秋山殿のキャラが掴めねぇ……でも好き。
戦車道の陰の功労者、それが装填手。
カルパッチョとカエサルの戦いは大好きです
神栖渡里という人は、とても不思議な人である。
優花里の中の印象は、それに尽きる。
まず男性でありながら、戦車道の講師をしていること。
いつぞやの蝶野亜美がそうであるように、指導者の存在自体は何も珍しいことではない。ただそこに、『男性の』という言葉がつけられることは滅多にない。
戦車道は女性の競技。選手も、審判も、競技に関わる者全員が女性であり、そこに男性の姿はない。あるとすればそれは、精々が運営や整備士くらい。男性指導者なんて、それこそツチノコレベルの希少性だろうし、実際優花里は何年も戦車道の情報を集めてきたが、一度も目にしたことが無かった。
そんな空想上の生き物みたいな人を、講師として大洗女子学園に招聘したという生徒会は、一体どこでこの人のことを知ったのだろうか。
優花里も神栖渡里と出会ってから、あれやこれやと手を尽くして調べてみたのだが、出てきた情報はたった一つだけ。しかもその一つも信憑性が低いものとなれば、いよいよ神栖渡里の存在は霧に包まれていく。
その辺りの事も、不思議といえば不思議である。
そんな実績も経歴もある意味ゼロな神栖渡里だが、指導者としての腕は確かだと思う。
一見変な練習を優花里たちにやらせているようだが、ちゃんと理に適っているし、いくつもの意味が込められている。無駄なことが、一つもないのだ。
戦車道を教える者として、ちゃんと独自の理論を持っているということなのだろう。
そしておそらく、その理論を獲得するために費やした時間と努力は、並大抵じゃない
とくに凄いと思うのは、知識量。何を聞いても、答えがちゃんと返ってくる。戦車のスペック、歴史、戦術など、戦車道に関係あることで知らないことはないようにすら思えてくる。
それがきっと、あの理路整然とした話し方に繋がっているのだろう。知識を披露するだけじゃなく、ちゃんと分かりやすく翻訳されているのがすごい。
ただ、そうやって感心するたびに、優花里は思うことがある。
この人は、今までどれほど苦労してきたのだろうか。
男性は、戦車道に参加できない。この先いくら神栖渡里が努力を重ねようとも、それを発揮する場所はない。そしてそれは、競技に参加しない指導者でも同じだ。
日本の男子プロサッカーチームに女性の監督はいない。例えどれだけ優れた理論を、豊富な知識を、監督としての手腕を持っていたとしても、
だから戦車道の世界にも、男性指導者はいない。
高校にも、実業団にも、日本のどこを探しても。
そんな逆風にも負けず、神栖渡里はこの大洗女子学園まで流れ着いた。
全員素人、たった一人の例外は身内という、夢のような環境で教導に当たるあの人は、いつもどこか楽し気で。
そんな姿を見るたびに、優花里は思ってしまう。
きっと、並大抵の道じゃなかったはずだ。辛く、険しい道を、ボロボロになりながら進んできたに違いない、と。
神栖渡里は、何にも言わない。自分の過去は、頑なに語ろうとしない。
だから優花里は、訊くことができない。
今まで、大変じゃなかったんですか?と、そんな簡単な質問さえできない。
「装填はとにかく速さと正確さだ。速ければ速いほど、正確であればあるほど攻撃回数は増える。これは勝敗を分ける重要な要素でもある」
だから優花里は、神栖渡里の一言一句に、真剣に耳を傾ける。
一文も、一文字も聞き逃さないように。
それがきっと、神栖渡里に対するせめてもの、敬意だと思うから。
「砲手の腕がどれだけ良くても、撃ちたいと思った時に弾が込められてなかったら意味がない。戦車戦は砲手なくして成り立たないが、砲手は装填手がいないと力を発揮できない。砲手が攻撃の要なら、装填手は攻撃の生命線だ。装填するだけとは言うが、他のどのポジションにも負けないくらい重要なポジションだと思った方がいい」
戦車を格納している倉庫の中、装填手たちと神栖渡里が一堂に会していた。
今日は役職ごとに分かれて行う練習の初日。身体が一つしかない神栖渡里が装填手たちの元へ来るまで30分ほどの時間を要したが、いざ始まるとなるとトントン拍子に進んでいくのはひとえに神栖渡里の手際の良さだろうか。
優花里は神栖渡里の言葉を、手元にあるメモ帳に書き込んでいく。それは、何か目に見える形で残した方が絶対にいい、というある種の直感が働いた結果だったが、それは正しかった。
装填手に関する知識には優花里も自信がある。だから神栖渡里の言うことがすんなり入ってくるし、感覚としては自分の知識の答え合わせをしているのに近い。
ただそれでも、神栖渡里の言うことには優花里が知らない理論があり、それを知ることができるというだけでメモを取る価値はあった。
曰く、装填手の役目とは砲手への献身である。神栖渡里の説明はこれから始まった。
装填手の良し悪しを分けるものは、それがどれだけできるかに尽きる。
弾を装填する。それは当たり前のこと。それが装填手唯一の仕事だから。
なら、どんな風に弾を装填するか。それを考えなければならない。
砲手が望む時に、必ず弾を装填する。
相手に撃たれる前に撃てるよう、速く。
一度も失敗しない機械の如く、正確に。
それができれば、装填手として半人前になれると、笑みを浮かべながら彼は言った。
「要するに、ちゃんとしないと他の奴らの足を引っ張ることになるわけだ。それは嫌だろ?」
一同は頷いた。誰だって、足手まといは嫌だ。
優花里だって、西住みほの、あんこうチームの足を引っ張ることだけは絶対にしたくない。
神栖渡里も満足そうに頷いた。
「じゃあ早速始めるか。まずは基本となる装填フォームの矯正からだ」
すると神栖渡里は、すぐ近くに積んであった四号戦車の徹甲弾を片手で持ち上げた。
その姿に優花里は少なからず驚いた。あれ、一応七キロ弱あるんですけど。
ペン回しみたいにくるくる回せるほど軽いものではないはずなのだが、あの人細そうに見えて結構力持ちなのだろうか。
「砲弾ってのは基本的に重い。コイツが6.8キロ、三突とM3リーもほとんど同じくらい。砲性能が弱い八九式でも、弾は2.5キロある……38tのは軽いけどな」
スラスラと数字が出てくるのが、神栖渡里の凄いところである。優花里は四号戦車に積まれているエンジンの名前と出力と最高速度くらいは言えるが、弾の重さはちょっと分からない。口径なら言えるが。
「装填手ってのはこれを、一試合で何十回と持ち上げないといけない。当然だが、めっちゃ疲れる。五キロの米俵担いでスクワットするようなもんだからな。最初こそいいが、後半になればなるほど腕が悲鳴を上げて、パフォーマンスが落ちてくる」
優花里には痛い言葉だった。思い出されるのは、聖グロとの練習試合、その最後の一幕。あの時点で優花里は、腕が僅かに痺れ始めていた。試合展開が短期決戦だったから良かったものの、持久戦・長期戦になっていたら最後まで装填できていたかどうか……
「これは仕方ないことでもあるんだ。屈強な男性軍人がやってたことを、女子の細腕で同じようにやれったってできるわけがないからな」
遺伝子的に、と神栖渡里は言葉を付け足した。
不意に、優花里の頭に反論の言葉が思い浮かんだ。
一瞬逡巡した優花里は、しかしその矢を放った。
「ですが神栖殿、戦車道の選手たちは男性と遜色ない速度で弾を装填していると思います。神栖殿の言う通りなら、女性の方が装填は遅いはず、ですよね……?」
「お、良い所に気が付くな」
神栖渡里は嬉しそうな表情になった。
「秋山の言う通り、かつての男性軍人装填手と、戦車道の女性装填手の装填速度にはほとんど差がない。腕力の差があるのに、だ。どうしてだと思う?」
視線が優花里に刺さる。その問いに対する答えを、優花里は持っていなかった。
「その理由が、装填のフォームだ。腕だけじゃなく、身体全体を使って弾を装填する。そうすることで疲労を軽減し、なおかつ装填の速度を上げる。女性戦車乗り達は、足りない腕力を補うために、そういう効率的なフォームを持ってるんだ」
装填は腕力だけでやるものじゃない。
神栖渡里はそう言った。
とにかく筋力をつけることが、装填技術の上達に繋がると思っていた優花里にとっては、目から鱗の話だった。装填手がどんな風に装填しているかなんて外からは見えないし、映像として出回ることもない。だからこそ気づかなかった。戦車道の関する知識の深度、その差というべきだろうか。
「まずはこれを身に着ける。筋力トレーニングはその後だな」
「後?同時並行ではダメなのでしょうか?」
今日もトレードマークである赤いマフラーを身に着けたカエサルが、ある意味当然の質問を投げかけた。とにかく効率的な練習をする神栖渡里には珍しい、単一的な練習である。
「フォームさえ身に着けば筋力が足りなくても多少装填はできる。そこから適切な場所に筋力をつけていく方が効率良いと思うんだよな。極論、装填の動作を延々とやってれば、装填に必要な筋肉だけが養われていくわけだし」
腕立て伏せをやり続ければ、より多くの回数こなせるように。
マラソンを続ければ、より長い距離を走れるように。
装填を続ければ、より速く装填ができるようになる。
神栖渡里の筋トレの考え方は、どこに筋肉がつくかというより、その結果何ができるようになるか、というところに焦点が置かれている。
「あんまり無駄なところに筋肉をつけさせるのはなぁ……ムキムキになりたい?やろうと思えば片手で弾ぶん回せるくらいの力自慢にはしてやれるけど。そしたらフォームなんて関係なくなるぞ」
それはもう半分くらいゴリラですよね。
よせばいいのに未来の姿を想像して、一同は顔を青くして首を横に振った。
「そ。んじゃしっかりとフォームを固めてもらおうかな」
そう言って神栖渡里は持っていた弾を降ろすと、よいしょと何やら取り出した。
それが三脚であると一瞬で見抜いたのは、きっと優花里だけだった。
「渡里せんせー、それなんですかー?」
「カメラだよ、宇津木。これでお前達のフォームを記録して、客観的に見れるようにするんだ。本当は鏡を使ってやるんだが……まぁそんな大きいのはなかったから」
五つの三脚に、五台のカメラが手際よくセットされる。
そして無機質なレンズが、こちらへと向けられた。
「よし、それじゃやろうか」
神栖渡里は、にっこりと笑った。
その表情からは考えられないくらい、厳しい言葉を付け加えて。
「言い忘れてたけど、本来なら二か月かかる練習を半分以下の時間でやるから。油断してると明日以降まともに動けなくなるぞ」
それ、最初に言うべきことでは。
装填手たちの思いは一致した。
○
秋山優花里です!
突然ですが、今日から日記をつけてみようと思います。
なぜかというと、昨日の夜に西住殿がやっていたからです!……まぁ、厳密に言うと違うんですけど。
布団の上で何やら書いていたところを気になって聞いてみたのですが、どうやら西住殿がやっていたのは『練習の振り返り』だそうです。
車長は神栖殿から何の指示も受けておらず、また西住殿は兼職もしてないので、役職ごとに分かれてやる練習(こっそり役練なんて略されています)の時はずっと他の人の練習を見ているのですが、その時に感じたことや思ったことを記録しているそうです!
「お兄ちゃんが何を考えてるか分かるかもしれないし」と言ってましたが、練習が終わって疲れているところにそんなことまでやっているなんて、やっぱり西住殿はすごいです!
なので私も、いつまで続くか分かりませんが日記という形で合宿を記録してみようかと思います。後々役に立つかもしれませんしね。
合宿が始まってから二週間が経過しました。神栖殿の予定で言うと、全日程の約四分の一が過ぎたところでしょうか。
開幕当初は皆息も絶え絶え(私もですけど)という感じだったのですが、二週間もすると身体が慣れてきたのか、結構余裕があるように見えます。実際この日記を書いてる周りでは、結構みなさん騒がしく談笑しています。ちょっと前までは熟睡してたんですけどね。
持ち込んだはいいものの、やる元気がなくて放置されていたトランプなどの遊び道具も、最近は出番が多いです。特にウサギさんチームがよく遊んでます。今日もやってます。
トランプではないですが、カバさんチームは四人でボードゲームのようなものをよくしています。何なのか気になって少し覗きに行ったのですが、よく分かりませんでした。あ、でも今度教えてくれるそうなので楽しみです!今日は各自で持ち寄った歴史書を片手に、熱い議論を交わしています。
アヒルさんチームの人たちは宿泊所にいなかったりすることがあるので、バレーボールをしているのかと思いましたが、どうやらそういう時は神栖殿のところに行っているようです。流石に体力を使うようなことはしないですよね……と思っていたのですが、やっぱり時々バレーボールをしているそうです。体育会系の体力は凄いですね!負けていられません!
カメさんチームの人も宿泊所にいないことが結構ありますが、何をしているかは謎です。ただ今日は、神栖殿が設置したテレビを仲良く三人で見ています。番組は『アンコウ鍋の美味しい作り方』……生徒会長が真剣にメモを取っています。結構料理好きなのでしょうか?
とまぁこんな感じで、合宿当初が嘘のように、宿泊所は活気に溢れています。
あ、私たちあんこうチームは何をしているかといいますと、結構バラバラです。
武部殿はよく自宅から持ってきた少女漫画やブライダルの雑誌を読んでいます。部屋の端っこの方に結構積んであって、意外とみなさん借りて読んだりしてます。私も少し読ませてもらいました!後は武部殿の恋愛テクニックを知りたいというウサギさんチームに、講義してたりします。私は聞いたことありませんが、凄く好評だそうです。冷泉殿は、何故か呆れていましたが。
そんな冷泉殿は、基本的にお布団から出てきません。ずっと横になって、本を読んでいます。武部殿から借りたものじゃなく、私物だそうです。これまでに何冊か見ましたが、全部ジャンルがバラバラでした。曰く、雑食だとか。冷泉殿が学年トップの学力を誇る理由が、少し分かりました。私も戦車道関連の本ばかり読まないで、もっと色々読んだ方がいいのかもしれません!
五十鈴殿は練習が終わって夕飯を食べると、姿が見えなくなります。どこで何をしているのかは分かりませんが、ちゃんと帰ってはきます。ただ気になるのは、日に日に五十鈴殿が疲れていってるというか、元気がなくなっていることです。みんなは元気になっていくのに、五十鈴殿だけが真逆です。心配になって聞いてみたのですが、「居残りで練習しているんです」としか教えてくれませんでした……疲労がどんどん溜まっているようなので、少し休んでほしいのですが、五十鈴殿は「大丈夫です」と笑うばかりです。本当に、大丈夫でしょうか?
西住殿も心配してアレコレと話しかけていたのですが、最近は寧ろ「華さんなら大丈夫だよ」と言うようになりました。何やら五十鈴殿について、神栖殿と話したようです。いったいどんなことを話したのかはわかりませんが、今私たちが五十鈴殿にしてあげられることはないようです……信じて待つしかない、と言われましたが、少し悲しいです。
ちょっと暗くなってしまいました。気分を変えて今日一日の練習を振り返ろうと思います!
まずは朝練ですね!私たちが「ボール回し」と呼んでいる練習ですが、最近レベルが上がりました。合宿当初は五、あるいは六人一チームで、鬼役を一人という形でやっていたのですが、今は七人、あるいは八人一チームで、鬼役を二人にしています。あ、それとボールも二つに増えました。
そこそこ上手くできるようになってきた私たちを見て、神栖殿が「そろそろいけるだろ」と難易度を本来のものに戻したというわけなんですが……正直今までとは比べ物にならないくらい難しいです。今までの形だと結構余裕があったのですが、どうやらそれは慢心だったようです……鬼役が二人に増えたことで、パスをする相手はより慎重に選ばなくてはダメになりましたし、それに加えてボールが二つになったことで全体のスピードが上がりました。パスしてもすぐにもう一つのボールが来てしまうんですよね……考える時間がないからパスがむちゃくちゃになってしまって失敗してしまう、というのが現状です。
ほんとに難しいです……
みなさんそんな感じで苦戦しているのですが、今一番上手くできているのは西住殿と、少し意外ですがアヒルさんチームの磯部殿です!
西住殿は分かりますけど、磯部殿も凄いですよね。少し話を聞いてみたのですが、バレーボールのセットアップと感覚が似てると言ってました。バレーボール部時代の動きが、戦車道に活きている、ということでしょうか?
神栖殿は「コツさえ掴んだらすぐできる」と言ってましたが、どうやらお二人はそのコツを掴んでいるようです。ただそれを聞いても、お二人とも上手く言葉にできていない感じで……やっぱり感覚的なものなんでしょうか?
西住殿は「お兄ちゃんならちゃんと言葉にできる」と言ってましたが、神栖殿はその辺りのことは一切教えてくれません。「自分で考えること」、ですね。
とにかく今は頑張るしかありません!
ボール回しが終わった後は、戦車を動かします。走行訓練と、砲撃訓練を軽く行う感じです。
しかしそこは神栖殿、当然普通にはやりません!
なんと、チームのメンバーをバラバラにして、別々の戦車に乗せるんです!
例えば私たちあんこうチームは、西住殿が八九式に乗り、五十鈴殿は三号突撃砲、武部殿はM3リー、冷泉殿は38tといった具合に分かれます。私はそのまま四号に乗ってたんですけど、日によってどの戦車に乗るかは変わってきます。神栖殿がその日の気分で誰がどれに乗るかを決めているらしいです。
ちなみにあんこうチームだけじゃなく、他のチームも同じように分けられています。
なので毎回メンバーが変わり、今日はカバさんチームのおりょう殿、アヒルさんチームの佐々木殿、カメさんチームの会長殿、ウサギさんチームの澤殿と一緒に四号を動かしました!
変わった練習ですけど、なんというか、凄く新鮮な気分になりますよね!今まで話したことがない人と接する機会でもありますし、話している内に色々発見することも多いです。
例えば、佐々木殿の砲撃はタイミングこそ遅いものの、その分凄く正確だとか、会長殿はのんびりしてますけど通信で全体の意思疎通を図るのが上手だとか。
あ、戦車道の話ばかりだけじゃなく、プライベートの話もしますよ。おりょう殿は軍鶏がお好きで、澤殿はよくミネラルウォーターを飲んでいることとか。
他愛のない話ですけど、なんだか仲良くなれた気がしてとても嬉しいです。もしかして神栖殿は、それが目的だったのでしょうか……?
朝練が終わると、戦車を綺麗にします。といっても、いつかの日みたいにホースで水を撒きながらじゃなく、濡れ雑巾で磨いて汚れを落とすだけです。流石に時間がありませんから。あ、でも夜にはブラシなんかを使ってピカピカにしますよ!大事な戦車ですから!
それから授業が始まるまでは自由行動です。
みなさん体力に余裕ができてきたのか、当初のように慌てて教室に向かうことはありません。ただ私だけかもしれませんが、それはそれとして授業中はとても眠たいです。今日も思わず数学の授業で寝てしまいました……このままだと次のテストが大変なことになるかもしれません。西住殿が「お兄ちゃん赤点取ったら戦車道させてくれないよ、多分」と言ってましたし、ちゃんと集中して授業を受けないといけませんね!明日からは気を引き締めていきます!
授業が終わって放課後になると、また戦車道の練習です。
ちなみに大洗女子学園は戦車道を授業として行っているので、選択科目の授業がある日はずっと戦車道をやっている気分になります!すごく楽しいですね!
放課後に行う練習は、大別すると役練、走行訓練、砲撃訓練の三つになります。
日によって細かい内容は違いますけどね。
役練ではまだフォームの矯正を行っています。ただ二週間ひたすらやり続けた甲斐はあったようで、神栖殿によると「結構できてる」らしいです。
素直に嬉しいことですが、思えば辛い練習でした。
一連の動作、砲弾を掴み、持ち上げ、装填するといった流れを、とにかく声に出しながら行ったり、同じ姿勢を長時間キープしたり……簡単なことばかりではあるんですが、中身が凝縮されているというか、密度が高いというか。神栖殿は「かかる時間を半分にしてるんだから、そりゃ他の部分が倍になるよ」と言ってましたが……普段は優しそうな感じなのに、戦車道となると途端に厳しくなるんですよね。
でも神栖殿の言うことは、いつもなるほど、と思わされてしまいます。
装填手は弾を装填することが唯一にして最大の仕事。これができない内は、何をやってもきっと上手くいきません。
辛くしんどい練習も、自分のため、そしてチームのためです!
精いっぱい頑張ります!
役練が終わった後は、チームに分かれて走行訓練と砲撃訓練です。
朝練と違って、ちゃんといつものメンバーですよ。
走行訓練と砲撃訓練は、特に変わったことはしていません。本で読んだことがあるような、そんな普通の練習ばかりです。くさび形やV字形、横隊や縦隊といった基本的な陣形を組んで走行したり、『稜線は不用意に超えない』や『砂埃が立たない場所を走る』といったセオリーを踏まえて走行したり、そんな感じです。砲撃訓練も同じです。
神栖殿は変わった練習ばかりするので、少し意外ですよね。
というようなことを西住殿に言ったら、困ったように笑っていました。
日が暮れて夜になると、練習は終わりです。戦車を綺麗に掃除して、集合して、解散。
そこからは完全に自由行動です。
ちなみにこの間、神栖殿が何をしているのか気になったので聞いてみたところ、「戦車の整備」らしいです。
大洗女子の戦車は自動車部の皆さんが整備してくれているのは知っていましたが、神栖殿もそこに加わっているとは知りませんでした。でも神栖殿の知識量なら、整備くらいできてもおかしくはないですね。
ただそうなると、神栖殿はいったいいつ寝ているのかが気になります。今度聞いてみましょうか……?
読み返してみると、結構書いてしまいました。
簡単に一日を振り返るつもりが、なんだか説明口調になってますし……まぁ、日記ですしいいですよね!どうせならもっとそれっぽく書いてみるのもいいかもしれません!『筆録!秋山優花里の合宿体験記!』みたいな感じで!
それじゃあ、おやすみなさい!
○
秋山優花里が布団に潜りこんでから数時間後のことである。
優花里は不意に目を覚ました。
僅かな硬直の後、身体を起こして辺りを見渡す。
照明はスイッチを切られていて、カーテンが閉められた部屋は暗く、視界が悪い。
ただ自分の近くにいる人達がどんな状態かは分かる。
かけ布団を綺麗に被って、規則正しい呼吸を繰り返す人。
枕を胸に抱いて、何やら頬を緩ませる人。
優花里は傍に置いてあった時計を手に取り、今が所謂夜更かしに当たる時間帯であることを悟った。音を立てないように時計を置き、上半身を起こした姿勢をそのままにゆっくりと深呼吸する。
変に目が冴えた、というわけではない。トイレに行きたいわけでもない。
ただ、何故かはわからないが起きてしまった。今の優花里の状態は、そんな感じだった。
眠気は多少残っていて、もう一度横になれば十分もしない内に再び眠りにつきそうではある。だが、何もせずそのまま寝るのは、少し良くない気がした。
どうしたものか、と少しの思考の後。
とりあえず優花里は、水を一杯頂くことにした。
喉に若干の渇きを覚えていたこともあったし、何よりこの変にモヤっとした気分を変えたかった。極力音を立てないよう、潜入スパイになった気持ちで優花里は立ち上がり、宿泊所を出る。
廊下の明りはほとんど消えているが、窓から差す月明りで最低限の視界は確保できる。
目が悪い方ではない優花里にとっては、それだけで十分である。軽快な足取りで、優花里は食堂へと向かった。お化けとかそういう類のものは、優花里の足を止める要因にはならなかった。
食堂の明りも、廊下と同じく消えている。だが真っ暗というほどではないので、紙コップを一つ拝借してウォーターサーバーへと足を運ぶ。
こんな時間でもしっかりと役目を果たす働き者から水を一杯、感謝しながら頂く。
適度に冷やされた水が喉を通り、胃に到達すると、不思議とスッキリした気分になれた。
今なら快眠できる気がする。優花里は、先ほどのモヤモヤ気分が嘘だったかのように晴ればれとした気持ちで、暖かい布団に戻ることを決めた。
「―――――あれ?」
食堂を出て、少し歩いた時だった。
優花里は視界の端に、人影が映ったような気がしてそちらの方に目を向けた。
「神栖殿?」
夜に溶け込むような濃紺の髪、広い肩幅に高い身長。
おおよそ女子高では目にせず、見れば一目で分かるような特徴的な後ろ姿の持ち主がそこにいた。
スタスタと確かな足取りで歩いているから、神栖渡里によく似た幽霊ではない。
そもそも、作業着を着た幽霊なんて聞いたこともないけれど。
声をかけるべきだろうか、と優花里は逡巡した。
向こうはこっちに気づいてないから、別にそのまま見て見ぬ振りしたって構わないのだが、それはそれで気分がいいことではない。
しかし優花里は、武部などと違ってコミュニケーション能力に優れているわけではなかった。戦車道のことになれば誰よりも雄弁な口は、こういう日常的な場面になると途端に勢いを失ってしまう。
あんこうチームのように、一度仲良くなってしまえばそうでもないが……優花里にとって神栖渡里は、そんなにあんこうチームほど近い距離にいる人ではなかった。
だがお世話になっている人だし、尊敬する人の兄でもある。
一言、「おやすみなさい」くらいは言った方が……
そんな風にああだこうだと迷っていると、神栖渡里はさっさと歩き去ってしまう。
あっという間に姿は見えなくなり、声をかけるタイミングを完全に逃した優花里は、廊下に一人立ち尽くすしかなかった。
「……何をしていたのでしょうか?」
自分が言えたことではないが、こんな時間に歩き回っているのは少し妙である。普通の人は、みんな就寝している頃だというのに。
神栖渡里は旧用務員室で寝泊まりしているらしいが、神栖渡里が歩いていった方向は旧用務員室とは真反対。だから優花里のように何かで起きて、部屋に戻ろうとしているのではない。
「………」
しばしの思考の後、優花里は大胆にも神栖渡里の後を尾行することにした。
明日も朝練があるのだから早く寝ないといけないのは分かっているが、一度気になってしまったら、もう止まらないのが好奇心である。
何より神栖渡里の謎、というほどではないが生活の一部が垣間見える貴重なチャンスでもある。
極力音を立てないようにして、優花里はまるでスパイのような立ち振る舞いで神栖渡里の後を追った。
時に走り、時に跳び、時に転がり。
神栖渡里に気づかれないよう、あの手この手で行われた追跡は、やがて校舎を飛び出した。
そして幾度かの危機を乗り越え、辿り着いたのは、
「戦車の、格納庫……」
練習の始まりの場所にして、終わりの場所である戦車を格納している倉庫の前だった。
重厚な金属製のシャッタードアは固く閉ざされているように見えるが、隙間から漏れ出す淡い光が、ドアが施錠されていないことを示している。
優花里はそっとドアに近づいた。
すると中からは、金属同士がぶつかり合うような音や何かが軋む音が断続的に聞こえてくる。
一体何が行われているのか。
様子を更に伺おうと小さな隙間を覗こうとした、その時だった。
「コソコソするくらいなら堂々と入ってこい」
隙間がこじ開けられ、ドアが一気に開放された。
その拍子で体勢を崩した優花里は、大変無防備な姿でドアの開放者の前に晒されることになってしまった。
「覗きとは良い趣味だな、秋山」
「か、神栖先生……」
あわわ、と慌てる優花里の眼前に、その人は呆れたように立っていた
「何か用か?廊下からずーっとついてきてたけど」
「ば、バレてたんですか!?」
「バレてないと思ってたのか」
驚いたように目を見張る神栖渡里。優花里は頬が熱くなるのが自分で分かった。
気づいてたなら声をかけてくれればいいのに。
「そんで何?まさか尾行ごっこがしたくて来たのか?」
「ち、違います!お水を頂いた帰りに、神栖先生を見かけたので……その、何をしているのか気になって……」
「何って、見ての通りだよ」
指で示された先。
そこには優花里が毎日お世話になっている四号戦車の姿があった。
ただ普段通りの姿ではなく、部分的に装甲がバラされていて、中身が露出している所もあり、その周りには様々な工具が無造作に広がっている。
「戦車の、整備ですか?」
「んーまぁ似たようなもんかな」
そう言って神栖渡里は、四号戦車へと歩み寄っていった。
優花里は神栖渡里の右手にスパナが握られていることに、今更気づいた。
「こんな時間まで……」
自動車部と神栖渡里が大洗女子学園の戦車の整備を一手に引き受けているのは知っていたが、まさかこんな深夜まで行われているとは。
いや、ある意味当然かもしれない。普通戦車の整備なんて、一人でどうこうできるものではない。一つの車両に、一つの整備チームがつくのが普通。そうじゃなきゃ、整備が一日で終わらないし、だから他所の学校では戦車乗りと同じくらい整備士がいる。
四人(神栖渡里を含めれば五人だが)で五両の戦車を整備している大洗女子の方がおかしいのだ。それでなんとかできている所を含めて。
「自動車部の名誉のために言うが、整備自体は終わってるんだ」
クルクルとスパナを回し、神栖渡里は事も無げに言った。
「あいつらのスキルは半端じゃないからな。西住流の本家専属になってもやっていけるだろうよ」
「そ、そんなにですか……」
優花里は自身の考えが見当違いだったことを悟った。
人数不足から整備にかかる時間が増えていたのかと思ったが、どうやら大洗女子学園の整備士たちは普通に異常だったようである。
「じゃ、じゃあ神栖殿はなぜ……」
「戦車のセッティングを試してたんだよ。ちょうど四号(コイツ)で最後だ」
「セッティング!?しかも最後って……もしかして全部やってたんですか!?」
「うん」
優花里は目を剥いた。
セッティング。
それは所謂、戦車のカスタマイズ。
搭乗者の能力、あるいは戦場に合わせ、その時における最適な形へと戦車を変化させることで、戦闘力の向上を図るものである。
戦車道強豪校では、何百回とトライ&エラーを繰り返し、搭乗者にベストなセッティングを行っているというが、まさか大洗女子学園でもそれが行われているとは。
口で言うほど簡単なものではない。戦車の能力を調整するとは言うが、それに必要なのは膨大な知識と、確かな経験値。パラメータの変更によってどのように挙動が変化するか、それを理論と感性の両方で正しく把握していなければならない。
戦車道強豪校だって一両の戦車に複数人からなるチームで取り掛かっているのだ。それを一人で、それも五両まとめてやってしまえる神栖渡里に、優花里は驚くしかなかった。
「ど、どんな風にしたんですか!?」
気分が高揚しているのが、自分でも分かった。
自分の乗っている戦車が、いったいどのようにカスタマイズされたのか。根っからの戦車好きにして戦車道ファンの優花里にとって、それは何よりも自身を興奮させるものだった。
神栖渡里は四号戦車の装甲を撫でながら言う。
「四号はちょっと砲塔部分を弄った。主に五十鈴の能力に合わせるためだな」
「おお!」
「あいつの成長が速すぎて、だんだん戦車の方が五十鈴についていけなくなってたからな。パーツを交換して、かなり仕様を変えた。結構扱いづらくなったが、今の五十鈴なら寧ろそれくらいの方がやりやすいだろ」
「おおお!」
興奮し、目を輝かせる優花里に神栖渡里は怪訝な表情になった。
「そんなに食いつく話か、これ」
「はい!」
優花里にとって戦車の話は、例えどんな内容だろうとそれだけで大好物である。
満面の笑みで頷く優花里に、神栖渡里は苦笑した。
「だったらこれも見てみるか?今後、四号に行う予定の改修、その計画書だ」
「いいんですか!?」
「見られて困るもんじゃないからな」
ポイ、とバインダーが投げ渡された。優花里はそれを慌てて受け取り、まるでクリスマスプレゼントを渡された子どものようにしっかりと抱えた。
書類には戦車の図面が描かれていて、パーツの図や数値、詳細な説明文などがその周りを囲んでいる。一目見ただけだが、いかにもな感じがする書面だ。
「ふわぁ……私初めてこういうのを見ました!」
正直、書いていることの半分も理解できない。だがそれでも、これがどれほどよく練られた計画書かは分かる。
「これも神栖殿が書いたんですか?」
「戦車に関しては、パーツの発注から改修計画まで全部俺がやってるよ。あ、でも整備だけは自動車部に任せることが多いな。あいつらの方が上手いし」
言いながら神栖渡里は、流れるような手つきで四号戦車を元の姿へと戻し始めた。
時間を巻き戻しているみたいに装着されていく部品たち。
優花里は、神栖渡里の整備の腕が決して平凡ではないことを悟った。比較対象がとんでもないだけで、きっとこの人も腕は良いに違いない。
そうじゃなきゃ一人でセッティングを変更するなんてできるはずがないし、こんな計画書を書くこともできないだろう。
「……本当に、戦車道に関しては何でもできるんですね」
「なーんか含みのある言い方だな……『戦車道だけが取り柄』みたいに聞こえるわ。みほ辺りか、吹き込んだのは」
「い、いえそういう意味じゃないです!」
眉を逆八の字にした神栖渡里は、しかしすぐに表情を和らげた。
「いいけどな、その通りだし。所詮戦車道しか能がない男だよ、俺は」
そんな能を持った男性は、世の中そうはいないだろうと優花里は思った。
ふと、目の前の人がなぜそんな能を持つに至ったのか気になった優花里は、思い切って聞いてみた。
「やはり、西住殿と同じく幼少の頃から勉強されてたんですか?」
「そりゃな。あの家じゃ戦車道以外やることなかったし……逆に言うと戦車道に関係あるものなら何でもあった。暇さえあれば本を読んだり戦車弄ったり、戦車道やってない時間の方が少ないくらいだったよ」
優花里からすれば、それは理想郷であった。何て羨ましい環境なのだろうか。
神栖渡里と西住みほは、好きな時に好きなだけ戦車道ができたのだ。その代償として、ある程度自由を制限されていたのだろうが、それでも優花里は自分がその環境に身を置くことができるなら喜んで自身の自由を売り払うだろう。
「ではこういったセッティングや改修の知識、それに練習メニューなどもその時に……」
「整備を本格的に勉強したのは高校生の時だ。指導(コーチング)はイギリスに留学してた時に学んだ。あの家で教えてもらったことなんてほどんどないよ。どっちも我流と独学の合いの子みたいなもんだ」
「そうなんですか」
それでここまで来れるなら、それはそれで凄いと思うのだけど。
「お前もそうだろ。みほに聞いたぞ、物知りさんだってな。今まで戦車道やったことないのにそんだけ詳しいってことは、お前も独学で勉強してたんだろ」
「わ、私は単に趣味が高じただけで、勉強だなんて……」
「謙遜すんな。みほが言ったかどうかは知らないけど、結構お前に感謝してると思うぞ、あいつ」
耳を疑うような発言だった。
しかし神栖渡里は何食わぬ顔で、四号戦車の整備を続けていた。
「みほも戦車のスペックとかはほとんど頭に入ってるだろうけど、それを答え合わせできるってのは大きいんだ。間違ってないって、安心できるからな。あいつは隊長っていう絶対的な存在で、みんなを引っ張っていく立場だから、いざという時は自分一人で決断しないといけない。そういう時に、秋山みたいな知識面で支えてくれる奴がいてくれればそれだけで迷いは晴れるもんなんだよ」
「私が、西住殿の支え……」
頬が僅かに熱を持った。
今まで優花里は、そんなことこれっぽっちも考えたことなかった。憧れの人についていくのが精いっぱいで、ずっと支えてもらっている側と思っていたから。
だから必死に毎日頑張ってる。少しでも追いつけるように、追いていかれないように。
僅かな焦りを、伴って。
でもそうじゃなかった。
秋山優花里は、西住みほの力になることができるのだ。
「装填手にとって装填はできて当たり前。大事なのは、それ以外に何ができるかだ。そんな風になれれば……」
「私はもっと西住殿の力になれるでしょうか!?」
大きい声が倉庫に響く。優花里は今が深夜であることを思い出して、ハッとした。
しかし神栖渡里はそんなこと気にした様子もなく、イジワル気に笑った。
「それはこれからのお前の頑張り次第、だろ?まずはちゃんとした装填手になってもらわないと。結構出来てるとは言ったけど、フォームの矯正はまだまだ及第点いってないぜ」
優花里に言葉の矢が刺さった。戦車道となると厳しいのが神栖渡里である。
それに、と彼は続けて言う。
「中間テスト、もうすぐだろ。別に何点取ろうが構わないけど、赤点取ったら戦車道の練習には参加させないからな」
「えぇーーーーーーー!!??」
やっぱり!?と優花里は目を丸くした。
学生のは本分は勉強、と神栖渡里は言った。
彼にしては珍しく、嘘っぽい口調だった。
作者的に自動車部のスキルはガルパン七不思議レベル。
あいつらマジ半端ないって。
四人で戦車五両整備するとか普通できひんやん。
何気にやってみた日記形式。
これで面白い物を書いてる人は純粋に凄いと思うし尊敬します。
難しいね、これ。
次回は冷泉殿メイン回です。