戦車道素人集団を優勝へ導く138の方法   作:ススキト

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あんこう祭参加者の方々はお疲れさまでした。
筆者は参加できませんでしたが、来年こそは参加したいですね。

今回は結構暗い話です。
その上オリ主がメインになるので、ぶっちゃけ書いてて一番しんどかったです。

オリ主(コイツ)の過去を掘り下げようとするとこんなことになるからあまり焦点を当てたくない、というのが筆者の本音です。


第27話 「少し自分の話をしましょう」

 

花の香りが鼻腔を擽る。

普段戦車ばかりに乗っていると、こういう鉄臭さとは真反対にある匂いがとても新鮮に感じる気がする。

甘くて、でも少しツンとしていて、嗅いでいるだけで気分が落ち着く匂いだ。

 

その元を辿ると、そこには二色の花束がある。

白色の花と赤色の花がたくさん連なっていて、視覚を彩り、楽しませてくれる。

あいにく花の名前は分からないが、きっとこの場に相応しいものなのだろう。

そう、きっと……()()()()に、相応しい花に違いない。

 

サンダースとの一回戦を終えた翌日のお昼、みほと華と優花里は、学園艦を離れとある病院へと足を運んでいた。

用件は一つ。倒れて病院に運ばれてしまったという、冷泉麻子の祖母へのお見舞いであった。

 

「冷泉殿のおばあ様、大丈夫でしょうか……」

「うん……沙織さんからは『割と元気』ってメールがあったけど」

「今朝まで意識がなかったそうですし……心配ですね」

 

三人は歩みを進める。

 

冷泉麻子の祖母が倒れた。

その連絡が入ったのは、サンダースとの試合が終わった直後のことであった。

それを知っているのは六人。今ここにいるのは、三人。

 

なら他の三人は何処にいるのか、それを説明するには、時計の針を少し戻さなければならない。

 

 

 

「おばあが、倒れた……」

 

麻子の手から、携帯電話が滑り落ちていく。

それは彼女がどれほどの衝撃を受けたかを、何よりも雄弁に語っていた。

 

携帯電話が砂浜に刺さると同時、沙織が麻子の肩を掴んだ。

それは今にも倒れそうな麻子の身体を、支えるためであったのかもしれない。

 

「ま、麻子。大丈夫!?」

「おばあが、おばあが病院に運ばれて……」

 

その眼は既に何も映してないのではないか、とみほは思った。

そのあまりの姿に、情けないことにみほは何も言えなかった。

 

冷泉麻子という人間は、とても思慮深く冷静で、めったに感情を揺らがせることのない人物だと、みほは思っていた。

聖グロリア―ナとの練習試合の際、初めての実戦でありながら彼女は誰よりも冷静に戦車を操縦してみせた。今のサンダースとの試合だって、彼女は決して焦ることも不安な表情をすることもなかった。

操縦手に必要な、どんな状況でも慌てない不動の心が、彼女には元から備わっているのだと、そう思っていた。

 

しかしそれは大きな勘違いなのだと、みほは思わされた。

麻子だって人間だ。いつだって、どんな時だって、冷静でいられることはないのだ。

それを勝手に、みほはそうなのだと思い込んでいた。

 

「冷泉……」

「わ、渡里さんっ」

 

その時、麻子の小さな手が渡里の服を掴んだ。

それは折れそうな心を支えるために、必死になって縋っているように見えた。

 

「おばあが、おばあが……」

「……あぁ、わかってる。()()分かった上で、それでも俺こう言うぞ―――――落ち着け、冷泉」

 

渡里の手が、麻子の手を包む。

 

「不安になってもいい。でも取り乱すな。お前がここで慌てたって、時間の流れが止まるわけじゃない。だからまずは、大きく深呼吸するんだ」

 

まっすぐに目を見て、ゆっくりと諭すように優しく言葉を並べる。

たったそれだけのことで、麻子はほんの少し落ち着きを取り戻したようだった。

 

大人の男性というのは、時として絶大な安心感を与える存在になる。

こればかりは、渡里にしかできないことだった。

元々の気質と、これまで積み重ねてきた時間があってこそでもあるが。

 

「学園艦はもう暫くは出航しない。多分飛行機が一番早く茨城に帰れる手段だ。今すぐ空港に向かおう」

「く、空港に向かうって、タクシーとかでですか?」

「いや、俺が車を運転する。荷物の運搬用に学園艦から降ろしてたのが一台あるからな」

「それでどのくらいかかるんでしょうか……?」

 

華の質問に、渡里は少し苦い顔をした。

 

「どうしたって夜だ。飛行機だって一日に何十何百と飛ぶわけじゃないし、そもそも茨城まで直で帰れる便があるかどうかも分からない」

「夜……」

 

麻子の表情が明らかに曇った。

頭では仕方ないと分かっているのだろうが、心が納得できるかどうかは別問題だ。

欲を言えば、もっと早く帰りたいというのが本音なのだろう。

 

しかしできる限りの範囲で一番早く帰れる手段は、おそらく渡里の言うものしかない。

全く馬鹿げた話だが、それこそプライベートジェットなんかがあればもっと早く帰れるのだろうが……

 

「―――――私たちのヘリを使ってください」

 

その時、その声はあまりにも突然聞こえた。

凛とした声色。それはあまりにも、みほに馴染のあるものだった。

 

振り返り、みほはその思わず呟いた。

 

「お姉ちゃん……」

 

みほより少し濃い色をした髪と、渡里に近い系統をした瞳。

真っ直ぐに、身体の真ん中に鋼の芯が通っているのではないかと思わされる程真っ直ぐに、この世界でただ一人しかいない姉、西住まほはそこに立っていた。

 

「私達の乗ってきたヘリなら、飛行機よりも早く帰れるはずです」

「!」

 

ヘリコプター。確かにそれなら、此処から空港までにかかる時間や、飛行機が離陸するまでの時間など、諸々を省くことができる。

その分だけ、間違いなく早く茨城には帰れるだろう。

 

しかしなぜ、という疑問の方が、みほ達には大きかった。

そんなことをして、何になるのか。

そんな疑問は露知らず、提案者の瞳はまっすぐにみほ達に向いている。

 

「急ぐのでしょう、()()()?」

 

いや、違う。

彼女の視線は、みほ達に向いているのではない。

そして渦中の麻子でもない。

彼女の視線はただ一人、渡里にだけ注がれている。

 

「……冷泉、乗せてもらえ」

「渡里さん?」

 

しかし逆に渡里は、まほのことを見ることはなかった。

彼の瞳は、ただ一人麻子だけに向けられている。

 

「大丈夫だ。別に取って食われるわけじゃない。ここは好意に甘えさせてもらおう」

 

トン、と渡里は麻子の背中を押した。

つんのめる体。踏み出さされた一歩は、しかし後に続くことはなく静止した。

麻子の手が、渡里の袖を掴んでいたからだ。

 

「わ、渡里さんも一緒に……」

 

その行為を弱さというのは、あまりにも酷だった。

彼女の心をギリギリの所で繋いでいるのは、その指先に触れるモノ。

それがなければあっけなく崩れてしまう程、今の彼女は儚く見えた。

 

それを渡里は、ほんの一瞬だけ苦い顔で見つめた。

本当に、おそらくみほと、まほにしか気づかないレベルのごく小さな表情の変化だった。

 

何故そんな顔を、と問いただす時間はなかった。

それよりも早く渡里が言葉を紡いだから。

 

「…わかった。一人くらい増えても大丈夫だよな?」

「ええ、問題ありません」

 

姉は静かに頷いた。その口元に僅かな笑みがあったことを、果たしてどれだけの人が気づいただろうか。

 

「西住、冷泉のことは角谷達には言うな。用事で抜けた、とだけ伝えろ」

「は、はいっ」

 

みほの返事に渡里は一つ頷いた。

すると突如として、風が慌ただしくみほ達の頬を撫でていった。

あまりにも強烈な風に、思わず目を瞑る。

かろうじて開けることのできた瞼から見えたのは、特徴的な形をしたヘリが地に降り立つ姿だった。

 

「さぁ乗ってください」

「……久しぶりに見たな、Fa223。まだ現役だったのか」

「えぇ、お兄様が初めて乗った時からずっと頑張ってくれています」

「そりゃ随分と長生きだ」

 

懐かしむように、渡里は一瞬だけ目を細めた。

しかしすぐに扉を開放すると、麻子を手招きして中に入れた。

そのすぐ後、みほ達に一瞥もくれることなく彼もヘリに乗り込んでいく。

 

「わ、私も乗ります!」

 

風に流される髪を必死に抑えていた沙織が、慌てて声を上げた。

あまりのことに口を挟めずにいたが、麻子は沙織の親友だ。

ついていこうとするのは、沙織の性格を考えれば当然のことだった。

しかし、

 

「すまないが、このヘリは四人までしか乗れない」

 

あっけなく、沙織の行為は一蹴された。

四つしかない席は、既に埋まっている。

物理的にどうしようもないのでは、沙織も引き下がるしかない。

 

そして最後の搭乗者たる姉も、渡里と同じく一瞥もくれずにヘリに乗りこもうとする。

声を掛けるのなら、最早ここしかない。

みほはヘリの音に負けないよう、声を張り上げた。

 

「お姉ちゃん!……ありがと」

「……あぁ」

 

姉の返事は、それだけだった。

余計な装飾を好まない姉らしい、実直な言葉。

けれどなぜだろうか、そこにほんの少しの違和感を覚えてしまう自分がいるのは。

 

そしてヘリは飛び立つ。

空に昇っていく姿を、もうみほ達は見つめることしかできない。

どうか、という祈りを込めながら。

 

 

 

「みほさんのお姉さんがいてくれてよかったですね」

「そうですね。そうでなければ、きっと冷泉殿も茨城に帰るまでもっと時間がかかったでしょうし……」

 

その後、学園艦で茨城へと帰るみほ達に、渡里と麻子が病院に到着したという連絡が入ったのは夕方のことだった。

それを受けた沙織は、帰港するなり麻子の元へ向かい、「全員で押し掛けても」ということもあってみほ達は翌日にお見舞いすることに。

 

麻子は祖母の元を離れようとせず、その付き添いである渡里と沙織もまた、病院で一夜を明かすことにしたそうだ。

 

そして今日の朝、意識不明だった麻子の祖母が目を覚ましたという。

倒れた原因は分からないが、意識が戻り、その上「倒れる前より元気かも」というのであれば、過度な心配もいらないだろう。

 

これで事態は、一件落着。

ちょっと慌ただしかった二日間も終わり、また戦車道だけに集中する日々がやってくる。

 

(……お姉ちゃんとお兄ちゃん、何か話したのかな?)

 

しかしみほの中には、まだ少し澱むものがあった。

それは他でもない、兄姉のことだった。

 

みほの記憶では、姉と兄の関係は、みほと兄のそれとよく似ている。

いや、兄へのなつき度という点では、みほ以上かもしれない。

みほだってまあまあ、いやかなり兄にくっついて回っていたが、多分姉はそれを越えている。本当に、何をするにしても一緒だった。

 

その二人の姿を、みほは今でも鮮明に思い出すことができる。

けれど、昨日見た二人の姿は、それとは少し違っていた。

 

みほは兄と再会した時、思わず感極まって抱き着いてしまった。

姉も、てっきりそうだと思っていた。仮にそこまでじゃないとしても、もっと劇的なリアクションがあるだろう、と。

 

結果は、あまりにも普通だった。いっそ、冷めていると言っていいほどに。

そしてその傾向が強かったのは、兄の方だった。

久しぶりの再会なのに、交わした言葉はほんの少しだけ。

みほの時はあんなにも、喜んでくれたのに。

 

状況が状況だけに、空気を読んだのだろうか。

確かにあの場で、そんな感動の再会をするのは相応しくない。

けれどもう少し、何かあってもいいのではないかと、みほは思った。

 

麻子を病院に送り届けた後なら、二人きりになれる時間もあったはず。

そこで何かしらあったか、それとも何もなかったのか。

いや別に、みほが気にすることじゃないかもしれないけど。

 

「ええと、この階のどこかのはずなんですけど……」

 

そして気づけば、みほ達は麻子の祖母の病室がある階層まで来ていた。

両側の壁にはいくつものネームプレートと部屋番号が掛けられていて、このうちのどこかに麻子の祖母の名前があるのだろう。

 

とりあえず端から順番に見ていけば、いつかは辿り着く。

そう思い歩き始めた三人は、そんな必要はなかったということに気づくことになる。

 

廊下にいくつか置かれている横長の椅子。

その一つに、見慣れた姿が座っていた。

 

「お兄ちゃん……」

 

壁を背もたれにして、俯きながら座る男性。

紛うことなき、神栖渡里がそこにいた。

 

やや早足になって近寄るみほ達。

その足跡に反応したのか、兄の黒い瞳が横目でみほ達を捉えた。

 

「よお、おはよう」

 

その声は、普段と違って覇気がなかった。

しかし顔色は良く、目には光があり、身体は芯が入っているようにしっかりしているので、ほんのちょっと疲れているだけのようだった。

 

「あの!冷泉殿の―――」

「静かに」

 

優花里の言葉を、渡里の眼と言葉と指が遮った。

そうだ、ここは病院。あまり大きな声を出してはいけない。

 

するとみほは、渡里の影に何かがあるのに気づいた。

不思議に思い、覗くとそこには、

 

「沙織さん……?」

 

渡里の右肩を枕にし、深い呼吸を規則正しく繰り返す、眠り姫の姿があった。

その身体には見慣れた上着が掛けられている。

 

「朝までは起きてたんだけどな。お前らにメールした後、電池が切れたみたいだ」

 

同時に、みほは兄の声に普段の覇気がない理由を悟った。

そう感じたのは、兄の声がいつもより小さいから。

いつもより小さいのは、横にいる彼女を起こさないためだったのだ。

 

「夜にここまですっ飛んできて、冷泉が婆さんの傍を離れないからつって、自分も寝ずに冷泉に付き合ってた。試合の後にそんなことしてりゃ、こうなるもの当然だよな」

 

薄く笑いながら、渡里は沙織の顔を見つめた。

沙織の眠りはかなり深いようで、ちょっとやそっと騒いだくらいでは起きそうにない。

それはそのまま、彼女の疲労がどれほどのものだったかを表していた。

 

「友達思いはいいが、もっと自分の身を労わってほしいな。結局冷泉に追いだされるまで、ずっと付きっ切りだったし」

「沙織さん……」

「まぁ俺も女子高生に寄りかかられていい気分だけども」

 

台無しにしたよ、この人。

セクハラで訴えようか、とみほは本気で思った。

沙織の意識がないのをいいことに、良からぬことをしてないだろうな。

 

疑念がレーザーとなって、みほの目から放たれる。

そしてみほは気づいた、兄の眼にほんの少しだが隈ができていることに。

 

「……お兄ちゃん、寝た?」

「こんな硬い所で寝れるかよ。俺は枕が変わるとダメなくらいデリケートなんだ」

 

嘘だ、とみほは即座に見抜いた。

兄にそんな繊細さは、微塵もない。この人はジャングルだろうが公園のベンチだろうが、普段と変わらずぐっすり眠れるくらい図太い神経をしている。

 

しかし「寝てない」という言葉は、きっと本当だ。

なら、なんで起きているのか。

 

「……お兄ちゃんも麻子さんに付き添ってたんだね」

「いや。俺はここにずっと座ってただけだし」

 

妙に素直じゃない所を見せて、渡里は瞳を閉じた。

病室の中で麻子が起きているのか、そうでないのか。

それに関わらず、自分が眠るわけにはいかないと、大方そんなことを考えていたのだろう。

外にいるんだから、誰も気づかないし咎めもしないのに。

 

まったく、身体を労われというのなら、まずは自分が実践してほしいものだ、とみほは思った。戦車道に限らず、平気で無茶をしてしまうのが兄の悪い癖だ。戦車道が関われば、もっと無茶をするけれど。

 

そんなみほの心配をよそに、渡里は指先で一つの部屋を示した。

 

「病室はそこだ。今は静かだけど、さっきまでは大変な騒ぎだったぜ」

「騒ぎ……!?やはり容体が……」

「違う違う」

 

手を軽く振って、渡里は華の言葉を否定した。

その顔には、苦笑が浮かんでいる。

 

「あんな元気な婆さん初めて見たわ。お前らも、見舞いするなら相応の覚悟をしていけよ」

 

そしてみほ達は、渡里の言葉の意味をすぐに実感することとなる。

物静かな冷泉とは真逆の、雷神の遣いなのではと思ってしまうほど激しい気質をした老婆。

つい今朝まで意識が無かったとは思えない程元気なその人の迫力に、思わずみほ達は呑まれてしまった。

 

けれどその言動の裏に見え隠れする、不器用な優しさに気づいてしまったら。

 

みほは不思議と、麻子が懐く理由も分かる気がした。

それでもまぁ、おっかない人だとは思うけれど。

 

 

 

お見舞いが終わったのなら、学園艦に帰ろう。

みほ達は病院を後にして、駅へと向かっていた。

道中寄り道をするところは、実はたくさんある。それこそショッピングやカフェなど、より取り見取りだ。こういう所に来れる機会も中々ないし、時間なんて潰そうと思えばいくらでも潰せる。

 

しかし、それでもみほ達がまっすぐに帰ろうとしたのは、他でもない麻子が理由だった。

心労か、疲労か、ともかくとして麻子が、病院を出た瞬間にぐっすりと眠ってしまったのだ。

 

「こうなった麻子は絶対に起きない」という幼馴染の言葉通り、ちっとも起きる気配のない麻子。こんな状態では、とても寄り道なんてできない。

 

ということで一番腕力のある渡里が麻子をおんぶし、華の被っていた帽子をナイトキャップ代わりに被せてあげて、このまま学園艦まで持っていこうということになったのだった。

 

一方、麻子と入れ替わる形で起きた沙織は、だいぶ元気である。

それはもう、渡里から何かしらのエネルギーを吸い取ったのではないかというほどに。

ちなみに沙織が寝ている間、『えへへ渡里さんもっと~』という謎の寝言が幾度となくあったが、それは墓場まで持っていこうと誓ったみほ達であった。

 

「それにしても、麻子さんは本当にお婆様のことが好きなんですね」

 

それは一同が等しく抱いた思いだった。

いわゆるお婆ちゃんっ子というやつなのだろう。麻子の祖母への懐き方は、普通の人のそれよりも二回りくらい大きい。

あくまでみほ個人の物差しになるが、祖父母が倒れてあそこまで心配するということは、筋金入りのお婆ちゃんっ子と言ってもいい気がする。

 

すると沙織は、妙な表情を浮かべた。

それは一言で形容できるようなものではなく、様々な感情が織り交ぜられたものだった。

そして決まって、そういう時に発せられる言葉は、ひどく人の感情を揺さぶるのだと、みほは知る。

 

「麻子はね、両親いないんだ」

「……え?」

 

誰の、声だったんだろう。

肺から漏れた空気が、そのまま音になったかのようなか細い声だった。

 

「麻子が小さい時に事故に遭って……そこからおばあだけが、麻子に残されたたった一人の家族。本当はね、おばあもう何度も倒れてて……その度に麻子は病院に行って、看病して、すごく不安になるの」

 

それはそうだろう。

たった一つの、血の繋がり。それを失うということは、きっとみほの想像できない程辛いことのはずだ。

お化けや高所なんかよりも、よっぽど恐ろしいことに違いない。

麻子は祖母が倒れる度に、そんな恐怖と独りで戦っている。こんなにも、小さい身体なのに

 

「だからあんなに動揺してたんですね……」

「うん……まぁおばあは倒れても全然元気に復活するんだけど、麻子は気が気じゃないみたい」

 

みほの脳裏に、病室での一幕が映像となって甦る。

そういえば麻子は、しきりに祖母の体調を心配していた。

アレは倒れたからとかそういうことではなく、おそらく普段から言っていることなんだろう。それは、そのまま麻子の祖母への情の深さを示している。

一日でも、一秒でも長く。ずっと元気でいてほしいという、麻子の想いを。

 

「渡里さんは、知っていらしたのですか?」

 

華の言葉が、渡里を射貫いた。

先ほどから沈黙を保ち、そして麻子の話を聞いても表情一つ変えなかった兄を不思議に思ったのだろう。

すると兄は、あまりにも平然として言った。

 

「知ってた。戦車道受講者のプロフィールを生徒会から貰ってるからな。スリーサイズとかは知らないけど、出身地と家族構成と血液型くらいは全員把握してる」

 

良かった。そこが明らかになっていたら、みほのこの右手が全力で唸るところだった。

 

「ただまぁ、冷泉に関してはそんなもん無くてもその内気づいたんじゃないか、とは思う」

「神栖殿と冷泉殿はよく話しますもんね」

 

優花里の言葉に、兄は曖昧に笑った。

 

「それもあるけど、不思議とシンパシーみたいなもんがあったんだよな。なんとなくだけど、似てるなぁーっていうか」

「麻子と渡里さんの似てるところ……?」

 

はて、とみほと麻子以外が首を傾げた。

オンオフのスイッチがはっきりしているところ。寝るのが好きな所。天才肌なところ。髪色、性格、趣味嗜好。

おそらく彼女たちの中では、そういったものがリストアップされているだろう。

 

けれど違う。そんなんじゃない、とみほは断言できる。

なぜなら渡里の言う相似に、みほは一瞬で辿り着いたから。

そしてそれに確信を持っているから。

 

答えは、本人の口から与えられた。

 

 

「俺も両親いないんだよ」

「―――――――」

 

 

いっそ沙織のように、深刻そうに話してくれた方が反応しやすかったかもしれない。

こんな、まるで()()()()()()()()のように言われてしまったら、一体どんな顔をすればいいのだろうか。

沙織たちの絶句は、そういう理由だろうとみほは思った。

 

「だからずっと冷泉に妙な親近感があった。まぁ最初から冷泉に両親がいないってのを知ってたから言えることかもしれないけどな」

 

ちょっとカンニングか、と笑う兄。

一方笑えないのが、沙織達の方であった。

 

だって()()()()()は、決して軽く扱っていいものではない、という感覚があるから。

というか、それはおそらく全ての人が持っている当たり前の感覚のはずだ。

『へぇ、なんでいないんですか?』と平然と聞ける人がいるなら、その人は多分まともな精神構造をしていないと思う。

 

「なんだ、みほから聞いてなかったのか」

「え!?みほ知ってたの!?」

「う、うん」

 

驚愕の視線が六つ、みほに向いた。

そう、みほは知っていた。それが、渡里の話を聞いても反応が薄かった理由である。

 

「でも普通言わないよ……お兄ちゃん」

「それもそうか。じゃあ()()()()も知らないのか、武部達は」

 

あのこと、というオウム返しが聞こえた。

そして渡里は、またあっけらかんとして、とんでもない事を口走った。

 

「俺とみほが血繋がっていないっていう話」

「………」

 

驚愕の絶叫が、空を突き抜けていった。

渡里の背にいる麻子が起きなかったのは、おそらく奇跡だったに違いない。

 

 

 

 

神栖渡里は、いわゆる天涯孤独というやつである。

この世のどこを探しても彼と同じ血を持つ者はおらず、彼の血縁は完全に断絶されている。

 

父は彼が物心つく前に逝去した。

直に父と触れ合った記憶はなく、写真や映像でしか彼は父を見たことがない。

その分失くした悲しみを味わわずに済んだ、とは彼の言葉であるが、果たしてどちらがより悲しいことなのかは、誰にも分からない。

 

祖父母は、父方も母方も両方他界している。

これもまた、彼が赤子の頃の話である。初孫として両方の祖父母から大層可愛がられたらしいが、生憎彼の記憶にはない。

 

彼にとって家族とは、母親のみを指す言葉であった。

 

母は、燃え上がる炎そのもののような人だった。

誰よりも苛烈で、熱くて。

周りを圧倒し、慄かせ、惹きつける。

豪放で快活で凛然とした、そんな格好いい母だった。

まぁそれは戦車に乗っている時の話であって、私生活は結構ダメな人だった。

料理はそんなに上手くないし、掃除洗濯は雑に済ませ、何事も自分の心の赴くまま決める無法で無計画で無秩序な、そんな母だった。

 

しかしそれでも、彼は母を慕っていた。

その生き方に、憧れすら抱いていた。

何者に縛られることなく、ただ自分の行きたい道を切り拓いていく母の姿を、心の底から格好いいと思っていた。

 

そんな母を彼が失ったのは、八歳の頃であった。

 

「戦車道の試合中の事故でな。他の乗員を助けている間に逃げ遅れて、そのまま逝った」

 

兄の言葉が、普段よりも大きく聞こえる気がした。

それはみほ達が、あまりにも静かに聞いている所為だろうか。

構う様子なく、兄は続ける。

 

「仕方ないことではあるんだ。どれだけ安全を追求したとしても、事故っていうのは起きる。電車が脱線するとか、飛行機が墜落するとか、そういうのと同じように、ただ運が悪かったとしか言いようがない。戦車道の欠陥とかそういうんじゃなく、不運な事故だった」

 

仕方ない。

果たして、そんな風に割り切れるものなのだろうか。

確かにどれだけ用心して生きても、善く生きても、賢く生きても、死ぬときは死ぬ。

とんでもなく理不尽に、脈絡もなく、ソレは突如としてやってくる。

 

第三者であるなら、「運が悪かった」で済ますこともできるだろう。

けどそれが自分の身近なところで起こった時、同じことを言えるだろうか。

 

「母親の死後は、母親と親交のあった西住家に引き取られることになった。所謂先輩と後輩みたいな関係だったらしくてな、みほのお母さんは快く俺を迎えてくれたよ」

 

それが西住渡里の始まり。

そして他でもない渡里とみほが、初めて出逢った日だった。

当時渡里が八歳で、みほがおそらく二歳の時だ。

 

みほの最古の記憶は三歳か四歳くらいの頃のものだが、その中にあって渡里は既に()として存在していた。

だからみほは渡里が自分の兄であることに何の疑いもなく、彼が渡英するまでの九年間ずっと血の繋がった家族だと思っていた。

 

当然、今は違う。

兄が渡英した際、みほと姉は母から全ての事情を聞かされている。

その時点で兄は、血の繋がった家族ではなく、血の繋がらない家族になった。

 

ただ、それだけの変化だ。

そして、たったそれだけのことでは、みほは何も変わらなかった。

依然としてみほの中では、神栖渡里は西住みほの、世界でたった一人の兄であり、彼に対する思慕も憧憬も、幼き頃と何一つ変わっていない。

変わるわけが、ないのだ。

 

「んで、まぁなんやかんやあって今に至るわけだな」

 

雑に締めくくり、兄の言葉は終わった。

悲壮感の欠片もなく、まるで教科書を朗読するような軽々しさに、面食らったのは寧ろみほ達の方であった。

こういう時、どう言葉を紡げばいいか。何を言うべきなのか。

正しい選択をするために必要な経験値が、みほ達には圧倒的に不足していた。

みほ達にできるのは、ただ曖昧な表情をして俯くという陳腐な反応だけだった。

 

「まぁ、こういう話をすると大抵の人はお前らみたいな反応をするわけだが。あまり変に気ぃ遣うな」

 

殊更に明るい口調で、兄は言った。

 

「冷泉はどうか知らないが、俺に関してはそこまで深刻にならなくていい。俺の母親の話が聞きたいってんならいくらでも聞かせてやるし、身の上話だってしてやる。お前らが思っている程、俺は自分の過去に囚われてないよ」

「で、でも……」

 

悲しくないのか、という言葉が続くはずだったんだろう。

沙織がそこで言葉を切った意味が、みほには分かる。

そしてそれは、渡里も同様であった。

 

「そりゃあ母親を亡くした直後は、もう大変だったよ。何を食っても味はしないし、世界はモノクロに見えるし、息をするのも億劫だった。でもそれは、もう過去の話だ」

 

兄は言う。

ほんの少しの陰りもなく、堂々と明朗に。

 

「もう俺は母親と一緒にいた時間よりも、母親がいない時間の方が長くなった。いくらなんでも、そこまで過去は引き摺れない」

 

カラカラと笑う兄を、みほ達は複雑な表情で見つめた。

例え彼が過去を乗り越えたとしても、彼が天涯孤独であるという事実は変わらない。

けれど彼はそれを、もう身体の一部として受け入れている。

極論、足が遅いとか背が低いとか、そういうレベルでしか捉えていないのだろう。

 

それは、喜ぶべきことなのだろうか。

強い人だと、感心していいことなのだろうか。

 

みほ達には分からない。

分からないから、何も言えない。

 

「それにさ、血の繋がった家族はいないけど、別に寂しいわけじゃなかった」

 

だからきっと、兄が言葉を紡いでくれるのは、彼の優しさなのだと思った。

みほ達はその優しさに、甘えるしかない。

 

「厳しくておっかない義母がいて、とんでもなく優しい義父がいて、あと甘えたがりで大人しい義妹と……」

 

ぽん、とみほの頭に軽い衝撃が走った。

そこからじんわりと広がる暖かさに、みほは自分の頭に兄の手があることを悟った。

 

「見てるこっちが元気になるくらい明るくてやかましい義妹がいた。血の繋がりじゃなく、心で繋がった家族がいたから、全然寂しくはなかったよ」

 

ぐりぐり、と頭が雑に撫でまわされる。

栗色の髪の毛があっちこっちに飛び跳ねてしまって、綺麗に梳いたヘアスタイルが一瞬で崩れる。

抗議の視線を放つも、兄は華麗にスルーした。

 

心で繋がった家族。

それはみほも、同じ気持ちだ。

誰が何と言おうと、兄はみほの家族であり、みほは兄の家族である。

兄とみほの間にあるつながりに比べれば、血の繋がりなんて本当に些細な問題なのだ。

 

だからみほは薄く笑った。

それと同時に、兄も笑った。

 

「今だってそうさ。みほがいて、華がいて、()()()()()()()()()がいて、大洗女子学園の皆がいて、他にもたくさんの人との縁がある。そんな中で、講師として戦車道に関わることができてるんだから、これ以上の幸せはない」

 

それこそ、過去なんてどうでもいいくらいに。

晴れやかに、心の底から浮かべる笑顔だった。

 

そんな顔を見せられては、みほ達がいつまでも辛気臭い顔をしているわけにはいかない。

他でもない本人が気にしてないのだから、みほ達が必要以上に気にすることもない。

みほ達は生来の明るさを、徐々に取り戻していった。

 

「あ、っていうか渡里さん今名前で呼んでくれましたよね!」

「贔屓は良くないからな。みほと華を名前で呼ぶなら、もういっそあんこうチームは全員名前で呼ぶことにした」

「………むぅ」

「まーだ納得してないのか。今度甘味処にデートしに行くってことで手打ちになったろ」

「ででで、デートぉ!?」

「わ、渡里さんそれは内緒で――――」

「ちょっと華!?いつのまにそんな約束したの!?」

「ええと、そのぉ……」

 

ううん、と渡里の背にいる麻子が身じろぎした。

それほどまでに沙織と華の喧騒は大きく、思わず優花里が仲裁に入るも一向に冷める気配はない。

 

そうして世界は、あっという間に元通りになった。

元気で、明るくて、騒がしい、いつものみほ達の世界。

五人に一人を加えた、六色の世界である。

 

「……ねぇ、お兄ちゃん」

「あん?どした?」

「お姉ちゃんと、何か話した?」

 

聞くタイミングは、今しかないと思った。

別に、聞かなければならないことじゃない。姉と兄が何を話したかなんて、みほが知らなくても全然構わないことだ。

 

けれど不思議と、聞かなければならない気がした。

何故そう思ったかは、みほにも分からないけど。

 

「お前と一緒だよ。麻子を送ってくれたお礼を言おうとしたら、急に抱き着かれた。話したことも『逢いたかった』とか『何処に行ってたんだ』とか、そんくらい」

「……それだけ?」

 

みほの言葉に、兄は長考の姿勢に入った。

軽く十秒ほどの時間を置いて、渡里の豆電球が点灯した。

 

「身体の一部がすごい成長してた。めっちゃ柔らかかったわ」

「お兄ちゃん、これ最終警告だから」

 

丸い瞳が精いっぱい吊り上がる。

普段大人しい外見をしている分、迫力が割り増しになっていたようで、兄は気まずそうに視線を逸らした。

 

「……何かあったでしょ」

 

戦車道では嘘をつかないこの人は、その分戦車道以外のところで嘘とついたり、何かを隠したりする。

そしてそういう時の兄を、みほは直ぐに見抜くことができた。

今もそうである。

 

「……秘密」

 

そして兄は、薄く笑いながらそう言った。

 

「秘密って……」

「お前には教えられないってことだ」

 

いっそ、「何もなかった」と言ってくれればまだ追撃のしようがあったのに。

そんな風に言われてしまったら、みほはもうこれ以上踏み込めない。

たった一言で攻撃の手を潰す、鮮やかな手並みだった。

戦車道における防戦の名手は、平時でも名手ということか。

 

「……いつ教えてくれるの」

「気が向いたらな。ともかくとして今お前が考えるべきは、二回戦で当たるアンツィオ高校のことじゃないか?」

 

みほは内心でため息を吐いた。

こういう時に限って正論を言うから、この人は厄介なのだ。

 

もし兄と血が繋がっていたら、自分もこんな性格になったのだろうか。

そんなことを想像して、みほはちょっとゾッとして。

 

それも悪くないかも、と思った。

ほんの少しだけ。

 

 

 

 




どんなスポーツでも事故の可能性はあって、それが原因で亡くなる可能性はあるという話でした。
戦車道の闇とかじゃなく、極々当たり前の話ですね。
なんでガルパンでこんな話をするんだ、と思った人は「オリ主が全部悪い」ということでどうか一つ。


次回はサクっと小話を一つ挟んで、アンツィオ高校戦です。

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