二次創作でアレを超えるのは絶対に無理だったので、作者は「なかったことにすればいいんじゃね」という姑息な手段を思いついてしまいましたとさ。
まぁアニメでやってることをわざわざ書いてもね()。
黒森峰対プラウダの決勝戦は西住みほの心に深い傷を与えましたが、果たして傷を負ったのは彼女だけだったのでしょうか、というのが今回の話の一角です。
オリ主が戦えないから格好良く書けないというのなら、女の子の方を格好良くするしかないじゃない!
そういうわけで一味違ったカチューシャをお届けできたら、と思っています。
今回そんな出番ないけど。
寒い寒い、と手袋をしていない丸出しの手を擦る。
そうしている時だけじんわりと暖かくなるが、そんなものは焼け石に水。
数秒も動作を止めれば、あっという間に熱が失われていく。
それでもそんな無意味なことを続けてしまうのだから、不思議なものだなぁと渡里は思った。
ポッケに手を入れた方がよっぽどマシだろうに。
「雪なぁ……」
縁遠いようで、身近なもの。
渡里にとっては17歳までは前者で、17歳以降は後者である。
渡里は母を亡くした以後は西住まほに引き取られた。
そして西住流本家は九州にあり、そして九州とは雪がそんなに降らない地域であるからして、渡里はみほやまほやしほさんと雪合戦する機会はそんなになかったというわけである。
別段雪に憧れがあるわけではなかったから、それを恨めしく思うことはなかったけれど。
寧ろ恨めしやと思ったのは、英国に留学してからである。
あちらは東西南北で気候が変わり、中央から南部、ロンドンとかその辺りはそこまで雪が降るわけではないが、渡里のいたところはそうではなかった。
最初こそもの珍しく、雪だるまなんかも作ったりしたわけだが、そんなのは一時の事。
間もなく鬱陶しくなり、白い大地を見るのもうんざりという気持ちになった。
そこまで面倒なものになってしまった理由の一つには、渡里があまりにも雪を知らなかった事が挙げられる。
これが日本の豪雪地帯に住む人間であれば、ある程度耐性があるから上手く付き合っていけたのだろうが、渡里は九州男児。
身の回りのもの、服、生活の仕方に至るまでテコ入れを要求され、ワンシーズン丸々順応に当てられたというわけである。
そんなこともあってか渡里は、寒さとか雪とか、そういったものに対する備えとか心得が身に着いた。
なので手を擦り合わせても、寒い寒いとボヤキながらも、実はそんなのはただのポーズで案外平気だったりする。
果たして英国で雪を経験していなかったら、どうだったのだろうか。
それは過去から分岐する異なる未来の自分に関する話なので、タイムスリップでもしない限り渡里には推測するしかないわけだが、実はそんなことしなくても漠然と「あぁこうなったのかなぁ」と思う事はできる。
「あ、お兄ちゃん」
こうして、寒さに身を震えさせている妹の姿を見る事で。
「………なにその恰好」
「あはは……」
部屋着。
パッと見で浮かんだ感想はそれである。
渡里はため息を吐いた。
ここが家であればそれもいいだろうが、今は外だし夜だしなんなら冬だし。
あまりにも迂闊で軽率で無防備極まるみほの恰好であった
バレー部しかりみほ然り、どうにもここの生徒は学園艦には不審者なんていないと決めつけている節がある。
果たしてこの少女は、自分が来るまでに他の男に話しかけられでもしたらどうするつもりだったのだろうか。
一介の講師とはいえ大切な令嬢を保護者から預かる身としては、その辺り一度言っておかなければならないかもしれない。
「ほらよ」
「わぷっ」
渡里は上着を脱ぎ、みほに投げ渡した。
「風邪引いたらどうすんだ、試合があるってのに」
「これくらいじゃ引かないけど……」
「だったらもう少し平気そうな顔をしてほしいもんだ」
隊長、試合目前に体調不良。
笑い話にもならない、あまりにも間抜けな結末である。
「ふふ、暖かい」
俺は寒いけどね、という言葉を渡里は飲み込んだ。
代わりに別の言葉を吐き出す。
「んで、何の用?」
「……うん、ちょっと言いたいことがあって」
みほは視線を他所にやった。
追うとそこには、真っ暗な空を映した海が広がっている。
そこに何かを見出しているのか、はたまた何となしに見つめてるだけなのか、生憎覚エスパーではない渡里には分からない。
暫く間があった。
波がさざめく音だけが木霊していく、とても静かな間が。
しかしちっとも気まずくない、どころか不思議な心地よささえあったのは、やはり渡里とみほが家族だからなのだろう。
そして秒針が一周するほどの時間を経て、彼女は口を開いた。
「二回戦の時からずっとね、考えてたの。私が戦う理由って、なんなんだろって」
声は静かに、渡里の鼓膜を打った。
「アンチョビさんは、自分を支えてくれた仲間の為に勝ちたがってた。皆のお蔭で戦車道をできるようになったから、その恩返しがしたいって」
それは渡里も聞いたことだ。
アンチョビの根っこにある、核となる部分。
それがしっかりとあるから、彼女はあんなにも強かった。
「きっと皆、そういうのを持ってるんだよね。負けられない、勝ちたいって思う気持ちがすごく強くて、だから一生懸命になれる」
彼女の横顔は、複雑な感情が入り混じったものだった。
しかしそこには、羨望のようなものが確かにある。
渡里は当然だと思った。
だってそうだろう、人であるなら誰だって、
「―――じゃあ、そういうのを持ってないお前は、一生懸命じゃないってことになるな」
「……いじわる」
酷い言い方をする渡里に、みほはクスリと笑った。
一生懸命じゃない、わけがない。
寧ろみほは、誰よりも一生懸命だ。
手足に絡みつく蔦を必死に振り払って、なんとか前に進もうとしている。
けれどそれは、最初の一歩を踏み出すための頑張りだ。
アンチョビ達はそんな所既に通り過ぎている。
だから比べて見た時に、みほの方が劣って見える。
いや他の人からすればそんなことはなくても、みほ自身が引け目を感じてしまっているのだ。
それは渡里にどうこうできる事じゃない。
みほが自分の力で何とかしないといけない事だ。
「……本当に何も無いなら、二回戦の最後の攻防の時に、多分私は終わってた」
だから渡里は、みほを待つ。
何も話さない代わりに、話したいことがあるなら聞こう。
何も見せない代わりに、見せたいものがあるなら見よう。
ここに関しては、渡里はそうすることでしかみほを支えられない。
だからこんな時間でも、寒空の下でも、渡里は此処にいる。
「でもそうじゃなかった。私が気づいてないだけで、私の中には何かがあった。それがあの時、私の背中を押してくれた」
彼女は空を見上げた。
その瞳には、黒い天幕に散りばめられた星々が映っている。
渡里には見えないものを、彼女は見ているのだ。
「………なんだった?」
渡里の言葉に、彼女はゆっくりと此方を見た。
その口元は、緩やかな弧を描いている。
「――――――」
そして彼女は宣誓する。
自分が戦う理由を。
負けられない理由を。
彼女が背負った、想いの名前を。
彼女は笑った。
本当にスッキリしたように、夜の空の下で、晴れやかに笑った。
だから渡里も笑った。
彼女が自分だけの戦車道を見つけるのも、そう遠くないと、そう思いながら。
「なぁ、みほ――――――――――」
〇
「―――――悪い方の予想ばかり当たるな」
神栖渡里が眼前の光景を眺めている。
焦燥なく、悲嘆なく、しかし自らの予想の的中を喜ぶ様子もなく、無色透明な笑みを浮かべながら。
オレンジペコにその感情を伺い知ることはできない。
ただ声色から、彼が怒っているわけではないことだけは理解していた。
「ふーむ、どうするかなぁ」
行儀悪く彼は椅子の上に片膝をついた。
しかしそれを咎める者は誰もいなかった。
決して「年長者だから言えなかった」とか「神栖渡里だから許容した」とか、そういうことではない。
その時オレンジペコは、そしてダージリン達はとてつもない衝撃による放心状態にあった
神栖渡里が戦車道において、卓越した力を持っている事は知っている。
戦術眼、作戦立案能力、そして指導力、他にも見聞したことがないだけで、戦車道という名前さえついていれば彼は余人を圧倒する力を発揮することは間違いない。
しかしそれが過小評価だったことを、オレンジペコは知った。
モニターに示された戦況。
大洗女子学園を中心とし、縦に伸びた凹の陣形を取るプラウダ高校。
それは先刻、神栖渡里が予言したものと、全く同じ形をしている。
たった一つ。
ほんの僅かな、気のせいで済んでしまいそうな違和感。
そこからここまで正確に未来を見通す人間が、この世に存在する。
それはオレンジペコにとって、最早恐怖に近い感情を喚起する事実だった。
「本当に渡里さんの言う通りになっちゃった……」
「アンビリーバボー……」
オレンジペコ程の衝撃ではないにしろ、アンチョビとケイもまた同ベクトルの感情を抱いたようだった。
ただ一人、ダージリンだけが心酔と尊敬の視線を彼に注いでいたので、おそらく彼女の方が少数派なのだとオレンジペコは思った。
「どういう頭の構造なんだ……?」
「普通の造りだよ」
アンチョビの言い方に、渡里は少しムッとしたようだった。
「見えるものから想像を膨らませていく。みんなやってることだろ?」
「でも私はちっとも想像できなかったわ」
寧ろケイの方が大多数だろう。
少しばかりでいいから、これを普通と言い切る彼の頭の中を覗かせてほしいものである。
それで理解できるとは限らないけれど。
「フラッグ車の動き云々は、モニターでプラウダの動きを見てたからできただけのイカサマ。でも違和感は、プラウダが仕掛けてきた最初の包囲の時にもあった」
すると彼は地図を広げ、指で戦絵巻を描いた。
「包囲があまりにも温い。勝負を決めるならもっと数を用意すべきだし、そうでなくともある程度の戦力、隊長のカチューシャか、
あわよくばそこで大洗女子学園の戦力を削ることもできるから。
それはオレンジペコでも理解できる道理だった。
「そうじゃないってことは、最初から包囲は捨て駒。加えてフラッグ車を餌に引き込もうとしてるなら、自ずと相手の狙いは分かる」
「伏兵で叩くか、今みたいに退却する所を狙うか」
曰く。
西住みほは判断力に優れた隊長だ。
進むべき時は進む、退くべき時は退く。その精度は高く、速度は迅速。
だから『退却しなければならない状況』を意図的に作ってやれば、その行動は簡単に誘導できる。
反応が素直すぎるみほの特徴を捉えた、見事な手腕である。
と、そんな風に説明されれば、オレンジペコとて理解できる。
しかし例え同じキッカケを掴んだとしても、オレンジペコは神栖渡里と同じ思考ができるとは到底思えなかった。
天性か、修練の果てか。
一体この人は、どれほどの高みにいるというのか。
「敵ながら鮮やかだね。特に、全部が全部『そうした方がいい』という状況に追い込んでいる所が」
「あら、奇しくも渡里さんと同じような戦い方ですね」
「効率よく勝とうとすれば、似たような戦い方になるだろうさ」
彼は肩を竦めて、モニターを改めて眺めた。
その視線は、心なしか曇っているように見えた。
「そんなことより問題は、ここからどうするか、だな」
「みほさんの予定していたルートを通れば、退却中に左右から撃たれる。かといって正面突破はあまりにも無謀で、左右からの離脱も同様」
「に、逃げ場がないじゃないか……」
オレンジペコもまた、アンチョビと同じ意見だった。
正直言って、これ以上ないくらい完璧に詰まれているように見える。
三方を抑えられており、唯一の逃げ道はよりにもよって相手に用意されたもの。
そんな所を無傷で通過できるはずもない。
「帰り道を突っ切るしかないな」
「結局それが一番マシね。けど多分……」
「あぁ、結構な被害が出る。だがそれ以外は死路だ。賭けだが、みほの手腕に託すしかない」
不幸中の幸いなのは、西住みほが神栖渡里達と同じ結論を出すことに間違いないこと。
つまり、ひとまずはあの状況における最もベターな選択はできる。
それでまだ勝ち目があるかどうかは、さておき。
「けどプラウダにしては珍しいよな」
「なにがかしら、アンチョビさん」
顎に手を当てて、うーむと唸りながらアンチョビは言った。
「だって
「―――――――」
途端、ダージリンは動きを止めた。
青い瞳は琥珀色の水面に向けられ、その様はさながら一つの絵画のように美しかった。
ずっと見ていても飽きない光景だったが、しかし絵画はまもなく動画となった。
「確かに。あのカチューシャが相手を研究するなんて、妙だわ」
「えと、そうなんですか?」
不肖なオレンジペコには、全く分からない。
オレンジペコのカチューシャに関する知識は、高い実力を持っていることと、プライドが高いことくらい。彼女の性格とかそういったものは一つも知らない。
オレンジペコの疑問に答えてくれたのは、主人とは違う金髪の持ち主だった。
「カチューシャは相手に合わせて戦い方を変えることはしないの。相手が誰だろうと自分のやり方を貫く!って感じでね。自信家の彼女らしいけど」
「あんまり対戦相手に興味がないんだろな」
うんうん、と頷くアンチョビ。
これだけの人数が言うなら、間違いないのだろう。
となると、とオレンジペコもダージリン達と同じ疑問に直面した。
「なのに今日は違う。一、二回戦はケイの言うカチューシャだったのに」
「急変と言ってもいいレベルの変化ですわ―――渡里さんに心当たりは?」
ダージリンの言葉に、彼は冗談めかしながら言った。
「頭を打った、とか?」
「あぁ、だからさっき……」
アンチョビの言葉で、オレンジペコは先刻の渡里の言葉を思い出した。
そういえば「読み違えた」と言った後に、そんなことを呟いていたっけか。
というかあの時点でそんな所まで見えていたのか。
「けど確かに。そうとしか思えない変わりぶりよね」
「変に小細工する方がマイナスだもんな、プラウダは」
「やる意味がない。けれどそれでもやるというなら……」
ダージリンは言葉を区切った。
それは次の言葉をより印象付ける作用を持っていた。
「もしかすると、
視線が、一か所に集中する。
その先にいるのは、椅子についた片膝の上に更に腕を乗せた、どんどん行儀が悪くなる一人の男性。
神栖渡里は様々な縁を持つ人間である。
加えて言うなら、不思議なことに彼自身にその気はなくとも、勝手に縁の方が結ばれるケースが多い。
今ここにいる隊長三人は、まさにそうだ。
形は異なれど、彼が能動的に結んだ縁はない。
それゆえ彼は、「自分は知らなくても向こうが知っている」という状況になりやすい。
そういったことを、オレンジペコは渡里から何回か聞いたことがあるし、見たこともある。
そしてもう一つ。
彼は戦車道の分野に限った話だが、とても大きな影響力を持つ人間である。
その力たるや、見聞しただけで他人の戦車道を変えてしまう、悪い言い方をすれば
この二つを以てすれば、カチューシャの変貌に説明がつくとオレンジペコ達は気づいてしまったのである。
寧ろこれ以上に説得力のあるものがあるだろうか、とさえオレンジペコは思った。
「―――――あぁ、なるほど」
しかし視線の独占者は、一人だけ別の答えを得たようであった。
「ダージリンの通りだ。カチューシャは、相手が
そうか、そうか、と彼は一人頷いた。
「渡里さん、心当たりがあるの?」
彼の反応を訝しんだケイが問うた。
すると彼は断言した。
「
「な、ないのか!?」
目を丸くしたアンチョビ。
じゃあさっきの言葉は何だったのか、という疑問が彼を除く全員の頭上を回転する。
しかしそれは、間もなく放たれた彼の言葉の次なる言葉によって氷解することとなる。
「けどいるんだよ、大洗女子学園には。他の奴とは比べ物にならないくらい、カチューシャと強い
「……どちら様でしょうか?」
ダージリンの問いに、彼はその名を口にした。
栗色の髪をした女の子の名前を。
あるいは、
〇
カチューシャはプラウダ高校戦車道を統べる王である。
同校の戦車乗り全員から畏怖と敬意を抱かれ、誰一人として逆らう者がいない専制君主と、圧倒的強者として君臨している。
それは同校ならず他校ですらも周知の事実であったが、それが最初からそうであったかと問われれば、それは否であった。
彼女が今日の地位へと就いたのは、昨年の夏。
それまで彼女は、「小さな暴君」と揶揄され、そして敬遠される
実力はあった。
BIG4の一角、プラウダ高校にあって一年の頃から頭角を現し、最上級生と比較しても遜色なく、試合に出れば人並み以上の活躍をする。
チームの中核、主力を担うに何の不足もない力が。
普通であれば盛大に歓迎されるべき逸材である。
しかし彼女は、決して万人に好意的に受け入れられる人間ではなかった。
どころか白眼視され、絵に描いたような孤独でさえあった。
なぜか。
彼女は高い実力に伴うだけの、高いプライドも備えていたのだ。
「自分は他人の数倍、数十倍の努力を重ねてきた。だから他人よりも強い」という自負が彼女の中にはあり、その自負は自分より弱い者の下につくことを、ましてや媚びへつらい機嫌を伺うような真似を良しとしなかった。
戦車道の強豪校は、大半が実力主義である。
いや別に戦車道に限らず、全ての競技でそうだろう。
しかし日本において実力主義とは、試合に出場する人間を選ぶための、ただの方便である。
年功序列の風潮が圧倒的に強く根深いこの国において、「実力さえあれば何でも許される」ということは、決して許されない。
自分より弱い者なら、先輩であろうと容赦なく楯突く。
そんなカチューシャの気質は、真の意味で実力主義の場所なら当然のものである。
しかし実力主義の上辺だけを切り取り、本質を根付かせなかった日本という国においては、迫害の対象へと成り下がるのだ。
そして彼女は、出る杭として打たれることになった。
しかしカチューシャの異質だったところは、それを理解していたことにあった。
不平を言う事もなく、当たり散らすこともなく。
ただただ毅然と、誹謗の嵐もまるでそよ風のように受け流し、自分の境遇を享受していたのだ。
不満がなかったわけでは、決してない。
寧ろ毎夜のように、夢の中で呪詛を吐き続けてさえいた。
しかし彼女は、それが永遠に続くことではないことを知っていたのだ。
何か一つ、大きなキッカケさえあれば、全てを変えられる。
そう思うことで、彼女は自己を保っていた。
そして彼女は牙を砥ぐ。
黙々と、来るべき日のために。あるいは、来るチャンスを確と掴み取るために。
その様を、戦車道の女神は見ていた。
そしてきっと、強き者に媚びず靡かず、自らこそが強き者とする彼女に、加護を授けたくなったのだろう。
転機は訪れた。
全国大会決勝戦という絶好の舞台にて、彼女はフラッグ車を自らの手で討ち取るという、最高の栄誉を手にしたのだ。
しかも相手は名門黒森峰、フラッグ車の車長は西住流の直系、その次女。
誰にも何も言わせぬ、誇るべき
一人の戦車乗りとして、これ以上の武勲はない。
全てが変わると、そう思った。
世間もチームメイトもカチューシャの力を認め、小さな暴君はプラウダの玉座へと至る。
もう誰にも何も言われない、言わせない、そんな存在になるのだと、そう信じて疑わなかった。
しかし現実は、あまりにもカチューシャの想像と乖離していた。
『フラッグ車の指揮を放棄した車長』。
彼女のせいで負けた。彼女がいたから負けた。
どこを見てもそんな文言ばかりで埋め尽くされていて、カチューシャの活躍など誰も取り上げていなかったのだ。
カチューシャは知った。
世間は、『プラウダが勝った』とは思っていない。
ましてや、カチューシャが
誰もが、『黒森峰は一個人のミスにより負けただけで、それが無ければ勝っていた』と、そう思っている、と。
カチューシャは気づいた。
あぁそうか。
自分は、プラウダを優勝に導いた英雄とは見られていない。
ただ
――――――ふざけるな。
その時カチューシャの心に宿ったのは、雪を溶かす灼熱の意志だった。
じゃあ自分の今までの努力は、なんだったのか。
血の滲むような努力を重ね、どれほどの屈辱にも耐えてきたのは、栄誉を掴むため。
勝利という唯一無二の栄光を勝ち取るためだ。
それを、『勝利を盗んだ』などと言われて、納得できるか。
そしてカチューシャは誓った。
その当時彼女は、フラッグ車撃破の功績により隊長へと昇格していたが、既にそんなことはどうでもよかった。
彼女の心にあったのは、今度こそ世に知らしめる事。
完全に、完膚なきまでに、何の言い訳も許されない程無欠に、勝利すること。
自分を影に落とし込んだ、
「ノンナ、状況は」
そして今日、ようやくその時が訪れた。
相手は黒森峰女学園……ではなく、大洗女子学園という戦車道新設校。
だがカチューシャの望んだ相手は、そこにいる。
黒森峰を辞め、弱小校で戦車道を続けている理由は分からないが、そんなことはどうでもいい。
彼女がカチューシャの前に立っているということだけが、何よりも大事だった。
準備は万端だった。
西住流の戦術を調べ、黒森峰時代のデータを取り寄せ、本当に業腹だったが、
今までのカチューシャであれば考えられない行為だ。
けれど全ては完全なる勝利の為だと、そう言うのなら。
研究もしよう。対策もしよう。流儀も曲げよう。
いかなる事でも、受けいれようじゃないか。
「こちらの想定した撤退ルートを進行中。おそらくは、カチューシャ様の思惑通りになるかと」
「そう」
副官の言葉を聞いて、カチューシャは鼻を鳴らした。
当然だ、と彼女は思った。
かつてない労力を掛けて練り上げた戦術構想だ。
緻密に、念入りに、間隙なく、大洗女子学園というチームを叩き潰すためだけに用意した、カチューシャの全身全霊と言ってもいい。
「けどここまで呆気ないと思わなかったわね」
「お気に召しませんか?」
「別に。ただ歯ごたえが無さすぎるのもつまらないわ。獲物が反抗してくれないと、猟師の腕が悪く見えるじゃない」
「一流は難しいことを簡単に見せる、と言います。カチューシャ様の実力を示すことはあっても、評価を下げることにはなりませんよ」
「……ならいいけどっ」
カチューシャは白い大地を見やった。
ここは、通過点であって最終地点である。
去年の夏から今に至るまで、カチューシャを捕え続けた一人の戦車乗り。
彼女を打倒することが、カチューシャの望み。
そしてその先にある真紅の旗。
今度こそ本当の名誉と誇りと共に、カチューシャは掴み取ってみせる。
あぁけれど。
ただ平坦な道を歩くだけでは、何とも味気ない。
覇者には覇者に相応しい道がある。
そうでなければ、凱旋はあまりにも閑散としたものになるだろう。
「………足掻いてみせなさい。サンダースの時のように、アンツィオの時のように。勝つために、死に物狂いでかかってきなさい」
それでこそ、意味がある。
弱者を嬲って勝ち誇るなど、カチューシャの趣味ではない。
やはり強者を屈服させてこそ、だ。
「そんな貴女を叩き潰すわ―――――――西住みほ」
呟きは、雪風に運ばれて消えていった。
〇
「各自、被害報告をしろ……」
河嶋桃の声には、威圧はあれど覇気はなかった。
普段は怜悧で鋭い印象を周りに与える河嶋だが、今その顔には翳りが見えており、どこか弱弱しい。
いや河嶋だけではなかった。
大洗女子学園戦車道受講者のほとんどが、大なり小なり河嶋と同質の表情をしていた。
「かろうじて生き残ったな」
表情が変わらなかった少数派の一人である麻子のそんな呟きが、状況の全てを表していた。
大洗女子学園は、プラウダの策略に嵌った。
選手達も、観客も、誰もがそれを理解していた。
理解せざるを得ない程、状況は明らかだった。
経緯を語ろう。
大洗女子学園の撤退は、かろうじて成功した。
ただ一人の脱落者を出す事なく、彼女たちが教会という一時の避難場所に逃げ込めたのは他ならぬ西住みほの手腕と幸運によるものだっただろう。
しかし被害は軽微ではなかった。
撤退中、プラウダ高校の放った砲弾を砲塔部に食らってしまった四号戦車は、砲塔旋回に支障をきたすようになり、砲手である五十鈴華の力量を大きく制限することとなった。
他の戦車に関しても装甲が削られており、ただでさえ低い耐久力に拍車がかかった。
機関部、履帯部分に損傷を受けた戦車は、決して少なくないレベルで機動力を削がれていた。
総じて戦闘続行に問題はないが、十全な実力の発揮は不可能という結果になった。
それだけで済んだなら、まだよかっただろう。
しかし現実は、彼女達をより深い絶望へと叩き落としていた。
一時な避難先として選んだ教会だが、当然これは砦や城塞ではない。
ただ雪と風を防げるだけのものであり、天地がひっくり返っても砲弾を防ぐことはない。
つまりそれは、
その事態が未だ起きず、大洗女子学園が現状把握に努める時間があったのは、カチューシャの言葉によるものだった。
『三時間の猶予をやる。その間に降伏するか、抗うかを決めろ』
伝令として送られて来た一介の戦車乗りから告げられたカチューシャのそんな勧告は、大洗女子学園にとっては死刑宣告に等しかった。
同時に彼女達は悟る。自分達はなんとか逃げ延びたのではなく、
ここまでが、カチューシャの策略だった。
策に嵌め、逃げ道を残した上で追撃し、籠城した相手を囲んで、最後は言葉の矢を以て士気を下げる。
三時間という時間は、起死回生の一手を練ってもいいというカチューシャの恩情ではない。
少しずつ、けれど確実に大洗女子学園の体温を奪い、凍てつかせるためのもの。
反攻の火を消すための、吹雪を降らせるためのものであった。
最早素人目に見ても分かる、完璧な詰め方だ。
戦車の性能差で負け、知恵比べでも負け、状況でも負け、士気の高さでも負けたとなれば、もはや勝ち目はない。
これを見せられて、大洗女子学園が窮地ではないと思える者はおらず、彼女たちの講師である神栖渡里でさえも、それは例外ではなかった。
しかし思い描く終幕は違った。
およそ大半の者が大洗女子学園の敗北を疑わなかったが、数人だけが正反対の結末を見ていた。
この逆境の中に、一筋の光を見出すものがいたのだ。
数人曰く。
――――――まだ、負けてはいない。
「河嶋先輩……あの、そろそろ……」
「………分かっている」
カチューシャの勧告から一時間と三十分が経過した時、大洗女子学園は遂に岐路に立った。
武部沙織から遠慮がちに声をかけられた河嶋は、一つ大きく息を吐いた後に応えた。
決断の時だった。
大洗女子学園は用意された二つの道から一つを選び、一つを諦めなければならない。
すなわち、継戦か降伏か。
無謀だろうが不名誉だろうが、それ以外の道はない。
「西住は?」
「あの、それがまだ帰ってきてなくて……」
そしてその選択権を与えられたのは、副隊長である河嶋桃であった。
本来であれば、チームの舵取りは隊長である西住みほの義務である。
しかし現在、彼女は教会の中に不在であった。
『ごめん、ちょっと外出てくるね』
教会に立てこもり、少し時が経った頃である。
たった一言、そんな言葉を残して西住みほはただ一人の付き添いを許すことなく、姿を消していた。
「やはり責任を感じてるのか……?」
「そう、かもしれないです……」
そんな姿を彼女達が見るのは初めてのことだった。
故に彼女たちは、そんなみほの行動をこの状況を招いてしまった責任から来る、所謂落ち込みのようなものだと思っていた。
本来であれば帰還を待つか、あるいは引き戻すべきである。
そうして議論の末、西住みほに決定してもらうのが筋だ。
「だが時間もない。仕方ないが、西住には後で話そう」
しかしそれは時間の余裕があればの話。
降伏するなら構わないが、継戦となった時には今後の戦術・方針を練るための時間が必要だ。
それとチームの合意形成にかかる時間を考えた時、みほが帰ってくるのをただ待つのは得策ではなかった。
「車長たちは集合しろ!今後の方針を決めるぞ!」
副隊長の命令に、四人が立ち上がった。
しかしその動作は重く、決して快活とは言えなかった。
河嶋の心に、それはマイナスな感情を芽生えさせる。
「なんだお前達!もっとシャキッとしろ!」
返ってくる返事もまた、緩慢なものだった。
しかしこれ以上叱責することに意味を見出せなかったので、河嶋は言葉を呑み込んだ。
それよりも言うべき言葉は、他にあった。
「状況は最悪の一言だ。だがここで諦めるわけにもいかない。我々は降伏しない、それでいいな?」
この時点で河嶋には、絶対的な答えがあった。
故に彼女にとってこの場は意見を交わして答えを出すものではなく、弁舌を以て周りを説き伏せ、自分の意見を浸透させるものであった。
「………まだ、戦うんですか?」
しかしそれは自分に限った話ではないということを、河嶋は知った。
ぽつり、と唯一の一年生車長である澤から、その言葉は漏れた。
「おい、何を――――――」
「だ、だってもう勝ち目がないじゃないですか!」
怒気と猜疑を含んだ河嶋の声は、それ以上に大きな澤の声によって掻き消された。
「最初は勝てると思ってました!サンダースにも、アンツィオにも勝ったから、今回もきっと勝てるって!でも、そうじゃなかった……!」
本来であれば、澤の恐れはより大きな勇気によって封じられるものだった。
一年生とはいえ、彼女も神栖渡里の指導を受けた身。この程度で折れるメンタルではない。
しかしそれは平時であれば、の話。
実力差を見せつけられ、寒さと空腹によって士気が低下した状況では、寧ろ澤の方が正常な反応であった。
心を折って、相手を制す。カチューシャの真意は、ここにあった。
「ここから勝てる方法なんてきっとないです……どうせ負けるなら、いま降伏した方がいいじゃないですか。プラウダに一斉に攻撃されたら、ケガ人だって出るかもしれないし……」
澤の言う事は、一つの事実であった。
そうだからこそ、誰も反論の矢を持ち得なかった。
「―――――――――――ダメだ、認められない」
ただ一人を除いては。
河嶋の口調と視線に、ナイフのような鋭さが帯び始める。
「徹底抗戦だ。我々は勝つんだ、絶対に。勝たなければならないんだ」
「な――――――――――――」
その時河嶋には有無を言わせぬ迫力があった。
しかし納得できない気持ちの方が大きかった澤が、反射的に反論しようとした時、河嶋は更に言葉を重ねた。
「どうせ負けるなら降伏した方がいいだと?
「っ」
河嶋はその時、卑怯な手を使った。
大洗女子学園にとって神栖渡里という名は、絶対的な
神栖渡里は、勝負を途中で投げるような真似は許さない。
諦めれば勝率はゼロだが、逆を言えば諦めさえしなければ勝ち目はある。
それがどれほど微小なものであったとしても、神栖渡里はそれを追いかけることを是としていた。
「ケガがなんだ!そんなもの勝つことに比べれば大したことじゃない!勝つためならどんな犠牲だって払うべきだろう!」
「わ、渡里先生はそんな人じゃありません!勝つことよりも大事なことだってあるって、そう言って――――」
「――――――そんなものは詭弁だ!!」
ひと際大きい声に、一同は黙るしかなかった。
既に車長連中の会話は秘密のものではなく、全員に聞こえるものになっていた。
「あ、あの河嶋先輩、別にいいじゃないですか、ここで負けちゃっても。そりゃ確かに悔しいですけど、戦車道始めたばかりの私たちが準決勝まで来られただけでも上出来ですし……」
俯き、表情を隠す河嶋に、沙織は殊更明るい口調で言った。
それは雰囲気をこれ以上悪くしないためのものであったが、皮肉にも真逆の結果を引き起こすこととなった。
「負けたからどうこうなるものでも――――――」
「―――――――――負けたら我が校はなくなるんだぞ!!!」
へ、という声が虚しく響いた。
誰のものであったかは分からないが、その時誰もが同じ感情を抱いていた。
「な、なくなるって……どういうことですか?」
沙織の震える問いに、河嶋は答えなかった。
代わりに聞こえたのは、無色の声だった。
「言葉の通りだよ、武部ちゃん」
「会長……?」
その時沙織は一瞬だが、角谷杏とよく似た別人がそこにいると思った。
それほどまでに、角谷は普段とは違う顔をしていた。
「大洗女子学園はこの大会で優勝しなければ廃校になる。きれいさっぱり、跡形もなくなっちゃうってこと」
「な、なんで……」
「なんで?ニュースで聞いたことない?学園艦ってお金かかるからさ、全体数見直して、いらない奴は廃校にするか統合しちゃおうっていう話」
角谷の口が弧を描く。
一方で瞳の奥は、一切笑っていなかった。
「それで
この時沙織たちは知る由もないが、角谷がなぜ戦車道を選んだかというと、「大洗女子学園では昔戦車道が盛んだったから」という過去と、「世界大会やらプロリーグ誘致やらで国内に戦車道隆盛の兆しがあったから」という現在の二つの理由からであった。
「だから
「そ、そんな……そんなこと……」
角谷の真っ直ぐな視線と言葉が、嘘偽りがないことを証明していた。
「悪いけど降伏はしないよ、澤ちゃん。私は、学園艦を自分から捨てることはできない。だったらまだ、誰かに奪われた方がマシ」
「それはっ……私も、そうです……」
戦う意志の火が灯ったのを、角谷は感じた。
しかしすぐに、それが今にも掻き消えそうな程弱弱しい火だということに気づいた。
角谷の視線の先、そこには震える澤の手があった。
いや、澤だけではなかった。
カエサルも、磯辺も、そど子も、他の皆も、一様に項垂れている。
それを見て角谷は、自分がカードの切り方を誤ったことを悟った。
負けたら廃校になるという事実は、そんなことさせてたまるかという気炎にも、更なる絶望へと呼び水ともなる。
故に神栖渡里は、そんなカードを切らなくてもいいようにしてくれていた。
同時に、切るなら慎重に、とも言ってくれていた。
なのに角谷は、よりにもよって最悪の切り方をしてしまった。
発破をかけるどころか、更に士気を下げてしまったのだ。
これでは勝てるものも勝てない。
あぁ、と内心で角谷は嘆息した。
戦車道という競技は、とても残酷だ。
最も頼れる人の顔を見ることを、聞きたい言葉を聞くことを、選手達に許していない。
神栖渡里さえこの場にいてくれたら、こんなことにはならなかった。
神栖渡里は導だ。それを失くして、一体どうして進めるというのか。
「すみません、遅くなりました」
不意に、その声は響いた。
この場に不釣り合いなほど明るく、どこか儚げで、けれど芯の通った、不思議な声。
一同の視線が集まる。
彼女は、西住みほは困ったように笑っていた。
「本当はもっと早く帰ってくるつもりだったんですけど、途中で色々あって……雪投げられたりとか」
「西住……今まで何をしていた」
「偵察です。プラウダの戦車の配置が分からないと、作戦が立てられませんから」
重々しい河嶋の口調とは対照的に、みほの口調は明朗だった。
誰もが悟らざるを得なかった。
西住みほが、未だ戦う気であるということを。
「?……皆さん、どうかしましたか?」
みほは自分一人だけが違う温度を持っていることに気づいた。
優れた感受性がなくともわかるくらいに、それは明らかなものだった。
「西住ちゃんは、降伏はしないんだね?」
「へ?えぇと、そうですけど……皆さんは違うんですか?」
「ち、違わないです!……違わないんです、けど……」
澤の煮え切らない言葉に、みほは首を傾げた。
角谷は彼女一人だけに隠すのも意味がないと思い、皆に言ったことをそのまま繰り返した。
どういう反応をするだろうか、と角谷は思った。
驚くだろうか、悲しむだろうか、落ち込むだろうか、慌てるだろうか。
責任感の強い子だ、もしかすると必要以上に背負ってしまうかもしれない。
角谷は色々な反応を予想した。
そのいずれにも適した返事を用意した。
そして、
「――――そうですか。じゃあ、勝つために頑張るしかありませんね」
みほの言葉は、表情は、これ以上ないくらいに角谷の予想を裏切っていった。
あまりにもあっけなく、たったそれだけの言葉を放って、みほは会話を終わらせた。
「―――――え、えぇ!?それだけですか!?」
「わ、びっくりした……」
驚いたのは、果たしてどちらの方だったのか。
おそらくより驚いた方が、言葉を続けた。
「負けたら廃校なんですよ!?」
「う、うん……聞いたけど」
「だったらなんでそんな、平気そうなんですか……」
なぜこうも受け取り方が違うのだろうか、と一同は思った。
負けたら、廃校。二万人の未来を背負ってるんだ。
その重圧に耐えかねたから、こんなにも皆沈んでいる。
なのにみほは、「それがどうした?」とでも言わんばかりだ。
「―――あ、もしかしてここからでも勝てる方法があるとか!」
「あ、なるほど!」
それならば、と一同は思った。
勝利への確信があるからこそ、ここまで平然としていられるのだ、と。
しかし、
「それはこれから考えます」
本人はあっけなく否定した。
唖然呆然とする一同の前に、みほは地図を差し出した。
「プラウダの包囲はかなり厳重です。ちょっとやそっとじゃビクともせず、おそらく脱出する前に力尽きる。多分……プラウダはかなり私達のことを研究してきているんだと思います。そうじゃなければ、ここまで練られた作戦は出てきません。勝つのは至難の技です」
「そ、そんな……ただでさえ強いのに研究もされたんじゃ……」
益々勝ち目などない。
このチームにおいて最も実力のある者に「至難の技」と言われてしまったら、一同は自分たちの勝算の無さを再認識するしかなかった。
霧散しかけた重圧が、より質量を増して帰ってくる。
みほの帰還で僅かに復活を見せた闘争の火は瞬く間に消滅し、再び大洗女子学園は暗中へと落とされる。
「――――――」
その様を見て、みほは理解した。
今、自分がすべきことを。
『なぁ、みほ――――もしあいつ等の心が折れてしまいそうになったら、この言葉を言ってやってくれ』
一緒に戦えない俺は、あいつらに何も言えないから。
だから頼むぜ、とそう言って託された兄の言葉を、彼女たちへ送るべきは今なのだと。
そして、
「『下を、向くなーーーーーーーーーー!!!!!』」
怒号が、響き渡った。
全員が、本当に全員が、肩を震わせた。
彼女たちはこの声を知っていたから。
何回、何十回と聞いてきた、その声を。
身体の真ん中に一本芯を入れてくれるような、その声を。
いつだって
「ケホッ、ケホッ……お、大声で怒るのって難しい」
しかし声の発信源に、彼はいなかった。
そこにいたのは、恥ずかしそうに笑いながら咳き込む、一人の女の子だった。
「みほ……」
「西住ちゃん……」
一同は現実を認識した。
そりゃそうだ、神栖渡里は、どうしたってここに来ることはできない。
彼女達が聞いたのは、彼の声と幻聴させた彼女の声だ。
「急にどしたの、みほ……」
「みほさんの大声って初めて聞きました」
「西住さん、あんな声出せたんだな」
やがて彼女の喉は正常を取り戻した。
そしてまっすぐな目で、彼女は言う。
「どんなに辛くても、下を向いたらダメです」
あ、という呟きが漏れた。
西住みほの瞳に、表情に、一挙手一投足に、
「前を見れば、進もうとする気持ちが生まれます。後ろを見れば、今まで自分が歩いてきた道程を振り返れます。横を見れば、一緒に歩いていく仲間の顔が確認できます。上を見れば、なんとなく気持ちが楽になります――――でも、俯くのだけはやめましょう。下を向いたら、どこにも行けず、ただ立ち尽くすしかない無力な自分を思い知るだけです」
神栖渡里はここにはいない。
けれどその時、確かに彼女たちは、神栖渡里を見た。
栗色の髪の毛をした女の子に、『不敗の指揮官』と呼ばれた彼の姿を見たのだ。
「私は、もう下を向きません。何があっても、どんな
「な、なんでですか……」
何がそこまで、貴女の心を支えているのか。
澤の問いに、みほは莞爾と微笑んだ。
「だって――――――託されたから」
景色が、重なる。
兄を呼び出し、夜空の下で誓ったあの日と。
ならば言う事も同じだ。
あの日兄に言ったように、今度は彼女達にも言おう。
黒森峰女学園にいた時には気づくこともなかった、一つの答えを。
みほが、戦う理由を。
「サンダースの皆さんに、アンツィオの皆さんに、託されたんです。戦車道に懸けた想いも、優勝したいっていう夢も、全部全部、私たちがあの人たちに勝ったその時から」
たくさんの努力を、数え切れない時間を、戦車道に捧げてきた彼女たち。
そんな彼女たちの上に、みほ達は立っている。
その時点でみほ達の勝敗は、みほ達だけのものではなくなっている。
もうみほ達は、自分たちの為だけに戦うことは許されなくなっているのだ。
「だから諦めることはできません。ここで諦めてしまったら、あの人たちを裏切ってしまうことになる。私は何があっても、あの人たちの前では胸を張っていたい」
期待してるわ。
そう言って、みほの手を握ってくれた人がいる。
決勝まで行けよ。
そう言って、みほの手を握ってくれた人がいる。
この手には、色んな人の想いが刻まれている。
それを裏切るのは、何よりも耐えがたいのだ。
みほは皆を見渡した。
きっとそれは、みほだけじゃないはずだ。
「今までで最大の
否である。
これまでみほ達が勝ってこられたのは、他ならぬみほ達の力によるものだ。
決して兄のお蔭じゃない。
そうでなければ、サンダースやアンツィオがみほ達に期待してくれるわけがない
「逆境なんて、そんなのずっとそうだった。私たちの道は、決して平坦で楽なものじゃなかった。俯いて、挫けて、心が折れて諦めてしまってもおかしくないような困難な道だったけど、それでも私たちは乗り越えてきた」
忘れてしまっているなら、思い出させてあげよう。
独りじゃ越えられない壁は、仲間と一緒に。
どんなピンチでも、決してめげずに。
勝ちたいと思い、足掻いてきた。
がむしゃらで、粗削りで、恰好なんて一つもつかないけれど。
いつだって一生懸命で精いっぱいに頑張る。
「――――――それが、皆が認めてくれた大洗女子学園なんです」
降伏なんてしたら、どの面下げて彼女たちに会えばいい。
もう無理だ勝てっこないなんて、どの口で彼女たちに言えばいい。
あぁそうだ。そんなことできるものか。
あの人たちの前でそんな情けないことできるか。
あの人たちの想いを、こんな形で踏みにじってたまるものか。
「だから最後まで戦いましょう。私たちに託してくれたことは間違いなんかじゃないって、サンダースやアンツィオは本当に強かったんだって――――――」
彼女たちの夢は、想いはここにある。
みほ達は彼女たちの分まで此処に立っている。
だから胸を張って、堂々と戦え。
「それを証明できるのは――――――私たちだけだから」
火が、灯った。
さっきまでの弱弱しいものではない、雪をも溶かすとても大きな火が。
「そうだよね!諦めたら終わりだもんね、戦車も恋も!」
「確かに!試合を諦めるに早すぎます!」
「ええ、そうですね……こんなところで止まってしまったら、きっと渡里さんも怒ってしまいます」
「渡里さんに怒られるのは……ちょっと悲しい」
気炎が、あちこちから立ち昇る。
皆口々に、そして一様に抗戦の意志を露にしていく。
その中にポツリと、弱音を吐いてしまったことを河嶋に謝る澤と、言い過ぎたことを澤に謝る河嶋の姿もあった。
「カッコいいね、西住ちゃん」
「ふぇ!?い、いや私なんて全然……」
角谷の言葉に、みほは赤面しながらワタワタとした。
これがほんの一瞬前まで士気高揚の演説を繰り広げていた子と同一人物であるというのだから、不思議なものだった。
西住みほは、何も変わらない。
兄と一緒に過ごした頃も、黒森峰女学園にいた頃も、そして今も。
西住みほは、ずっとずっと変わらない。
ただ彼女は、ようやく気付いたのだ。
自分がここに立っている理由に。
自分が負けてはいけない理由に。
それは神栖渡里に問われた、『西住みほの戦車道』ではないけれど。
彼女の、彼女だけの戦車道はまだ見つかっていないけれど。
それでも彼女は、この時大洗女子学園の
神栖渡里と同じように、闇を払い行くべき道を照らす、導となったのだ。
さぁ、これにて大洗女子学園は一つ階段を登った。
絶対絶命の窮地に、それでも彼女たちは笑顔で立ち上がる。
試合は中盤を越え、物語は
誰も彼もが迸る熱に身を任せ、勝利という名誉を求め無我夢中で疾走する。
その果てに、一つの別れがあることを知らぬまま。
西住みほの戦車道≠負けられない理由。
実は一人だけ覚悟完了していた西住殿でした。
原作を見てるとカチューシャは「子供っぽくて我儘でサディスティックで負けず嫌いで勝てさえすればいい」みたいなイメージですけど、そんな奴に誰もついていかんだろ、とも思います。
やっぱり一つ、信念とか核みたいなものがあって、それがノンナとかを魅了するのかなーなんて考えたり。
原作では『今回もよろしく(また去年と同じ失敗しろ)』的なことをみほに言ってたけどね。
まぁそんなもんいくらでもなかったことにできるよ、二次創作だもん。