戦車道素人集団を優勝へ導く138の方法   作:ススキト

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1番好きなキャラ(迫真)

バケモノ揃いのあんこうチームでも群を抜いてるウルトラハイスペック操縦手
マニュアル読んだだけで戦車の操縦完璧にできるとか麻子さんマジ天才




第16話 「合宿を始めましょう④〜冷泉麻子〜」

冷泉麻子は自分で言うのもなんだが、成績優秀である。一度聞いたことはすんなりと頭に入ってくるし、黒板に書いてあることを見ずとも、教科書を読めばほとんど理解できる。普通の人がかかるであろう時間の半分あれば、麻子は普通の人の倍くらい物を覚えることができる。それを裏付けるように、冷泉麻子は遅刻常習犯でありながら前回のテストでは学年一位だった。

これは才能なのだろうか。麻子は自分で断言することはできないが、他の人にそう言われると「そうなのだろう」とは思う。聞く人が聞けば激怒するかもしれないが、特別な努力をするわけでもなく学年首位になれたのだから。

 

しかし麻子は、それを自慢に思うことも、ましてや誇りに思うこともなかった。

頭が良くなりたかったわけでもないし、成績を良くしたいわけでもない。学年首位の地位はあってもなくても構わないし、誰かに追い抜かれてもどうとも思わない。

 

ただ、あって良かったと思うことが二つだけある。

一つは、この世で一番怖いおばあのお叱りを受けずに済むこと。その辺りに大変厳しいおばあに赤点、あるいはダメダメな成績表を見せたらどうなるか、麻子は想像しただけで身震いする。もし麻子がもう少し馬鹿だったら、きっとおばあに叱られないために毎日勉強に励まねばならなかっただろう。それはひとえに睡眠時間の減少であり、麻子にとってほとんど致命傷であった。

 

睡眠。そう、麻子は寝ることが三度の飯より好きだ。叶うことなら一日中ずっと寝ていたいし、この世で嫌いなものは早起きである。暖かい布団に包まれて、心地よい眠気に身を委ねる。何もしなくていいし、何も考えなくていい。麻子にとって睡眠とは、至福の時なのである。

しかしその幸せな時は、最近少なくなっていた。言わずもがな、戦車道の合宿である。かつて聖グロリアーナとの練習試合の際、麻子は朝5時起きと言われて、卒倒しそうになった。人間が朝の5時に起きるなんて、不可能なのである。結局沙織に迎えにきてもらい、起こしてもらう……つもりだったのだがどうやら無理だったようで、戦車道の講師である神栖渡里に試合会場まで運んでもらった、らしい。麻子は寝てたから知らないが。

 

たった1日ですらそんな有様だったのに、合宿はさらにその上を行く。

毎日毎日朝早くに起こされて、そのまま練習をさせられて。正直麻子は自分の体が半分くらい人間でなくなっているような感じである。練習がハードすぎて夜更かしできず、結果的に睡眠時間は合宿が始まる前と同じかそれ以上なのが、まぁ救いといえば救いだが。

 

それはそうとして、麻子的にはもっと寝たい。寝足りない。睡眠時間が足りてない。

でも起きる時間を遅くすることも、寝る時間を早くすることもできない。

ならどうするか、答えは簡単である。

―――――昼寝をすればいいのだ。

 

麻子が自分の頭脳に感謝しているもう一つのことは、それである。

教科書に目を通しさえすれば点が取れるということは、授業なんて受けなくてもいいということ。つまりサボったって、成績は変わらない。受けても受けなくても一緒なら、サボった方がいいに決まっている。

 

ゆえに麻子はこうして誰に憚ることなく、何を気にするわけでもなく、授業中にも関わらず校舎を抜け出して、お気に入りの昼寝スポットへと向かうことができるのだ。

 

歩くこと十分ちょい。

たどり着いたのは、背の低い草が生い茂り、心地よい風が吹く原っぱだった。

麻子が授業を抜け出して昼寝をするときは、大体ここだ。ついでに言うと、麻子が初めて戦車に乗った場所でもあった。

 

気持ちよく昼寝をしていたら、鉄の匂いとやけにうるさい音がやってきて、轢かれそうになったので飛び乗ったらそこには幼馴染がいた。

そのまま流れで戦車を操縦することになり、そこからあれよあれよと何がどうなってそうなったかはわからないが、戦車道を受講することになった。

そしてズルズルと戦車道を続けて、今に至る。

 

思い出深いといえば、思い出深い場所なのかもしれない。

今の麻子の、今までとは変わった生活の始まりの場所なのだから。

 

幼馴染に「もっとシャキッとしなさい」と言われる顔をそのままに、麻子はマイベストポジションへと歩を進めた。ちょっと坂になっていて、絶妙な日差しと風が吹くお昼寝に最適なポジションがあるのだ。そこでの睡眠は、それはもう格別である。

 

「…………あ」

 

そしてその場所が目の前になったとき、麻子は足を止めた。

本来いないはずの、いやいないはずだった先客がいたからだった。

麻子は視線を投射した。

 

深い紺色の髪、麻子より数十センチ高い背。

この場に不釣り合いなオフィスカジュアルの格好をした、男の人。

 

「ん?なんだ冷泉、またサボりか?」

 

大洗女子学園戦車道の責任者にして講師。

西住みほの兄である神栖渡里が、麻子のマイベストボジションに我が物顔で寝転がっていた。

 

 

この場所で渡里と会うのは、実は初めてじゃない。

すでに数度、あるいは二桁かもしれないが、それくらい何度も麻子は渡里と遭遇していた。

 

最初は偶然だと思った。

たまたま麻子が授業を抜け出した時に、たまたま渡里もここに来ていて、たまたま同じ時間に同じ場所にいただけだろうと。

でもそれは違った。次の日、同じように授業をサボタージュしてこの場所にやってきた麻子は、昨日と同じように渡里と出会った。

その次の日も、次の次の日も、次の次の次の日も。麻子がここに来る度に、そこには必ず渡里がいた。まるで同じ日をループしているかのように。

 

そこまでいくと麻子は気づいた。渡里が麻子の行くところにいるのではなく、渡里のいるところに麻子が行っているのだと。自分だけの秘密の場所は、いつしか共有財産となっていたのだ。

 

「――――――お早う」

 

聞き心地のいい低い声が、靄がかった頭に響いた。

春と森の匂いを運んでくる優しい風に揺れされる髪をそのままに、麻子は真っ青な空を仰いでいた。

ぼんやりとした動きで首を傾けると、そこには横に倒れた男の人がいた。

片膝を立てて、その上に腕を置いて、腕の先には分厚そうな本がある。

そこでようやく麻子は、倒れているのは自分だということに気づいた。

 

「………渡里さん」

 

そう呼ぶことに何の違和感も抱かなくなったのは、一体いつからだったろうか。

いや、最初からそうだった気もする。もうよく思い出せないけど。

 

ゆっくりと身を起こすと、視界が正常に戻る。

眼前にはどこまでも広い原っぱがあって、木々のざわめき以外の音がない周囲は、まるでこの世界に二人だけしかいないような感覚に陥る。

 

「……どのくらい寝てた」

「いつも通りだ」

 

なるほど、と麻子は自分の体内時計の正確さを実感した。

いつも通り、と言われて自分の睡眠時間が分かるほどには麻子はこんなことを繰り返していたし、渡里もまた同じだった。

 

「いい夢は見られたか?」

「………覚えてない」

 

そうかい、と渡里は興味なさげに返事した。

夢。見ていたような気もするし、見ていなかった気もする。ぼんやりとした頭じゃ、もうわからないけれど。

 

何をするでもなく、麻子はボーッと虚空を眺めていた。

隣にいる渡里は、ただ静かに本を読んでいる。

 

二人の間に会話はなく、ただ時間だけが過ぎていく。

こういうことは、珍しくなかった。麻子はそもそもここに昼寝をしに来ているので、自分から会話をしようと思うことはないし、渡里は今日のように本を読んでいたり、pcを片手に考え事をしていたりと積極的に話しかけてくることがないから、当然の帰結といえばそうであった。

 

ただ毎回そうというわけでもなかった。渡里が話しかけてきて、それに麻子が答えて。そういう風に話が弾んで喋り通す、という日もある。

 

結局のところ二人がどんな風にこの時間を過ごすかということに、定型はない。

ただ大事なのは、麻子も渡里も、たとえ一言も喋らなくても、逆に喋り続けても、何をしていてもそれを気まずいだとか居心地が悪いとか、そんな風に思うことがないということだった。

 

「今日は何の授業をサボったんだ?」

 

一通り本を読み終えたのか、渡里は手に持っていた本を閉じてそう語りかけてきた。

今日はちょうどいい塩梅の日か、と麻子は内心で思いながら、麻子は静かに答えた。

 

「……数学」

「なんだ。一番難しい授業じゃないか」

「べつに。そんなに難しくない」

 

そうか?と渡里は首を傾げた。

麻子は黙って頷いた。実際、麻子にとって難しい授業なんてものはない。どれもこれも、教科書さえ読めば理解できてしまうから。

 

「まぁ頭いいからな、冷泉は。でも先輩としてひとつ助言するけど、出席日数を計算してサボる、なんて小賢しい真似をしてると、いつかエライ目に遭うぞ」

 

脅すようで茶化すような、そんな配合の声色で渡里は言った。

口角が弧を描いていたから、きっと後者の割合の方が強いんだろう、と麻子は思った。

しかしなんというか、妙にリアリティのある言葉である。

変な説得力があった。

 

些細な疑問は、すぐに氷解した。

なぜか自慢げに、渡里は言った。

 

「俺が実際にそうなったからな」

「やっぱりか……」

 

そんなことだろうと思った。

 

「何があったんだ?」

「単位の前倒しができなくて、最終学歴が高校中退になった」

 

思ったより重傷だった。

この時ばかりは、いつも眠たげな麻子の目も流石に見開かれることになった。

 

「……なんでそんなことに」

「俺がイギリスに留学した、ってのは知ってるだろ。あれ、高校二年の終わりぐらいの時の話でさ。一応留学だし、学校側が色々融通利かせてくれたんだけど、それまでの学業がよろしくなくてな。単位を取り切る頃には進級してるだろうってことになって……まぁ、我慢できなかったんだよな」

 

ケラケラと笑う渡里は、軽い口調で重大なことを言った。

 

「そのまま中退した。まぁよくあることだな」

「あるわけない」

 

まるで「ちょっと雨に降られたわー」くらいの軽さである。

結構な経歴だが、全く気にした様子がないのがすごい。

 

妹である西住みほがこれを聞いたら、どんな顔をするだろうかと麻子は思った。

呆れるだろうか、それとも驚くだろうか。

しかし麻子の頭に浮かんだのは、「それがお兄ちゃんだから」と諦めたように笑うみほの顔だった。

 

「……渡里さんも、西住さんと同じ学校に行ってたのか?」

 

自分のことをあんまり語らない神栖渡里の、過去を聞く貴重なチャンス。

折角なので麻子は、話の流れに乗っかって色々と聞いてみることにした。

 

「黒森峰は女子校だぞ。俺じゃ入れねぇよ」

「……分校とか、中学校の時とか」

「黒森峰は中高一貫。分校は学園艦じゃなくて陸にあった。年齢が離れてるから小学校でも一緒に登校することはなかったよ」

「じゃあ渡里さんは、どこに通ってたんだ」

 

聞いたところで、熊本県の学校なんて聞いたことも見たこともない麻子にはわからないだろうけど。

 

「中学は家から近い普通の公立校に通ってた。高校は……冷泉も知ってるんじゃないか?サンダース大付属っていうとこだけど」

 

しかし返ってきた答えは、麻子の予想に反していた。

 

サンダース大付属。それは確か、長崎あたりを帰港地にしている学園艦の名前、および高校の名前。聖グロリアーナ同様、全国でも有数のお金持ち学校である。聖グロが富裕層の集まりであるのに対し、サンダースは生徒数の多さが資金力に繋がっているタイプで、少数から多額か、大多数から低額という違いがある。

 

また風土も大きく異なり、聖グロがお嬢様学校故の、ある種の堅苦しさがあるのに対し、サンダースはとにかく自由。何をするにしても自分で決めなければならず、学校側もそういった生徒の姿勢を推奨、支援している。

 

両者の共通点といえば、とにかく設備が整っていることぐらいだろうか。

サンダースには千人規模のトイレとか、三階までブチ抜いたプールとか、そういうのがあるという話も嘘か真かはさておき聞いたことがある。

 

「なんだ、結構詳しいな」

「……学費無料の推薦の話が一度きた。その時に調べたんだ。結局大洗女子に入学したが」

 

サンダースに何か不満があるわけじゃない。むしろ条件、設備、環境、全てが高水準だ。

ただ麻子には、どうしてもサンダースに行けない理由があった。

言うならそれは、距離の問題。長崎辺りを本拠地とするサンダースでは、大洗で、ひいては茨城で何かあった時、すぐに駆けつけることができないという話だった。

家庭の事情、と言い換えることもできるか、と麻子は人知れず思った。

 

「俺もそうだよ。サンダースに推薦入学したんだ。まぁ特待生じゃなく、成績優秀者に対する学費の半額免除っていう別の制度だったけどな」

「なのになんで中退することになるんだ」

 

学業が優秀だから入ったのに、学業が悪いから中退になる。

小規模な矛盾が、そこにはあった。

すると渡里は、苦笑しながら答え合わせをした。

 

「サボりすぎたんだよ。どんだけ成績が良くても、出席日数が足りなきゃ意味がないってことさ」

 

だから気をつけた方がいいぞ、と渡里は言ったのか。

麻子は納得した。戦車道受講者は特典として単位が三倍だったり欠席日数を取り消したりと、生徒会が色々と融通を利かせているが、だから大丈夫と高を括っていると困ったことになる、というわけである。

 

いや、少し違うか、と麻子は思った。

 

「渡里さんが留学をもう少し我慢すれば、ちゃんと卒業証書が貰えたんじゃないか?」

「む、やっぱ冷泉は騙されないか。武部とかなら誤魔化せるんだが」

 

困ったような口調に、愉快そうな感情を滲ませて、彼は笑った。

確かに沙織なら、そのまま「なるほど」と納得してしまいそうである。

 

「中退はどうしようもなかったことじゃない。本当は避けれたことなのに、俺はそれをしなかった。わざわざ将来自分が困るような道を、自分で選んだというわけさ」

 

ケラケラと笑う渡里に、麻子は呆れたように息を吐いた。

 

「サンダースが嫌だった訳じゃ無いんだよ。むしろ結構気に入ってたくらいだ」

「それは、戦車道が盛んだったからか?」

 

聖グロとサンダースの共通点を、今更ながら麻子は一つ思い出した。

高校戦車道におけるビッグ4。サンダースと聖グロは、それを為す一員だ。

 

自称・他称ともに「戦車道さえあればいい人」である神栖渡里にとって、それはきっと見逃せない条件だったに違いない。あるいは、青春に不可欠な要素だったに違いない。

 

「いや、サンダースに入ったのは、むしろ逆の理由さ。戦車道以外のものを見つけたかったんだ」

 

しかし麻子の考えとは裏腹に、渡里は首を振った。

驚いたように眼を見張る麻子の視線の先、渡里は今まで見たことのない顔をしていた。

懐かしむような、切なそうな、苦しそうな、そんな顔。麻子は不意に、胸に小さな疼きを覚えた。

 

「あそこは俺の知らない道がいっぱいあって、それを好きな人達がいっぱいいた。だからそういうとこにいたら、戦車道以外に夢中になれるものが見つかるかもしれない…って、まぁそんな風に考えてたんだよ」

 

どうしようもなくバカなものを見た時のような顔を渡里はした。

 

「色々やったよ。スポーツとか、芸術とか、とにかく戦車道以外で何か夢中になれるものを探した………楽しかった。それまで俺は、本当に戦車道しか知らなかったからな。一気に世界が広がった感じだった。そういう意味じゃ、サンダースに入ったのは大正解だったよ」

 

友達に恵まれ、環境に恵まれ、何一つ不自由なく、不幸もなく、ただただ楽しい青春の日々。

 

「でもダメだった。結局戦車道以上に夢中になれるもんなんてなかった」

 

しかしそれは、神栖渡里の望むものじゃなかった。

 

諦めたように自嘲する渡里の横顔に、麻子は胸の疼きが大きくなるのを感じた。

ほかの人が羨むような恵まれた道は、渡里を満足させることができなかった。そうじゃなきゃ、この人はそれらを捨てて留学への道を、より困難な道を選ぶことはなかったはずだ。

 

「『自分にはこれしかない』ってものがある。それは良いことなのか悪いことなのか、どっちなんだろな?」

 

それは麻子に訊いているというよりは、自問に近かったと思う。

 

―――なんで、戦車道から離れようと思ったのか。

 

何を言うべきか、それとも何と言うべきではないのか。

迷う麻子の頭に浮かんできたその問いは、まるで首元に添えられたナイフのように思えた。

 

「なんか暗い話になっちゃったな。話題変えるか。冷泉は本読むの好きだろ?」

「……まぁ」

 

人並み以上には読んでいるとは思う。特に少女漫画とかブライダル雑誌しか読まない幼馴染と比べたら。

渡里は手に持っていた本を、くるりと器用に回して麻子に差し出した。

 

カバーも帯もついてないが、妙な清潔感がある本だった。よほど丁寧に読み込まれたのだろうか。少しアンティークな香りがしていて、最近出版されたという感じではない。

 

視線で渡里に問う。

 

「ほんの50年前くらいの、ドイツの高名な戦車乗りが書いた回顧録さ。まぁこれはそれを翻訳したものだけどな」

「……ティーガー」

 

タイトルは邦題とオリジナルのもの両方が記載されていた。

その一部を、麻子は独語した。

 

「書いた人は凄い戦車乗りだぞ。ドイツで戦車乗りったらミハエル・ヴィットマンがとにかく有名だけど、この人も同等以上の戦車を撃破してる。単騎で圧倒的な力を誇ったヴィットマンとは対照的に、戦車同士の連携を重視してて、地形や敵戦力の把握を欠かさなかった」

 

手渡された本を麻子は数ページめくってみた。

するとすぐに、この本を書いた、正確には翻訳される前のオリジナルを書いたひとの写真が現れ、麻子は高名な戦車乗りとやらと対面した。

 

「ヴィットマンの方がエピソードが派手で印象に残りやすいけど、その本に書かれたその人の理論は実践的で戦車道に役立つことも多い。六等星みたいな人なんだよ」

 

距離が離れすぎてて目立たないけど、一等星に負けないくらいの輝きを持っている、という意味だろうか。渡里の言い回しは時に難解だった。

 

「だから、私も読んで勉強しろということか」

 

しかしそれならば、麻子だけじゃなく皆、いや戦車の指揮に関わる車長や隊長が読むべきではないか。

麻子は操縦手。車長が指示した場所へ、正確かつ迅速に戦車を運ぶだけの人。

連携や地形確認のスキルは、不要ではないが必要不可欠というわけでもない。優先順位的には低いほうだろう。

 

不満げ、というわけではないが納得した様子ではない麻子の表情を、渡里は敏感に感じ取ったのか、声色を固くして言った。

 

「それをお前に渡したのは、ちゃんと理由がある……今のお前に足りないものが、そこには載ってるよ」

「足りないもの……?」

 

反射的に視線をやった先には、宇宙の深淵そのものような黒い瞳が僅かな笑みを浮かべていた。

 

「宿題だ。数学よりはよっぽど簡単だからな、お前ならすぐ解けるよ」

 

そう言って渡里は、不意に立ち上がった。平均以上に高い身長の持ち主である渡里が立てば、平均以下の身長の持ち主である麻子は随分と見上げることになってしまう。

軽く服を叩くと、ついていた小さな草が風に乗って散っていく。

 

「授業サボってるんだからな。それくらいはやってもらわないと」

「渡里さんには関係ないんじゃないか…」

「そういうわけにはいかないんだよ。サボりを見逃してんのバレたら俺が怒られるんだから」

 

げんなりとした麻子に、渡里は陽気に笑った。

相応のリスクを一緒に背負ってやってるんだから、対価を払えということだろう。

仕方ない、と麻子は自分を納得させた。この人もルールを破って、こうやって一緒にいるのだから、宿題の一つや二つくらいはこなすのが礼というものか……いや、そもそも麻子がこうして授業を抜け出して昼寝しようとしている要因は、渡里にあるのだからそれは少し違くないか?

 

「ほら、乗んな。もう授業終わるぞ」

 

真実の扉を開きそうになっている麻子の思考を静止させたのは、そんな渡里の声と甲高いベルの音だった。

振り向いた麻子の視線の先、そこにはザ・普通な自転車を引いた渡里の姿があった。

 

こうして送られるのも何度目になるだろうか。

冷泉麻子と神栖渡里がこうして会う時の帰りは、必ず渡里が持ってきた自転車で帰るのだった。

 

『学校の敷地は広いからな。関係者には敷地を回るための移動手段が用意されてんだよ』

 

いつかの日、麻子がどこから自転車を持ってきたのかと問うと、渡里はそう答えた。

大洗女子学園戦車道講師。その肩書を持つ渡里も、一応は大洗女子学園の関係者。ゆえにそのあたりの恩恵を受けることができるのだろう。

 

身軽な動きで、麻子は自転車の後ろに横向きで乗った。その程度の衝撃では、渡里の乗る自転車は小揺るぎもしなかった。

 

腕を渡里の腹に回して、振り落とされないようにする。

それを確認して、渡里はペダルを回し始めた。すぐに加速して、自転車は安定した。

 

大きな背中は風除けとして優秀だ。その分視界も塞がれるけど、横向きに座る麻子には関係ない。

 

「……大人が自転車の二人乗りなんてしていいのか?」

「バレなきゃいいんだよ、なんでも」

 

間違いない、と麻子は薄く笑った。

 

横に流れていく景色を眺めながら、麻子は腕にこめる力を少し弛めた。

代わりに飛ばされないよう、頭を大きな背中に預ける。

この時間は、楽しく幸せで、悲しく寂しかった。

 

腕と頬に伝わる温かみは、まるで家族のような安心感をくれて。

優しさに包容されながら麻子は、もし自分に兄がいたらこんな感じなのかと夢想した。

西住みほがお兄ちゃんお兄ちゃんと慕う理由が、今は少しわかる。この人には、不思議とそんな魅力があった。

 

しかし同時に、この温もりは、自分が失ったものを再認識させてくる。

自分を置いていってしまった父を、母を、その愛情を。

渡里の温もりに触れるたびに、麻子はいやが応にもその時の感情を思い出してしまう。

 

ずっと続いてほしくて、早く終わってほしい。

そんな麻子の葛藤なぞ露知らず、渡里は鼻歌交じりに自転車を漕ぐ。

 

「やってやるやってやるやーってやるぜ〜♪」

 

変な歌だ、と麻子は嘆息した。調子も外れていて、ちょっと音痴っぽい。

しかしそれが心地よいと思ってしまうあたり、麻子は結構毒されているのかもしれない。

 

不思議な話だ。麻子は、誰とでもすぐ親しくなれるわけじゃない。初対面から親しい友人にランクアップするためには、相応の努力と時間が必要だ。

でもこの人は、まるで十年来の友人のように、あるいは親戚のお兄さんのように、スルリと麻子の心に近寄り、そのまま居座ってる。

 

(……シンパシー、か)

 

その理由を、麻子は薄々気づいていた。

 

生まれも、育ちも、年齢も性別も。

何もかもが違う自分とこの人は、それでもどこか似た存在で。

同類、というやつなのだろう、と麻子は髪色以外の共通点が見つからない運転手を横目で伺った。

 

「いーやなあーいつをぼーこぼこっにー♪」

 

何が似てるかは、まだわからない。

 

 

 

 

「あれ?麻子じゃん。何してんの?」

「沙織か…」

 

日曜日の夕方。学園艦の端っこに作られた、芝生が植えられ長椅子が設置された小さな休憩スペースにいた麻子は、幼馴染と遭遇した。

 

ガーリーな黄色のワンピースに、太めの白いカチューシャ、ピンクの靴。

可愛さを前面に押し出したその恰好は、麻子のよく知る武部沙織のよそ行きの服だった。

 

「もう帰ってたんだ。おばあは?元気だった?」

「元気すぎるくらいだった」

 

麻子は嘆息した。その表情に疲れの色が浮んでいたことを、この幼馴染はきっと察知しているだろうと思った。

 

本日日曜日は、戦車道の練習がない完全オフ。休養日というやつだった。

「遊びたい盛りだし、自由な時間を奪ってまで練習してもな」と、鬼のように厳しい練習を課す神栖渡里にも人の心は残っていたようで、毎週一日と半日、運がいいと二日間の休養が戦車道受講者には与えられていた。

 

それで各々休みを満喫するわけだが、今回はたまたま学園艦の帰港日と休みが重なっており、丸一日陸を楽しめるという日だった。

こんな機会は珍しくはなくとも頻繁にあるものじゃないので、みんな張り切って陸に繰り出す。武部沙織も、そんな人たちの一員だった。

 

確か西住と五十鈴の三人で遊びに行くと言ってたか、と麻子は思い出した。

どうやら手に提げている紙袋たちを見る限り、相当楽しんできたようである。

 

それならばよかった、と麻子は少しだけ思った。誘われてはいたものの、麻子は不参加だった。

 

学園艦が帰港する日は祖母のところに顔を出さなければならないのが決まりなのだ。

学校の生活とか、成績とか、そういうことを報告するのだ。それ自体は別にいいのだが、問題は祖母の性格というか気質である。

 

とにかく頑固というか、素直に人を褒めるようなタイプではないので、まずはお叱りを受けるところから始まる。たとえ学年一位の成績でも、である。

 

「ま、まあ元気ならよかったじゃん」

 

麻子の幼馴染として付き合いの長い沙織も、そんな祖母のことをよく知っている。

若干苦笑いの裏には、元気すぎる祖母の姿があったに違いない。

 

「そうだが毎回毎回説教されるのは勘弁してほしい。私は特に悪いことはしてないんだぞ」

「いやしてるよ。遅刻とサボり、常習犯でしょ」

「あれは不可抗力だ。人間なら仕方ない……それに最近は遅刻してない」

 

合宿期間中は、言ってしまえば学校に住んでるようなものである。理論上、登校時間は最速最短。加えて目付けがいるとなれば遅刻なんてしようがない。

 

「毎日私が起こしてあげてるからでしょ。そろそろ自分で起きなよ……」

 

疲れたように沙織はため息を吐いた。

彼女は合宿が始まってから今日に至るまで、麻子の専属目覚まし時計の役目を果たしていた。

 

「私が自力で早起きできるわけない。もしできたらそれは天変地異の前触れだ」

「なんで自慢げなの……ん?麻子それ……」

 

げんなり顔をした沙織は、ふとした瞬間に何かに気づいたようだった。

視線を辿ると、麻子の手元に行き着いた。

そこにあるのは、

 

「そんな本持ってたっけ?なんか年季入ってるけど」

「渡里さんから貸してもらった……というか、押し付けられた本だ」

「渡里先生の?」

 

尋ねながら、沙織は麻子の横に座った。どうやらすんなり通り過ぎていく気はないようだった。視線で事情を尋ねられ、麻子はやれやれといった様子で口を開いた。

 

「宿題と言われた。私に足りないものが、この本の中にはあるらしい」

「へー麻子に足りないものなんてあるんだ」

 

意外そうに目を丸めて、沙織は麻子の持つ本を手に取った。

 

「タイトルは……なんて読むのこれ」

「ちゃんと邦題も書いてあるだろ」

 

なぜ無理に読めもしないドイツ語を読もうとするのか。

ふーん、と大した興味もなさげに沙織はペラペラとページを捲った。

 

「な、なんか難しい……」

「いろんな地名や人名が次々と出てくる上に、戦争の話だ。簡単なわけがない」

「戦争……麻子は読んでて楽しいの、これ」

「楽しくはない……が、時々出てくる著者の理論や思考は面白い」

 

ぽん、とあえなく返却されてきた本は麻子の膝の上に置かれた。

 

ドイツでも指折りの戦車乗りが書いた(正確には語った)本というだけはあって、出てくる話は筋が通っていて、渡里の言う通り戦車道に応用できるものが大半だ。

読破した感想としては、戦車道を嗜む者として一度くらい読んで損はない、という感じ。

 

「で、わかったの?麻子に足りないもの」

「…………分からん」

 

しかし麻子は、内容を覚え、著者の思考を辿り、理論を理解しても、渡里の言う「自分に足りないもの」の見当がついていなかった。

なるほど、と思わされる部分は数多くある。

だがそれが自分に足りないかと言われると、麻子は納得できかねた。

その理由は、明白だった。

 

「まぁ麻子に足りないものなんて、ほんとにあるのって感じだけどね」

 

その沙織の言葉が、全てを表してた。

 

冷泉麻子とは、天才肌の人間である。

教科書を読むだけで授業は理解できるし、その速度は常人の倍はある。

戦車の操縦だって、今までの人生で一度もしたことがなくたって、マニュアルを一読しただけで完璧にマスターしてみせた。

 

呑み込みの早さ、だけでなくそれをすぐに高いレベルまで持っていけるセンス。

ゆえに麻子は、たとえ足りないものがあったとしてもすぐに克服できる。できてしまう。

 

戦車道を始めたばかりの頃なら、足りないものなんていくらでもあった。

しかしかつてあったそれらは、時を経るごとに消滅していき、今や跡形もなくなった。

言わずもがな、渡里の指導を受けているからである。

 

「渡里先生の練習もほとんどできてるんでしょ?」

「………まぁ」

 

沙織は指折り数えた。

 

「目隠しして進むやつとかー、変なダンボール箱被って動き回るやつとか……他にもやってたよね?」

「変速のタイミング、荷重移動、その他諸々の操縦訓練」

 

麻子の脳裏に、それぞれの練習が映像となって蘇る。

 

目隠しして進むやつ。それは車長の指示を正確に理解し、車長のイメージ通りに戦車を動かすのに必要な受信力、理解力を育む練習。

そのまんま、視界を完全に塞いだ上で障害物競争をするというだけの練習で、いつかやった目隠しサッカーとほとんど同じ。

 

変なダンボール箱被って動き回るやつ。それは完全に視界をゼロにする目隠しとは違い覗視孔、つまり操縦手の視界確保のために戦車に開けられた覗き孔から見える世界をダンボール箱で再現し、その極端に狭い視野に慣れるための訓練。

一人でやるととても危ないので要広い場所アンド付添人。間違っても道路なんかでやっちゃダメ。

 

変速のタイミング。スムーズな加減速ができるようにするための練習。

神栖渡里曰く、変速のタイミングは速度じゃなくて戦車の振動(バイブレーション)と音で判断する、とのこと。身体で理解できるようになるまで隣で延々と指導され続けるハードな練習。最適なタイミングからコンマ一秒でも遅れたらやり直し。

 

その他、操縦手に必要な技術、感覚を養う練習たち。

どれもこれも一筋縄でいく練習ではなく、ありえないレベルの濃度で行われた。

過程としては何人かがぶっ倒れ、結果としては操縦手一同階段を三段飛ばしするくらいの勢いでレベルアップした。

 

正直思い出すのもしんどいスパルタだった。

よく乗り切れたものだ、と麻子は自分を褒めたい。

体力に自信がないわけじゃないが、体力自慢でも根を上げるほどのハードな練習。メニュー製作者のエゲツなさは、麻子たちの限界を完璧に見極めていることにある。つまり限界領域での活動がデフォルトになり、余裕というものが一切与えられない。

 

だがその分、リターンは大きい。

麻子が元々持っていた天性の感覚(センス)に、渡里が理論(システム)を加えたことによって、麻子は操縦手としてほぼ完成形に近い領域にある。感覚任せでもなく、頭でっかちでもないその力量は、車長である西住みほの、ひいては大洗女子学園の支えとして充分すぎるほどである。

 

ゆえに、麻子には渡里の言う「足りないもの」がわからない。

操縦手として欠けていたものを埋めた張本人は、これ以上自分に何を望んでいるのか。

 

「案外嘘だったりして!麻子を慢心させないための!」

「……あの人は戦車道では嘘をつかない」

 

そこだけは大洗女子学園の、絶対に揺らがない共通認識である。

沙織も分かってて言ったのだろう。語調が冗談ぽかった。

 

「でもさ、そんなに悩むことはないんじゃない?」

 

ため息を吐いた麻子に、沙織は殊更明るく言った。

 

「渡里さん、ヒントくれたんでしょ?だったら、麻子ならすぐ見つかるよ。麻子頭いいもん」

 

……こういうところが、沙織の良いところか。

前向きというか、ポジティブというか。決して明るさを失わず、誰かを元気付けられる、そんな気質。

 

「そんなことよりもう暗くなってきたし、家帰るよ!晩御飯まだでしょ?しょうがないから、私が作ってあげる!こういう時は美味しいもの食べたら何か思いつくって!」

 

思えば麻子は、そんな沙織に随分と助けられてきた、のかもしれない。

幼い頃から、ずっとずっと一緒だったこの世話焼き体質な幼馴染に。

 

「……ハンバーグがいいな。デザートにケーキもつけてくれ」

 

感謝すべきなのだろう、隣人に恵まれたことに。

まぁそんなことは、口が裂けても言葉にできないが。

 

軽やかに前を歩く幼馴染を追いかけながら、麻子は沈みゆく太陽を眺めた。

 

「私に足りないもの、か」

 

 

 

 

「麻子さんに足りないもの?」

 

軽快にまな板を叩く音が止み、丸い目が此方を向いた。

余所見したまま包丁を振り降ろすような料理下手じゃなくてよかった、と渡里は制服の上からエプロンを付けたみほを見て、人知れず安堵した。

 

「そんなのあるの?」

 

渡里はマグカップに注がれた麦茶、という風情のカケラもないモノを手に取り、バッチリ冷えた中身を味わった。

容れ物がなんであれ、味は変わらない。

安物のティーパックの味が、渡里にとっては丁度いい塩梅だった。まぁそもそも、物の高い安いが分かるほど上等な舌は持ってないわけだが。

 

「聞いてるの?お兄ちゃん」

「聞いてるよ」

 

ちょっとムッとしたみほを、渡里は宥めるように言った。

即答できなかったのは、別にイジワルしてやろうとかそういうわけじゃない。

相応の理由がちゃんとあって、それはひとえに「みほに伝えるべきか否か」という躊躇いであった。

 

「足りない、っていうのはちょっと正確じゃないかもしれない。現時点で冷泉は、操縦手としてほとんど完成の域にある」

 

みほの後ろでグツグツと煮る鍋の様子を伺いながら、渡里は指折り数えた。

 

「車長の指示を過不足なく理解する受信力、手足のように戦車を操る操縦テクニック。どんな状況でも冷静でいられるタフな精神力……あれで、戦車道を始めて2ヶ月経ってないってんだから、大したもんだよ」

 

もし大洗女子が全員冷泉のようであれば、渡里は多分相当楽だっただろう。

あまり多用するべき言葉ではないが、冷泉は天才というやつだ。何を以ってそう判断するかと問われれば、それはスポンジの如き吸収力である。

一度教えられたことはすぐに覚え、自分のものにする。一を聞いて十を知る、とはまさにあのことだろう。

 

「……いや、遅刻魔が増えるのはよくないか」

「?」

 

あの能力と引き換えなら、まぁプラマイで言うとプラスなのだろうけど。

 

ともあれ、贔屓目なしに冷泉は既に全国トップクラスの操縦手だ。黒森峰、聖グロなどの戦車道強豪校に転入しても十分通用する。

 

「それで。その大した人の麻子さんに足りないものっていうのは?」

 

小さな机の上を、みほは布巾で丁寧に拭いた。邪魔にならないようマグカップを掲げて、机の上をフリーにする。

マメになったものだ、と渡里は感心した。昔は顔に泥を付けてても気にしなかったくせに。

 

「些細なことだよ。自然とできてる奴もいれば、全然できない奴もいる。でもできないからって、責められるようなことでもない」

「……そうじゃなくて」

 

不貞腐れたように頬を膨らませたみほに、渡里は苦笑いしながらキッチンの鍋を指差した。

話はいつでもいくらでもできるが、このまま鍋を放っておくと真っ黒になったご飯を一緒に食べることになる。

別に食にこだわりがあるわけじゃないが、それは御免被りたい。それに今は調理中。本腰を入れて話をするなら、食事中の方がいい。

 

眉を少し釣り上げて、みほは立ち上がりキッチンの方へと向かった。

 

その背中を見ながら、渡里は少し思考の歯車を回した。

足りないものがある、という言い方は、やはり良くなかったかもしれない。それは冷泉麻子に、何らかの不足があるように聞こえてしまう。

 

断じてそんなことはない。先も言った通り、冷泉は操縦手としてほとんど完成の域にある。能力的な欠点はなく、偏りもない。

あれほど短いキャリアで高い技術を持つ選手は、日本全国を探してもいないだろう。

純粋な実力なら、それこそ黒森峰や聖グロリアーナにも見劣りしない。

 

しかしそれでも渡里は、冷泉が今のままでいいとは思わない。

その理由は、一つだけだ。

 

―――このままだと冷泉は、またみほを独りにしてしまう。

 

先日の聖グロリアーナとの練習試合、冷泉はみほにこう言ったらしい。

 

『指示があれば、どこへでも行く』…と。

 

それは冷泉の高い実力を、そのまま表している。手足のように戦車を操る冷泉にとって必要なのは目的地だけ。それさえ示してくれれば、冷泉はそれを忠実に実行する。

車長のイメージを具現化するという難事を、冷泉は簡単にやってのけることができる。

 

それはいい。

しかし、指示がなかったら?

行くべき道を示してくれる車長が、頭脳がいなければ冷泉は、一体どうするのか?

 

答えは簡単―――――『何もできない』だ。

 

言われたことを完璧にこなす冷泉は、言われていないことは全くできない。いや、正確に表現するなら『できない』ではなく『しない』ようにしている。

それを操縦手としての欠陥と言うには、あまりにも酷だ。なぜなら冷泉のようなタイプの操縦手の方が、今の戦車道の風潮に沿っている。正道とも言っていい。

 

でも渡里は、それを是とすることはできない。

そんな風潮が生んだ悲劇が、今目の前にいる。

仲間を守りたかっただけなのに、全てを否定され、全ての責任を押し付けられた独りの女の子。

 

繰り返させるわけにはいかない。

その為に必要なのは、『自分の意思で動くこと』だ。

戦況を、作戦を、車長の思考を読み、自分で考えて自分で動くこと。

現代の戦車道においてタブーとされる、()()()()()()()()()ことこそが、渡里が冷泉に求めることだった。

 

 

「はい。できたよ、お兄ちゃん」

 

 

みほの声と豊かな香りによって、渡里の思考は一時中断した。

 

「おー意外と美味そう」

「一言余計」

 

ちいさな机に、皿が並ぶ。

その上にはあの粗雑だった妹が作ったとは思えないくらいの出来栄えの料理が乗っていた。

これは僥倖だった、と渡里は頬を緩ませた。

 

夕方いきなり「晩御飯作りにきたよ」と吶喊された時は思わず目が点になってしまったが、よくよく考えれば以前振舞ってもらったカレーも美味しかったし、みほは決して絶望的な料理下手というわけではないのだった。

 

「……玉子焼きなんて焦げてぐちゃぐちゃだったのになぁ」

「いつの話してるの」

「お前が俺に泥団子食わせようとしてた頃の話」

「お兄ちゃんが私によくドロップキックされてた頃の話ね」

 

どちらからというわけでもなく、渡里とみほは笑いあった。

思い出話は、その気になれば一日中できるのだ。

 

「これね、今日沙織さんと華さんの三人で出かけた時に見つけたレシピなの」

「ふーん……なら味も大丈夫か」

 

果たして料理のレシピとは、如何にして手に入るものなのか渡里には分からないが、まぁ料理上手の武部と一緒だったなら変なものではあるまい。

 

用意された箸を取り、一口。

 

「―――――――美味しい」

「ふふーん」

 

絵に描いたようなドヤ顔を披露されて、渡里の中に僅かな悔しさが芽生える。

思わず本音が漏れてしまった。これは油断だ。他所から持ってきたレシピというから、そんな感じの味がするんだろうな、と漠然と思っていたから。

 

でもこれは、

 

「めっちゃ俺好みの味だ…」

 

まるで自分に食べられるために存在するようなレシピだ、と馬鹿なことを渡里は考えた。

それくらい、味覚にクリーンヒットする味だった。

 

「でしょ?」

 

誇らしげに、嬉しそうに、みほは笑った。

 

「だってお兄ちゃんが好きな味になるようにしたんだもん。レシピ、少しだけ変えたんだ」

「………あー、なるほど」

 

言ってしまえば独自判断で動くとは、こういうことだ。自分で考えて、そっちの方が良いと思ったらそうする……与えられた指示を無視して。

 

風潮に逆らっている自覚はある。

でも、と渡里は思う。

戦車を操縦しているのは人間だ。言われたことだけしかできない、機械じゃない。

だからこそ人間にしか持ち得ない、心が大きな意味を持つはずなんだ。

誰かを想い遣り、寄り添うという心が。

 

「それで?お兄ちゃんは麻子さんにどうなってほしいの?」

「…………話逸らせなかったか」

 

渡里は苦笑いした。

今更だが、みほにこの話を振ったのは間違いだった。

どうなってほしい?それは言える。

でもその理由は?そう聞かれたら渡里はお終いである。

だからばつが悪そうに笑うしかない。

 

どうして言えるだろうか………それは、全部お前の為だなんて。

 

(恥ずかしすぎて無理だな)

 

言ったら首吊る自信があるわ、と渡里は表情を誤魔化すように箸を進めた。

そして目の前で騒ぐ妹から目を逸らしながら、想いを馳せる。

 

冷泉に同じことを求めるのは、酷だろうか。

今でも満点に近い冷泉に、更にその上を求める。それは蛇足と言えるかもしれない。

でも、冷泉ならもっとできると思う。今で満足しないで、もっともっと高いところに行ってほしい。

 

これは無責任な信頼だな、と渡里は自分を嘲る。

勝手に決めつけて、勝手に信じる。

 

しかし渡里の中に、確かにその感情はあるのだ。

 

 

それでも冷泉なら、と。

 

 

 

 

 

 

 

テクテクトコトコ、と麻子は歩みを進める。

向かう先は、当然マイベストスリーピングポジション。

今日も今日とて麻子は、授業を抜け出し昼寝を決め込むーーーーーーというわけでは、ない。

 

「…………渡里さん」

 

大きな体を草のベッドに投げ出し、そよ風に揺られながら読書を決め込む目の前の男性。

まるで鏡写しの自分のようなこの人に用があって、麻子はここを訪れたのだった。

 

声を掛けられた主は、妙に焦点のズレた目でこちらを見た。

おそらく本を持ってはいるものの、半分くらい寝ていたのだろう、と麻子は推測した。

自分もよくああいう目をしている時があり、それは決まって眠気が頂点に達した時だった。

 

思えば神栖渡里のこういう顔は、貴重かもしれない。

こういう気の緩んだ姿は、普段決して見せない人だから。

見せるとしたら、それはきっと西住みほの前だけだろう。

 

「………冷泉、何?」

 

聴き心地の良い低い声は、少し間延びしていた。

麻子は自分の推測が当たっていたことを悟った。

 

「―――――頼みがある」

 

麻子の単刀直入な物言いに何かを感じ取ったのか、渡里の表情が瞬間で引き締まる。

身を起こし、座ったままの体勢で渡里は麻子を見上げた。

 

渡里のこういうところは、話が早くて助かると麻子は思った。

心の機微に敏感というか、空気を読むのが上手い人なのだ。

 

麻子は静かに深呼吸した。聞く体勢が整ったのなら、話を切り出さなければならない。

 

 

「—————————」

 

 

麻子の言葉に、渡里の目が少し見開かれた。

その反応は、麻子の予想をほんの少しだけ裏切っていた。。

 

渡里が言葉を咀嚼し、真意を理解するまでにかかった時間は僅かなものだった。

だが麻子にとって、自らの選択を振り返るには十分だった。

 

麻子には、自分に足りないものというのがさっぱりわからない。

神栖渡里が自分に何を求めているのかも、同じくわからない。

 

でも、今自分がすべきことは分かる。

 

わからない、だから足を止める………そうじゃない。

わからなくても、やれることを探す。できることを見つける。

そうやって、日々を積み重ねていくこと。

 

その果てに答えがあると、信じて。

 

それは教科書や書物からあらゆる知識を授かってきた麻子にとって、未知の体験だった。

答えはどこにも載ってない。引用することも、参考にすることもできない。

渡里は教えてくれないし、他の誰も同じ。

 

広大な砂漠のどこかに埋まっている宝石を探し当てるような、そんな作業。

 

真面目になったものだ、と麻子は心の中でため息を吐いた。

ほんのちょっと前の自分なら、そんな面倒なことは絶対にしなかった。100点(最高)が取れていなくても、85点(最良)が取れているならそれで良しするタイプだったから。

必要のない努力は、お金を貰ったとしてもしなかっただろう。

 

でも、それが変わったのは。

戦車道を始めてから出逢った友達と。

戦車道を始める前から友達だった、口うるさい誰かのせいなのだろうと、麻子は思った。

 

授業は退屈で、テストは面倒で、毎日はメランコリックに過ぎていく。

でも、わからないものをわからないで済ませるのは、ちょっと嫌だったから。

 

だから少しだけ頑張ってみようと、麻子は決めた。

その結果が友達の為になるなら、それも悪くないと思いながら。

 

 

 

 

 




麻子さんと自転車2人乗り
制服エプロンの西住殿

作者の好みが露骨に出た回でした()

最後に武部殿編、他チーム編、幕間が2つくらいで合宿編は終わります。
そして戦闘描写ばっかの大会編が始まります。
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