リトルアーモリー ~2つの道、彷徨う弾丸~ 作:魚鷹0822
任務を終え、周囲が闇に包まれた頃になってようやく自宅に帰還した凪は、銃の手入れを手早くすませ、自室に設置した保管庫にいれて鍵をかける。
「ふう…」
武器の整備を毎日する生徒も、自分で全てやる生徒も、多くはない。学内には武器管理委員会という、整備を請け負う部署があり、多くの生徒は簡単な手入れを除いて、自分の銃の整備はそこに任せることが多い。
だが、彼女は銃身の交換など、一部を除けば余程のことがない限り、自分の銃の整備を他人に任せることはない。命を預ける相棒の手入れは、常に自分でするのが彼女の考えらしい。
手入れを多少怠たっても、M4A1もM9も一応作動はするが、銃身内の汚れは命中精度を悪化させ、部品の油切れや摩耗は作動を鈍らせる。これを放置すれば、銃は自分を粗末に扱った持ち主に対して、暴発や作動不良という形で必ず復讐する。だから、彼女は遅くに帰ってきても、整備は欠かさない。それでも、今日みたいに不発弾に当たることもあるが。
制服を脱ぎ、私服に着替えると緊張の糸が切れ、押さえていた精神的負荷が一気に押し寄せてくる。脳の処理能力が著しく低下し、頭を休ませるための強烈な睡魔が彼女を襲う。
――――眠い。横になろう。
凪は自室のベッドに仰向けに寝転がり、重い瞼によって狭まった視界の中、窓から空を見上げる。先程までとうってかわり、いつの間にか雨が降っていた。
「あなたは、私の相棒を、未世を裏切った」
凛に言われた言葉が、脳裏をよぎる。任務が終わった後でも、未世は気絶したままだったので、衛生班に病院まで運ばれた。凪も軽いとはいえ負傷したので、念の為に検査が行われた。現在まで、イクシスと戦って負った傷から病原菌が入り、それが原因で感染症にかかった、という例は非常に少数だが、念の為に受けろと教官が譲らなかった。
検査を終え、病院を去ろうとした彼女の背中を、未世に付き添った凛は無言で睨んでいた。たとえ危機を救っても、それでも許す気はないと、暗に言っているように。
――――何で未世を裏切ったのか、か……。
彼女は睡魔に襲われまどろむ中、これまでのこと、あの日の出来事を思い起こす。
――――そういえば、あの日も、今日みたいに雨が降っていたな。
古流高校に入学してからまもなく、凪は未世と出会った。イクシスと仲良くできる道だって、きっとある。同じ夢をもつ同志として、2人は仲を深めていった。その様子を、時折彼女の相棒の凛が、不機嫌そうな顔で見つめていた。
未世にとっては、自分の夢を理解してくれて、共に目指そうといってくれる人間が同じ学校、同じクラスに現れたことが、何より嬉しかったのかもしれない。その嬉しさを、凪は容易に理解できた。彼女もまた、自分の夢を理解してくれる人に、ようやく出会えたのだから。なぜ彼女が、未世と同じ夢を抱いたか。
凪も幼いころ、好意的なK9に会っていた。
凪は小学生のとき、自宅からほど近い森で体を動かすことが日課だった。海上自衛官の父親と、防衛産業に務める母親を両親に持った。共働きで帰りが遅い日が多かったために、家に1人でいることが多かった彼女は、課題を片付けると何かにうちこんだ。本を読んだり、折り紙を折った。中でも多かったのは、森の中を走ること。何かに打ち込んでいる間は、寂しさを忘れることができた。
そんなある日、森の中を走る彼女の前に突如、黒い獣が姿を現した。最初は熊か何かと思ったが、全身を走る赤いラインで、違うと悟った。これが、凪にとってイクシスとの、初めての出会いだった。
見たことがない異質の存在を前に、彼女は恐怖で足がすくむ。でも、よく見ると、そのイクシスも怯えていた。怯えるイクシスに凪は近づき、頭を撫でてみた。無知ゆえの、怖いもの知らずの行動だったのかもしれない。
すると、そのイクシスの震えが次第に収まり、いつしか尻尾を振っていた。イクシスは彼女に近づき、足に顔を何度もすり寄せたり、舌で舐めたりした。
―――あなた、可愛いね。
敵意を感じない行動に、彼女はそのイクシスを抱いて体を何度も撫でた。
その後、同じ時間、同じ場所に行くたびに、凪はそのイクシス、K9と出会った。そのK9に彼女は、「ハル」という名前を付けていた。
―――あなた、名前ないの?じゃあ、ハルって呼ぶね。春に出会ったから。
名前を書いた白色のリボンを、彼女はK9、ハルの右前脚に結びつけ、一緒に森の中を、日が暮れるまで駆け回った。
でもある日を境に、ハルは姿を見せなくなった。ハルが、イクシスという人類の敵であることを彼女が知ったのは、大分経ってからのことだった。
イクシスは人類の敵。殺してしかるべき。そんな世間の常識に、彼女は疑問を持ち続けた。ハルとの出会いが、彼女にその疑問を、仲良くなれる方法があるのではないか。そんな考えを抱かせた。
だが、その考えが周囲とのズレを生じさせ、彼女を次第に孤立させた。
「嘘つき」
「変人」
「頭がおかしい」
そんな言葉を、凪は投げかけられた。誰も信じてくれなかったが、それでも彼女はその想いを、ハルとの記憶を捨てなかった。
そして中学生のとき、彼女は決心した。ハルにまた会いにいくために、イクシスとは何者か知るために、仲良くできる可能性を探るために、イクシスと戦う場に赴く学生を教育する機関、指定防衛校を目指すことを決めた。
両親は反対したが、それを押し切って彼女は地元の指定防衛校、古流高校の入学試験を受け、合格した。
ハルと会いたい。その想いが、彼女を突き動かした。幼いころから森を走り回り、鍛えられた身体だけでなく、元々座学の成績が悪くなく、読書で色んな知識を蓄えたこと等も手伝って、試験の適性では特殊戦科に抜擢された。でも、訓練に縛られるより、任務に行く機会を増やすために辞退し、普通科に入った。
それによって、凪は未世という理解者を得た。周囲との考えのズレに苦しんでいた彼女にとっても、同じクラスで、同じ夢を持つ未世の存在は得難いものだった。夢を語り、体験を共有し、努力する日々を送った。
一定以上の技量に達したと判断された凪は、学年で最初に歩哨任務に参加し、着実に戦果を出していった。
そしてあの日、凪の願いは、思わぬ形で叶うことになった。
降りしきる雨の中、住宅街にK9が現れ、凪も討伐班の1人として参加した。
「じゃあ、全員作戦通り索敵して、K9は発見次第駆除。いいわね!」
分隊長の言葉に、全員が応える。雨で制服が水を吸って体に張り付き、不快感を増す。そのことに不満を言いながらも、生徒たちは四方に散っていく。
場所は住宅街でも古くからある地域のためか、細い道が網の目のように走っている。そのため、大人数を数人の班でわけて索敵が行われることになった。
その道の1本を1人で、M4を構えて進む中、凪の目の前にK9が現れた。
「こちら1年、風原。K9と遭遇、数は3。交戦します」
分隊長に手短に連絡を済ませると、彼女のM4が咆哮をあげた。次々撃ち出される弾丸を前に、K9たちは彼女に近づく前に、1体、また1体と、ただの肉塊に変えられていく。
その場に現れた3体、次いで現れた3体を倒し、弾倉を交換する。すると、もう1体K9が現れた。
「……まだいたの」
彼女は、訓練で染み付いた動作を、ただただ繰り返す。K9に銃口を向け、ダットサイトの光点を合わせ、引き金を引こうとした。
「……え」
そのとき、サイトのスクリーンの中に、彼女は信じられないものを見た。そのK9の右前脚には、黒ずんだ、白色だったのだろう、布切れが巻かれていた。K9が、そんなものをつけているという報告はない。それを見て、頭の奥底に沈んでいた記憶が呼び起こされ、彼女の引き金にかけられた指を銅像のように固まらせた。
迷う彼女をよそに、K9は地面を蹴った。30m、20m、10mと2人の間の距離が次第に縮まる。K9のもつ牙と爪が、彼女には異様に光って見えた。
―――イクシスは人類の敵。問答無用で殺すべき。
―――仲良くなれる可能性だって、あるはず。
相反する2つの考えが、彼女の中でせめぎ合い、銃を握る手や引き金にかけた指が震える。でも、そんなことイクシスが知る由もない。
――――これは任務。イクシスは殺すべき。それが役割。
――――あの布が見えないの?あれは、あの子の……
――――撃てなければ、殺される。逃がしたら、処罰の対象になる。
――――落ち着いて、よく見て。あの子を。
――――あなたが撃たなければ、先輩たちが殺すだけ。
――――民間人に被害が出る。いいの?
いくつもの想いが対峙し、凪は金縛りにあったように動けない。顔の表情筋が引きつり、引き金にかけた指が震えを増す。そうしている間にも、K9は距離を詰めてくる。K9が、彼女との距離を4mにまで詰めた。
凪は、奥歯をきつく噛み締める。K9の4つの脚が、地面を踏みしめた。
直後、1発の銃声が雨音を切り裂き、住宅街に鳴り響いた。
「……はあ、はあ」
呼吸をするのも忘れ、水から上がった直後のように、肺が空気を求めて呼吸が荒くなる。手足が震え、立っていられずその場に座り込んだ。
凪のM4の銃口から、細く、白い硝煙が立ち上る。目と鼻の先に、K9が横倒しで倒れている。日頃の訓練の成果か、迫る寸でのところで引き金を引けていた。放たれた銃弾は、K9の胴体を貫通している。でも、まだ息があるのか、K9の口からは獣の呼吸音のような音が聞こえてくる。
彼女は立ち上がってM4を構えながら、そのK9に近づく。恐る恐る近づき、右前脚に巻かれた布切れを見やる。それは、経年の劣化によってボロボロになり、変色してはいるものの、文字が書かれているのが確認できた。書かれている文字を見て、凪は目を見開いた。
「……嘘、でしょ」
まだ拙い字で、カタカナで「ハル」と書かれていた。紛れもない、彼女自身の字で。
脳裏に過去の記憶が蘇り、映画を早送りして見るように頭の中をかける。
彼女はM4を投げ出し、K9を腕の中に抱き上げる。その個体は大きく、全長は1.4mほどもある。
「……ハル、ハルなの?」
彼女は、流れ出すK9の体液に制服が汚れるのも構わず、イクシスに話しかける。すると、そのK9は呻くような弱い声で応え、鼻先を凪に向けた。普通なら、この瞬間噛み付かれるだろう。でも、その個体は舌を出して、彼女の頬を優しく舐めた。
「……そんな」
凪の瞳に雫が貯まり、堪えられなくなった分が溢れる。頬を伝って滴り落ち、雨粒と共にK9を濡らす。
「こんな、こんなことって……」
彼女はこの個体が、体が年月を経て大きなっていても、あの時出会った、かつて共に時間を過ごした個体、ハルなのだと認めざるをえなかった。
ハルとの再会を、彼女は望んでいた。それは確かに叶った。
命を摘み取る戦場で、敵同士という、最悪の形で。
「ハル……、痛かったでしょ。ごめん、ごめんね、ごめんなさい」
彼女は、自分が傷つけたイクシスを胸に抱き、何度も謝った。ハルは体をすり寄せて応える。イクシスと人類は、コミュニケーションに成功した例はない。授業で教わった歴史的な事実が、凪に残酷な事実を突きつける。
自分の言葉を、意志を、気持ちを伝えられない。そんなもどかしさに、彼女は苛立った。でも、頭を振って脇へ追いやる。
このままでは、いずれにしてもハルは死ぬ。いや、いつもそうしてきたはず。任務に出て、何体ものハルの同胞を、この手で葬ってきた。
なのに、姿形は変わらないのに、思い出があるだけで、凪はハルを、他の個体と同じだと思うことができなかった。
「とにかく、考えるのは後」
彼女はエイドキットを取り出し、止血用のガーゼを傷口に押し当てた。痛みに、ハルは小さな悲鳴をあげる。
人間用のものがイクシスに効果があるのか、そんなことはわからない。でも、このまま何もしなければ、間違いなくハルの命の灯火は消える。
―――でも、こんなことして、何になるの?
イクシスを診られる病院などないし、そもそも人類の敵である以上殺されるのが落ちだ。むしろ凪のしていることは、間違いなく利敵行為になる。このことがバレたら、ただでは済まないどころか、彼女も人類の敵とみなされかねない。
湧いた疑問を、彼女は頭を振って打ち消した。
「大丈夫、大丈夫だからね、ハル」
次第に呻き声や呼吸音が小さくなっていくハルを、凪は懸命に励ます。無駄な行為と分かっていても、それが彼女にできる精一杯のことだった。
それから間もなく呻き声がやみ、ハルは顔を横たえた。
「……ハル?ねえ、ハル。どうしたの?」
彼女は何度もK9の体を揺らす。でも、何も反応がない。
「……ハル、嘘でしょ?嘘だよね?ねえ、応えてよ!」
ふと、背中に衝撃を感じた。制服の背中の生地が真横に切り裂かれ、皮膚が切れて血がにじむ。凪はふいの衝撃に耐え切れず、近くの住宅の塀に叩きつけられ、衝撃でハルを手放してしまった。
「……な、何」
背中の痛みをこらえながら、彼女は身を起こして塀にもたれかかる。そして、先程まで自分の居た位置に目を向ける。
彼女の血と同じ色をした液体が、それの尻尾に付着していた。視線の先に居るものを見て、凪は言葉を失った。
「……何なの、これ?」
そこには、いつの間にかネストが開いていて、巨大な4本足の獣が立っていた。見たことないほど、大きなK9だった。全長は、尾まで含めなくても2mを超えていそうな巨体。いや、そもそもこれはK9なのか?
通常の個体と違い全長は長く、大きな胴体に比べて頭部が小さい。形状も狼や犬ではなく、虎やチーターに近い。加えて通常のK9のものに比べ、牙の大きさが、1対だけ異様に大きい。
その牙の並びが、太古の昔に滅んだという、スミロドン、サーベルタイガーを連想させる。新種のイクシスかもしれない。でも、そんなこと今はどうでもいい。その未知の敵を前に、凪は脚がすくんで動けない。
一歩、また一歩と、そのイクシスは彼女に歩み寄ってくる。M4は咄嗟に投げ出したために、今は手元にない。彼女は震える右手で、M9のグリップを握りしめる。彼女の2m手前で、イクシスが足を止めた。
その個体はK9、ハルを牙が刺さらないよう位置を加減して咥えると、ネストに向かって歩き出した。去り際に、そこに目がないのに、なぜか睨まれたように感じ、彼女は背筋を震わせた。
そのイクシスはハルを咥えたまま、ネストを通り、向こう側へ去っていった。その様を、彼女は黙って見ているより他なかった。
動けない凪の10mほど右方向に、K9が2体姿を現した。その呻き声と殺意を感じとった彼女はM9を引き抜き、銃口を向けた。
降りしきる雨の中、銃声と、彼女の悲鳴が響き渡った。
「……嫌な夢」
いつの間に眠ってしまっていたのか、部屋の中は闇に包まれ、周囲は静まり返っていた。凪は、頬を濡らしていた雫を、手の甲で拭う。
今でも、ハルを撃ったあの日のことを、彼女は夢に見る。
「……裏切り者、か」
凛に言われた言葉を、彼女は反芻する。
再会を望んだ相手を殺したことで、彼女の中で燃えていた、イクシスと仲良くなれる可能性を探る、という夢の灯火は、消えてしまった。
彼女は、自分の指定防衛校の生徒として課せられた責務と、未世と共有した自身の夢。その2つを天秤にかけ、ハルを、未世を、自分の夢を選ばなかった。本当に再会できたら、どうしたいのか。彼女は訓練の日々に流され、真剣に向き合わなかった。
そもそも、想定されてしかるべきだったのかもしれない。指定防衛校の生徒になるということは、民間人を守る、そのために加害者になる、イクシスを殺す役目を担うことにほかならない。
「……ハル」
凪はあの日の、ハルが走り寄ってきたあの時のことが、忘れられなかった。
今にして思えば、あのとき走り寄ってきたハルからは、他のK9にはあった殺意や敵意を感じ取れなかった。
もしかしたら、ハルも凪を覚えていて、再会の嬉しさから走り寄ってきたのではないか。そんな考えを、彼女は当初は抱いた。
でも、彼女はその考えを否定した。K9は知能が低い。なら、そんな昔の記憶を鮮明に覚えているはずがない、と。
もっとも、意思疎通ができない上に、今となっては確かめるすべもない。ただの自分の妄想だと、彼女は考えた。
「イクシスは、殺さないといけない。それが、私たちの役割で、全うしなければならない責務だから」
暗闇の中で、彼女は1人呟く。
―――でなければ、何のために私は、あの子を殺したの?
―――何のために、夢じゃなくて、役割に徹したの?
あの任務から間もなく、凪は最大の理解者を、未世を見捨てた。彼女を突き放し、かつて共有した夢を、周囲と同じように与太話として流した。
凪は、未世を裏切ったのだ。