リトルアーモリー ~2つの道、彷徨う弾丸~ 作:魚鷹0822
空から滴る無数の雫に打たれながら、凪は目を閉じ、じき来るであろう痛みに備える。
イクシスの牙が、自分に突き立てられる、その瞬間を。
自分の、結末を。
でも、いつまで待っても、その瞬間が訪れることはなかった。不審に思った彼女は恐る恐る、目を開けてみる。
「……え」
彼女の目に、信じられない光景が飛び込んできた。1体のK9が、同族であるはずのイクシスに向かって爪と牙を閃かせ、飛びかかっていた。体格が倍ほども違い、牙も爪も劣るK9が、巨大な個体に向かって咆哮し、果敢に挑んでいく。
体格が劣っていることを自覚しているのか、小回りの良さ、敏捷性を武器に襲いかかる。
不意をつかれたイクシスは、同族であるはずのK9の所業に対応できず、胴体に牙を突き立てられる。
反旗を翻したK9を引き剥がそうと、首をまげ、顎を向け、尾を振り回すが、位置が悪くどちらも届かない。すると、体を乱暴に振り回して振り払おうとする。それでも、K9は離れない。
イクシス同士が戦っている。その信じられない光景を前に、凪は固まる。
―――私を、守ろうとして、いるの?
頭に浮かんだその考えを、彼女は頭を振って打ち消す。そんなはずはない。イクシスは、人類の敵のはず。でも、目の前で繰り広げられている光景が、その考えの根幹を揺るがしている。
「……今のうち!」
なんであれ、この好機を逃す手はない。彼女は痛む体を素早く起こし、あたりを見回す。運良くそばに落ちていた、取り落としたM9を拾い上げ、セイフティレバーを跳ね上げる。
銃口をイクシスに向け、即座に引き金を引いた。泥が若干着いていたが、スライドが勢いよく後退し、空薬莢が宙を舞う。放たれた銃弾はK9には当たらず、巨大なイクシスの頭部にめり込み、体液が飛ぶ。でも、この程度では倒れない。
彼女は連続して引き金を引いた。弾倉内部の15発を撃ち出す火薬の炸裂音が等間隔に、雨音に混じって響き渡る。
銃撃が止む。銃弾を撃ち込まれたイクシスは、地面についている手足が震え、先程までの活発さがなくなっている。空の弾倉を捨て、その場に膝をついてM9を右膝の裏に挟んで保持する。
熱した銃身が膝裏の肌に触れ、火傷しそうな程の熱さをこらえながら、20発入り弾倉を叩き込み、ブーツの踵にリアサイトを引っ掛けてスライドを前進させる。
生物共通の弱点になりうる頭部を狙って、イクシスが動かなくなるまで、彼女は弾倉を交換し、引き金を引き続けた。
銃声が止み、M9の銃口から、白く細い硝煙が立ち上る。
「やった……の?」
イクシスは、穴だらけになった頭部から体液をながし、地面に這いつくばった状態で動かなくなった。彼女は、生死を確認しようと銃口を向けたまま近づく。ふと、頭部が動いた。頭を持ち上げ、巨大な顎から生える1対の牙が、彼女に再び向けられる。
でも、その巨大な牙は虚しく空を切る。冷静に引き金を引いた。2発の銃弾が頭部に撃ち込まれ、イクシスは地面に突っ伏して動かなくなった。
弾が丁度なくなり、スライドが後退した状態で止まったので、残った最後の1本を装填する。念のため周囲を警戒するも、イクシスが現れる気配はなかった。
「……ふう」
彼女はM9のセイフティレバーを下げ、銃口を下げ、倒した個体を見下ろす。
このイクシスが、なぜ凪を狙ってきたのか、追いかけてきたのか。先ほどまでは、同族の仇討ちだと考えていた彼女だったが、実際のところは何もわからない。
イクシスとは言葉が通じない。ならば、その真意を知ることはできない。
「凪ちゃ~ん」
自分を呼ぶ声に、彼女は振り向く。
「2人共……」
銃を構えた未世と凛が、彼女に向かって駆け寄ってくる。
「和花先生から、応援に行けっていわれたんですけど」
「……敵は?」
どうやら、豊崎教官はあの通信の後、念の為に彼らを応援によこしたらしい。
「来てくれてなんだけど、ついさっき、倒しちゃった」
彼女は、先ほど倒したイクシスを指差す。
「……残敵は?」
「いないはず」
そのとき、草むらが揺れた。未世と凛の銃口が、揺れた場所に同時に向けられる。
また揺れる。彼らが見つめる中、草むらから1体のK9が出てきた。そのK9を見て、凪はその個体が、倒したイクシスに向かっていった、同胞に牙を剥いた個体だと悟った。
「……さがって!」
凛がK9に銃口をむけ、引き金に指をかける。
「凛ちゃん待って!」
予想だにしない相棒の突然の制止に、凛は声の主を細めた目で見つめる。
「……未世、どういうつもり?」
凛の射抜くような視線を意に介さず、未世はK9を指差した。
「あの子の様子、よく見てください」
未世の言葉に、凛は銃を構えたまま、渋々視線を向ける。そのK9の様子を見て、彼らは驚いた。
K9が、木に身を隠しながら、震えている。殺意や敵意など、微塵も感じられない。寂しそうな子犬のように体を震わせ、声を小さく漏らしていた。
「……未世、危ない!」
未世はM4の銃口を下げ、そのK9に向かって歩み寄っていく。慌てて凛も凪も後を追う。
近づいても、K9は襲う仕草さえ見せず、木に隠れて身を縮こまらせている。そのK9の2mほど手前に、彼女は膝をついた。
「大丈夫です。何もしませんよ」
彼女の行動に、2人は目を剥いた。あろうことか、未世は右手を伸ばして近づいてくるよう手招きしている。凛は、未世を射線上に巻き込まないよう位置を急いで変える。
「おいで」
未世の言葉が通じたのかわからないが、K9は恐る恐る体を木の陰から出し、震えながら歩み寄っていく。
「大丈夫、怖くないですよ」
彼女とK9の距離は、1mもない。飛びかかられれば、一瞬の距離。すると未世は、K9の頭に右手の平をおき、撫で始めた。K9に、その手を振り払う様子はない。凛はMk18の銃口を下ろした。
「……どうなっているの?」
イクシスは人類の敵。世間や、学校で教えられた常識の根底を揺るがす出来事が、今、彼らの目の前で起こっている。
未世はK9を撫でながら、凛に笑みを向ける。
「凛ちゃん。イクシスだって、仲良くなれるかもしれないんですよ」
こんな風に、と未世は付け加える。
そんな彼女たちの耳が、小さな金属音を捉えた。未世と凛がその方向を向いたのは、ほぼ同時だった。
その方向にある光景を見て、未世は言葉を無くした。
「……凪、ちゃん?」
そこには、未世にM9の銃口を向ける、凪の姿があった。
凪は拳銃を未世に、正確には、彼女の前にいるK9にむける。
「凪ちゃん……、ど、どうして」
「……未世さん。それは、こっちのセリフです」
未世は銃口を向ける彼女に戦慄し、体が震える。そんな状況でも、彼女は凪の目的を瞬時に理解した。
「や、やめてください!」
未世は、震えるK9と凪との間に割ってはいる。その行動に、彼女は目を細める。
「あなたは、自分の役割を放棄するの?」
「そんなことはありません!で、ですけど……」
指定防衛校の生徒である以上、イクシスを駆除することが役目。未世がしていることは、明らかにそれに反している。
「……銃を捨てて!凪!」
拳銃を向ける彼女の背後で、凛がMk18を構える。その銃口は、彼女の背中に向けられている。
「……さあ、早く!」
やめるよう促す凛の声が、上ずり、震えが混ざる。それが構えているMk18にも伝わり、銃口が上に下に、右へ左へと振れる。指定防衛校の生徒に、人を撃つことは許されない。けど親友が銃口を向けられている状態を、彼女は黙って看過できなかった。
未世に、その向こうのK9に銃口を向ける凪は、凛を一瞥しただけで特に気にした様子はない。撃てない銃など、鉄パイプ以下だ。
彼女は、ゆっくりと未世に向き直る。
「未世、あきらめて。その子から離れて」
凪はM9の安全装置をすでに外していて、発射可能を示す赤い点がスライド後端に見える。撃鉄は倒してあるが、ダブルアクション機能を備えているM9ならば、引き金を引けば発砲できる。
「い、嫌です!」
未世は信じた。インジケーターは見えないが、彼女の拳銃の薬室に弾が入っていないことを。彼女が、覚悟を決めていないことを。これが冗談であることを。
「……そう」
静かに応えた彼女は、右手人差指に力を込める。直後、雨音を払い、一発の銃声が響き渡った。
1発の銃声が、雨空に響き渡る。凪が撃った銃弾は、上空に向かって放たれていた。
「未世さん、今のは警告です」
撃鉄を倒してから、再び彼女は拳銃を未世に、その向こうのK9に向ける。
「凪ちゃん、どうして……」
「決まっているでしょう?」
拳銃のグリップを握る彼女の手に、力が込められる。
「イクシスは、人類の敵。殺してしかるべき、そうでしょ?」
すると未世は、怯えるK9を腕の中に抱いて、凪に背を向ける。
「……未世さん、どういうつもり?」
「ダメです!この子は、殺意も敵意もありません。戦う意思がないのに、殺すなんて」
「イクシスを殺すことが、私たちに課せられた責務でしょ?それを放棄するの?」
未世はK9を離して背中に隠し、凪に振り返る。
「確かに、それが私たちの役割です」
「……だったら」
「でも!敵意を向けてこない個体がいるなら、仲良くなれる道だってきっとあります!仲良くなれるなら、いつかは対話ができて、戦う必要だってなくなるかもしれません!」
「好意的ならば、殺さなくていいの?その子がネストを通って彼らの世界にかえって、増援を引き連れてこないっていう保証がどこにあるの?」
戦場でも、捕虜を逃せば味方を引き連れて反撃してくる場合はあるし、テロリストに通じている民間人だっている。
このイクシスを逃がしたばかりに、自分ならまだしも、誰かを傷つけることになったら目も当てられない。
「可能性は摘まなくちゃいけないの。まだ小さい内に」
「ダメです!」
「朝戸さん、お願い、どいて」
「どきません!」
「どいて!」
銃口を向けられてなお、未世はイクシスをかばっている。凪は奥歯を噛み締める。未世を撃つことはできない。彼女が壁になっている間は、イクシスが撃てない。お互い一歩も譲らず、動けない。数秒の時間が、数分にも、数時間にも感じるほどゆっくり流れる。彼らは、全く動かない。
その膠着した状態に、変化が訪れた。
「……どう、して」
凪が、小さく声を漏らした。
「どうして、それでもあなたは、真っ直ぐでいられるの?」
未世は、信じられないものを目にした。凪の瞳に雫が貯まり、こらえきれなくなった分が頬を伝って、雨と同じく地面にしみこむ。彼女の右手が震え、拳銃に伝わり、銃口が僅かに上下左右に振れる。
「なんであなたは、諦めないの?周りから嘘つきと呼ばれても、変人扱いされても、常識に反しても、夢を諦めないの?」
彼女の問いかけに、未世は銃口が向けられていることも忘れて応える。
「確かに、気分のいいことじゃありません。でも、どんな状況でも、理想を捨ててはいけないって、私は思うんです」
「なんで理想を捨てないの?そんなもの追いかけ続けても、自分が苦しいだけじゃない」
「そうです。でも、私は諦めたくないんです。無かったことにしたくないんです」
「……なにを?」
未世は息をのみ、いつもの声量で言った。確かな、自分の意思を込めて。
「あのK9との、あの子との出会いを……」
凪の目が僅かに見開かれたのを、未世は見過ごさなかった。
「確かに、仲良くすることが難しいのはわかっています。でも、イクシスを殲滅してしかるべき。そんな考えで進んだら、私はあの子とも戦わなくちゃいけなくなります。仲良くなれそうだった相手と殺し合うなんて、私は嫌です」
「でも、彼らを殺すことが、私たちの役割でしょう!」
「わかっています!ですけど、他の可能性があるのをわかっているのに、ただ流されて進んだら、絶対に後悔します!」
未世の言葉が鋭い刃になって、凪に突き刺ささる。彼女は、未世から視線をそらした。
「凪ちゃんだってわかっているはずです。仲良くなれる個体がいるって」
「でも、私に役割を投げることは許されない!でないと、なんのために……」
凪は、奥歯を噛み締め、言った。
「あの子の、ハルの死が無駄になる!」
未世は目にした。
何かに取り憑かれたような、凪の虚ろで、濁った瞳を。
誰もが、大事な人や動物が亡くなれば、彼らを記憶の中に住まわせる。再び、殺さないために。それは人間の心の、正しいあり方なのかもしれない。
でも、時として死者は、生者を縛り、あるはずだった未来を捻じ曲げる。
ハルを殺したことが、凪が、未世とともに夢を目指すという、彼女の道を捻じ曲げたのだろうか。
「だから、私は役割を果たす。そう決めたの!」
未世は彼女の姿を見て、違和感を抱いた。
「それなら、自分で決めたのに、なんでそんなに苦しそうなんですか?」
自分で決めた道のはずなのに、凪は目に雫をため、銃を握る手が震えている。語気を強めている。
それは、ハルの命を奪ったことを、無駄にしないためではない。ただ、自分を押さえつける言い訳に利用しているだけにも見える。
目の前に示された、かつて自分が捨てた可能性と、自分に課せられた責務にはさまれ、彼女は揺れている。
「凪ちゃんは、後悔しているんじゃありませんか?夢を諦めたことを」
「後悔なんて、してない」
「じゃあ、なんでそんなに苦しそうなんですか!なんで、自分に言い聞かせるみたいに言うんですか!」
「うるさい!」
彼女の銃を握る手が震える。力がこめられ、グリップ側面のパネルがきしみをあげる。いつ引き金を引くともしれない状況だが、それでも未世は引かない。
「私は、もう夢をおいかけることはできない。この道しかないの!あなたと一緒に歩むことなんて、もうできない!」
「道は1つじゃありません!なんで諦めるんですか!」
「あの子を撃ったことを、無駄にしたくない!」
再会を望んだK9、ハルとの一件を、彼女はまた口にする。未世は、違和感を確信に変えた。
「そんなの違いますよ!」
凪は一瞬目を見開き、未世を睨みつける。未世は、彼女の言葉を聞いたときから、どこか違和感があった。
一見すれば筋が通っているように見えるが、どこかおかしいと、彼女は感じていた。
「無駄にしたくないというなら、なんで、夢を諦めたんですか?」
「……何が言いたいの?」
「凪ちゃんがハルちゃんを撃ったとき、辛かったと思います。想像しかできませんけど、でもそれなら、もう傷つけなくて済む道を探すことを、なんで諦めたんですか?」
凪は奥歯を噛み締める。
「また友好的な個体に出会った時のことを考えて、イクシスを殲滅する以外の道を探すことだって、できたはずです」
彼女は、次第に言葉につまってきている。
「でも、撃てないと、相棒が、殺される……」
「人を言い訳に使わないでください。あなたは、凪ちゃんはどうなんですか?」
彼女は顔が次第にうつむいてくる。未世は知りたかった。
彼女の、凪の本心を。
「……わかっている」
彼女は、雨音にかき消されそうな声でつぶやいた。
「わかっているわよ。仲良くできそうな個体がいることも、他の道だって、探せるってことも……」
「……じゃあ、なんで」
未世は言葉をつなぐ。今は彼女の心を覆う鎧が、少しずつ剥がれ始めている。今が、彼女を引き戻せる機会になるかもしれない。
「私は、夢を追います。確かに、方法が見つからないなら、駆除するしかありません。でも、ただ流されて進んだら、いつか幼い頃に会った個体と戦わなければ、ならなくなります」
ただ流されて進んだら、いつか未世も、凪と同じ事態に、遭遇しないとは限らない。
「任務に出れば、ほとんどは敵意を向けてくる個体ばかりです。でも、それでも、いつか、好意的な個体と、また会えるかもしれません。そのとき、自分の主張を貫けるよう。そんなときでも、必ず周囲を守れるように、まずは強くならないといけない。私は、そう決めたんです」
自身の抱く夢と相反する行動をとることになっても、それでも、彼女はその可能性を飲み込み、目指すと決めた。
そのために、努力し、力をつける。周囲を守り、自分の夢を、主張を実現させるために。
同時に、方法も探し続ける。
行動しなければ、歩み続けなければ、そこで終わる。諦めてしまっては、それこそ道は開かれない。
「……強いんだね、未世さんは」
凪が、呟くような声で言った。
「凪ちゃんは、違うんですか?」
未世は、凪に問いかけた。彼女は力なく、首を横に振った。
「……私は、あなたみたいに、なれなかった」