【完結】魔神柱だった   作:劇鼠らてこ

5 / 11
もう戻れない

自らを王とした少女は

もう、彼の者の手を掴めない。



名もなき弟が殺されることもない。

*

 

 

 アン・パットナムは不思議な少女である。

 彼女が聡明に話し始めたのはいつだったか。いつのことだったか――生まれたときからだったのか。

 誰も覚えていないし、深く追及するつもりも起きないし、なによりどうだっていい。

 

 ただ、彼女の存在は。

 彼女の与えてくれた知識は、彼女の教えてくれた世界は。

 

 私、ベティ・パリスにとって、私の話を聞いてくれない両親や村の人たちなんかよりも、私のことなんてみていないアビーよりも、エリザベスや、マーシー達よりも。

 そして私自身よりも――大切で、懸け替えのない存在になっていたのだと、そう思う。

 

 

 だからだろう。

 

 得体の知れないナニカに対して、たった一人で立ち向かうアンを。

 その体に深い傷跡を負っていくアンを見て、助けなければ、と思ってしまったのは。

 

 自分のことですらまともにできない私が、傲慢にもアンを助けたいと考え――その結果。

 

 前に出た私を守るために、アンが。

 

 

*

 

 村の公会堂では、騒がしい村民たち……恐慌状態一歩手前、とでもいうような様相を呈した彼らが集まっていた。

 村で飼われている家畜、そのほとんどが傷を負い、使い物にならなくなってしまった。死んだものだけではない。傷を負い、自らつぶさなければならないその心持ちは如何程か。

 開拓の村としてここへ来たもの。この村で生まれ、貧困の最中でもなんとか育て上げたその家畜は、わが子にも似た愛情の矛先である。無論子に注がれるようなそれではないにせよ、彼らの憤りが収まることは決してない。

 

「アンが……アンが、傷を負って!」

「落ち着きなさい、ベティ。彼女のことはウィリアム医師に任せてきたのだろう? 大丈夫だ、必ず元気になる」

 

 公会堂には彼女、ベティ・パリスもいた。彼女の父であるパリス牧師は村のまとめ役たちと話しているため、彼女はひとり。いつもそばにいる彼女の姿は見えず、ベティ自身は周囲の大人に諭されながらも、焦って、怖がっているように見えた。

 彼女――アン・パットナムは、家畜達を襲ったナニカと果敢にも戦い、負傷。ウィリアム医師のもとに運ばれ、絶対安静の状態だという。

 

「私が、私が悪いの。来るなって、行っちゃだめだって、言われていたのに!」

 

 ベティがこうも狂乱に陥っているのには理由があった。

 勿論ただアンが怪我をしただけ、という事でも彼女は焦っただろうが――今回、アンはベティを守ってその傷を負ったのだ。背中に、深い爪痕。ベティの視界は赤で溢れ、死んでしまったようにも見えただろう。

 ベティ・パリスはアン・パットナムに依存している。

 そんな彼女の前で恐爪にアンが倒れたのなら、その心持ちもわかるというものだろう。

 

 彼女を鎮めることが出来るのは、アン・パットナムその人だけだろう。

 だが、アンは今、いない。

 

「静まれ! 静まりなさい!

 ……村人に昨夜の警備の者から報告がある」

 

 まとめ役たちとの会話を終えた判事が、険しい顔をして言う。

 だが、彼の後ろにいたウィラード巡査の顔のほうがいっそう深く、険しかった。

 

 ウィラード巡査が口を開く。

 

「みんな、落ち着いて聞いてほしい――」

 

 彼は神妙な面持ちで語る。

 

 自分たちの対峙したモノ。

 村のはずれにある墓地の話。

 墓地が――掘り返されていた、話。

 遺体はすべて持ち去られ、"魔女"として処刑されたティテュバのそれまでもが、なくなっていた。

 

 さらには、この場に来ていたカーター氏が"証言"を行う。

 あの怪物を自身は知っていると。自身の知る限りであれば、あれは"食屍鬼(グール)"であると。

 

 悪魔とは違う、唆す者ではなく、日常と交わらぬ者。闇の世界に潜むDemon。

 血の通う生物を好まず、獲物を殺し、死体としてから食料とする。

 

 彼らはヒトを基にする。

 神の意に背き、人であることを辞めた――憐れなりし、反逆の徒。

 

 それはまさしく。

 

蘇った死者(リビングデッド)……」

 

 ボソりとつぶやかれた言葉。

 それを発した者を、一斉に大人たちが向く。

 

 その視線にしかし、その少女は怯まなかった。

 "教えてもらった知識"を、ポツ、ポツと話し出す。

 

「『ではないんだ。ゾンビとは、根本から違うんだ。彼らは人食いとして描かれる事が多いけれど、本質は死者のまま。食屍鬼とはそこが違う。どちらも人食いだけど、食屍鬼は、生きている。彼らはね、ベティ。人間が"変身"した姿なのさ。ゴムのような弾力のある皮膚も、蹄状に割れた足も、犬に似た顔も、備わっているかぎづめも。

 死して、死者がそんな姿に"成長"……ああ、この言い方はおかしいかな。死者がそんな姿に"進化"出来るわけがない。だって元は人間なんだから。

 だからね、ベティ。食屍鬼(グール)は、人間が"変身"した姿なのさ』」

 

 一言一句。

 あの時教えられた言葉を、すべて覚えていた。

 ベティは普通の読み書きだってまともにできないのに、アンの言葉だけは覚えていたのだ。

 

「……ふむ」

「それは、アンの言葉か。カーター氏はどう思いますかな?」

「……いや、こちらからは何も。ただ、パットナム嬢の博学さに驚いていただけだ。彼女の言う通り、彼らは蘇ったのではなく変わった……いや、変えられたと、そういうべきか」

「変えられた……あぁ、じゃあ!」

「やっぱり……まだ!」

「そうよ、だって昨日、あの子は言っていたわ……まだいる、って!」

 

 カーター氏の裏打ちに、とたん騒がしくなる公会堂。

 判事もそれを止める気はないらしい。爪を噛み、何かを考えているように見える。

 

「アンが絶対安静でなければ知識を頼ることもできましたが……今は、カーター氏だけが頼りになってしまいそうですな」

「ああ、それは構わないが、彼女もいるだろう」

 

 カーター氏と判事の目線が一人を向く。

 先と同じ。

 

「え」

「ベティ。アンから託された知識は、今の村にとって金にも勝る価値を持っている。協力、してくれるか?」

「あ、あの、う、でも……」

 

 カーター氏も判事も、"大人"である。

 大人は話を聞いてくれない。話を聞かないまま、ベティが悪いと判断する。だから嫌い。

 

 だから、頼られているのがアンの知識とはいえ――話を聞かせてほしい、なんてお願いは、どう処理していいのかわからなかった。

 アンに助けを求めることもできない。

 アンに相談することもできない。

 

 ベティが、彼女自身が、ひとりで決めなければならないことだ。

 

「……わかり、ました」

「あぁ、ありがとう。大丈夫、パットナム嬢の代わりに私が君を守ろう。彼女ほど幅広くの知識を持つわけではないが、身を守ることくらいならできるつもりだ。頼りにしているよ」

 

 薄く。

 本当に、薄く。

 カーター氏の口角が笑みを浮かべたことには、だれも気付かないままに。

 

 ベティは一歩、踏み出したのだった。

崖のほうへ。

 

 

 

*

 

 

 

 さて、病床……否、恐爪に伏せる件の少女へと目を向けよう。

 彼女はウィリアム医師の家で、傷口からくる熱病に喘いでいた――なんて、ことはない。

 

 ベッドに腰を下ろし、顔をしかめたまま、床の上数cm辺りを見つめている。

 ウィリアム医師はそれを気にすることなく、何か書き物を行っているようだった。

 

「カラス野郎め……」

 

 口から零す呟きには、彼女には珍しい、ありありとした怒りが乗っていた。

 彼女は知っている。

 食屍鬼(グール)と、そう呼ばれるもの達が、カラス野郎と罵られた男の手によって動いている事。家畜だけを襲うはずだった食屍鬼達が、パリス家だけを狙い、そしてアンの目の前でベティに手をかけようとしたのも、カラス野郎の計画であるという事。

 恐らくはアン自身を見定めるためなのだろうが、それはアンの逆鱗に触れかねない行為であった。

 

 アンは魔神柱だった。

 すでに過去のことだ。あの戦場から逃げ出した時点で"まっとうなもの"ではないし、そのあとにこの人格を得るきっかけがあって、さらには人間としての生を一度、途中までとはいえ謳歌した。

 すでに彼らと胸を張って肩を並べられるような存在とは言い難い。

 

 ただ、その事実は彼女の気の持ち様でどうにでもなる部分でもある。

 それこそが一番大切だが――どうしようもある、という事だ。

 

 彼女が魔神柱としての権能を持っている事実は変わらないし、なんなら、今でも、人間に対して――カルデアに対しての想いも変わっていない。

 ツマラナイものだと。

 価値を見出せないと。

 アンとしての部分ではない。それは魔神柱の一つとしての、価値観。

 

 だから、その価値観に沿っていくのなら、ベティがどうなろうと、ウィリアムがどうなろうと、本当はどうだっていいはずなのだ。その価値観でなくとも――彼らは、とうの昔に。

 

「……()が教養を与えたものを、ただの人間として扱うか?

 ――それこそ、まさか」

 

 薄い笑み。

 ここでようやく、合致した。

 

 乖離していた意識が、ようやくまとまりを見せたのだ。

 

 我ながら、敵を前にして合致するという――なんとも人間らしい行為には、呆れが返るが。

 

「さて、ウィリアム。

 僕はもう行くよ。血相を変えて僕を心配してくれて、どうもありがとう」

 

「……ああ」

 

 ウィリアムは――残念だけど、僕が教えた存在ではないからね。

 

 

 

*

 

 

 

「『食屍鬼には火器も銃器も、効かない。いや、多少なりとは効くけれど、彼らのゴムのような体はそのすべてを半減させてしまうからね。ただ、彼らは魔術も扱うから、刃物さえあればいい、というわけではないよ』」

「ふむ……確かに、私の読んだ文献にも、彼らの肌はゴムのようで、不愉快な感じがした、と書いてあったな」

 

 カーター氏の家。

 そこで、判事と、カーター氏。そしてベティが情報共有の場を設けていた。

 旅の一座は今ここにいない。劇の練習のためと、すでに家を後にしている。

 

 自身の話をしっかりと聞いてくれる大人。

 アンだけだと思っていたその"役割"に、次第と警戒心を薄めていくベティ。

 

「では、警備のもの達には刃のついた棒を持たせましょう。槍があればよかったのですが……」

「まぁ、そううまくは行きますまい。万一の場合だけ、交戦。それ以外の場合は避難を優先するべきだ」

「『彼らに背を向けてはいけない。彼らにとって人間は食物だ。魔女と結託しているときなら、なおさらね。勇敢にも立ち向かうことをお勧めするよ。ただし、ひとりではだめだ。かならず四人以上で、四方から絶え間なく攻撃するべきだね』」

「なるほど。警備のもの達に伝えておこう」

「しかし、彼女はショットガンで応戦したと聞きましたが……」

「知識と実践は別だろう。彼女は齢十二の少女。大人のように剣を以て戦うなど、できるはずもない」

「……そうでしたな」

 

 自身の言葉に、大人たちが議論を進める。

 それが、なんだか、とても。

 

「……ぁ」

 

 嬉しかった――という事実に、(かぶり)を振って冷やす。

 そんなことがあっていいはずがない。

 アンに傷を負わせて、アンに守ってもらって、アンの知識で得た今の立ち位置。

 それを喜ぶなど、あまりにも、アンに冒涜的だ。

 

 そんなの、狂っている。

 

 

 

「ベティ?」

「まさか、どこか痛むのかね? パリス牧師から聞いたが、ベティ、君も"魔術の被害者"だという話じゃないか。アンと同じく、どこかに爛れが……」

 

 その言葉に、

 

「ただ、れ……?」

 

 と――返してしまったことは。

 たぶん、アンにとって、余程よくない事だったのだと、ベティは直感で理解した。

 

 何故なら、その時のカーター氏の顔は。

 凡そ、人間のソレには見えなかったから――。

 

 その顔が、ぐしゃりと歪む――その前に、

 

「やぁ、カーター氏。それにストートン判事。その持ち上がった手は何かな?」

 

 杖を突いた、彼女が。

 勢いよく扉を開けて、現れたのだった。

 

 

 

*

 

 

 

「あ、アン。怪我は……?」

「見ての通りさ。歩くこともままならないけれど、どうにか生き永らえた。大丈夫だよ」

 

 その様相は、とても"大丈夫"だなんて言えるものではなかった。

 顔にはびっしりと汗をかき、足取りはフラフラ。

 表情にこそ余裕があるが、やせ我慢だ。

 

「……無理をする必要はない、パットナム嬢。君の知識は、ベティ君が受け継いでくれている。君は十二分に休むといい」

「ははは! それは面白い冗談だね。いつもベティを白い目で見ていた君たちが、危機となれば真っ先に彼女を頼るのか。そうだろうね、彼女は少々騙されやすい。人の言葉を真に受けてしまうし、感情もわかりやすい」

 

 少しだけ。

 その物言いが、心に残った。

 それは多分、アンが来るまでの間に――ベティが、"自信"というものを獲得しかけていたからなのだろう。

 いつも通り、ベティを庇ってくれているはずのアンが――何故か、話を聞かない大人たちと重なってしまった。

 

「すでに大人たちの前で知識を披露したベティであれば、プロパガンダにも起用しやすい――君たちの、君の言葉を信じさせるには十分な資質を持っている。僕よりもベティのほうが使いやすかったんだろう?」

 

 その幻影は、虚影は、心にひとつの罅を入れる。

 ベティのための発言が――彼女にとって、今の彼女にとっては、煩わしいものになってしまったのだ。

 

 結果。

 

「だけどね、ベティはまだ幼い。僕のように清濁併せ吞むことが出来るほど賢くは、」

「……やめ、て」

「――ベティ?」

 

 あふれ出たものが止まることはなかった。

 もしかしたら、彼女自身でも知らない――「追いつくことが出来ない」という無意識下のストレスが、そうさせたのかもしれない。

 気づけば、ベティは。

 カーター氏や判事を背に、()()()()()()

 

 アンに、向かっていた。

 

「やめ、て……! 二人は、私を、信じてくれた……から、そんなに、悪い人。じゃない!」

 

 普段の彼女を知るものがいれば驚いただろう。

 彼女が声を荒げることなど、そう見れたものではない。それも心配からではなく、怒り。

 ましてやその矛先が、アン・パットナムに向いているなど。背に、大人たちを庇っているなど。

 

 それは、その光景は、見るものが見ればこう言い表しただろう。

 

 狂気的だ、と。

 

 その糾弾に、慟哭に、アンはたじろぐ。

 驚いて――笑った。

 

「そうか。

 そうかい。ベティ。君も――"王"になってしまったんだね」

 

 力なく、彼女は笑う。

 その意味はベティにはわからなかったけど――馬鹿にされている。

 そう感じた。

 

「アンは、休んでいて。わたし、ひとりで――できるから」

 

 拒絶。

 ベティはアンを拒絶する。その助けを拒まんと。

 

 おそらく、この時点ですでに。

 ベティは、"自信"というものを、獲得してしまっていたのだろう。

 

 それが()()()()()()()だなんて、夢にも思うことなく。

 

「わかった。君がそう言うのなら、そうしよう。

 カーター氏。ストートン判事。くれぐれも、よろしく頼むよ」

「ああ、もちろんだ」

「ゆっくり休みたまえ」

 

 一瞬、アンとカーター氏の視線が絡んだ。

 その交錯はコンマと満たない間に終わったけれど――そこに一つの壁が出来たように、ベティは感じた。

 

 そしてそれは、ベティと、アンの間にも――。

 

 

 

*

 

 

 

 

 少し時は遡る。

 

「ノア」

「……パットナム。なるほど、父の呼び出した食屍鬼程度にお前が後れを取るなどとは欠片も思っていなかったが……まさか、無傷とはな」

「無傷じゃないさ。しっかり傷を負って――治した。それだけ。それより、ははは、奥方は事切れたのかい? 

 ――ああ、いや。なるほど。使()()()()()()

 

 ウェイトリー家。

 未だ朝靄残るこの場所で、少女と男の会話は行われていた。

 

「食屍鬼の招聘。その程度の些事に妻を使うとは、さすがに思っていなかった。虚を突かれた気分だ。あの母体は、もっと良い使用用途があったのだがな……」

「アブサラムも耄碌した、という所だろうね。見届けるためとはいえ彼自身が姿を見られてしまったようだし」

「あぁ――無念だよ。こんな、わけのわからない場所に連れてこられて、一族の悲願も為し得ずに事切れる。せめて、娘だけは――あの、可能性の胎だけは残しておきたいのだがな」

 

 ノア・ウェイトリーにとって、妻も娘も魔術の道具でしかない。

 悲願の招聘。外なる神を呼び込むための素材と、外なる神と交わらせるための素材。術者である自身。それらすべてを、愚かな父の所業で失うことになるのだ。

 愚痴のひとつもこぼれ出よう。

 

「パットナム。お前に娘を託すのなら、何を支払えばいい?」

「――僕に関する、記憶。その全てを」

 

 魔術師パットナムの瞳が、薄ら赤く光る。

 隠された物事をすべて見抜くモノ。彼女にまつわる事柄が、全て。

 ノア・ウェイトリーの中から、どろどろと、抜け落ちていく。

 

「あぁ――そうか、オマエは」

「皮肉かな、ノア。君の求めたモノは、すぐ近くにあったんだ。外なる神はもうすぐ現れるけれど――ラヴィニアが子を孕むことは、ないよ」

「……オズ。オズの魔法使い。我々と同じ時間。そうダ。私は、お前を知っているぞ。ゴエティア。オズ。ウォソ。何が少女だ。何がニンゲンだ。貴様は、そうだ、結局のところ――我々を見下す、そう――」

 

 必死にかき集めるように。

 必死に、声を届けるように。

 

 ノア・ウェイトリーは、目の前の"敵"を、強く、強くにらみつける。

 

「じゃあね、ノア。魔術師として――君は、それなりには、印象の強い人間だったよ」

 

 ぐりん、と。

 ノア・ウェイトリーは、白目を剥いた。

 

 眠ったのだ。瞼を開けたまま。

 

 そして、すぐに目を覚ます。

 だが、その時にはもう。

 

「……?」

 

 彼の前には、だれ一人として立つ者はいなかった。

 

 遠くで獣の遠吠えが聞こえる――。

 近くに、複数人の男の足音が。

 

 ノア・ウェイトリーは、自身とその家が"それまで"であることを、悟ったのだった。

 

 

 

*

 

 

 

 村公会堂。

 そこでは、連日と同じく――藤丸一座の公演準備が行われていた。

 

 子供たちを元気づけるための芝居。

 それは一座の一人である哪吒にとっての"好きなコト"で。

 意気揚々と、落ち込んでいたアビーと無理矢理引っ張ってきたラヴィニアを観客席に座らせ、いなくなるというサンソンに気を留めることもなく、マシュの登板の背を押して――と、そこまではよかったのに。

 

 現れたその"子供"を見て、初めて顔をしかめた。

 

「そ、その、大丈夫ですか……? それほどの怪我であれば、家でゆっくり眠っていたほうがいいのではないかと……」

「おいおい、プロンプターさん。これは子供のための劇なんだろう? 仲間外れはひどいというものだよ」

 

 アン・パットナム。

 杖を突く彼女が、そこへ現れたのだ。

 

 途端――怒りと、殺気が彼女へ飛ぶ。

 それがわかっているのか、わかっていないのか。いや、わかっていて受け流しているのだろう。

 ヘラヘラと笑って、アンは哪吒と舞台袖にいる殺気の主を見た。

 

「肉詰め 幻覚。よくも 騙したな!」

「ははは! 何のことかさっぱりだなぁ。こんな寒村に、肉詰めなんて高級品があると思うのかい?」

「哪吒さん、哪吒さん。お気持ちはわかりますが、そろそろ準備のほどを……子供たちが待っていますので!」

 

 その言葉には弱かった。

 哪吒は、敵意をむき出しにしたまま(具体的に言うとちょっと炎を出したまま)、舞台袖へ向かう。

 この場にいるのはマシュと、座長たる立香だけとなった。

 

「……アン・パットナムさん……で、よろしかったでしょうか」

「うん? ――あぁ、そうか。こうしてしっかり話をするのは初めてだったね。よろしく、マシュ。そして――()()()()()()()()()?」

 

 その笑みに、緑衣の狩人が動こうとした。

 だが、それを留める存在が。

 

 微笑みかけられた、藤丸立香その人。

 

「君が魔神柱なの?」

「……ははは! それは面白い質問だ。答えを濁しておこう。ただ、僕は君たちへ敵意を持っていないよ。それだけは確かだ。この事件の黒幕には僕としても思うところがあってね。君たちに味方をするつもりはないけれど――一度くらいなら、協力してあげよう」

「現地の魔術師……ということでよろしいのでしょうか……? 先輩、どうしましょう?

「ねぇ」

「なんだい、カルデアのマスター」

「協力してくれる、というのなら――」

 

 そのあとに続いた言葉は、静止されてもなお弓を構えていた緑衣の賢者も、はらはらと行く末を見守っていたマシュも、そして舞台袖に控え、いつでも戦えるように準備をしていたサーヴァントたちも。

 そして、アン・パットナムさえも。

 

 驚きを隠せないものだった。

 なんせ。

 

「劇に、出てくれないかな。人手が足りないんだ」

 

 魔神柱かもしれない、だとか。

 敵対する可能性のある現地の魔術師、だとか。

 

 ソウイウの抜きにして。

 

「……けが人に言うことがそれとは、なかなか、肝が据わっているね」

 

 本当に。

 

 

*

 

 

 さすがに激しい役どころは与えられなかったが――魔術師とばれている事と、高度な幻術を扱うことが知られてしまっているせいか、演出装置としての役割で酷使されるハメになった。

 主に蛾――いや、鷹の翼の魔術師・キルケーと、哪吒太子殿に。

 よほど瓜が不味かったらしい。そうだね、僕もあんなもの食べようとは思わないよ。

 大きくなった瓜は奇形――粗悪品だし。

 

 とまぁ、僕の酷使もあってか、一応、めでたしめでたしという形で終了を迎えた劇のお疲れ様、という雰囲気は、しかし悲報――僕にとっては予定調和――によって、閉ざされる事となる。

 

 アブサラム・ウェイトリー。ノア・ウェイトリー。

 その両名が、絞首刑によって死んだ、という――そんな、話だった。

 

 

*

 

 

 カーター家に集った一座の面々は、沈んだ面持ちでその一報を確認しあう。

 その中には、成り行きで(というか首根を掴まれて)連れてこられたアンの姿もあった。

 

「さて、お嬢さん――いや、アン・パットナム。アンタ、今回の件、どこまで知ってやがる? 初めて会ったときは勇敢で無謀なんだとばかり思っちゃいたが……どうにも、そこの大魔女さんや太子殿にしでかしちゃってくれた事や、ウチのマスターのことを知っていた事といい得体が知れねえ。そこんとこを説明してくれないと、オレたちはアンタのことを信用できませんよ、ってハナシなんですわ」

「私としては今すぐにでも豚に変えて縊り殺してやりたい所だけど、それは後の楽しみにとっておくとするよ。サーヴァントの知覚にすら干渉できる幻術の使い手。そんなものが現代の魔術師にいるとは思えない。君は何者だ?」

「邪気 感じない。妖気 感じない。敵意 ない。理解不能」

「ねぇ、あなた。その怪我は村人の子を守った時に負ったのだと聞いたわ。少なくとも、貴女にはセイレムの人々を守ろうという意思がある。それなら、私たちと協力してくださらない?」

 

 サンソンは静観。マシュと立香は判断を決めあぐねているように見える。

 三人を除いて、マタ・ハリは争いのない可能性に、ロビンとキルケー、哪吒は敵意をむき出しに。

 

 サーヴァント三人に敵意を向けられて、しかしアンはどこ吹く風。

 ただの人間とは思えない。

 

「どこまで知っている、とは曖昧な質問だね。君たちが星詠みの天文台であることかい? このセイレムが外界と遮断されてしまっていることかい? そこなキルケーと名乗った少女が昨日の晩まで君たちを騙っていた事かい? ふふ、今君たちが知っていることは、全て知っているよ。()()()()()()()

 それで、僕が何者か、か。

 僕は君たちの想像通り魔術師だよ。魔術師パットナム。村では医者の卵アンとして通っているけれどね。そしてこの幻術は、母から受け継いだものだ。母は痴呆を患ってしまったけれど――その前に、僕にこの幻術の真髄を教えてくれた。詳細は母が知っている。僕は渡された魔術回路を使っているに過ぎないからね」

 

 アンは――魔術師パットナムは、杖を置き、椅子に座ってひょうひょうと語る。

 余裕のある表情は、とても少女のソレには見えなかった。

 

「君たちと協力する――それは確かに、吝かではないんだ。

 僕も今回の黒幕には困っていてね。食屍鬼には幻覚が効かないみたいで、このザマさ。ソイツを追い出してくれるというのなら、喜んで協力しよう」

「良かった! なら――」

「ただし、それは君達が信用できると、そう踏んでからの話だ。昨晩死んだ彼女――ティテュバは、君たちと同じだった。正直に言って異質極まりない存在だった。そして、君たちが現れてから、一連の事件は進行を始めただろう?

 正直なところを言えばね、君たちが僕を疑っているように――僕は君たちを、特にそこのキルケーと名乗った少女を疑っているんだよ」

「さっきから少女少女と、そんなに殺されたいのか?」

 

 微妙にしゃべり方の似ている二人が睨みあう。

 背丈も同じくらいで、どちらも少女らしいあどけなさを持ち得ているにもかかわらず、その精神性は少女のソレではない。

 ただの人間ではない点も共通だ。

 

「マスター。これ以上は話が進まないと思います。この場は一度お開きにするべきか、」

「妖気 増幅! 海岸、緊急!」

「霧が出てきやがった……オイオイ、まーた食屍鬼ですかい!? 錬金術師は処刑されたんじゃなかったんですかねぇ!」

「……君は何もしていないようだな。またぞろ幻術でもかけられていなければ、の話だけど」

「食屍鬼を僕が操っているなら、もう少し浅い怪我にするよ。なんたって歩くのもままならない。そんな不便を幻術の礎にするほど、僕はトチくるってはいないさ」

「キルケー! 話していないで、襲撃よ!」

 

 食屍鬼に幻術は効かない。

 それは当たり前だ。幻術は知性ある者にのみ効果を表す、非効率極まりし魔術。単純明快な破壊力を持たないそれでは、自身の身を守ることはできない。

 それを、常識として知っているからこそ、キルケーは椅子に座って手を振るパットナムに対し、お前も働けとは言わなかった。

 ただ、己の為すべきことを為すために、杖を取り。

 仲間のもとへ急ぐのだった――。

 

 

 

*

 




壊れた杭を脳髄に打て

焦げた槌を心臓へ打て

掲げた心を神に捧げよ。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。