リトルアーモリー ~2つの道、彷徨う弾丸~ 作:魚鷹0822
「今日は何事もなく終わってよかったですね」
指定されたルートの巡回を終え、ネストシードを発見することなく、何事もなく歩哨を終えたことに未世たちは胸をなでおろす。先日の一件以来、大型種の遭遇の可能性が任務に出る生徒全員に通達されたが、それから遭遇したという事例はないようだ。
「……でも、経験積まないと強くなれない」
「わかっていますけど、何事も無く済むにこしたことはありませんよ」
訓練を積んで、実戦で実行し、反省点を洗い出して次の任務や訓練に活かす。技量を上げるためには、そのサイクルを繰り返すしかない。
訓練だけでは限界がある上、これまでろくに引き金を引けてないために、今度こそは、という気持ちがあるのは凛は勿論、未世もだが、遭遇しないのでは仕方がない。
「それじゃあ、帰りましょうか」
未世が帰宅しようと帰路に足を向けたとき、ふと彼女は歩を止める。
「どうかしたんですか、凪ちゃん」
凪は未世に向き直る。
「何が?」
「だって、どこか一点をじ~っと見つめていましたよ」
「……そういえば、最近多い」
心配そうに眺める彼らに、凪は微笑む。
「大丈夫。いつも通りだから」
2人はどこか納得できないように疑惑に満ちた眼差しを向けるも、それ以上は何も言わなかった。
大きく手を振る未世に、凪は僅かに手のひらを振って応える。それぞれが、家に向かって帰路につく。
でも、彼女はなぜか帰路とは違う道を歩む。人通りの多い道ではなく、繁華街や商業施設をさけて人気の少ない、狭い道を進んでいく。時折、後ろに視線を向けながら。
いつしか住宅地を抜け、隣接した森へと、彼女は足を踏み入れる。
―――……来ている。
凪はそう感じた。最近、彼女は歩哨任務に出るたび、首の後ろがチリチリ痛むのを感じていた。それは、戦場に身を置くようになって感じるようになった感覚。殺気や敵意を向けられたときに感じるものだった。
先ほどの未世たちとの歩哨の間も、いや、それ以前から、彼らと初めて組んだ歩哨任務の時からずっと、彼女はその感覚を感じていた。
自分に向けられている殺意を。その殺気を放っている存在が、そばをうろついていることを。
彼女は森の中を進んでいくと、無線の受信ランプが点灯していることに気づいた。彼女は、無線に手を伸ばした。
「はい、古流高校、風原」
『どこに行くつもり?』
その声で、彼女は無線の向こうの相手を察した。
『歩哨任務は終わって、あなたに今日の任務の予定はないはずよ』
「ちょっと、野暮用がありまして」
『どんな用事なの?』
言い訳やごまかしを許さない迫力が、無線越しでも伝わる。
「……言えません」
『教官命令よ、いいなさい』
言葉の圧力に開きそうになった口を閉じ、彼女は冷静に振舞う。
「あなたこそ、なんで私の動きを監視していたんですか?豊崎教官」
無線の向こうの主が黙る。指定防衛校の生徒は、銃を持っているのに加え、応援要請があった際に、だれが手近にいるかを瞬時に調べるために、GPS発信機を持っている。今凪が、だれと、どこにいるのかも司令部に記録されるし、教官たちにも筒抜けになっている。
『……あなたの様子が最近変だと、朝戸さんたちから相談を受けていたの』
「それで、私が妙なことをしていないか監視していた、ですか?」
教官は黙り込み、返事をしない。凪はそれを肯定と受け取った。
「教官、残念ですけど、これは至極個人的な事情なので」
『あなたが一人で何かをしようとしているときは、大抵危険なことだって決まっているわ』
「よくお分かりで」
『なら、なおのこと。何が目的なの?』
凪は大きく息を吐きだし、いつもの淡々とした口調で言った。
「……後始末、です」
『何の?』
「自分の蒔いた種ぐらい、自分で刈り取ります。以上、終わります」
何かを言いかけた教官の無線を一方的に切り、彼女は司令部に回線を繋いだ。
「司令部、こちら古流高校、風原。K9の亜種と思しきイクシスに遭遇。武器使用許可を求めます」
『こちら司令部、了解。武器使用自由。至急応援を送ります』
「必要ありません」
無線越しに、オペレーターが首をかしげているのがわかる。
「数は1体。なら1人で対処できます。以上終わります」
言うなり凪は無線を切り、来た道を、ゆっくりと振り返る。
「……いい加減、出てきたらどう?」
当人は隠れているつもりかもしれないが、それだけ殺気を放っていれば居場所はわかる。いや、正確には人ではない。彼女は、M4に弾倉を装填し、薬室に初弾を送る。
それから間もなく、草むらが揺れ、生い茂る草をかき分けて1体の黒い獣が姿を現した。その獣に、凪は見覚えがあった。
彼女が再会を望んだK9「ハル」を殺したあの日、凪を尻尾で殴ってふっ飛ばし、ハルの遺体を咥えて持ち去った、あの時のイクシスだった。
1対の巨大な牙を上顎に持ち、K9を超える全長、サーベルタイガーを思わせる外観。
そのイクシスは彼女を視界に捉えると、四肢を地面につっぱり、空に向かって口を大きく開けて咆哮をあげる。
空気が振動し、凪の体にも伝わる。怒り、憎しみ、憎悪。どんな感情がこもっているかは知りようがない。でも、彼女は思った。
このイクシスは、あの時仲間を殺した敵を、仇として追いかけて来たのだろう。無論、このイクシスに知能があるのかはわからないし、イクシスに同族意識があるのかもわからない。でも、この時の彼女はそう考えた。でなければ、数日間にわたって凪の周囲をつけまわした理由がない。
「仲間の仇討ち。泣ける話だね」
彼女はM4を構え、安全装置を外す。アングルフォアグリップを握り、ダットサイトの光点を、未知のイクシスに重ねあわせる。
「でも、黙って殺されるつもりはないから」
イクシスが空に向かって再び吠え、地面を蹴って駆け出す。直後、凪のM4が咆哮をあげ、閃光がほとばしった。
M4から放たれた銃弾が、周囲に生い茂る草木をかいくぐり、イクシスに向かって飛翔する。でも、その個体は巨体に似合わぬ俊敏な動きや障害物を使い、被弾を免れる。銃弾はいずれもイクシスの体を穿つには至らず、地面をえぐるだけ。
弾倉が空になり、空の弾倉を捨てて急いで交換作業を行う。相手が自分に恨みを抱いているのであれ、仇討ちであれ、彼女には関係ない。
―――イクシスは、殲滅しなければならない。例外なく。それが、私たちに課せられた責務。
彼女は頭の中でその言葉を反芻し、再び引き金を引く。イクシスは銃撃を回避し、草むらに潜り込んだ。
彼女は左腕を伸ばし、ハンドガードとフォアグリップを横から鷲掴みし、ホースで水をまく要領でイクシスの潜り込んだ草むらに向けてフルオートで掃射をする。
Cクランプグリップ。視界は若干狭まるが、銃口の先を素早い相手にあわせるには、この撃ち方は都合がよかった。
弾がなくなり、急いで弾倉を交換する。再び銃口を草むらに向け、目、耳、皮膚に感じる感覚全てを使い、周囲に神経を張り巡らせ、僅かな気配でも察知しようとする。
草むらが揺れた。そこに銃弾を撃ち込む。そばが揺れた。また引き金をひく。遠くが揺れた。発砲する。直後、後ろが揺れた。振り返り、引き金を引いた。銃弾が、草むらの緑の海へと、飲み込まれていく。
ぎゃん、という悲鳴のような声と、地面に何かが転がる音がした。今度は手応えがあった。
「……当たった?」
確認のため、彼女は銃口を僅かに下げて視界を広げ、草むらに足を踏み入れる。周囲を警戒しながら、銃弾を撃ち込んだ場所へ一歩一歩、足を進めていく。
銃弾を撃ち込んだ場所は、イクシスの赤黒い体液が深緑の葉に飛び散っていた。
左手で草木をなぎ払い、その正体を確認した。
「な!」
目の前に広がる光景に、彼女は目を見開き、声を漏らした。
「……なんで」
そこに倒れていたのは、これまで幾度となく駆除してきたイクシス、K9だった。直後、彼女の後ろの草むらが揺れる。再び銃弾を撃ち込んだ。確認すると、そこにもK9が倒れていた。
「……まさか」
彼女は、自分の犯した失策に気づく。でも、そのときにはもう遅かった。
突如草むらをかき分け、K9の倍ほどもある巨体が飛び出した。凪は銃口をその巨体に向け、引き金を引いた。2発で弾がつきた。イクシスとの距離が、目前に迫る。再装填の時間も、拳銃を抜いている時間もない。
彼女はM4を横にし、自分の前に盾のように構えて身を守る。イクシスは樹脂製のハンドガードに噛み付いた。そのまま勢いを殺さず、凪を地面に押し倒した。
巨大な1対の牙が、樹脂製の部品に食い込み、きしみをあげる。次第に樹脂が白くにごり、亀裂が走り、噛み砕かれて飛散した。
さらにイクシスの顎が銃身を挟み、変な方向に曲げてしまった。
イクシスは、顎に咥えた凪のM4を、つばを吐くように遠くへ放り投げる。
「うそ……」
イクシスは口を大きくあけ、彼女に向かって牙をつきだした。咄嗟に頭を右側へ出来うる限りずらした。
赤い血が、イクシスの鼻先や顎に付着した。1対の巨大な牙は、凪の首の真横、左肩に突き刺さった。その後も力をこめ、牙を食い込ませていく。絹を裂くような彼女の悲鳴が、雨が降りそうな暗い空を揺らした。
傷口から神経を伝って、焼けるような痛みを脳が感知する。牙を抜こうと右腕で押しのけようとするも、痛みが増して苦痛に顔が歪む。彼女は腰からナイフを抜いて、イクシスの首に力を込めて突き刺した。痛みでイクシスが彼女を押さえる力を緩めた瞬間、凪は体を抜き、その場から一目散に駆け出した。
森の奥へ、奥へと、彼女は傷口を押さえ、一心不乱に走る。時折後ろを振り返りながら、イクシスが追ってきているかどうかを見る。
風景の変わらない緑の海の中を、方向も考えず、彼女はひた走る。途中で見つけた巨石の影に身を隠すと、エイドキットから止血用包帯を取り出し、右手のみで巻きつけ、硬く締め付ける。痛みで顔を歪めながらも、処置を終えた。
「はあ、はあ……」
荒い呼吸を繰り返し、焦る心を落ち着かせつつ、周囲の様子を伺う。右手で、腰のホルスターからM9を抜く。
今更ながらに、彼女は自分の思い込みを呪った。相手は1体ではなかった。ここに彼女が来たのは、周囲への被害を気にしなくていいということだが、今はそれが命とりになっている。
イクシスは、凪の後をつけながら、K9を周囲に配置していたのだろう。そして姿を隠し、K9で彼女の注意を引きながら、隙を見せる瞬間を狙っていた。
距離をとっていては不利と判断した上で、数の利を活かして相手を追い詰め、少しずつ包囲の輪を狭め、獲物を殺す。
集団で狩りを行う獣のようだ。思えば、トラやライオンは、狩りを行う際には極力身を隠し、奇襲によって、一撃で獲物を仕留める。狼は、集団で狩りをするという。イクシスがどこまでそれを模倣しているかは定かではないが、それを想定していれば違った対応ができた。
でも、戦いの主導権はもう凪にはない。周囲は、風景の変わらない、見通しの悪い緑の海。凪からは敵が見えないが、相手はこちらの位置を掴んでいる可能性が高い。ここにくる道中、流してきた血は彼女の居場所を示している。
トラやライオン、狼にルーツがあるなら、嗅覚が優れている可能性もある。獲物と狩人の立場が、逆転している。
今の凪は、獲物の側だ。
「……とにかく、移動しないと」
M4がやられても、まだ彼女には拳銃と予備のナイフがある。でも、それであの巨大種を倒せるかはわからない。
彼女の後ろの草むらが揺れた。彼女は揺れた場所に銃口を向ける。姿を現すのを、固唾を飲んで見守る。銃のグリップが、僅かに湿り気を帯びる。
草むらが揺れ、影よりも黒い獣が、姿を現した。
「……え」
現れたのは巨大種ではなく、K9だった。子犬のように、怯えている。凪の記憶にあるあの子と、同じように。
それが、凪を僅かな時間でも硬直させた。彼女の左にある草むらが、大きく波打った。
急いで振り向いた直後、緑の海から黒い巨体が現れ、彼女に向かって真っ直ぐ駆けてくる。
彼女は拳銃を構える。照星と照門をイクシスの頭部に合わせ、引き金を引いた。
でも、弾が出ない。
「なんで……あ」
彼女は、スライド後端を見て驚いた。今の彼女は、自分が思っている以上に冷静さをかいているらしい。安全装置を外し忘れていた。その隙を、イクシスは見逃さない。
体重を載せ、勢いをつけ、凪に体当たりした。彼女の体が宙を舞い、地面を転がる。でも、まだ右手にかろうじて銃は握っていた。
「いたた……」
右腕だけで起き上がろうとした彼女を、再び衝撃が襲った。地面を蹴って瞬時に巨体を加速させたイクシスは、凪に突進する。彼女はそのまま、飛ばされた方向に生えている木に背中を打ち付け、地面にころがった。
「げほげほ」
背中から走った激痛に、彼女は咳き込む。応戦しようと体を起こし、右手を前に出した。だが、先ほどまで持っていたM9が手の中にない。
今度は左脇腹に衝撃が走った。ボールを追いかける犬のように、何度も弄ぶように突進され、その度に彼女は体を打ち付け、地面を何度も転がり、制服が土まみれになる。
―――楽に死なせる気はない、って、こと……。
痛む体を起こそうとしたとき、腹部に衝撃が走った。イクシスは、尾を鞭のように振り回し、彼女の腹部を殴りつけた。虚をつかれた彼女は、また宙を舞って地面を転がる。当たったマグポーチあたりの生地が破れた程度ですんだが、衝撃に胃の中のものが逆流しそうになった。
仰向けになった彼女は、動く気力が湧いてこなかった。何度も体当たりされてぶつけた体は痛みでいうことをきかず、牙が刺さった肩も動かせない。
なんの気なしに、彼女は空を眺める。空からは無数の雫が降り注ぎ、彼女を、地面をうつ。
K9「ハル」を撃った日も、そういえば雨が降っていたと、彼女はこんな状況にあっても思い出す。
―――ハルが、泣いているのかな。
折角再び会えたのに、凪はハルを撃った。親しくなったハルを殺し、理解者だった未世を裏切った。
再会を願ったのに、その相手を殺した彼女。その仇を打つために、追いかけてきたのであろうイクシス。
―――報い、なのかな。
ハルを殺し、そしてハルの仲間を沢山殺してきた。イクシスに同族意識があるなら、あの子は仲間を殺した凪を恨んでいたのかもしれない。
そしてその遺体を持ち去ったこのイクシスにとって、凪は大事な仲間の命を奪った敵ということになる。
彼女は自分の横たわる地面を見渡すと、目を閉じ、感覚を放棄した。彼女が仰向けになっているその場所は、周囲に草が生い茂る中、そこだけ木が切り倒され、草が刈られて見通しが良くなっている。地面は舗装され、コンクリートによって平になり、緑が生い茂る中、白さを際立たせている。
そこが彼女の、処刑場であるかのように。
ここで殺され、ハルに謝りにいくのも、悪くないと思い始めていた。
夢を捨て、友人を見捨て、責務を全うする道を選んだが、今は果たせそうにない。自分で応援を断っておいて、この有様。
目指す夢もなく、役割が果たせないなら、自分は何者にもなれない。
何のために生きればいいのか、目的もない。それは、自分で打ち砕いてしまった。
イクシスが血に濡れた牙を、再び彼女にむける。一歩、一歩とぬかるむ地面に足跡を残しながら、迫る。
一歩進むたびに、イクシスの足によってはねる水音が、凪の耳にとどく。その音が、次第に大きくなってくる。彼女は力を抜いて、イクシスの方向に目を向ける。
―――ここまで、か。
彼女の最後を決める、巨大な鎌を持った死神が迫る。そんな時であっても、彼女の心は、凪いだ海のように穏やかだった。
自分の行いが、招いた結果であると、彼女は自分に言い聞かせる。
彼女の血の着いた巨大な1対の牙が、眼前に迫る。死神が、鎌を振り上げる。凪は、静かに目を閉じた。