思った時には、既に壮太郎はナツナの脇を抜け、背後に立っていた。そして、着地する前の無防備な背中を、遠慮なく切りつけた。
「ぐっ」
これまで全く声を発しなかったナツナも、流石に呻き声を上げた。コートの中に仕込んでいたプロテクターのおかげで、体を切り分けられることはなかったが、それでも、背中が熱くて熱くて仕方が無かった。その感覚に耐えながら、ナツナは咄嗟に振り向きながら、壮太郎の間合いの外まで距離を取った。彼と彼女を結んだ線の、ナツナ側の延長線上には大きめの窓ガラスがある。いざとなればそこを割って、退路を確保するためだった。
「仕留めたと思ったんだがな。なるほど、結構重装備なんだな」
壮太郎は感心したように話しかけるが、ナツナは返事をしない。その様に、何故か壮太郎は満足した様子だった。しかし、ナツナはそれは気にせずに剣を二本召喚した。壮太郎の居合を破る奇策を思いついたのだ。
仕掛けたのはナツナが先だった。思いついてすぐ、緊迫感を感じる間もなく飛び出した。左に持った剣は上段に、右に持った方は中段に構える。対し、壮太郎はナツナの想像通りに、居合切りを仕掛けてきた。大きくは踏み込んでいない。ナツナの勢いを利用しようという魂胆が見えていた。しかし、ナツナの策に影響は無い。そのまま、ナツナは壮太郎に近づく。やがて、刀がナツナのすぐそこに迫った時、彼女は右の剣の鎬を刀の刃に向けた。そして、そこに刃が当たる瞬間、ほんの少しだけ剣を分割し、すぐに戻した。すると、ナツナの予想通りに、壮太郎の刀がナツナの剣に挟まった。
勝った——ナツナが確信した瞬間だった。不意に、壮太郎が刀を手放した。そこから、壮太郎の動きが、ナツナにはやけにゆっくりに見えた。彼は、一瞬だけ腰を左側に捻り、握った左拳でストレートを繰り出した。
ずしりと重い感覚があった。次にナツナの体が浮き、窓ガラスに叩きつけられる。それで勢いは止まず、ナツナから地面が離れてゆく。最後に、背中全体が、何か硬いものに打ち付けられた。衝撃で体の中が掻き回され、ナツナの目の前で星が光るような感覚があった。朦朧とする意識の中で状況を把握すると、ナツナは先ほどまでいた校舎と、中庭を挟んで反対側の校舎の外壁に身体をめり込まされたのだと気がついた。そのことを理解した直後、不意に体が傾いた。そして視界が反転し、ナツナに向かって、冷たいコンクリートの地面が迫ってきた。