長すぎるので適度に休むなり読み飛ばすなりしてください。
以下注意点。
・原作では武部殿はお電話しておりますが、本作では高速のメール打ちを披露してもらいました。
・個人的にはアリサは先輩のことを勝たせたくて仕方なかった、と解釈しております。根っこは良い子だよきっと。
・いやお前が格言言うんかーい
読み。
戦車道においてそれは、勝敗を分かつ要因の一つと言ってもいい。
相手の作戦を読むことは即ち、相手の動きを制御することになり、相手の心理を読むことは即ち、相手の動きを支配することになる。
畢竟、どれだけ相手の上を行けるかが全てを分かつ世界において、これほど重要なこともない。だからこそ全ての戦車乗りは、少しでも多く、深く、相手の内を読もうとする。
読みの優劣は深度と速度、そして精度によって決まる。
例えばこれが戦車の一対一なら、目の前の相手の挙動を一つ読むだけでいい。
だが十両の戦車を指揮する隊長ともなれば、一手先を読むだけでは足りない。二手、三手先を読まなければならないだろう。
その人がどれだけ先を読めるか、これが深度。
そして最高深度に達するまでの時間、これが速さ。
その読みがどれだけ正しいか、これが精度。
一対一の戦車戦なら、深度は浅くても速く正確であればいい。
一手先しか読めなくとも、それを連らせていけばいいからだ。
隊長、多くの戦車を率いる立場なら、深度と精度が高ければいい。
多少遅れても、最後に一歩でも相手を上回ればいいからだ。
読みの程度には個人差がある。
時間はかかるが誰よりも深く読める者。
深く、そして速く読めるが、少し精度が落ちる者。
誰よりも速く読めるが、二手先までしか見えない者。
千差万別。戦車乗りの数だけ、その種類はある。
その中で西住みほは、精度と速さにおいては飛び抜けていた。
咄嗟の判断能力、柔軟な発想と劣勢の中で輝く変幻自在の戦術。
あらゆる状況に一瞬で対応するその敏腕の裏にあるものが、誰よりも速く正確な読み。
極近未来を読み、瞬間的な思考と判断が必要とされる高速度域の戦闘に高い適性を持つのが、西住みほであった。
しかしもちろん、みほは浅い読みしかできないわけではない。
割合としては低いというだけで、時間をかければ四手、五手先を読むことができるだけの力はあるし、それは隊長として十分以上の能力である。
たがらこれは欠点というべきではなく、ある程度の偏りというべきものだ。
だがもし、全てが最高水準の読みを持つ者がいたらどうなるだろうか。
誰よりも先が読め、誰よりも速く読め、誰よりも正確に読める者。
もしそんな人間がいたとしたら、その読みは先読みを超えて、最早予知だ。
誰も勝てない、真に無敵の戦車乗りとなるだろう。
当然、そんな人間としてギリギリ片足立ちしているよう化け物はいない。少なくとも、みほは見たことがない。
ただ、それに近いことをする人を、一人だけ知っていた。
言わずもがな、戦車道のことなら何でもできるとあるお兄ちゃんである。
あの人は五手先を読めたらいいという世界で、六手先を見通すことができる。
しかもみほがそこに辿り着くまでにかかる時間の、十分の一以下の時間で。
おまけに、百発百中の精度で。
だからみほは、戦術の読み合いで兄に勝ったことは一度もない。
もっと言うなら、対等に戦うことすらできた試しはない。
策も、心も、あらゆるものを見通し、看破する兄の眼から逃れることが、どうしてもできなかった。
きっとあの人の眼は、もっと別の所に在るのだとみほは思う。
みほ達がいるところよりも遥か遠く、遥か高く。
悠然と空を舞う鳥よりも高い所から、いつも静かに見下ろしているのだ。
遥か高みを征く兄の姿を、みほはずっと見てきた。
だから誰よりも、兄の凄さを知っている。
ゆえにこう思うのだ―――――きっとあんな人は、世界に三人といないだろう、と。
しかし……
『三時方向、火力増大!』
『こちらウサギチーム、後方へのルートが遮断されました!』
「火力を集中させて、包囲の完成を防いでください。撃破されないことを最優先で!」
無線から送られてくる情報と、目視による情報。二つを脳内で合わせて、みほは状況を把握した。
どうにも、また包囲されかけているようである。
何とか網を食い破ろうとしているのだが、その度に新しい網を掛けられてしまって身動きが取れない。
幸いなことにまだ本格的な攻撃が始まっていないが、一度包囲が完成してしまえばあっという間にみほ達は射貫かれてしまうだろう。
そんな、有体に言ってピンチなのが大洗女子学園の現状だった。
「また塞がれた」
「うーん、ちょっと予想外ですね。サンダースはどちらかというと、読んでかわすというよりは真っ向から受けて弾き返すイメージの方が強かったんですけど」
「わ、わ、河嶋先輩落ち着いてくださいっ。まだ全然大丈夫ですからあんまり無線で叫ばないで……」
「困りましたね……どうしましょうか」
揺れる四号の中で交わされる会話に耳を傾けながら、みほは思考の歯車を回す。
誰が指揮を執っているのかは知らない。
だが間違いなく、この森林地帯での戦いを指揮している者は、兄に近しい領域にいる。
みほはそれを、感覚的に悟っていた。
自分の全てを見透かされているのではないか、という閉塞感。
籠に入れられ、ゆるりゆるりと四肢を縛っていくようなこの感じが、兄と戦っている時のソレとそっくりなのだ。
正直、意表を突かれた感覚がある。
優花里の言う通り、サンダースは相手の動きを読んで上を行くというよりは、策なんて正面から食い破ってくるタイプのチームだとみほも思っていた。
だが実際はどうだ。あの兄と同レベルの読みで、こちらの動きを的確に抑えてくる。
(一度退いて態勢を立てなさないとダメかも……)
現状はだいぶ不利だ。
あの読みの前では、ありとあらゆるものが無効化される。みほ達が今日まで積み重ねてきたサンダース対策も、このままでは意味がない。もはやそれ以前の問題だ。
「沙織さん、現在の相手の配置をください」
「ん?えーと、ちょっとまってね………」
ヘッドホンを着けて各方へ言葉を飛ばしながら、沙織は小さなホワイトボードの上にペンを走らせていく。
薄いピンク色で背中にデフォルメされた猫のイラストがある、いかにも女の子用みたいなデザインのホワイトボードは、実は兄からプレゼントされたものであることをみほは知っていた。
通信手として必要なものだろう、ということで兄はあげたらしいが、その時の沙織の喜びようったらなかった。今日に至るまでそのホワイトボードが、傷一つない新品のような状態を保っているあたり、その度合いが計れるというもの。
しかしまぁ、ちゃんと沙織の好みを把握してるあたりが、実に兄のズルいところである。
「ここから撤退するんですか、西住殿」
滞りなく装填を行いながら、優花里は問うた。
「うん、このままここで戦っても分が悪いし……それに、みんなちょっと動揺してる。一呼吸入れて、リズムを変えた方が良いと思う」
みほとしても気持ちは分かるところだ。
アレを前に何のリアクションもなく平常でいることは難しい。動揺の一つや二つ、した方がむしろ健全だと思う。
しかしそれで、いつまでも練習の成果が十分に発揮できないのでは困る。
このまま修正するのは難しいし、ひとまず流れを断ち切って仕切り直すべきだろう。
みほの言葉に、しかし優花里は眉を八の字にした。
「できるでしょうか……サンダースの動きは迅速ですし、何より読みが鋭すぎます。ここで勝負を決める気で攻めてきているサンダースの包囲を抜くのはおそらく一筋縄では……」
不安を滲ませる優花里。
みほもまた同じ気持ちではある。ここまで散々挑戦しては、失敗しているわけだし。
だが
優しい笑みと共に、みほはその感情を表に出した。
叶うならそれが、優花里の不安をも打ち消してくれれば、と。
「大丈夫。さっきまでは私もちょっと混乱してたけど、相手がお兄ちゃん並みの読みをするのは分かった。だったら、こっちもその気で動けばいいの」
呼び起こされるのは、二か月にも及んだ合宿の記憶。
みほは人知れず安堵していた。
これが、兄と同じタイプの人で良かった、と。
だってみほは、誰よりも知っている。
神栖渡里との戦い方を。
なら、その対策がそっくりそのまま使えるのは、当然の道理だ。
「はいみほ、こんな感じ」
「ありがと沙織さん」
渡されたホワイトボードを見て、みほは数秒思考した。
綺麗な陣形だ。これだけ取っても、やっぱりサンダースは並みじゃない。
でも、
「―――――うん、行けそうかも」
みほは頷いた。
ホワイボードに示された相手の配置を脳内の地図に反映させた時、みほには自分達が行くべき道がはっきりと見えていた。
そしてそこに至るまでの、攻防さえも。
「麻子さん、ちょっと操縦が大変になるけど大丈夫ですか?」
「問題ない。寧ろそれくらいじゃないと退屈だ」
頼もしい返事に、みほは背中を後押しされる気持ちになった。
なら自分は、自分の仕事に集中しよう。
キューポラから顔を出し、周囲をもう一度確認したみほは、咽頭マイクに手を当てた。
「―――――――」
伝播する作戦内容。
反応は様々だが、大洗女子学園の意思は統一された。
一息、合図と共に動き出した五両の戦車。
飛び交う砲弾の雨の中、木々を縫うようにして駆けていく。
問題はここから。でもみほは、もう知っていた。
あの人の読みに対抗するための、一番簡単な方法。
それは、
「読んでも意味がないくらい、完璧に詰めばいい」
○
「無粋ですこと」
それは常日頃からダージリンの傍に仕えているオレンジペコですら、これまでで片手の指ほどの回数しか聞いたことのない、無機質な声色だった。
ティーカップの中、琥珀色の泉は完全に凪いでいる。
紅茶さえ飲んでいればご機嫌なダージリンが、ここまで表情から色を消すことは滅多にない。ましてや今は、横に憧れの人が座ってる状況なのだ。機嫌が良くなることはあっても、その逆なんてありはしないとオレンジペコは思っていた。
しかし現実問題、青い瞳の奥には絶対零度。
笑えば花のように周囲を魅了する美少女も、無表情になれば周りを凍てつかせる氷の刃となる。美人ほど怒れば怖いものである、という言葉の意味をオレンジペコは理解した。
「そうやって勝ったところで、いったい誰が讃えてくれるのかしら」
ダージリンがここまで言うのには、当然理由があった。
オレンジペコは視線を横から正面に移す。その先には、試合の趨勢を写す戦況マップがある。
リアルタイムで更新されていくそれの中には、二色のマーカーが忙しなく動いており、どちらかが大洗女子学園で、もう一方がサンダース大付属となる。
見分け方は簡単だ。外側にあるマーカーがサンダース、内側にあるマーカーが大洗女子学園。もっと大雑把に言うなら、
籠の中からなんとか抜け出そうとして、でもその度に失敗して息苦しそうにもがく。
ここから見ると、大洗女子はそんな風に見える。そしてそれは、おそらく間違いではないだろう。
いわゆる『動きが読まれている』というやつだが、それは大洗女子が未熟だから……ではない。直に見たわけではないが、それでもはっきりとわかるくらいに大洗女子はオレンジペコ達と戦った時より遥かに成長している。
もし再戦するならば、きっといつかとは全く違った戦いになることだろう。
だからこれは、サンダースの方が異常と言うべきことだった。
オレンジペコはビデオや資料でしかサンダースを知らないが、印象としては王道。正面からガンガン攻めて、仕掛けられた罠は食い破る、という感じ。
豪快で、シンプルで、ある意味見ていて気持ちがいいのがサンダースの戦車道だった。
しかし今のサンダースは、それとは違って見える。
いや、練度自体は変わらない。小隊の連動の仕方などは、見ていて勉強になるほど綺麗だし、選手個々の能力も高い。聖グロ、黒森峰、プラウダに並ぶ高校戦車道の猛者という評判に、嘘はない。
ただ拭えない違和感だけがずっとあった。果たしてサンダースは、あんな異常な読みをするチームだっただろうか、という違和感が。
あれでは真正面から殴り勝つというよりは、封殺するという方が相応しい。
個々人ならまだしも、アレはもはやチーム単位の変化。春先からここまでかけて、戦術を作り直したとは考えづらい。
そんな風に頭を悩ませている時、答えをくれたのがダージリンだった。
そしてそれこそが、サンダースが彼女の不興を買った理由でもあった。
「無線傍受……」
オレンジペコの呟きは、空に溶けて消えていった。
地獄へのホットライン。空から声を掠め取る盗聴者。
それが、サンダースの読みの正体。
確かに無線を傍受すれば、大洗女子の動きなどは全部丸わかりだ。
戦車道での主なコミュニケーションが無線である以上、そこには作戦の内容も、意思統一も、文字通りの全てがある。
だからいつかの大戦時、あらゆる国が諜報と防諜に力を入れた。
だってそれは、相手を掌握し支配することに直結しているのだから。
でもこれは戦車道。戦争じゃない。
無線傍受機の使用は、規則で禁止されてはいない。
ただそれは明記されていないというだけで、不文律はちゃんと存在する。
ゆえにサンダースの行為は、ルール違反じゃないルール違反とでもいうべきだろうか。
何にせよ、オレンジペコが敬愛する金髪青眼の隊長は、それを優雅ではないと断じていた。
ダージリンという人は、本当に美しい人なのだ。
見た目だけじゃなく、心や魂までもが。
だから戦車道でも、正々堂々と戦うことを望む。
口では「イギリス人は恋と戦争では手段を選ばない」なんて言っているが、本当に手段を選ばなかったことは一度もない。当然策を弄すことはあるが、それはあくまでルールの中で全力を尽くしているだけだ。
だからきっと、サンダースの行為が面白くないのだろう。
そんなことをしなくても十分な力があるだろうに、何故自らの手で自分たちの誇りを汚すような真似をするのか、と。
「ケイさんがこんなことをするとは思えないし……主犯は別の人ね。唯一前線に参加していないフラッグ車の車長かしら」
サンダースの隊長であるケイは、ダージリンと親交があり、その縁でオレンジペコも多少ケイの為人を知っている
太陽のような人、とでも言おうか。とにかく明るく、優しく、周りを元気づける、そんな人。この人の元にいたらきっと楽しいだろうな、と初対面で思わせるような人だった。
だからこういう仄暗さとは無縁で、到底今のサンダースと彼女を結び付けることはできない。ダージリンの言う通り、誰かが独断でやっていることなのかもしれない。
そこでふと、オレンジペコはあることに気づいた。
ダージリンの横にいる人は、今どんな顔をしているのだろうか。
神栖渡里は、今まで大洗女子学園の面倒をずっと見てきた人だ。
共に重ねた時間で言えば長くないだろうが、それでも彼と大洗女子の間にあるモノは決して小さくもないと思う。
だってオレンジペコも、たった数か月一緒にいるだけのダージリンをこんなにも慕っているのだ。同じ事が彼らにも言えるはずだ。
そんな神栖渡里は、今何を思っているのだろうか。
自分が育て、導いてきた教え子たちが、正々堂々とは言えない行為の餌食となろうとしているこの状況を、どんな風に見ているのか。
あまりにも静かにいる彼の横顔を、オレンジペコは横目で伺った。
そこにあるのはダージリンと同じ感情か、それともそれ以上のモノか。
「………よし」
しかしオレンジペコの予想とは裏腹に、渡里の表情は穏やかだった。
彼は怒りで眉を顰めるどころか、むしろ笑みすら浮かべている。
オレンジペコは意表を突かれて、思わず渡里の顔を凝視してしまった。
すると途端、オレンジペコの視線に気づいた渡里が首を傾げて視線を返す。
「どうかしたかい」
「い、いえ、その……渡里さんの表情が少し喜んでいるように見えてしまって……」
「……そうだね、ちょっと喜んでるかも」
バツが悪そうな顔を渡里はした。
その言葉がどういう誤解を招くか、きっと知っていたのだろう。
「無線傍受、渡里さんはとっくの昔に気づいていらしたのでは?」
「まぁ、サンダースの録画は百回以上見たからね」
ダージリンの問いに、渡里は事も無げに答えた。
「違和感はあったし、それに動きを読んでいるというならあの動き方はちょっと
いっそ呑気と言っていいほどの、渡里の口調だった。随分と他人事のように言うものだ。
オレンジペコが予想していた、怒りとか不満とか、そういったマイナスな感情が一つも見えてこない。
これではオレンジペコの方が大洗女子贔屓してるみたいではないか。
「よろしいのですか?」
「良いも何も、ルールブックには載ってない行為だ。厳密には反則じゃない。訴えたところで有耶無耶になって終わりだろ……それに、そこまで非難してるわけじゃないし」
なぜ、と問う前に渡里は続きを紡いだ。
「サンダースが過去に無線傍受を使用したことはない。きっと今回が初めてだ。だからかな、少し動きがぎこちなく見える。慣れない動きをしている証拠だ」
「……なるほど、確かに調和が乱れているように見えますわ」
得心が言ったように頷くダージリン。
残念ながらオレンジペコには、ただの違和感としか捉えることができない。
それだけ二人が、高みにいるということか。いやあるいは、
なんにせよ、少し羨ましく思うオレンジペコだった。どちらを、かは言わないが。
「普段通りの動きをされたら厳しかった。でもアレなら付け入ることができる。自分から盤石の体勢を崩して隙を作ってくれたんだ。利があるなら良しとするさ」
すると渡里は、視線でモニターを見るように促した。
四つの眼が、そちらへと向く。
「こんな格言がある。『危機とは二つの漢字でできている。一つは危険、もう一つは好機』。あいつらなら、危険の中の好機を掴み取ることができるはずさ」
「第35代アメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディですわね!!」
モニターの中、そこには迅速極まる動きでサンダースの包囲網を食い破ろうとする大洗女子学園の姿があった。
オレンジペコは凝視した。決して目を離してはいけないものが、記憶に刻まなければならないなにかが、始まる予感がしていた。
………断じて、やけに目を輝かせて興奮している様子のダージリンから目を逸らしたいわけではなく。
「渡里さんも格言がお好きなんですね!」
「いや別にだけど……あのダージリン、さっきより近くないかい?」
「ふふ、気のせいですわ渡里さんっ」
(十分後くらいには腕くらい組んでそうな勢いですねダージリン様)
断じて。
○
抜けた。
抜けて
それが、今のみほの率直な気持ちだった。
サンダースの厳重極まる包囲網。
脱出困難と思われていた籠を、大洗女子学園はあまりにもあっさりと脱出していた。
いや、それ自体はとてもいいことだ。だってそれが目的だったのだし、普通に喜ぶべきところだろう。
でも、それでもみほの中にある感情は、『やった!』よりも『あれ?』の方が強かった。
「……作戦、成功したんだよね?」
「えーと……どうなんでしょうか……?」
首を傾げる沙織と優花里。
その反応が、全てを物語っていた。
包囲を突破するためにみほが各チームに下した指示は一つ。
『バラバラ作戦で行きます』、これだけである。
バラバラ作戦とはかつての男性戦車道愛好会との実践訓練中、みほ達が行った数ある作戦の内の一つ。聖グロリアーナとの練習試合の際に使った『こそこそ作戦』を改修したものであり、チームを散開させてある地点で集結、また散開といった風に密集と離散を交互に繰り返し、そこに火力を加えて相手の陣形を崩し攪乱することに特化した作戦である。
こそこそ作戦より複雑かつ、全員の密な意思疎通が不可欠な難易度の高い作戦だが、大洗女子はもういつかの初心者の集まりではない。練習を積み重ね、キチンと使いこなせるようにしていたのだ。
バラバラ作戦の利点は二つ。
全員が作戦名の通りバラバラに動くため、相手の狙いを分散させることができるという防御的な効果。
そしてもう一つ、機動力をフルに活用することでこちらの狙いを隠蔽する、あるいは気づいたとしても反応できなくさせる攻撃的な効果がある。
前者に関しては今回さほど意味はない。肝要なのは後者だ。
包囲の突破口は一つだけ。一か所穴を空けさえすればそれでいいし、もっと言うなら一か所しか空けることができない。
だから包囲の攻防とは畢竟、その一か所を巡る戦いだ。いや例外もあるかもしれないが、少なくとも今はそういう状況。
だからこそ、複雑に動き回り、ギリギリまで狙いを悟らせないバラバラ作戦をみほは採用した。
しかし当然、サンダースの読みを計算に入れていないわけではない。
そう、兄と同じ読みをするサンダース相手に、バラバラ作戦は実はあんまり効果がない。
バラバラとは言っても大洗女子学園はちゃんと一つの秩序を以て行動している。なら、その秩序を解き明かせば、そこから逆算してみほ達の動きを読み切ることはできてしまうからだ。
簡単ではないが、兄はそれを普通にやる。なら、サンダースだって同じのはず。
だからみほは、もう一つ策を練っていた。
読み切られることは織り込み済み。ならそれを前提に置いて、バラバラ作戦を撒き餌にした本命とも言うべき伏せ札を用意し、二段構えの作戦を構築する。
それもただの作戦じゃない。読んでも意味がない、解ってても対処できないとっておきの作戦だ。
それを使えばサンダースを打倒することは難しくても、この場において一枚上手を行くことくらいはできる。
だからみほは慎重にその機を図っていた。
タイミングを逸すれば、全ては水の泡。
決して逃さないように、感覚を研ぎ澄ませていた―――――のだが。
それを起動する前に、みほ達はサンダースの包囲を抜け出し、森から撤退することに成功してしまった。
しかも拍子抜けするほどに簡単に、あまりにもあっさりと、思わずつんのめってしまうくらいに。
(サンダースが読み違えた……?)
ありえるのだろうか、とみほは思考の歯車を回す。
これまでサンダースが見せていた読みは、みほがこれまで味わってきたものの中でトップレベルの鋭さだった。その切れ味たるや、兄のソレとぴったりと重なる程で、みほですら到達していない領域のもの。
そんなチームが読みを外すことがあるのか。
少なくとも、兄は絶対に外さなかった。なら、逃がしたのはワザとか。
いやそんなことをするメリットはないはず。こうして間を置いても追撃がこないということは、サンダースは此方を見失ってる。じゃなきゃこんなにのんびり平野を走ることはできないだろう。
「お兄ちゃんとサンダースは何かが違う……?」
これまでの
兄とサンダースの相違点、これまでの自分達の行動。それらを並べて揃えて眺め見て、浮かび上がるものは何か。
―――――――一つだけ、引っかかるものがあった。
それは動き。
みほの中にある兄のソレと比べて、サンダースのソレはほんの少しだけ無駄がある。いや、無駄というよりは効率が悪いというべきか。
兄は相手の
でもサンダースがそれと同じかと言うと、ちょっと違うとみほは思う。
確かに動きこそ綺麗だが、兄より「知ってました」感がない。読むのではなく、みほ達の動きに瞬間で反応して、その場その場の対応が連なっている感じがする。
兄が正真正銘の先読みをしているなら、サンダースは……
「後出し―――――」
途端、みほの中で閃くものがあった。
キューポラから顔を出し、周囲を見渡す。
水平に見るのではなく、仰角を上げて。
「……あった」
そしてみほは見つけた。
ぷかぷかと空を泳ぐ、盗聴者を。
合点がいった。
アレがあれば、それはあんな動きだってできるだろう。兄は相手の心を読み取るが、サンダースは機械の眼でそれをやっていたというわけか。
だからバラバラ作戦を読めなかった。アレは無線で連携を取っていなかったし、みほも作戦名しか無線には流していなかった。
「みほ、とりあえずサンダースは撒いたわけだし、一回戦車を停めて作戦会議するんだよね?場所はP315地点でいいよね――――」
「あ、ストップ!」
無線を飛ばそうとした沙織を、みほは慌てて止めた。
沙織は「へ?」と機械を弄る指を硬直させた。何事か、というように優花里や華も沙織と表情を同じくしていた。
「あのね、多分サンダースはこっちの無線を傍受してる」
「えぇ!?」
「無線傍受ですか!?」
優花里は飛び出すように外へ顔を出した。
「あ、本当です!無線傍受機が打ち上げてあります!」
「なにそれ!?そんなのアリなの!?」
沙織の声に、麻子が平然として答える。
「ルールブックでは禁止されてない、が。使用が認められているわけでもない。グレーゾーンだな、どちらかと言うと黒よりの」
「ズルじゃん!?サンダースの隊長、優花里がスパイしたの笑って許してくれたし、すごい良い人そうだったのに!」
「人は見かけによらないということでしょうか……」
華は少しだけ悲しそうな声色でそう言った。
みほもほとんど同じ気持ちだった。しかし少しだけ、思うところがある。
サンダースの隊長が、本当に指示していることなのか。
みほは彼女のことを全然知らないし、会ったことすら今日が初めてだ。
でも不思議とみほは思う、あの人は自分が負けるとしても、最後まで誇り高くあろうとするんじゃないか、と。
まぁ誰がやったかは、今考えるべきことじゃない。
考えるべきは、無線傍受の対処である。
「沙織さん、これから通信は携帯電話でやりましょう。無線は極力使わないでください」
「わ、わかった。メールとかでいいかな……」
沙織はポケットから携帯電話を取り出した。
まぁ戦車道の試合中に携帯電話はあんまり持ち込まないけど、今回は大いに役立ってもらおう。
「でもみほさん、よく気が付きましたね」
高速でメール打ちする沙織を見ていると、華がそう言った。
「うん、色々気づくポイントはあったけど……一番大きかったのはやっぱりアレかな」
「アレ、ですか?」
華は首を傾げた。
みほの中で何よりもヒントになったもの。
サンダースの無線傍受に確信を与えてくれたもの。
それは一つの絶対的なこと。
「考えたら、お兄ちゃんよりすごい人なんているわけないもん」
出た、ブラコン。
そんな声が、どこからか聞こえた気がした。多分気のせいだろうそうに違いない。
「でも無線傍受は厄介ですね……武部殿のメール打ちも限界がありますし、どうしましょうか?」
「盗聴してるなら、それを利用すればいい。向こうはこっちがまだ気づいてないと思ってる。なら無線の内容を疑いはしないはずだ」
「あえて嘘の情報を流す、ということですか……?」
確かに有効な手だ。
無線傍受に囮の作戦を掴ませ、本命はメールで送信。そうすればサンダースの動きを此方でコントロールできる。
しかしみほは思った。
それをやってしまうと、サンダースは今後無線傍受をしなくなるだろう。
その後は純粋な、戦術の腕と実力の比べ合いだ。そうなった時、大洗女子は少し旗色が悪い。
それで勝敗を決することができるならまだしも、多少有利にできるくらいじゃ少し勿体ない。
どうせなら――――――
「とっておこうかな」
六つの瞳が此方を向いた。
それにみほは微笑を以て答えた。
第二ラウンド、その舞台は―――――――丘陵。
「全員集まったかな」
場所は戦車を格納してある倉庫の前。
天候は晴れ。時間は十六時。
キチンと整列した大洗女子学園総勢22名の前に立ち、神栖渡里は腕を組みながら言った。
「それじゃさっそく対サンダースの特訓を始める……前に、一つおさらいだ」
ピンと指が一つ立つ。毎回思うが、癖なのだろうか。いかにも先生っぽい振る舞いだけれども。
「サンダースの得意とする戦術は包囲。多数で囲んで多数で撃つ、まぁ数の暴力ってやつだ」
ちなみに包囲自体はどのチームもやっていることではある。
ただそれを得意とし、必殺の戦術まで昇華しているのがサンダースの凄さである。全国一の戦車保有数を誇る学校だから、包囲と相性が良いというのもあるけれど。
「対処法はいくつかあるが、基本は包囲自体されないこと。囲まれたらすぐに抜け出すこと」
「そ、それができれば苦労しないと思うんですけど……」
優花里はボソリと呟いた。
「包囲の破り方は単純だ。一回戦では戦車が十両しか出せないから、サンダースがどれだけ戦車を持っていても試合中は十両での包囲になる。となると厚み自体はそんなにない。いいとこ、三両でワンブロックを形成するのが限界だろう」
例えば東に二両、北に三両、南に三両、西に二両みたいな分配になる。
その何処かが行き止まりであれば、その分もう少し増えるだろうが、それにしても兄の言う通り三両くらいだろう。
そこが、大洗女子のねらい目である。
「対し此方は五両もある。相手が三両で作ってるブロックに五両で固まって突っ込めば、当然二両分こっちが有利になる。簡単な計算だな」
ちなみに兄の言うことは、限界まで簡略化されている。
本当はもっと複雑で、そんな引き算みたいに上手くいくことじゃない。
まず突っ込むのはいいが、そこで少しでも足を止められたなら横やら後ろやらから攻撃されて即撃破。加えてサンダースもみほ達がそんな分かりやすい動きをすれば、一時的にその部分だけブロックを厚くして突破されないようにするだろう。
あくまで兄の言は、基本的な考え方である。
それより深いところは、みほ達が自分で考えなければいけない。
「ただサンダースも黙ってそれを見てるだけじゃなく、当然妨害してくる。つまるところ、そこの攻防を巡る駆け引きが全てだ」
となると必要なのは、
「ここでの負けはそのまま試合の負けだ。勝つためにはサンダースの動きっていうのを知っておく必要がある。そこで、今からする特訓だ」
こういう練習は黒森峰にいた時もやった。
基本的にはチームメイトに仮想サンダースをしてもらったり、試合のビデオを見て研究したりだった。
まぁビデオなり資料なりは兄が作ってるんだろうけれど、果たして仮想サンダースはどうするのだろうか。
「あの、渡里先生」
「なんだ秋山」
「ここに集まったということは、これから戦車に乗るんですよね?」
「勿論」
「その、サンダースの動きを知るというのは分かるんですけど、一体どうやって……?」
みほ達にサンダースの戦術を体感させようというなら、あと十両はいる。
しかし当然、ここにはそんな数の戦車はない。
兄は魔法みたいな戦術を使えるが、本当に魔法が使えるわけでもないし、まさかいきなり空から戦車が降ってきたりすることもない。
まさかイメージトレーニングだろうか。
何もないところに空想のサンダースを描き出し、それで代用するとか。
それはちょっと無理があると思うのだが。
そんなみほの予想を、渡里はしっかりと裏切った。
「簡単だよ。お前達がサンダースになればいいんだ」
へ、という声が聞こえた。
呆気に取られる一同を前に、渡里はどこからかヘッドセットを取り出し、手の中で遊ばせた。
「各操縦手は、俺の指示通りに戦車を動かせ。かなり細かく注文をつけるから、そのつもりで。他の者は見てるだけでいい。自分と他の戦車がどんな風に動くのか、頭にしっかりと刻め―――――それが、サンダースの動きそのものだ」
まさか、とみほは瞠目した。
この人、本気で言ってるのだろうか。
渡里の指示通りに動いた戦車が、そのままサンダースの動きになる。
それはつまり、
「さ、サンダースの戦術をコピーするってことですか……?」
「あぁそうだ。これから俺が、お前達をサンダースに仕立てる」
事も無げに渡里は言った。
サンダースの戦術は、これまでサンダースが長い時間をかけて練磨してきたものであり、それは決して一朝一夕で真似できるものではない。
みほだって「やれ」と言われてもできないし、時間をかけたって難しいだろう。
それをこの人は、試合の映像を見ただけでやってみせるというのか。
「今からお前達は、自分で自分を追い詰めていく。攻めるサンダースを自分に置き換え、防ごうとする自分は虚像として投影しろ。その上でこう考えろ、
視点の交換。
確かに自分がサンダースになれば、突きべきポイントは解るだろう。だって『自分』は『相手』なんだから。
簡単な理屈だ。でも、実行には絶対に移せない。
その前提となる、自身を相手へと変貌させる工程が、あまりにも難しすぎるから。
おそらくこんなやり方、兄にしかできっこない。そもそも、誰もやろうとすら思わないんじゃないだろうか。
そこをやってしまえるのが、神栖渡里の力か。
「自分がされたら嫌なこと、それを見つけろ。ちょっとだけ、イジワルになってな」
悪い顔をした人が、そこにはいた。
甲高い音が響いた。
同時に、四号戦車の車体が少し前後に揺れる。
どうやら稜線から出していた砲塔部分が相手の弾を受け止めたらしい。
みほが視線で華に問うと、返ってきたのは一つの頷き。
どうやら砲撃に問題はないようだ。まぁ砲塔部分、特に防楯と呼ばれるところはそうそう簡単に砲弾を通さないくらい硬いところだし、当たった所で大したことはないと踏んではいたが。しかしこの距離でも当ててくるあたり、やはり個々人の能力は高い。
それはさておき、サンダースはちゃんと来てくれたようだ。
みほが望んだ、この広い広い丘陵に。
「沙織さん、通信を」
「わかった!」
沙織の指が携帯電話の上で踊る。
これでみほの指示は全車へと行き渡る。
まぁもっとも、細かい指示は既に伝達済みなわけだが。
「やはり来ましたね」
「うん、よかった」
みほは安堵の息を吐いた。
サンダースがここにいるのは、何も驚くことじゃない。
なぜなら他ならぬみほ自身が、
無線傍受されていることを分かった上で、この場所に布陣するという情報を無線で伝えることによって。
「みほ、正面に三両。九時方面から三両、後はまだ見つかってないけど……」
「うん、多分後ろだと思う」
「ファイアフライはまだ見えてないって」
「わかりました、ありがとう」
沙織から各チームの偵察情報を受け取り、みほは思考する。
予想通り、森の中で戦った時と同じように囲みに来ている。おそらく残りの何両かは、他の小隊と三角形を描くような位置取りをしているはず。
となると問題は、ファイアフライの所在。
(………後方から来る方に紛れてくれればいいけど)
しかし待ってる時間もない。みほは麻子に合図を送った。
すると四号戦車は僅かな傾斜を下り、高低差が生む壁の影に隠れる。
これでサンダースからは完全に姿を隠した形になる。
この辺りは小さな波のように小山が連続しているので、こういう風に射線を切ることも隠れることも簡単にできる。
ハルダウン、と呼ばれる稜線に車体を隠して砲撃する技術があるが、ここはそれに適した場所といえるだろう。
ちなみにハルダウンは一般的には車高の高い戦車に向いているとされ、端的に言うとアメリカ戦車の得意分野である。つまりここはサンダースにとってはある種戦いやすい場所となる。
……だからこそ、ここを選んだわけだけど。
「カメさんチーム、行動開始してください」
「カメ、さん、行動、開……始っと!」
頃合いを見て、みほは追加の指示を出す。
沙織の携帯電話によって飛ばされたソレは、みほ達がいる地点から離れた所へと向かい空を駆ける。
無事届いただろうか。
その答えは、一つの光景となって現れた。
遠く遠く、みほ達の後方に、砂塵が舞い上がったのだ。
みほは目を凝らした。
この距離でみほに見えるということは、サンダースもきっと同じものを見ているだろう。
でも見え方は違う。
みほ達はあれが、『38tに取り付けた木と丸太が地面を擦ってできた砂塵』と知っている。
でもサンダースは『相手に見つかった大洗女子が慌てて逃げている時にできた砂塵』と思うだろう。
その勘違いを、みほは誘発させたかった。
そのために四号に弾が当たってから38tを動かすまでの時間を、それっぽく見えるように調整した。
簡単な
「アヒルさんからメール!後方にファイアフライ含む三両発見、進路変えて38tの方に向かってるって!」
成功。みほは深く息を吐いた。
ついでにファイアフライの位置が分かったのも大きい。これで心置きなく戦える。
「ウサギさんチームはこちらに合流するよう伝えてください。それから九時方向の三両の動向も確認してください」
みほ達から見て左側に偵察に出していたウサギさんチームだが、もう充分だろう。
九時方向の三両を見つけてくれただけでも御の字である。
同じように偵察に出していたアヒルさんチームにも指示を飛ばすと同時、ウサギさんチームが合流した。
「西住隊長!九時方向の三両、作戦通りカメさんチームの方に向かっています!」
「うん、ありがとう」
みほは脳内で地図を広げる。
正面三両は健在。
九時方向の三両は右折して七時方向へ。
後方にいた三両も同じく七時方向。
此方は三両固まってて、アヒルさんチームとカメさんチームはそれぞれ別行動。
――――大方うまくいってる。
頷き一つ、みほはキューポラから顔を出し、同じく外に顔を出していたカエサルと澤に合図を送る。
頃合いだ。相手の動きを誘導できているとはいえ、
麻子に指示を飛ばし、四号戦車を動かす。
稜線を乗り越える寸前で一度停止させ、斜めになった状態で一息、
「行きます!」
四号戦車が勢いよくサンダースの前に踊り出る。
先手はこちら。あらかじめ準備していた華が一時停止後まもなく砲撃。
放たれた砲弾はやや弧を描きながら飛翔し、迂闊にも姿を晒していたシャーマンの砲塔側面を襲う。
金属同士が衝突する独特の音が響いたと同時、四号戦車は再び加速する。
(命中したけど、目立った損傷はなし)
おそらくカメさんチームの方に向かおうとしていた時だったのだろう。
今ので撃破できていれば最上だったが、まぁ気落ちするほどのものでもない。
不意を突かれたとはいえそこはサンダース。
瞬く間に態勢を立て直し、三つの火砲が稜線の上から覗く。
ハルダウン。あれの前では、此方の攻撃は効果が薄い。
「入って!」
しかしそれは此方も同じ。
稜線の奥に入るだけで簡単に攻撃は防げる。
流れるようにして射線を切った四号戦車。
しかしその僅か一瞬前、みほの視界を土砂が覆った。
サンダースの鋭い一撃が地面を抉ったのだ。
まったく油断ならない相手だ。もう少し遅かったら二つくらい弾が当たってただろう。
(……でも)
これで楔は打った。
完全にいないと思っていた所からの攻撃。サンダースの意識にあんこうチームが植え付けられる。
さぁどう出るか。見かけ上は、みほ達は単騎。
兄ならみほ達をスルーして一直線にカメさんチームの方に行くだろう。
でもサンダースなら、
坂を下り、坂を登り、再び視界が開けた時。
みほの目に映ったのは、サンダースの小隊二つ計六両が散開し、二両ずつ三方から囲もうとする光景だった。
どうやらカメさんチームを追いかけようとした九時方向の三両はこちらに合流したらしい。
圧倒的数の暴力で、みほ達を撃ち抜くつもりだろう。
しかしそれはみほの予想通りの動きだった。
極論、サンダースの戦術は一両相手に十両で攻撃するようなもの。
数の有利を信仰しているからこそ、どんな状況でも多勢でいようとする。
だから今だって、三両でも十分なところを、わざわざ六両も揃えてきた。
それは正しい考え方だ。でも、それに固執するのは正しくない。
だって発想を逆転させれば、ちょっとの工夫で
くるっと小山を一周する形で元の場所に戻ってきた四号。
キューポラから顔を出していたみほはカエサルと澤に対してハンドサインを行う。
意味は『相手三部隊、右翼、中央、左翼の三方から。数は二』。
頷く二人。
その数秒後、M3リーと三号突撃砲は意気揚々とエンジンを唸らせる。
ほんの少しのアイドリング。そして一息に、二つの戦車は地を駆けた。
『shit! 相手は一両じゃありません!三両です!』
僅かに間を置いて、四号が続く。
狙いは右翼。激しくアップダウンを繰り返しながら、一直線に二両のM4へと向かう。
サンダースが信仰しているのは数の有利だけじゃない。
複数箇所から攻めて囲い込もうとする、その戦術もそうだ。
勿論それだけしかしてこないわけじゃない。でも、サンダースはそれが許される状況なら、それをしようとする傾向がある。
そこが狙い目だ。
おそらく各個撃破されるよりも早く合流できるという判断の上での行動なのだろうが、みほ達はそれよりも一瞬速い。その一瞬があればみほ達は間合いを詰め、三対二の状況を作ることができる。
「マスターアーム・オン!」
先駆けのウサギチームとカバチームが砲撃態勢に入り、三つの砲身がM4へと向けられる。
彼我の距離は僅か。照準の先は、それぞれの砲性能で最大限の効果を発揮できるポイント。
操縦手がブレーキを踏み、砲手がトリガーに指をかける。
「
そして車長の号令に従い、戦車が一斉に火球を吐く。
轟音、白煙、金属音。放たれた砲弾はまっすぐに装甲へ向かい、そしてあえなく弾かれる。
直前で砲弾の入射角を調整し巧くいなしたのか、はたまた単純な火力不足か。
どちらにせよ、ここで撃破できなくても問題はない。
「華さん、砲塔左旋回!」
一層加速した四号戦車が、M3と三突の背後から飛びだし、勢いそのままにM4の側面へと回り込む。
正面は装甲が厚く、狙える場所も少ない。しかし側面なら履帯は勿論、約38㎜の装甲も四号の砲性能であれば抜ける。
みほの指示よりもほんの少し早く動き始めた砲身は、余裕を以て狙いを定める。
相手の砲身が正面のウサギさんとカメさんに向いている今なら、停止から砲撃までの猶予は充分。
履帯が地面を抉り、慣性の法則で上体が前方へと押される中、車体にしがみつきながらみほは声を上げた。
「撃て!」
極小のタイムラグで放たれた一撃。炸裂音が振動となって五体を揺らす。
華の砲撃能力を考えれば、この距離なら必中。
――――――勿論、相手が避けなければ、の話だが。
M4が寸での所で後ろに下がったことにより、弾は側面の端を僅かに捉えるに留まる。
みほは口を真一文字に結んだ。
傾斜の多いこの場所は、みほ達にだけ味方をするわけではない。ちょっとの前後移動でも、大きく的を外させることができるのだ。
「前進してください!」
みほは間髪入れず指示を飛ばした。
一か所に拘泥している暇はない。みほ達の目的は、もっと別の所にある。
M4の砲身が此方を向くよりも早く、四号戦車は加速して大きく左折。
最右翼から中央へと一気に横断する。その先には、また別のM4。
三対二の状況は変化し、右翼二対二、中央一対二へ。
『隊長!四号がそちらに向かいました!』
「四号だけじゃないぞー!!」
否、中央も二対二だ。
後方から高速で地を駆けてきた八九式が、風を切りながら四号の横に並ぶ。
流石は
戦場から最も離れていたアヒルさんチームだが、おそらく彼女たちでなければこのタイミングでの合流は不可能だっただろう。
「隊長車がいます!よく注意して!」
「ワオ、いいわね。受けて立つわよ!」
麻子が流れるようにギアを上げた。
更に右翼から中央にかけては少し下り坂。重力の力も加わって、四号と八九式は一段と加速する。
これによりみほ達は、右翼と中央の距離を大きく開けたまま接敵することができる。
その広大なスペースこそ、みほがこの状況で一番欲しかったものだ。
稜線を上手く使いながら、四両の戦車が砲火を交える。
火力はサンダースが上だが、効率では僅かに大洗女子が上回っていることにより、状況は五分。未だ右翼と交戦中のウサギさんとカバさんもどうやら同じ様子。
吹き抜けていく風が、草の香と硝煙の匂いを一緒くたにかき混ぜていき、目と耳と鼻が戦火に染まる。
均衡してる、とみほは思った。でもそれは一時的なもの。
こちらは四両で全てだが、向こうはまだ左翼の二両が残っている。
その二両がどう動くかによって、この均衡はあっけなく崩れるだろう。
しかし大洗女子学園は知っていた。
読んでいたのではなく、知っていた。
サンダースが描く未来への道筋、その全てを。
左翼の二両が即座に連動を開始し、中央へと迫る。
右翼ではなく中央に来たのは、単純な距離と地形の問題。
みほ達が先ほど三対二の状況を作ったように、サンダースは前後から挟んで四対二の状況を作ろうとしているのだろう。
「左翼が来ます!」
みほの声は、今度は無線に乗って伝播していく。
傍受されても問題ない内容なら、いくらでも流して構わない。
その一言だけでみほ達の動きを知ることはサンダースにはできないが、みほ達にはそれで充分なのだ。
迫りくる左翼の二両は、無防備な四号と八九式の側面へと一直線。
数十秒後の
しかしみほに、みほ達に動揺も焦りもなかった。
だって、
「行くぞ左衛門左!」
「応とも!」
「あゆみ右!あや左!撃って!」
「いっけー!」
「当たれー!」
それを止めてくれる仲間がいると、知っていたから。
右翼と交戦していたウサギとカバが、反転し中央へと向かい、移動中の左翼へドンピシャのタイミングで砲撃を浴びせる。
不意を突かれた二両の足が止まり、その分の猶予があんこうとアヒルに与えられる。
瞬間、あんこうとアヒルはあまりにも早く転進していた。
目指すはサンダースの三部隊が描く三角形の中心点。
先行する八九式を視界に収めながら、みほは指示を飛ばす。
「砲撃用意!」
照準の先は、ウサギとカバの背後を狙う右翼。
行進間射撃で砲弾の雨を浴びせ、彼女たちがそうしてくれたように、みほ達も右翼の足を止める。
思うように進めなくなっている二両のM4を見ながら、みほは嘆息した。
これが、あの特訓の成果。
戦局の秤がみほ達の方に傾きつつあるのは、みほ達が常に先手を取り続けているから。数の上では不利ながら、それでも大洗女子が互角以上に戦えている理由はひとえにみほ達が能動でありサンダースが受動であるからだ。
それは言葉にするほど簡単なことじゃない。先手後手なんていうのは、ちょっとの拍子であっけなく逆転するもの。有利な状況を維持し続けるのは難しい。
でも大洗女子はそれができている。
なぜなら大洗女子は、サンダースの一歩先にいるから。
大洗女子のアクションに対する、サンダースのリアクション。それをみほ達は読んでいる。
そう、みほ達にははっきり見えている。
攻めるべきポイント。サンダースの思考。次に自分たちがすべき動き。
その全てが掌の上にあって、自在に角度を変えて見つめられるような感覚が確かにある。
(だから――――――――)
右翼の足を止めても、あんこうとアヒルの動きは止まらない。
エンジンを最高に唸らせ、ギアはトップギアに。履帯を力の限り回し、戦車は羽が生えたかのように走る。
ウサギとカメの後方を通る形で迂回。終着点は、左翼の側面。
流麗な動きにより完成するは、一つの形。
大洗女子学園四両による、
隊長の号令の元、五つの砲身が雷を放つ。
吐き出される火球は雨となり、二方向から鋼の装甲を穿つ。
一つ一つは小さな雫だとしても、積み重ねればそれは岩に穴を空けることだってできる。
数では不利。それは百も承知。
でも総数で劣っているからといって、全ての状況で同じく劣っているわけじゃない。
こんな風に瞬間的に二対四の状況を作れたように、局地的になら大洗女子学園は数的有利に立つことができる。
何時でもできるかと言われたら無理だ。
射線を通しづらく起伏に富んだ地形、部隊間にある大きなスペース、その他諸々の条件が整って初めてできることだから。
でも環境が良かったからできたわけじゃない。
発生した好機を掴み取るだけの力が、ちゃんとみほ達には備わっているのだ。
知らず、みほの口は僅かに弧を描いていた。
もう大洗女子学園は、初心者の集まりじゃない。
こんなことだって、もうできるのだ。
ポン、と独特の音がした。
黒煙を撒く深緑の戦車は、最後の力を振り絞ってそれを吐く。
まるで、小さき者達を称えるかのような、降伏の意を示す白い旗を。
『サンダース、M4A1、撃破!!』
○
その時ケイの心の中にあったのは、複雑に入り混じった二つの感情だった。
一つは、驚き。
戦車道を始めて数か月しか経ってないと聞いていた初心者集団が、何十年も戦車道の歴史を紡いできた
油断していたわけじゃない。気を緩めていたわけでもない。
ケイたちは正真正銘、本気で戦っていた。
それでもなお裏をかかれ、先を行かれた。それは大洗女子学園がそれだけ強いという証明に他ならない。
たった数か月で、いったい何をすればここまで成長することができるというのか。
そして一つは、歓喜。
戦車道、いや全てのスポーツにおける醍醐味。それは、強い者と戦うこと。自分と互角か、それ以上か、そのレベルの相手と戦う中で、感覚が研ぎ澄まされ、自分の力が最大限に発揮される快感、高揚感。
それをくれる相手が、今目の前にいる。
その事実が、ケイの心を弾ませている。
「アリサ、読みが外れてるわよ。さっきまでの冴えはどこにいっちゃったの?」
『す、すいません!相手がどうも予想外の動きをしていて……しょ、初心者だからか定石というものがないようで……!』
「ふーん」
自分の右腕の返答を聞きながら、ケイは時間を巻き戻した。
定石がない。
果たして本当にそうだろうか。
大洗女子学園がやったことを箇条書きにするなら、『相手を分散させる』『相手より早く動く』『相手より多くの数を揃える』の三つになる。
形としては変則かもしれないが、彼女たちがやったことは寧ろ王道中の王道。教科書に載ってるくらい当たり前のことを、忠実に行っていると言ってもいい。
そのことに気づかない程、自分の右腕は馬鹿じゃない。
なら、どういうことか。簡単だ、アリサは自分に嘘をついている。
より正確に言うなら、何かを隠そうとしている。
(本当に……おばかさんなんだから)
そしてケイは、全てを仕舞い込んだ。
本当は言うべきことだ。でも今は、そんなことしてる場合じゃない。
無線のマイクを、ケイはしっかりと握った。
「アリサ、指揮権を渡しなさい」
『はっ……えっ!?』
「アリサだけじゃない。各小隊長、全員の指揮権を私にちょうだい。これから全車の動きは、私がコントロールする」
サンダースが他の学校と比べて明確に違うことを一つ挙げるなら、それは指揮権が分譲されていることにある。
もちろん最終的な決定権は隊長であるケイにある。しかし交戦中、全ての判断をケイが担っているわけではない。
サンダースは部隊を分けて動くことが多いため、小隊、中隊ごとに長を決め、その者がその場の判断で作戦行動を決めることが許されているのだ。その際、わざわざ隊長に許可を求める必要はない。
隊長であるケイが絶対的な存在であることに変わりはないが、少なくとも戦場においてはケイと同位の者がいる。
だから部隊は迅速に動くことができるし、指揮する範囲が限定されることによって自分の能力をフルに行き渡らせることも可能となる。
反面、指揮者が違うことから統一された動きができないというリスクもあるが、サンダースはそれを個々人の能力の高さによって克服していた。
それを、ケイは止めようとしていた。
理由はいくつかある。ただこの場で言うべきものは、一つだった。
「―――――――
『――――――!!!!』
息を呑む音が聞こえた。
一瞬後、アリサが反論の矢を飛ばす。
『む、無茶です隊長!
「ええ、そうね。貴方のいうことは正しいわ」
ケイに否定する気はなかった。
だって同じことを、ケイの理性が訴えているから。
「でもやるわよ。他でもない、私の本能が
戦車乗りとしての血が、ケイに痛いくらいに訴えかけてくる。
今まではできなかった。でも、今ならできる、と。
「不思議だわ。あの子達を見てたら、アイデアがどんどん出てくる。絶対にできるって、そう思えるの」
高揚感が気炎となって迸る。ケイの口は、自然と弧を描いていた。
この感覚に、水を差したくはない。漲る衝動のまま、どこまでも突き進みたい。
「ナオミ、フラッグ車は放っておいて、こっちに合流してちょうだい」
『イエス、マム』
「アリサ、ここからはフルスロットルよ!死ぬ気でついてきなさい!」
「い、イエス、マム!!」
無線を切り、ケイは辺りを見渡した。
青い空、白い雲、緑の大地。
二両撃破されたというのに、ケイの心はこんなにも澄み渡っている。
その瞳には、はっきりと自分達が行くべき道が映っていた。
「さぁ、行くわよ!!GO AHEAD!!」
○
大洗女子学園はこれまでは、あまりにも順調すぎた。
序盤こそ無線傍受により苦境に立たされはしたが、タネを見破った後は一転、主導権を握り戦いを有利に進めた。
『サンダースの戦術を完コピすることで、その対策を見つける』という神栖渡里の特訓、そしてそれを元にして練習してきた形が、限りなく理想に近い姿で実行できたといえる。
その成果が、サンダースの戦車を二両撃破。
大洗女子の面々が、思わず歓声を上げたのも無理はなかった。
無線傍受されていることもお構いなしに、わいわいがやがやと盛り上がる。
流れは、完全にこちらにある。このまま一挙に、と大洗女子は気炎を上げた。
だが彼女たちは知らなかった。
彼女たちの行動が、眠れる獅子を起こしてしまったということに。
十数分後、一度は後退したサンダースが、失った二両を三両の戦車で補い、部隊を再編して今一度大洗女子学園の前に姿を現す。
初戦突破に燃える大洗女子学園の前に立ち塞がるは、誇りを傷つけられた全国屈指の強豪校。
あらゆる知恵を、技術を、心を賭して行われる最終ラウンド。
鉄が風を切り、雷が火花となって散る激闘の幕開けは、西住みほの
「これ…もしかしなくても」
眼にうつるサンダースの戦車。
一見先ほどと同じように見える動きを、西住みほは否と断じる。
記憶が映像となって再生され、それを現実へと投射した時、映像と実像は完全に重なっていた。
一瞬の疑問は、確信へと変わる。さっきは無線傍受を神栖渡里と同レベルの読みと勘違いしていたが、今回は断言できる。できてしまう。
だって西住みほは、誰よりも神栖渡里を知っているから。
これは、
「お兄ちゃんの、戦術」
次回予告
「確かに必勝の戦術だっただろうな……相手が、大洗女子学園じゃなければ」
神栖渡里の遺産。
不可能と思われた戦術を完全に自分のモノにし、使いこなすサンダースに大洗女子学園は最大の窮地を迎える。
絶体絶命のピンチ。
しかし大洗女子学園には、西住みほがいた。
世界で一番、神栖渡里のことを知る者が。
繰り出す渾身の策。起死回生の一手。
僅かな勝機を見出し、試合はクライマックスへ。
最後の攻防、その鍵を握るのは……
次回、「サンダースと戦いましょう③ 明鏡止水」
「見せてやれ、五十鈴。あの特訓の果てに得た、お前の力を」