ダンジョンに赤龍帝がいるのは間違っているだろうか 作:Wbook
「さあ準備はいいかい、ベル君! 今日はいよいよ
「はい、神様! あっ、神様。ツインテールの右がズレてますよ、ナイフを持つ手がある方です」
最近やけに目ざとく、かつ妙に対象年齢の低い噛み砕いた説明を用いるようになった眷属を訝しみつつ、ヘスティアは一応ナイフを持つ方の手をこっそり確認してから、ツインテールの右側を直した。
「よし、これでいいかいベル君?」
「はい、完璧です神様」
「ふふっ、そうだろぉ? じゃあ今度こそ行くぞ、ベル君!」
「あ、神様! 走ると危ないですよぉ!」
おかしい、手を握って走り出したヘスティアは思った。
純情なベルならここできっと顔を赤くして恥ずかしがるはずなのに……と。これではまるで、お兄ちゃんに遊んでもらっている妹のようではないか……と。
「楽しみですね、神様!」
(……まあ、いいか)
ホームを出て街中へ入り。普段以上の喧騒の中をいつの間にか自分の手を引いて歩いているベルの姿は、以前よりずっと頼もしく見えた。そして、周りからは当然というべきか仲の良い兄妹に見られていた。……幸いというべきか、ヘスティアから発せられる神気のおかげですぐに誤解は解けているが。
(これはこれで悪くないし、妹萌えっていうのもアリだよね、ベル君!)
当のヘスティアが何処吹く風、呑気なのも手伝ってか不信感は持たれなかった。というより、神は変わり者ばかりなので然程気にされずに済んだ。
神々の高度すぎる文化が
しかし、これを見かけた神々にはヘスティアのだらしなく歪んだ表情から事実は遺憾無く、滞りなく、確実にしっかりと伝わっていることだろう。
「まずは露店巡りと洒落込もうぜ、ベル君! 今日はボクの奢りだ、好きなだけ……って、あれ、ボクの財布は?」
「ああ、それなら僕が持ってますよ」
「えっ」
「今後はお金の管理も僕がやりますから、神様も必要な分があれば言ってくださいね。それ以外にも月々いくらかお渡ししますけど、神様にもお付き合いはあるでしょうし」
「えっ。あっ。ちょ、ちょっと待ってよベル君?」
おかしい。ベルが自分の知るベルではない。ヘスティアは混乱した。
「実は先日ミアハ様と会って色々教わったんです。やっぱり資産管理なんかも神様任せというのは良くないって僕思ったんです」
「いや、しかしだねベル君?」
「神様の不満も分かります。ですけど、きっとファミリアのためになると思うんです、僕!」
「う、うん、でも……」
「僕、神様のためにも頑張りたいんです!」
「えっ、ボクのためにも??」
「はい、もちろん!」
「そ……そっかぁ、ボクのためか……なら、仕方ないかなぁ? うん、仕方ないよねぇ? だってベル君がボクだけのためにやってくれるんだものねぇ?」
ヘスティアは、まだ気づいていなかった。
「分かってくれるんですか、神様!」
「もちろんさ、ボクは君の
「ありがとうございます、神様! 僕、これからも頑張りますね!」
——この時、自身のお小遣い制が決定してしまったことに。
*****
「ごめんなさいね」
仄暗い部屋。あちこちに並ぶ、大きな檻の数々。その奥にはギラついた瞳が並び、空恐ろしい唸り声が聞こえてくる。
ここは【ガネーシャ・ファミリア】が管理している闘技場の地下……言うまでもなく、怪物祭の主役達にとっての控え室だ。本来ならばここに居るのは、ガネーシャが誇る冒険者達とギルド職員のみ。
しかし今、彼らはここには居ない。……否。正確に言うならば、意識を確かに保った者は一人として居ない。
——彼女、女神フレイヤを除けば。
「どの子がいいかしら……」
美神フレイヤに、力はない。
しかし彼女は、その圧倒的“美”を以って、ここに至るまでの障害全てを篭絡し、無力化し、堂々とここに居座っていた。
「そうね。あなたに決めたわ。——行きなさい」
いつの世も、
*****
「神様、下がっててください……」
「ベル君っ!?」
【ガネーシャ・ファミリア】が捕らえていたモンスターの脱走……それをベルとヘスティアは、誰に知らされるでもなく自らの状況を以って理解した。
少なくとも一頭は、間違いなく逃げ出している。
——何故ならば、今まさにベルの目の前に立ちはだかっているからだ。
逃走の末に辿り着いたのは、ダイダロス通りの少し開けた広間。
物陰に主神を避難させたベルは、ここまで自分達を追い込んだモンスターの眼前に戻っていった。
「ベル君、武器もないのにどうするつもりなんだ!? ボクのことは良いから早く逃げるんだ!!」
シルバーバック。長い白髪、そして全身を白い毛で覆われた大猿。……ガネーシャにより地上に連れてこられては居ても、本来ならば11階層にいるはずのモンスターだ。
「……お前、神様を狙ったな」
こともあろうにこのモンスターは、神であるヘスティアを偏執的に狙っていた。それも僅かな時間であれば偶然と思えるかもしれないが……この猿は違う。いつまでも、いつまでもヘスティアを追いかけ回してきた。
もしもここにベルが居なかったなら、戦えないヘスティアは……想像するまでもなく、いとも容易く害されてしまうだろう。
ヘスティアは今もベルに向けて悲痛な呼びかけを続けているが、今の彼には聞こえていない。
初めはベルも、追いかけてくるシルバーバックに恐れをなしていた。命を繋ぐことが出来るのか、無事逃げ切ることが出来るのか……と、不安に苛まれながら逃げていた。だが、段々と……アレが追い回しているのが自分ではなく、ヘスティアであることを確信していくうちに、己をずっと何処からか見つめ続けている“無遠慮な視線”も相まって——無性に、腹が立ってきた。
ふつふつと。ふつふつと煮えたぎっていき。今はもう、腹が立つなどというレベルではなく。
「ふざけるなよ、お前ぇえええええええッ!!!」
この大猿は——“逆鱗”に触れたのだ。
大槌の如きシルバーバックの拳がベルに向けて振り下ろされる。
両者リーチの違いはあれど、腕の伸び切ったそのポイント……つまりは、最も威力の乗る瞬間にて激突した。
その結果。
「ルグォォオオオオッ!?」
シルバーバックの右拳は、ベルの右拳によって天高く打ち上げられ、メキリと悲鳴をあげて崩壊した。中指は無残に叩き折り、それでもなお威力は収まらず。
それはもはや、Lv.1の……増してや、素手では有り得ない一撃。
ベル・クラネル
Lv.1
力:C604 耐久:D543 器用:G289 敏捷:E491 魔力:I58
ベル・クラネルの【ステイタス】は、エイナに教えたその時から、大きく変化したわけではない。少なくとも、彼の基準で考えたならば。
しかしそれでも、たったいま確かな強打が放たれた。
つまりこれは……ベル・クラネル自身の力に他ならない。
「っらぁぁぁぁあああああああっ!!!!!」
無論、終わりではない。右を振り抜いた体勢を利用し、既に左の準備は出来ている。悶絶するシルバーバックのガラ空きの胴体に打ち込むには、十分すぎるほどに。
ズドンッと、鈍器で強かに打ち据えたかのような重く鈍い音が響いた。
右腕を押さえ、白髪を振り乱しながら荒れ狂っていたシルバーバックの身体が、今度はくの字に折れ曲がり、うめき声を上げている。
事の次第を見守っていたヘスティアと、周辺の住民や冒険者達が唖然とした様子でベルを見つめていた。
実態を知らない者達からすれば、ベルが元々優れた冒険者なのだと誤解をするかもしれないが、実態を知るヘスティアは違う。確かにベルの成長率は凄まじく、たった半月でここまで強くなった彼はまさしく規格外だろう。
だが今のベルは、いくらなんでも強すぎた。
(……あ、そうか。ベル君いま、“キレてる”んだ)
それでも、神であるヘスティアにはすぐに合点がいった。そもそも、深く考えるまでもない。
この下界に恐らくはただ一人……ベルだけに当て嵌まること。
ひとえに、“ドラゴン”を怒らせるというのは、こういう事態を招くのだ。怒り狂ったドラゴンほど手に負えないものを、ヘスティアは知らない。
——逆鱗に触れた者に対する、全能力の超々高補正!
(そうか……キレてるのか、そうかそうかぁ!)
場違いなことかもしれないが、自身が襲われたことに対するベルの反応に、彼に想いを寄せるヘスティアとしてはついつい嬉しく思ってしまう。
だから、不謹慎だと思いつつも笑顔を浮かべ、喜び全てをエールとともに吐き出した。
「やっちまえ、ベル君ーッ!!!」
「はい、神様ッ!!」
もちろん、言われるまでもないことだ。
最愛の主神を、慈悲深き大恩人を……よりにもよってこの猿は。よりにもよって、使徒たる自身の前で。害そうと、傷つけようと、穢そうと企んだのだから。
——決して生かしてはおかない。
自身の数倍はあろうかという体躯にもまるで怯まず、ベルはシルバーバックへと躍り掛かった。負傷に喘いでいた大猿も、いつまでも大人しくはしていない。
無事な左腕を構え、突っかかってきたちっぽけなベルを迎え撃ち。
しかしそれも、大した抵抗にはならなかった。
憤怒に燃えるベルの力は凄まじく、体格差を悠々と覆す強力な
シルバーバックのそれはもはや逃げ腰のうえに、左腕一本……その左腕にしてもやたらめったに拳を打ち込まれているうちに巻き込まれ、とても攻撃には使えない。
あるいは平時であったなら、白い大猿はベルにとって強敵であっただろう。この事態を目論んだものの想定通り、激戦たり得ただろう。
シルバーバックとは、本来Lv.1の冒険者にとってそういうものだ。ベルを死地に追いやったミノタウルス程ではないにせよ、Lv.1が出会ったならば、決死の覚悟で戦う相手だ。
だが——この時ばかりは、読み違いも甚だしい。
「っぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」
シルバーバックはついに、抵抗することも逃げることもままならないまま拳の嵐に飲み込まれ、胸骨とともに魔石を破砕されることで、この世界から消滅した。
その際に起こった、ダイダロス通りの住民と冒険者達があげた大歓声も、ベルには遠いもののように聞こえていた。何故なら今も、あのとき自分を苛立たせた“無遠慮な視線”を感じていたからだ。
「やったね、ベル君!」
「あっ、神様?」
しかしそれも、ヘスティアの声を聞いた途端に思考の彼方に消え去っていた。彼女の無事な声を聞いてしまえば、ベルに怒りなど持続させてはいられず。
戦闘中、極度に鋭敏化していた五感もまた、途切れさせてしまったのだ。
(でも、なんだったんだろ……気のせい、じゃないよね?)
*****
「ふふっ……ふふふっ。ああ、分かったわ。あなたの正体……」
元凶となった傍迷惑な女神は、当然のように付近の建物の上からベルのことを見下ろしていた。
「赤い龍……そう、あなただったのね。あの子を染めたのは」
何処かの女が彼を染め上げたというのなら、フレイヤにも大人しく見ているだけでいるのは無理だったかもしれない。そう、今日のような戯れではなく、もっと、ずっと、ベルを惑わすために大きなことをしでかしたやもしれない。
だが、もしベルを染めたのがフレイヤもよく知る彼だというのなら、構わない。むしろ……面白い。
「——久しぶりね、ドライグ」