戦車道素人集団を優勝へ導く138の方法   作:ススキト

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なんて偉そうな奴なんだこのオリ主は。


第3話 「基礎と初対面は大事にしましょう」

「これはなんとも、味があるというか年季を感じるというか……」

「ボロボロ、だね…」

 

大洗女子学園戦車道二一名の前にあるのは、お世辞にも整備されているとは言えない、錆とカビを友人にしている戦車たちだった。

 

その凄絶な有様を秋山優花里は遠回しに、武部沙織はストレートに表現した。西住みほもまた二人に同意見だった。「学園艦のどこかに戦車があるから、探してきてー」と生徒会長角谷杏に言われた時点で嫌な予感はしていたが、古巣では考えられない雑な扱いである。罰としてグラウンド50周を言いつけられても反論できないだろう。

 

「四号D型、三号突撃砲、M3リー、38tにあれは……八九式でしょうか」

 

そんな見た目の戦車たちでも、秋山優花里はそれらの名称をキッチリと言い当てた。みほも思わず拍手する知識量だった。

 

戦車捜索の時に縁を結び、みほの新たな友人となった秋山優花里は、大洗においては珍しい戦車大好き少女だった。なんでも子供のころから憧れていたらしく、暇さえあれば戦車関連の本を読んでいたとのことである。本当は戦車道をしたかったが、実家が学園艦にあるために大洗女子学園へ進学し、誰とも戦車の話をすることなく燻っていた時に戦車道復活の報を受け、すぐさま飛びついたらしい。

 

端的に言うなら、少し癖のある焦げ茶の髪をしている以外普通の女子だが、中身はゴリゴリの、みほの古巣でもやっていける戦車マニアである。あんな錆だらけでも元の形が分かるくらいだから、それはそれは大したものだろう。

 

「どう?西住ちゃん。動きそう?」

「ふぇっ!え~と…」

 

訊かれてみほは、右手で四号戦車の装甲を撫でてみた。見た目通りのザラザラとした感触だが、中身まで傷んでいるわけではない。足回りも見てみるが、目立った破損もない。中身はともかく、外装は錆を落とせば十分現役復帰できるだろう、というのがみほの見立てであった。他の戦車も見てみるが、四号と同様の診断結果であった。

ただ、

 

「この八九式……」

 

ひとつだけ違和感を覚えたのは、八九式戦車であった。きちんと整備をして、元の姿にしてもらわければ断定はできないが、みほの記憶にあるソレと、今目の前にあるコレは、微妙に異なっている気がした。何を、と言われてもみほには言語化できない。ただ漠然と、何かが違うという拭い難い感覚があるだけだった。

 

「大丈夫そう?」

 

傍に来ていた角谷が、再び尋ねた。ハッと我に返って、みほは自分の見立てを告げた。

 

「ちゃんと整備すれば大丈夫だと思います…けど」

「けど?」

 

みほは一瞬躊躇った。戦車道経験が未知の角谷に、話したとして伝わるのだろうか。

しかし言いかけてしまったものを引っ込めることはできなかった。

 

「この戦車だけ、何か変なんです。具体的に何がとは言えないんですけど……」

「ん?これ?まぁ確かに他の戦車とは違うよね」

 

マジでね!?みほは角谷の顔を凝視した。

 

「これだけ貰いものなんだよねぇ。もし戦車が足りなかったら、使ってくれーってさ」

「そ、そういうことですか…」

「そ。あんまり甘えたくなかったんだけど、結局使うことになっちゃったねー…」

 

拍子抜けした思いのみほだった。

 

「かーしまー!後よろしくー!」

「わかりました。それでは、今から戦車の洗浄を行う!外と中、両方とも綺麗に磨け!」

 

すたすたと格納庫から去っていく角谷に一礼し、生徒会広報の河嶋が場を仕切り始める。片眼鏡と吊り上がった目が周囲に与える怜悧そうな印象と、ハキハキとしてよく通る声は仕切り役に適任だった。

 

「えーー掃除するのー!?」

 

武部が驚きの声をあげる。声には出さないものの、他のメンバーも武部と同じ気持ちだっただろう。

 

「自動車部が『錆を落としておいてくれば、明日までに動くようにする』と言っているんだ。一番難しい部分の整備を引き受けてくれるのだから、つべこべ言わず綺麗にしろ!」

 

上級生にこんな剣幕で迫られたら、下級生は静々と従うのみである。基本的な道具は一通り揃えているようだし、人手も十分足りている。時間さえかければできない作業ではないだろうが……

 

「戦車に乗れると思ったのに~…」

「我慢ですよ、沙織さん」

 

武部と同じような気持ちの人間もたくさんいるわけである。みほはその様子を見て、苦笑するしかない。

 

「でも武部殿、これからずっと私たちが乗る戦車なんですから。自分たちでキレイにしたほうが愛着が湧きますよ、きっと」

 

「優花里さんの言う通りです。これからお世話になるのですから、そのお礼として頑張りましょう」

 

「うー…そうだね。これもモテ道のため…!よし、みんな頑張ろう!」

 

そういうと武部は意気込んで更衣室へと足を進めていった。明るくて前向きな彼女の性格が、素直に羨ましいみほであった。

自分たちの戦車を自分たちでキレイにする。それはみほの古巣でも常識として行われていたことだった。戦車道は『人車一体』であり、どちらかを失くしては何もできない、ということを忘れないためでもあるし、また日常的に戦車に触れることで、戦車のコントロールが上手くなるとも言われていた。それに何より、秋山の言う通り愛着が湧けば、自然と大事に扱おうという気持ちが生まれてくる。

 

そういう意味ではみほも賛成である。しかし、あれだけボロボロの戦車だ。元通りになるまでにどれだけの時間と労力が必要なのか。

 

よせばいいのにいらぬ予想を立てて、少し気持ちが滅入ったみほは、そんなマイナスな感情を振り払うように武部たちの後に続いていった。

 

 

 

「おー、涼しそうだなぁ」

 

窓から見える景色を見下ろしていたのは、大洗女子学園戦車道教導官に着任した神栖渡里である。彼の視線の先では、横一列に並べられた五両の戦車と、体操着に着替えてモップやらホースやらを持って戦車を磨く少女たち(一人水着がいるけど)だった。水に濡れた髪や体操着のズボンから覗く脚線美など、非常に眼福な光景だが、まさかじっと見続けるわけにはいかないので、渡里はさっさと視線を自分の正面に座る少女へと移した。

 

「お前はしないのか、角谷」

「私は他にやることがありますのでぇ」

 

今この場にいるのは、雇い主と雇われではなく、教導官とその指導を受ける者であった。

 

「それにしんどそうですし。業者を雇ったほうが楽だし速かったんじゃないですか?」

「それじゃあ意味がない。自分が使うものくらい、自分でキレイにしてやらないと。それに、ちゃんと理由はあるんだぞ?」

 

業者を雇わず、自力でやらせるように指示したのは渡里である。これは単に「お金もったいない」という貧乏根性が働いたわけではない。

 

「どの学校も、自分のが乗る戦車は自分で面倒を見る。それは単に愛着があるからだけじゃあない」

「まさか掃除を通して『立派な淑女』になるため、でもないですよね?」

 

からかうような表情と口調で角谷は言う。それもあるかもな、と渡里は前置きをして、

 

「自分の手で戦車を触ってると、不思議なもんでその戦車のことがよくわかってくる。見た目の違和感はもちろん、走らせてると『エンジンの調子が悪い』とか『履帯に問題がある』とか、ちょっとした挙動の違いから気づくようになるのさ。一流のスポーツ選手はこういう異常を察知する感覚が高いらしい」

「テニス選手がラケットを何本も持ってきて、試合中に取り換えたりするのと同じですか」

「似たようなもんだな。じゃあ、なんで『これは良くない』って気づけると思う?」

 

すると角谷はほんの数秒だけ思案顔になった。普段は無邪気ないたずらっ子のように表情豊かな彼女だが、真面目な顔をすると一転、河嶋よりも利発そうに見える。実際、成績もいいのだろうけど。秒針が半周もしないうちに、角谷はまた普段通りの表情に戻った。

 

「普段と違うから、でしょ」

「正解。もっと厳密にいうと、『最高の状態』を知っていて、常にそれと比較しているからだ。かの有名なF1レーサーは、自身の命日となった日に『乗りたくない』と言ったそうだが、きっとマシンの異常を直感的に見抜いてたんだろうな。そのレベルになれ、とは言わないけど」

「物差し、くらいは持ってほしい。そのための清掃作業、というわけですか」

 

渡里は笑顔で頷いた。

やはりこの少女は聡明だ、と渡里は改めて感心した。軽薄そうな表情の裏には、豊かな知性が眠っている。

 

「でもまぁ、右も左も分からない初心者集団だからな。ちゃんとした物差しができるまでは時間がかかるだろ。しっかりと習慣化させて、戦車を身近に感じれるくらいにならないとな。それに、本当の目的は、実は別にある」

 

言って渡里は茶を一杯啜った。初心者ということは、戦車に触れるのも初めてということ。おそらく彼女たちは、自分たちに与えられた戦車の名前すら知らなかっただろう。経験という土台がない彼女たちに、良い状態悪い状態を見分けるも何もない。圧倒的に不足しているのは経験値である。

 

「自分たちが磨いた戦車だ。少なからず、興味が湧くはず。興味が湧いたら、どんな戦車なんだろうって調べるやつもきっといるさ」

 

今や知りたい情報がすぐに手に入る時代だ。戦車の名前を検索すれば、歴史からスペック、運用方法まで何でもわかる。

 

「自分たちの戦車がどんなものなのか、知ってほしいわけですか」

「あぁ。そうして得た知識が、経験値の少なさを埋めてくれるんだ。……まぁ、即効性はないけどな」

 

プラモデルを作る時は説明書を読むし、積木は土台から作っていく。基本はしっかりとやるべきという渡里の指導は、角谷の思いとは裏腹に、今は常識的な範囲かつゆっくりとしたものであった。

 

「要件っても、紹介してもらった例の人に電話するだけですけどねー」

「ん?ああ、あの人か。三日くらい候補上げると三日間来るような人だからなぁ…本業の方はどうなってんだろ。暇ってわけじゃないはずなんだが…」

 

渡里の頭に浮かぶ姿は、陸上自衛隊の制服に身を包んだとある女性だった。ある縁で知り合うことになった、戦車に関しては優秀な人物なのだが、独特のテンションと雰囲気を持っていて渡里はどちらかというと苦手である。戦車に関しては優秀なんだけど、本当に。

 

「最初から渡里さんが指導する方が良かったんじゃないですか?渡里さんがいるのに外部から教導官を呼ぶっていうのは……」

「色々事情があってな。最初の一回目はどうしても外から見たかったし……この業界、男性ってのは気を遣うもんなんだよ」

 

それっきり渡里は何も言わなかったので、角谷も問い質すようなことはしなかった。どうにも不毛な気がしたのだろう。彼女は話を次に進めた。

 

「自動車部の見立てだと、明日の昼には動くようにできるそうで。戦車道の授業も午後からですし、さっさく明日お願いするつもりです。ちょうどよかったですね~」

「ず、随分早いな…明後日までかかると思ってたんだが。まぁ、早く終わるに越したことはないか」

 

戦車五両。あの調子では綺麗にするのに夕方までかかるはず。そこから駆動系等の整備を始めるとしても、明日の正午だとタイムリミット約18時間。それを五で割ると、一両あたりにかけられる時間は四時間弱。しかも一休みも一睡もしないという条件付き。自動車部が20人もいるなら話は別だが、四人しかいないと聞く。誰がどう考えても常識的な速度ではないんだが…。

 

なんだか怖くなってきたので渡里は考えを別の方向に切り替えた。

 

「ということは、顔合わせも明日になるのか」

 

ため息一つと共にそんな言葉を吐けば、角谷は嬉々として渡里に訊いてくるのだ。

 

「もしかして緊張してます?」

「女子高校生と話す機会なんて片手の指で足りる程しかないし、扱いに困ってるのは事実さ。大事な初対面だし、なんとか良く終わらせたいもんだが」

 

渡里からすれば、女子高校生とは宇宙人と並ぶレベルの未知の存在である。言葉一つとっても、気を遣わないといけなくなるだろう。デリカシー的に。髪もセットしなければならないし、体臭も消す必要がある。何とも面倒な話ではあるが、だからといって欠かすこともできない。

 

「いよいよ()()神栖渡里の指導が始まるわけですねぇ。今から楽しみです」

「だというなら、もう少し畏まるべきだな。」

 

干し芋を手で遊ばせながらヘラヘラ言う台詞ではない。

 

「戦車道素人集団を、旧式戦車に乗せて、全国大会で優勝させる……口にするだけなら簡単なもんだ」

 

深い色をした髪を掻きまわしながら、渡里は嘆息した。自分がどれほど大それたことをやろうとしているのか、言葉にして改めて思い知らされたのだ。弱小チームがその競技の最高峰を目指す、というのはフィクションにはよくあることだが、実際に自分がその立場に、それも率いる立場となると、決して楽観的ではいられない。

 

「無茶と無謀は若者の特権、っていう言葉がありますよね」

「それを止めるのが、大人の役割なんだけどな」

 

一緒になって突っ走る自分は、なんだろうか。「いい年こいて…」と、風聞という名の理性が働く。

しかしこの難題を前にして、渡里の胸の奥に熱く滾るものがあるのも事実だった。

 

「―――――一割を切るな」

 

その声色は角谷が初めて聞くものだったに違いない。空気がその温度を下げたのを、敏感に感じ取ったのか角谷の表情が少し硬くなる。それはそうだ、と渡里は思った。公人としての神栖渡里でも、教育者としての神栖渡里でもない。『戦車道の神栖渡里』を真に見せたのは、これが初めてだった。

 

「現時点での大洗の戦力からすると、優勝できる確率はそれくらいだ。最も、希望的観測を含めてだけど」

 

これは決して、的外れな見立てではない。最精鋭戦車を駆るのが当たり前の戦車道強豪校からすれば、旧式戦車しか持っていない今の大洗女子学園など歯牙にもかけない。運やまぐれで勝ち抜けるほど、甘い世界ではないことを渡里は知っていた。

そして薄々、角谷も気づいていたはずだ。視線を向ければ、暗澹としたものを瞳の奥に潜ませる少女がそこにいた。

 

「……困難な道であることは承知です。しかし、不可能と言われても諦めるわけにはいかないんです」

「不可能なんて言っていないさ」

 

雉が撃たれたような顔とは、このことか。渡里はまた茶を一杯啜った。鏡の向こうの自分に、『ずいぶん偉そうに大口を叩くやつだ』と悪態をつくような感覚はある。当然だ、一体自分は何様の心算なのか。しかし力の及ぶ限りは全力を尽くす、と約束した以上、クライアントを安心させることもまた必要なことだった。

 

「勝負の世界に絶対はないし……なによりお前達を勝たせるのが俺の仕事だ。一割の勝率を五割にすることはできないが、その一割を無理やり掴み取れるようにはしてやれる。そのために―――」

 

渡里は一拍間を置いた。これは話術でもなんでもなく、ただこれから言うセリフを選んだだけだった。

 

「――――138個くらい、方法がある」

 

そう言って渡里は、不敵な笑みを浮かべた。この少女に対しては、曙光のような笑顔よりも、こちらのほうが効果的だということを渡里は知っていた。

 

 

 

大洗女子学園の、そして西住みほの新天地での、初戦車道はあっという間に終わった。

戦車を元の位置に戻し、一息ついたみほは過去を振り返ってみた。

 

腕が軽く筋肉痛になるほど磨きに磨いた戦車たちは、翌日には魔法にかけられたように現役復帰を果たしていた。三号突撃砲、通称三突は歴史好きが集まった歴女チーム。M3リーは未だ幼さが残る一年生六人チームに。38tには戦車道復活の主導者である生徒会チーム。最も古い八九式戦車には、バレー部復活のために戦車道に参加したバレー部チーム。

 

そしてみほを中心とした四人チームには、四号戦車が与えられた。

 

ドイツ製の戦車でトータルバランスに優れた四号は、古巣で同じドイツ製の戦車に乗っていたみほにとって馴染み深く、その乗りやすさは初心者ばかりのメンバーにとっても有難いものだった。

 

そして全員がこれから始まる戦車道に胸を躍らせ、搭乗を今か今かと待ち望んでいた時、それは起こった。

 

ふと陸に影を落とす金属の巨鳥。そこから舞い降りた、鋼の天使(10式戦車)。降臨の代償と言わんばかりにフェラーリF40(推定価格一億円越え)を轟音と共に押し潰し、中から現れたのは自衛隊の制服に身を包んだ凛々しい女性。

 

名を蝶野亜美といい、肩書として陸上自衛隊富士学校富士教導団戦車教導隊一等陸尉を持っていた。分かりやすく言うと、戦車操縦の教導官であり、スペシャリストであった。

しかしあまりにもインパクトの強い登場に、一同は唖然。有体に言うとドン引きしていた。

 

一連の超絶怒涛の展開に頭がついていかない大洗女子を尻目に、自己紹介を済ませ、生徒会から教導を頼まれて来たという経緯も説明されたが、正直この辺りの記憶は曖昧である。

スクラップ同然のゴミになった元・高級車があまりにも衝撃的すぎたからだが、武部沙織だけは教導官が女性であることに肩を落とすなど通常運転であった。

 

しかし息つく暇もなく、誰もが「教導とは?」と問い詰めたくなる、アルティメットゴリ押し教導が始まった。

 

事前説明なしの開幕戦車搭乗スタートの、「考えるな感じろ」精神で模擬戦突入。

クラッチのクの字も知らない操縦手。転換方向の指示でドロップキックをかます車長。妙なテンションに突入して砲撃を開始する砲手。連携不足から油の差していない機械みたいにギコチナイ動きをする戦車。

初心者とは思えない練度で迫る八九式と三突。砲弾が直撃し、その衝撃で意識を持ってかれた五十鈴。立ち往生する四号戦車と、追撃する敵車両。

そしてそこに、救世主のごとく現れた武部の幼馴染―――

 

「ちょっと麻子ぉ!自分で立ってよー!」

 

不意に鼓膜を打った声で、みほは現在へと意識を戻した。

目線の先に、武部に全体重をかけるようにしてもたれかかる小柄な少女がいる。

深い青色が混じった長い黒髪と、白いカチューシャ。常に眠たげな目が特徴である彼女の名前は冷泉麻子といった。危機的状況に陥った四号戦車を、マニュアルを一読しただけで見事に操縦してのけ、模擬戦の勝者へと導いてくれたMVPである。

みほからすれば考えらない事を成し遂げた驚くべきその少女は、しかし今はスイッチが切れたオモチャのように動かなくなっていた。

 

「だめだ。慣れないことをして疲れた」

「さっき昼寝してたじゃん!しかも授業ぬけだして!」

 

口ではとやかく言いながら支えることをやめない武部からは、「何年もそうしてきたんだろうぁ」という貫禄が感じられる。優しく明るい性格が冷泉を甘えさせているのか、そもそも冷泉がそういう気質なのか。なんとなく両方じゃないかと思うみほである。

 

「五十鈴殿、大丈夫ですか?」

「なんとか……気分もよくなってきました。肩が少し痛いですけど」

 

こっちでは気絶から復帰したものの、まだ頭に濡れタオルが載っている五十鈴華とそのお世話をする秋山がいる。肩はお大事に。

 

他にも戦車の移動を終えたチームがぞろぞろと倉庫の前に集まり始めた。みんな口々に初戦車道の感想を言い合っているが、概ね否定的な意見は聞こえてこない。ところどころ鉄臭い油臭い重たい暑い、など聞こえてくるが軽い愚痴の範疇である。

 

我知らず、みほは息を吐いた。そこには安堵の気持ちが込められている。

 

「しゅーごー!せいれーつ!」

 

突然として角谷の飄々とした声が辺りに響いた。見ると生徒会の三人と、その横に蝶野教導官が立っている。締めに入るのだろう、と誰もが思い、素早く列をなした。

 

「みんなお疲れ様!初めてとは思えない程上手だったわ。私の指導なんて必要なかったくらいね!」

「あの人、実質何もしてないような……」

 

誰かのつぶやきはスルーされた。

 

「この調子ならすぐうまくなるわ!これからも頑張っていってね!グッドラック!」

「一同、礼!」

『ありがとうございましたー!』

 

これで、大洗女子学園の初めての戦車道は終了となる。色々とあったが、誰もが楽しんで戦車に乗っていて、それを見ることができた。怒涛の勢いと展開に呑まれ、驚いたり慌てたり、精神的に疲れることはたくさんあったが、それでも不思議な充足感がみほの身体を包んでいる。

後ろに並ぶ武部や五十鈴と言葉を交わしながら、今日はよく寝れそうだとみほは笑みをこぼした。

 

「で、最後に一つ報告がありまーす!」

 

しかしまだ終わりではなかった。最後の最後に、生徒会はとんでもない爆弾を隠していたのだ。

 

「明日から大洗女子学園戦車道の教導官を務めてくれる人を、紹介しまーす」

 

どよめきが起こる。蝶野亜美が今日一日だけの教導官というのは聞いていたが、まさか永続的に指導してくれる人がいるのか、という驚きが生まれる。

 

「どぞー!」

 

角谷の声に招かれて現れた姿は、一同のどよめきを更に大きくした。

それだけ驚くべき箇所が、たくさんあったのだ。

 

濃紺色を基調とした飾り気のないタンクジャケット。背丈の高い身体は一目で鍛えられていることがよくわかるし、深い色をした髪はキチンと整えられている。瞳は静謐を湛えているが、その奥には覇気のようなものを秘めている。

健康的で精力に満ちた雰囲気、そして相対する者の身を引き締めるような圧を持った―――男性だった。

 

「はじめまして」

 

落ち着き払った、『大人』を感じさせる声は、ざわつく空気を切り裂き、静寂を招く。

 

「神栖渡里です。君たちを全国大会で優勝させるために、ここに来ました―――初心者ばかりでも手加減しませんので、どうぞよろしく」

 

綺麗なお辞儀を披露して、その男性は薄く笑った。

 

「……え」

 

誰かがそういった。濁流をせき止めるダムがいかに堅牢だとしても、穴が一つあけばそこから一気に決壊していく。今の状況は、まさにそんな感じだった。

 

「ええええええええええ!!!!!」

「お、男の人――――!」

「あれはイギリス海軍の軍服!?」

「長身!エーススパイカーの予感!!勧誘だ―!」

「キャプテン!あれは男の人です!」

 

歓声とも悲鳴とも言える甲高い音が、ざっと10秒ほど続いた。その喧騒の間みほは、後ろに立つ武部から「男の人!スタイルいい!服もいい!ちょっと怖いけど見た目もいい!」というよくわからない絶叫とともに通算21回ほど肩を強打された。

 

しかしみほに、その声が届いていたのか。いや、今のみほには、おそらく全ての音がその耳に届くことはない。

聴力を失ったかのような静寂の中、みほはその顔に瞠目し、磁石の両極のように視線を外せないでいた。

 

「―――――おにい、ちゃん?」

 

その日彼女は、運命的な再会をした。

視線の先の男の人は、苦笑いを一つ零している。

 

 


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