というわけで最後まで完成しなかったので、分割して投稿することにしました。それでも14000字はある不思議。
続きは可及的速やかに投稿しますので許してください。
文章整形なる機能を試してみましたところ、面白いくらいにガッタガッタになったので次回からは封印します。
ケイさん隊長勢の中でもそんなに取り上げられてないけど、多分めっちゃ強いと思う。特にメンタルとか。
神栖渡里による『対サンダース練習』の効果は絶大だった。
相手の戦術を何度も体験することによって攻略法を見つけるのではなく、相手の戦術を完璧にコピーすることで弱点を見つけるという逆転の発想。
大前提である戦術の模倣が著しく困難という欠点はあるものの、それが可能な人間がいればこれほど効果的な練習もなかった。
操縦手と、彼女たち全てを統制する渡里によって流麗に動く戦車たち。
そこから見える景色を、操縦手以外の全ての者は目に焼き付ける。
本当に不思議なもので、渡里の言う通り視点を変えるだけでサンダースの一見洗練された戦術にも、穴はあるのだとみほ達は気づくことができた。
そして一度気づいてしまえば、それを自分達が実行するのはあまりにも簡単だった。
回数を重ね、イメージを明確にし、それらを身体に刻み込む。
目を瞑っていても、サンダースの姿が見えるくらいに。
そして渡里の特訓に加え、みほ達はサンダースの試合の録画も見た。
渡里がそうしてサンダースの戦術を模倣したように、ビデオの中のサンダースを相手に、みほ達は自分たちが作り上げたイメージがどこまで通用するのか、それを何度も試したのだ。
ここの場合は、こう動こう。
こう来るなら、こっちの動きで行こう。
そんな風にテレビの前にみんな集まって、ああだこうだと意見を交わす。
そしてそれを渡里の練習で試し、それが終わればまたイメージを再構築し、また試す。
大洗女子学園のサンダース対策は、こうして完成した。
ゆえにみほ達の中には、初対戦であるにも関わらず、何十、何百とサンダースと戦ったかのような経験値がある。
動き一つから即座に相手の動きを察知し、先手を取れるのはそのため。
大洗女子学園にとってサンダース大付属は、もはや未知の相手ではなく、勝手知ったる相手となっていたからこそ、みほ達は先に二両もの戦車を撃破することができたのだ。
──────しかし。
「この戦術は……っ!」
その時みほの体を走っていたのは、優勢ゆえの高揚感ではなく、一つの戦慄だった。
眼前に広がる光景。
それはあまりにも衝撃的で、みほの心を凍てつかせるには十分すぎた。
二両撃破されたサンダースが、一度態勢を立て直すために退くことは想定内だった。
なんせ数の上では同等だ。数的有利を作っておいて二両撃破されたのだから、同数で戦うことは避けるはず。反撃に出るなら、未だ合流してない三両の到着を待ってからの方がいい。
ならみほ達はどうすべきか。
普通なら同数の内に仕掛ける。わざわざ相手の戦力が増えるのを黙って待つ理由はないから。
しかしみほ達は待つことにした。サンダースが退いていくのと同時に、みほ達もまた一度後退して態勢を整える。
そうして一見有利な状況を放棄し、あえて相手の戦力が増えるのを待った理由は一つ。
大洗女子学園は、サンダースに包囲戦術をさせたかったのだ。
みほ達はサンダースが一番よく使う戦術への対策は積んできたが、逆に言うとそれ以外の対策は試合の録画から見て取れる範囲に留まる。いくら神栖渡里とはいえ、サンダースの戦術一つを模倣することはできても、それ以外のサンダースの動き全てを模倣することはできなかったから。
だからみほ達は、サンダースが最も得意とする包囲戦術への耐性が最も高く、それ以外は並み程度。ゆえに
これは決して間違った選択ではなかった。
みほの見立てでは例え相手の数が増えても、互角以上に立ち回れるはずだったし、ダージリンの横で試合を観戦する渡里もまた、五割程度の勝率を見込んでいた。
それ程までに、大洗女子学園が今日という日のために積んできたものは大きかった。
しかしその考えは、露と消えた。
見通しが甘かった、と言うには酷かもしれない。
みほも、ダージリンも、そして渡里でさえも。
次に現れたサンダースが見せた戦術に、目を剥いたのだから。
『ウサギチーム、行くぞ!』
『了解!』
三号突撃砲が砲火を以て、サンダースの動きを誘導する。
容易にM4の装甲を貫く火力の前には、流石のサンダースも棒立ちはできない。傾斜を利用して射線を切り、弾を避ける。
三突から放たれた弾丸は空を切り、彼方へと飛び去っていくが、しかしカバさんチームに失望はなかった。
なぜならその回避行動こそが、カバさんチームの引き出したかったものだったから。
『二人とも、用意!』
M4の進行方向先、そこには既にウサギさんチームの駆るM3リーが立ち塞がっていた。
いや、立ち塞がるという表現は少し誤りかもしれない。
時系列で言えば、ウサギさんチームは誰よりも速く行動を起こしていた。だから正確に言うなら、ウサギさんチームが構えている所に、M4が突っ込んでいった、というべきだろう。
そして当然、その背景にはカバさんチームの
この流れるような連携こそが、大洗女子学園の対サンダース戦術。
相手の動きが解っているから、追い込むことも逃がすことも思うがまま。
この先読みから生まれる戦場の掌握があればこそ、大洗女子学園は数で劣りながらも有利に立ち回れるのだ。
──────―ほんの、さっきまでは。
ドン、ドン、と太鼓の音を何倍も大きく、重くしたような音が二つ響く。
そして散る火花。装甲の削れる音。
発生源は深緑のカラーリングをした戦車────ではなく、二つの砲身を持った、ウサギのマークを印した戦車。
「ウサギさんチーム、大丈夫ですか!?」
『な、なんとか……っ!』
無線から聞こえる声は、苦悶に満ちていた。しかし戦闘続行の意志は消えてはいなかった。
ひとまずは無事であったことに胸を撫で下ろしつつ、しかしみほの中にある焦りは次第に大きくなりつつあった。
(やっぱり、間違いない……)
今の、そしてもう何度も繰り返されているこの一連の動きに、みほはひどく覚えがあった。
それはいつかの日、いつかの場所で、母と姉と一緒に並んで観た、とある戦術。
一つの無駄もなく洗練されたソレは芸術的で、一度見たら忘れられないくらい綺麗で、まるで魔法みたいにみほの心を躍らせた。
だから間違えっこない。今、サンダースが見せている戦術から立ち昇る仄かな残照を、あの人に憧れ続けたみほだけは絶対に間違えない。
これは、
「お兄ちゃんの、戦術……っ」
みほは歯噛みした。
戦況の秤は既に、サンダースへと傾きつつある。
その要因がこの、みほ達の想定を超えるサンダースの戦術行動だった。
彼女たちがやっていることは、読み合いの破棄だ。
複数ある選択肢の内から相手がどれを選ぶかという、ジャンケンで相手が出してくる手を予想するのと同じ読み合い。戦車道においては当然であり不可避のそれを、彼女たちは一切無視している。
本来であれば発生するはずの読み合い。そこで勝つために必要なのは、相手がどの手をどのくらいの確率で出してくるか、を知る事。最初にチョキを出しやすい傾向があるとか、あいこの後はグーを出してくるとか、そういう類の話だ。
みほ達がやってきたのは、それを限界まで突き詰めること。サンダースの何から何までを頭に叩き込み、サンダースが次に何の手を出してくるか、それを瞬時に見極められるようにした。
しかしサンダースはそうじゃない。
彼女たちは次の手を読むのではなく、
グーかチョキか、ではなく「私はパーを出すからお前はグーを出せ」と言って腕を掴み、自分達に都合のいい手を相手に出させる。
厄介なのは、そこに拒否権がないことだ。
巧みに戦車を動かし、状況を構築。そこに相手を追い込んで、相手が気づいた時には「ほらグーを出すしかないでしょ?」とパーを突きつけながらにっこりと微笑んでいる。
解っていても、そうせざるを得ない。
畢竟、それを作ることで、相手を制御下に置くことこそサンダースの戦術であり、それはまさしく神栖渡里の戦術でもあった。
『おい西住!! あれはなんだ!?』
『攻めているはずが、攻められている……まるで狐に化かされたような感覚だ』
無線から焦りを滲ませた声が聞こえる。
無理もない、とみほは思った。
みほは知っているからこそ驚かないが、そうでなければ同じくらいビックリしただろう。
しかし知っているからこその驚きもまたある。
(なんでサンダースがお兄ちゃんの戦術を……)
似通っている、というならまだ話は分かる。
戦術に特許なんてないから、一つの戦術でも使い手は十人も二十人もいて、誰か一人の物になることはない。
でもこれは違う。明らかに一人の人間の頭から出てきたとしか思えない程、サンダースのソレと兄のソレは同じだった。
その理由は、みほにはわからない。
どういう因果なのか、おそらくそれを知るのは他ならぬサンダースと兄だけだろう。
「……沙織さん、全車にメールを」
みほは武部に合図を送り、戦線を下げることにした。
サンダースの戦術が機能している間、みほ達が本当の意味で先手を取ることはない。
みほ達の打つ手はすなわち、サンダースによってコントロールされたもの。その時点で先手後手は成立していない。
サンダースの意表を突く一手。あるいは、サンダースの戦術を撃ち砕く一手。
それがなければみほ達がいくら攻め続けても、いずれは衰弱して倒れるだろう。
それに、ここにきて俄然存在感を出し始めたものが一つある。
「ひぅっ、し、至近弾!?」
「……少し顔を出しただけでコレか。どんな精度だ、まったく」
まるで地震みたいに、車体ごとみほの体が揺れる。
あまりに強烈な音と振動に、沙織が思わず身を竦めた。
その横で操縦桿を握る麻子は、普段と変わらない様子だが、言葉には微かに驚嘆の思いが込められていた。
それはみほがこの試合で、ある意味隊長車よりも警戒していたもの。
あの手この手で、まともに戦うことは避けようとしていたもの。
かつて世界最強を謳われた虎を撃ち抜いた、
大洗女子学園の戦車のいずれをも、一撃の元に沈めることができる火砲を持った怪物。
そしてそれを駆る、静かなる敏腕の砲手。
それが徐々に、牙を剥き始めていたのだ。
未知の戦術。脅威の火力。
形勢は一気にサンダースへ。
時間はみほ達の味方をせず、何もしなければ敗北し、無策で動いても結果は同じ。
大洗女子学園は混乱の中にあり、打開は困難。
もし勝敗を分かつ線というものがあるのなら、きっとみほ達は今その真上に立っている。
そしておそらく、ほんの少し押されただけで、大洗女子学園は容易くその線を越えるであろうことを、みほは悟っていた。
○
ケイがそれを見つけたのは、本当にただの偶然だった。
高校二年の夏のこと。
チームの新体制が始まるから、ということで行われた大掃除の途中。
何百何千のロッカーを収める大部屋の、奥の奥の奥にあった、買い替え寸前のオンボロ倉庫。
その中にひっそりと、まるで封印されるようにして隠されていた、一冊のノート。
埃被っていて、ページの端も折れていて、いかにも年季が入ってそうなソレを、ケイは偶然見つけた。
こういった誰かの置き忘れだか放置物だかが見つかるのは、サンダースでは珍しくない。
サンダース大付属戦車道。その歴史は長く、その長さに比例するだけの数の人間が、この場所で三年間を過ごしてきている。
だからケイも、一年生の頃からこういったものはちょくちょく見ているし、同じような経験をしたという声も何十回と聞いたことがある。
しかし今回は、少し違った。
ケイが見つけたそのノートには、名前もタイトルも書かれていなかったのだ。
今までケイが見てきたものには、大抵名前が書かれていたし、そうでなくても何のノートか分かるような文言が表紙に書かれていたが、どうもこのノートはそうではなかった。
ただ一つあったのは、表紙の隅っこの方に書かれていた、包帯を巻いたクマのイラスト、のようなものだった。断言できないのは、そのイラストの線があまりにもぐちゃぐちゃで、イラストというよりは落書きに近かったからである。
はてこれはなんぞや、とケイは首を傾げた。
そして何の躊躇もなく、次の瞬間には中身を見ていた。
ノリと勢いだけ、と言われるとある高校ほどではないが、どちらかというとケイも思考より行動の人であった。
開かれたページ。
そこにあったのは、記号と図形と矢印だけで構成された、一枚の絵。
それが瞳に飛び込んできた瞬間、ケイは雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
ノートの中にあったのは、戦車道の戦術……らしきもの。
表紙のクマと同じく断言できなかったのは、それがケイの理解をあまりにも超えていたからだった。
いや、書いてあること自体は解る。
戦車がどういう風に動き、どういう風に相手を追い詰めるか。
書かれている事の意味は解る。
ただそれは、あくまで表層部分にしか過ぎない。
リモコンを見て「ボタンを押せばチャンネルが切り替わる」ことは説明できても、どういう仕組みでそうなるかが説明できないのと同じで、ケイは戦術の形は理解できても、その構造が理解できなかった。
ケイとて戦車道の強豪校であるサンダースでレギュラーを務め、この夏からは隊長としてチームの主軸となるほどの実力と素質を持っている。
だがそれでも、及ばない。
それほどまでの深度が、そのノートの中にはあった。
だからこそ、その時ケイの中に芽生えた感情は、焔のように熱いものだった。
もし、これを完全に理解し、自分の物にすることができたのなら。
そんな風に想像しただけで、全身の血が沸き立つ。
それは確信があったからだ。
この戦術を使いこなすことができたなら、きっとどのチームにも敗けない。今よりももっと、遥か高みへと至ることができるに違いない、と。
その日からケイの鞄の中には、常に一冊のノートが居座るようになった。
授業中、黒板を写す振りをしながらノートを読む。
休み時間、友達と話しながら、ノートを読む。
練習中、常に片手にノートを携えて読む。
自室に帰った後も、日課のトレーニングを行いながら、ノートを読む。
読んで、読んで、読んで。
ページの端がヨレヨレになるくらいに読みこんで。
二年の冬を越えて三年の春になろうという頃。
ケイは…………未だその戦術を理解することができていなかった。
勿論全くの進展がなかったわけじゃない。
段階で言うなら、既にケイはその戦術を実際にチームで使ってみるという、実践の段階まで進んでいた。
速度で言うなら、そこまでは順調そのものだったと言えるだろう。葉が紅色に変わる季節になる頃には、ケイはそこに到達していたから。
しかしそこからが、果てしない道程だった。
何度やっても、何度やっても、その戦術は完成しなかった。
必死に勉強して、努力して、練習を重ねた先。
そこにあったのは形だけを真似た、劣化模造品。
不細工で美しさの欠片もない、理想とは遠くかけ離れたものだった。
なぜそうなるのか、という過程。
それが分からないだけで、こんなにも上手くいかないものなのか、とケイは思った。
もはや習慣であるかのように、ベッドに転がってノートを見る。
「どんな人なんだろ」
こんな複雑で、難解で、そして魅力的な戦術を思いつく人。
叶うことなら一度会ってみたいと、ケイは思うようになっていた。
そして気の済むまで話し合って、教えてほしい。一から十まで、懇切丁寧に。
そしたらこんな風に悩まなくて済むのに。
技量が足りないわけじゃない。
この戦術を実戦するだけの実力を、サンダースの選手たちは備えている。
ただ一つ欠けているもの、それは要石だ。
全てを支えるものであり、それさえ理解できたなら、という核。
それがあればこの戦術は完成する。しかし逆を言えば、それが無い限りは永遠に完成しないということに他ならない。
先は長い。でも、諦めるという選択肢はない。
この胸にある情熱が、ケイの歩みを止めさせない。
いつか必ず実現してみせる。
そう心に誓い、月日を重ね、春が終わりに差し掛かった頃。
最も大事なものが欠けたその戦術は、その欠損を埋められることなく封印された。
それはかつて、このノートを最初に受け取ったサンダース大付属の隊長と同じ末路だったことを、ケイは知る由もない。
仕方ないことだったのだ。
もう全国大会はすぐそこにまで迫っていて、それまでに完成させることができるかと言われれば、それは否だ。
だったらサンダース本来の戦術を、少しでも磨いた方がいい。その方がずっと、勝率が高くなる。
そしてケイは、高校最後の全国大会を迎えた。
初めてノートを見た時の衝撃と熱を、心の奥底に沈めて。
魂が震える程切望したことも無かったことにして。
ケイは深緑のカラーリングが施された戦車を率いて駆ける。
あと一年早ければ、という後悔を噛み殺して。
きっともう叶えられないと思った。
あのノートを書いた『誰か』に追いつくことは、もうできないと。
だから自分は、託すしかない。
自分にはできなかったことを、自分の後に続く者が受け継ぎ叶えてくれると信じて。
そうやってケイは、諦めようとした。
──────────────でも。
「ふふっ」
抑えきれない歓喜が、笑みとなって表出した。
いけない。今は試合中だ。笑うのはいいが、気を緩めるのは良くない。
ケイは自分を戒めた。
「人生、何があるかわからないものね」
あぁでも。
これは仕方ないだろう。
だって、あんなにも焦がれた夢が、諦めるしかないと思っていた夢が、まさかこんなところで叶ってしまったのだから。
感謝しなければならない。今日という日をくれた神様に。
「さぁ畳み掛けるわよ!! アルファは左から、ブラボーは右から! 左右から囲い込むようにして、相手を後ろに下がらせなさい!」
『イエス、マム!』
不思議なものだ。
あんなにも難解だった戦術が、今のケイにはまるで何年も連れ添ってきたかのように理解できる。その意味を、真髄を、中核を、ケイは手に取るように分かる。
それが今目の前にいる相手、大洗女子学園のお陰だということを、ケイは知っていた。
彼女たちが見せてくれた戦術と、彼女たちが持つ強さ。
それはケイの中で混ざり合い、足りなかった最後のパーツへと成った。
この戦術は、彼女達が完成させてくれたのだ。
なぜ彼女達がキッカケとなったかは、分からないけれども。
「ガンガン行くよー!!」
しかし疑問は直ぐに溶けて消え、ケイは一層アクセルを踏み込んだ。
なんにせよケイのやるべきことは決まっている。
この戦術を完成させてくれた返礼として、強豪サンダース大付属の新たな姿を、その強さを見せてやるのだ。
口元が弧を描く。
気炎は万丈し、ボルテージは最大限まで高まっていく。
全身の血が沸騰するようなハイテンションの中、ケイは思った。
────もし大洗女子学園が、今の自分達にさえついてこられたなら。
その時は、今までの人生で一番白熱した試合をすることができるに違いない。
全身全霊を懸け、魂が燃え尽きてもいいとさえ思える、そんな最高に楽しい試合が。
そうなったらきっと、自分は何の後悔もない。
だから折れないで、とケイは正面を見据えた。
立ち向かってきてほしい。負けじと闘志を燃やしてほしい。
そうして一緒に行こうじゃないか、この興奮の、更に向こうへと。
その時ケイは、きっとあのノートを書いた人に近づくことができるはずだから。
○
「……まさか、対戦相手を強化してしまうことになるとは」
その声色は、後悔と驚嘆を混ぜたようなものだった。
珍しい、というほどオレンジペコは神栖渡里のことを知っているわけではないが、それでもこの人にはこういう表情はあまり似合わないな、とオレンジペコは思った。
いつも不敵な面構えというか、自信に満ち溢れた覇気のある表情をしているので、こういったマイナスな表情をされると妙なギャップがある。
「ということは、やはり
「……あぁ、間違いなく俺が作った戦術だ」
ダージリンの問いに、渡里は片手で顔の半分を覆いながら答えた。
それはバツの悪そうな顔を隠すためのものだったかもしれない。
オレンジペコは視線をモニターへと移した。
そこにあるのは、尋常ならざる動きで大洗女子学園を攻め立てるサンダースの姿。
いや、攻め立てるという表現はもしかしたら違うかもしれない。
なぜなら一見、攻めているのは大洗女子学園の方だから。でも、現状どちらが有利かと言われれば、それはサンダースの方になる。
だって大洗女子学園は、あくまでサンダースの掌の上にある。
どれだけ果敢に攻めようとも、それは結局サンダースにコントロールされたもの。
針を外そうと暴れ、竿を振り回す魚と、それを受け流しながら魚の疲労を待つ釣り人。大洗女子学園とサンダースの構図は、さながらそんなところだろうか。
あるいは孫悟空と御釈迦様のお話の方が分かりやすいかもしれない、とオレンジペコは思った。
何にせよ、このままでは大洗女子学園はいずれ衰弱する。
そうなった時、サンダースが怒涛の勢いで反撃に出ることは明白だし、大洗女子学園にそれを防ぐ術がないのもまた同じく明らかであった。
はっきり言ってピンチである。
そしてそのピンチに間接的に関わっていたのが、神栖渡里であるらしい。
「あの、なぜ渡里さんの戦術をサンダースが……?」
「…………まぁ、隠すほどのことでもないか」
そんなありきたりな前置きをして、渡里は口を開いた。
「サンダースは俺の母校なんだ。まぁ中退したから母校と言っていいのかわからないけど、高校一年から二年の冬までは在籍してたんだ」
オレンジペコは喉元から飛び出していきそうな言葉を必死に飲み込んだ。
神栖渡里という人と話す時は、いちいちリアクションしてはいけない。
なぜならこの人は、まるでコンビニに行く気軽さでとんでもない事実をポンポン言ってくるから。その度にリアクションしては間が悪くなるし、何より疲れるのである。
この短期間でオレンジペコは、渡里への対処法を身に着けていた。
そしてそれはダージリンも同様であった。
「その時の俺はまだ『西住渡里』だったからね。熊本出身で西住なんて名字じゃ、戦車道やってる奴なら誰でも勘づく。なんとか隠してたけど、あえなく当時のサンダースの隊長にバレて捕まって、一つ頼み事をされたのさ」
「その頼み事が、他でもないあの戦術ということですか」
察しの良いダージリンに、渡里は気を良くしたようだった。
薄い笑みと共に、彼は言葉を紡ぐ。
「その通り。ビッグ4なんて呼ばれてはいるけれど、ここ最近は黒森峰の一強状態。なんとか黒森峰を倒して優勝するために、知恵を貸してくれないかってね」
そこで彼は腕組みをして、呆れたような表情になった。
「流石に笑ったよ。よりにもよって西住流の人間に、黒森峰の倒し方を教えろって言うんだからさ。確かに適任ではあるけど、誰がそんなことするんだよって」
黒森峰女学園と西住流の間に深い縁があるのは、高校戦車道の人間なら誰もが知っていることである。まだ高校一年、それも高校生活約数か月のオレンジペコでも知っている。
両者の関係は師弟が一番近いと個人的に思うオレンジペコだが、渡里の言う通りならそれは師匠が弟子を倒すようなものである。
誰がそんなことするだろうか。
「でも渡里さんは、やってしまったんですよね?」
そしてそれをするのが、神栖渡里という人であるらしい。
やはりこの人に、常識は通用しそうにない。
「結果的にはね」
途端、渡里は言葉を濁した。
ダージリンの青い瞳から、追及の矢が飛ぶ。
ぐっさりと射貫かれた渡里は、あえなく白旗を振った。
「別に黒森峰が勝とうが負けようがどうでもよかったんだ。俺はあくまで西住流の人間であって、特に黒森峰に対して恩情や義理があるわけでもなかったし、今でもそう。頼まれたら多分普通にやる」
そこで渡里は一度言葉を区切り、妙な間が空く。
その間隙は、彼の心の準備を整える時間だった気がした。
「ただその時の俺はちょっと……なんだろうな、うん。荒れててね」
「荒れる?」
「あーこれ黒歴史だからあんま言いふらさないでほしいんだけど、精神的に幼かったというか、頼まれたからって素直に聞くような柄じゃなかったんだ」
ダージリンの横に座る渡里は、ひどく居心地が悪そうに身体をソワソワさせた。
苦虫を噛み潰した顔、というのをオレンジペコは初めて見た。
「クソガキだったなぁ……
その言葉の意味を、オレンジペコは量りかねた。
それに気づいた渡里が、間もなく言葉を続ける。
「戦車道の戦術っていうのはたくさんあるけど、その全部を完璧に使いこなすことは絶対にできない。これは力量の問題じゃなくて、気質の問題だ。例えば大洗女子学園には、聖グロのような浸透強襲戦術はできない。要となる装甲が薄いのもあるけど、相手の攻撃を受けながら試合を作っていくっていうスタイルがそもそもあいつらには向いてない」
「そして私たちにも、大洗女子のような機動力を活かした変則的な戦い方はできない。戦車の性能以上に、テンポの速い動きへの慣れが足りていないから」
オレンジペコは手元にメモとペンを置いていないことを悔いた。
しかし代わりに、絶対に忘れないようにと頭に一言一句を刻んでいく。
「戦術がチームの性質になるんじゃなく、チームの性質が戦術を決める。だからどうしたって、使える戦術と使えない戦術が出てくる。そしてそれは、サンダースも例外じゃない」
「サンダースは包囲戦術を得意としていますが、その根幹にあるのはもっと別のもの。それが渡里さんのあげた戦術とは致命的に噛み合わなかった、と」
「そう。サンダースの性質は『自由と自立』だ。各選手が自分達で考え、行動する。平時はともかく、試合においては隊長ですら一分隊長として他の選手と同列になるという点が、まさしくそれを表している」
二人の会話は踊るようであった。
オレンジペコが自分の実力の無さを痛感するのは、こういう時である。
装填手としての力はあれど、オレンジペコには二人のような戦車道への理解が圧倒的に足りない。かろうじて話の内容が理解できるのは、二人の話し方が理路整然としたものだからだ。
「そしてそれが、あの戦術には絶対的にいらない。寧ろ邪魔とすら言っていい」
「つまり、サンダースがサンダースである限り、あの戦術は完成しない。なぜならあの戦術の核にあるのは……」
「個人を徹底的に排すること。各人の自己判断を完全に捨て去り、一人の絶対的存在によって全体がコントロールされて初めて、あの戦術は真価を発揮する」
「なるほど、まさに水と油。サンダースとは対極にある戦術ですわね」
そして渡里は、それを分かった上でサンダースにあの戦術を授けた。
絶対に使いこなせないことを承知で。
確かに、性格が悪いと言われても反論できないことである。
しかしオレンジペコには、二つの疑問があった。
その内の一つを、ダージリンは口にした。
「なぜそんなことをなさったんです? 渡里さんなら、もっと他に手はあったと思うのですけど。それこそ、サンダースにしか使いこなせないような戦術だって──―」
「戦車道が嫌いだったから、かな」
その言葉は、あまりにも静かだった。
しかし戦車の砲撃音にも負けないくらいの衝撃を伴って、ダージリンとオレンジペコを襲った。
いっそ大声で言ってくれた方が良かったかもしれない。
そんな、消えてしまいそうな儚げな笑みを浮かべられるくらいなら。
オレンジペコには立ち入ってはいけない領域へと足を踏み入れた感覚があった。
おそらくダージリンも同じだろう。
「元々サンダースに入ったのも、戦車道以外で夢中になれそうなものを探すためだったしね。戦車道から離れよう離れようとしているところに、そんなことを頼まれて丁寧に対応してやれるほど、俺は大人じゃなかった。だからムカついて嫌がらせをしてしまったわけさ」
本当はダメだけどね、と締めくくって、彼はモニターへと目を移した。
それだけの動作で、オレンジペコとダージリンは追撃の機会を失った。
これ以上は、きっとごく限られた人にしか許されていない領域だと思った。
そしてその権利は、ダージリンとオレンジペコにはない。
それこそ、妹である西住みほのような、そんな深い縁を持つ者でなければ。
「……綺麗だなぁ。俺が思い描いた、そのままの動きだ」
感嘆するように、渡里は息を吐いた。
サンダースの動きは、それほどまでに洗練されている。
いやあるいは、本来不可能なはずの戦術を可能にしていることに、彼は感動しているのかもしれなかった。
「……あの、渡里さん。なぜサンダースは渡里さんの戦術を使えているのでしょうか?」
オレンジペコの二つ目の疑問はそれだった。
神栖渡里が「できない」ということは、おそらく本当に出来ないはずだ。
努力すればできるとかそういうレベルじゃなく、最早遺伝子レベルで。
唯一の方法は、サンダースがサンダースでなくなること。
しかしオレンジペコの目には、とてもそうは見えなかった。
間違いなく彼女たちは、自分を保っている。そしてその上で、あの戦術を実践している。
この謎が、オレンジペコには分からなかった。
すると渡里は、当然のようにその答えを持っていた。
「キッカケは大洗女子学園だろう。あいつらの中にある微かな俺の残滓を感じ取って、一気に開花した気がする。そうじゃなきゃ、最初から使ってるはずだろうし」
神栖渡里の教えを受けている大洗女子学園だ、当然節々にその影響が見られる。
それらがケイの中の未完成だった戦術と呼応し、核へと成ったということか。
「ただおそらく、本質はそこじゃない。サンダースがサンダースのままあの戦術を使えている理由は────―」
「ケイさん、ですね」
ダージリンの言葉に、渡里は頷いた。
「『自分の言う事だけ聞いてろ。それ以外は何もするな』。そう言われて素直に聞くほど、サンダースの生徒は従順じゃない。そういうのとは対極にいる人間が集まってるからね」
自由と自立。自分を認めているからこそ、人を認めることができる。
そんないい意味で自尊心に溢れた人間が多くいるのが、サンダースだ。
しかしだからこそ、あの戦術は絶対にできないはずだった。
「でも今のサンダースは、それをやってる。自分を組織の歯車とし、ただ与えられた役割を忠実に実行し、それ以外のことは一切しない。そんな自分達の性質とは正反対のことを受け入れて」
その理由は、オレンジペコの疑問の答えだった。
渡里は方程式を解いた数学者の口調で、その言葉を口にした。
「そうさせているものこそ、サンダースの隊長の統率力。ひとえに、カリスマだ」
おそらくケイ以外の者は、ある統一されたモチベーションの中で戦っている。
すなわち、『
自我を押し殺してでも、尽くしたい。
この人のためなら、どんなことでもしてみせる。
例えそれが、どれほどの苦痛と我慢を伴おうとも。
弁舌でも脅迫でもなく、人望と行動によって下の者に、自然とそう思わせるのが、カリスマ。
隊長と呼ばれる者は皆等しくそういう性質を持っているし、オレンジペコの横にいるダージリンもその例外ではない。
ただケイのそれは、並外れている。もしカリスマにランクを付けることができるのなら、最高位であることに疑いはなかった。
だからこそ、不可能だったはずの戦術を可能にすることができている。
「サンダース大付属五百人を率いる隊長が、伊達や酔狂で務まるはずもない。二十両以上の戦車を統率する力に関しては、おそらく全国で一、二を争うだろうね……流石はサンダースの隊長、恐れ入ったよ」
褒め称える言葉とは裏腹に、渡里の表情は苦しいものだった。
当然だ。それはつまり、大洗女子学園が圧倒的に不利であることに他ならない。ただでさえ戦力差があるところに、自分でその差を広げてしまったとなると尚更である。
それに渡里は言っていた、『使いこなす事さえできれば、黒森峰を倒すことができる』、と。
過去と現在の黒森峰にどれほどの差があるかは分からないが、おそらくそこまで離れたものではないはず。
ならあの戦術は、今でもなお全国屈指の強豪校に届きうる牙だ。
果たして大洗女子学園がどこまで耐えることができるか。
「渡里さんの見込みでは五分五分でしたけれど……」
「厳しい。アレの前じゃ、二割を切る」
随分な勝率の下がり方だ。
それほどまでに、あの戦術が優れているということだろうか。いや、称えるべきはサンダースの方か。神栖渡里でさえ無理と断じたものをやってのけているのだから。
「嫌がらせとはいえ本気で作ったんだ。黒森峰だろうが何だろうが、アレは初見なら絶対に破れない。自分でも言うのもなんだが、確かに必勝の策だっただろうな」
「ではこの試合は……」
大洗女子の負け。
ダージリンがその言葉を口にしようと瞬間だった。
突如として空気が変化するのを、ダージリンとオレンジペコは感じ取った。
確かな熱と、鋭さが肌を撫でていく。
その中心にいるのは、不敵な笑みを浮かべた彼。
覇気が籠った口調で、彼は言う。
「────相手が大洗女子学園じゃなければね」
それはオレンジペコのよく知る、そしてダージリンが憧れた渡里の姿だった。
「大洗女子学園にはみほがいる。俺の戦術をサンダースがそのまま実践してるって言うんなら、それが突破口だ」
逆転への道はまだ失われていない。
彼の瞳に宿る希望の灯は、果たして大洗女子学園の瞳にも宿っているのだろうか。
不思議とオレンジペコは、そうに違いないと思った。
「唯一残った糸みたいに細い勝ち筋。みほならその入口まで持っていける。そこからは、もう一人次第だな」
その視線の先を読み取れたものはいない。
ゆえに神栖渡里だけが知っていた。
長い黒髪の砲手が、この試合の鍵となることを。
作者的隊長勢の統率力比較は、
10両までならみほ、まほ、ダージリンのスリートップ
20両になるとまほ、ダージリン、ケイ、カチューシャの四強
30両になるとケイ、カチューシャのツートップ
になってます。
ポテンシャル的にはみほも30両くらいは指揮できるけど、経験値で他の隊長に一歩劣るイメージ。
まぁあくまで統率力なんでトータルの能力で見ればまた違う結果になると思います。
カリスマという一点ならアンチョビもだいぶいい線行くと思う。