Pseudépigrapha D'Ange Vierge-Au Nouveau Monde- 作:黒井押切町
懐かしき国へ①
快晴の空の下、大勢の観衆が見守る中、盛大にファンファーレが鳴り響き、ティルダイン邸の正門が開かれる。そこから現れるのは、一組の美男美女——純白のウェディングドレスに身を包んだナツナと、また純白のタキシードをしっかりと着こなしたゲオルグだ。観衆の誰もが息を呑み、二人を見つめる。その中を、ナツナはゲオルグに手を引かれ、粛々と石畳の上を歩き、豪奢な装飾を身につけた馬車に乗り込んだ。
今日は、ナツナの怪我が治ってから、G・Sに戻って一ヶ月が経った日だった。そして、行われているのはナツナとゲオルグの結婚式である。ティルダイン家は古くから代々有力軍人かつ貴族なので、結婚式は地元住民を巻き込んで盛大に行われる。方式としてはこうしてパレードを行いながら近場の王立教会に行き、一転して静粛に結婚の儀式を執り行い、それが終わればまた盛大なパーティーが開催される。これが、G・Sの上流階級の一般的な結婚式である。
「これだけの人に祝ってもらえるのは、本当に幸せなことだね、ゲオルグさん」
ナツナは観衆に小さく手を振りながら、こっそりゲオルグに話しかけた。彼も反対側で同様にして言葉を返す。
「本当にそうだな。家の発展を考えた結婚じゃなくても、こうして祝ってくれるみんなにも感謝しなきゃいけない」
「もう、そんなこと今は考えないでよ。真面目なところ好きだけど、今日くらいは素直に喜ぼうよ」
ナツナの言うことに納得したようで、彼はそうだな、と満足げに答えた。彼の顔は見えないが、ナツナは彼が笑っていると確信できた。そのようにして二人で笑顔を振りまいている間にも、振動を抑えてゆっくりと、馬車は舗装された道路を進む。しばらく進み、馬車は教会の玄関の手前に着いた。ゲオルグが先に降り、ナツナも彼の手を取り馬車から降りた。
教会の中は、外とはまるで別世界のようだった。そこにいる者で、言葉を発する者は一人もいない。円形の部屋で、中央に淡い緑の光を放つ世界水晶のかけらがあり、それを取り囲むようにして長椅子が並べられている。磨りガラスから入る弱い陽光と水晶の光とが、ナツナの体に浸透していくように感じられた。
ナツナとゲオルグは、手を繋いだまま中央の水晶の前に立つ。世界水晶は、今も昔も変わらず、G・Sの人々にとっては無くてはならない存在である。それゆえに、信仰の対象となっている。宗教によって崇拝の仕方は異なるが、その対象はいずれも世界水晶だ。G・Sの人々が水晶から力を引き出す術を持っているといっても、その源流が何かは、既に神話の領域だ。彼らが開発と発展をさせたのは、引き出した力の使い方であり、引き出し方そのものではない。神話では、どの宗教でも一貫して、水晶の使いやら化身やらがある人物に力の引き出し方を教授するというものだ。ナツナも、異能を手に入れた時の経験があるので、この神話は概ね正しいと考えている。そういうことがあって、実はブルーフォールは宗教関係者からは渋い顔をされていた。敬虔な信徒などは水晶とともに滅ぶべきとも言っていたが、水晶と心中するつもりはない、という意見の方が圧倒的に多かったため、決行することになったという背景もある。
結婚の儀式は実に簡単である。司祭が水晶のかけらを少しだけ削った粉を水に解き、それを祝福された盃に入れ、二人で代わる代わる飲む。それが終わったら、水晶に繁栄の祈りを捧げる。これで終わりだ。
儀式を終え、教会の外に出れば、そこからは翌朝まで盛大な宴会である。ナツナとゲオルグは、馬車でティルダイン邸まで戻り、庭に来てみると、先ほどまで街道にいた人々が、待ちくたびれた様子でテーブルに着いていた。その様に苦笑しつつ、二人は庭の中央にあるテーブルに着いた。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございました。これより、宴会をお楽しみください」
ヨゼフの形式的な言葉で、宴会は始まった。その一方で、ナツナとゲオルグはスレイ、ヨゼフと、その妻のアンネと共に、挨拶回りに出発した。偉い人からと相場が決まっているので、来ていた政府高官や軍の高官から順に回っていく。彼らへの挨拶を終えると、いよいよ友人たちへの挨拶だった。まず、ゲオルグの友人の方であった。愛想を振りまいておけばいいナツナは、側で冷やかされて照れるゲオルグを見るのは面白かったが、その役目はすぐ彼女にも回ってきた。
「おめでとうナツナ! ウェディングドレス姿すっごい可愛いし、先輩感激だよー。いやァ、必然って感じだったけど、やっぱり羨ましいな。こんなに内も外もイケメンなおにーさんゲットするなんて」
ルルーナは身を捩らせながら早口気味にまくし立てる。その側でリーリヤは呆れてため息をついていた。その彼女とナツナの目が合った。すると、リーリヤは「あー」と天を見て頭を掻き、しばらくしてナツナとまた目を合わせた。
「おめでとうございます、ナツナ」
簡素な言葉だったが、はにかんだリーリヤの顔を見ると、それだけでナツナは満足だった。
結婚の宴は夜まで続き、ナツナたちは沢山の祝福を受けて幸せに終わった。撤収後、ナツナはせっかくだからとドレスから着替えずにゲオルグを自室に連れ込み、ベッドに押し倒した。
「明日どーせお互いに仕事休みだし、文字通り精魂尽き果てるまでやろうよ」
「ナツナ、目が怖いよ」
「まァまァ」
ナツナは笑いながら、ゲオルグのタキシードを脱がし、上半身を露出させた。そして彼の体の上にのしかかり、その鎖骨の辺りに、ゆっくりと舌を這わせたり、甘噛みをしたりする。彼の荒くなってゆく息遣いが、たまらないほど愛おしく感じた。
「さァ、ゲオルグさん。たくさん、たくさん愛し合おうよ」
薄暗い部屋の中、妖艶に微笑むナツナに、ゲオルグは小さくため息をついてから、そっと彼女の背中に手を回した。
***
結婚式後の最初の出勤日で、ナツナは情報科隊長——要はスレイに呼び出された。先の戦いで特務隊は解散させられたが、それは書類上のことだけであった。すぐに統合本部情報科部隊として、ほぼ同メンバーで再編された。特務隊との違いは、名前以外に無い。仕事内容はもちろん、陸海空軍とは別の指揮系統で動くことも変わらない。
分隊長でもないナツナが一人で呼び出されるということは、単身で工作活動なりなんなりをしろということか、もしくは心当たりはないが服務事項で上げられるかのどちらかである。
「トオナギ少尉、入ります」
ノックをして入室し、スレイに一礼する。一通りの規則上のやり取りを交わすと、スレイはナツナに軽く手招きした。
「ナツナ、心して聞いてちょうだいね。これから話すことは、まだ誰にも公にはできないことだし、あなたが一番関係あることだから」
この時のスレイは、厳格な上官としてではなく、ナツナの家族としてのスレイだった。それで、これから告げられることが、ただの機密事項ではないと察して、ナツナは息を呑んだ。
「あなたには、今度日本に飛んでもらうわ」
——スレイの言葉が、ナツナは頭をハンマーで殴られたように感じられた。そしてそのまま、ナツナは言葉を失っていた。スレイは何も言わないが、どのような表情をしているかも分からなかった。それはスレイが顔を隠しているということではなく、ナツナの焦点が定まっていないだけのことだった。
言葉を失ったナツナに対して、スレイは懇々と事情の説明を始める。曰く、先日D・Eから外務省に使者が来て、G・Sに日本と国交を結ぶことを提案してきたのだという。そもそも日本とD・Eが国交を結んでいるというのは全く寝耳に水だったが、ナツナはそれどころではなかった。
「まァ、あなたを交渉の任に命じるとかじゃあないのよ。それは外交官たちの役目。あなたに期待されているのは、表向きは親善大使としてマスコミの前に出て、日本とG・Sの友好の象徴となること」
「はァ、表向き、ですか」
ナツナはようやく声を出せたが、その声はあまりにも情け無く呆けたものだった。しかし、それにスレイが不快感を示すようなことはなく、彼女は話を続ける。
「裏の事情としては、国からの温情で、交渉が終わったらナツナに三ヶ月の特別休暇を与えるから、日本に残ってゆっくりしてもいいって」
「え?」
また、ナツナは間抜けな声で返事をする。
「出発は二週間後の今日、0900に外務省の正門に出向くこと。詳しいことはこの資料に書いてあるわ」
「はい、分かり、ました」
ナツナはぎこちなく返事をし、資料を受け取って隊長室から退出した。己の心臓の音がうるさい。まずは落ち着こうと、ナツナは統合本部ビルの屋上に上がり、そこに出るなり大きく深呼吸をした。新鮮な空気が体を満たす。少し動いたことに加えてこの深呼吸で、ナツナはようやく少しながらも平静を取り戻した。
「まずは、資料を確認しよう」
風から資料を守れる場所に移動して、ナツナはそれに目を通した。それによると、元々日本とD・Eが、G・Sと国交を結ぶことを画策していたらしく、G・Sが首を縦に振れば、何回かの調整を経て国交が樹立できるほどまでに日本が準備していたとのことである。日本がG・Sと国交を結ぶ目的は、資料には新たな貿易ルートの開拓による好景気への期待が主な理由とされているが、ナツナはそれだけでは納得できなかった。軍事同盟も結ぶとのことだが、その同盟の内容はかなり高度な機密事項であるらしく、資料では全く触れられていない。日本は青の世界の国である。日本を相手にしていないとはいえ、一度その世界を滅ぼす戦いを仕掛けたG・Sを、日本が軍事的に信頼する理由も資料だけでは分からなかった。
また、ナツナが親善大使として適任とされたのは、やはり元々青の世界の人間だから、というのが理由のようである。確かに、神隠しに遭っていた女の子が別の世界で生きていたというのはセンセーショナルで、マスコミの受けも良さそうである。日本人としても、馴染やすくはあるだろう。
多少の不自然は後で分かるだろうと考えて、ナツナは理屈の上では納得することにした。しかし、気持ちの上ではまだ納得できていない——というよりは、未だに実感が湧いていない。
「私、日本に行ってもいいのかな」
ナツナは己の手を見つめる。先の戦闘で、自分は何人かの人間を殺したが、その中には当然、青の世界の人間も含まれていた。G・Sが何をしたのかを知ったら、自分は日本から裏切り者の誹りを受けるのではないか。そのような不安が頭によぎる。しかし、それでも。
「日本に、帰れるなら帰りたいよ。あの奥津で、またゆっくりしたい」
とうとう、涙が溢れた。それで確信した。自分がどれほど、心の底で日本に帰ることを熱望していたか。そして、それを押し殺していたか。G・Sが日本と軍事同盟を結ぶということは、ナツナたちが青の世界に侵攻する理由が無くなるということだ。その事実は、ナツナにとっては心のタガを外させるには十分だった。
「あァ、私は、まだ日本を愛しても良かったんだね」
ナツナは止めどなく頬を伝う涙を拭いながら、笑った。頬の緩みを止められなかった。これまでナツナを縛っていた重圧の何もかもから解放された気分だった。そして、ふとした衝動が働いて、ナツナは青空へ向かってジャンプした。涙が跳ねる。風を全身で受ける。——そうして、1秒足らずで着地したとき、涙は既に無くなっていた。