Pseudépigrapha D'Ange Vierge-Au Nouveau Monde-   作:黒井押切町

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八年ぶりの星②

 青蘭島側の港である南青蘭港に着いたナツナは、入島手続きを経て、銀行でG・Sの銀行に預けてある金のいくらかを青蘭島の通貨に両替してから、モノレールで南青蘭港駅から学園寮前まで移動することにした。荷物は既に寮に送ってあり、財布以外はほとんど手ぶらであるため、ここまで滞りは全く無かった。

 モノレールが移動している間、ナツナは車窓から青蘭島の街並みを眺めていたが、地球に戻ってきたという喜びもノスタルジイも、つゆほども無かった。並木や公園以外の自然はほとんど見られず、ビルや住宅が立ち並び、道路も完全に舗装されている。日本にいた頃、奥津の外には出ても美杉からは出たことのなかったナツナには、これが地球の風景とは思えなかった。その上、今乗っているモノレールにしても、その走行音があまりにも静かで、ナツナの知っている国鉄の気動車が出していた音とは全く違う。同じ地球でも美杉と重ねられる物はなく、今のナツナが感情は、初めてG・Sの石造りの街を見た時と殆ど変わらなかった。

 

(ちょうどいいや。これだったら、この土地に対する愛着がG・Sを超えることはあり得ないしね)

 

 ナツナはほくそ笑み、椅子に深く座り直して車窓から車内に目を向ける。平日の昼という、ラッシュの時間からは外れて空いている車内が、未来の地球の姿に見え、彼女には居心地の良いものにさえ感じられた。

 十五分ほどで、モノレールは学園寮前駅に着いた。ナツナは降車してからまっすぐ指定された寮に向かい、そこの管理人から部屋の鍵をもらって新たな住まいに向かった。寮には中等部用の一号から三号棟と、高等部用の四号棟から六号棟、大学部用の七号から十号棟に教職員用の十一号棟まである。そのどれもが十五階建ての高層マンションのようなもので、将来的に生徒が増えても大丈夫なように現在の生徒数に対してかなり多くの部屋を確保してある。ナツナの部屋がすぐに決まったのもそれが理由だ。

 ナツナが自室の前に着くと、そこに送っておいた荷物が固めておいてあった。ナツナはその不用心さに愕然とし、大慌てで駆け寄って、送った荷物のリストのメモと照らし合わせながら、何も盗まれていないか入念に確認した。幸いにも欠けているものはひとつもなく、また傷が付いているものも無かった。

 

「よ、良かったァ。盗まれてなかったから良かったけど、何考えてんだろ、ホント」

 

 ナツナは心の底から安堵し、鍵を開けて荷物を全て部屋の中に放り込んだ。そうして部屋の中を初めて見たが、彼女はこれに関しても驚きを隠せなかった。寮というので統合軍の寮のように部屋にはベッドと机のみで、洗面所、トイレ、風呂は共用のものとばかり考えていたが、そのみっつが完備されているばかりか、3LDKで寝室と和室が別にあるという、寮としてはあまりに豪華な仕様だった。

 

「寮というよりマンションじゃんこれ。これが個室として与えられるって青蘭島ってどんだけ金あんの」

 

 ナツナは感嘆しつつ、とりあえずということで私物の整理をした。容量の大きなクローゼットと箪笥と押入れのおかげで、私物が入りきらないというのは全く無かった。また、ナツナはここに来る前、それが終わってすぐにインテリアを揃えに行こうと考えていたのだが、その必要は全く無かった。ダイニングテーブルだけでなく、リビングにもひとつテーブルがあり、しかもカーテンにソファとテレビとパソコン、それに敷布団と掛布団、更には鏡まで用意されている。その上風呂場にはマットも用意されており、タオルも多すぎるくらいにあった。

 

「至れり尽くせりって感じ。逆に不気味だけど」

 

 暇になってしまったナツナは下着姿になって、和室の畳の上でゴロゴロし出した。新品らしくチクチクせず、い草の匂いが心地よい畳だった。この時だけは美杉の家に帰ってきたような錯覚を覚え、ついつい安心感から眠りそうになってしまった。眠るわけにもいかなかったので体を起こしたが、ナツナはそこで自分の下着の無味乾燥ぶりが気になり始めた。ナツナは、軍で着れるような、無地の白い下着しか持ってきていなかった。ティルダイン邸にはそうではない下着もあるが、その殆どがゲオルグとの情事に使うような扇情的な下着で、普通に可愛い下着は持ち合わせていなかった。

 

「暇だし買いに行こ。ついでにバイクも買っとくかな」

 

 ナツナは起き上がり、先程脱いだ私服を再度着て繁華街に出かけた。平日の昼だけあって、繁華街と言えど人通りは多くなかった。ナツナはとりあえず気に入った下着を何着か買って、寮に一番近いモーターショップに向かった。学園生徒でもバイクが運転できて、しかもG・Sで得た免許があれば問題ないという情報は前々からルルーナから教えてもらっていて、青蘭島で自由に動ける足が欲しかったナツナにはちょうどよかった。

 

「せっかくだし大きめのほうがいいなァ。おっちゃん、でかめで爆走するのにぴったりなの教えてよ」

 

「お嬢ちゃんの体格を考えると、あれだね。けど高いぜ?」

 

 店主が指差したバイクに近づいてみると、概ねナツナの希望を大体満たしたそれがあって、値札には三万青蘭ドルと書かれていた。確かに他の店内のバイクに比べれば高いものの、ナツナの所持金は、青蘭島に来た時に両替した分だけでも一千万青蘭ドル以上ある。三万などはした金だった。

 ナツナはポンと金を出して、店主の驚く顔を尻目にバイクを頂戴し、ガソリンを入れて早速それで寮に帰った。動力が違う以外は、緑の世界の自動二輪車とほとんど変わらなかった。戻ってから駐輪場の登録を済ませて、一旦部屋に戻ってライダースーツに着替えた。これは緑の世界から持ってきたもので、ナツナのお気に入りだ。

 

「じゃ、行くとしよっか!」

 

 ナツナはバイクに再び跨って、慣らし運転も兼ねて青蘭島の散策を開始した。まずは繁華街を抜けて住宅街に入り、入り組んだ道を行きつつ、見た光景と街の構造を頭にしっかり焼き付ける。近いうちにここを戦場にすることもあるかもしれない。その時に土地勘が無くては効率的な行動ができるはずもない。

 

「しっかし、何だってこんなコンクリの塊みたいな、しかも小さい家しかないんだろ。G・Sと大差無いじゃん。植樹する木があるんだったら少しでも家に使えばいいのに」

 

 ナツナは奥津の家々を思い出す。あの土地の家は、新しい家以外は殆どが木造の大きな家で、地球の住宅といえばナツナにとってはそのような家だった。しかし、今彼女の視界にあるのは所狭しと詰められた家々に、それらを縫うように張り巡らされた路地。奥津の土地にあった開放感さえない。ナツナの心は、地球から離れるばかりだった。

 

「なんか、ムカつく。大阪とか京都も昔からこんな風だったろうけど、それでも少しくらい私の知ってる地球を見たかったな」

 

 ナツナは泣きそうになっていた。G・Sへの忠誠心はあっても、美杉を偲ばせるものがあることを青蘭島に期待していた。しかし、そのようなものは今見てきた中では存在しない。強いて言えばシャトルから学園の向こう側に山が見えたくらいだが、そこに根差した生活があるようには見えず、それではナツナが郷愁を感じることは無い。

 

「奥津が田舎ってことは私にだって分かるけどさ。でもこんなに違わなくてもいいじゃん」

 

 ナツナは頬を膨らませてブツブツ言いつつ、エンジンをふかして住宅街を回る。そこに住んでいるのは青蘭学園卒業後もこの島に残った者たちで、島外からの移住者ではない。青蘭学園設立が1968年で、今年は1997年なのでそうした者も数多くいるのである。また、その内訳は青の世界出身者が大半を占めている。青の世界風の街並みが形成されているのはこれが理由だ。

 巡回する中で、ナツナはあることに気がついた。道路だけでなく、塀やガードレールなどが、やけに綺麗なのだ。道路にはちりひとつ落ちておらず、塀には落書きもない。また、G・Sでは首都でもそこそこ見られた乞食さえもいなかった。この様を見て、ナツナは自分の荷物が部屋の前に放ってあったことに納得できた。青蘭島はとてつもなく治安が良いのだ。巡回する警察官が全く見えないことからも、治安の良さが伺える。盗みを働こうと考えるような人間が少しでもいればこうはならない。ナツナの常識からは信じられないことではあったが、そのように捉えるしかなかった。

 

(まァ、治安がこれだけいいってことは、住民は頭がお花畑になってる人が多いんだろうな。攻めるにはちょうどいい)

 

 ナツナは心の中だけで口角を吊り上げた。住民を攻撃するわけではないが、戦争になった時に混乱する住民が多ければ多いほど、相手が困りこちらが有利になる。また、非戦闘員に戦争反対論者が多いことも考えられる。青蘭島の上層部は左翼が多いとの情報もある。この情報が正しければ、青蘭島側は情勢や世論に振り回された挙句、戦争を回避することもできず止むを得ず、という形で戦争が始まる可能性も高い。もしそうなら、より一層G・Sは優位に立てる。

 ただし、これは総力戦を行う場合の話だ。G・Sには総力戦を行うだけの力はあるが、G・Sを取り巻く状況がそれを許していない。緑の世界でブルーフォール作戦に協力してくれている国家はもちろん多いが、全ての国がそうではない。いくつかのG・Sを潰したい大国は、ブルーフォールで軍隊が出て行き、G・Sが隙を作るのを虎視眈々と狙っている。その大国同士が最近同盟を結んだのもあって、G・Sは特務隊の他には一個師団すら出せない状況になってしまっている。ナツナは苦々しい思いだった。G・S陸軍の主力部隊の三分の一でも使えれば完勝できそうな相手に対して、相手と同じかそれ以下の戦力で戦う羽目になっているのだ。G・Sがあまり外交が得意でないということもある。だが、第一次作戦の失敗が根底にあるのは少し考えれば分かることだった。

 

(これも、あのサナギの売国奴姉妹のせいだ。あの二人が粛々と任務を遂行していれば、こんなことにはなってないのに!)

 

 第一次ブルーフォール作戦の時は、緑の世界の同盟国に対してさえ、徹底した情報規制によりその作戦の存在すら知らせず、最後まで秘密裏に行う予定だった。しかし、作戦の失敗により「G・Sが大きな動きをしたがっている」と敵対国に露呈した。その作戦の内容から、G・Sが実行しないわけにもいかないということは自明であるから、その国家はG・Sが動くのを今か今かと待っているのだ。もちろん、それらの憂いを断つことができればそれに越したことは無いのだが、タイムリミットの十年でそれができるかと聞かれれば、否と答えるしかないのが現状だ。

 ナツナは腹が立って仕方がなかった。サナギ姉妹を暗殺せよという命令が下ることを渇望するほどだった。しかし、いつまでも腹を立て続けるわけにもいかず、どうしようかと思っていた矢先に、タバコの自動販売機を見つけた。

 

「タバコかァ。高いだろうけど、まァバイク買っといてお金を惜しむのもアレかな」

 

 ナツナはバイクを停め、その自動販売機に近づき、そしてタバコの値段に驚愕した。

 

「十青蘭ドル!? G・Sだったら、安いのでもこれの百倍は高いのに! 喫煙者には天国じゃないここ!?」

 

 G・Sにおけるタバコは超高級な嗜好品だった。それが破格の値段で手に入ることにナツナは興奮しながら適当なタバコを買い、出てきた箱を早速開けた。すると、その中に紙巻タバコが詰まっていて、ナツナは少しだけ不満になった。

 

「葉巻じゃないの? ってかよく見たらこの自販機紙巻しか売ってないじゃん」

 

 G・Sではタバコといえば葉巻だった。紙巻は存在は知っていても見た記憶が無い。違和感はあったが、吸ったことがないというだけなので、気にしないことにして、火を魔法で付けて一服した。

 

「ん、まァ悪くはないね。煙は少ないけど、タバコ吸ってる感じはするし」

 

 ナツナは興奮が落ち着くのを感じつつ、空を見上げた。移りゆく雲を眺めながら、あの雲が降らす雨は、やがて雲出川を流れるのだろうか——そのようなことを、ぼんやりと考えていた。

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