戦車道素人集団を優勝へ導く138の方法   作:ススキト

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プラウダ戦最終話とか言ったけど終わらなかった。
3週間以内に投稿するつもりだったけど書き終わらなかった。
何も終わらなかったこの一月の間に終わったのは、山のように溜まった仕事だけ……

というわけで最終話、一歩手前の話。

大洗女子学園の誇る天才操縦手、冷泉麻子がメインとなっております。





第42話 「プラウダと戦いましょう⑥ ヒヨク・レンリ」

全国屈指の破壊力を誇るプラウダ高校の包囲戦術を相手に、よりにもよって彼女たちの独壇場である雪のステージにて、包囲の突破を狙うのではなくあえて包囲の中で戦うという狂気とも言える大洗女子学園の一手。

 

それにより二分された戦場の一方では、38tを駆るカメさんチームとIS-2を駆るノンナの衝撃の一騎討ちが繰り広げられている中、もう一方の戦場でもまた事態が動き出そうとしていた。

 

(履帯が切れた戦車が三両。これで包囲網を形成する戦車は、フラッグ車とその護衛を除いて九両)

 

キューポラから身を乗り出して状況を確認するみほは、戦場が想定していた通りの形になりつつあることを悟った。

カメさんチームがほぼ四両分の戦力を削ってくれたお蔭で、包囲は緩んでいる。

隊長のカチューシャが包囲に空いた穴を埋めるため、戦車の配置をうまくスライドした為に包囲自体は健在だが、最初に突入した時と比べれば遥かに戦いやすい。

 

「西住殿!」

「うん、わかってる」

 

優花里の視線に頷きの返事を一つ、みほは大きく深呼吸をした。

それは集中力のギアを一段階挙げるために儀式であった。

肺に一杯空気をため込んで、それをゼロにする勢いで全て吐き出した時、みほの視界はより鮮明になるのだ。

 

「沙織さん、各車に通信を。包囲の突破にかかります」

「わかった!」

「華さん、優花里さん、ちょっと忙しくなると思うけど……」

「大丈夫です、みほさん」

「任せてください!」

 

四号戦車の中の空気が少し変化する。

プラウダの包囲の中にあるのだ、今まででも既に緊張感はあったが、ここからは毛色が変わる。

 

みほ達からすれば、実はここまでは「いける」と判断していた領域だった。

プラウダ高校の包囲網の中で戦う。

それは確かにリスキーな一手かもしれないだろう。

 

けれどみほは、「カメさんチームが囮として機能し、IS-2を抑え込む」という前提さえクリアされれば、そこまで無謀な賭けだとは思わなかった。

 

なぜなら、プラウダの包囲の脅威とは何か、と考えた時。

みほは真っ先にIS-2とノンナの存在を挙げ、そしてその次にカチューシャの指揮能力を挙げ、三つ目に戦車の性能差を持ってくる。

そして一番目の脅威と、二番目、三番目の脅威の間には大きな開きがある。

 

要するに「どれが一番対処できないか」という話だ。

戦車の性能差は、機動力と戦術でどうにかできる。

カチューシャの指揮能力も、それの恩恵を受ける戦車の数を減らしてしまえば、実質的に削ぐことができる。

 

けれどIS-2はどうにもならない。

アレは一個で最大限の効果を発揮することができる存在だ。

対処法がないわけでは決してないが、包囲された状態の中で野放しにしてしまえば、本当にどうしようもなくなる。

 

だからこそ、今カメさんチームがIS-2を抑えている意味は大きい。

そうだからこそ、万が一はあれど、十中八九はプラウダの恐るべき包囲の中でも立ち回れるとみほは踏んだ。

 

寧ろ問題はここから。

みほ達の目的は、あくまで包囲の突破。

プラウダがどういう読みをしているかはしらないが、みほ達は当然こんな包囲の中で戦い続けるつもりはない。

 

どこかのタイミングで、包囲を崩す。

そして包囲を抜け出し、安全圏にいるフラッグ車を叩く。

勝ち筋は最早、これだけしかない。

 

そしてみほは、今こそがその勝ち筋に入る時だと直感した。

 

「――――……」

 

実のところ、みほの胸の中には高揚と不安の両方があった。

前者は、全国屈指の威力を誇るプラウダの包囲網を破るという難事を前にして、戦車乗りの血が騒いでいる所からきている。

あんまりみほは認めたくないが、こればっかりは()()()にそっくりな所だと思う。

本質的に、みほもまた高い壁を前にした方がより高く飛べるタイプなのだろう。

 

後者は、()()()()()()()()()()()()()()不安とでも言うのだろうか。

プラウダの包囲が破れるかどうかとか、そういった類の不安ではない。

いや勿論それも多少はある。いつだってみほには、隊長としてチームを勝利に導かなければならないという重圧と、それが叶わなかったらという恐怖がある。

 

けれど今は、それとは少し違う。

幼い頃、飛行機に初めて乗る前に経験した気持ちによく似ている、とみほは思った。

そわそわして落ち着かないというか、想像だけが先走るというか。

 

(けど……悪い意味の不安じゃない、よね)

 

『それは期待っていうんだよ、みほ』

 

空港のターミナルであまりにも忙しないみほを、呆れた顔をしながら大人しくさせた兄の言葉を思い出して、みほは薄く笑った。

そう言う兄も、確かずぅーっと貧乏ゆすりをしていて、結局母にみほと一緒に「落ち着きなさい」と諫められていたのだ。

 

「―――――よし」

 

精神状態はOK。

後はやれるだけの事を、ただやる。

結果なんて、どうしたって先に来ることはないんだから。

 

「麻子さん、お願いします」

 

緊張感の増す四号戦車の中。

車長席から最も離れた、戦車の最先端に位置するその席。

戦車の操縦を一手に担う、ある意味で車長よりも重要なその席に座る彼女に、みほは声をかけた。

端的だけれど、それ以外に最早かける言葉は無かった。

 

「――――――あぁ」

 

どこか兄とよく似た色をした長い髪の彼女は、みほと同じく端的に答えた。

その小さな背中に、不思議と安心感を覚える自分がいることにみほは気づいた。

 

 

 

 

 

「それで、どうやって包囲網を破るわけ?」

 

大洗女子学園の議論は、最も重要な点に突入していた。

角谷の火蓋を切る一言に、みほは少し考えてから答えた。

 

「一つや二つ包囲に穴を空けたところで、おそらく意味はありません。空いた所からすぐに塞がれてしまいます」

 

事実としてカチューシャの指揮能力はずば抜けている。

戦車の数が同数であれば力押しでどうにかできると思わなくもないが、カメさんチームがIS-2の抑えに回ると此方の戦車は五両。フラッグ車である八九式は積極的に戦闘参加できないので、実質的には四両。

プラウダの包囲を正攻法で破るのは、諦めざるを得ない。

 

ならどうするか。

みほの頭の中には、最早一つの策しか残っていなかった。

 

「だから――――――穴を空けるなら、たくさんです」

 

皆がポカンとした表情になったので、みほは慌てて説明を足した。

 

まずプラウダの包囲網は、通常より強度が落ちる。

それは何故かというと、ノンナという()()()が包囲網に参加していないからである。

 

ブリザードのノンナ。

戦車乗りであれば誰でもその名と、彼女の存在理由を知っている。

彼女はIS-2という強力戦車を操る全国屈指の砲手であり、そしてそれ以上に()()()()()()()()()だ。

 

副隊長とはいえプラウダ高校だ、生半可な実力では務まらない。

つまりノンナには、()()()()()()()()()()()()()()()()()だけの力がある。

砲手としてではなく、一つの部隊を指揮する者としての力が。

 

それがカチューシャの形成する包囲に、何の恩恵も与えていないとは思えない。

自分の身に置き換えて考えてみればいい。

もしみほがカチューシャのように包囲網を展開したとして、その一角を――例えばアンチョビが担ってくれていたらどうだ。

間違いなくみほの負担が減る。そしてその分だけ、みほ自身の指揮の質も上がるだろう。

 

つまりはそういうことだ。

カチューシャだけでは『盤石な』包囲が、ノンナが加わることによって『無欠の』包囲へと進化する。

 

だけれどノンナはカメさんチームが抑える。

無欠の包囲は盤石へと退化し、包囲の全てはカチューシャ一人が統括しなければならなくなる。

 

「そこが狙い目です。カチューシャさんが包囲を直すのが追い付かないくらい、とにかく穴を空けるんです」

 

カチューシャ+ノンナであれば、どれだけ穴を空けてもすぐに塞がるし、なんなら穴すら空けられないだろう。

けれどカチューシャだけなら。

一つ二つの穴を空けるくらいでは意味がないだろうが、五つ六つ空けてやれば。

盤石の包囲に亀裂を入れることができるかもしれない。

 

「あくまで可能性の話ですけど……」

「西住ちゃんが言うなら間違いないんじゃない?十分やってみる価値はあると思うけどねー」

 

角谷と同様の反応を、皆がした。

となれば方針は決まった。

教会を出るまでは一緒。

目くらましと同時に出て、カメさんチームは即座に部隊から離れて別行動へ。

残った本隊でカチューシャの敷く包囲網からの脱出を図る。

 

そこから打ち合わせが念入りに行われた。

カメさんチームは単独で動いてもらう為、完全に角谷に裁量を任せてみほは関与しない。

というより、包囲突破のための作戦行動にはみほの全神経を集中させる必要があるため、カメさんチームにまで頭を回す余裕がないというべきだった。

 

包囲に穴を空けるなんて、言葉にすれば簡単だ。

だが実際にやるとなれば、話は別。

前提として火力と機動力の二つをフル活用しなければならないが、そこには大きな問題がある。

 

まず火力。

これは一点集中させて威力を上げなければならない。

なぜなら大洗女子学園にはIS -2のように単騎で大火力を持つ戦車がなく、単発単発ではT-34を始めとする高性能戦車を怯ませることすらできないだろうからだ。

 

だけれど一つに束ねれば、小銃も大砲となって相手を穿つこともできる。

しかしそのためには適切なタイミングで適切な箇所へ攻撃しなければならない。

 

加えて今回は、繰り返しになるが包囲の中で戦う。

つまり足を止めることだけは絶対に許されず、絶えず動き続けての戦闘になる。

それもただ動き回るだけじゃない。ちゃんと撃破されないように、その場その場で最適なルートを選び続けなければならない。

もしほんの一瞬でも迷い、ルート選択を誤れば、それはすなわち致命傷に繋がる。

 

問題は、まさにこれ。

砲撃の指示と、部隊の舵取り。

その両方の指示が、みほ以外に不可能な事。

各自自由な判断で戦う大洗女子学園だが、今回に限っては完全にみほの指揮下に入り、その指示に従うだけの駒になってもらうしかない。

 

「火力を最大限に発揮しつつ、機動力を損なわない……」

 

みほの独語はか細く、あっという間に溶けて消えた。

幸いにも皆、みほの考えに賛同し、この場はみほに預けてくれた。

そうして作戦会議が順調に終了しても、四号戦車へと帰るみほの足取りは僅かに重かった。

 

難しい作戦、だろう。

なにせ達成しなければならない二つの課題が、二つとも現場での判断を必要とする。

事前に絵図を描いて動くことはできず、みほは瞬間的な判断を積み重ねてゴールまでたどり着かなければならない。それも一つの、ミスもなく。

 

戦場に流れる数多の情報。

その処理が遅れることは、決して許されない。

正確に、迅速に、捌き続ける。

 

だというのに、みほはこれから戦場をかき乱す。

マドラーで飲み物を混ぜ合わせるみたいに。

何とも皮肉な話だ。

自分で波を起こしておいて、その波濤に呑まれたら終わりとは。

 

(お兄ちゃんみたいに……か)

 

本当にできるのか、という一抹の不安はあった。

みほがこの作戦を思いついたのは、他でもない兄の影響がある。

打ち明けた話、似たような状況を見事乗り切った兄の策を、大洗女子学園流にアレンジして使おうとしているのである。

 

だからこそ、みほには不安がある。

 

私生活ならいざしらず、戦車道においてみほに可能な事は須らく、兄にも可能だ。

しかしその逆は、成り立たない。

兄に出来てもみほにはできないことは、多分たくさんある。

今からやろうとしていることがそこに含まれないとは、残念ながら言い切れないのだ。

 

「できる、かな」

 

心の中で問うても、返ってくる言葉はない。

 

やれるだけ、やるしかない。

みほは両手で軽く、自身の頬を叩いた。

 

マイナス思考は無し。

みほだって判断の速さと奇策・速戦には自信がある。

賭けは賭けだが、悪くない賭けのはずだ。

 

「―――――」

 

大きく深呼吸を一つ。

四号戦車の車長席に戻ると、優花里たちが声を掛けてくれる。

その声と顔が幾分かみほの緊張を和らげてくれたが、完全に緊張が無くなることはなかった。

 

「………よし」

 

瞑目し、静かに呼吸する事三つ。

覚悟を決め、いざ開戦の狼煙を上げようとした―――――その時である。

 

 

「――――――待った」

 

 

一つの声が、四号戦車の中に響いた。

 

喉元まで来ていたものが、霧散して消えていく。

何を言うべきだったか、何を言おうとしていたのか、みほの頭の中から言葉が消え、代わりに()()の言葉が浸透する。

 

「西住さん……話がある」

 

冷泉麻子。

四号戦車の操縦手にして、敏腕を誇る天才。

普段はずっと眠たげで、ぼんやりとしている彼女の眼が、此方を向く。

凛々しく、一つの火を灯して。

 

それが異変ではないにしろ、異常だと真っ先に感じ取ったのは長い付き合いのある幼馴染だった。

 

「ま、麻子…どしたの?」

「大事な話だ」

 

僅かに首を傾げた沙織に、麻子は端的に答えた。

そして沙織から少し遅れて、みほ達も麻子の変化を感じ取った。

 

麻子は寝る子と書いてネコと読むくらいに、常に眠たそうにしている。

実際彼女の一日を観察してみれば、そこまでぐうたらしているわけではないのだが、何分彼女は典型的な夜行性の人間で、快活な姿は夜しか拝めず、その機会が滅多に無いことから、そういうイメージが付いてしまっているのである。

 

だからおそらく冷泉麻子の印象は、良く言えば穏か、悪く言えば緩慢、そんな所だろう。

 

けれど今の麻子は、そのイメージに全く当てはまらない姿形をしていた。

気が張っているわけでも、ピリピリしているわけでもない。

ただ凛然と、何ひとつ澱むもののない澄んだ雰囲気を纏っている。

 

「麻子さん……?」

 

今目の前にいるのが本当に冷泉麻子なのか。

確信を持てなくなったみほは、彼女の名前を呼ぶことしかできなかった。

そして冷泉麻子は、真っ直ぐにみほの目を見て言った。

 

 

「私は、厳しいと思う」

 

 

心臓を貫かれたような衝撃が、みほを襲った。

何が、と言葉を返すこともできない程、正確に急所を射貫いた麻子の言葉だった。

 

呆然とするみほと、麻子の視線が交差する。

時間にすれば本当に僅かな間だったが、しかしみほは麻子が自分の心の内を透かして見ている事を悟った。

 

「ちょ、ちょっと麻子、いきなり何の話?」

「さっきの作戦の話だ。沙織も聞いてただろ」

「そりゃ聞いてたけど……」

「砲撃指示と部隊運用、その両方を西住さんがやるのは、西住さんにかかる負担が大きすぎる。他の相手ならまだしも、プラウダ高校が相手となるとどちらも100%の力で当たらないといけないはずだ」

 

麻子は言う、それは右手で絵を描きながら、左手で文章を書くようなものだと。

 

人間はどうしたって二つの事を同時にはできない。

あるいはできたとしても、本来なら到達できたレベルより下回る。

一つずつなら綺麗な絵と洗練された文章を出せるとしても、同時にやれば拙いものになるだろう。

 

「西住さんの力が足りないんじゃない。そもそも人間は、そういう風にできていない。一人でできる事には限界があるように作られてるんだ」

 

だから、と麻子は続けた。

二つを成り立たせないといけないみほの作戦は、おそらくどちらかが躓く、と。

そしてそうなった時、大洗女子学園はプラウダ包囲網の中で戦うことはできても、突破には至らないだろう、と。

 

麻子の話を聞き、みほは内心で嘆息した。

麻子は学年で一番の成績を取る頭脳明晰の才女だが、どうやら戦車道の世界でも正しい答えを見つける名人のようだった。

 

「………確かに、麻子さんの言う通りかも」

 

困ったようにみほは薄く笑った。

自身の不安を的確に言語化されてしまったから、ではない。

自分は仲間に心配されるほど強張った顔をしていのか、とみほは思ったのだ。

隊長としてあんまり情けない姿は見せたくないと思っていただけに、みほは少し自分が恨めしい。

 

「お兄ちゃんはできたんだけどね」

「渡里さんは例外だ。あの人は戦車道に限って言えば、人間じゃない」

 

兄、教え子から人外認定。

麻子のあんまりな言い方に、みほは思わず笑ってしまった。

その時みほは気づかなかったが、そうやって笑う事でようやく彼女の身体は弛緩することができた。

 

確かにそうだ。

あの人は本当の化物。戦車道の怪物。遥か高みを征く天才だ。

男性でありながらあの人の内に秘める戦車道の才は、常人のそれを容易く超える。

()()()天才も、あの人の前ではあっけなく霞んでいく、そんな規格外だ。

 

講師として生徒を教え導く神栖渡里しか知らない人は、多分それほどとは思わないだろう。

正しく理解しているのは、あの人が戦車に乗って戦っていた姿を見たことのある者だけ、戦う人としてのあの人を知っている者だけだ。

その姿が、一番カッコイイ兄の姿なのだ。

 

(………あれ?)

 

ふと、みほは違和感を覚えた。

それは思考が浮かび上がらせた、現実世界の陰影のようなものだった。

 

なぜ麻子は、神栖渡里が怪物であることを知っている?

 

「………麻子、さん?」

「―――渡里さん(化物)みたいには、人間はなれない。けれど人間だからって、渡里さん(化物)のやる事ができないわけじゃない」

 

人は怪物になれないけれど。

怪物のように戦う事はできる。

 

「一人じゃできないことは、()()でやればいい。一人じゃ渡里さんに追いつけないなら、二人で追いつけばいい」

 

みほの瞳が揺れる。

それとは対照的に、麻子の瞳は凪いだ水面のようで。

みほはその眼を知っていた。

 

何度も何度も見てきて、記憶に焼き付いた眼。

何よりも、誰よりも惹かれた眼。

 

「―――――部隊の指揮を任せろ。私が、西住さんの負担を半分持つ」

 

神栖渡里と同じ、眼。

 

 

 

 

 

時間は遡り、合宿期間中。

冷泉麻子は「お前には足りないものがある」という神栖渡里の言葉に対する自分なりの答えを見つけていた。

それは多くの時間を消費した末のものではなく、『天才』という称号が相応しい程のごく短時間で見つけ出されたものだった。

 

神栖渡里に渡された(押し付けられたとも言う)本を小脇に抱え、麻子はある場所へと向かっていた。

その間も、思考は続いていた。

 

要するに『何が足りないか』で考えるから迷うのだ。

考え方を変えて、『何ができないか』とすればいい。

 

戦車道において冷泉麻子にできない事は何か。

操縦手という枠の中で考えた時、それはとても少ない。

 

戦車の操縦は、客観的に見て及第点以上だろう。

麻子は戦車道歴こそ浅いが、操縦の上達には必ずしも経験値を必要としない事を証明していると言ってもいいほどに操縦の腕は熟達している。

手足のように操る、というのがどういうレベルのものを指すのかは分からないが、それに近しい所にはいるだろう。

 

だけれど操縦手とは、それだけでいいのか。

好きな所に、好きな軌道で、好きな速度で戦車を持っていくことができる。

車長の指示通りに。

操縦手に求められる役割とは、それだけなのか。

 

いや、違う。

操縦手の役割が本当にそれだけなら、あの人(渡里さん)があんなことを言うはずがない。

何かあるのだ。操縦技術以外に必要なものが。

 

しかし麻子にはそれが分からない。

神栖渡里が求めているものが。

自分に欠けているものが。

 

――――――でも。

 

いま自分がしなくちゃいけないと思うことは、あった。

だから麻子は、それを答えとした。

そしてそれを伝えるために、神栖渡里を訪れたのだ。

自分のお昼寝スポットに今日も居座る、神栖渡里を。

 

 

「西住さんと同じくらいの戦術眼が欲しい」

「……………」

 

 

麻子の言葉に、彼は少し驚いたようだった。

理由は分からなかったが、何となく彼の想像とは違った言葉だったのだろうと麻子は思った。

 

秒針が5回動くほどの沈黙があった後、渡里は一言「ふーん」とだけ呟いた。

しかし彼の眼は未だに麻子を捉えていたので、麻子は自分が更なる発言を促されているのだと考えて、言葉を紡いだ。

 

「私は多分、西住さんの言う事を正確に理解できる。西住さんが思い描いた戦車の動かし方を、西住さんの言葉から理解して、その通りに動かすことができる」

「そうだろうな」

 

そっけないと思うほどの渡里の相槌だったが、気にした様子もなく麻子は続ける。

 

「けど、私は西住さんが言ってくれないと何も分からない。西住さんの言葉がないと、どこに行ったらいいかわからなくなる」

 

麻子はみほがくれる「1」を「10」にすることはできる。

みほの言葉をきっかけにして、そこから多くのものを考えることができる。

けれど「0」を「1」にすることはできない。

 

なぜならそれは、

 

「――――――私は、戦車道に詳しくないから」

 

麻子が、戦車道を始めて数か月の人間だからである。

 

これは当然の話だ。

人は誰しも、言われたことはある程度できるのだ。

例えそれが、全く経験も知識もないことでも。

けれど自分で考えて行動に移すというのは、経験と知識がないと絶対にできない。

人は知らない事は、できないから。

 

今まで麻子にとって戦車の操縦とは、()()()()()()()()()ものだった。

でもそれじゃダメだと気づいたから、麻子は一つ先の領域に進まないといけない。

 

そのために麻子は、今よりもっと戦車道を知らなくてはいけない。

西住みほが見ている景色を、麻子もまた見なくちゃならない。

 

(操縦手)は多分、西住さん(車長)がいなくても大丈夫じゃないとダメなんだ」

 

車長がいなくても、寧ろその代わりができるくらいに。

操縦手は、戦車の中で車長の次に強い存在でなければならないのだ。

 

麻子の言葉(答え)を、渡里は咀嚼しているようだ。

やがて彼は、肩を竦めてうっすらと笑みを滲ませながら言った。

 

「…………頭が良過ぎると、教える側も物足りないんだな」

「え」

「大正解だ、冷泉」

 

彼はポンポンと、自分のすぐ横の芝生を叩いた。

どうやら座れ、ということらしかったので、麻子は大人しく彼の隣に腰を下ろした。

 

「お前の言う通りだよ。操縦手は車長とは別の意味で戦車の命運を握る存在だ。そんな奴が戦車道詳しくありません、は絶対に許されない。時には車長とまったく別の道を示すのが操縦手の役割だと俺は思う」

 

彼は麻子の抱えていた本を寄越すようにジェスチャーした。

そうして担い手の変わった本は、麻子の手よりも二回りも大きい手の中で弄ばれることとなる。

 

「この本にも書いてただろ。初めから車長になる人間はいない。皆車長以外の役職から始まって、優秀な奴から車長へと昇格する……それが一番多いのは、操縦手だって」

 

それは操縦手が事実上のNo.2である事の証左だった。

 

「だからお前の方向性は間違ってない。というか余りにも正解すぎて、教えてる俺からすればもう少し悩めよ間違えよと思うくらいだ」

「それはどうなんだ……」

 

それでいいのか教育者、と麻子は心の中で呟いた。

まぁ冗談だろうけど。

 

「ただ……みほと同じくらいってのは、考えてなかった。俺は精々、みほに言われてない事でもできるくらいでいいと思ってたからな。みほの力になってもらうためには、最低でもそれくらいは、って」

 

渡里の瞳が、麻子を覗き込む。

黒い瞳が、不意に剣呑な光を灯したのを麻子は感じ取った。

彼が真剣な話をしようとしているのだと、そう理解する。

 

「なぁ冷泉。みほは、生まれた瞬間から戦車道と共にあった。今はどう思ってるか知らないが、以前のアイツは、戦車道は傍にあるのが当然のもので、一生離れないものなんだと()()()()()()()思ってた。これがどういうことかわかるか?」

 

麻子は直ぐに言葉を返さなかった。

というのも、彼が返事を求めているように感じなかったのである。

そして瞬き一つ分の間を置いて、彼は言葉を続けた。

 

「戦車道に掛けてきた時間が違い過ぎるんだ。日本に戦車乗りが何人いるか知らないが、高校生でみほより長く戦車道をやってきたのは一人だけ。同じように西住流に生まれた、みほの姉だけだ」

 

麻子は『西住みほと同じくらいの戦術眼を持つ』という自身の目標が、現在地からどれだけ離れているかを漠然と理解した。

それは神栖渡里の次の言葉によって、より具体性を増すことになる。

 

「17年。それが、アイツが戦車道に掛けてきた時間だ。まだ戦車道を始めて二か月もないお前が、そこに行くって言ってるんだぜ」

 

神栖渡里の表情は、笑顔だった。

ただ戦車道以外の時に見せるような、柔らかなものではない。

挑戦的で、獣のような、獰猛な笑み。

戦車道を甘く見ているのか、とでも言うような圧がそこにはあった。

 

17年。

決して、軽い数字ではないと麻子は思った。

一つの道にそれだけの時間を費やしたことは、終ぞない。

どころかその半分の時間さえも掛けたものはないだろう。

読書は幼き頃より嗜んでいるものの、それはあくまで趣味の範囲。

血と情熱を注いできたかと言われれば、それは否だ。

 

大会までは残り二月程。

17年と比較すれば、それはほんの僅かな時間だ。

 

「やるって言うなら力になるよ。今日から大会まで、俺が培ってきた戦車道の全てをお前に教えて、今とはまるで違う景色を見せてやる」

 

そこで途端に、彼の雰囲気は変わった。

肌を撫でていた冷たい気は消え、春風のように穏やかなものへと変化する。

そしてとても柔らかな口調で、彼は言った。

 

「けれど妥協できるなら、妥協してくれ。お前はそれでも、大した操縦手だ」

 

麻子には知る由もないことだったが、この神栖渡里の言葉はいつかの日、五十鈴華に向けて放たれたものと同様のものだった。

 

神栖渡里は、向けられた熱量に対して等しい熱量を変えす性質ではない。

寧ろその逆。自身の熱量に等しいものを、相手にも要求する性質である。

つまり「俺がこれくらいやるんだから、お前らもそうしろ」と当然のように思うタイプなわけだが、これが発露することは、実はあんまりなかった。

彼自身、それが時に相手を壊してしまう可能性があるという事をしっかりと認識しており、加えてギリギリを攻める力加減を心得ていたからである。

 

その結果、大洗女子学園は五体満足で今なお健在なわけだが、時々この力加減は狂うことがある。

それが、彼が引いておいた線を、相手が踏み越えようとしてきた時である。

 

五十鈴華が正にそうであった。

現状維持でも十分優秀な砲手になれるところを、日本一の砲手になるために、神栖渡里に更なる力を求めた。

血が滲むような努力も痛みも厭わず、ひたすらに前進しようとした。

 

神栖渡里はそれに応え、自身の全力を以て五十鈴に相対している。

彼は、五十鈴が壊れそうになっても止まらないだろう。

「お前が止まらないと言ったんだから」と言って、容赦なく五十鈴を鍛える。

彼女が燃え尽きてしまうほどの熱量を、彼女に注ぎ続ける。

 

それが危険と分かっているから、神栖渡里は五十鈴に選択肢を与えた。

お前にそんな顔をされたら手加減ができなくなるから、と彼女に安全な道を用意した。

その上で選べ、と言って。

 

そして今、麻子にも同じことをしている。

 

麻子は当然、そんな神栖渡里の配慮を知らない。

言葉の裏に秘められた思い遣りに、気づくはずもない。

 

ただ一つ、感じるものはあった。

これは、彼の優しさだ。

 

神栖渡里は鬼のように厳しい人だけれど、厳しいだけの人じゃない。

彼にとっては厳しさと優しさは、一枚のコインの裏表。

厳しさの裏には優しさがあって、優しさの裏には厳しさがある。

 

きっと、麻子の行こうとしている道は険しいものなのだろう。

自分一人ではたどり着けず、彼の手を借りてようやく開く道。

けれど彼の敷く道は茨の道。

無傷で通れるなんていうのはあり得ない。

 

なら、彼の言う通り妥協するか?

()()()求めるレベルじゃなく、()()求めるレベルに留める。

それだけでも十分だと、彼は言っているのだ。彼が言う以上は、皆許してくれるだろう。

 

「……もし」

 

―――――でも。

例え誰が許してくれても。

この世界には一人だけ、麻子を許してくれない奴がいる。

静かに、麻子は()()()を納得させるための言葉を放った。

 

 

「もし私の上に乗っているのが西住さんじゃなかったら、私は今のままで良かったか?」

 

 

麻子の言葉に、渡里は少しの間を置いて、ゆっくりと首を縦に振った。

たったそれだけのやり取り。

時間にすれば10秒もない僅かな間で、麻子の心は決まった。

 

結局は、そういうこと。

メリット・デメリット、損得、理屈感情、全部ひっくるめて。

()()が納得できるかどうか。

 

神栖渡里の厳しさも優しさも、関係なく。

麻子は、自分で決めた道を行く。

 

「だったら、私は止まるわけにはいかない。これからどれだけ西住さんと一緒に戦車道をするのかは分からないけど、今一緒に戦う仲間なのは確かだ。私は、西住さんを独りにしたくない」

 

独りは、寂しい。

麻子は痛いくらいに、それを知っている。

きっと西住さんもそう。特に彼女は、寂しくても笑って誤魔化せてしまえる人だから。

一緒にいてほしい、という言葉も飲み込んでしまう。

 

―――――――だから。

 

麻子は真っ直ぐに、黒い瞳を見つめた。

そこには幼馴染に無理やり起こされそうになって、全力で反抗している時のような、意固地な顔が映っている。

 

 

「勉強は嫌いだけど得意だ。17年でも100年でも、追いついてみせる」

 

 

 

 

 

 

 

 

「隊長車から各車へ!これより作戦通り、指揮を分割します!部隊の指揮は冷泉麻子、砲撃指示は西住みほが取ります!通信手の皆さん、二人の指示を切り分けて乗員に伝えてください!落ち着いてでいいので、正確に!!」

 

沙織の声が飛んでいく。

四号戦車から放たれたその通信をキッカケとして、大洗女子学園全員に僅かな緊張が走る。

今まで西住みほという一人の人間が統括していた指揮体系が、突如として分離するのだ。

練習なんかしてきていない、完全なぶっつけ本番。

統一された動き、どころかまともに戦えるかすらも分からない。

 

けれどそこまでしなければ、この包囲網は抜けられない。

全員がそれを理解し、そして覚悟を決めた。

大洗女子学園の命運を、二人の()()に託すと。

 

「―――――……」

 

じぃ、とみほは戦場を見つめた。

既にみほの頭の中には、一列に連なり一匹の蛇と化した部隊をどう動かしていくか、という考えはなかった。

 

あったのは、どこに矢を放つか。

プラウダの陣形と人員の配置。それらを鑑みて、どこにどういう風に砲撃を加えていけば陣形が崩せるか、であった。

 

(隊長車周りは多少じゃ乱れない。狙うなら、IS-2がいた部分か、隊長車から最も離れた所にいる戦車)

 

そして一瞬の思案の後、みほは第一射を放つポイントを定めた。

後は機を見て、指示を出すだけ。

そこからは余計な事は一つも考えられない、怒涛の展開が幕を開けるだろう。

 

(………)

 

みほは一時(ひととき)、思考のベクトルを変えた。

自分が見るべきものではないと分かっていたが、それでもみほは()()()()してしまった。

もし自分ならどういう風に部隊を動かすか、と。

それは車長として、そして隊長として長く戦場に身を置いてきたが故の、一種の癖のようなものだった。

 

雪上に道が浮かぶ。

それは今だけ見える、大洗女子学園が通るべき(ルート)

砲撃指示と同時でなければ、みほはこうやって行くべき道を照らすことができる。

 

けれどここから一手先は、闇の中。

輝く道は、プツリと途切れている。

 

(………)

 

それ自体は問題じゃない。

大事なのは、今こうしてみほが見ている道を、冷泉麻子もまた見ることができているのかということ。

 

部隊指揮を操縦手に一任するというのは、暴挙である。

大前提として、チームを動かす人間は一人でなくてはならない。

一つの身体(コントローラー)を一人の人間が動かすのは簡単だ。

けど二人で動かすと考えたら?一方は右手、一方は左手でコントローラーを握り、ゲームをプレイしろと言われたら?

 

そんなのできるわけがない。

小学生でもわかる事だ。

けれどみほと麻子は、今からそれをやる。

 

肝要なのは、今目の前の状況に対する最善が見えているかどうか。

たった一つしかないベストを見抜ければ、みほと麻子は()()()()という意識もなく同調することができる。

二人で一つの身体を自在に操ることができるだろう。

 

 

―――――――できる?

 

 

みほの心に、一抹の迷いが生じる。

もしこれがみほと麻子のペアでなく、みほと兄のペアだったなら。

その時みほは、何の迷いもなく「できる」と答えただろう。

みほは兄の戦車道の実力を誰よりも知っているからこそ、自分が辿り着く答えには、兄もきっと辿り着くと断言できる。

 

けれど麻子は違う

兄はみほと同じく部隊を指揮する者としての資質が最も高い戦車乗りだが、麻子は操縦手。みほとはそもそもタイプが異なる。思考の仕方も方向性も、きっと全然違うだろう。

 

それでも同じ所に行き着くことができるか。

 

 

――――――――信じろ、みほ。

 

 

声が、迷いを断ち切った。

 

それは、ここにはいないはずの彼の声。

紛れもない、みほの幻聴。

しかしみほに前を向かせる、確かな声だった。

 

麻子が振り向く。

その瞳には、一つの迷いもない。

あぁ、と内心でみほは嘆息した。

 

眼を閉じる。

この作戦に必要なのは、信頼。

きっとついてきてくれるはずと、仲間を信じる心。

 

眼を開ける。

もう、迷いはない。

みほは、()()()()()()()()を放った。

 

「――――――本気で行くよ、麻子さん」

「――――――上等だ」

 

二人は笑った。

一息、

 

「か、加速します!!」

 

麻子がトップギアを叩きつけるように入れ、四号戦車が一気に加速する。

その緩急たるや、沙織が一瞬前にフォローの無線を飛ばしていなければ、後続は間違いなく引きちぎられていただろう。

 

しかし麻子はそんなことに気を払うつもりはない。

言葉で理解するよりも、肌で感じろと言わんばかりの疾走を披露する。

 

それもそのはず。

麻子の頭の中には、既に後続の事など頭にはない。

部隊運用と言っても、大洗女子学園は先頭を走る四号戦車と、それに追随する他の戦車が一列を為す図式だ。指示なんて極論、「ついてこい」だけで構わない。

だから彼女の中に在るのは、事前に記憶したプラウダ高校の配置。

眼に映るのは、刻一刻と変化する戦場。

 

それらを併せた時に浮かび上がる、勝利への道。

それを忠実になぞることしか、麻子の頭にはない。

 

「砲塔右に30度!!用意―――――」

 

そしてみほもまた、無心となる。

余計な雑念はとうに消え、彼女の眼は穿つべきプラウダ包囲網の穴へと向けられている。

麻子がどういう道を選んでいくのか、なんて考えない。

戦車はきっと、その時その時の最善な位置にある。ならみほは、()()()()逆算して狙点を決めていく。

 

「撃て!!」

 

一列になった戦車の群れから放たれる砲弾が、包囲網を襲う。

しかし堅牢な装甲を持つプラウダ高校は、たかだが一射程度では小揺るぎもしない。

 

だからどうした?

みほは次弾を放つポイントを指示し、麻子もまた操縦桿を動かす。

大洗女子学園の進む姿にも、乱れ無し。

 

「随分威勢がいいじゃない……!」

 

小さな巨人は、好戦的な笑みを浮かべて大洗女子学園を見据える。

どうやら本気で、この包囲の中で生き残れると思っているらしい。

ならばすぐにわからせてやる、と繰り出す指示は迅速にして的確。

大洗女子学園が空けた穴は、たちまち埋まっていく。

 

状況は膠着した。

戦場は穴を穿つ大洗女子学園と、それを塞ぐプラウダ高校という図式に固定され、延々とそれが繰り返されていく。

 

そうなると有利なのは、プラウダ高校である。

彼女達からすれば、無理に攻め立てる必要もない。

極論、防御に徹していれば、大洗女子学園は衰弱し勝手に果てる。

相手が、自ら首を差し出してくれるのだから、これほど楽な戦いもない。

 

しかし大洗女子学園は、否。

西住みほは、この不利な状況で、笑みを深めた。

 

時間を経る毎に。

指示を出す度に。

みほの中に、歓喜の感情が沸き上がっていたのだ。

 

それは言うなら、対等の存在がいる事の喜び。

どこまで全力で駆け抜けても、どれだけ高く飛ぼうとも、決して離れずについてきてくれる。

自分は独りではないのだと、そう実感させてくれる存在がいることの、なんと嬉しいことか。

 

勿論今までそう思わせてくれる人たちと出会ったことがないわけじゃない。

兄やケイ、ダージリン、アンチョビ、自分と同じかそれ以上の高みに在る戦車乗りをみほは知っている。

けれど隣にいて、一緒に戦ってくれる人は、麻子が初めてだった。

 

喜びに比例して、みほの指揮は鋭さを増す。

しかしピッタリと、麻子の指揮も追い縋る。

 

合宿以前の麻子なら、当然こんな芸当はできなかった。

戦術も戦略も、何もかも知らないままの操縦手なら、きっとみほに振り切られていただろう。

 

けれど今は違う。

麻子の中には、神栖渡里の血脈が流れている。

あくなき努力(勉強)と、あくなき勝負(模擬戦)

神栖渡里から知識を授かり、神栖渡里から実戦経験を得たその先で。

 

麻子は手にした。

遥かなる高みを征く、不敗の戦車道。

その一端を。

 

今の麻子には、はっきりと見える。

堅牢に思えたプラウダ高校に、僅かに生じつつある穴。

西住みほが少しずつ穿ち、作り上げた隙。

希望の風が吹き込む、たった一つの突破口。

 

彼女の意図を、麻子は理解できている。

 

『く、流石にプラウダ高校……』

『守りが硬い……!』

 

しかし俄かに、大洗女子学園の間には動揺が広まりつつあった。

攻めても攻めても崩れない相手というのは、それだけで大きなプレッシャーだ。

麻子とみほには綻びが見えているが、それ以外の者には難攻不落の城塞のように見えているのだろう。

 

加えて、

 

『に、西住!!まだか!?此方はもう―――――っ!?』

『うるさい河嶋。大丈夫だよ、西住ちゃん。まだまだこっちは――――っと!』

 

ある意味でみほ達よりも困難な道を行っていたカメさんチームが、本気を出し始めた全国一、二を争う魔弾の射手の足止めに限界を感じ始めていたのである。

 

無理もない。

元々実力差は明白。

カメさん、特に角谷が勝ちを捨てて全身全霊を足止めに費やしているからこそ成り立った拮抗だ。

真の意味で互角ではないのだから、崩れるのもまた早い。

 

角谷は言うが、大洗女子学園一同は魔弾の射手の到来を予知する。

間もなく、ブリザードがやって来る。

 

動揺は更に大きくなる。

それを肌で感じながら、みほは危機を悟った

士気が下がるのはマズい。

前へと進む勢いが減衰すれば、この包囲網は破れない。

 

ここは隊長の出番だ、とみほは息を吸い込んだ。

弁舌と行動を以て仲間を奮い立たせる、その役目を果たす時は今だろう。

 

一息、言葉を放つ………その一瞬前。

 

 

「―――――ひるむな!!」

 

 

みほとは違う鋭い声が、雷のように響き渡った。

動揺は霧散し、代わりに目を剥く驚愕が訪れる。

 

みほも、沙織も、華も、誰も彼も。

きっと目を丸くしていた。

だって、初めて見る。

 

 

「余計なことは考えるな!全員、目の前の戦車の後を追う事だけに全神経を注げ!」

 

 

――――冷泉麻子が、大声で叫ぶ所なんて。

 

 

「そうすれば――――――」

 

操縦桿を握る麻子の細腕が唸りを上げ、ぐいん、と四号戦車が曲がる。

決して緩やかではない、乗員ごと振り回すような急激なターン。

それが断続的に行われる。

味方でさえ油断すれば振り落とされそうな制動だ。

尚更、プラウダ高校では捉えきれない。

 

カチューシャの支配力を、麻子の操縦技術が凌駕し始めていた。

 

 

「―――――私が、全員無傷で連れてってやる」

 

 

火が灯る。

あぁ、とみほは嘆息した。

いつもは自分がその役目だから、初めて見た。

 

自らを薪として戦人(いくさびと)の火を盛らせる、将の器を。

 

麻子の小さな背中が大きく見える。

きっと、この頼もしさを皆感じているはずだ。

目に見えずとも、戦車を越えて彼女から溢れ出す闘志を肌で感じて。

 

(――――――――行ける)

 

みほは予兆を感じ取る。

プラウダの包囲が緩み、突破の隙が確実に生まれつつある。

 

おそらくカチューシャには麻子の行く先が見えているんだろうが、他の選手は違う。

彼女たちはカチューシャから降りてくる指示を全うしているだけで、麻子の動きについてこれているわけではない。

今まではそれでも十分通用したのだろうが、今回は違う。

 

こっちは二人がかりだ。一つの頭と一つの身体では、いくらカチューシャでも半歩遅れる。

だからノンナの存在が大きく、だからカメさんチームが足止めしてくれている意味は大きい。

 

「砲撃を集中させてください!!―――――撃て!!」

 

放たれる一斉砲撃。

コンマ数秒以下の、ほぼ同時と言ってもいいタイミングで束ねられた砲撃は、プラウダの包囲網に穴を空ける。

 

「―――――――ッ!!」

 

そして此方は完全に同時。

およそ一人の人間がコントローラーで動かしているのではないかと言うほどのタイミングで、麻子がみほの穿った穴に飛び込む。

 

「させな――――――――!?」

 

指示を飛ばそうとしたカチューシャに、横合いから突如砲弾が浴びせされる。

無礼に、無粋に、差し込まれた一撃。

下手人は誰か。

カチューシャの目は、すぐにソレを捉える。

 

ボロボロで、所々黒煙を吐きながら、それでも威風堂々と立つカメのマークを。

 

「させないのは、こっちもだよ。カチューシャ」

 

ニヤリと不敵に笑う、赤髪の少女を。

 

「こ、の……ちっこい戦車風情で!!」

 

ここまでが計算か、とカチューシャは歯噛みした。

IS-2との一対一(ノンナへの妨害)は、あくまで主戦力部隊が包囲の中で戦っている間だけ。

包囲突破のキッカケを掴んだなら、次はその妨げになるカチューシャの邪魔をする。

カチューシャからすれば小蠅にたかられるようなもの。実害はないが、しかし集中力と思考が削がれる。

 

そんな小さな事でも、みほ達からすれば値千金の活躍。

 

「ノンナ!!」

 

そして最後の活躍でもあった。

カチューシャに向かう為に、カメさんチームはIS-2に背を向けた。

それが意味するところは、明白。

 

「……ふぅ」

 

角谷は予感する。

数秒後の未来を。

背中を貫かれ、雪原の上に散る結末を。

 

けれど恐れも、悔しさも、微塵もない。

寧ろ角谷は、晴れやかな気分でさえあった。

 

なぜなら、

 

「――――――私達はここまで!後は頼んだよ、西住ちゃん!」

 

為すべき事を為した。

角谷達はここでプラウダに討たれるが、しかしこれは負けじゃない。

 

角谷の視線の先。

そこには傷一つなくプラウダの包囲網を脱した、大洗女子学園の背中がある。

 

彼女たちは、この籠の中から飛び立った。

それこそが、角谷の勝利だ。

 

「あー、疲れた」

 

背もたれに身体を預け、角谷は全ての力を抜いた。

目も閉じた今、お疲れ様です、という部下たちの言葉だけが角谷の中にあった。

 

『大洗女子学園、38t走行不能!』

 

今大会、大洗女子学園で初めての脱落者を告げるアナウンス。

それを背で受けながら、それでも大洗女子学園は前を向いていた。

 

振り返ることは、彼女たちの為にならないと知っていたから。

 

 

「作戦を第二段階に移行します!!」

 

 

誰が落ちても、時間の針は止まらない。

みほは包囲網の突破を喜ぶ間もなく、次の指示を繰り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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