リトルアーモリー ~2つの道、彷徨う弾丸~   作:魚鷹0822

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思いついたものの入れる間がなかった話でギャグ風味です。
最終話から間もない時期の話です。
少し長いですがお付き合い頂けたら幸いです。


おまけ短編 若さの特権と過ち

 あかね色の空の下、学校のグラウンドの片隅で、2人の女子生徒が向かい合う。

「ねえ、凪ちゃん」

 満面の笑みを浮かべ、鼻先が触れる寸前まで顔を近づけてくる女子生徒、朝戸未世(あさと みよ)に名前を呼ばれた生徒、風原凪(かざはら なぎ)は両手を前に出して離れるよう促すが、未世に意思が伝わった様子はない。

「私たち、また一緒に、同じ夢に向かって歩いて行くんですよね?」

「あ、うん。勿論、そうだよ」

「ですよね」

 笑みを浮かべることの多い未世だが、今の凪には不気味なものに感じられてならない。その張り付けた笑みの裏に隠された真意が分からず、彼女は困惑する。

「と、いうわけで……」

 彼女は両手を胸の前で握り締め、言い放った。

「私と一緒に、青春の汗を流しましょう!」

 と言い放った未世の言葉に彼女は、

「……は?」

 首をかしげ、頭の上に疑問符を浮かべるのであった。

 

 

 指定防衛校の一つ、古流高校に通う風原凪は、紆余曲折を経て、クラスメイトの朝戸未世と共に、一度は諦めた夢を、イクシスと仲良くできる方法を探すという道を、もう一度歩むことを決めた。

 それからというもの、一度見捨ててしまったせいか、未世は凪との距離を詰めるため、あの手この手を使って迫ってきている。

 帰宅途中の凪を部活中だった彼女は捕まえ、詰め寄って来たのはつい先ほどのこと。

「あの、未世さん」

「はい、なんでしょう」

「……それは、どう言う意味ですか?」

 すると、体操着姿の未世は、制服姿の凪の右手をとり、笑みを浮かべながら言った。

 

「陸上部に入って、一緒に汗を流しましょう!って意味です」

「嫌です」

 

 彼女の誘いを、コンマ数秒の間しか開けずに断った。

「そんな即答しなくても~」

 腕にすがりついてくる未世の姿を見て、胸の奥が若干痛む。だが、これくらいで折れるようでは指定防衛校の生徒はやってられない。

「そもそも、私は陸上に興味ありません」

「凪ちゃんならいい記録残せますよ~、絶対」

「記録にも興味ありません」

「そんな勿体無いですよ~」

 凪の両肩をつかみ、未世は前後に揺さぶる。

「答えは変わりません。いい加減諦めてください」

「断ります!生物は本質的に諦めが悪いって、和花先生が言っていました!」

 とりあえず、前後に揺らす彼女の腕を掴んで止める。

 要するに、未世は凪を陸上部に入れようと、必死になって勧誘しているわけである。

「白根さんを誘ったら?」

「凛ちゃんは授業についていくのが大変だから、高校では部活に入らないって」

「……私はいいの?」

「凪ちゃんは成績いいんですから、少しくらい部活に時間使っても大丈夫ですよ」

「……維持するのはタダじゃないんだけど。それと、部活ならもう入ってますよ」

 彼女の返答が意外だったのか、未世は目を見開く。

「……な、何部ですか?」

 唇を震わせながら、言葉を紡ぐ。そして凪は答えた。

「帰宅部」

「それ入ってないって意味じゃありませんか!」

 勧誘をなんとかあしらおうとする彼女だったが、あいにく未世は簡単にめげる方ではなかった。

 

 

 古流高校は、指定防衛校になってからでも八野辺ほどではないにせよ、普通の高校らしい面を今でも持っている。部活動が盛んなのはその名残である。部活動が盛んということは、無論勧誘活動も盛んということ。

 これまでも、凪は色んな部から勧誘を受けてきた。バレー部、ソフトボール部、テニス部、射撃部等。特に、拳銃とアサルトライフル双方の成績がいいことから、射撃部から執拗な勧誘を受けた。

 学年での成績優秀者や、任務で戦果を上げ名前が知られている生徒を獲得できれば、部の戦力アップのみならず、部員獲得のための客寄せパンダ、もとい広告塔に使える。

 さらに、そんな生徒がいるんだから部費を上げろと学校を脅し、もとい交渉がしやすくなる。

 一般的な学校で部活動の勧誘が盛んなのは、4月から長くて5月までという中、古流高校は期末試験結果が出る夏休み前どころか、夏季共同演習の後まで続く長期戦になる。

 一度どこかに属した生徒を引き抜くことも珍しくなく、生徒の奪い合いが常に水面下で行われているという。

 彼女もその対象になっていた。もっとも、射撃部からの勧誘が執拗だったためにうんざりしているのか、断ります、といつも即答している。

 だが、上には上がいる。未だに執拗な勧誘を続けている部があった。

「ねえ、入りましょうよ~。いっしょに青春しましょうよ~」

 目の前の生徒、未世が所属している陸上部である。

 元々特殊戦科に抜擢されたことがあるだけに、凪は射撃や座学だけでなく、体育の成績も悪くない。一応、そこらの運動部の人間よりは、足の早さ、瞬発力、持久力も上だという。

 もっとも、それは幼い頃出会ったK9、ハルと共に、森や山の中を一緒に駆け回り、会えなくなってからもそれを続けた結果なのだが。

 陸上部は、凪のクラスにも未世を含め属している生徒がいる。陸上部は、クラス内の部員を使って勧誘活動を続けている。

「大体、青春しましょうって、どう言う意味?」

「一緒に頑張ったり、怒られたり、苦労することですよ」

「……買ってまで苦労をしたくないし、怒られたくない」

「じゃあ、一緒に汗を流しましょうよ~」

「制汗剤がもてはやされ、必須になっているこのご時世、なんで進んで汗臭くなる必要があるの?」

 彼女の返答にため息を吐きながら未世は、

「凪ちゃん、どこかズレてませんか?」

 と言う。

「クラスで天然扱いされている未世さんに言われても……」

 

 天然の未世、ズレている凪。

 

 この二人が言い合っても、終着点は定まらない。

「細かいことはいいんですよ!とにかく入ってください!」

 ついには腕にしがみつき、未世は彼女を引きずって行こうとする。負けじと足を踏ん張る。

「諦めが悪いですよ、凪ちゃん」

「そういう未世さんだって」

「諦めません。凪ちゃんを引き入れないと、部長にシゴかれるんですから」

「それが本音ですか!」

「あ、何のことでしょう。私、何も言ってませんよ」

「今更とぼけても無駄ですよ!」

 引きずっていこうとする未世、踏ん張る凪。一進一退の攻防がしばし続き、2人は密着した状態が続く。

「あ~、やってるやってる」

 聞きなれた声に、2人は首だけを向ける。そこには、鬱陶しくないよう短く切られたショートヘアの髪を揺らしながら、こちらに向かって駆けてくる体操着姿の生徒が1人。

「あ、莉彩ちゃん」

 飯田莉彩(いいだ りさ)。2人のクラスメイトで、未世と同じく陸上部に属している生徒である。

「朝戸さん、風原さんの勧誘はどう?」

「激しい抵抗にあってまして……」

 莉彩は、未世とつかみ合っている凪とを交互に見る。

「そんじゃあさ、私も手伝うからこのまま部長のとこまでササッと引きずって行こうか?」

「はい、そうしましょう!」

「ちょっと!それじゃ強制じゃないですか!」

「だって、風原さん説得するの面倒だし。このまま部長のとこまでびゅ~って連れて行って、ささっと事を済ませるのが手間かからないし」

 何を言っているのか少しわからないも、意味するところはわかる。莉彩は細かいことが苦手で、手間がかかるならまとめて吹き飛ばしてしまえ、と豪語する。

 それは、彼女の物言いや、愛用している武器が滑腔式無反動砲の84mm対戦車ロケットランチャー、AT4であることにも表れている。

 いずれにしても、未世1人ならまだしも、2人相手では本当に引きずられていく未来しかない。凪は急いで、未世の両手を引き剥がした。

「あ!」

「悪いけど、答えは同じ。じゃあね」

 彼女はそのまま走って逃げ去ろうとする。

「いいんですか?そんなことして」

 でも、未世は口元を邪悪に歪め、不敵な笑みを浮かべている。気になった凪は足を止め、彼女の方向に回れ右する。

「何がおかしいの?」

 凛が以前言っていた言葉を、彼女は思い出す。未世がこの笑みを浮かべているときは、大抵ロクなことを考えていない、と。

「これ、なんですか?」

 すると、未世はジャージのポケットからスマホを取り出し、画面を凪に向ける。

 目を凝らして見ると、次第に彼女の顔が青ざめていく。

「そ、それ、は……」

 未世の横に立っている莉彩が画面を覗きこみ、目を見開く。

「へ~。凄いスクープだね」

 未世のスマホの画面に映し出されたもの。それは、先日の屋上での一件、凪が凛に壁際に追い詰められている瞬間を収めたものだった。

 しかも、画面の下部には、送信しますか、の表示が現れ、「はい」か「いいえ」、の選択肢が表示されている。

「み、未世さん!ま、まさか……」

「そのまさか、ですよ」

 彼女は未世の意図を瞬時に察した。

「凪ちゃん、私の言いたいこと、わかってくれますよね?」

 仄くらい笑みを浮かべながら、未世は問いかける。

「そ、そこまですることですか?」

「はい」

 まずい、非常にまずい。このままでは、あの決定的瞬間を捉えた写真がばらまかれてしまう。

 未世はクラス内で天然扱いされていても、人付き合いが苦手ではないため友人は多い。

 彼女が送信する対象が何人に及ぶかは不明だが、あの写真をばらまかれてはいけないことだけは確かだ。

 彼女のスマホのメモリーから写真を削除しておかなかったことが、こんな事態を引き起こそうなど、想像できなかった。

 今更嘆いても、もう遅い。

 そこまでして凪を引き入れたいのか、部長にシゴかれるのが怖いのかはわからないが。

「あ、あの、未世さん。も、もう少し穏便に、ね?」

 すると凪は、スイッチを押す寸前の爆弾魔をなだめるように、態度を低姿勢に変える。

「なら、穏便に勝負で決めましょうか?」

 背後から聞こえた声に、彼女は振り返る。

「「あ、部長」」

 そこには、彼らの上級生、陸上部の部長が腕組みをしながら凪を見下ろしていた。

「穏便に勝負で決めましょう。あなたが勝ったらもう勧誘はしない。負けたら入部。簡単でいいでしょう?」

「いいんじゃないですか?」

「部長の言うとおりです」

 部長には逆らえないのか、未世と莉彩は即座に肯定する。

「ルールはどうする?」

「莉彩ちゃんに凪ちゃんのスマホを持ってもらって、20分間逃げ切ったら凪ちゃんの負け。奪い返したら勝ち、でいいんじゃありませんか?」

「簡単でわかりやすいわ。そうしましょう」

 トントン拍子に話が進む。凪を置き去りにして。

「凪ちゃん、いいですか?」

「え、ええ……」

「では範囲はどうしましょうか?」

 集まって細かな内容を話し合う未世たちを横目に、彼女は後退る。

 彼らは話に夢中になっている。

 

―――今の内に逃げれば……。

 

「それじゃあ莉彩ちゃん、これ持ってくださいね」

 話し合いが終わったのか、未世は莉彩に見覚えのあるスマホを手渡した。

「え……」

 そのスマホを見て、凪は固まった。それは、彼女のものと同じ機種、同じ色をしていたのだ。

 慌ててスカートのポケットに手を突っ込むも、そこにはいつもあるはずのスマホがない。彼女はハっとして、未世を見る。

「今頃気づいたんですか?」

「い、いつの間に……」

「凪ちゃんって結構隙があるんですね。密着している隙にこう、ささっと」

「あんた何してくれてんの!?」

「女の子は、隙を見せたらダメなんですよ」

「常在戦場ってやつ?」

「里島高の海兵じゃあるまいに!」

「とにかく、これで準備はできたわ。エリアは学内どこでも。とにかく、飯田は20分間逃げ切ればいいわ。出発しなさい」

「はい、部長!」

 タイマーを陸上部部長が押すのと同時に、莉彩はクラウチングスタートの姿勢で地面を蹴って走り出した。

「ちょ、ちょっと!」

「さあ、もう勝負は始まっているわ。イクシスが、私たちを待ってくれないのと同じようにね」

「うまいこと言ったつもりですか!ええい、もう!待てー!」

 凪は未世に自分の通学カバンを押し付けて駆け出し、遠ざかっていく莉彩の背中を追いかける。入部を賭けた勝負が、幕を上げた。

「ところで、朝戸」

 小さくなっていく2人の背中を見送りながら、部長は言う。

「なんでしょう?」

「あの風原っていう子、大丈夫かしら?」

「……何がですか?」

 部長の質問の意図が分からず、未世は首をかしげる。

「……今更だけどあの子、制服のまま追いかけていったわよ」

「……ああ」

 帰宅直前だった彼女は、無論制服を着ている。まだ注文したM4が届いていないのか、装備や武器は腰周りだけといつもに比べて少ないが、問題はそこではない。

「まあ、多分大丈夫ですよ。慣れていると思いますから」

「そう」

 部長の言わんとしていることがようやくわかり、未世は苦笑を浮かべるしかなかった。

 

 

 

「ふんふ~ん」

 高校の敷地内を、莉彩は駆けていく。陸上部や授業で鍛えられているだけあって、その脚力はなかなからしい。周囲の景色が彼女の視界の中を流れていく。

「勝負は面倒だけど、まあ体を動かせるからいいか」

「待ちなさい!」

 後ろから響く大きな声に、莉彩は振り返る。最初からある程度距離を開けてスタートしたのに、対戦相手の凪はもう距離を詰めてきた。

「え、もう追いついてきたの!?」

「こんな面倒な勝負、さっさと終わらせてやる!」

 彼女の声が、次第に迫り大きさを増してくる。莉彩も負けじと足を早める。だが、両者の距離はひらくどころか狭まる一方であった。

「引き離せない!私が遅いっていうの!私に何が足りないの!」

「足りないものは色々あるかもしれないけど、とりあえず、早さが足りないことは確かみたいね」

 莉彩は部活中であったため、運動に適した体操着を着ている。加えて、短距離走が得意であるため、足は無論早い。

 一方、凪は制服のままで、腰周りには1kg近い全金属製の拳銃M9に4本の予備弾倉、無線、ナイフなど、合計数kgにもなる荷物をぶら下げている。それでなお追いつけるのだから、それがなければもう勝負はついていたかもしれない。

「でも負けるわけにはいかない!負けたら、部長からの地獄のシゴキが待っているんだから!」

「だったらさっさと捕まってシゴかれなさい!その方が、きっと身体能力は上がるわよ!」

「嫌、絶対お断り!」

 悲鳴をあげながら、莉彩は足を前後に動かす。その彼女を、凪も必死の形相で追いかけていく。

 

 2人は部活動に勤しむ生徒たちの間を駆け抜け、学校のグラウンドを数周回る。周回数が重なるにつれ、莉彩は危機感をつのらせていた。

「ぜえ、ぜえ……」

 呼吸が荒くなり、両足が重さを増す。

 彼女は短距離走は得意だが、持久力は上級生に及ばない。要するにバテてきたのだ。

「で、でも、風原さんも、きっと」

「私が、何?」

 疲れを感じさせない涼しい彼女の声が耳に響く。

「もうギブアップ?なら早くスマホを返しなさい!そして部長からシゴかれなさい!」

 呼吸が乱れた様子もなく、彼女は迫ってきていた。

「ま、まずい!」

 莉彩は急いで手近な角を曲がり、グラウンドから離れた。

「あ!こら!」

「学内のどこを走ってもいいルールのはず!なら、校舎まわりも違反じゃない!」

 

 

 2人はグラウンドから校舎裏、施設周りなどを駆け巡り、ある場所へむかっていく。そして、鉄筋コンクリートの校舎が多い敷地内では珍しく、鉄筋むき出しで、部分的に木で作られている建物に莉彩は向かっていく。

「あそこに、いけば……」

 次第に息も絶え絶えになってきた。彼女が目指している先は、特殊戦科が主に使う室内戦闘訓練施設。狭い室内での戦闘を想定して作られた施設で、建物の中はいくつもの小部屋に分かれている。

 狭い室内に逃げ込めば、凪の追跡スピードも落ちるはず。

「それに、都合のいいものが」

 施設は拡張工事中なのか、鉄骨やH鋼の骨組みがむき出しの部分がある。そこを目指して疾走する。

 間近に迫ると、彼女は建設途中の施設にかけられたハシゴを駆け上がり、登りきったところで蹴って外す。

 4階の建物の高さに届くハシゴの重量は相当なもので、凪一人では戻せないだろうとふんだのだ。

「はあ、これで安心。休もう」

 荒い呼吸をしながら、彼女は最上階から施設に駆けてくる凪を見下ろす。1階から順に上がってくるなら、しばし時間があるはず、だった……。

「……あれ?」

 莉彩は、目の前の光景に目を丸くする。施設に迫る凪の速度が、全く衰えない。出入り口を探して足を止めるかとおもったが、そんな様子は微塵もない。彼女は、真っ直ぐ施設に向かって駆け、正面にある柱に取り付くと、登り始めた。

「な!?」

 凪は、建設途中の施設の骨組みに使われているH鋼を両手でしっかりつかみ、足を突っ張って登ってくる。

「そ、そんなのってあり!?」

 命綱もないのに、傍目に危なそうだがそんなことはお構いなし。確実に、莉彩に迫りつつあった。

 なお、決して真似はしないように。

 彼女は急いでその場から駆け出した。だが、彼女がいるのは建設途中の施設の最上階。下りの階段はあるが、速度が落ちるので追いつかれる可能性が高い。

「どこか逃げ道は……、あ!」

 莉彩は視界の中に、隣りの建物にむかってかけられた橋を見つける。隣りの建物に入って扉を締めれば、凪は追って来られず、一時的とはいえ距離と時間を稼げる。そう考え、すぐに駆け出した。

 置かれた角材や作業台を飛び越え、道具を時折踏みつけながら進み、彼女は橋へ向かう。そして、短距離走で鍛えられた脚力を遺憾なく発揮し、一気に駆け抜け、向かいの建物の最上階につながる扉に手をかけた。

「あれ……」

 だが、いくら動かしても扉があかない。扉には、関係者以外立ち入り禁止の文字の書かれたプレートが貼られ、大きめの南京錠で施錠されていた。

 今の莉彩には、どんな戦車の装甲よりも、分厚い扉に感じられたことだろう。

「……やっと、追いついた」

 彼女は、さびた砲塔のように、ゆっくりと後ろを振り返った。

「手間かけさせてくれたわね」

 そこには、逃げ道を塞ぐように橋の出入り口に仁王立ちする凪の姿があった。

「さあ、もう逃げ場はないわ。観念してスマホを返して」

 笑みを浮かべてはいるものの、目は笑ってない。一歩、また一歩と歩み寄ってくる中、莉彩はどうやってこの事態を切り抜けるべきか、必死に頭を回転させる。

 

 橋から飛びおりる?     4階の高さから飛ぶのは危険。

 タックルで強引に突っ切る? 突破できる保証がない。

 飛び越える?        彼女の身長を飛び越すのは難しい。

 格闘戦?          相手の方が強い。

 AT4でまとめて吹き飛ばす?  論外。

 

 打開できる方法が見つからず悩む彼女に、凪は迫る。

「ここまでね」

 彼女は両手を構え、莉彩を捕まえるべく身を少しかがめる。

―――飛びかかられる。負けたら、部長からのシゴキが……。

 この後自身に降りかかるであろう結末を想像し、体を震わせる。相手がまだ隙を見せるような生徒だったらそこを突くという手もあるが、彼女には凪の隙が見つけられなかった。

 

「凪ちゃんって結構隙があるんですね。密着している隙にこう、ささっと」

 

 先程、未世が言った言葉が脳裏をよぎる。凪にも隙がある。実際未世は隙をついてスマホをすったのだから。

―――そこに賭けるしかない。

「わかった」

 莉彩は、ジャージのポケットから凪のスマホを取り出した。

「私の負け、返す」

 左手でスマホを持って差し出す。それに勝負の終わりを確信した凪は、スマホを受け取ろうと歩み寄り、右手を伸ばす。

 その瞬間だけ、彼女は足を止めた。

―――今だ!

 莉彩は、右腕を下から勢いよく振り上げた。

「へ?」

 一瞬何が起こったのか理解できず、凪は頭に疑問符を浮かべる。彼女にわかったことは、下腹部がなぜか涼しくなったということ。

 莉彩が右手を振り上げ、凪の制服のスカートを捲り上げたからだ。

「き、きゃああああああああああああああああああああ!」

 されたことがようやく理解できた凪は悲鳴をあげ、スカートの前後を押さえながらその場に座り込んだ。

 座り込んだことで全高が低くなった彼女の上を莉彩は飛び越え、再び走り出した。

「な、なにするの!」

「そんな隙だらけの格好で追いかけてくるのが悪い」

 そう言いながら、莉彩は走り去っていった。その背中を見送りながら、凪はM9に伸ばしそうになった右手を必死に押さえる。ここが指定防衛校でなければ、即座に足を撃って彼女を止めていたかもしれない。

 彼女は、体の奥底から何かがこみ上げてくるのを感じていた。

「……そう。そういうこと言うんだ」

 底冷えするような冷たい声で、渇いた笑いを漏らしながら、彼女は言った。

「……絶対逃がさない」

 ゆっくりと立ち上がった彼女は、かっと目を見開き、獲物を捕まえるべく再び走り始めた。

 

 

「……また水色だった」

「あ、凛ちゃん」

 彼女たちの後を追って勝負の様子を眺めていた未世が振り返った先には、幼馴染兼相棒の白根凛(しらね りん)が立っていた。

「……何か催し物でもやっているの?」

「ううん。凛ちゃんこそ、こんなところで何?」

「……あそこは特殊戦科の施設。授業を終えて帰ろうと思ったら、誰か走っていったのが見えたから。で、何しているの?」

「陸上部入部をかけて、凪ちゃんが莉彩ちゃんを追いかけているの」

「……まだ諦めてなかったの?」

「はい。部長がなんとしても引き入れろって」

「……そう。で、状況は?」

「凪ちゃんが莉彩ちゃんを追い詰めたけど、逃げられちゃった」

「……制服の隙をつかれて?」

 先程の一件を見ていたのか、未世は苦笑を浮かべる。

「まあ、咄嗟の行動にしては、飯田の判断は悪くないんじゃないかしら。すぐ終わってもつまらないし」

「そうですね」

 部長の言葉に未世は頷く。もし、凪が体操着でこの勝負にのぞんでいたなら、先ほどもう終わったことだろう。

 制服でのぞんでいたからこそ、先程の手が使えた。女子である以上、凪も羞恥には勝てない、ということだ。

「……そんなの気にせず、さっさと標的を捕まえればいいのに」

「いや~、凛ちゃんは気にしないかもしれないけど、凪ちゃんは、普通は気にすると思うよ?」

「……平気。減るものじゃないし」

「いやいや、凛ちゃんは並のおしゃれに関する興味と恥じらいを持つべきだと思うよ!」

「……イクシスを前にすれば捨てるんだから、問題ない」

 凛は意に介さないようだった。これが特殊戦科の影響だろうか、などと未世は思う。確かに少々、特殊、かもしれない、と。

 凛は昔からおしゃれに対する興味が薄く、恥じらいもあまり見せないということを未世は知っている。

 付き合いの長い彼女も、この日頃飄々としている相棒が恥じらう様子というものは、想像しにくいようだ。

「……まずいわね」

 部長の言葉に、2人は彼女の視線の先を見る。その先には、怒りをにじませた表情で莉彩を追いかける凪の姿があった。

「このままだと、捕まってしまうわね」

「うう……。勧誘失敗でしょうか」

「いえ、このまま終了では面白くないわね」

 部長は時計を見る。制限時間は、のこり10分を切っていた。すると部長は手近にいる部員に耳打ちする。

 

 

 

 今の状況に、莉彩は控えめにいって、恐怖していた。

「はあ、はあ……」

 背後を僅かに振り返れば、

「ひ、ひい!」

 殺意を全身から解き放つクラスメイトに、彼女は走りながらも悲鳴をもらす。

 さっきの一件で、凪は堪忍袋の緒が切れたようで、殺意を放ちつつ追いかけてきている。

 その様子が物語っている。

 このままでは済ませない、と。

―――捕まったらまずい。絶対まずい!何されるかわかったもんじゃない!

 恐怖に怯え、体力の限界に近づきつつある中でも、彼女は必死に手足を動かす。

 彼女を引き離そうと、グラウンドや校内を規定のルートもない道を行き、時に人ごみを突っ切り、時に窓から飛び降りる。

 そして校舎の角を曲がり、陸上部の練習場に戻ってきた。

「飯田、使いなさい」

 聞きなれた部長の声とともに、何かが莉彩にむかって放り投げられた。その物体の姿をみて、彼女は無我夢中でそれを掴んだ。

 部長が投げたもの。それは莉彩の相棒、84mm対戦車ロケットランチャー、AT4だった。受け取ると、彼女はすぐに射撃準備に入った。

「ちょ!部長!あれって!」

「安心しなさい。無論本物じゃないわ」

「当然ですよ!本物が当たったら凪ちゃんが吹き飛ばされますよ!」

「そうよ。だからあれは、曳光弾を放つ演習用のAT4」

「曳光弾でもあたったら痛いじゃないですか!」

「こんな弾もよけられないなら、陸上部にはいらいない。関門の一つよ」

 未世と部長の言い合いを横目に、莉彩は発射準備を進める。スリングを展開し、肩に担ぐ。右手でコッキングハンドルを発射位置まで移動させ、照準をあわせる。

 発射姿勢をとり、癖で後方の安全確認を行い、発射ボタンに右手親指をかけ、凪が現れる瞬間を刻一刻と待つ。

 校舎の影から足音が聞こえてきて、次第に大きくなってくる。そして、目的の人物が現れた。

 凪が現れた瞬間、莉彩はAT4の発射ボタンをおした。実弾ではなく、演習用の曳光弾が彼女に向かって放たれた。

「ひゃあ!」

 飛んできた曳光弾を、彼女は咄嗟に右へ飛んで回避し、地面に転がりながら着地した。彼女の背後からガラスが割る音がした気がするが、幻聴だろうと彼らは流す。

「ちょっと!危ないじゃないの!」

「ちっ、外した!」

 莉彩はAT4を投げ捨て、再び走り出す。

「ちっ、じゃない!」

 すぐさま立ち上がり、凪は莉彩を追う。と思いきや、彼女が捨てた演習用のAT4を掴むと、

「逃がすかー!」

と叫びつつ演習用のAT4を槍投げの要領で放り投げた。ある程度山なりの軌道を描いたAT4は、発射口を前にして莉彩の背中に直撃した。

 思わぬ衝撃に彼女は「ぐえっ」と悲鳴をあげて、その場に転倒する。

 その隙に地面を蹴って加速した凪は莉彩が起き上がる前に飛びかかった。獲物に食らいついた猟犬は、背中に馬乗りになって動きを封じ、体操着のポケットを漁る。

 莉彩は凪の腕を掴んで最後の抵抗を試みるも、抵抗虚しく彼女は自身のスマホを取り返した。

「よし!残り時間1分。ギリギリ間に合った~」

 時計を見て制限時間に間に合ったことを知った凪は、莉彩からどき、ようやく勧誘からおさらばできることに小躍りしている。

 

 

 莉彩は体を起こすと、痛む背中を右手でさする。その彼女に、凪は右手を差し出した。

「思い切りぶつけちゃったけど、やっぱり痛む?」

「……いんや。もう平気」

 背中をさすりながら、彼女は凪の手をとって立ち上がる。

「思い切ったことするね」

「人のスカートめくった罰」

「気にしなくていいじゃん、同性同士なんだし」

「衆人観衆の中見られるのは嫌なの」

 莉彩は立ち上がると、体操服についた砂を払い落とす。

「あんなに足早くて、体力もあって、AT4を投げて当てられるんなら、本当に陸上部に入ればいいのに」

「あまり部活に拘束されたくない」

 凪の意見は変わらなかった。

「確かに拘束されることは多いけど、そこでしか体験できないこともあるよ」

「例えば?」

「この追いかけっこ、面倒っていっていたけど、退屈だった?私とあちこち追いかけっこして」

 面倒だった、と凪は口にしようとしたが、なぜか口から言葉が即座にでなかった。訓練のように明確に順位をつけられるわけでもないのに、いつの間にか本気になって彼女を追いかけていた。

「年の近い学友と一緒に汗をかきながら、成果を求められず、何かに打ち込める。それは、今しかできないと思うけど?」

「それが青春?」

「だと思う。それに、いつも訓練ばっかじゃ、味気ないじゃん?」

 入学から訓練に打ち込み、任務に出続けてきた凪はわからなかったが、学友とこうやって一緒に苦労して汗をかくのも、あながち悪いものでもないのではないか。そんな考えが芽生えていた。

「私は面白かった。びゅ~って校舎の周りや中駆けて、跳んだり、色々して」

「そう……」

 凪は静かに返す。

「今しかできない学校生活にさ、色を添えるのもいいんじゃない?」

 青春という色を。と彼女は続けた。

「そうですよ。訓練だけじゃ味気ないですから、青春って色を添えましょうよ」

 いつの間にか近くに来ていた未世が力説する。

 だが直後、未世と莉彩の表情が、なぜか次第にこわばっていく。

 ふと、凪の本能が何かを感知し、瞬時に脳内に警報を鳴らした。ここから離れなければならない。そう感じさせるものが近くにいる。彼女の脳内警報がそう告げる。

 だが、どこかへ移動する前に、右肩を強く捕まれたたらをふんだ。

 

「いいわね~、青春って」

 

 その声で悟った。既に、手遅れであることを。

 

「若いっていいわね~、怖いもの知らずで、勢いがあって」

 

「そ、そうです、か」

 震える口で、彼女はそう返す。

 

「で、も、ね。こんな言葉を知っているかしら」

 

 いつもの声色のはずなのに、今の凪には彼女の声が冷気のようにまとわりつき、体を震わせる。後ろが振り返れなかった。さきほど走り回って散々汗をかいたのに、冷や汗が滝のように溢れ出し、体を急速に冷やしていく。

 気がつけば、周囲の生徒たちも、彼女の背後にいる人物に視線を向けていた。

 

「若気の至り、とか。若さゆえの過ち、って言葉を、知っているかしら?」

 

 豊崎和花(とよさき のどか)教官。他校の生徒も震え上がる、鬼教官の登場に。

「入部をかけて勝負をするのはいいけど、やりすぎって思わなかったのかしら?風原さん」

「だって、勝負しないと、勧誘がくどくて……」

「だからって、建設途中の特殊戦科の建物に命綱なしで登るわ、校舎内を駆け回るわ、あなたまでペースに乗せられてどうするのかしら?」

「なんでそのことを?」

 すると、豊崎教官は白衣からスマホを取り出した。

「今のご時世、携帯にカメラがついているから、いつでも撮影できるし、女の子って噂好きだもの。聞かなくても、誰かが教えてくれるのよ」

 豊崎教官のスマホの画面には、先程の追いかけっこの模様を撮影したのであろう動画が再生されていた。

「しかも、訓練用とはいえ、AT4を持ち出したのは誰かしらね~?」

 小銃は個人で管理されるが、訓練機材の管理は無論学校が行う。AT4は訓練用、実弾入りともに学校管理のものになっている。

 それを勝手に持ち出せばどうなるか、推して知るべしである。

「おまけに、私の仕事部屋の保健室に撃ち込んでくれちゃって…。おかげで、折角淹れた緑茶にどら焼きがガラスまみれになってしまったわ」

 豊崎教官の視線が莉彩にむけられ、彼女は背筋を震わせる。そんな彼女をよそに、教官は首からグラスコードでぶら下げていたシューティンググラスをかけた。

「飯田さん」

「は、はい!」

 莉彩は教官の声に反応し、背筋を伸ばして立ち上がった。

「正直にいえば、まだ軽くしてあげます。保健室にAT4を撃ち込んだのは、あなた?」

「は、はい。結果として、ですけど」

「結果として?」

「本当は風原さんを狙ったんですけど、彼女が避けてしまったので。それで保健室に」

「風原さん」

 凪は首をすくませる。シューティンググラスをかけている教官は、今、間違いなく鬼だ。

「あなたが避けたのは、後ろが保健室だと知っていたから?」

「そ、そんなわけないですよ、和花先生」

「そう」

 凪は恐怖のあまり、後ろが向けない。

「それから、そのAT4を持ち出したのは飯田さん?」

「いいえ、部長が渡してくれました」

「飯田!」

「……そう」

 豊崎教官はどこから取り出したのか64式小銃に弾倉を装填し、銃剣を取り付けた。そして、微笑みながら周囲を見渡した後、目をカッと見開いた。

「学校の機材を勝手に持ち出したり、立ち入り禁止エリアに出入りした等の罪で、陸上部員ならびに、止めなかった周囲の部も、全員罰を与えます!まずはグラウンド30周!」

「「「ヒドイですよ!」」」

「あら、80周がいいかしら?」

「「「今すぐ走ります!」」」

 日頃の訓練の成果か、一糸乱れぬ統率で、陸上部と周囲の部の生徒たち全員がグラウンドを走り始めた。

「風原さん、あなたも行きなさい」

「え!私巻き込まれただけですよ!」

「まだ先日の一件の怪我が治りきってないのに、ペースに乗せられ、運動禁止をいいわたされていたのを破った罰よ」

「今から走るのも、運動禁止に触れるんじゃ……」

「あら~」

 豊崎教官は、鼻先が触れるほど顔を近づける。怖いくらい、満面の笑みを浮かべて。

「そう。なら、先日受けた制裁の方がいいかしら?」

 豊崎教官が右手を顔の横まで上げると、凪の顔が青ざめる。

「走るか、きつくなった制裁か、選びなさい。私としては、あなたの可愛い泣き声を聞くのはやぶさかじゃないけど?」

「走ってきます!」

 遠慮することないのよ、という豊崎教官の声を聞き流し、凪もあとを追って走り始めた。

 指定防衛校は体育の授業が多く、訓練施設が敷地内にいくつもある。故に、グラウンドは広く、30周するまでにばてる生徒が出たものの、銃剣付きの64式を構えた豊崎教官に笑顔で脅され、全員がなんとか走りきった。が、それだけで終わらず、腹筋、腕立て伏せ等メニューがいくつも用意されることになった。

 

 

 翌日、罰則を受けた生徒たちは、全員筋肉痛で呻き、豊崎教官は改めて鬼であることを身をもって知ることになった。

 なお、この追いかけっこの様子や投稿動画を見た幾つかの部が凪への勧誘を始めたために、彼女はまた執拗な勧誘に頭を悩ませることになったのだった。

 

 

 




ここまで読んでくださってありがとうございました。

また投稿する機会がありましたらよろしくお願い致します。

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