戦車道素人集団を優勝へ導く138の方法   作:ススキト

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大変長らくお待たせいたしました。
過去最長に最後の投稿(2/14)から間が開いてしまいました。
この一月で本作のことを忘れてしまった人がいるかもしれないので、思い出してもらえるように頑張る所存です。


→前回までのあらすじ
カエサル&カルパッチョ「真剣勝負楽しぃぃぃぃ!!!」
みほ「ピンチだよ!全員集合!」
沙織「できらぁ!」


第32話 「アンツィオと戦いましょう⑤ グラタン

「――――なるほど、わかった。だがすまない、此方は身動きが取れない。悪いが我々のことは戦力として数えず、そちらだけでなんとかしてほしい」

 

幸運を祈る、そう締めくくりエルヴィンは無線を切断した。

その様子を、装填動作を繰り返しながらも横目で伺っていたカエサルが視線で問う。

それを受けたエルヴィンが厳しい表情をそのままに答えた。

 

「全車に命令が下った。指定の位置に、指定のタイミングで集まれとのことだ……西住隊長が妙案を思いついたのだろう。反撃の時来たれり、だな」

「なっ……だったら我々も行かなければ!」

 

詳細な内容は分からないが、指示から察するにおそらく全体の歩調を合わせなければならない類のもののはず。

ならばその中にあって、カバさんチームだけが単独で動くわけにはいかない。

確かにセモヴェンテとの戦闘で身動きは取れない。だがそれは他のチームだって同じこと。

自分たちだけが特別窮地であるわけではないし、それをどうにか打開してほしい、という西住隊長のメッセージに気づかないエルヴィンではないはずだ。

 

「――――本心か、カエサル」

「――――っ」

 

軍帽の下から、鋭い視線が覗いていた。

怯んだカエサルの隙を突き、エルヴィンは更に言葉を続けた。

 

「お前が本当にそれを望んでいるというのであれば、是非もない。我々も西住隊長の指示に従おう。客観的に見ても、それができるだけの力は我々にある」

 

できない、ではなく。

しない、というのがエルヴィンの取った行動。

 

「だが今のお前には、もっとしたいことがあるんじゃないのか?」

「そ、それは……」

 

否定はできない。

なぜならカエサルの心は、魂は今この状況をこそ何よりも求めているから。

 

けれどそれは、カエサル個人の話。

これがカエサルだけの試合なら、それもいいだろう。

心のままに、この瞬間を味わいつくそう。

 

でもこれは、大洗女子学園というチームの戦いだ。

何よりも優先すべきはチームの勝利であって、個人の愉しみじゃない。

 

「だとしても、私の一人の我儘でチームに迷惑をかけるわけにはいかない」

「正論だな。しかしカエサル、それは正しいだけで最善じゃない」

 

エルヴィンはなおも厳しい顔でいる。

こうして話している間にも、相手はカバさんチームの首を刈ろうとしてくる。

決して気を緩めていい状況ではない。

しかしエルヴィンは、話すことを止めなかった。

 

「我々の付き合いはたかだか一、二年。何から何まで知っているとは到底言えないが、それでもこれだけは言える―――――今のお前は、良い顔をしている」

 

そこで初めて、エルヴィンは僅かに表情を崩した。

口角が、少しだけ上がったのだ。

 

「今お前が戦っているのは友だろう。おそらく我らなどより余程付き合いの長い、それこそ親友と呼べるほどの深い仲の」

「……あぁ」

 

カルパッチョ。ひなちゃん。

カエサルの幼馴染で、唯一無二の存在が、倒すべき相手として眼前にいる。

 

「絶対に勝ちたい。死んでも負けたくない。そう思える相手だ」

「私にはそういった相手がいない。だから今お前の気持ちを推し量ることはできない」

 

けれど、とエルヴィンは言う。

 

「そういう相手と、そんな思いで勝負することができる。それはきっと滅多にない幸運だ。お前はこの先、何度そんな機会に恵まれると思う?今この瞬間を逃して、本当にお前は後悔しないか?」

 

そして遂に、エルヴィンの口が弧を描いた。

 

「安心しろ。お前の為にチームを犠牲にするつもりは毛頭ない。もし仮にお前がそんなことを言い出したなら、我らはお前を殴ってでも止める。この選択は、それなりの道理があってのことだ」

 

ぴん、と指が一つ立ち。

エルヴィンの戦況分析が披露される。

 

「我々が動かなければ、確かに西住隊長の描いた形からは逸れることになる。だが同時に、我々は相手の、たった三両しかない貴重な戦力の内の一つを押さえることができる」

 

すなわちそれは、セモヴェンテである。

何もこの状況は、カバさんチーム達だけを縛るものではない。

同じ制約が、鏡に映したように相手にも掛けられている。

 

セモヴェンテは大洗女子学園の戦車全てに通用する火力を持つ要注意戦車。その一つを身動き取れなくするというのは、十分なメリットだ。カバさんチームが合流できなくなるデメリットを打ち消すには。

 

「だからここは、決して隊長命令を軽んじるわけではないが、どちらを選んでもいい。どちらにも同じ程度のメリットがあるのならな、カエサル――――――少しでも友の為になる方を選ぶさ」

「――――っ」

 

不敵な笑み。

その背後にある、明確なメッセージをカエサルは受け取った。

背中越しでしか見えないが、雰囲気で分かる。他の二人も同じ気持ちだろう。

 

通せる我儘なら、通しておけ。

戦いたいんだろう。

 

あぁ、まったく。

私は、人に恵まれっぱなしだ。

相手にも、味方にも、こんなにも得難い存在がいる。

 

――――――なら、遠慮なく存分にやらせてもらう。

 

万感の思いを、カエサルは必死に押し込めた。

そしてそれすらも、燃ゆる心の薪にする。

 

「礼は言わないぞ」

「いらないさ。その代わり―――――必ず勝て」

「――――上等だ!!」

 

歓喜の笑みは、獣のように猛々しく。

いっそう火は燃え上がる。

 

さぁ、憂いは無くなった。

後はもう、燃え尽きるまで戦うだけだ。

 

三号突撃砲とセモヴェンテ。

カエサルとカルパッチョ。

決して譲れない大一番は、まだまだ白熱の様相を見せている。

 

 

 

「カバさんは合流できない」

 

二つの場所で、その言葉は同時に呟かれた。

一つは、四号戦車の車内、通信手席にて。

もう一つは、試合観戦席から遠く離れたとある場所で。

方や計算式の変更を余儀なくする変数として。

方やただの些細な事実として。

女と男の口から、呟かれた。

 

「うーん、となると……こっちをこうしてあっちをこうして……」

「大丈夫?沙織さん」

「―――うん、大丈夫!任せといて!」

 

「仕方ないな。状況が許さないことだってある」

「いいの?戦車道は、ほんの少しの綻びから呆気なく勝負が決まるわよ?」

「アレが本当に綻びなら、ね」

 

 

「これくらいならへっちゃらだから!」

「あんまり武部を甘く見ないでくださいよ」

 

 

通信手とは、戦車道において直接戦闘に関わる役職ではない。

攻撃の主役である砲手、その生命線である装填手。

戦車の制御を一手に担う操縦手。

そしてそれら全てを統括する車長。

そのどれもが、例えば目の前に相手戦車がいる時、決して欠かすことのできない働きをする。

 

その中にあって通信手は、そこに一切関与しない。

もちろん機銃を撃つ機会などもあるから、全く戦わないというわけではない。

だからこれは、本質の話。

 

通信手の、通信手にしかできない役目とは何か。

それはひとえに、コミュニケーションの要となること。

人と人とを繋ぐ、架け橋であることだ。

 

そして神栖渡里は、それをこそ何よりも重視した。

 

大洗女子学園に与えられた、あまりにも短すぎる時間に対して、渡里がいくら複数箇所を同時に鍛える効率の良い練習を行っても、絶対的に時間が足りない。

ゆえに渡里は、取捨選択をしなければならなかった。

 

戦車道に必要な能力、勝つために必要な技術。

いくつもあるその中から、本当に必要なものだけを選び、それを集中して伸ばす。

 

結果として当然、できることとできないことが発生してしまうが、そんなことは言い出したらキリがない。

それよりも大事なのは、一つのことを何よりもできること。

 

そして神栖渡里が通信手たちに特化させたものこそが、連携の中心になることだった。

 

「思考の言語化は、あくまでチーム全体の意思疎通を円滑にするためのもの。通信手は更にその上の段階に進まなければならない」

 

発信力と受信力。これは通信手のみならず、他の誰もが身につけておかなければならないもの。もちろん通信手たちには人一倍優れていてほしいが、それより渡里が求めたものは、

 

「戦場に数多存在し、刻一刻と変化する情報。それを総て捉え、捌くこと」

 

もし一両の戦車の意思疎通が滞れば、その戦車はチームから孤立する。

それと同じく、戦場の潮流を読み損ねたものは、戦場から孤立する。

前者は遊兵を生み、後者は主導権争いから弾かれる。

そうなれば勝利など、夢のまた夢だ。

それらを防ぐ役割を一身に担っているのが通信手だと、渡里は考えている。

 

「特に武部は隊長車の通信手ですからね。求められることは他の通信手より多いけど、その分アイツの、情報を捌く能力はみほにも並ぶ」

 

そしてそれは、車長をアシストする力になる。

武部沙織は、神栖渡里とのマンツーマン特訓をこなしてきた。

鬼のように厳しい特訓だった。けれどそれに必死になって食らいつき、その知識を、技を、全てを吸収しようとした日々の成果が、何も無いわけがないのだ。

 

「ウサギさんチーム、北東へ方向転換をお願いします。速度はそのままを維持で」

「アヒルさんチーム動けませんか?わかりました。そのまま撃破をされないことを最優先で交戦を続けてください」

「カメさんチーム周囲に相手の姿はなし……なら合流地点を変更して……」

 

洪水のように押し寄せる通信。

それをそのまま車長(みほ)に渡すと、チームで一番大事な頭脳がパンクする。

だから武部沙織は、それを切り分ける堤となる。

 

諜報の網を張り、捉えたものは全部吸収して、要るものと要らないものに別けろ。

そうしたら次は紡ぎ合わせる。断片的な情報を幾重にも繋げて、一つの像を結べ。

点で見るな、線で感じろ。

戦場の全ては連動しているんだ。それを掴めば、武部沙織は戦場を調律できる。

 

目標地点に順調に向かっている戦車。

足止めを食らって遅れている戦車。

そもそもの距離が遠い戦車。

動かなくてもいい戦車。

一方はわざと遅くして、一方はその分急がせて。

速度の調節が効かないなら目標地点を再設定して。

倒されてはいけない戦車(フラッグ車)の進路と周りの安全には常に気を払って。

 

―――決して誰も置き去りにするな。

 

ホワイトボードの上をペンが躍る。

情報を書き加え、消して、修正して、また足して。

それを何度も繰り返し、それでいて精度は絶対に落とさない。

武部沙織の処理能力は、それを許さない。

 

無線機を忙しなく動かしながら、並列で思考の歯車を回す。

ちょっと前ならあえなくオーバーヒートするような負荷にも、今は耐えられる。

耐えられる分の余裕で、沙織は少しだけ過去を振り返った。

 

――――あの人の話のよると。

 

隊長車に乗る一流の通信手、それも飛びぬけて優れた通信手は、一つのシステムを構築している。

それがどういうものかを、具体的に説明することはできない。

ただそのシステムが機能することによって、チーム全体がまるで一つの糸で繋がっているように綺麗に動くという。

そういうのが強いチームだと、あの人は言った。

そしてそういう通信手がたくさんいることが理想だと、重ねて言った。

 

 

――――今の私には、そこまではできないけど。

 

 

「麻子、直進!思い切り加速して!!」

 

 

それでも、何もできないわけではなかった。

今の沙織は、みほの意を汲むことができる。

話を聞いて、みほが思い描く戦術の形と、そこに至る過程を想像することができる。

 

この差はとてつもなく大きい。

今、自分がしていることは何なのか。

立ち位置はどこか。意味はなにか。

それを理解しているといないとでは、圧倒的にパフォーマンスが変わるからだ。

 

言われたことは確実に行う、というのは勿論大切だ。

けどそれ以上に大切なのは、そこからほんの少しでも想像の翼をはためかすこと。

そうすれば人は、「自分で考える」という自由を手にできる。

 

神栖渡里に師事し、通信手としての技術以上に、戦車道への理解を深めた沙織は、正しくその自由を得ていた。

 

グン、と加速していく四号戦車を、三両の戦車が留めようとする。

三方向から相手戦車を抑え、自由を奪うのがアンツィオの基本陣形。

しかしそれは、もう通用しなかった。

 

なぜなら四号戦車の向かう先。

そこにあったのは、たった一両の戦車しか通る事の叶わない狭い道だったから。

 

『やば、間に合わな――――』

「一歩、遅かったな」

 

CV33が四号戦車の頭を押さえるよりも早く、四号戦車は狭道へと入る。

それを許してしまえば、アンツィオはもう四号戦車の後ろに付くしかなくなる。

それも横一列じゃなく、縦一列に三両だ。セモヴェンテではなくCV33が列の先頭になった時点で、いやそうでなくてもこの道に入った時点で、二両は遊兵化を余儀なくされる。

後ろの二両は、先頭の一両が邪魔で攻撃ができなくなるからだ。

 

一方で事前にこうなることを知っていた四号戦車は、既に砲塔を進行方向とは真逆に向けていた。

CV33の豆鉄砲では四号戦車の装甲を削ることはできないが、四号戦車の短砲身はアンツィオの戦車を屠るには十分な威力を持っている。

 

「撃て!」

「―――!」

 

そして容赦なく、砲撃は放たれる。

 

動きながらの砲撃とはいえ、左右に自由の効かない狭い道だ。

どれだけ機動力があっても、できるのは精々前後の移動だけ。

そんな鈍い相手なら、華の腕を以てすれば外すほうが難しいくらいだ。

 

衝撃をいなすスペースが無い以上、弾を食らったアンツィオの戦車はあえなく吹っ飛ぶしかない。

最後尾にいたCV33が弾の直撃で横転し、陣形から離脱。

そしてそのまま、あえなく白旗を掲げる。

 

それを受けて残りの二両は、状況の不利を悟ったのかはたまた別の理由か、速度を落として四号から離れていく。

 

そうして彼我の距離が空く。

アンツィオの機動力を以てすればすぐに詰められる距離。

しかしみほ達が手を打つには十分すぎる時間をくれる距離だった。

 

「―――抜けた!」

 

そして狭き道を抜け、視界が一気に広がる。

同時、無線から声が響く。

 

『こちらアヒル!!目標地点まで残り100メートル!!』

『ウサギチームももうすぐ着きます!!』

『みんなお疲れー』

 

それは久方ぶりの再会を告げる知らせ。

アンツィオ高校によってバラバラにされた大洗女子学園が、再び紡ぎ合わさる音だった。

 

 

「―――見違えたわね」

 

蝶野の声は、感嘆の意が込められていた。

すると不思議と、渡里は胸がすくような気持ちになった。

 

「全車の位置、状況、そして地形。それら全てを考慮して、最適な合流地点とそこに着くまでのルートを作る。それも一両だけじゃなく、四両が同時に到着するように調整して……まさかあんな小さな道まで把握してるなんてね」

 

それが口で言うほど簡単なことではないことを、二人は知っていた。

今ではGPSなんかがあるから、造作もないことかもしれない。

けれど武部沙織は、現代の機械が出す精度を、己の思考一つで成し遂げた。

それは間違いなく、驚嘆に値することだ。

 

「それだけじゃないですけどね」

 

首を傾げた蝶野に、渡里は自分には見えているものが彼女には見えていないことを悟った。

 

確かにそれだけでも、十分凄いことだ。

でも渡里としては、それは決して尋常ならざることじゃない。

沙織の力を以てすれば、全車を完全に制御することは不可能じゃない。

 

それよりも渡里が沙織を褒めたいことは別にあるのだ。

 

答えを問い質すような視線。

しかし渡里は、それに応えるのは自分ではないことを知っていた。

 

途端。

 

『わぷっ』

『な、なにこれっ』

『見えねぇ!!』

 

突如として、アンツィオは濃霧が襲った。

それは瞬く間に拡散し、一瞬で戦車を包み、そして彼女たちの視覚を奪う。

彼女たちには、それはあまりにも唐突で奇怪な現象だったに違いない。

しかし外から見ている者には、あまりにも単純なことだった。

 

「煙幕…」

 

蝶野の言うことが、そのまま正解だった。

大洗女子学園の戦車、その車体後部に付けられた発煙筒が撒き散らす白煙が、濃霧の正体。

それが大洗女子の戦車の軌跡をなぞり、覆い隠したのだ。

 

「アンツィオを引きずったまま合流すれば、向こうの戦力も集めてしまう。かといって機動力で劣る以上、普通に引き離すのは無理」

 

なら、普通じゃない手を使うしかない。

合流地点のほんの手前。そこで煙幕を吐き、アンツィオの視界を一瞬奪う。

そしてその隙に、

 

「方向転換します!全車、あんこうについて来てください!!」

 

集合し、切り返し、全速力で振り切る。

沙織の通信の元、あんこう、アヒル、ウサギの三両は、それぞれに張り付いていたアンツィオを振り払い、横一列で疾走した。

 

これこそが、西住みほが思い描いた形。

そして武部沙織が書き上げた形。

大洗女子学園の反撃、その幕開けであることを、渡里は感じ取っていた。

 

「単純に全車を集めるだけなら簡単なんだ。本当に難しいのは、それをどういう形で実現させるか」

 

ただ()()なルートを選べばいいというわけじゃない。

大前提としてみほの立てた作戦があって、沙織はそこに沿う形でルート選択を行わなければならない。

 

「アンツィオを振り切る。そのために煙幕を使う。けど至近距離で食いつかれていると煙幕は意味がない。ならどうにかして、一瞬だけでも距離を空けないといけない」

 

それを沙織は想像できていた。

理解していたからこそ、あの道を見つけることができた。

アンツィオの虚を突き、隙を作る道を。

みほの作戦へと繋がる道を。

 

他の通信手と同じように練習していては、きっと見つからなかった。

だってそれは、通信手の技能の延長線上ではなく、外側にあるものだったから。

 

沙織が、仲間のためにできることはなんでもしたい、と思い、更に向こう側を求めたからこそ、沙織の眼は隊長(みほ)と同じものを見ることができるようになった。

 

それこそが隊長車の通信手に必要なもの。

隊長の意を汲み、共有し、戦場の潮流さえも読み取る俯瞰の瞳。

 

すなわち―――――戦術眼。

 

 

「やりました!アンツィオを振り切りました!」

「いいルート選択だ、沙織」

「沙織さんかっこいいです!」

「でしょ!?私結構すごくない!?」

 

四号戦車の車内で、歓声が上がった。

思考の歯車をフル回転させながら、みほは「すごすぎだよ」と内心で沙織を褒め称えた。

 

正直無茶な注文だと思っていた。

決して沙織の実力を軽く見るわけじゃないが、熟練の通信手でも難しいことだと思っていたから。

だから完璧は求めない。そこそこでいいからやってくれたら、後は自分でどうにかしようとみほは考えていたが……沙織は余裕でその上を行った。

 

もう本当に、文句なしの百点満点である。

みほが思い描いていた理想の形そのものの状況が、今目の前にある。

 

(あとで謝らないと……)

 

みほは固く心に誓った。

本当は今すぐにでも謝らないといけないが、どうにも状況がそれを許してくれなさそうである。

 

沙織のおかげで流れは変わった。

押され気味だった戦況は僅かに色を変え、勝利へと続く追い風が、大洗女子に吹きつつある。

 

ならば、後はその風を摑んで往くだけ。

それが、今みほに課せられた役目だ。

 

沙織が百点満点の働きをした以上、そのバトンを受け取った自分が半端な真似をするわけにはいかない。

 

強い意志の元、みほは思考と眼を研ぎ澄ます。

その頭の中には既に勝利へのビジョンが描かれていた。

 

そして、とある男の頭の中にも同じものが。

 

「これで振り出し、かしら?」

「―――じゃないでしょ」

 

視線を感じた渡里は、そのまま言葉を重ねた。

なんでこの人に一々解説してやらねばならないのか、果たして渡里には分からない。

 

「武部がいれば、全車の散開・集合は自在だ。つまりみほ達は、好きな場所に好きなタイミングで戦車を展開できる」

 

それは今、正に彼女たちが証明している。

なら、もうほとんど結末は見えている。

 

「そしてみほは、相手のフラッグ車が自分たちのフラッグ車を狙っていることに気づいてる。だったら後は簡単だ。相手のフラッグ車が来たところを、囲んで叩けばいい」

 

この際フラッグ車は餌だ。

ゆらゆらと水中を漂う、針も何もついていないただの餌。

 

それを相手が食らおうと近寄ってきたところに、網を掛ければいい。

そうすれば後は煮るなり焼くなり、だ。

 

「それができれば理想ね」

 

蝶野の声色に、半分ほど懐疑の色が混じっていることを渡里は敏感な感じ取った。

確かに、渡里の言う通りに事が進めば、こんなに美味しい話はない。

しかし往々にして、そうそう上手くいかないのが戦車道だと、彼女は知っているのだろう。

けれど、

 

「行きますよ」

 

断じた渡里に、蝶野の視線が刺さる。

説明を要求されているのだろう。

けれど渡里には、生憎一から十まで説明してあげる甲斐性はない。

 

だからここは、簡潔に言おう。

 

「風向きが変わりましたから」

 

伝わるだろうか、いや伝わらないだろう。

何一つ具体性を持たないこんな説明で、理解できる人がいるものか。

 

でも渡里は、それを悪びれることはなかった。

だってすぐに、渡里の言葉の真意を、みほ達が身を以て証明してくれるはずだから。

だから自分はただ待っているだけでいいのだ。

 

「……相変わらず、なんでもよく見える眼ね」

 

褒められているはずなのに、不思議とそう感じない自分がいることを、渡里は奇妙に思った。

この人以外の誰かに言われたなら、果たして素直に言葉を受け取る事ができたのだろうか。

 

そんなことを考えながら、渡里は戦場に目を向けた。

その視線の先には、まるで吸い寄せられるように大洗女子学園のフラッグ車に迫るP40の姿がある。

もう間もなく、あの戦車から白旗が上がり、試合は終幕を迎える。

 

渡里の眼にははっきりと見えるそのビジョン。

それが蝶野には見えていないことを、そして誰にでも見えるものではないことを、渡里は改めて悟った。

 

 

 

順調だ。

これ以上なく、上手く試合が運んでいる。

 

新たな愛馬P40を駆り、風を切って走るアンチョビは、そう思った。

その視線の先には、青い旗を掲げた小さな戦車の姿。

 

あれこそがアンチョビが探し求めたもの。

この試合の勝敗を握る、大洗女子学園のフラッグ車である。

 

流れは、完全に此方にあるとアンチョビは確信した。

フラッグ車をどれだけ早く捕捉できるか、それがアンチョビの最大の懸念だったのだ。

 

コンパス作戦は全ての戦車が激しく入り乱れるため、例えフラッグ車の位置が分かっていても作戦が始まった瞬間には、情報が錯綜してフラッグ車を見失ってしまう。

特に今回は相手もフラッグ車を逃そうとしていたから、尚更。

 

だからアンチョビは、作戦が始まる直前の大洗女子学園の戦車の配置から、フラッグ車の行方を追うしかない。

それは常に変化する戦場において、あまりにも賞味期限が過ぎた情報だ。信頼性が低くて、普通なら使い物にならない。

 

だからここは、正直賭けだった。

フラッグ車を見つけるまでの時間が長いか短いかで、その後の展開は180度変わる。

 

けれどアンチョビは、その賭けに勝った。

大洗女子学園の分断、そこからのフラッグ車への奇襲。

コンパス作戦は、この上なく綺麗に成功したと言えるだろう。

 

(いやいや、落ち着け私。フラッグ車を仕留めるまでが作戦だぞ!)

 

ちょっとフライングした自分を、アンチョビは諫めた。

まだ安心するには早すぎる。

迂闊にも目の前を悠然と走るあのフラッグ車を撃破するまでは、決して自分を許すな。

 

「よし、行くぞ。背後にこっそり回って、一撃で仕留めるんだ」

 

隊長の指示を受けて、P40は走り始める。

火力的には側面からでも十分撃破できるが、ここは確実性を取る。

こっそり、息を潜めて、慎重にP40寝首を掻こうと38tに迫る。

 

『くっそーー!!』

「ひゃっ!?な、なんだペパロニ、無線で叫ぶな!びっくりするだろ!」

 

突如として咆哮が響き渡る。

あまりの事にビックーッと両肩を震わせてしまったアンチョビは、別に誰に見られているわけでもなかったが羞恥で頬を染めた。

 

『すいませんドゥーチェ!なんか煙吐かれて振り切られたっす!』

「はぁ?煙?」

 

なんだそりゃ、とアンチョビは首を傾げた。

 

『多分煙幕っす!』

「煙幕?」

 

ははぁ、なるほど。それを使ってウチの戦車達を振り切ったと。

そんな手も用意していたとは、やはり素人の集まりとはいえ侮れない。

しかし西住流にしては、随分奇抜な手を使う。先のサンダースとの一回戦の試合映像も見たが、どうにもアンチョビの中の西住流のイメージと重ならない部分がある。

 

まぁ、事ここに至れば些細な疑問だし、振り切られたのも同じく些細な事だ。

 

「わかった、相手の場所は?」

『分からないっす!!』

「じゃあ走り回って索敵だ!他の戦車と連携して網を広げろ!」

 

果たしてどういう経緯なのかは不明だが、そんなこと今はどうでもいい。

今は勝ちが目の前に転がってるんだ。なによりもそれだけが大事だ。

 

『了解っす!おいてめーら、行くぞー!』

「あ、ちょっと待てペパロニ!お前今どこだ!」

 

些事とはいえ、状況把握を怠るわけにはいかない。

切りかけた無線を慌てて繋ぎ直し、アンチョビはペパロニに問うた。

作戦の絵図を描いたのはアンチョビだから、ある程度全車の位置は把握しているが、とりあえずアップデートはしておこう。

 

そんな、言ってしまえば軽い気持ちで聞いた自分を、アンチョビはすぐに後悔することになる。

 

『えーと、地図地図……ここがこうであっちがあぁだから……S61っす!』

「S61だな――――――はぁ!!??」

『うわぁ!?ドゥーチェ、声がおっきいすよ!』

 

ちょっと待て、とアンチョビは地図を取り出し、情報を照合する。

そして一瞬で、心拍が急上昇した。

焦燥を隠すこともなく、アンチョビは声を飛ばす。

 

「おいお前達!!それぞれの現在位置を報告しろ!」

『ええ?Sの44ですけど』

『S57でーす!』

「ーーーーしまった!!??」

 

悲鳴が上がった。

 

まずい、まずいまずいまずいまずい!

嫌な予想がばっちり的中した。してしまった。

 

地図を見ながらアンチョビは目を剥いた。

全車の位置、そして相手フラッグ車の位置。

それら全てが、()()()()()()()()()()――――――!!

 

それが何を意味しているのか、アンチョビは一瞬で悟った。

 

「おい!急いでフラッグ車を仕留めるぞ!!」

「了解!」

 

指示を受け、P40が急加速する。

履帯が激しく地をえぐり、けたたましい音が響くがそんなことを気にしている場合ではない。

 

慣性で後ろに吹っ飛びそうになるのを堪えながら、アンチョビは必死にフラッグ車の姿を追った。

 

(作戦が見破られた?あるいは偶々か!?)

 

味方が近くにいること自体は、普通ならそんなに問題じゃない。

寧ろいつでも合流ができる分、良いことですらある。

 

でも今この時だけは、そうじゃない。

だってそれは、アンチョビの書いた絵じゃない。

コンパス作戦は、()()()()()()()()()()()()()()()()

アンチョビの近くにフラッグ車以外の戦車があっていい作戦ではない。

 

それが崩れたと言う事は――――

 

「捉えました!」

「!よし、砲撃用意―――」

 

なんとしても速く、何よりも速くフラッグ車を撃破しなければならない。

そんな強い意志が、時として好機を招き―――――

 

 

(間に合っ――――)

 

 

表裏一体の窮地を呼ぶ。

 

「――――――」

 

アンチョビの背筋を、冷たいものが駆け上がっていった。

戦車に乗っていると、不思議と五感が研ぎ澄まされ、普段は感じ取れないようなものもはっきりと知覚できるようになったりする。

 

この時アンチョビは、正にそういう状態だった。

そしてそれが故に、一瞬で理解した。

 

 

自分が、相手の罠の中に飛び込んでしまったことを。

 

 

自分達のものではないエンジン音が、四つ聞こえる。

そして照準器の奥から覗く、狩人の視線を感じた。

 

あぁ、間違いない。

アンチョビは確信した。

 

「止まれっっ!!」

 

――――狙われている。

 

アンチョビの絶叫と砲撃音が、ほぼ同時に響く。

戦車のブレーキと着弾は、僅かに前者の方が早かった。

 

P40のほんのすぐ隣の大地を、砲弾が抉る。

それも一つではない。瞬く間に、連なるようにして砲弾がアンチョビに降り注いだ。

 

そんな中にあって、まともに動くことさえ許されなかったP40が僅かな負傷で済んだのは、おそらく奇跡だったに違いない。

雨が止み、ようやく周囲を見渡すことを許されたアンチョビが目にしたのは、木々の合間から此方に砲身を突きつける、大洗女子学園の戦車の姿だった。

 

(囲まれた……!!)

 

散らしたはずの大洗女子学園の戦車、それが成す籠の中に自分は閉じ込められた。

 

半ば信じられない気持ちだった。

戦場は、間違いなく自分がコントロールしていた。

相手のフラッグ車を孤立させ、そこを狙うというコンパス作戦も、読まれてはいなかったはずだ。

いやあるいは、読まれていたのか。

全て見抜いた上で、あえて自分の策に乗り、掌で踊らされているように見せかけてアンチョビの隙を突くつもりだったのか。

 

 

 

答え合わせをするならば、それはどれも誤りだ。

この状況を招いたのは、なんてことのないもの。

抽象的で、非科学的だ、存在しているかどうかも曖昧で、だからこそ時としてあまりにも残酷なもの。

 

すなわち、偶然である。

 

本当に、偶々だった。

みほ達がアンツィオを振り切り、フラッグ車の元に集まろうとしたその時点で、たまたまアンチョビがフラッグ車を見つけてしまった。

そして自分達が狙われていることに気づいたカメさんチームの報告に伴い、この包囲が形成された。

カメさんチームは時間差を付けられただけで、最初からみほ達と合流することになっていたため、当然両者の距離はそう離れたものじゃない。

 

アンチョビがカメに追いつく時間で、十分みほ達はアンチョビを捕まえる()を作れた。

他の通信手ならいざ知らず、武部沙織が全体の意思疎通を図っている以上、それくらいの事は容易にできる。

 

もし、アンチョビがカメさんチームを見つけるのが遅かったなら

あるいは、みほ達がCV33やセモヴェンテを振り切るのが少しでも早かったなら。

少しでも何かの歯車がズレていたなら、この事態は決して起こり得なかった。

 

それでもそうなってしまった理由を、あえて言うのなら。

 

()()()()()()、と言うしかないのだろう。

人によっては、『流れが悪かった』と言うかもしれない。

 

とにかくアンチョビの窮地を招いたのは、そんな不確かなものだ。

何かミスを犯したわけじゃなく、ただ運が悪かっただけ。

それだけで、勝敗の天秤が一気に傾いた。

 

非情だろう。けれど、それが戦車道であり、勝負の世界なのだ。

 

緻密な計算も、巧妙な策も、卓越した技術も、何もかもを台無しにしてしまう強大な力。

誰のものにもならず、それでいて誰もに祝福を施す、気まぐれな女神。

その女神が、たまたま今は大洗女子学園に微笑んだ。

これは、それだけの話だ。

 

あるいはそういう()()()()()()が、西住みほにはあった、という話かもしれないが。

 

 

 

当然そんなこと露知らぬアンチョビ。

疑心が暗鬼を呼び、暗鬼が疑心を育てる。

彼女の思考は、マイナス方向のスパイラルに陥った。

 

しかし時間の神は、そんなことお構いなしである。

窮地は最終ラインを越え、致命へと至ろうとしていた。

 

砲弾の雨が、またもやアンチョビを襲おうとしている。

アンチョビはそれを肌で感じ取り、そしてその先の結末を見た。

すなわち、敗北の二文字である。

 

「―――――――」

 

そしてその二文字が突き付けられる刹那の前、アンチョビの意識は時を逆行した。

 

景色は瞬く間に変わり、アンチョビは母校の姿を幻視する。

漠然とアンチョビは、自分が走馬燈を見ているのだと思った。

 

 


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