四方八方、三百六十度どこを見ても砂しかない。
「……あっちぃ……」
ジリジリと真上から照り付ける太陽を恨めしそうに見上げながら、藤丸はただひたすらに前へ前へと歩き続ける。ザッ……ザッ……ザッ……ザッ……と一歩一歩足を踏み出すたびに大量の砂が彼の足を取り、照りつける太陽と時折吹く強風が、藤丸の体力をジワジワと削ぎ落としに来ていた。
はぁはぁと吐き出す息さえも熱くなり、全身からは止めどなく汗が滴り落ちて、腰のベルトに挟んでおいた水筒の氷はとっくの昔に溶けている。
――彼らが歩いているのはつい先日レイシフト出来るようになった第六の特異点にして、砂漠という名の極地。人が生きて行くにはあまりにも厳しい環境の一つだ。
「あの……先輩。やはり先輩は私がお担ぎした方が良いのでは……?」
「いや、マシュに余計な体力を使わせられないだろ。オジマンディアスの話を聞く限りじゃあ昼の内は大丈夫そうだけど、夜もそうとは限らないし。……大丈夫だって。別に怪我してる訳でも無ければ、病気な訳でも無いんだからさ」
「ですが……」
「あとは、そうだな……いつも頼りっぱなしの凄い後輩に、先輩の気丈な姿って奴を見せてやりたいんだ。正直に言うと「あ、カッコいいな」とか思って欲しいんだよ」
「……ッ! せ、先輩は二十四時間三百六十五日基本的にいつでもその……か、格好良いと、思います」
「ん、ありがとな」
若干頬を赤く染めながらもにょもにょと語尾が小さくなっていくマシュを見て、藤丸は説得の成功を悟る。彼女は知識が豊富で聡く、そして物事を論理的、理論的に考えるタイプの人間だ。
キチンと順序を立てて色んな角度から理由を言ってやれば、この頼りになる後輩は素直に引いてくれる。「格好いいところを見せたい」っていうのだって、一応は事実な訳だし。
「おーい! 二人とも!! 青春真っ盛りなところ悪いんだけど、仲間の容体だけじゃなくて周囲の様子にもキチンと気を配って欲しいなぁ。 ここが特異点だからってだけじゃない。砂漠ってのは只でさえ無限にも思える砂に強風、昼は灼熱で夜は極寒の「極地」なんだ。危険な生き物だって多い。ああ、魔獣とかゴーストとか、特異点でしか出ないようなあれじゃないよ? 毒蠍に毒蛇に毒蜥蜴に毒虫に……」
「うーん、改めて口に出してみると毒性生物のオンパレードだなぁ」とか言いながら、二人の為に先行してくれていたダ・ヴィンチがこちらを振り向いた。その若干不満げな表情を見て、藤丸とマシュは慌てて彼女の近くへと駆け寄る。
「す、すみませんダ・ヴィンチちゃん。えっと……」
「べっつにー? 私は君達のやり取りを微笑ましく見ていただけだし? 「なにこんな場所でまで
「ぷい!」と効果音のつもりなのか、自らの口でそう言ってそっぽを向く彼女を見てマシュは若干慌てだし、藤丸は呆れたようにため息をついた。今更ではあるのだが、この「万能の人」はカルデアに来る前に抱いていた自分のイメージ像とかけ離れすぎている。容姿や声もそうだが、無駄に子供っぽい所や時折暴走する(主に企画面で)所など、十九世紀最大の天才と言われているかの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」にはとても思えない。
彼女(の様な彼)を唯一「本物だ」と藤丸に納得させているのは、常人には不可能なその発想と技術。後は天才特有の感性と、その実力である。共に特異点に足を運ぶのは今回が初めてではあるのだが、彼女は既に「万能の人」のなんたるかを二人に見せつけていた。
『どうだい? フィールドワークも戦闘も、中々様になってるだろう? この私をデスクワークだけが取り柄のありふれた天才達と一緒にされては困る。何せ「万能の人」だからね』
つい先ほど、前方より襲いくる小型の魔獣達を纏めて圧縮爆破して二人に笑いかけた情景が目に浮かぶ。分りきっていた事では有るのだが、やはりこの人もサーヴァント。人の世の常識を越えた、神秘の存在なのだ。
……まぁ、ダ・ヴィンチにしろトーマス・エジソンにしろニコラ・テスラにしろ、敵の一切を屠るような武器や武勇などは残してはいない筈なのだが――。
『そこはほら! 英霊として座に登録されてから使えるようになった力だから。
――と言う事らしい。モナリザが好きで好きで堪らず『私が、私自身が、モナリザになる事だ』という結論に辿り着いて、
……うん、改めて言葉にするとやはり意味が分からない。と、言うより理解出来ない。
『モナリザが好き』それは分かる。けどだからって、その人自身になりたいとは藤丸は思えなかった。憧れのスポーツ選手だとかトップアイドルが持つ技術や華やかさを身につけたい、彼らと同じステージに立ちたい、というような才能的、外部的な部分での「この人みたいになりたい」ではない。骨格の矯正だとか整形手術だとか、そんな甘っちょろいもんなんかじゃ断じて無い。正真正銘「
……天才の発想と考えが、常人である自分には理解出来ないだけか。もしくは
どの道、藤丸にはあまり理解出来ないそれである事に間違い無かった。少なくとも自分は「あいつになりたい」なんて思った事は一度たりとも――
(……あれ? 今、俺なんて――)
「ちょっと藤丸くん!」
大声で呼び止められ、藤丸は驚いて後ろを振り向く。彼の少し後方でダ・ヴィンチとマシュが怪訝な顔をしていた。
「もう! さっきから呼んでるのにボーッとしながら一人で先に進んじゃって……何か考え事でもしてたのかい? それとも熱さで頭が参ってたりする?」
「あ、いやその……ごめん。あまりにも周りが砂だらけで他に何も無いもんだから、少しボーッとしちゃってさ」
どうやらいつの間にかダ・ヴィンチを追い越して先に進んでしまっていたらしい。慌てて二人の元へと戻ると、マシュのすぐ側に今にも消えそうなほど淡い蒼色をした円柱が出現し、その中にDr.ロマンの珍しく憔悴した表情が映し出される。
「丁度今、カルデアとの通信が微弱ながらも復旧した所なんです!」
「Dr.!」
《藤丸くん! ……ああ、よかった! うん、このバイタル数値なら君も問題無さそうだ。いやぁ、通信が復旧した時に見えたのが二人だけだったからちょっと焦っちゃったよ》
よかったよかったと暢気に笑うロマンに対し、謝罪の意を込めて軽く頭を下げる。仕方がなかったとはいえ、今の今までカルデアとの連絡が全く取れなかったのだ。こちらに何が起きているのか全く把握する事が出来ないロマンやスタッフ一同としては、気が気ではなかっただろう。
《いやいや良いんだよ。三人とも無事みたいで何より――》
「ご安心頂いたところで申し訳ありませんがDr.、まず周囲の探索及び索敵をお願いします。できれば、休憩が可能だと思われる場所を最優先で。先輩にご休憩を取って貰うのは勿論ですが、ここまでの経緯を詳しく説明するには、腰を据えてお話が出来るような場所が必要だと思われます」
《ああうん、了解。すぐに――――あ……》
「……あ?」
マシュの要望に応えようとしたDr.の表情が一瞬固まり、その後声が漏れたのと、藤丸が嫌な予感と共に背後から怖気を感じたのはほぼ同時だった。直後、火山の噴火のように大量の砂を上空へと巻き上げて、地面から獅子の頭、熊の身体、蠍の尻尾を持った、象よりも大きな怪物――マンティコアが、藤丸達のすぐ後ろに現われる。
まるで上質な琥珀の様にギラギラと光り輝くその瞳は、真っ直ぐに藤丸達へと注がれていた。
「……あの、ダ・ヴィンチちゃん。索敵を行って頂いていた筈では……?」
「いやぁ。あっはっは! 私が使っているのは敵意と害意、それから悪意ある無機物有機物思念体をサーチする魔術式だからさぁ。こういった『単にお腹が空いたから獲物を襲う』みたいな一生命として当然の行動には引っかかりにくいと言うか――」
「……『仲間の容体だけじゃなくて周囲の様子にもキチンと気を配って欲しいなぁ』……か」
ニヒルな笑みを浮かべてどこかの誰かが言っていた言葉を藤丸が口にしたと同時に「グフッ!?」という吹き出すような音が彼の横から響く。それを横目に見ながら、藤丸はカルデア戦闘服に籠められている魔術術式の一つ――宝石魔法『ガンド』を起動させ、今にもこちらに飛び掛って来そうなマンティコアの額目掛けて撃ち込んだ。こちらにそのような攻撃手段があるとは思っていなかったのか、宝石大のその光の固まりは、まともに顔面を撃ち貫き、苦悶の咆吼と共にマンティコアが僅かな時間その動きを止める。
『ナイス先制攻撃だ、藤丸くん!』
「マシュ! いつも通り前衛と、ダ・ヴィンチちゃんに攻撃が行かないようにタゲ取り! ダ・ヴィンチちゃんはマシュのサポートと、念のため宝具の起動準備!!」
「はい! 行きます、先輩!!」
指示を受けて駆けだしたマシュが勢いよくラウンドシールドを振い、マンティコアの巨体を後方へと殴り飛ばす。――第六特異点において、五回目の実戦が始まった。
――第六特異点――神聖円卓領域・キャメロット――??の???
英霊問答――ジェロニモ編――
――一陣の風が吹き、私の身体を一瞬で通り過ぎてゆく。
特段と熱くもなければ、特段と寒くもない。多少勢いが強いだけのその風が、今の私にはとても寂しい物に感じられた。
それは、夜に一人だけ起きている事への寂しさ故か。この果てしなく続く、一片の植物すら見当たらない枯れ果てた荒野を前にしているからなのか。
……あるいは――
「夢現のままでいるのは身体にも精神にも良くないぞ、
立香がもうかなり勢いが弱まった焚き火を見ながらボウッとしていると、甘く香しい何かの香りが鼻腔をくすぐり、低音かつ癖はあれど優しい声色が耳に入ってきた。
言われた通りまさしく夢現だった意識が一気に覚醒し、数刻前からすでに寝ていると思っていた「彼」が起きていた事に驚愕する。元来、英霊に睡眠は必要無い物だが、顕界に必要な魔力の消費を抑えるなどの目的で寝る事も珍しくなく、立香が見ている限りでは、彼は数刻前には間違いなく寝ていた筈だった。
「ジェロニモさん」
――ジェロニモ。第五特異点――イ・プルーリバス・ウナムで縁を結んだ、大いなる大地の
欠伸をする人。インディアン。アパッチ族の誇り高き戦士であり、それに殉じた男。
「空と海と大地。現世に隠世に冥界。どれも切っても切り離せない繋がりがある物だが……混じり合っている様に見える事は稀にあれど、一つになる事は決してないだろう?」
空と海、空と大地の境界線は何も無い地平線の彼方に消え去り、海と大地は、陸の端で必ず繋がる。現世と冥界は隠世によって繋がっていて、故に死ぬと魂は現世に止まる事無く冥界へ行くのだ。
それらは確かにこの世界にある物ばかりだし、時として一つの存在に見える事もままあるが、間違いなく別の物なのだと精霊使いは言う。
「しかしながら、身体と精神は最初から混ざり合っているが故に、時折その境界が曖昧になる事がある。そして、それにつられて夢と現も境目を見失ってしまう。本来、繋がりはあれど分かれている筈の概念なのに、だ。夢と現にしろ、身体と精神にしろ、その境界が曖昧な状態というのは基本的に良くない物を呼びかねない」
「……えっと……ボーッとしてると危ないよって言ってくれてる?」
何となく分かるような、でもあまり上手く理解する事は出来ていないような……。そんな立香の返しにジェロニモは一瞬だけ目を丸くすると、その後ゆっくりと微笑んだ。
……その慈しむような笑みを、立香は以前にも何度か見た覚えがある。確かそう、バニヤンと話している時に――
「――その捉え方で問題無いさ。何よりシンプルで分かりやすいぶん、そっちの方が伝わりやすいかもしれないな。「何で危険なのか」まで行くと、どうしても魔術的かつ抽象的な……一般人には分かりにくい例えになる。……カルデアの召喚術式から教えられた知識によれば、現代は魔術にしろ科学にしろ理論的で分かりやすい――「順序立てて丁寧に説明すれば、誰にでも理解出来る」説明が殆どだという。抽象的で、根拠はあれど理論的ではない物が多い我々の話では、あまり理解して貰えないかもしれないが……――どれ、君が完全に夢に落ちるまで、なにか話でもしよう。明日も早いだろうし、少しの間だけだがね」
ジェロニモは鉄串に刺して焚き火に当てていたマシュマロを一つ取り外すと、それを熱々のココアが入ったマグカップの中に落とす。なんとも贅沢な感じがする飲み物になったそれを、彼はゆっくりと立香に差し出した。
軽くお礼を言って、早速とばかりに一口啜ってみると、存外、思っていたよりも甘くはなかった。――だが
「うわ……おいしい!」
これが立香の舌に合った。焚き火の熱で程よくとろけたマシュマロのふんわりとした甘さと、甘さ控えめなココア独特の苦みが、たっぷりと注がれたミルクによって見事に混ざり合っている。
ニコニコと顔を綻ばせた立香を見て、ジェロニモもまた、満足そうに微笑んだ。
「ロビンフッドとマタ・ハリから君の口に合いそうな飲み物について聞いておいて正解だった。本当は、私の故郷の地に古くから伝わる食す事の出来る甘い花と根っこ。あとはその蜜などを煮出して煎じた飲み物を出そうかと思っていたんだが……割と真剣に彼らに止められてね。美味しい美味しくない、健康に良い良くないに関わらず、こうして君と二人で話をする時に出す物では無いそうだ」
「あ、あはは……別にそういう飲み物に偏見がある訳じゃ無いけど、確かにちょっと戸惑っちゃうかも……」
立香だって、自分が常日頃口にしている紅茶や緑茶が、植物の葉を乾燥させて刻んだ物である事は理解している。してはいるが、生れて初めて聞くような名前の植物や、その根っこを煮出して煎じたとか言われると、どうしても躊躇してしまうのだ。
「『雰囲気や話相手って奴を考えてくださいよ旦那……マスターは現代生きてる年頃の女子高生っすよ? もっとこう……女の子に受けそうな小洒落たチョイスってのがあるでしょうが……』と叱られてしまったよ。その時は「小洒落たチョイス」と言う物に対してイマイチピンと来なかったが……なるほど、女性慣れしている彼が言うだけの事はあったようだ」
(まぁ、ロビンだしねぇ……)
緑色の装飾とマントが特徴の偉大(?)なる森の王の事を想い、立香は苦笑いを浮かべた。
ロビンフッドーーイギリスはシャーウッドの森の住人であり、皐月の王。自由気ままな義賊。――と、後にそう呼ばれる事になった『大勢の』ロビンフッドの中の一人。
好きな事を聞けば『やっぱナンパっしょ! そんで後腐れが無ければなお最高!!』と答え、戦闘での布石について聞けば『そんなん、村娘を口説くようなもんですよ』と答え、お堅い在り方や生き方が好きじゃないと答える生粋の軟派男。……と、いうのが彼が「自主的に表に出している一側面」である。
本当は、なんだかんだ困っている人を見捨てられない性格をしている、人間好きで世話焼きな好青年だったりするのだ。ネロ・クラウディウスや玉藻の前からは面倒臭い案件を押しつけられ、ちびっ子サーヴァント達からは遊び相手として絡まれ、その度にぶつぶつ文句を言いながらも彼らの依頼をこなしている姿は、英霊と言うよりも『近所のお兄さん』に近いと思う。軟派な態度と口調も、近づくも離れるも自由自在の距離を保てるが故である。
「――と、まぁそんな彼からしてみれば今から私のする話は退屈かつ複雑な……正直こういうシチュエーションで話す事では無いのかもしれないが……」
何かを躊躇するように口籠もったジェロニモを見て、立香は違和感を覚えた。彼はとても賢く、そして(英霊という存在にしては珍しく)かなり空気が読める上に、気を使うのも上手い男である。
そんなジェロニモが多少躊躇してしまうような、面と向かっては言いづらい事……。一体なんだろう。戦闘や特異点での探索における自分の至らなさや、マシュを中心に数多の英霊と契約している魔術師としての自覚の足り無さについてだろうか。
多少の叱責は受ける事になるかもしれないと、立香が相応の覚悟を決めたのとほぼ同時に、ジェロニモの口がゆっくりと開く。
「マスター。君は、夢に魅入られた男の話を知っているかな?」
因みに、第三の夢は付箋だらけです。