ダンジョンに赤龍帝がいるのは間違っているだろうか 作:Wbook
「もうこんな時間か……」
エイナを自宅へ送り届けて、ようやく帰路に立った頃。時刻は既に夕刻に差し掛かっていた。
今はまだ西日が路地裏の所々を赤々と照らしているが、暗くなるのにそう時間はかからないだろう。
不覚にも意中の異性、アイズ・ヴァレンシュタイン以外に胸を高鳴らせてしまったベルは己を鑑みつつも、「あれ、でも男ならハーレム目指さなきゃってお祖父ちゃんは言ってたし……」と思考を明後日の方に向けながら歩いていたのだが。
「ん、なんだ……?」
考え事をしていて気づかなかったが、これは足音だ。随分はっきりしていて、冒険者でなくとも察知できるほどのそれが二つ、こちらに向かってきている。
「えっ!?」
しばらくしてベルの視界に飛び込んできたのは、小柄で華奢な影と……その後を追う、剣を構えた男性冒険者の姿であった。
男は鬼の形相を浮かべており、傍目にも穏やかな状況には思えない。何より、人通りの少ない路地とはいえ、剣を抜いているというのは、どう見ても良い予感をさせてはくれなかった。
その剣をどうするのか……答えは簡単だろう。それを理解したベルの行動は早かった。
「っ!? ガキが、なんのつもりだ!?」
小柄な影に振り下ろされそうになっていた剣を、横合いから殴り飛ばしたベルは。
「なんのつもり……は、こっちの台詞ですよ。あの子に何をするつもりだったんですか?」
小柄な影はベルが男の足を止めたのを見るや否や。脇道から大通りに逃げ込んでしまった。人ごみに紛れて仕舞えば、もう見つけるのは難しいだろう。
「テメェに関係ねえだろ!! それともテメェもあいつの仲間なのかっ、ああ!?」
「初対面です! けど、目の前で人が殺されそうなら、とりあえず止めるのが普通です!」
以前のベルならば男の形相に恐れをなしていただろうが、今の彼は違う。身長こそ男と変わらずとも、その強靭さは比にならない。加えて彼の気位が、Lv.1のベルに容易く止められる程度のチンピラ冒険者に怯むことを認めなかったのだ。
「んだとっ……! このっ、偽善野郎がっ!! ふざけてんのか!?」
「こっちの台詞です、僕は間違ってないっ!!」
ベルに、引き下がる気は無かった。男の方にも、当然ここで引く理由はない。
むしろ……。
「じゃあ、いい。テメェから殺してやるよ。格好つけたこと、後悔しろや……!」
剣を持つ男に対して、ベルは素手。加えて防具もない。
さっき買ったばかりの
だが、関係ない。ベルの五体もまた、男を殺傷出来るだけの威力を秘めている。彼にはそれが本能的に理解できていた。
「——待ちなさい」
いざ。いや、あわや殺し合いといったところで、予測もしていなかった声が二人を押し留め……たかに見えたが。
「グフゥオァッ!?!?」
「あっ」
一瞬遅かったというべきか、一瞬速かったというべきか。
男の方は静止に従ったのだが、ベルの方は止まらなかった。既に放たれていた右のダッシュストレートは、男の顔面を強かに打ち付ける。
男の頭蓋骨は一瞬のうちに歪み、彼の身体は宙を舞い、綺麗なサマーソルトを描いた。
一回転、二回転……まではいかず、一回転半で後頭部から地面に着地し、無様な格好で男は転がっている。
「「…………」」
ベルも。そして呼び止めた人物その人であり、『豊穣の女主人』の店員でもあるリューも、何も言えなかった。なお、男は完全に気を失い、白目を向いていた。
幸い息はあるようだ。人身事故のような衝撃的なシーンの割には傷も浅い。これが最後では、幾ら何でも惨すぎる。
「そ、その……すみません、クラネルさん。こんなつもりでは……」
「えっ!? あっ、いやっ!? リューさんは悪くないですよ、元々僕やるつもりでしたし!?」
とはいえ、ここまで酷い結果にはならなかったろうが。
「……えっと。とりあえず」
「……はい、そうですね。彼の名誉のためにも」
ベルとリューは揃って男の身体を動かし、段差に躓いた風な格好に変えると、剣だけは拾って鞘に直してやった。
「上手く記憶が飛んでるといいんですけど……」
「彼も、こんな思い出は欲しくないでしょう。上手く脳内で自己防衛を図ってくれることを祈る他ありません」
二人も、その出来事は忘れてあげることにした。
*****
「聞いてくれよ、ミアハ! ベル君が……ベル君が……今日女の子と腕を組んで歩いてたんだっ!!」
「うむ……。まあ、ベルも年頃だからな」
場末の安酒場に、今日もヘスティアの声が響く。
神らしからぬ……いや、ある意味では実に神らしい奇行も、周りも好き勝手に騒ぐばかりで聞いてはおらず、女神の心の叫びは易々と喧騒に飲み込まれた。
「これは浮気だ、そうだろミアハ!?」
「そなたとベルが恋仲ならば、浮気であったろうな」
……などという会話があったのは昨日の晩のことで、当の
今は二日酔いに悩まされながら、床に正座している。
それは何故か。
「神様」
「……はい」
「お小遣い、先日渡したばかりですよね?」
愛する眷属。昨晩の愚痴の種でもあったベル・クラネル直々の指示であったからだ。
「神様」
「……ごめんなさい」
要するに、お説教である。最近のベルの
「神様。神様に僕が渡している金額は、以前に比べてどうですか?」
「……はい、とっても増えてます」
「具体的には?」
「……ば、倍と少し」
「三倍弱ですよね?」
「……そうです」
だというのに。
「昨日、ミアハ様とお酒を飲んだ時……神様、代金を奢ってもらったとか」
「ギクッ!?」
「僕の方で代金は払わせてもらいました。ミアハ様はいいとおっしゃってましたけど、お金のことですからね」
神が眷属に叱責を受けるのは特段珍しいことでもないのをヘスティアも知っていたが、まさか自分もそうなるとは思ってもいなかった。などと余計なことを考えていたら、ベルの目が一層厳しくなったような気がしてヘスティアは再び気を引き締めた。
「神様」
「はい」
「これは来月分の前借りですからね、もう次はありませんよ」
「べ、ベル君……!」
そう言って幾らかのヴァリスを渡してくれる辺り、ベルは優しい方だろう。
なにせこれは食費等の生活費とは完全に別で、ベルの方も月々いくらと決めて使用しているのだ。無いなら無いで済むものをわざわざ渡してくれるのだから有り難い。
「いいですか、次はありませんからね?」
とはいえ、何度言い含められても約束は出来ない自堕落なヘスティアであった。
(それに、ベル君にこうして叱られるシチュエーションも——美味しいっ!)
きっと彼女の神友達がこの場に居たならば、酷く呆れられていたことだろう。
*****
「サポーター、ですか?」
「うん。ベル君さえ良ければだけどね。雇ってみたらどうかな?」
新しい装備に身を包むベルにエイナが与えたアドバイスは、ソロであった彼には今まで考えつかなかったことだった。
「今のベル君なら、サポーターがいるだけでかなり冒険が捗ると思うの。実入りは間違いなく増えるわね。……といっても、あくまでベル君次第だし、信用できる人ばかりでもないんだけどね」
その気があるなら、バベルの周りにでも行けばサポーターとして名乗りをあげる人が幾らか居るはずだとエイナは言ったのだが。
「お兄さん、サポーターをお探しですか?」
本当に居た。しかも、子供ながら可愛い女の子だ。
ベルの鼻の下が一瞬緩んだ。どうせ雇うなら女の子の方がいい、と。
「う、うん、実はそうなんだ」
「やっぱりっ!」
どうやら、ベルがこの辺りでウロチョロキョロキョロしていたのを見て、そう判断したらしい。バックパックを背負い、体格のしっかりした彼の姿は、たしかにソロの冒険者そのものだ。
一も二もなく、というほどでも無かったが、名前やファミリアといった簡単な素性を聞いた後、特に疑うこともなくベルは彼女を雇ってしまった。
「では、契約完了ですね、ベル様」
リリルカ・アーデ……リリと名乗った
*****
逃げ出す直前、確かに耳にした言葉がある。
並外れて大きかったわけでもなく、そもそも自分に向けて放たれたわけでもないそれが、何故だか強く耳を打ち、心に響いた。
——テメェに関係ねえだろ!! それともテメェも仲間なのかっ、ああ!?
——初対面です! けど、目の前で人が殺されそうなら、とりあえず止めるのが普通です!
——んだとっ……! このっ、偽善野郎がっ!! ふざけてんのか!?」
——こっちの台詞です、僕は間違ってないっ!!
綺麗事だ。即座にそう思ってしまった自分が嫌になった。しかし、それ以上に……暗い想いが、黒い怒りが込み上げてきた。
自分の何処にこんな強く激しい感情があったのかと、不思議に思えるほどで、頭の中がそれで一杯になってしまった。
(本当に。なんてお人好し)
きっと、美点なのだろう。
人間として素晴らしい素質なのだろう。
褒められて然るべきものなのだろう。
——しかしそれも、程度を過ぎれば虫酸が走る。
そう思ってしまうのは、実際には彼のせいではなく、自分のせい。自分の心の持ちようのせいなのだと、彼女自身理解していた。どうしようもない八つ当たりでしかなく、逆恨みにしても酷すぎるというのを、彼女はしっかりと理解していた。
……それでも、感情と理屈は必ずしもイコールにはならない。
いったいどれだけの目に遭わせれば、あのお人好しの仮面を剥ぎ取れるのか。駆け出しの冒険者の稼ぎなどさして当てにはしていない……それが知りたいばかりに、声をかけたのだ。
本来の目的も忘れて、ただただ私情。ただただ私怨のためだけに。
(私に見せてください、ベル様。——あなたの崩れるところを)
リリルカ・アーデは、微笑んだ。