「なあティル……どうしてそんなに怒ってるんだよ」
仕事が終わってから意を決して、俺は彼女にそう問いかけた。歯に衣着せぬ物言いであることは自覚しているが、これ以外にいい言葉のかけ方が思い浮かばなかった。
「私は怒ってなどいない」
予想通り、彼女はつっけんどんな態度とともに否定してきたが、俺はもう引き下がらない。この仲違いに決着をつけるため、俺の想いに決着をつけるため、最後まで行ってやる。結果がどうであれ受け止める覚悟も決めてある。
「じゃあなんで今日はちっとも口を聞いてくれないのさ」
「……それは」
「女々しいかもしれないけどよ、寂しいんだよ。お前とこのまま喧嘩したままだってのは嫌だ。やっぱお前とは仲良くしてたいし、その……あぁ!ええい!つまりだなぁ!」
一度区切って、俺が最も彼女に告げたかった
「色々と言いたいことはあったが忘れちまったから全部端折るけどよ、お前のことが!ずぅっと!好きなんだ!だから喧嘩してるのは嫌なんだよっ!!」
「……!今この場でジョークを「ジョークなんかじゃねぇよ!大真面目だよ俺はよ!」……っ」
一度爆発し、決壊した俺の感情はとどまることを知らずに、彼女に今まで告げたくても告げられなかった想いを次々と吐露していく。
「あぁそうだとも!惚れてるんだよお前によ!出会ったときから俺はお前に溺れているんだよ一目惚れしちまったんだよ!白くて艶がある髪が好きだ、サファイアをはめ込んだような綺麗な眼が好きだ、小さく整った鼻も真一文字に結ばれた唇も!最近豊かになって来たその表情も!全部が、全部!好きなんだよ大好きなんだよもう無茶苦茶に愛してるんだよ!!」
「しき……かん」
もうどうにでもなれ。俺が言いたいことは全て言い尽くした。このまま引かれても嫌われても構わない。
「……私も、貴方のことが……好きだ。今まで恥ずかしくて、この想いを伝えられずにいたんだ。私が昨日から貴方に怒っていたのは、惨めな嫉妬心からだった。演習をしているとき、私が活躍しているときに見てくれなかったことが、隣であの女と話していたことが、たまらなく嫌で、寂しかったんだ」
「……ティル……!」
「……こんな冷たい女で、いいのか?」
「……ああ、月並みな台詞だが、お前以外いないっての」
「私は不愛想で、全然笑わないぞ?」
「それ含めて惚れてんだって」
「もう、この想いを、愛しているという想いを、隠さなくてもいいんだな?」
彼女の目尻には、小さな雫があった。
「当たり前だっての。俺だって隠したくはないし、もっとお前に伝えたい」
「なら私がジョークではなく、貴方の言葉を真実だととらえているうちに、しっかりと想いを伝えて……くれるか?」
「……ああ。その代わり、どんな伝え方でも後悔するなよ?」
「ああ、約束しよう」
俺はポケットの中から小箱を取り出して、跪き、箱のふたを開けて彼女に差し出す。さて、これが最初で、最後の想いを伝えるための言葉だ。
「
「
「……はは、我ながらストレートで気障ったらしかったな」
「いや……嬉しいよ、指揮官……」
「そりゃ、よかった。……手を出してくれ」
「……ああ」
彼女の左手の薬指に、そっと指輪をはめる。
「これからもよろしくな、ティル」
「ああっ……!」
斜陽は、執務室に2つの重なり合った影を作り出していた。
X X X
「あ、それと、さ」
「ふふ……なんだ、指揮官」
指輪を渡してから十と数分、俺とティルは暫く抱き合っていた。そして今ティルが笑った。すごく可愛い。あぁもう大好きだ。俺のカスみたいな語彙力じゃ言い表せっこないほど可愛い。……あの時のためにドイツ語を少しだけ齧ってたことは、墓場まで持っていくことにしよう。
閑話休題。本来彼女に渡す予定だったものを今このタイミングで渡すのはいかがなものかと思ったが、このまま抱き合っていたらよからぬことが起きてしまうことは確実であろう。それを防止することも含めた上で今のタイミングに渡すことにする。
「お前から貰ったチョコレートのお返し、まだだったろ?だから今渡したいんだ」
「……まだ、指揮官とこうしていたい」
あぁ畜生俺だってそうしていたいけれども……そろそろ、俺の下半身が危ないのだ。
「受け取ってくれたらまた後でしっかりと埋め合わせをするよ」
「……分かった」
そう言って彼女は渋々と俺の体から離れていく。クソ、名残惜しいってもんじゃないが……もう彼女と俺はその、つまり仮初のものとはいえ夫婦なのだ、今後もこうする機会がある訳で……今のところは俺も我慢することにする。
机の引き出しから暫く眠っていたチョコレートを、彼女に差し出す。
「まぁ、つまらんもんだけど受け取ってくれ」
「ありがとう、指揮官」
「っ……おう、俺もお前から貰ったしな」
あぁもう笑った顔がすごく可愛いなぁ本当に……。花が咲いたように笑うという文学的表現があるが、彼女の笑みはその表現が良く似合うほど美しく、可愛らしいものであった。
……そうだ、チョコレートがあるなら丁度いい。今のこの雰囲気もあることだ、酒の席に誘ってみよう。
「なぁ、丁度そいつがあることだしよ、一緒に呑まないか?」
「……その、私は酒癖がどうやら悪いらしくてな。自分でも酔っていた時のことがあまり思い出せないんだ」
「いいっていいって、俺は気にしないし。その、お前のどんなとこでも愛せるから、さ」
「……そんな陳腐な口説き文句で……いや、それで喜んでしまっている私も大概だな。その、私も貴方と酒を飲み交わしたかったからな、今日は貴方に乗せられることにしよう」
「ティルッ!」
「ひゃっ!」
つい、感極まって彼女を抱きしめてしまった。ずうっと誘い続けてはや4ヶ月、念願の夢がついにかなったのだ、それも2つも同時に。彼女を抱きしめてしまうのは仕方がないだろう。……と、適当な理由をこじつけて彼女との抱擁を交わしたいだけなのだが。
それから数分間抱き合ってから、俺は……いや、俺たちは帰ることにした。
外の桜には、1輪の花が咲いていた。
X X X
母港に隣接された自宅にて。俺とティルは現在リビングのソファでぴたりとくっついて、隣り合わせで座っていた。
……なんというか、告白の時の比ではないが、緊張する。好きな人を部屋に招くことは愚か、母親を除き女性を部屋に入れたことがないから当然と言えば当然なのだが……酒が絡むこともあって、意識をしてしまうものはあるというか。
「やっとこいつを開ける時が来たなぁ」
そんな煩悩を振り払うべく、彼女に話題を振ることにした。
「もしかしてその酒、貴方が私を初めて誘ったときに言っていた……」
「ご名答」
あの時から、この酒は目の前の女性と呑みたいと思っていてとっておいた。数か月の間、リビングの冷蔵庫の肥やしになっていたがようやく開ける日が来た。俺自身酒には明るくないが、友人曰く「滅多に飲めない」とのことだったので、少なくとも市販のものよりかはいい銘柄なのだろう。
「んじゃ、その……結婚祝いっつーことで、乾杯」
「乾杯」
カン、と黄金色の液体が入ったジョッキが鈍くも澄んだ心地よい音を鳴らした。その音色は少しだけ気の早い祝福の鐘のように思えた。
ビールの苦みを舌先で普段よりもゆっくりと味わって喉に流し込む。上品な苦みとアルコールが体を焦がす心地よさ、確かな喉越し……成程、確かにこれは美酒と呼ぶに相応しいものだ。普段飲んでいる缶ビールとは比べ物にならない美味さだ。
「っふぅ……美味いな」
「ああ……私もこんなに美味い酒を飲んだのは初めてかもしれない」
「とっておいた甲斐があったな」
少なくとも、彼女の微笑みと温もりは4ヶ月分以上の価値はあるだろう。
それからはチョコレートを肴にビールっぽくはない、ちまちまとした呑み方をしていた。……が、十と数分後、ティルに異変が起き始める。
「ん……指揮官……ふふ」
「っティル?もう酔ったのか?」
彼女の微かに上気した頬やとろんとした目元を見るに、恐らく酔っているのだろう。こうしてくっついてしなだれかかってきたのが何よりの証拠だろう。
「私は、酒があまり得意ではないんだ……」
そう言った矢先、彼女が俺の肩に頬ずりをし始めた。精神的に喜ばしいことだが、精神衛生上大変よろしくない。先ほど口の中に放り込んだチョコレートのように、俺の理性がゆっくりと溶かされていっているのが分かる。
「っああ、それは聞いたけどさ……」
「ん……あたたかいな……」
「こ、この頃はそうだな、春だもんな、うん」
彼女が出す声と態度の色香に当てられて思わず声が上擦ってしまった。
「あなたも、あたたかいか?」
「あ、ああ、あったかいよ」
あったまりすぎて少し汗をかいてきてしまった。
「そうか……うれしいな。でも、もっとあたたまりたい……指揮官、肩を抱いてくれないか?」
「あー、その……だな」
「……だめか?」
「オーケー、何の問題もないよ」
あぁくそう、ただでさえ理性の限界が近いというのになんてことをしてくれるんだ。これ以上接触をしたら本格的にまずいことになる。我慢するのは楽じゃないというのに、彼女はその
「ふふ……ぎゅー、だ」
待て、待て食いしばれ俺よ。ああ確かに今すぐに押し倒してしまっても彼女は受け入れてくれる可能性はあるがまだもう少し段階というものをふんでもいいのではないだろうかいや確かにこの普段は絶対に見せない甘えた姿やその言動態度は正当な理由になりうるかもしれないが一寸待て俺よあぁダメだ待て待てくっつくな笑うな胸を押し付けるなティルやめろもうもちそうにないからほんとうにやめてくださいちょっとまずいまずいまずい
「もっと、あったかくなろう?」
溶けてなくなった。
俺は彼女のあごに手をやり、強引に接吻をし、舌を絡める。彼女の鼻息、響く淫猥な水音。もう俺を引き留めるものは何一つ残っていないどころか、その行為を助長するものばかりであった。
「ティル……!」
「しき、かん」
彼女をソファに押し倒す。乱れた髪、上気した頬、垂れた目尻、開いた口。ベッドに運ぶ余裕と思考判断力は、俺の中にはもう残ってはいなかった。
「……もう、後悔しても遅いぞ」
「うん……あなただもの、後悔なんてしないわ」
花弁は赤かった、とだけ言っておこう。
今までこんな駄文に付き合って下さり、本当にありがとうございました。もしよろしければ感想、評価を頂けると幸いです。