Pseudépigrapha D'Ange Vierge-Au Nouveau Monde-   作:黒井押切町

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黄昏④

 ナツナは、落下し切る前に、力を振り絞って外壁を思い切り蹴った。すると、彼女の体は横に飛び、体の側面から柔らかい土の上に落ちた。コンクリートの上に頭から落ちることよりは危険は無いとはいえ、ナツナは再び、全身が打ち付けられる痛みを味わった。

 

「誰にも教えていない、いいことを特別に教えてやろう」

 

 悶絶するナツナの真上から、壮太郎の偉そうな声が聞こえてきた。目だけでその顔を見上げると、彼は実に得意げな顔でナツナを見下ろしていた。

 

「俺の親父は現陸軍大臣だが、俺のお袋はD・E出身で、昔日本を救った真の英雄にして日本初の女子プロボクサー、剣順子(つるぎじゅんこ)だ。で、さっきのフックはお袋譲りの必殺パンチだ」

 

 壮太郎は、意気揚々と語りながら、ナツナへと腰をかがめて手を伸ばした。ナツナは何とか逃げようとするが、全身を貫く激痛がそれを許さない。結局、左手で首を掴まれ、ゆっくりと持ち上げられた。

 

「もっとお前との戦いを楽しみたかったが、時間がそれを許しちゃくれないんでな。死ね」

 

 壮太郎が冷たく言い放つと、彼の左手が鈍い黄金の輝きを見せた。それと同時に、ナツナは自分の身体がグシャグシャに潰されるかと思うほどの衝撃を感じた。しかし、ナツナは諦めはしなかった。ゲオルグの下に帰る——その意思が、彼女を踏みとどまらせた。

 ナツナは何とか、口の中に仕込んでいた針を飛ばした。勢い無くフラフラと口から出たそれは、彼女の首を絞めている壮太郎の左手を掠めた。その瞬間、衝撃が収まり、壮太郎の左手から握力がなくなって、ナツナの体が落とされた。

 ナツナは、また地に落ちる前から反射的に激しくむせ込んだ。咳をするたびに、口から血が吐かれていき、枯れ草を赤黒く染めていく。しかし、そうしながらも這って壮太郎から距離を取り、剣を召喚して、それを杖にして立ち上がった。

 

「どうも、この打ち合いが最後になりそうだな」

 

 壮太郎は右手で刀を抜き放った。左腕の麻痺は続いているようで、力なく垂らされている。対して、ナツナは満身創痍とはいえ、両腕が使える。これならば互角だと確信した彼女は、身体を右に半身にして、剣の鎬を地面と平行にした。狙うのは、壮太郎の心臓ただひとつ。しかし、目は壮太郎の喉元につける。

 日は高く登っていて、眩いばかりの光で二人を照らす。まだ戦闘が始まってから数時間しか経っていない。もともとそのくらいの時間の設定だったが、戦争というにはあまりに短い。しかしそのようなことは対峙する二人には関係ない。ナツナも壮太郎も熱くなりすぎている。目に入るのは、ただただ目の前にいる敵だけだ。

 先手必勝——ナツナは、大きく前に跳んだ。そうしながら、引いていた左の腰を前に突き出して、小さく弧を描くような軌道で、壮太郎の心臓を狙う。対して、壮太郎の反応は早すぎた。彼の刀は、喉にくる剣を払い除けるように動こうとするが、その時には既に、ナツナの剣は彼の刀の下にあった。それに気がついた壮太郎は剣を打ち払おうとするが、ナツナの方が早かった。その剣は、壮太郎の肋骨の間に深々と刺さる。壮太郎の刀は、ナツナの剣を打ち払うことができずに、剣の刃で止められた。

 その時点でナツナの全身から力が抜け、剣を手放した。壮太郎は踏ん張ることができずに、尻餅を付いてしまい、そのまま地面に仰向けに倒れた。しかし、彼からはまだ生気が感じられた。まだ死んでいない。それを悟り、殺さなきゃと、ナツナが一歩を踏み出した時だった。ナツナと壮太郎の間に、ひとつの影が出来、上空から一人の天使が降り立った。右肩のみから出ている翼に、金髪碧眼。間違いなく、レミエルだった。

 

「取り引きです、ナツナさん。ここで壮太郎さんを見逃してください。そうしたら、私もあなたを見逃します」

 

 レミエルの目は冷たかった。傷ついているナツナには、その目だけでも痛かった。しかし、負けるわけにもいかない。返事をせずに、ナツナは剣を召喚し直して、レミエルに向き直った。しかしレミエルは応戦するそぶりを見せず、大きなため息をついた。

 

「ナツナさん。今から手当ても無しに私と戦って、無事で済むと思ってますか? 私は壮太郎さんだけの味方です。この学園がどうなろうと知ったことではありません。私はあなたに、学園側に投降しろとは言っていないのですよ?」

 

「なるほどね、分かったよ」

 

 ナツナは、掠れた声で答えた。これまでのことを考慮すれば、レミエルの言葉は信用するに値する。統合軍の敵でない彼女に構っても仕方がないし、壮太郎はしばらく戦闘不能になる。そのように考えると、次の敵を探すことと、リーリヤとルルーナと合流することの方が大切だ。

 ナツナはレミエルに背を晒して、元いた校舎に戻った。その時になって初めて、プロテクターが粉々に砕けてしまっていることに気がついた。

 

        ***

 

 壮太郎が目覚めた時に感じたのは、後頭部にある柔らかな感覚だった。そして、目の前には自分を見下ろすレミエルの顔がある。彼女の顔は、陽光の影で明瞭には見えなかったが、穏やかな顔のように見えた。

 

「お前が助けてくれたのか?」

 

「私は、トドメを刺そうとするナツナさんを止めただけです。回復して目覚めさせたのは、壮太郎さんの生命力です」

 

 レミエルの声も穏やかだった。壮太郎は、それを聞いてから、彼女の顔をぼんやりと眺めた。その隣に、先ほどのナツナの表情を重ねる。命懸けで、必死だった。その彼女を、恐らく説得だけで追い払った。

 

「よくやってくれた。強いんだなお前は」

 

 壮太郎は右手を伸ばし、レミエルの頬にそっと触れた。すると彼女はその手の甲に自分の手を重ね、優しく手を握った。

 

「壮太郎さんこそ、生きていてくれてありがとうございます」

 

「感謝するなら、俺にじゃなくてお袋に、だな。俺がこんなに頑丈なのは、お袋の血が俺に流れてるからだし」

 

「壮太郎さんの、お母さん。お父さんが篠谷辰吉さんですから、剣順子さん、ですか?」

 

 枝が揺れ、木の葉が擦れ合う音がした。レミエルの言葉に、壮太郎は珍しく息を詰まらせた。隠していた訳ではなかったが、そのことを自分から話したのは先のナツナが初めてで、レミエルには話したことすらなかったからだ。

 

「どうして、それを?」

 

「私、ふと思い出したんです。その名前を。どこで聞いたかは覚えてませんけど」

 

 レミエルも不思議がっていた。その様を見て、壮太郎の頭も少しずつ冷めてきた。そして、心がざわつくのも感じていた。今とは別の、より重要な戦いの予感がする。壮太郎は身震いした。それは恐れによるものではなく、獣のような闘争心によるものだった。

 

「しかし、負けちまったか」

 

 壮太郎の震えが止まった。闘いの予感を覚えたことで、かえって先の闘いを思い出してしまった。父母と、剣の師以外に負けるのは初めてのことだった。理由は考えるまでもない。最後の打ち合いは、技術の問題ではなく、ナツナの執念が、彼女の剣を壮太郎の心臓に届かせた。それまでは、壮太郎の方が優勢だった。つまり、心の差で敗北したということだ。そのように考えると、壮太郎は負けたことは認めつつも、自分の不甲斐なさに腹が立ってしかたなかった。

 

「あァ、クソ。腑に落ちるけど腑に落ちねェ!」

 

「まァまァ。それより、いいんですか、戦線に復帰しなくて」

 

「いい。何だかもう終わりそうな感じだしな。必要になったら出向くさ。それよりも、今はレミエルの膝の上で眠りたい」

 

「珍しいですね。壮太郎さんが甘えるなんて」

 

「案外、負けたのがショックだったみたいだ」

 

 素直に壮太郎が答えると、レミエルの手が彼の頭に伸び、優しく撫でた。壮太郎は、天にも登る気持ちになった。

 

        ***

 

 膝が笑う。目が霞む。背は曲がる。ナツナは、自分の体が限界に近いことを察していた。それでも、前に進まねばならない。壮太郎に構わなければ、という後悔もあるが、彼女はそれを押し殺していた。使い物にならなくなったプロテクターは捨て、コートは、ポケットから必要なものだけを取り出して包帯がわりにした。身軽になったはずなのに、ナツナは一歩踏み出すたびに極度の疲労感に襲われていた。

 誰かが、先で立ちはだかっているのに気がついた。ナツナは大きく息をして、杖代わりにしていた剣を構える。この時には、もう視界のほとんどが白に覆われていたが、敵の気配は察知できる。しかし、不思議なことに目の前の敵からは、気配だけが感じられて、殺気や闘気はつゆほども感じられなかった。

 

「夏、菜?」

 

 その声で、目の前にいるのが誰かを察した。しかし、誰であろうと関係なく、敵は斬るのみ——そう思っているのに、ナツナの体は全く動かなかった。どうしてと思っている間にも、視界の白が大きくなっていき、やがて全てが真っ白になった。

 

        ***

 

 ナツナが目を覚ますと、今度は視界に茜色が広がっていた。どうしてと思いながら首を横に向けると、頬に知らない枕の感覚があり、簡易的なベッド柵と、点滴の管が腕から伸びていることに気がついた。そして、椅子には肌を茜色に染めた深雪が座っていた。そうして初めて、ナツナは今自分がいる場所が病院であり、今の時間が夕暮れ時であることを知った。

 

「よかった。目を覚ましてくれたんだね」

 

 深雪が優しく声をかけてくれるが、ナツナは反応する気にならなかった。状況が知りたい。負けたことは言うまでもないと分かるが、どのように負け、どのように状況が動いたかが重要だ。その想いが、ナツナの口から溢れた。

 

「私たちは、どうなったの?」

 

「夏菜たちは、今は捕虜ってことになってるよ。でも、いつでも送還できる状況で、夏菜が青蘭島に留まっているのは、怪我が治るのを待つため」

 

「うん、それで?」

 

「えっと、ニュースでは、G・Sが幾らかの賠償金を青蘭島に支払って、今の議院と内閣を解散、それと、青蘭島評議会の監視の元で青蘭島との交流を継続するって言ってた」

 

「分かった。ありがとう」

 

 ナツナはとりあえず一安心した。深雪の言うことが本当なら、統合軍は敗戦国として妥当な扱いを受けている。断交しないのは、また戦争を起こす可能性と、プログレスの研究機関としての在り方を天秤に掛けた結果だろうと、ナツナは予測した。

 

「三日、目を覚さなかったんだよ」

 

 ふと、深雪は消え入るような声で呟いた。彼女を見遣れば、その目は涙に滲んでいた。その涙を見た時、ナツナも不意に涙がこみ上げた。戦闘は終わり、処理も済んだ。それでは、ナツナと深雪は敵ではない。一度見下しても、それでもやはり、深雪が「大好きなお姉ちゃん」であることには変わらない。

 

「ごめん。心配かけた」

 

「いいんだよ、夏菜。それよりも、私も謝らなきゃいけない」

 

 深雪は自分の涙を拭うと、真摯な瞳をナツナに向けた。夕陽の赤が空間を赤く染め上げる。白い床や壁はよく反射して、ナツナの目には少し眩しかった。

 

「私、夏菜の想いを否定してしまった。あの時夏菜が怒って私を置き去りにして、それから私なりに考えて、そして傷だらけの夏菜を戦場で見て、そこで初めて本当に理解したの」

 

 深雪は、ナツナの目を見つめたまま、決して目を逸らさずに続ける。

 

「夏菜。G・Sは、あなたの故郷なんだね」

 

 ナツナは小さく頷いた。すると、深雪の口から安堵の息が漏れた。それで、二人の空気が和んだ。お互いに微笑み合う。二人とも何も語らないが、その沈黙は居心地の悪いものではなかった。じわりと心が温まってくる、優しい沈黙だった。が、それは能天気な大声で破られてしまった。

 

「よォ、起きてるかー?」

 

 ドアの方に目を向けると、そこには傷ひとつない、上機嫌な壮太郎の姿があった。彼が現れて居辛くなったのか、深雪は一言断って出て行ってしまった。

 

「せっかくお姉ちゃんと家族としてのひと時を享受してたのに」

 

「まァまァ、そう言うなや。親父とお袋、それと師匠以外で俺を負かしたのはお前が初めてなんだ。次は負けんからな」

 

 そのように言いながらも、壮太郎はニコニコ顔で右手を開いて差し出してきた。握手を求めているようだが、ナツナはその手を素直に取れなかった。なぜ、自分と同じだけの重傷を負ったのに彼の方は健やかなのか。単なる体質の問題と片付けられることではないように思えた。しかし、壮太郎の底抜けに朗らかな笑顔を見ていると、そのこともどうでもよく思えた。

 

「次も勝つのは私だよ、壮太郎(丶丶丶)

 

 ナツナは自然に返答して、手を握り返したつもりだった。しかし、壮太郎は呆気に取られた顔をして、ナツナをまじまじと見つめている。

 

「どうしたの」

 

「いや、お前、初めて俺の名前呼んだよな。アンタ、じゃなくて」

 

「あ」

 

 言われてから、ナツナは気が付いた。しかし、彼女は慌てることはなかった。壮太郎の名を呼んだ理由はしっかりと自分で説明できる。

 

「昨日の敵は今日の友ってやつだよ。三日経ってるらしいけどさ」

 

「なるほどね。じゃあ俺も、その友に敬意を表して、遠薙妹ではなく、夏菜と呼ぼう」

 

「うん——あ」

 

 ナツナは、あるものに気がついてパッと壮太郎から手を離した。壮太郎も気が付いたようで、苦笑いを浮かべる。

 

「怖ーい鬼嫁が嫉妬の眼差しを向けてるんでな、今日はさようならだ」

 

「うん、さようなら」

 

 壮太郎が背を向け、その背と、壮太郎の向こう側にいるレミエルに、ナツナは小さく手を振った。レミエルはずっとムッとしていたが、最初に見た頃の刺々しさはなく、むしろ可愛くさえ思えた。

 壮太郎が出て行き、一人になったナツナは、ベッドから降りて窓を開け、そこから空を見上げた。煌々と光る緑の門の輝きは、沈みゆく夕陽にも負けていなかった。

 

        ***

 

 グリューネシルトの王宮の応接室で、G・Sの外務大臣は腕組みをして、ソファに浅く腰掛けて時計をジッと見つめていた。秘書はすぐ後ろに立っているのだが、その存在感はまるでなくなっていた。

 約束の時刻のちょうど1分前ほどになって、ドアがノックされた。来たか、と緊張が強まるが、それを堪えて落ち着き払った声で言う。

 

「どうぞ」

 

「失礼いたします」

 

 案内役の男がドアを開ける。するとそこに現れたのは、小柄な金髪の女性だった。見た目はかなり幼げだが、只者でないことは、彼女の振る舞いから簡単に察せた。外務大臣が息を呑んでいると、彼女は優雅にお辞儀をしてみせた。

 

「初めまして。D・E外交副大臣にして、十二杖が一人、ハイディと申します。本日はD・Eの全権大使として参りました。有意義な会談になることを期待しておりますわ」

 

 そうして、秘密会談が始まる。世界の存亡を懸けた戦いは、未だ終わらず——。




 お久しぶりです。エタったわけじゃありませんでしたが、リアルの方で何かと忙しくてあんまり書けてませんでした。
 今回で第一章、ブルーフォール編が終了し、次回から第二章である日本編が始まります。次回から、原作の歴史とは大きく異なる話になりますので、そういうのが受け付けない人はこの先を読まないことを強く推奨します。
 本章を振り返ると、大筋は初めのプロットからほぼ無変更で書けたので満足ですが、壮太郎関連で下ネタぶっ込み過ぎたかと反省してます。壮太郎がセクハラ大魔神というキャラ付けではあったのですが、今読み返すと「にしても酷いな」と思った次第であります(修正する気力はない)。
 あとレミエルさんが誰だお前状態ですね。これに関しては、自分でもうーんと思ったりするんですけど、最初期のレミエルって闇深そうだし、最初期の心境のまま、壮太郎に甘やかされたらこうなんのかなーという感じです。ガブリエラも目の前で壮太郎に殺されちゃってますし(この辺は後で少し詳しく触れる予定です)。まァでも原作とは別人ですね完全に。一番好きなキャラなのに何故こうなってしまうのか。
 次回からは先に書いたように日本編です。ということで、ナツナの一時的な帰郷をメインな話としつつ、裏で色々進行する感じの話です。
 あまり間を開けないように頑張るのでこれからも拙作をよろしくお願いします。

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